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東京集中は経済だけでなくサブカルチャーの分野にも及んでいるという危機に関して [サステイナブルな問題]

 関西の知り合いと下北沢で呑む。お酒が入ったからかもしれないが、知り合いはだんだんと冗舌になってきて、それはとても楽しかったのだが、「大阪の人は下北沢より上だと心の底では思っているんですよ」と言うのを聞いて、ムムムと思う。彼は、「お笑いとか演劇とか、そういうので大阪の人は下北沢に負けているとは思っていません」と続ける。流石に私は「音楽だと全然、差があるでしょう」と突っ込むと、「東京が4割だとしても、大阪3割、福岡2割だと思います」と答えた。そこで、私は彼の考えを理解した。彼は50代である。私も50代だ。50代のおじさん達が若かった頃、メンタイ・ロックが流行り、大阪からもボ・ガンボス(京都ですが)やらシャランQが出てきた時、またルースターズやらが福岡から出てきた時は確かに東京4割、大阪3割、福岡2割といった分析は正しかった。しかし、その後、くるりでさえ、大物になる前に東京に来てデビューをし、椎名林檎もデビューをする時は東京にいた。そして、現在は大したテクニックも才能もないような大阪出身のガールズ・バンドがメジャー・デビューをする見込みがあるのかないのか分からないような状況で下北沢のライブハウスに出演しているのが実態なのだ。つまり、孵化器としての機能が大阪のような都市と比べても東京の下北沢のようなところの方が遙かに優位性を持っているような状況になってしまっているのだ。
 これは実は相当、由々しき事態である。このような事態が進行しているのは中央集権が極端に進んでいて、地方分権がまったく展開していないことが一つの大きな要因である。日本という地理的にも文化的にも多様な国土を有しているにもかかわらず、明治時代でもあるまいし、相も変わらず発展途上国のような中央をヒエラルキーの頂点を置いた国土構造を続ければ続けるほど、地方は疲弊していく。そして、それは主要な産業だけでなく、ガールズ・バンドのようなサブカルチャーにおいても展開していることを真剣に理解しておくことが必要である。これは、改めて指摘するが、大変由々しき事態であり、地方が崩壊する音が聞こえているような状況にあると私は捉えている。子供を産める女性を地方に縛り付けるといったような対策では、とても解決できないであろう。

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両神山(日本百名山登頂23座) [日本百名山]

 埼玉県の奥秩父山塊にある両神山に行く。埼玉県には百名山が3つあるが、そのうち2つは県境にある。県境ではなく、すべて埼玉県内にある百名山は両神山だけである。そういった点からも、両神山は「埼玉県の山」というシンボル的な意味合いも有する山であると思う。
 5月中旬の土曜日、友人の車に乗せてもらい都立大学の家を13時に出た。花園インターチェンジを経由して両神山荘に着いたのはほぼ16時。3時間で着いてしまうので近いものである。早い風呂に入り、夕食は18時。食事は思いの外、豪勢で地の物が中心で鮎以外はすべて精進料理のようなベジタリアン志向であったが、好感が持てる。その後、部屋で多少、友人との旧交を温め、19時には寝る。起きたのは1時30分で、ちょっと早すぎだが、睡眠時間は確保している。ただし、この山荘はソフトバンクが繋がらないので、時間は持て余す。
 布団を上げたのは4時30分。登山準備を開始し、パッキングが終了したのは5時15分。朝食は5時20分過ぎには準備されており、チェック・アウトを済ませ、昨晩お願いした昼食(500円)を受け取り、登山を開始したのは6時。ここまでは予定通りである。両神山は山岳信仰の霊峰である。というのが、登山口を上がって5分ぐらい経って鳥居をくぐらせられることで改めて思い出す。登山道には多くの石仏や石塔が置かれており、つい最近、設置されたと思しきものもあった。天気は曇りで、小雨がたまにぱらつく感じではあるが、レインコートを着るほどではない。登山道は急峻な谷の間を縫うように行く。道は狭く、ちょっと油断をすると滑落する危険さえある。行きはともかく、疲労が溜まった帰りには気をつけないといけないであろう。
 会所という休憩所は6時35分に到着。それからは、渓流を徒渉しながら高度を上げていく。昨日までの雨で登山道は泥濘んでいる。上りはともかく下りはちょっと大変であろう。特に展望がない谷をずっと歩いて行くがブナやもみじなどからなる落葉樹林の森は美しく心も落ち着く。途中、いくつか鎖場があるが、滑りやすい岩に設置されており、どちらかというと上りではなく下りようである。8時30分頃に清滝小屋にようやく着く。ほぼコースタイム通りではある。ここのトイレは相当、清潔であり、登山者にとっては有り難い。
 さて、ここからは急登が尾根に出るまで続く。鎖が大変というよりかは、泥濘みが難しい。つりそうな感じになったので、ちょっと休んで身体をほぐす。なかなか厳しい坂が続くが、どうにか両神神社には9時30分頃に着く。そこから尾根まで一挙に登ると、両神山頂へ目前である。ここでストックをリュックにしまい込み、最後の鎖場。ロック・クラミングのような岩場を登るが、それほど難しくはなかった。山頂に着いたのはほぼ10時。両神山頂からは素晴らしい展望が得られるという話だったが、我々は白いガスしか見えなかった。とはいえ、雨が降らなかったことは不幸中の幸いだ。また、両神山はアカヤシオツツジが有名であるが、ちょっと満開には早かったが頂上でもこれらの可憐な花を見ることができた。昼食を食べるにはちょっとスペースが狭いことと、まだお腹も空いていないので、そのまま一挙に清滝山荘まで下る。この時、気をつけたにも関わらず泥濘みに足を取られ、尻餅をつく。この泥濘みを下るということで慎重になったこともあり、下りはコースタイムを大幅に上回り、下山したのは14時ちょっと前であった。
 曇っていたために展望が得られなかったこと、また登山道が泥濘んでいて歩きにくかったなどの問題もあったが、奥秩父の大自然を体験できたことは意義のあることであった。機会があれば再びチャレンジしたいとも思わせられたが、まだ登っていない名山が多いので、それは先のことになるかもしれない。

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(朝霧の中の両神山登山口周辺)

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(両神山荘。山小屋ではなく民宿でした)

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(清滝山荘までは、渓流に沿って谷を登っていく)

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(美しいブナ林)

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(山頂はあいにくガスで素晴らしいといわれる展望はまったく得られませんでした)

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(山頂でのアカヤシオツツジ)
タグ:両神山
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両神山荘に泊まり、地方から人が流出するのは、昔あった経済資源がなくなったからだと確信する [サステイナブルな問題]

 両神山荘に泊まる。山荘というので山小屋のようなものをイメージしていたら、ちょっとした民宿のようなところであった。そこの親父さんと話をする。家屋が横に長いのでお蚕をしていたのか、と尋ねたら、そうだとのこと。昭和45年頃まではしていたそうである。富岡製糸工場があったこともあり、秩父一帯は養蚕が盛んのようであつた。お蚕を飼っていたときは随分と潤っていたそうである。それに加えてコンニャク。ここはコンニャクは15年くらいしかやらなかったそうなので、下仁田や南牧村とは違うようだが畑のダイヤといわれたほどの商品作物である。これでも随分と現金収入で潤ったであろう。さらに冬は炭焼をしていた。これでも現金収入が入ってきた。そして極め付けは森林。ここの親父さんは山を所有していて、杉は100万本植えたと言っていた。その数字はともかくとして、昭和40年頃はその価値といつたらとてつもないものであり、埼玉銀行の頭取が挨拶に来たという話も納得する。
 集落には酒屋があった。一見するとまだ営業しているようであったがもう閉店したようである。ひと昔前までは集落で余裕で酒屋を維持することが出来ていたのである。勿論、酒屋の営業に大きなダメージを与えたのはスーパーマーケットが麓に出来たことが大きい。ただ、その結果として集落の生活環境は大きく劣化した。この現象は南牧村と全く同じである。
 両神に来たのは始めてであったが、改めてほんの50年前までは、ここのような森林地帯は大変経済的には豊かであったということを思い知らされる。そもそも経済的に豊かであったから、当時は人口も増えていたのである。養蚕、コンニャク、炭焼といった優良な産業が現存していれば現在でもここで生活する人は少なくないであろう。
 逆にいえば、都会人のロマンにだけ頼ったようなIターン政策に力を入れても根源的な地域の維持には繋がらないのではないだろうか。人が地方から流出する理由は、その人によって取捨選別であろうが、最大の理由はおそらく経済的なことである。経済的な豊かさが確保出来れば、人は外国に行くことさえ厭わない。
 それを失ってしまつたからこそ、地方から人口が減っているのである。ということを改めて確信させてくれた両神山荘の親父さんの話であった。

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トランプ政権がFBIのコーミー長官を罷免する [トランプのアメリカ]

 トランプ政権がFBIのコーミー長官を5月9日に解任した。FBIは大統領選においてロシアとトランプ陣営の関与を捜査していた。FBI長官の任期は10年でまだ6年残している。FBI長官が任期中に解任されるのは極めて稀で、史上二人目だ。前回はビル・クリントンが大統領の時にセッション長官が解任された。セッション長官は自宅の塀の改修費を政府に要求したことが発覚したためで、解任も致し方なかった。コーミー長官はそういう「倫理」的な問題はまったくなく、そのタイミングからしても、3月20日の下院情報委員会で「ロシアによる米大統領選介入疑惑の捜査の一環で、トランプ陣営とのつながりも調べている」と証言したことが理由であると捉えるのが自然であろう。
 というか、あまりにも馬鹿正直で唖然とする。自分たちに非があるというのを認めているようなものではないか。
 しかも、長官を解任する理由は「ヒラリー・クリントンのメール問題への対応が理由だ」としているから開いた口がふさがらない。というのも、トランプは一貫して、そのコーミー長官の対応を賛辞していたからだ(例えば2016年11月7日のミシガン州グランド・ラピッドでの講演。下記参照)(https://www.youtube.com/watch?v=-64nfy6i58w
 しかし、それにしてもこれはまともな民主国家ではない。日本も相当、出鱈目で滅茶苦茶であるが、アメリカよりはちょっとまともであろう。こういうことを私が書いているのは自分でも意外である。しかし、これはアメリカだけの独立した問題ではなく、民主主義が徐々に崩壊しつつある流れの一つであるとして捉えることが重要であろう。

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『この世で一番おもしろいミクロ経済学』ヨラム・バウマン著 [書評]

本書は短時間でミクロ経済学を概観するにはうってつけだと思う。「この世で一番おもしろい」とは思わないが、要点を抑えており、余計なこともほとんど書かれてなく、漫画のような挿絵が多いので、イメージも得やすい。ミクロ経済学がつまらにと思っている人は、これを読むといいと思う。なかなか、ミクロ経済学って面白いと興味を持ってくれるのではないだろうか。あと、こういう本は日本語訳が今ひとつの場合が多いが、この本の訳者は相当、優れていると思われる。そういう点からもとても読みやすいと思う。


この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講

この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講




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オバマケアが廃止されたことで見えてくるアメリカ社会の闇 [トランプのアメリカ]

 オバマ政権下で2014年に成立した通称オバマケア(Affordable Care Act)の廃止が連邦下院にて可決された。オバマケアは、それまで医療保険制度が国民皆保険制度ではなかったアメリカにおいては、国民皆保険制度のような「公的保険」ではなくても、保険会社が既往症などによって差別をさせない制度を導入したり、医療保険に入ることを義務化したりするなど従来に比べると画期的な進歩をもたらし、ようやくアメリカも文明国らしくなったな、と私は思ったものである。というのも、アメリカの大学院に行っていた時、高額な医療保険に入っていたことがあり、しかも保険サービスや医療サービスも悪いといった「高かろう、悪かろう」という劣悪なシステムにほとほと辟易としていたことがあったからだ。この点に関しては日本の方が遙かにしっかりとしている。それがオバマによって、ようやく少しはまともになったかと思ったら、また逆戻りである。
 民間の保険会社は、利益の最大化を図るために、人の足下を見る。そして、保険会社に足下を見られるのは、高齢者、そして病気を患っている人である。実際、MSNBCのニュースによると、今回の改案によって最大の犠牲になるのは、高齢者であり、そして既に病気を患っている人であるそうだ。
 オバマケアが導入されて無保険者の割合は2010年の4400万人から2015年には2900万人まで減少した。1500万人が新たに医療保険に入ることができたのである(そもそも、医療保険に入ることが難しいというのは、日本人にはちょっと理解がしにくい)。
 そのようにオバマケアはアメリカ人にとって素晴らしい案であったが、なぜかそれを廃止すると公約に掲げたトランプが大統領に当選された。
 さて、この選挙結果、さらにはアメリカのニュース番組の解説やコメンテーターの意見から見えてきたことは、アメリカ人は弱者を助ける、といった慈悲の心、または共同体として弱きものを救う、といった意識が極めて薄い人が多いということだ。もちろん、アメリカ人全員がそうでないことは、オバマケアが法律として成立したことから明らかだが、アメリカ人の半数ぐらいは、病人や高齢者といった社会的弱者を自分達が支える、というか負担をするということが納得できないのである。
 とはいえ、自分達もいつ病気になるか分からないし、交通事故に遭遇して、いきなり治療が必要となるかもしれない。今回の改案では、なんと救急車サービスも保険適用外になるらしい(その最終判断は州が決める)。こんなリスクを社会で抱えきることが出来るのであろうか。
 トランプのオバマケアの改案は、簡単に言えば「病人と高齢者は死ね」と言っているようなものだ。実際、デモをしている人達は、本人もしくは家族にオバマケアがなくなることで、もう高額な治療費が払えないために生きていけない、という切実な訴えをしていたりもした。しかし、「病人と高齢者は死ね」という決断を共和党はした。こういう意見がマジョリティである社会は、どこかできっと大きな膿を生じる。いや、もう生じてしまっており、トランプ自体がその大きな膿なのかもしれない。
 アメリカの社会が音もなく崩壊しているようで、大変心が痛む。しかし、それが対岸の火事と高をくくっていると同盟国の日本も酷い目に遭いそうな気がする。

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私がビートルズで一番、好きな曲は「サムシング」である [ロック音楽]

 もうビートルズのファンを40年間ぐらい続けている。中学一年に「ビートルズ・フォア・セイル」と「プリーズ・プリーズ・ミー」のカセットをもらって、ひたすら聴きまくって以来のファンだ。最初に買ったシングルも「オー・ダーリン」であった(最初に買ったLPは残念ながらジョン・デンバーであった)。
 さて、ビートルズ・ファンはよくジョン派とポール派に分かれるが、私は圧倒的にポール派である。私はミュージシャンを恒星で形容する癖があるが、ポールは圧倒的に一等星である。そしてジョンは、もちろん好きではあるが三等星である。ちなみに一等星は私と同時期に生きていたのではポールだけで、二等星にポール・サイモンとスティービー・ワンダー、アントニオ・カルロス・ジョビンなどが入っている。
 さて、そんな圧倒的なポール派であるが、実はビートルズで好きな曲を挙げろと言われるとCome Together, I am the Walrus, Tomorrow Never Knows, Strawberry Fields Forever、Day in the Life, In My Lifeなどジョンの曲を挙げてしまうという、我ながら論理矛盾していたりする。とはいえ、すべての曲を鳥瞰すると、やはりポールが大好きなのである。
 そのような中、ジョージの位置づけはというと、もうこれは、本当に低い。せいぜい六等星かな、と言うぐらい低い評価をしている私がいる。天才二人が幼なじみでいて、棚ぼただよな、と極めて失礼な見方をしていたりもする。ギターもあまり、評価できない。そもそも、While My Guitar Gentry Weepsの素晴らしいギターソロなどをクラプトンに弾かせてしまうことや、Taxmanのギターソロはポールが弾いたりしていることなど、試合放棄じゃあないか、というのは偏狭過ぎるだろうか。サッカー選手でいえばPKをすぐ譲ってしまうような気の弱さを感じてしまうのである。
 さて、しかし、そのようなジョージを過小評価している私であるが、ビートルズで一番、本能的に好きな曲は実は「サムシング」である。これは、残念ながら、左脳では否定をしたくても、右脳が圧倒的にそうだと私に自覚させてしまうのである。そして、それを分からせてくれたのがポール・マッカートニーである。ポールは今回も武道館では演奏しなかったが、東京ドームでは27日も30日もサムシングを演奏した。私は実はジョージの横浜ドームのコンサートでもジョージのサムシングを聞いたことがある。このときも感動したが、ポールほどではなかった。ポールの弾くサムシングは、本当に魂を揺さぶられる。
 ただ、ジョージを過小評価してはいるが、彼の曲は「マイ・スイート・ロード」とか前述した「While My Guitar Gentry Weeps」とか「Here Comes the Sun」なども嫌いではない。しかし、それらと比べてもSomethingは別格である。コード進行も素晴らしいし、ジョージのギターソロも素晴らしい。まあ、ポールのベース・ラインが特別に素晴らしいということもあるが、これも楽曲がそのベース・ラインを引き出すほどの出来映えであるからだろう。
 なんで、ジョージがこんなにも素晴らしい楽曲をつくりだせたのか。不思議ではあるし、いろいろと考えさせられる。ポールはもう素晴らしいメロディを次から次へと紡ぎ出せ、本当に神様に愛された天才という感じであるが、ジョージはサムシングをつくった才能の片鱗が感じられたのは「マイ・スイート・ロード」だけであり、他の曲は、多少味わいがあるが、天才的と感じるようなものは極めて少ない。私自身、作曲をするので、このジョージの補欠のサッカー選手がいきなりハットトリックを一試合だけした、というようなサムシングの現象は興味深い。
 まあ、そういう意味では、リンゴ・スターもソロになったらPhotographのようなヒット曲をつくり始めたことも興味深いし、似たようなことはフィル・コリンズにも感じる。人の作曲の能力というのは、なかなか面白い。天才でなくても、ずっと音楽をやっていると、ある日、潜在的な才能が顕在化するのかもしれない。


Abbey Road (Dig)

Abbey Road (Dig)




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筑波山(日本百名山登頂22座) [日本百名山]

 ゴールデン・ウィークに筑波山にチャレンジする。朝、7時前に都立大学を出て、北千住でつくばエクスプレスに乗り換えた。その際、「筑波山ある切符」というものを購入したのだが、これはつくばエクスプレスだけでなく、「直行筑波山シャトルバス」にも乗れる。これで3050円。北千住からつくば駅までの往復で2060円。つくば駅から、筑波山のロープウェイの山麓駅のつつじヶ丘まで片道800円以上するので、これは大いに得する。お勧めだ。
http://www.mir.co.jp/service/otoku/arukippu.html
 さて、つくばエクスプレスもつくば駅まで乗るのは初めての体験だったのだが、あっという間につくば駅に到着した。そこから筑波山の登山口のつつじヶ丘まで行く「直行筑波山シャトルバス」は30分間隔で運行している。結構、並んでいたがうまく9時30分発のバスに乗ることが出来た。これで10時30分にはつつじヶ丘に着くだろうと思っていたら、筑波山神社に向かう道が大渋滞。ほとんど歩くより遅いようなスピードになり、筑波神社口のバス停に着いたのは11時30分。これから、つつじヶ丘までも渋滞しているという話なので、これはたまらないと思い、予定を変えて筑波神社から登山を開始する。
 なぜ、正統のルートではなく、つつじヶ丘から登ろうとしたかというと、睡眠不足であったからだ。通常であれば、こういう時は登山を避けるのだが、私は来週、両神山を登山する計画をしている。今シーズンの最初に両神山を登るのは流石にリスクが高い。そういうこともあって、今日は多少の無理をして筑波山にチャレンジしたのである。さて、しかし、つつじヶ丘からのルートに比べて、筑波神社からのルートは二つあるが、どちらもずっと厳しい。私は百名山にチャレンジをし始めてから、楽な百名山はない(強いていえば大菩薩峠は楽かもしれない)ということを思い知らされているが、標高877メートルという百名山で最も低いこの標高の筑波山も、筑波山神社から頂上までの標高差712メートルをほとんどケーブルカーに並行に登っていく。つまり、712メートルを階段で上るような登山なのだ。
 筑波神社口のバス停で降りると、そこから筑波山神社まで歩いて行かなくてはならない。道路には歩道の幅がなく、ちょっと危険を感じる。筑波山神社はなかなか立派な拝殿であった。さて、神社を抜けて、ケーブルカーの入り口と登山道が分かれるところから、もう急坂が始まる。そして、急坂はほぼ一貫して続く。普通の階段より、ちょっとだけ緩やかなぐらいの斜度である。これは、きつい。とはいえ、90分間ほど歩くと御幸ヶ原という男体山と女体山を結ぶ展望が拡がる平坦な場所に着く。ここで、カロリーメイトと珈琲を飲み、時間もあまりないので男体山に挑む。10分ぐらいの上りなのだが、なかなか岩をよじ登る感じの急坂で決して楽ではない。この男体山からは南には霞ヶ関と水郷地帯が展望でき、なかなかの絶景である。この絶景が、筑波山の魅力であろう。
 さて、男体山から御幸ヶ原に戻り、次は女体山に向かう。男体山は871メートル、女体山は877メートル。ちょっとだけ女体山の方が高いが、筑波山を登頂したというには二つとも制覇しなくてはいけないような気がする。男体山と違って、女体山へのアプローチは緩やかであった。女体山は男体山に比べると、遙かに多くの人が狭い山頂にひしめき合っていて、ちょっと危険なぐらいであった。ここからは男体山の素晴らしい展望が得られる。また、ここから太平洋方面への光景も素晴らしい。
 さて、その後は「おたつ石コース」というルートでつつじヶ丘に向かう。このおたつ石コースは、登ってくる客が数珠のように繋がっていて、ほとんど一歩も動けないぐらい混んでいる場所もあった。まるで、ディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテンの行列のようだ。私は降りる方なので、ある程度、自分のペースで歩いて行くことができたが、逆方向は凄いストレスではないか、と思う。というか、もう15時近いのに、なぜ、登り始めているのかが分からない。また、ほとんどの登山者は軽装で、私のように登山靴を履いている方が珍しかった。さらには犬や幼稚園児ぐらいの子供、さらにはリュックに赤ん坊を背負っている人もいたりして、筑波山の人気の凄さを思い知らされた。私は、この4年間に3回、登山をしているが、こんなに登山をしている人が多い山は初めてである。そして、登山者でない、レジャー感覚で登っている人がこんなに多い百名山も初めて知った。
 また、つつじヶ丘に近づくと、つつじが群生しているところに出た。とはいえ、まだ蕾みが多く、つつじが満開状況になるのは1週間は早くきてしまったようである。
 帰りはつつじヶ丘からバスに乗ったが、帰りは1時間でつくば駅に着くことができた。その後、行きと同じルートで帰宅すると戻ったのは18時30分ぐらいであった。あれだけの渋滞に遭遇したにも関わらず、公共交通を用いて12時間で往復できたというのはなかなかアクセスのよい百名山である。値段も安いし、そういう意味では財布にも時間にも優しい山であると言えるだろう。なぜ、もっと早く訪れなかったのだろうか、と少し後悔する。
 とはいえ、「西の富士、東の筑波」というほどは立派ではないのは明らかである。しかし、この平坦な関東平野の東に唯一、地面から聳えるように立っているその姿は、その高さが低いにも関わらず感動的である。
 あと、今回の経験から分かったのは、つつじヶ丘から女体山へは登るより、降りる方がずっといいのではないだろうか。筑波山神社のルートに比べると、標高差は少ないかもしれないが、登山者渋滞で、遅くなるならまだしも停止状態になるというのは、登山の楽しみをすべて奪うのに等しいような状況であると思われるからだ。

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(バス停から筑波山神社までのアクセスは非常に今ひとつである)

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(筑波山神社の拝殿はなかなか立派である)

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(御幸ヶ原へコースの入り口)

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(昼なお暗い杉林の中を歩いて行く)

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(このような坂道をずっと登っていくという感じである)

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(上と同じ)

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(さらに坂は厳しくなる)

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(また、さらに厳しくなって、まるで壁のようだ)

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(御幸ヶ原に出る直前の階段)

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(あと少しの辛抱である)

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(男体山から女体山を展望する)

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(男体山から南を展望する)

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(男体山から北を展望する)

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(女体山から太平洋側を展望する)

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(女体山から男体山を展望する)

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(つつじヶ丘から女体山への道は登山者で溢れていた)

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(つつじヶ丘のそばではつつじが群生していた)
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水元公園を初めて訪れた [都市デザイン]

 水元公園を訪れる。初めてだ。そもそも葛飾区には縁がない。葛飾区の役所がどこにあるかも分からない。荒川の向こう側であることや、東葛飾高校が柏市にあることなどを考えると、葛飾区が東京というのは微妙かもしれない。文化的にはより千葉なのではないか、と葛飾区民の人が聞いたら怒るようなイメージをちょっと有している私がいる(すいません)。
 さて、その葛飾区のイメージだが、両さんのお陰で亀有が葛飾にあることが分かる。あと、寅さんのお陰で柴又帝釈天があることも分かる。寅さんの自己紹介の口上は「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」である。
 ということで柴又は葛飾にあることは分かる。さて、しかし足立区と葛飾区の区界、江戸川区と葛飾区の区界は不明である。小岩は江戸川区だが高砂は葛飾区?まあ、それぐらいの認識しかない。
 しかし、水元公園という巨大な公園が葛飾区の北にあることは知っている。前から興味はあったのだが、まったく行く機会がなかったので、大学も休みということで思い切って一人で訪れてみた。ネットで調べると、金町駅からバスで行けるということが分かる。ちなみに金町駅に行くのも初めてである(亀有駅にも行ったことは一度も無い。今度、是非とも行ってみたい)。金町駅は、駅前に区画整理をしたような大通りが走っているんだろうな、という私の先入観とは違い、結構、ヒューマンスケールの街並みが展開しており、ある意味、嬉しい誤解があった。なかなか私の生まれ育った東長崎とまでは行かなくても、中野の北口ぐらいの生活臭溢れる好ましい空間が拡がっていた。とはいえ、バスを10分ほど乗ると、そこには郊外団地が拡がっていた。さらに、ちょっと行くと水元公園というバス停に到着したので、そこを降りて、ちょっと歩いて行ったら、ここは本当に東京か!と思わせるような水郷の雄大なランドスケープが美しく拡がるところであった。全部で8ヘクタールの規模だそうだが、うまく河川敷を活用しており、実際は、もっと大きいようにも感じられる。昔の東京というか、江戸というか、この辺りにはこんな美しい水郷風景が拡がっていたのか、というのは驚きであるし、そういう風景を今日に伝えられるような公園整備をしてきた東京都の公園行政には、素晴らしい仕事をしているじゃないか、と感心させられた。
 今回はちょっと全部を見きれなかったのだが、また機会があれば、ゆっくりと訪れたい。このような公園をしっかりと整備していれば、都市は確実に豊かになると思われる。

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タグ:水元公園
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立石の飲み屋街を訪れる [B級グルメ雑感]

 マイク・モラスキーの『呑めば、都』を読んでから、無性にその本に書かれていた飲み屋を訪れたくなり、立石に赴く。立石には数回、訪れたことがある。ただ、ここ5年間ぐらいは行っていない。そのイメージは大阪の通天閣下のようなディープな雰囲気で、地元の飲兵衛を対象とした、肩を寄せ合って座りながらモツ煮を肴として安酒を飲む、小さなお店がいくつも集まっている、といったものである。さて、5年ぶりに訪れた立石であるが、以前のイメージとほとんど変わっていなかった。というか、昭和のレトロな闇市的な飲み屋街というのがアイデンティティであるから、この5年で変わってしまうようでは駄目である。
 さて、今日はゼミの飲兵衛の卒業生を数名、誘って飲みに行くことにしたのだが、皆、仕事があるので「宇ち多“」にて各自、19時30分までは勝手に飲む、というように待ち合わせをした。仕事がない私が一番はじめに到着して、一人でテーブルに着き、勝手に宝焼酎の梅割と煮込み、レバーを注文して飲み始める。
 この店では、見えない掟があるかのように、皆、しっかりと飲んで食べることに集中をしている。もちろん、グループで来ている人やカップルの間では多少の会話があったりするが、基本、ここは安酒を飲む場所であるということは、相当、空気を読めない客でも分かるような、そういう緊張感が空間には充満している。また、カップルでと書いたが、基本、カップルは相当、割合的には少ない。私もこの店では何しろ存在感を消し、うまく、店に馴染むように努力をしている。
 20分ぐらい経って、社会人3年目の男子ゼミ卒業生がやってきた。すると、「連れがいる」と店員に言っている。中年の店員は「そういうなら、店に入る前に待ち合わせをしないと駄目だろう」と怒っている。私は手振りで「一人で飲め」と伝えようとしたのだが、その行為で、中年の店員さんに気づかれ「あの人か」と卒業生に確認を取り、本当しょうがねえなあ、という顔をしつつ、たまたま空いている卓があったので、そこに移らせてもらった。移った後も、「連れがいるなら店に入る前に待ち合わせをしないと困るんだよね」と言われて、私は卒業生に「そういうことだから一人で飲んで全員が揃うまで待つと言ったのだ」と小言を言ったら、学生も申し訳なさそうにしていた。とはいえ、まあ、彼の空気の読めなさ故に一緒に飲めることになったので、ある意味ではついている。私ではとても言えない。
 さて、この店は19時30分に閉店で、そこでもう一人の女子ゼミ卒業生がやってきたので店を移る。おでんの「二毛作」に入ろうとしたが、予約で満席の状態で、「みつわ」に行ったらこれも長蛇の列。しょうがないので北口の「鳥房」へ行ったら閉まっており、「江戸っ子」はもう食べ物が切れたので、今日は店じまい。ということで、仕方なく、「江戸安」といういかにも町のお寿司屋さんというところに入る。まあ、特別なお寿司屋さんという感じではないが、気っぷのいいおじさんと若い青年の二人の板前が元気よく握っている様子は、二人漫才とか卓球のダブルスのコンビのようで、みていて気持ちよく、思わずいろいろと注文をしてしまう。なぜか、アワビの刺身が1000円という破格の安さだったのでおそるおそる注文したら、しっかりとアワビでしかも美味しかった。そして、そのアワビより値段が高い赤貝の刺身(1200円)があり、アワビでこれだけしっかりしていたら、赤貝はとてつもなく美味しいのでは、と注文したら、これは美味しかったが普通の赤貝であった。日本酒を中心に飲んで、3人で結構、たくさん飲み食いをすると、4人目の女子卒業生がやってきたので、店を出て、モラスキーがどんなに満腹でも不思議に食べられてしまうと『呑めば、都』で書いていた中華料理店の「蘭州」に行くが、ここはもう店仕舞いの時間であった。我々はお腹いっぱいだが、今来たばかりの卒業生は何も食べていないということなので、隣の「オオクボ」という居酒屋に入る。他は客でたくさんなのに、なぜか客が誰もいなかったのがえらく不安だったが、入るとごく普通の居酒屋であった。他の町だったら、それなりにお客さんも入るのではないかと思われるが、これだけ飲み屋だらけの立石であると、もしかしたら商売が厳しいのかもしれない。
 人と酒を飲むのは会話を弾ませるためである。当然、私とゼミの卒業生ということなので、本人の話はもちろん、今日来られなかった卒業生達の近況なども聞くことになる。数名、転職をしたそうだ。まあ、本当に仕事は大変だ、と卒業生達はぼやくが、このことは本当に学生の間に上手く伝えられたらと思うのだが、なかなか学生はそれを聞いてくれないのが残念だ。結局、あまり向いてなさそうだな、という仕事に就いて、早い時期に辞めてしまう。などという話をしていたら、あっという間に23時30分過ぎで終電の時間になったので、岐路についた。なかなか楽しい立石のはしご酒であった。

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(北口の飲兵衛横丁)

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(南口はディープな飲み屋がぽつぽつと凄まじいオーラを発揮しつつ散在している)


呑めば、都: 居酒屋の東京 (ちくま文庫)

呑めば、都: 居酒屋の東京 (ちくま文庫)

  • 作者: マイク モラスキー
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2016/08/08
  • メディア: 文庫



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西荻窪の飲み屋街を訪れる [B級グルメ雑感]

 マイク・モラスキーの「呑めば、都」を読んだら、どうしょうもなく西荻窪の飲み屋街に行きたくなったので、34歳になった卒業生を誘って訪れる。どうも「戎」は外せないようなので、早めに入ろうと考えて17時に西荻窪の駅の改札口で待ち合わせをする。「戎」は13時に開店する居酒屋で、まあ昼から酔っ払えるという機会を提供しているなかなか画期的なお店であると思う。以前、港区の麻布街づくりのパネル・ディスカッションのコーディネーターの仕事をしたことがあったが、パネリストのお一人が「あべちゃん」は15時から飲めるので素晴らしい!と述べられたが、西荻窪だと13時だ(ちなみに赤羽のまるます屋であれば朝から飲める)。それはともかく、17時に改札を出て直行したら、既にほぼ満席。これは入れないかと思われたが、二人という人数が幸いして、奥のテーブルに座ることができた。
 焼酎グレープフルーツ・サワーを注文。あとはキャベツ、焼き鳥など。焼き鳥系は焦げていて、決して味がいい訳ではない。ただ、この雰囲気は相当、味があるというか個性的だ。モラスキーの本からだと、もっと赤提灯的な店内のイメージを抱いていたのだが、むしろ山小屋的な雰囲気のお店で、お洒落とも捉えることができるような印象だ。実際、お客さんも30代前後の女性が多くいた。ちょっと本の内容と違うな、と思って家に帰って読み直したら、モラスキーが語っていたのは本店といって、私が行った(支店)隣にある店であることが分かった。モラスキーも本店と支店では偉く客層が違う、と書いていたので、次回は本店に訪れようかと思う。とはいえ、食事を楽しむというよりかは雰囲気を楽しむお店のような気がする。というのも、食事は今ひとつであり、また肝心の日本酒の揃えはまったくよくないからだ。チューハイ、ハイボールを飲む店かなと思うし、それらのお酒が似合うような雰囲気であるとも思う。
 さて、「戎」だけ訪れて帰るのはあまりにも勿体ない。ということで、「戎」はそれほど食べずに、次の店を探す。第一希望は「しんぽ」であったが、流石に予約なしでは入れなかった。ということで、立ち食い寿司屋「一」に入る。というか、「一」に入れたのもちょっとラッキーだったかもしれない。「一」も「戎」と同じ通りに立地しており、「戎」と同じように通りに立ち飲み客用のテーブルを二卓置いていて、テーブル狭しと客は肩を寄せ合って、そこで呑んで食べている。ただ、食べているのがおでんとか焼き鳥とかではなくて寿司の握りというところが、ちょっと西荻窪というイメージである。この界隈の店はトイレがなく、共同便所を共有している。この共同便所は男女共有であり、男性はともかく女性にとってはちょっと厳しいかと思う。トイレはどこ、というと店の人はここを指示するが、駅にもトイレがあり女性客はそちらを利用した方がいいかと思う。このお寿司屋で驚くのは、美味しいしっかりとした日本酒を揃えていることで、無濾過生酒だけを注文していても酔っ払うことができる。我々は雁木を中心に飲んだ。さらに、美味しい日本酒と合うのは刺身と寿司、と考える私にとっては、ここは相当有り難い店だ。塩水ウニ、ツブ貝、平貝、赤貝、ヒラマサやサンマの焼き物などを注文したが、すべて満足。それで会計は二人で8000円台であった。
 以前、やはりマイク・モラスキーの文章を読んで「溝口」に飲みに行ったが、今回の西荻窪の方が個人的には好みであった。まあ、どちらも、人類が誇る文化遺産のような素晴らしい飲み空間であると思う。翌日、ヒカリエの小洒落たレストランに入ったが、そちらは清潔であるし、ちょっと洗練された感はあるが、西荻窪南口の飲み屋街に比べると何かが根源的に違っている。それは、後者には店と客のコミュニケーションがないが、前者にはおそらく強烈にあるということではないか。「戎」では、隣の客が「ノンアルコール」のビールを注文したら、「そんなものねえよ」(実際はある)と店員に罵られた。その客はどうも常連だったようなのだが、常連だからこそ甘えるな、というのがあったのかとも思う。言われた客もなんかばつが悪そうにしていたが申し訳なさそうにそれでもノンアルコール・ビールを飲んでいた。「消費者は神様」というのはサービス産業のマーケティングにおいては鉄則に近いが、その鉄則によって店は疲弊するし、それをあまりにも優先すると店がつぶれかねない。「戎」という店を支えているのはおそらく常連客であろう。その常連客であるからこそ、しっかりして欲しい、というのがその罵りにあったかと思う。そして、そういう店で、客は立派な客、消費者然とした客からちゃんとした客へとレベルアップできるのである。
 というようなことを考えさせてくれた「西荻窪」の飲み歩きであった。


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ポール・マッカートニーの日本講演最終日に行く(2017年4月30日) [ロック音楽]

 ポール・マッカートニー最終日に私も東京ドームに行く。今回は4日間のコンサートのうち、29日を除いた3日間に行くことができた。29日とは比較はできないが、27日とのセトリとの違いとしては、Letting Goの代わりにJet, そしてBirthdayの代わりにGet Back を演奏したことを考えると、おそらく29日も何か違う曲を演奏したのではないかと思う。ちょっと気になってしまう自分がいると、やはり全日行けばよかったと思ったりするが(実際は申し込んだが買えなかった)、まあ昨年はポール体験が出来なかったことを考えれば、まあ十二分に堪能できたと思われる。
 あと、ポールを観られるだけでも幸せであるのだが、図々しいファンとしての願望としては、是非とも次回、このような機会があれば、次の曲を聴かせてもらえればと切に願う。
Silly Love Songs
Rock Show
I Will
Listen to What the Man Said
With A Little Luck
London Town
For No One
Oh, Darling
Martha, My Dear
Take It Away
Rocky Racoon
Rockestra Theme
I Will Follow the Sun
 いやあ、本当、ファンの欲望はとんでもないな、と書いていて思ってしまった。とはいえ、心から一日でも長生きしてもらい、上記の曲を一切、やらなくてもいいからまたコンサートをやってもらいたい。やはり、次回は全日行くか。

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岡崎京子『東方見聞録』 [書評]

『ヤングサンデー』で1987年の創刊号から14号まで連載された作品。佐藤黄緑と山田吉太郎というハイ・ティーンのカップルが銀座・国会議事堂・中野・国立・原宿・江ノ島・井の頭公園・青山墓地・神田神保町などを訪れて、主に佐藤黄緑の視座を通して、町の様子が描かれている。岡崎京子のその後の作品にみられるような過激な描写はなく、ホノボノとした描写が続き、ちょっと心和む。とはいえ、『リバーズ・エッジ』で開花する東京を観る鋭さの萌芽がこの作品のあちこちに既に観察され、そういった観点からも興味深い作品であると思われる。


東方見聞録―市中恋愛観察学講座

東方見聞録―市中恋愛観察学講座




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ポール・マッカートニーを東京ドームで観る [ロック音楽]

ポール・マッカートニーを東京ドームでみる。一昨日の武道館に引き続いてで二回目だ。武道館では声が出ていなくて、流石に寄る年波には勝てないか、と寂しく思っていたりしたのだが、今日のポールは高音もシャウトできていて素晴らしかった。武道館とはセトリが違っていて、Can't Buy Me Love, And I Love Her, Letting Go, Band On the Run, Temporary Secretary, Eleanor Rigby, You Won't See Me (これは素晴らしかった)、New, Birthday などをやっていて、これだけでもちょっと武道館だけ行った人がいたら可哀想と思うのだが、なんとFool on the Hill を演奏した。これは、もう私としては90年代のドーム以来だったので感涙ものです。さらにSomethingまで演奏した。ジョージの曲だけど、ポールの歌の方が感動するのではなどと書くとジョージに怒られるか。演奏時間も武道館はちょうど2時間だったが、今日は2時間40分ぐらい。曲数も断然、多いような気がした。もちろん、武道館オンリーの曲もJet, Magical Mystery Tour や超渋いソロのEvery Night などがあったので、武道館に行かなくても残念な思いをしたとは思うが、どちらかに行くというのであればドームには行かなくてはいけないであろう。武道館では正直、見納めなのかなと思ったりしたが、今日のドームを見たら、まだまだポールやれるじゃないと思ったりした。やはり、ポールは別格で素晴らしい。こんなコンサートを再び見れた、今日という日に感謝。
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ポール・マッカートニーを武道館で観る(2017年4月25日) [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーの武道館コンサートに行く。当然、最安チケットのB席である。ただ、B席でも4万円だ。前回の武道館コンサートもB席で行った。北西というステージ横というひどい席ではあったがステージは近かった。さて、今回もどうせ相当ひどい席だろうと覚悟していたが、2階ではあったが東Q列ということで、しっかりとステージは見えた。遠いとはいえ、ドームに比べればずっとポールは近い。
 コンサートの開演時間は18時30分であった。私は18時40分に着いたが、結局、コンサートが始まったのは19時であった。さて、緊張するのは最初の一曲目である。なんと「ハードデイズ・ナイト」であった。これは意外である。というのは、これはポールの曲よりジョンの曲というイメージが強いし、おそらくジョンの曲であると思われるからだ。むしろ「シー・ラブス・ユー」の方がよかったかなと思ったりもしたが、まあジョン亡き後、この曲を最もオリジナルに歌えるのはポールしかいないか。とはいえ、ポール・ファンの私としてはちょっと出鼻をくじかれた感じがしないでもない。次は「ジェット」。格好いい。ジェットはポールのペットの犬の名前である。マーサ・マイ・ディアのマーサの息子である。なんで、犬でこんな格好いい曲がつくれるのか、凡人の私には到底、理解できない。そして、「ドライブ・マイ・カー」。そうか、そう来るか。そして「ジュニアズ・ファーム」。この曲は中学時代とかベストを聞いた時は今ひとつな感じだったが、今ではなかなかフェイバレット・チューンになっている。次は「レット・ミー・ロール・イット」。この曲はポール、昔からよく演奏するが、個人的なランキングではそんなに高くない。貴重な一曲が・・・という思いをしないでもない。とはいえ、生ポールだからなあ。次は「アイ・ゴット・ア・フィーリング」。レット・イット・ビーからの貴重な一曲。その後、ジミヘンの「フォクシー・レディ」のチューンでギター・ソロを披露。それからは「マイ・ヴァレンタイン」、バンド・オン・ザ・ランから「1985」。そして、ある意味、ポールの中でも最も好きな曲の一つである「メイビー・アイム・アメイズド」。ただ、前回までは、リンダの曲を歌います、と言っていたが今回はしなかった。何かの心変わりか。そしてジョンとの共作である「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」。次はなんと「エヴリ・ナイト」。ポールのソロ作品一枚目からの小作品である。渋すぎる選択だ!その後は、昔に戻ります、と言って「イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デンジャー」というビートルズ初録音の曲を披露した。私はこの曲を聴くのは初めてだが、なんか、イギリスのフォークソングのような気の抜けた作品であった。ちょっと興味深い。そして、次は「ラブ・ミー・ドゥ」。ビートルズのデビュー曲ですが、本当、ポールは凄い曲をいきなり作ったなと改めて関心する。続いて「ブラックバード」、「ヒア・トゥデイ」というアコギ曲を二曲披露すると、ピアノに座って、ニューのアルバムからの「クイニー・アイ」を演奏する。私は、どちらかというと最近のポールのアルバムは買ってもあまり熱心に聴かないのだが、この曲、改めて聴くと全然、悪くないし、ポール節炸裂している。そのままピアノに座ったまま、「レディ・マドンナ」。本当、次代に歌い継がれる名曲だ。
 ピアノから立つと、ベースを肩からかけて「次は日本初披露曲です」と紹介して、もう、期待に胸を膨らませていると「アイ・ワナ・ビー・ユア・マン」であった。え、リンゴが歌っていた曲じゃない。この曲は中学時代、ビートルズを聴きまくっていた時、そんなに好きじゃなかったんだよなあ、と思いつつ、ただ改めて聴くとそんなに悪くない。というか、いいロックンロール曲だ。とはいえ、初披露だと、例えば「オー・ダーリン」とか「アイ・ウィル」、「フォア・ノーワン」とかを期待してしまったが。
 しかし、ちょっと落胆した私にポールは「マジカル・ミステリー・ツアー」で答えてくれた。うわーっ、これは凄い。圧倒的なメロディー・センス、とてつもない楽曲だ。ノリノリになった私に、しかし、次は「ビーイング・フォア・ベネフィット・オブ・ザ・ミスター・カイト」。これは2013年でも披露していた曲だが、どうせジョンの曲を歌うのであれば、同じアルバムの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」とか「ストロベリー・フィールズ・フォアエヴァー」とかを演奏してくれればいいのにと贅沢にも思ってしまう。というか、初めて聴いた時は大感動したが、何回か聴くと、貴重な一曲が、と思ってしまう。まあ、ファンは贅沢で無責任なものですね。
 続いて「オブラディ・オブラダ」、「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド(リプライズ)」、「バック・イン・ザUSSR」、「レット・イット・ビー」、「リブ・アンド・レット・ダイ」、「ヘイ・ジュード」。こうやって書くと改めてけちのつけようがない流れ。
 そして、アンコール曲は「イエスタデイ」、観客をステージに上げたあと「ハイ・ハイ・ハイ」。これもポールはライブで演奏するのが好きなのだが、私としては数少ないそんなに好きではない曲。勿体ない。これで終わると辛いな、と思ったらピアノに座り、「ゴールデン・スランバー」を弾き始める。そして、アビー・ロード無敵のB面メドレー。これは、今日のコンサートで最も感動的で、心に迫った。このプログレの大曲のような組曲にこそ、ポールのたぐいまれなソング・ライティングの才能が凝縮されている。涙なしには聞けない、と書きつつ、今日は落涙することはなかった。それは、それでポールのコンサート馴れしているということで、幸せなことだと思ったりする。
 前回からそれほど時間が経たずにポールが来日したということや、セトリも前回とあまり変わっていない。また、バック・ナンバーは全員、同じということで、目新しいところはそれほど無かったコンサートと言えるかもしれないが、今回が最後となる可能性は高いとちょっと感じたりもした。もし、最後でなければ、それはそれで大変嬉しいことだが、最後であるという可能性も踏まえたうえで、有り難がらないと行けないと思う。ポールというモーツァルト、ベートーベンに匹敵する音楽的天才と同時代に生まれ、さらに違う国にいつつも、自国でそのコンサートを楽しめるという幸せを感謝すべきだと思う。まあ、人に押しつけるようなことはないのかもしれないが、私は本当に至福な気分である。
 あと、今回は宇宙団のリーダーの望月と一緒にコンサートに行ったのだが、彼女が生ポールを観て、どのように感化を受けるのかは興味津々である。それが作品に反映されたら、私としてもファン冥利に尽きるというものである。

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トランプが多用するフレーズ [トランプのアメリカ]

トランプが多用するフレーズに関する記事をCNNのサイトで紹介している。
http://edition.cnn.com/2017/04/21/politics/donald-trump-president-speeches-favorite-phrases-trnd/index.html
稀代のコン・アーティストであるドナルド・トランプ。しかも、通常の詐欺師は対個人とのコミュニケーションで相手をだますが、トランプはツィッターというメディアを通じて、一挙に騙そうとする。そして、それを検証するマスコミ、学者、統計を「フェイク・ニュース」と言い放ってしまう。大した度胸というか、おそらく多くの詐欺師と同様に、自分も騙しているのではないか、と思われる。
 さて、私がより興味があるのは、このどう見ても偽物であるドナルド・トランプになぜ、多くの人が信頼を置いたかということである。それは、彼のコミュニケーション・スキルにあると思っている。そのような疑問を抱いていた私にとって、この記事は大変興味深い。
 細かい点は、サイトを閲覧してもらえればと思うのだが、時間がない方や英語が面倒な方に代わって、私が簡単に内容を紹介すると以下のようになる(私のコメントも書かれている)。

 この記事はトランプが大統領になってからの3ヶ月間、どのようなフレーズを多用したのかを分析している。
 最も多用されたのが「Believe Me」で26回。これは、嘘をついている人が最もよく使うフレーズではないだろうか。本当のことを言っている人は、あまりこういうことを言わないような気がする。
 次は「We are going to make….」で12回。無責任に未来を保証するような言葉であり、これもいい加減な自社株とかを売ろうとする宣伝マンのようなフレーズである。
 そして、「A Lot of Money」の9回。やはり不動産業という人々のお金への「欲望」を逆手にとって事業を拡大してきただけあって、大統領になっても、このフレーズが思わず出ちゃうのでしょう。しかし、大統領はお金を儲けることを人々に約束してはまずいでしょう。大統領の仕事をまだ分かっていない気がします。
 「He’s A Great Guy」の6回。トランプの言葉でよく聞かれるのは、Bigly, Tremendous, Unprecedented(トランプはツィッターで綴りを間違えてUnpresidentedと書くという大失態を犯している。下記参照、
http://www.cnbc.com/2016/12/17/trump-faces-unpresidented-moment-on-twitter.html), Great, Absolutelyなどその内容が不明瞭な形容語である。日本語で言えば「凄い」、「凄まじい」、「とっても」、「やばい」といったような単語で意味はない。このような形容語を用いるのも、詐欺師っぽい。
 他にも「We are going to take care of」(8回)といった安直な約束、「The Incredible Men and Women」(6回)、「Billions and Billions of Dollars」(7回)、「Winning Again」(5回)などが多用されている。
 そして、この記事は、トランプはビジネス世界で受けのいい言葉を多用していると解説している。そして、また細かいことはよく分からず、大きなビジョンで物事を捉えているだろうとの言語学者の解説を紹介している。

タグ:トランプ
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目黒川は相変わらず臭い。なぜ、ここに人が多く訪れるのか不思議である。 [都市デザイン]

 私は目黒区立東山中学校を卒業している。池尻大橋中目黒、祐天寺を結ぶ三角形の重心にあるようなところで、鉄道駅はどこも遠い。さて、そこのそばを目黒川が流れている。中学時代の目黒川の印象はどぶ川で、その周辺には小さい工場がたくさんあり、川は汚く、臭いもきついものがあった。中目黒は山手通りの自動車が多くて、歩道は狭くて、駅の裏側にある飲み屋街は怪しげな雰囲気をぷんぷんとさせていた。ということで、中目黒駅周辺の目黒川にはとてもマイナスなイメージがあるし、歩きたいとは思わなかった。ただ、当時から桜並木はあったかもしれない。
 その後、会社に入り、目黒川沿いのオフィスで働いていたことがある。雅叙園が建てたオフィス・ビルである。その時も相変わらず、目黒川が臭った。会社で働いていた時にお花見をしたことがあるが、目黒川ではせずに、ちょっと離れた公園でやった記憶がある。
 さて、そして今、再び毎日、目黒川を越えてバス通勤をしていることもあり、目黒川はしょっちゅう見る。ただ、中学時代やオフィス時代と比べても大きく変わったことはいつの間にか、目黒川の花見がなんか観光資源になってしまったことと中目黒がお洒落になったことである。なんか、子供時代は今ひとつで目立たなかった同級生が、大人になったら大スターになってしまったような感じである。驚きだ。
 ということで、随分と目黒川の臭いも改善されたのかな、と勝手に思っていたのだが、最近、目黒川のそばを歩いたら、相変わらず猛烈などぶ川の臭いを発していた。なんだこれは、と川を除いたら、ヘドロのようなものが大量にぷかぷかと浮いていた。
 地元住民はよい。しかし、遠くからこの目黒川にお花見等来る人や、中目黒のお洒落化を図っている人は、この目黒川の臭さ、汚さは本気で対処すべきだと思う。というか、この臭さの中、なぜお花見をすることができるのか、とても不思議な気分になるし、お洒落な店に行きたいとは思わないだろう。私は目黒川でお花見をしようとは全く思わないし、中目黒に行きたいとはまったく思わないが、それでも、この事態を改善しないとリピーターがいなくなるのではないか、と思われる。デート・スポットとして人気があるらしいが、この臭いと川に浮かんでいるごみを見て、盛り上がるカップルは少ないと老婆心ながら思う。

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ヨドバシカメラで高価な電化製品を買うという習慣を見直すといいかもしれない [その他]

 一眼レフのレンズ、そして出来ればカメラ本体も購入したいと考えていた。さて、しかし、写真撮影をする仕事がなければ意味もない。ということで、仕事の継続が決まるのを待っていたのだが、無事、今年度も仕事が取れたので早速、購入しに行った。
 昨日、ヨドバシカメラに行った。ほとんど買うつもりであった。買おうとしたのは、Canon のEF16-35 F2.8Lである。値段は29万円であった。実際の売値はと尋ねると、「同じである」と回答したので、「随分と高いね」と返したら、「ちょっと待って下さい」と言って「ネットで調べたら25万円なので、25万円が売値です」と言い直した。どうも信頼できないなあ。
 次にカメラを見た。私は今EOS7Dを持っているが、ISOが6400しかない。長女に買ってあげたEOSのKissだってISOは12800まである。これが大きなネックだったので、新たに購入したいとは前から考えていた。狙っていたのは、比較的出たばかりのEOS 5D Mark IVである。これが幾らか尋ねると39万円。うわっ、高い。「実際は幾らで売っているんですか」と別の店員に尋ねると、「値札通りです」とのこと。しかし、この人はソニーの販売員だった。「ソニーの人だからそうだよね」と皮肉を言って何も買わずに出た。レンズの件から、値札通りとは到底思えないからだ。ただ、店を出る前に値段はしっかりとメモをしておいた。
 新宿のヨドバシカメラなので、すぐそばにマップ・カメラがある。マップ・カメラに行ったが20:30が閉店でもう閉まっていた。そこで翌日、中野のフジヤカメラに行くことに決めた。この店は1938年に創立された老舗のお店である。
 午前中に訪れたのだが、平日なのに結構、人はいた。まずはレンズを買おうとする。Canon のEF16-35 F2.8LはIIが出たばかりなのに、既にバージョン変更したIIIが出ている。値段は16万円と22万円。お店の人は無愛想だったが、「IIIの方がいいです」と確信的に言う。それで、私はレンズを買うことを即決した。そして、持参していたEOS7Dにマウントすると、どうも広角じゃあない。そこで、初めて自分のカメラがaps-cであることに気づく。間抜けな話かもしれないが、実際、使っていると別に不自由はしなかったからだ。ただし、せっかく広角のいいレンズを購入するのに、これでは宝の持ち腐れである。ということで、なんだかなあ、と思う。カメラの本体も購入したいが、昨日のヨドバシカメラの値段では予算オーバーも甚だしい。
 私が、いやあ「このカメラだと宝の持ち腐れになっちゃうなあ」とぼやくと、店員の人は私がカメラを買う意図が密かにあるということを見抜いたように、「Eos 5D Mark IIIが今、新商品のMark IVが出たのでお買い得ですよ」と言う。私が幾らぐらいですかと尋ねると25万円。これは安い。私が今、使っているカメラは2009年に買っていたので、ほとんど寿命に近い。今のカメラを買った時は、前所有していた一眼レフのシャッター回数の限界が来たからである。そのカメラは7年間使用したので、今のカメラもそろそろシャッター回数的に寿命が来ている筈である。
 ちょっと私がその意見に食い付いて、「Mark IIIはでもMarkIVに比べるといろいろと劣るでしょう」と言うと、店員は「いやいや、MarkIVが出たことでむしろMark IIIは再評価されているぐらいです。特にMovie機能などを使わない人は今でもMark IIIの方がいいくらいじゃないですか」と言う。気になる欠点は「重いところ」ぐらいであるとまで言う。ここで私は落ちた。そもそも値段が安いのに、自分のニーズには遙かに合っている。今のカメラの一番、不満なところはIOSだが、その上限が6400からいきなり25600まで伸びる。相当、思い切った出費ではあるが、どうせなら一緒に買った方がいいだろう、ということで中野まで来たこともあり買ってしまった。
 持っていたカメラを下取りでは幾らになりそうですか、と尋ねると、いろいろと見てくれた後、これだけボロいと売らない方がいいですよ、と言われてしまいました。そういう意味でも、どうせカメラも買わなくてはいけない時期に来ていたということか。また、セカンドとして持っていた方が、山登りとかに持って行けるのでいいかもしれない。
 ということでカメラとレンズを購入したのだが、私はつくづく、ヨドバシカメラの接客態度というかサービスに大いなる不満を覚えた。確かに、ヨドバシカメラは安い(とはいえ、フジヤカメラの方がポイント換算を考えても安かった)。ただ、カメラやレンズを売ろうという誠実な姿勢を伺うことはできなかった。ここで、誠実な姿勢というのは、顧客の立場、顧客のニーズを「忖度」して、自分の商品知識の中から最適だと思われるものの情報を提供するという姿勢である。それは、コンシアージ的な機能であるかと思われる。店員は売っている商品のコノセールであるべきだ。消費者側がその商品知識に造詣が深く、店員は取りあえず売ればいいという小売り形態は多くある。例えば、コンビニエンス・ストアやマクドナルドであったりする。しかし、圧倒的に店側が商品知識を持っているものも少なくない。一般的には自動車やステレオ、大型家電などの買回品がそうだったりするが、日本酒やワイン、高級寿司などもそうであろう。そして、高級一眼レフカメラやレンズなども、まさにそうである。確かに、ヨドバシカメラ(ビッグカメラなどもそうである)は、圧倒的な仕入れ力で価格を下げ、売価も安くしたが、自分は本当に何が買いたいか、その商品をカタログで調べていても自信はない。そういう点で、今回のレンズ、カメラともにヨドバシカメラはまったく私が必要な情報を提供してくれることはなかった。こちらが尋ねてでもある。一方で、フジヤカメラは適切な情報を提供してくれたことで、レンズかカメラのどちらかだけを購入しようと思っていた私に両方とも売ることに成功し、そして私も大変満足しているのだ。私は結構、ヨドバシカメラで買うことが多いと思うが(カメラ本体はともかく、レンズなどはそうである)、今後は、ヨドバシカメラで高価な電化製品を買うという習慣を見直すべきであると今回の経験から思わせられた。

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「ファンタジア」(星降る島) [宇宙団]

 「星降る島」は無駄曲がない素晴らしい傑作アルバムであると思うが、その中で何が最も好きかと尋ねられたら、「ファンタジア」か「ワルツ」か「Tour」のうちの一つを選ぶであろう。この3曲はどれも甲乙つけがたく、その時の気分で選ぶ曲が変わるような気がする(などと言いつつ、「恋は宇宙」を聞くと、すげーと思ったりする時もある)。さて、しかし、どの曲が望月の才能の凄さを知らしめるかというと「ファンタジア」になるであろう。
 宇宙団の曲は他もそうであるが、4分ぐらいの短い時間に、凄く濃密なメロディと歌世界を押し込むことを可能にしている。それは万華鏡のごとくであり、聴く者の心をぐいっと惹きつける。また、それがじっとしないで、次々と美しい模様を見せるように展開していくので、聞いていて飽きない。これは、同じメロディを分散コードで弾いてじらしにじらすコールドプレイなどとは対極の曲作りで、コールドプレイのような一瞬のカタルシスでは負けるかもしれないが、常にカタルシス感を与えてくる、というとてもサービス精神のあるバンドである。
 そして、また私が「ファンタジア」が好きなところは、歌詞といい、曲といい、ギターの演奏といい、望月が人々のニーズなどを意識しないで、等身大でその類い稀な才能に任せて曲作り・歌詞作りをしているような印象を与えることである。こういう曲をつくっていれば私は、宇宙団は成功すると思う。
 「お月様がラッパを吹いてぱららっぱららっぱららっぱ」
 何とも素晴らしい歌詞と音世界ではないか。私はこの曲を聴くと、なんか初期のキング・クリムゾンの楽曲を思い出してしまうのだ。特に後半部のギター・ソロからキーボードが被さってくるところなんか、あまりの才能の凄さに、涙が出てしまう。というか、この曲を作っただけで望月は人類に多大なる貢献をしたのではないかとさえ思ってしまう。その才能の凄さには、私も嫉妬(私もいちおうですが作曲家なので)などを越えて、その才能との出会いに感謝してしまうぐらいである。
 この曲は近々、プロモーション・ビデオが作られるそうである。この曲は凄い。椎名林檎とまでは行かないが、くるりの岸田クラスの才能かもしれない、と冗談ではなく思わせられる。

https://www.amazon.co.jp/dp/B01MUQTCT0/ref=dm_ws_tlw_trk6


星眠る島

星眠る島




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立川駅を訪れ、その陵辱されたようなアーバンスケープを見て愕然とする [都市デザイン]

 立川駅を久しぶりに訪れる。以前は、立川駅が最寄り駅のところに顧客の事務所があったので、よく訪れた。といっても15年以上も前の話である。さらに、顧客の事務所は北口にあり、歩いて行くのはちょっと辛かったこともありタクシーで行くことがほとんどであった。ということで、立川駅はよく利用はしたが、駅周辺は、それほどは知らなかった。
 今回は、そういう意味でははじめてじっくりと国立西駅から立川駅南口へと歩いたのだが、歩いていると徐々に陰鬱とした気分になってきた。そこには、地霊というかセンス・オブ・プレイスのようなものがほとんど感じられないのだ。なぜだろうか。しばらく考えていて、これはセンス・オブ・プレイスというものは、その土地の風土、エコロジーがつくりだしているからだ、ということに気がついた。それは自然的要素と歴史的要素とからつくられる。そして、立川にはそのようなセンス・オブ・プレイスを感じさせるようなものがほとんどない。
 まず、自然的要素であるが、川は流れていたようだが、今は暗渠化されて大通りになっている。そこの通りの並木、さらにその隣にあるお寺は、多少、安堵させる。周辺の山々などが見られればいいのだが、立川の中高層のマンションに囲まれているとそのようなものが目に入らない。そして、建物の間の空間は道路と駐車場である。人が佇むようなポケット・パークのようなものさえ見えない。
 もう一つの歴史的要素に関しても、感じることは少ない。羽衣商店街という昔の赤線地帯の商店街の街並みはレトロ感があり、少し、ホッとさせる。ただ、どうもこの土地の人達は、そのような米軍相手の赤線地帯であるという過去を葬り去りたいという意識があるのか、その痕跡をたどるのはほとんど不可能である。とはいえ、それに換わる歴史的なストーリーはない。立川駅の南口は、どちらかというと表に出したくないような人間の欲望がつくりだした景観がつくられていた。それは消費の空間であり、また、そのような消費のニーズを提供するような空間だ。そこに文化が生じないとは言わないが、そこで生じる文化は、そのような場所において人間性を失わないためのような魂の叫び的な文化のようなものになるような気がする。どちらにしろ、ちょっと辛い。
 そのような空間をどうにか改善するために都市デザインが持つ力というのは大きいと思われる。私は個人的にはそれほど好きではないが、南池袋公園などはそうだし、より好ましい事例としては中野セントラル・パークがある。うまく、立川のまさに土地が汚されたような戦後の歴史を、それを葬り去らずに、しかし、将来への希望につなげるような空間づくりはできる筈である。それを、中途半端に立前だけで、そして経済的な効率性だけを意識して都市づくりをしてきた。その結果が、立川の景観には如実に表れている。
 日本の都市づくりは、ヨーロッパの都市などに比べて、そしてアメリカのサンフランシスコやシアトル、ニューヨーク、ポートランドなどに比べて、何かが決定的に欠けている。この人間性を否定し、風土を抹消するような都市景観をつくってしまっている(北口も含めてである)ということは、何か大きな欠陥が現在の都市づくりのシステムにあるとしか思えない。それが何かは、今後の私のおそらく大きな研究課題になるであろう。

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(緑川は全区間が暗渠化されていて、上部には道路が走っている。自然を求めて立川の郊外に引っ越そうとしたら大間違いだ。よほど目黒区の方が自然は多い)

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(元赤線地帯の羽衣商店街は、ここらへんでは数少ない、地霊というかセンス・オブ・プレイスを感じられる)

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(この混乱した住宅街。というか住宅街なのだろうか。ざわざわ感を覚えるのは私だけだろうか)

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(そして、とりあえず土地が確保できれば駐車場。ここに緑とかを少しでも植えるような気持ちがないのでしょうか)

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(普通、角地はいろいろと街空間を演出するのに使えるのですが、立川はそこでも駐車場)

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(駅に近いところは突如、しっかりと高層ビルが建てられる)

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(大人のおもちゃが悪いとは思いませんが、このロリアニメのキャラが気になります)

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(駅前の商店には、街を美しく見せようという意識はあるのでしょうか?)

 立川の人達には不愉快な思いをさせてしまったら恐縮ですが、これは立川だけではなく、日本全体の都市の問題かと思いますので、申し訳ありませんが指摘させていただきました。
タグ:立川駅
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トランプ大統領の政策理念は空洞であるということだ [トランプのアメリカ]

 トランプ大統領は選挙運動中の公約を反故にし続けている。NATOは時代遅れで場合によっては外れることも辞さないと言っていたのに、今ではNATOの同盟はアメリカにとって重要だと述べたり、中国為替操作国だと批難し、修正させると述べていたりしたが、習主席との会談では、そのような話し合いを一切しなかった。ロシアのプーチンを褒めていたが、今では敵対している。この、風見鶏のようにころころ言うことが変わるトランプ大統領というのはどういう人なのだろうか。
 4月18日に発表されたギャロップ世論調査の結果では、トランプ大統領は「約束を守る」ということに関しては45%が支持し、「信頼に値する」ということに関しては36%しか支持していなかった。
 6つの項目で2月より下がっている。全体でも39%で、これはこの半世紀のすべての大統領より遙かに低い。これは、シリア爆撃後の後、若干改善されるかと思われたが、まったく上昇していない。
https://www.youtube.com/watch?v=eFEZhCVTjSg
 このトランプ大統領はどのような政策理念が果たしてあるのだろうか。「アメリカ第一主義」というのはあるかもしれないが、自分の企業は相変わらず中国で製品をつくらせている(アパレルなど)。トランプは非常に強い口調で話したり、ツィッターで他人を攻撃したりするが、その理念は実はほとんど空っぽである、ということを指摘したのはMSNBC のクリス・ヘイスである。
https://www.youtube.com/watch?v=P8EB0Pr93Ts
 彼によれば、トランプ大統領は何も政策理念がないので、彼は入ってくる情報によってコロコロと意見が変わってしまう。従って、うまく彼の耳に情報を入れられるポジションを確保することが重要となるそうだ。最近では、このポジションの確保のために娘婿のクシュナー氏とバノン氏が対立し、バノン氏が負けたことが、トランプ政権の外交政策の変化の理由だそうだ。
 ヒラリーはトランプをプーチン大統領の「操り人形」であると選挙運動中に批判したが、プーチン大統領の「操り人形」ではないかもしれないが、中身がないので基本的には「操り人形」的にアイデンティティがない人というのは間違いないようだ。

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ゲリラアリャマ(オトメダマ) [宇宙団]

 「オトメダマ」に入っている望月が中学時代につくった曲。イントロはベースとギターの単音でのキャッチボールから始まる。そして「月火水木金金金ってカンジなの」という耳につく歌詞と、極めてキャッチーなロカビリー調なリズムに、マイナー・コードから入るコード展開。しかし、これがさびのパッと明るく展開することを見事に演出していて、こんな曲をつくってしまうなんて恐ろしい中学生である。中学時代に出会わなくて本当、よかったと思う。結構、びびったかもしれない。
 この曲はメロディが優れているのは勿論なのだが、歌詞が相当、奇天烈で面白い。特に、さびの部分である「あぁゲリラ あぁゲリラ雨のように降る乙女の感情 アリャマと悩んでも晴れない感情」などは、意味不明であるが、なんかロー・ティーンの暴力的な恋心のエネルギーみたいなものは伝わってくる。普通の男子中学生は怖くて逃げると思う。
 演奏に関してだが、ギターはコードをジャカジャカ鳴らしているのが大半で、今の宇宙団とはちょっと異なる編曲が為されているが、これは当時はギターのテクニックがあまりなかったからかもしれない。今に通じるのはキーボード・ソロのツボを押さえたメロディで、これ以上でもこれ以下でもないほどよいさじ加減の絶妙なプレイをしている。まるで、ポール・マッカートニーがリンダ・マッカートニーのために書いたキーボード・ソロのようなツボの押さえ加減であるが、宇宙団のキーボードはリンダより遙かにテクニックがあるので、演奏の切れ味は鋭い。この曲は最近、1年半ぶりにライブで披露をしていた。ベースが「オトメダマ」から替わっていたが、その日のハイライトのようによかった。
 ちなみに、宇宙団による『ゲリラアリャマ』の解説は、次のウェブサイトでみられます。

http://otomedama-uchudan.strikingly.com/blog/642aa90898b

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宇宙団ライブ@下北沢ベースメント・バー(17/04/17) [宇宙団]

 宇宙団のライブを下北沢のベースメント・バーで観る。スタートは21時05分と聞いていたのだが、21時に着いたらもう1曲目は始まっていた。1曲目は「チャイナって」とかいう新曲である。これは曲名を聞いたが忘れてしまった。CDで聞き込めていないということもあるが、個人的にはそれほど思い入れがない。2曲目は「オンタイムディスコ」。この曲はノリがいいので個人的にも好きな曲だが、どうも今日はボーカルとベースとキーボードがずれている。リズム的にはドラムがしっかりしているので大丈夫なのだが、音が外れている感じ。望月の調子がよくないのかもしれない。3曲目は「ゲリラアリャマ」。これは、望月が中学時代につくった作品だが、キャッチーなメロディが秀逸なだけでなく、歌詞が凄い。というか、こんな感性の中学生、ちょっと怖い。椎名林檎か、おまえは、と突っ込みたくなる。とはいえ、改めてこの曲のクオリティが極めて高いことを知る。どうも1年半ぶりに演奏したそうだが、これが結果的にはこの日のハイライトであった。
 次の曲は、タイトルを知らない曲。そして、曲順がちょっと前後するかもしれないが「インベーダー」と「日本のヒーロー(曲名は間違っているかもしれません)」を演奏。二曲ともベースのテクニックが発揮されまくる曲であるが、今日は全般的にバンドの統一感が芳しくなかった印象を受ける。ドラムのリズム・キープがしっかりとしているのが救いで、本当、リズムはばっちりというのが宇宙団の強みであると思う。しかし、音程のズレを感じた。ベースが難しいことをしすぎているのか、そうではなく、そもそも和音が難しすぎて、私の耳がついていけないのか。ここは、一般大衆にアピールするには乗り越えなくてはいけない課題のような印象を受けた。そして、最後は無敵の「恋は宇宙」。「恋は宇宙」を演奏する望月は単純にロックンロール・アーティストとして格好いい。
 今回は宇宙団のライブは4回目であったが、その圧倒的な楽曲の魅力や望月のパーフォーマーとしての魅力は担保されてはいたが、バンドとしての相乗的な魅力の醸成には欠けていた。これはライブ会場が今ひとつであったのか、望月のボーカルが今ひとつであったのか、それとも私の体調(耳)が優れていなかったのかは不明であるが、ちょっとファンとしては気になる。
 ただ、若干、欲求不満であったのでトリのバンドを聴こうとしたが、そのあまりの拙さにすぐ帰ってしまった。何が悪いのか、というとドラムのシャープさ。宇宙団の機械のようなリズム・キープの後には、ちょっと聴くに堪えない。これは、本当、宇宙団というバンドの強みである。フリートウッド・マックをちょっと彷彿させるぐらいの(大袈裟でしょうが、ファンなので)リズム隊の素晴らしさが、いろいろと不調でもどうにか聴かせるクオリティを宇宙団は維持できている。そういうことを次のバンドのばたばたさで再確認した。そして、宇宙団でも感じたことではあるが、トリのバンドも和音がズレていた。いや、そもそもこの和音を合わせるということは、このライブハウスでは難しいのかもしれない。そういうことも気になった今日のライブであった。
 望月本人に許可をもらって写真を撮影したので、ここにそれをアップさせてもらう。

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タグ:宇宙団
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『呑めば、都』 [書評]

一橋大学教授でジャズ・ピアニストのマイク・モラスキーの東京居酒屋本。その日本酒への造詣の深さ、東京の街(ネイバーフッド)の歴史を精緻に調べるアカデミズム、さらには居酒屋への溢れんばかりの愛情が、行間からあふれ出ている。それは、居酒屋でなかば慣習化した注ぎすぎで、グラスから溢れ出る日本酒を彷彿とさせる。日本人より居酒屋と日本酒と、東京の街を愛するアメリカ人オタク研究者による珠玉のエッセイ。読むと無性に呑みに行きたくなります。


呑めば、都―居酒屋の東京

呑めば、都―居酒屋の東京




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立川の羽衣町の赤線跡を訪れたが、私の能力ではその痕跡をたどることは難しかった [都市デザイン]

 マイク・モラスキーの本を読んで、立川の羽衣町に猛烈に行きたくなったので、南武線を武蔵小杉から下る。いつの間にか、南武線は高架化されており、武蔵新城あたりからは結構、神奈川の方が展望できてちょっと楽しい。ただ、溝口あたりからは、また地面を走る。こちらの方が、南武線らしい。車窓はつまらないが。さて、途中、睡魔に襲われうとうとしていると目的地の西国立に到着した。
 モラスキー氏の著書『呑めば、都』には、江東区の州崎の集団売春街が1943年に軍の命令で建物を明け渡すことになったのだが、建物を失った業者達は、吉原、羽田の穴守、そして立川の羽衣町・錦町へと分散して営業したと書かれている。
 私の都市を診る力で、そのような痕跡が分かるかの腕試しのつもりで行ったのである。さて、駅の前は特に何もない。どこが羽衣町かよく分からないので、地図をみる。羽衣町は1丁目から3丁目まであり、随分と広範に拡がっているが、地図の形状から区画整理が比較的にされているところに当たりをつけて行くことにした。これは、羽衣中央会館などがある立川市立第六小学校の南にあたり、羽衣商店街もある。
 さて、しかし、残念ながら、その痕跡はほとんどなく住宅地である。ここが、赤線跡ということが分かっているために、住宅地なのに飲食店(いわゆるカフェがそのようなサービスを提供していた)があったりすることはその名残だろうと類推できるが、その逆は無理だ。というか、私では出来ない。まあ、赤線跡をたくさんみていれば、そのような類推もできるかもしれないが、私はそのような街歩きのストックが少なく、その結果、類推する能力もないことを知る。
 改めて、もっと街歩きをして、街を診る力を養わなくてはと思わされた日であった。

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フォックス・ニュースの東アジア人蔑視のニュースがあまりにも酷い [グローバルな問題]

トランプ大統領が中国批判を続けていることに便乗して、アメリカニュース番組、フォックス・ニュースのオライリー・ファクターの一部でニューヨークのチャイナタウンのルポを報道した。これが、あまりにも人種差別的で酷い内容であることに、怒りを通り越して愕然とする。

http://video.foxnews.com/v/5154040766001/

ここでは英語がしゃべられない中国人に質問をして、返答がないことを馬鹿にしている。さらに、同じ東アジア人として許されないのは、中国人を「空手ができるのか」と尋ねて、その後、テコンドーの道場にいってリポーターが戯れていることである。ちなみに、この道場には韓国国旗が堂々と飾られている。韓国の国旗も分からないのだろうか。

さすがに、これは中華系アメリカ人も切れている。特に、それを痛罵しているのがコメディー・セントラルのロニー・チェンであるが、これは観ていて痛快な気分にさせられる。

https://www.youtube.com/watch?v=rX8jZTN0CdU

しかし、これだけフォックス・ニュースを罵倒しないと中国人でもない私でも耐えられないのであるから、中国人であったら許せないものであろう。そして、このような差別意識は中国人だけに向けられているものではない。日系人のパット・モリタがあたかも変な中国人として画面に紹介されているところがある、このくだらないフォックス・ニュースの番組を制作したものは中国人と日系アメリカ人の違いも分からないのである。つまり、これは中国人だけでなく、日本人を含めた東アジア人を侮辱したニュース番組であると捉えることが正しいと思う。フォックス・ニュースを観る右側のアメリカ人、つまりトランプを支持するようなアメリカ人が、ある意味、日本人を含めた東アジア人をどういう風に見ているのかが素直に分かる内容であり、その内容が極めて屈辱的であるということもこの番組は我々に知らしめている。そして、流石にそれぐらいはフォックス・ニュースの制作者は分かっているだろうから、これは中国人だけでなく日本人に対してもの挑戦状と受け取って理解することが必要であると思われる。
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Koyoi(オトメダマ) [宇宙団]

「オトメダマ」と「星降る島」の両アルバムに入っている唯一の曲。プロモーション・ビデオもつくられており、確かに「オトメダマ」の中では最もキャッチーであり、かつインパクトがある。
 出だしはガールズ・バンド的な可愛いメロディー、可愛い歌詞、可愛いアレンジ、可愛い歌いっぷりで毒気はほとんどない。しかし、展開部から、ベースがうねうねと動き始めて、キーボードのコード弾きが聴くモノに不安をもたらす。ただ、それもすぐ元のテーマに戻る。安心すると、また「赤提灯が揺れている」「黒い浴衣がはだけてる」と攻撃的というか不安定なローラーコースターにのっているようなノリに戻る。

歌詞は「赤提灯」「黒い浴衣」「赤い頬」「白い肌の子」・・といろいろな色が出てくる。宇宙団自体が、極めて煌やかな万華鏡のようなメロディーを紡いでいるが、歌詞もカラフルなのが特徴である。

アレンジ的にはベース・ラインが動き回る。どうやったら、こういうベース・ラインが出てくるのか。というかベーシストが考えるラインじゃないだろう、と不思議がっていたのだが、ヴォーカルの望月がつくったことが判明して納得する。

個人的には相対的には好きではない曲だが、宇宙団をメジャーに引き上げる力を有した曲だと思う。椎名林檎でいえば「歌舞伎町の女」のような位置づけであろうか。しかし、宇宙団はライブでこの曲をやらなかったりする時もある。もっと、どんどんと演奏して、多くの人にこの曲を届けて、この曲を突破口にしてもらえればと思わずにはいられない。

https://www.youtube.com/watch?v=8D89Yt9gDbY


星眠る島

星眠る島



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「9月」(オトメダマ) [宇宙団]

 早いテンポのワルツ曲。歌謡曲のような記憶に残るメロディー・ライン。しかし、曲を結ぶブリッジのところがロックそのものである。拍子が変わっているように聞こえるが、ただ音数が増えているだけという芸の細かさ。印象的なキーボード・ソロの後、まるで別の曲のようなメロディーが出てくる。というか、普通、こんなに異なるメロディーで一曲をつくってしまうというのは、どんだけの才能なのかと末恐ろしい。宇宙団は何しろ曲の展開が目まぐるしい、という特徴があるが、この曲もまさに展開しまくって終わる。ただ、メインのテーマに戻らず、消えていくような感じで寂しく終わる。現時点(2017年3月3日)では、宇宙団の持ち曲の中で最も寂しい曲かもしれない。

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セキュリティ・プロジェクトを東京ビルボードで観る [ロック音楽]

 セキュリティ・プロジェクトというピーター・ガブリエルのコピー・バンドを東京ビルボードで観た。これは、主にピーター・ガブリエルの1枚目〜4枚目までの曲をコピーするバンドで、その当時、ドラムを叩いていたジョン・マロッタが率いている。私はピーター・ガブリエルをたいへん敬愛するものであるのと、もはやピーター・ガブリエルが来日する可能性もゼロなので、思わず、この怪しげなコピー・バンドに7000円も支払ってしまった。さて、21時半スタートのセカンド・ステージということもあり、周りは私のような中年男が多い。二人組で来ているものもあれば、私のように一人で来ているものもいる。まあ、それはどうでもいい。基本、ここらへんの世代がコア・ファンなのであろう。皆、少しでもピーター・ガブリエル的なものを消費したいのである。
 さて、バンドは定刻に始まった。ボーカルは意外なことに女性であった。一曲目は「ザ・リズム・オブ・ザ・ヒート」。名曲である。ただ、ちょっと演奏に迫力がない。4枚目からは「アイ・ハヴ・ザ・タッチ」、「レイ・ユア・ハンズ・オン・ミー」、「ザ・ファミリー・エンド・ザ・フィッシング・ネット」、3枚目からは「イントルーダー」、「ノー・セルフ・コントロール」、「アイ・ドント・リメンバー」、「ゲイムス・ウィスアウト・フロンティア」、「ファミリー・スナップショット」などを演奏した。あと、ケイト・ブッシュの私が曲名を覚えていないものも演奏した。そして、何より、ジェネシスの『幻惑のブロードウェイ』から「Back in NYC」を演奏した。これは、唯一、ドラマーのジョン・マロッタがボーカルを取った。これは、そもそもボーカルが他の音に消され、聞き取ることも難しく、まるで素人の演奏会のように酷かった。総じて、キーボードはミスタッチがあったし、ヴォーカルもケイト・ブッシュのコピーだけは凄まじく上手かったが、他はどうも迫力不足で非常に物足りなかった。というか、素面じゃなかったような気もする。特にキーボードには投げやり感を覚えた。ピーターの楽曲を聴くのは嬉しいが、これならCDを聞いたほうがまだましだ、ぐらいの後味の悪いコンサートであった。
 私は生まれて初めて、アンコール前に席を立ってしまった。ついでに、東京ビルボードの男性店員に、「ここはPAがいるのか」という嫌味を言っておいたが、この店員は他人事のように聞き流していた。最近、こういう苦情をしっかりと受け止めないサラリーマン病、アルバイト病を問題視している私であるが、ここ東京ビルボードも例外ではなかった。まあ、この店員にとっては、客が不満を持ってもまったく関係がないことだからだ。


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柳川市の景観づくり [都市デザイン]

 福岡に打ち合わせに来た。翌日、特に予定がないのでそれまで来る機会がなかった柳川を訪れた。幸い、前日に市役所にちょっと資料をいただけないかと連絡したら承諾してくれたので、西鉄に乗って役所に行き、特に景観条例がらみの話を聞かせてもらい、その後、柳川名物の鰻を食べ、お堀沿いの周りを2時間ぐらい散策した。
 柳川のお堀を保全するよう動いたのは、一人の市の職員である。この職員の情熱が、現在の美しい水郷空間の具体化に繋がったというのは大変心温まるいい話である。日本のサンアントニオのようだ(サンアントニアに関してはhttp://www.hilife.or.jp/cities/?p=76参照)。ただ、柳川は美しい水郷景観を保全してはいても、建物的には伝統的建造物はほとんどなく、したがって昔は伝建地区を目指していたのだが諦めたという経緯がある。
 昭和46年から伝統美観条例は策定していた。そういこともあって、景観法がつくられた時、景観条例を制定することは自然な流れといってもよかったであろう。お城が昔あり、内堀、外堀は守るという意思が育まれていた。そして、掘り割りは江戸時代のものがそのまま残っている。ただ、建物は残っていない。そして、統一感のある街並みはない。人々はそして街並みに不満を持っていない。商店街などで外観の修景をしようとしても、商店の人達は興味が無い。
 そういうこともあって、景観づくりというアプローチも保全というよりかは、ワークショップを行うことで、住民の意識を高めるということを中心としている。そして、駅を整備した。この駅はデザイン賞をとるなど、洗練された意匠の建物となっている。そして、駅から南西に観光の中心の沖端地区があるが、ここが先行して取り組んだ。そして、柳川商店街では修景には取り組めていないが、サインを分かりやすくしたり、空き家の活用などを展開したりしている。
 市役所としても、王道なのは歴史景観であることは理解しているが、柳川では出来ないので「営み景観」をつくろうとしているのである。
 フレームワークに拘らず、柔軟に住民とコミュニケーションをして景観を緩やかに形成しようとしている柳川。お堀をしっかりと保全することに成功した要因は、このような柔軟でいて辛抱強く、しかし最終的な目標地点には確実に近づくようなアプローチにあったのではないか、と思ったりした。

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タグ:景観 柳川
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