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エアフルト、レーゲンスブルク、ハレが第二次世界大戦で被爆をほとんど受けなかったドイツの地方拠点クラスの都市である [都市デザイン]

 エアフルトに学生を連れて来ている。エアフルト大学の学生達にガイドをしてもらい、クレーマー橋や大聖堂、旧市街地、プラッテンバウ団地などを訪れた。エアフルトは第二次世界大戦の爆撃がほとんどされない都市であるため、旧市街地が比較的よく保全されている。エアフルトは第二次世界大戦前までは、工業が発展しておらず、ナチスの拠点もなかったことが幸いしたようだ。デッサウとは対照的である。これは、人口が15万人程度ある地方拠点都市としては、相当珍しいことだそうだ。
 他にエアフルトのように戦災の爆撃を免れた地方拠点都市は、レーゲンスブルクとハレであるそうだ。レーゲンスブルクは旧市街地区が世界遺産に指定されている。ハレは皮肉なことに社会主義時代に、これら歴史地区が人為的に壊された。実はエアフルトも80年代に旧市街地を縦断するような大通りが計画され、周辺には近代的な団地がつくられる筈だったのだが、東西ドイツが統一されたので計画は反故になったのだ。この計画が遂行されたら、エアフルトもハレと同様の道を辿っていたであろう。そういう意味では第二次世界大戦と社会主義という二つの難事をくぐり抜けたエアフルトは、本当にラッキーであったと思う。このような話を聞くと、都市運命論のような考えがちょっと頭をよぎる。

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(クレーマー橋)

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(大聖堂そばにある丘からのエアフルトの展望)

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パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊 [映画批評]

機内でパイレーツ・オブ・カリビアンの5作目、『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』を見た。あまり期待もしなかったのだが、単純に楽しめた。ジェットコースターに乗ったような感覚とでもいえばいいのだろうか。心に残るようなシーンも感動するようなストーリーも一切なかったが、なんかすっきりと楽しめる。少年ジャンプの漫画の方が内容も濃いような気がする中身の無さだが、まあ、たまには頭を空っぽにして楽しめるような映画も悪くはないかもしれない。100%娯楽作品ではあるが、娯楽作品の中では質は高いような感想を抱いた。ハリウッド映画の典型であるような作品であろう。

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ウォルター・ベッカーの訃報に接して [ロック音楽]

 スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが亡くなった。享年67歳である。スティーリー・ダンは、そのアレンジの複雑さ、変態的な詩などの特異性で、独特の存在感を放ちつつ、それでいてポピュラリティを獲得したロック史上、極めて希有なバンドの一つであろう。そのスティーリー・ダンという二人組ユニットの一人、ウォルター・ベッカーが9月3日に亡くなった。
 ウォルター・ベッカーの訃報に接して、「世界的ミュージシャン」(http://rocketnews24.com/2017/09/04/950141/)、「巨星が旅立った」(https://dailynet366.com/7165.html)などとウェブサイトなどで書かれている。しかし、私はウォルター・ベッカーの偉大さというのが、今日までよく理解できていないので、これらの形容詞にちょっと違和感を覚えたりもする。
 スティーリー・ダンは圧倒的にドナルド・フェーゲンが目立っている。ボーカルを取るのも彼だし、作曲をするのもほとんどが彼である。ウォルター・ベッカーはギター・ベースの担当ではあるが、スティーリー・ダンの初期はスカンク・ジェフ・バクスターが目立ち過ぎるスーパー・ギターを披露して、彼が脱退してドゥービー・ブラザースに移った後は、ラリー・カールトン、ジェイ・クレイドン、チャック・レイニーなど当代超一流のギタリスト、ベーシストを雇い、レコーディングをした。ということで、アレンジャーとしては超一流かもしれないが、ギタリストとしてどこが凄いのか、と言うと、私が勉強不足かもしれないがよく分かっていないのだ。
 というのも、私はスティーリー・ダンのコピーバンドでギターを担当していたことがあるので、バッキングがお洒落とか、ここでこのコードか、と感心することは多くあったが、ギタリストとして、おお、これはなかなかのプレイだ、と思ったのは、Josieのギター・ソロぐらいだけであったからである。
 とはいいつつも、私が大好きであったバンド、スティーリー・ダンの片割れであるウォルター・ベッカーの訃報には、大きなショックを受けたのは確かである。9月24日のドナルド・フェーゲンのコンサートに私は行くのだが、期せずして追悼コンサートになってしまった。もう少し、ベッカーの偉大さが理解できるように、ちょっと勉強をしなくてはならない気分になっている。

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ジョン・オリバーの日本へのギャグは、日本という国が世界からどのように見られているのかがよく分かる。 [グローバルな問題]

 ちょっと前の話になってしまうが、アメリカのHBOで活躍するイギリス人コメディアンのジョン・オリバーが、日本が安保法を2015年9月に成立したことを受けて彼がホストをしているLast Week Tonightでコメントしているのを視た。
https://www.youtube.com/watch?v=s14qCFC5RwI
 ジョン・オリバーの指摘は結構、的確であり、イギリス人らしい皮肉に溢れたコメントは、笑いを誘う。とはいえ、この番組で報道されている日本の姿は、まさに事実ではあるのだが、ちょっと不気味である。AKB48がビキニ姿で踊っている姿をみて、私は北朝鮮の喜び組を彷彿してしまった。自分が日本人であるので、こういうのを書くのは大変気が引けるが、世界的な観点からすると、ちょっと異常というか理解不能なイメージを抱かれてしまうというのも致し方ないかなと思ってしまった。このような理解不能なイメージを、しっかりと世界の人に納得してもらうように努力をすることが、これから世界で活躍する日本人には課せられるであろう。
 随分前だが、私はアメリカで大学院に通っていたが、日本好きでロック好きの友人に自信を持って「森高千里」のビデオを家で見せたら、ドン引きさせられたことがある。AKB48はまったくフォローできない私でも森高千里は許容範囲である。それでも、日本好きで日本に住んだこともあるアメリカ人でさえ、それは許容範囲外であった。そういう変態(ジョン・オリバーは冒頭で、日本のことを「地球の変態おじさん」と紹介して、聴衆に受けている)性を有している、というか世界では変態的に思われているという前提で、変態でも危険ではない、変態でもいいところもある、といった日本人イメージを日本人一人一人が発信していき、理解をしてもらうしか方法はないのかもしれない、と思ったりもした。というか、ジョン・オリバーのこのユーチューブはしっかりと見るといいと思う。

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コンパクト・シティがなかなか具体化しないのは、その効用が薄いからではないか [都市デザイン]

 建築学会で北海道の縮小地域(空知地方)では、なかなかコンパクト化が図られていないという調査発表を聞いた。興味深い調査である。なぜ、行われていないのか。それは、北海道の空知地方はコンパクト化をさせるメリットがおそらくないからである。コンパクト・シティというのは、ヨーロッパでは「ヨーロッパ型都市」と言われる。都市計画的には、ちょっとした理想な都市構造である。私も個人的にこのような都市構造を形成することを計画的に促すようなことを考えるとわくわくする。ただ、おそらく空知地方においては、コンパクト・シティを検討させることは難しいと思われるのである。
 というのは、ヨーロッパにおいてもそうだが、コンパクト・シティは旧市街地という城壁内のコミュニティが核となっている。そして、それをコンパクト化させるためにトラムが公共交通の中心となって機能している(もちろん例外もあり、例えばミュンスターは自転車を中心に、アーヘンのようにバスを中心としている。ただし、これらの都市、特にアーヘンはコンパクト化においては必ずしもトラムの都市に比べてそれほどしっかりとしていないと思われる)。それは、モータリゼーションが空知地方のように徹底した場所においては、コンパクト化は不可逆反応のように理不尽であると思われるのだ。
 つまり、モータリゼーションが進展する以前に都市政策として指向するならそれなりにコンパクト化を促すことができるかもしれないが、既にモータリゼーションでだらしなくスプロール化が展開した後では、コンパクト化する意味が住民ベースではない。それは、コンパクト化するべく集積が、空知地方のように縮小している地域では不在だからである。
 旧東ドイツのように、ほとんどの人が賃貸住宅に住み、多くの住宅を寡占化された住宅会社が所有している場合は、撤去+集積、というアプローチは可能である。したがって、日本においても元住都公団が開発したようなニュータウンにおいてはコンパクト化をすることが可能かもしれない。しかし、地域においては手法としても極めて難しいだけでなく、そもそも、その必然性を住民や行政が感じているのか。今日、聞いた研究発表では、そのようなものは不在であるということが透かし彫りのように浮かんでくるような印象を受けた。これは、私の将来の研究テーマの候補の一つになり得るでしょう。


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縮小自治体に求められるのは役場の「本気度」という話 [サステイナブルな問題]

 地域活性学会のパネル・ディスカッションを拝聴する。島根県の海士町、雲南市、浜田市、邑南町の発表を聞いたのが、傾聴に値するのは海士町と邑南町だけのような印象を受けた。この二つの自治体は、問題の深刻さが違うからかもしれないが、本質的な問題解消のためのアプローチを採っているという印象を受けたが、浜田市と雲南市はどちらかというと机上の空論的な印象、地に足が着いていないような印象を今でも受ける。浜田市はシングルパレンツの取り組みで興味深いことをしているが、その主張が400万円も補助金をつけているということだった。それって、市民が一人当たり80円を補助するということだ。80円というとそれほど大きくはないかもしれないが、それだけのメリットが本当にあるのか。国の補助金を使うにしても、その補助金の多さで、その事業の大きさを伝えようとする取り組みに私は懐疑的な眼差しをもってみてしまっていた。ちょっと、このような備忘録だけで書いてしまうのは、無責任かもしれないが、海士町と邑南町は、その問題を自らのものとして意識し、自ら問題解消に取り組んでいる。それに比して、浜田市や雲南市は、補助金を当てにしたり、ふるさと納税を当てにしたり、内発的に発展するようなシステムをつくろうとしていない印象を受ける。外部依存をしている限りは、地方の衰退というトレンドを反転させることは難しいのではないだろうか。これは、徳島県の神山町や、広島県の尾道市、長野県の小布施町、などでも感じたことである。
 このパネル・ディスカッションの最後の方で、海士町のパネリストが、「何しろ重要なのは役場の本気度」と述べられたが、それは私からすると雲南市や浜田市の人への皮肉のようにも聞こえた。いや、それは私が聞こえただけで、実際はそのようなことを意図してはいなかったかと思うが、まあ、この「本気」ということが何しろ地域が問われていることではないかと思われる。邑南町の町長もまさに、この「本気度」が重要であるかを最後の発言で問うた。彼は島根県立大学の本気度の弱さを、早稲田大学の本気度と比較して指摘していた。「島根県には公務員と銀行しかありませんと言っていたら、島根県は潰れてしまいます」とまで言った。これは、これまで相当のフラストレーションと理不尽を体験した人だからこそ出てきてしまった本音であろう。興味深いパネルディスカッションであった。

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東京と地方の大きな格差は寿司屋の質である。 [地域興し]

島根県の浜田市に学会を訪れる。私の発表は午後の遅い時間、空港に着いたのがお昼過ぎ、ということで浜田市で昼食を取ることにした。こういう時に、本当に役立つのが食べログである。ということで食べログでチェックすると、なかなか評価の高いお寿司屋さんを見つけた。昨晩もお寿司だったので、ちょっと連チャンはなあ、と思ったりもしたが、比較するにはいいタイミングかと思い、この店に入った。ランチ・メニューで「季節のちらし寿司」(税込み1510円)を注文する。ちょっと東京の感覚だと1.5倍は高い。しかし、「季節」と書いているので旬のもの、場合によってはノドグロぐらいもついてくるかな、とノドグロの季節がいつか分かっていない私は勝手に甘い期待を抱く。
 さて、出てきたちらし寿司は、鯖、イカ、まぐろ、海老(甘エビではない)、いくら、さんまなど、どこが「季節」か分からない定番もの(さんまが季節もの?)だらけであり、まったく浜田のオーセンティシティが感じられるようなものではなかった。そして味は今ひとつ。これは、本当に最近、地方の寿司屋さんに入って感じるところだが、あきらかに東京と地方とでは寿司のクオリティに驚くほどの差があるのだ。もちろん、東京の方が美味しい。しかも、東京の方が安い。お寿司屋を食べ比べると、本当、この点こそ東京と地方との格差ではないか、と痛烈に感じさせられる。三ヶ月前に境港に行った時もそう思った。北海道富山鹿児島とかだと、まあ、東京でも行くかな、というぐらいのレベルのお寿司屋さんがないわけではないが、それでも東京のお寿司屋さんの方がコスパでは秀でている。それが、浜田や境港ぐらいの規模の都市だと、もう惨敗であり、おそらく東京にあったら閑古鳥が鳴くであろうといったお寿司屋さんが地元では名店で鳴らしていたりする。ちなみに、浜田も境港のお寿司屋さんも食べログでの評価は3.5以上である。私は3より高い点はとてもじゃないがつけられない。
 このような状況から推察されるのは、地方都市はグローバル経済下で競争するという覚悟のようなものが欠如しているのではないだろうか、ということである。私は地方が消滅するとは思わないが、地方の人が思っているよりも、遙かに東京と地方との差は拡大しているような気がする。それが、お寿司であるということに気づいている人はまだ多くはないだろうが。

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大学の進学先を理系・文系の入試試験の点数の取りやすさで決める愚 [教育論]

 長女が大学院に合格した。中学も大学も第一志望に落ちたので、心配していたが、本人は落ちたら院浪する気持ちだったので、返って落ち着いて受験できたようだ。まあ、長女の弱点は必要以上に緊張して、本場で実力を発揮できないということなので、ある程度、吹っ切れて受験できたのが功を奏したようである。
 さて、それにしても思い出すのは、彼女が高校時代の進路相談で担任から「理系は無理だから文系にしなさい」と指導されたことである。私は理系の大学だって偏差値が70から30まで幅広くあるのだから、別に偏差値が低いところにいけばいいと反論して、この担任のアドバイスには耳をまったく傾けなかった。というか、大学に行く目的とは、将来に歩むべき道の基礎的土台を築くことであって、偏差値が高いところに取りあえず行くということでは決してない。長女に文系に進ませて、何をさせようと当時の担任は考えていたのであろうか。いや、長女が営業をできるような社交的なキャラであったり、歴史に強い関心を持っていたり、文学オタクであったりすれば、文系に行くということを進めるというのは理に適っているであろう。しかし、長女はまったく無愛想で、たまに放つギャグは滑りまくり、また小説とかは読まない訳ではないが、没頭して読んだり、文章を書いたりするのが好きなタイプでは決してない。一方で、色彩のセンスがよかったり、鉄道オタクだったりはした。私はそもそも理系と文系といった、まったく日本特有のガラパゴス的な分類は、血液型で人の性格を判断することと同じような愚であると思っている(私が奉職する経済学科が必要とする素養は数学である。なぜ、数学科が理系で経済学科が文系なのかはまったく理解に苦しむ)ので、理系だ、文系だ、といった分類軸で将来進むべき道を決めるという習慣は、日本教育の大きな欠陥ではないかとさえ思っている。しかも、この理系と文系というのは、単に入試でどちらの方で相対的に高得点が取れるか、というような将来の人生設計に比べれば、はるかに矮小な理由で決められているのである。高校時代こそ、将来のビジョンをしっかりと考えるいい機会であるにも関わらず、目先の大学受験のことだけで進路を選ぶことの愚を、高校の先生がむしろ学生に指導しなくてはならないのに、逆の状況が跋扈しているのは間違っている。
 私は、このようなシステム自体に反対であるが、自分自身はまことにもって微力なので、そのシステムを変えるようなことはできない。しかし、自分の子供をその弊害から守るぐらいのことはできる。
 長女は某国立大学の建築学科の大学院に進むことになる。ブラック業界の建築の世界で生きていくことになるのであろうが、手に職をつければ気が利かずに営業ができないような女の子でも、文学を深く鑑賞するような感受性がなくても、無愛想で接客とかに向いてなくても、どうにか生きてはいけると思うのである。ということで、親としては取りあえずは一安心した次第であるし、間違っても文系に進学させなくてよかったと改めて思うのである。

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海士町はなぜIターンが多いのか、その理由をちょっと理解したような気がする [都市デザイン]

 島根県浜田市で開催された地域活性学会に参加したのだが、そこで島根県海士町の大江課長の話を聞いた。海士町はIターンが多い町として知られている。人口は約2400人であるが、Iターンの移住者はそのうちの1割にも及び、それらの人の多くが20代〜40代である。
 なぜ、このような状況をつくりだすことに成功したのであろうか。それは、まず町経営のコンセプトとして「ないものはない」ということを掲げたことであろう。これは、外発的な発展を期待するのではなく、内発的な発展をするしかない、という覚悟を示すうえで非常に効いたコンセプト、モットーであったと思われる。
 そして、さらに行政経営のサステイナビリティを高めるために、町長が自らの給与を5割カットするという英断に出た。この流れを受けて、町役場の職員も3割給与をカットする。このような行政による本気の取り組みが、現在の海士町の魅力を創造するのに繋がったのであろう。
 私は、サラリーマンは街づくりは出来ない、ということを主張しているもので、このサラリーマンには役人も含まれていたのだが、それはあくまでも精神性の問題であって、公務員でも海士町のような覚悟と責任感を持っていれば、町を再生し、元気にすることが可能であることを海士町は私に知らしめてくれた。大変、興味深い事例である。

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アイスランドのブルーラグーンを訪れる [地球探訪記]

アイスランドの大観光施設の一つとして、ブルーラグーンというものがある。これは、まあ巨大な温泉プールなのだが、アイスランドの観光パンフレットなどには必ず掲載されているような観光スポットなのである。マスト・シー的な観光地である。ということで、せっかくアイスランドに来ているのである。行くことを検討した。ここは予約制で、インターネットで予約ができるのであるが、ウェブサイトをみて驚いた。ほとんど売り切れであり、我々の滞在期間中で行けるのは翌日の夜の11時からのコースのみであった。ちなみに閉店するのは12時である。これは、まあ行かなくてもしょうがないかな、と思ったのだが、紅一点のツアー参加者が絶対行く、とそもそも行かないという選択肢がないような迫力をもって迫ってきたので、他の男性3名もそれじゃあ、ということで11時からのコースを予約して行くことにした。
 さて、このブルーラグーンであるが、べらぼうに高い。最も安いコースでも日本円で6100円ぐらいで、これはタオルもつかない。ただ、次のコースは8100円でタオルやパック・サービスがつくが、2000円の付加価値があるとはとても思えない。ということで、当然のごとく6100円コース。
 また、このブルーラグーンは勝手にレイキャビク市内にある施設であると思っていたら、なんとレイキャビクから車で40分ぐらいも離れた荒涼たる何もないところに存在していることが分かった。ほぼ空港と同じぐらいの距離である。レンタカーをしているからいいようなものの、タクシーで行ったら4人でも相当の金額になったのではないかと思われる。
 ともかく、夜の11時、8月のアイスランドでも流石に暗くなり、星も出始める頃、我々はブルーラグーンに着いた。そこは、暗闇を引き裂くかのように、施設から出る光が湯気をスクリーンに周囲を照らしている。
 さて、このブルーラグーンだが、感想を一言でいえば今ひとつである。ただ、ここで今ひとつと思うのは、私が日本人であるからであろう。それは、一言で表せばレジャー温泉。常磐ハワイアンセンターのようなものである。今ひとつの理由は幾つかあるが、まず温度が37度〜39度と温い。周囲の気温は8月でも夜の11時だと10度前後なので、相当身体を温めないとお湯から出られない。そして、何より気になるのは、この温泉は天然温泉ではなく、隣接する地熱発電所の熱で水を温めているだけという代物であることだ。そして、2日に一回はお湯を変えているそうだが、掛け流し温泉を楽しんでいる我々、日本人からすると、ちょっと今ひとつと思わざるを得ない。
 このお湯自体は、珪酸塩を多く含んでおり、そういう点ではちょっと温泉に入っているような効果がある訳だが、温泉文化的な観点からは、私は日本の方が圧倒的に優れているし、洗練されているような印象を受けた。まあ、ライバルというか比較対象になるのは常磐ハワイアンセンターであろうか。常磐ハワイアンセンターも炭鉱から出たお湯の二次的利用と雇用創出といった観点からつくられたことを考えても、それは似ていると思う。
 ちなみにブルーラグーンがつくられた経緯としては、ここに1976年につくられた地熱発電所から出た排水によってつくられたプールに1981年から、人が入り始め、その健康効果みたいなのが語られ初めて、人気を博し、1992年にブルーラグーン株式会社がつくられた、ということだそうだ。知り合いのアイスランド人は、とんでもないクレイジーな人が発想した、と批判的な意見を述べていた。
 とはいっても、このブルーラグーンは常磐ハワイアンセンターなんかよりも、遙かに人気があるように思われる。それは、アイスランドの数少ない観光地ということもあるだろうが、なんかマーケティングをうまくしているような気がしなくもない。日本の温泉なんかもインバウンドの観光客を集客するのに参考となるような点もあるかもしれない。

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アイスランドの観光の定番、ゴールデン・サークルをめぐる [地球探訪記]

アイスランドに来ている。事前にどこを訪問すべきか、ろくに調べることもなかったのだが、到着してどうもゴールデン・サークルというのが定番の観光ルートであることを知った。せっかく、高いお金を払ってレンタカーを借りていることもあるので、早速、ここに行くことにした。さて、このゴールデン・サークルというのは、シンクヴェトリル国立公園、グトルフォスの滝、ゲイシールの間欠泉のビッグ・スリーとケリズの溶岩湖などの観光地を円環状に周遊する観光ルートである。
 レイキャビクからこの円環を時計回りに巡ると、最初に訪れるのはシンクヴェトリル国立公園になる。アイスランドには国立公園が3つしかないので、これは大変貴重な自然環境であろうし、世界遺産にも指定されている。どんなに素晴らしいアイスランドの大自然が体験できるのか、と大変期待をして訪れた。駐車場には驚くほど多くの車が駐車しており、大人気観光スポットであることが分かる。
 シンクヴェトリル国立公園は、大西洋中央海嶺の割れ目が地表に唯一現れたところだそうだ。どんなに凄いランドスケープに遭遇できるのか。大変、期待したのだが、この割れ目はまったく大したものではなく、日本でいえば浅間山とか十勝岳の方がはるかに迫力はあった。地質学的には大変貴重で面白いのであろうが、ランドスケープとしてはそれほど人の心に訴えかけるものはない。その地質学的重要性があって初めて、その有り難みが分かるが、私は正直、がっかりした。もう少し、ゆっくりといろいろと見れば、面白いものがあったのかもしれないのだが、何しろ風が強くて寒い。とても、ゆっくりと見るような余裕もなく、そそくさと車に戻ってしまった。
 次に訪れたのは、グトルフォスの滝である。これは、クヴィータアゥ川がそのまま滝として32メートル落ちるので、なかなかの迫力ではあるが、イグアスの滝を4回ほど見ている私にとっては、それほど感銘を受けるものではない。しかし、見て損をするというものでは決してない。この滝には水力発電所がつくられる計画があったのだが、反対運動によって頓挫した。今、アイスランドは観光産業が非常に同国の経済にとって重要になっているのだが、グトルフォスの滝があるかどうかでは、観光客の満足度が随分と違ったであろう。最近の観光情報は、SNSが大きな役割を担っているが、そういう点では観光客の満足度はとても重要である。グトルフォスの滝を水力発電所にしなかったことは、国の命運を分かつような重要な岐路であったと思われる。
 そして、3カ所目はゲイシール。ゲイシールというのは、間欠泉の語源にもなった立派な間欠泉なのだそうだが、現在は活動を休止して、その隣のストロックル間欠泉が噴出しているだけだそうだ。ただ、このような間欠泉はヨーロッパでは極めて珍しいようだが、日本では別府温泉を始め、それほど珍しくない。日本に住んでいると温泉関係の地形は珍しくも何ともないが、世界的にみると珍しいのだな、ということがアイスランドの温泉観光地のしょぼさで気づいたりする。ちなみにアメリカイエローストーン国立公園のオールド・フェイスフルやその一帯の方が、はるかにこのアイスランドのゲイシールより迫力があり、興味深い。別府温泉やイエローストーンをメイジャー・リーグレベルだとすると、ここは高校野球の都大会予選という感じだ。
 ゲイシールからはケリズの溶岩湖を訪れた。ここは、なぜか入場料を取られる。このような溶岩湖は、その美しさで知られているが、このケリズの溶岩湖も一見する価値はあると思う。ただ、オレゴン州のクレーター湖の鬼気迫るような美しい青とは比べようがない。ただ、せっかくゴールデン・サークルを巡っているなら足を伸ばした方がいいとは思う。
 ちなみに昼食は、ゲイシールの手前にあるエフスティ・ダルル農場でとった。ここはホテルとレストランが一緒になっているところで、我々は何の前情報もなく行ったのだが、なかなか食事は美味しくて感心した。特に羊はお勧めである。
 しっかりと事前に調べておらず、行き当たりばったりのゴールデン・サークルのツアーであったが、ここは死ぬまで絶対行くべきである、といった迫力のある自然とは出会えなかった。これは、ちょっと残念ではある。アイスランドに行く前に、イグアスの滝、イエローストーン国立公園、クレーター・レーク国立公園などに行くべきであろうと思う。とはいえ、行く価値がないとはまったく思っていない。その荒涼として、どこか凜とした風土・地形は私の記憶にしっかりと刻まれた。

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(シンクヴェトリル国立公園は地質学的には希有で保全すべき対象であるだろうが、それが景勝地として特別に優れているとは思えなかった)

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(シンクヴェトリル国立公園のそばで現れた雨雲に虹が架かっていた)

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(グトルフォスの滝はなかなかの迫力である。おそらくヨーロッパ一かもしれない。ただ、世界的にみると、それほど大したことはない)

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(グトルフォスの滝をちょっと行くと氷河をみられる。今回の旅行では、これが最も氷河に近づいた瞬間であった)

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(ゲイシール地区で、間欠泉が出るのを待っている観光客)

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(間欠泉はそれほど迫力はなく、イエローストーン国立公園のオールド・フェイスフルなどを挙げるまでもなく別府温泉のものに比べてもしょぼい)

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(ケリズの溶岩湖は、規模も小さいが、その青さはちょっと見る価値があると思う)
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オスロの都市計画的訪問記4(バーコード・プロジェクト) [都市デザイン]

バーコード・プロジェクトはオスロ中央駅とオペラハウスの中間にある再開発地区ビョルヴィカのミックスド・ユースのプロジェクトである。2003年から工事は開始され2016年に完成した。その規模は14.5ヘクタールでオフィス、公共空間に住宅、さらに1階には店舗が入っている。このバーコード・プロジェクトは、大変、斬新な都市計画手法を用いている。この手法は、この地区の開発に関する国際コンペで勝ったオランダのa-labとMVRDV、そして地元オスロのDark Architectsの提案によるものである。

計画案は、都市そして建築の多様性を表現することで、なおかつ歩行者にも優しい空間を提供することであった。そのために、建物がそれぞれ個性を有し、建設材料や高さ、幅なども異なり、その建物の空間には「バーコード」とよばれる隙間の空間を設置できるようにした。

この地区の計画においては、それまでとは違うアプローチとして、建物自体ではなく、建物の間の空間に注目をした。それは少なくても12メートルを確保しなくてはならないようにした。さらに、敷地面積の50%を緑地として提供させることにしたのである。そのために、建物の巨大なるファサードではなく、駅と湾との間を結ぶ回廊状の隙間ができるようにしたのである。ただし、これは極めて事態を複雑にするので、この建物のうちの一つを設計した設計事務所のスノヘッタのベテラン建築家によると、二度とこの方法は採用されなのではないかとのことだった。

ここらへんのルールは結構、複雑らしく、このようなブログを書いているにもかかわらず、しっかりと理解ができていないのだが、その結果、バーコードには11の高さや床面積、建材が異なる建物が立地している。設計者はすべて異なっている。オフィスは13.5万㎡で、住宅は3.6万㎡。駐車場はすべて地下に設置されている。

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(中央駅から見たバーコード・プロジェクトの建築群)
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オスロの都市計画的訪問記3(オペラハウス) [都市デザイン]

 経済が絶好調のノルウェー。しかし、このノルウェーにはオペラハウスがなかった。そもそもオペラハウスをつくる必要があるのか、という話から、つくるにしてもどこにつくればいいのか、といった議論は100年近くもされていたそうである。そのような中、1999年につくることを決定し、敷地も決定し、コンペが開催され、それで優勝したのが地元ノルウェーの設計集団スノヘッタであった。その後、2003年から工事は開始され、2007年に完成した。
 オスロ・オペラハウスがつくられることになったのは、オスロの中心地から東にあたる再開発地区ビョルヴィカのオスロ・フィヨルド湾沿いであった。今(2017年)でこそ、周辺は開発が進んでいるが、2007年にはオペラハウスの北を高速道路が走っているような状況であった。今では、この高速道路は地下化され、その上部空間にはトラムが走り、オフィスビルの開発(バーコード・プロジェクト)や、国立図書館、ムンク美術館などが建設中である。
 オスロ・オペラハウスはノルウェー国立オペラ・バレエ段の本拠地であり、建物面積は38500㎡で、大劇場には1364席、2つの小劇場は200〜400席を設けることができる。
 今回のオスロ訪問では、スノヘッタのベテラン女性建築家と取材をすることができた。彼女の説明によれば、オペラで留意したことは次の3点。
① 海(水)へのアクセス
② ランドマーク(アイコンとしての建築)。
③ プラザの提供。場所との個人的な繋がりをつくろうとしている。パブリック・プレースを提供することが重要。オペラ座をつくることで、空間を奪うのではなく、むしろ空間を提供する。それを所有するのは、オペラ座に観劇する人だけでなく、市民すべてである。
 また、オペラハウスは再開発地区ビョルヴィカにおいて、まさに嚆矢としての役割を果たすことが期待された。ここはフィヨルドと都心部との間を走る高速道路で完全に遮断されていた。そのため、オスロ市民にとっても、ここはアクセスができない忘れた場所となってしまったのである。そこに、オスロ市でも有数の集客の仕掛けをこのオペラハウスをつくることで展開させ、それと同時に高速道路を地下化し、周辺に文化施設の集積を図るようにしている。まだ、建設途上ではあるが、これからのオスロ市の発展を牽引するような地区がここには形成されつつある。

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(西側からみたオペラハウス)

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(屋上へと連なる緩やかな「絨毯」)

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(屋上からの展望)

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(夜には大ガラス面から漏れる光が夜景を演出する)

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(これまで遮断されていたウォーターフロントへのアクセスをも、オペラハウスは提供することに成功した。多くの人が水辺で憩っている)

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オスロの都市計画的訪問記2(ヴァルカン地区) [都市デザイン]

 オスロの北部にあるヴァルカン地区は19世紀頃にアーキャスエルヴァ川の西側に開発された工業地区であった。その後、1960年頃に工場は郊外部に移転し、この地区は塀で被われ、市民はここに入ることができないようになってしまった。跡地は雑草が生い茂り、オスロ市内でも最もイメージの悪い地区の一つとなってしまった。
 しかし、この地区は2004年にAspelin Ramm、Anthon B Nilsen Property Developersというデベロッパー会社によって、ほぼ100%民間主体でミックスドユース地区へと再開発された。そして現在では、オスロ唯一の屋内食料市場、ミシュランで一つ星のレストラン、お洒落な総菜屋などがあり、さらにはダンス・パフォーマンスが上演される舞台があるなど、オスロの人達の人気スポットへと変貌している。
開発するうえでの空間コンセプトとしては、この土地はアーキャスエルヴァ川と同川に並行して走るMaridalsveien道路とに挟まれた斜面上にあるのだが、それまで分断されていたこの川と道路を繋ぐ空間を整備することを重視した。そのためには、この土地にあった工場の建物の一部を壊さなくてはならなくなり、それに対しては地元住民が歴史建築物の保全という観点から反対したのだが、敢えて押し切った。これに関しては、取材をしたランドマーク氏によると、開発が成功するうえでは譲れない点であったからだそうだ。
 この地区にはホテルが二つあるのだが、一つは普通のホテルではない。それは、そこで働いている人が研修生であるという点である。しかも普通の研修生ではなく、それまで社会的に問題があり、通常の仕事とかが得にくい人が研修生をしている。これは、単に研修するだけでなく、社会に復帰するためのリハビリをも兼ねているそうだ。そして、このホテルの経営を支援するために、この地区に入っている企業はノルウェーでは一般的な社食を基本的には設置せずに、このホテルのレストランで食べてもらうことも推奨しているそうだ。このような試みからも、民間企業でありながら社会福祉的な視点もしっかりともった再開発ではないかと思う。
 そして環境にも意識していて、コジェネレーション・システムを導入している。これを効率的に使えるようにするためにもミックスドユースとある程度の密度の集積などを計画時点から意識をしていたそうだ。現在、ホテルで使われる75%の熱量が再利用されているそうだ。
 ミックスドユースでいろいろな用途が入っているヴァルカンであるが、その目玉施設は屋内食料市場であることは間違いない。これは、オスロというかノルウェーでは最初の屋内食料市場である。なぜ、屋内食料市場にしたかというと、開発を検討するうえで、工場の建物をみてインスピレーションを受けたためで、特に、市場調査とかをした訳ではないそうだ。ただ、スウェーデンとかにはある屋内食料市場がノルウェー、特にオスロにないのはちょっと違和感を覚えていたということはあったそうである。
 この屋内食料市場をつくるということに関しては、計画時点から相当、マスコミを中心に批判されたりしたが、結果的には大正解で、この屋内食料市場ができたことで、料理教室もでき、料理イベントも開催できるようになり、さらには、総菜屋も出店し、また、ミシュランで一つ星を取るようなレストランもここに立地することになった。屋内食料市場が核となって、ここはオスロ市のガストロミーの中心のようになってきたのである。まさに集積が集積を呼ぶという効果がここではみられた。
 ここの不動産管理をしているランドマーク氏さんに取材をしたのだが、テナント管理をしているうえで一つの物差しとしているのが、アンチ・スーパーマーケット、アンチ流通大企業であるということだそうだ。確かに、ここにはチェーン店のようなものは入っていない。それが、ガストロミーの集積地としてのステータスを高めているのであろう。
 興味深いのは、ここが民間100%の開発という点である。この空間は時間を問わず、誰でも入ってくることができるが、ここは厳密な意味ではパブリック・スペースではない。しかし、アーバンな雰囲気をつくることが不動産事業として成功するという点では不可欠との観点から、このようなアクセスが自由な空間を整備したということだそうだ。ランドマーク氏は戦略的に考えると、都市はタウンスクエアが一番、重要であるという。そして、そういう観点からは、この再開発においては屋内市場が一番、重要であると認識していたそうである。
 見事な都市再開発事業であると思われる。

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(ヴァルカン地区の案内図)

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(屋内食料市場)

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(川と道路とを結んだ計画上、極めて重要なアクセス)

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(住宅棟の上からの展望)

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(屋内食料市場の内部)

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(南北の街路。左上は駐車場やオフィス、レストラン棟が入っている建物)

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(アーキャスエルヴァ川の対岸からヴァルカン地区を望む)
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オスロ都市計画的な訪問記1 [都市デザイン]

 オスロに5泊した。主に最近、完成した3つの都心部そばの再開発地区を訪れた。現地の関係者にも取材をすることができたので、その近況を幾つかに分けて、簡単に報告したい。
 その前にオスロの概要。オスロは人口が約66万人。大都市圏だと112万を越えるノルウェー最大の都市であり、首都でもある。面積は454キロ㎡と東京都23区の4分の3程度である。人口密度だと大雑把に23区の2割程度か。オスロの首都としての歴史は古く1300年前後であったが、デンマークの実質植民地のような状況にあった時は、クリスチャニアと呼ばれていた。オスロに復帰するのは1925年以降である。また、ノルウェー最大の都市は1850年まではハンザ都市である港湾都市のベルゲンであった。そういう歴史をたどってきたので、同じスカンジナビア諸国でもコペンハーゲンや、ストックホルムのような豪壮さには欠けている。19世紀のスウェーデン支配下の時に王宮などを建てるが、どちらかというと支店的な位置づけであった。ということで歴史的建築物なども有り難みが少ない。
 したがって、都市の課題としては、そのようなアイデンティティの弱さをどう補っていくということがあるだろう。そういった視点から、1)ヴァルカン、2)オペラハウス、3)バーコードに関しての報告をしてみたい。あと、今、オスロの再開発といったらレンゾ・ピアノ設計で2012年に開業したアストルップ・ファーンリ現代美術館があるチューブホルメン地区が外せないのだが、訪問予定日の前日に捻挫をしてしまい、しっかりと視察ができていないのでそれは割愛させてもらう。また、再訪する機会があれば、ここらへんはフォローしたいと思っている。

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(オスロのウォーターフロントからの光景)
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パリのシャルルドゴール空港で再び、酷い目に遭う(というか、半分は自分のせいですが) [地球探訪記]

パリのシャルルドゴール空港は私にとって、これまで鬼門となってきた空港で、本当にいい思い出は一つもありません。フランス語で私が対応できないことなどがあると思いますが、職員や店員、そして空港の建物自体が不親切というか意地悪な気さえします。今回も酷い目、というか不愉快な目に遭いました。まあ、半分は私のせいなのですが。ちょっと備忘録も兼ねて、また、シャルルドゴール空港を利用する人の参考になるかもしれないので、ここに記させて下さい。
 オスロからパリ経由で東京に帰国するのですが、乗り継ぎに6時間ぐらいあります。オスロからターミナル1に飛行機は着陸しました。自分の飛行機がどのターミナルかは不明ですが、ゲートは51と書いてあります。そこで、ゲート51の飛行機を出発便掲示板でみると、どうもターミナル3のような気がします。ということで、ターミナル3にまでシャトルで行きました。シャルルドゴール空港はあまりにも大きいので、このようなシャトルに乗らないととてもじゃないですが移動はできません。さて、ターミナル1からターミナル3まではシャトルで5つも駅に停まります。遠すぎだろう。
 さて、ターミナル3に着くと、また出発便掲示板がありました。ターミナル1とは違い、丁寧に遅い便まで見ることができます。そこでチェックをするとなんと、ターミナル1出発であることが分かりました。そこで、またシャトルに乗ってターミナル1に戻ります。
 ターミナル1に入る時に、お兄さん二人に搭乗券のチェックをされます。今回はオンライン・チェックインですので、iPhoneを見せます。それをお兄さんはチェックをしたのですが、日本語ですのでよく分かりません。というか、そもそも日本語で国際線のオンライン・チェックインをした私も馬鹿ですが、それをする全日空も想像力が欠けています。二度としないと思いましたが、とりあえずここはクリアしなくてはなりません。お兄さんは他の同僚にもチェックしてもらい、ローマ字の記号(CDGとかHNDとか)からどうも東京行きらしいと理解して、通してもらいました。
 さて、通関は無事に通ったのですが、次は荷物チェックです。荷物チェックでは、今度はiPhoneのモバイル搭乗券がiPhoneから消えています。後でメイルのゴミ箱に入っていたことが分かったのですが、チケットなかったら入れません。チケットなければ入れない、と言われても何も答えられません。まさか、ゴミ箱に入っているとは思わないので、こちらも狐に化かされたような気分です。しょうがないので、コンピューターを出して、コンピューターのメイルから入れさせてもらいましたが、コンピューターのバーコードをスキャンしているのは、どうみても格好悪いです。ここでも二度とオンライン・チェッキングはしないと思いました。
 さて、どうにか荷物チェックを過ぎて、iPhoneを確かめると、前述したようにごみ箱に入っていました。リトリーブしようとしたのですが、肝心のファイルが読み込めません。ネット環境が悪いからです。本当に信じられないよなあ。まあ、オンライン・ブッキングをしようとした私が悪いのですが、こんな危ない制度は導入しない方がいいです。携帯の電源がなくなったりしてもアウトです。個人的には使わなければいいだけなのでしょうが。
 荷物チェックを抜けて、ラウンジに向かおうとすると、なんとラウンジは通関の後、荷物チェックの前であることが発覚しました。通関を抜けた後、どこにも見つからなかったので、そのまま荷物チェックに向かったのですが、分かりにくいところにエレベーターがあったようです。また、戻ろうかとも思ったのですが、荷物チェックでのやり取りをもう一度やるのは嫌なので、そのままロビーで5時間潰すことにしました。幸い、電源があるのでコンピューター仕事はできます。
 ただ、やはり水分が欲しい。ということで、水をそばにある店で買おうとすると、なんと、搭乗券を見せろと言われました。そもそもコンピューターが入った鞄は椅子に置いているので、わざわざ取りに行くのもちょっと面倒です。ということで、携帯で見せようとすると、相変わらず、リトリーブできていません。くるくる回りっぱなしです。というか、このお店のおばさんは、バーコードが読める訳でもないし、この日本語チケットを理解できるのか。
 しょうがないので、そばにある喫茶店でサン・ペリグリノを注文したら、別にチケットを見せなくても買うことができました。そうすると、最初の店のおばさんは何をもってして、水を買うのにチケットを見せろ、と言ったのでしょうか。これは、単なる意地悪以上の何ものでもないでしょう。こういう経験は悪いけど、ドイツでもないとはいわないけど、フランスで一番するような気がします。このおばさんはルペン支持者なんじゃないかな、という失礼な思いが頭をよぎりました。
 ということで、快適にラウンジで仕事をするという目論みが見事に外れ、ロビーで仕事をしているのですが、このロビーの机と椅子が妙に距離が離れていて、しかも固定されていて動かせないので、肩が凝ります。
 国際空港のホスピタリティでその国のイメージは結構、形成されてしまうのではないでしょうか。私はフランスは実際より悪い印象を抱いているような気がするのですが、その大きな理由は、シャルルドゴール空港が負うところが大きいと思います。あと、オンライン・チケットは何もいいことがないことを改めて知りました。
 

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アイスランドで学んだアイスランドの現代事情 [グローバルな問題]

アイスランドでは現地の人とほとんど会話をする機会がなかった。ということで、最終日に知り合いのアイスランド人と話をしたことで、随分と新しい知識を得ることができた。というか、そもそもアイスランドのことはほとんど知らないので、聞くことはすべて新しいのだが、下記の点について簡単に記させてもらう。
1) アイスランドの観光客が増加したのは、2008年9月のアイスランド経済危機以降である。
2) アイスランドは移民が増えているが、特に多いのはポーランド系である。
3) イケアやコストコなど、国際的な物流業者が進出していて、地元の商店は大打撃を受けている
4) 最大のレイキャビクでさえ、人口は12万人しか過ぎないが、郊外へのスプロール開発が進んでいる
5) アイスランドの若い人は、どうもオスロに行く人が多いらしい。
6) 冬はそれほど寒くはないが、風は酷いらしい

1) アイスランドの海外からの観光客は増加の一途である。これは2008年9月のアシスランド経済危機で、アイスランド・クローナがユーロに対して暴落し、観光客にとってはお得感があったからというのがきっかけだが、さらに2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火がアイスランドの知名度を高めたからのようだ。それまでは、ヨーロッパの人もあまりアイスランドを知らなかったし、関心もなかったのだが、エイヤフィヤトラヨークトルの噴火によって多くのヨーロッパの航空便が休航したこともあって、大西洋に浮かぶ火の国が注目された。それとお得感で、アイスランドに行く人が増えたのであれば、まさに災い転じて福となす、である。人間万事塞翁が馬という言葉も浮かぶ。私は、このブログでも壇蜜を使用した宮城県の広報PRに苦情を言ったりしたが、確かに悪いイメージでもとりあえず知名度を向上させるというのは効果があるのかもしれない。もちろん、宮城県は税金を使ってそういうことをしているのに対して、アイスランドは一円も使っていないのではあるが。
2) アイスランドは経済が好調のこともあり、移民が増えているのだが、その中でもポーランド系の移民が多いそうである。なぜ、ポーランド人はアイスランドを目指すのか。まったく、その背景は分からないが、そういう現象が起きているそうだ。ちなみに、この話をしてくれた知人のアイスランド人は、ポーランド人はとても働き者で好ましい、との感想を述べていた。
3) レイキャビクの郊外では、コストコやイケアなどが立地している。人口12万、大都市圏でも人口22万程度の都市で、こんなものが立地して大丈夫なのかとの印象を受けたが、実際はあまり大丈夫ではないようで、どうも地元商店の30%ぐらいが閉店してしまったそうだ。アイスランドのような小国で、市場規模も小さいところで、このような大規模小売店(卸売店)の進出はまさに地域経済に壊滅的なダメージを与えてしまうのではないか。ちょっと気になるし、関心を覚えた。
4) 3)と関連することだが、レイキャビクでは郊外開発が進んでおり、まさに槌の音が響き渡っている印象だ。もちろん、ウォーターフロントの都心部も再開発中なので、都市全体で開発が進んでいるのだが、まだ人口規模が小さく、人口密度も低いのに郊外開発が進んでいるのは、若干、マクロでの都市計画的なビジョンが欠けているような印象を受ける。ただ、人口は少ないが週日の午前8時頃は、もう道路はラッシュで混んでいた。公共交通を導入し、ある程度、都市をコンパクト化することを検討する時期になっているのかもしれない。
5) 若い人が大都市を志向するというのは、全世界的にみられている現象である。日本人の若者は東京を目指すし、イギリスの若者もロンドンを目指す。フランスの若者はパリである。連邦制国家であると、この行き先は多様化して、アメリカの若者は必ずしもニューヨークを目指さないし、ドイツの若者はあまりベルリンを目指さない。とはいえ、大都市を目指すという傾向はある。さて、アイスランドには大都市がない。一番、大きい都市はレイキャビクであるがあまりにも小さい。若者には不満であろう。この若者の大都市志向に応えてくれる都市はどこなのか、という質問をすると、どうもオスロらしい。これは、カンボジア人やラオス人がバンコクを目指すというのに似ているのだろうか。アイスランド語とノルウェー語は非常に似ているらしいので、そういう点でも敷居が低いのであろう。ただ、そのままノルウェーなどの海外に居着くのではなく、結構、帰国するそうだ。
6) アイスランドは北緯66度であり、大変冬が寒い印象を受けるが、実際はそれほど寒くはないそうだ。同緯度のノルウェーなどよりはずっと温かいそうであるし、ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属すそうだ。本当かいな。今日(8月21日)の朝の気温は9度だったのだが。

 ということで4日間(実施的には4泊3日なので3日間)のアイスランド滞在であったが、いろいろと刺激が多かった。再訪できる機会があるか不明だが、訪れる前より遙かにちょっと気になる存在になったのは確かである。物価が高いのが問題ではあるが。

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(レイキャビクの街並みの写真。あまり本文とは関係がありませんが)
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アイスランドでのお土産物は空港で買うべきである [地球探訪記]

アイスランドは物価が高い。そういう意味では、お土産とかを買う気力も起きないのだが、物欲を刺激するようなものは売っている。それは、「ここだけ感」のあるものだ。具体的には羊毛グッズである。羊毛グッズが例えばニュージーランドに比べて優れているかも疑わしいのだが、荒涼とした土地に放牧されていた羊をたくさん見たこともあって、羊毛セーターを家族の土産に買うことにした。大体2万円ぐらいである。都心のお店で買い、空港に行って行列に並び14.5%の税金の返金をしてもらい、空港内に入ったら、私がお土産を買った二つのお店が営業しており、しかも、私が買った値段(税を引いた後)よりも安く、かつ、品揃えも優れていた。お店の人にその事実を言うと、「この店は正規価格から20%〜40%割り引いているからね。レイキャビクで買うと14.5%しか安くならないから、ここで買った方が全然、得ね」と応じた。早く言ってよ。ということで、もう二度と来ない確率が高いが、アイスランドの土産物を買うのであれば、国際空港内が最適でしょう。クローネでの支払いも認めてくれるので、そういう意味でも理想的である。

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レイキャビクの外食で不思議なところは、しっかりとした高級料理店も汚い居酒屋もほとんど値段が同じということである [B級グルメ雑感]

レイキャビクで外食を数回した。さて、その第一印象は「高いな」ということだ。物価が高いので、これは致し方ないかと思ったりしたのだが、昼食も含めて数回、外食をして分かったことは、しっかりとした高級料理店も汚い居酒屋もほとんど値段が同じということである。今回の外食で入った最も高級っぽいレストランはLækjarbrekkaというところであったが、ここは店内のインテリア、サービス、ウェイターの上品さ、料理、ワインとどれもが大変質の高いものであった。しかし、トータルではワイン・ボトルを二本空けても、一人当たり6000クローネであった。私はチャー(イワナ)料理を注文したが、これは4100クローネであった。高いといえば、高いがこのクオリティと美味しさであれば、まったく理解できる値段である。この店だけに入っていたのであれば、外食が高いとは思わなかったであろう。
 しかし、その前日に入った居酒屋のようなレストラン・バーもほぼ似たような値段であった。この居酒屋のような店では、シュリンプ・サラダを私は注文したのだが3500クローネした。しかし、その内容は普通のサラダにシュリンプの串揚げが2本ほど乗っけられているという代物であった。店内はまったく清潔感はなく、ウェイターの女性は皆、タトゥーをしており、前述したお店のウェイターとは、まったくもって異質な感じの人達であった。美人であると思えるようなウェイターは一人もおらず、サービスも素人臭かった。
 最終日の遅いランチを取ろうとして入った店は、お金をあまり使いたくないこともあって、ランドロマット・カフェという、洗濯屋とカフェが合体したといういい加減なコンセプト丸出しの店であった。ただ、それにも関わらず、Lækjarbrekkaと料理がほぼ同じ値段であった。これはしまったと後悔したが、捻挫をしていたのでホテルからあまり歩けないので、しょうがないかと諦めて注文しようとする。しかし、ウェイターがあまりにも酷い態度なので、これはたまらんと思って注文をせずに店を出た。足を引きずりながら、ホテルのそばの界隈では高級感を出しているParis Café というお店に入る。ここではモンク・フィッシュ(鮟鱇)の料理を注文したら、2600クローネというその前に入ったランドロマット・カフェに比べてずっと安かったにもかかわらず、料理は美味しかった。いやはや、この外食店の質によって料理の値段が変わらないというのは、非常に興味深い状態である。市場経済がしっかりと機能してない(外食サービス業に価格規制をしている?)のかなどと考えてしまう。
 これはホテルの朝食でもいえて、知人が泊まっていたアダムス・ホテルの朝食は1900クローネで、私も一度だけ食べたが、スープはぬるく、料理は質素で質も大変悪かった。そもそもフルーツもないなど、選択する余地さえなかった。それなのに、私が最終日に泊まったホテルの朝食は1500クローネで、卵料理やベーコン、ソーセージ、ヨーグルトなどもあり、チーズはカマンベールやゴルゴンゾーラなども出ており、大変充実したものであった。
 つまり、全般的に「高かろう、悪かろう」という価格がまだ通用している状況であり、市場が劣悪なサービスをまだ駆逐できていない状況なのかもしれない。とりあえず、レイキャビクに訪れる人は、質が悪ければ安い、という先入観を捨てて、結構、高そうでサービスがよさそうなお店に入りになることをお勧めする。また、グーグル等のレストランの評価はとてもいい加減なので(例えば、Lækjarbrekkaが4.4でサブウェイが3.9)、それはあまり参考にはならないかと思う。

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(Lækjarbrekkaのアイスランド・プレート。鱈、羊の生肉、スモーク・サーモン、サメなど)

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(Lækjarbrekkaのチャー料理)

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(Lækjarbrekkaのラム肉料理)

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(Lækjarbrekkaのメニュー。他の普通の凡庸な店とほとんど値段が同じ、というショッキングな価格設定。ここが安いというよりかは、他が高い)

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(ランドロマット・カフェ。ここは値段が高いのにあまりにもサービスが悪いので、注文せずに出ました)

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(パリス・カフェ。ここは、ぬるい珈琲を出したりしたのですが、食事は美味しかったです)

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(鮟鱇料理)




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アイスランドの妖精マップのある街を訪れる [都市デザイン]

 16年目、ウェールズのC.A.Tという施設を訪れたことがある。ここのランドスケープ・アーキテクトのピーター・ハーパー氏に取材をすることと視察することが目的で、その内容は『環境自治体』という雑誌の2002年1月号に発表した。C.A.Tは今回の旅行でも久しぶりに訪れたが、16年前に訪れた時はC.A.Tのそばの町のマッキンレーにあったB&Bにて宿泊した。そのとき、私と同じようにC.A.Tに惹かれて訪問したアイスランド人と知り合った。そこで私は、彼と一緒に夕食をしたのだが、そのとき、「聖なるランドスケープ」(Sacred Landscape)の話で盛り上がった。その話の中で、彼は彼の「聖なるランドスケープ」を教えてくれた。それは、ハフナルフィヨルズゥルにある彼の祖母の家のそばの公園であった。彼は幼少の頃、祖母の家に遊びに行くと、その公園で遊んでいたのだが26歳ぐらいの時、そこで妖精(小人のようなもの。ノーム(gnome))を見た話をしてくれた。彼は、その話をすると、自分が変人であると思われるかもしれないと危惧していたようで、おそるおそる私に言ったのだが、私はあなたの話は信用する、としっかりと目を見て伝えた。それは99%、本心であった。私が信用してくれたことが嬉しかったらしく、彼はアイスランドの人達は妖精やスピリッツなどを信じているということをいろいろと話をしてくれたのだが、特に私の興味を惹いたのは、ハフナルフィヨルズゥルには妖精マップがあることであった。その妖精マップは、いろいろとスピリッツを見られるシャーマンのような老婆が描いたものであるらしく、私は大変、それに興味を抱いて、それを送ってくれるようにお願いをした。彼は快諾してくれた。私は、まあいきなり出会った、見ず知らずの日本人に送ってくれるのは流石に面倒臭いであろうとそれほど期待せずにしていたら、実際に送ってくれたので大変感動した。この地図は今でも私の宝物であり、このエピソードは『若者のための街づくり』(岩波ジュニア新書)にも紹介している。
 今回、生まれて初めてアイスランドを訪れたのだが、それは、この話に導かれたというのが大きかった。そこで彼にアイスランドに行くので是非とも再会したいので、よければメイルに連絡をしてくれ、と手紙を送ったのだが、結局、アイスランドに着いても彼からはメイルが来なかった。いよいよ、アイスランドも翌日が最終日となった日になんと、彼からメイルが届いた。そのメイルには、引っ越していたので手紙を届くのが遅れたが、翌日は空いているので会おう、と記してあった。そこで、本日(8月21日)に私は彼とホテルのロビーで待ち合わせをした。
 彼は待ち合わせ時間の20分ぐらい前からロビーで待っていて、彼は日本人の私にすぐ気づいてくれた。私はちょっと記憶が曖昧になっていた。それから、カフェに行って近況を報告し合った。私はC.A.Tに行った翌年に大学教員になったのだが、彼もその当時は船乗りの技術者であったが、その後、大学の先生になっていた。その話を聞いて、日本とアイスランドと場所は遠く、離れていても彼とは何か「赤い糸」的なものを感じる。私は彼が送ってくれた地図を持参していたのだが、その地図を見せると、いろいろと解説をし始めてくれた。その地図を描いた老婆は既に他界してしまったそうだが、広く、地図で描かれている世界は地元住民に共有されているそうだ。この地図には様々な線が交錯しているのだが、それは地球の磁力線であるそうで、その線の結節点は特別な聖地となるそうで、そこには光の精のようなものが存在しているそうだ。彼はおそろしく青い目をしていて、その中心にある黒い瞳孔で見つめられつつ、妖精やスピリチュアルな話をされると、ちょっと異界へと引き込まれそうな気分になる。
 彼は、私が何も言っていなくても、私が何をしたいのかが分かってくれたそうで、彼が妖精を目撃してくれた公園へと連れて行ってくれると言ってくれた。カフェから駐車場に行く際、レイキャビクの週末限定のフリーマーケットに寄り、そこで本を売っていた彼の奥さんを紹介してくれた。彼女もシャーマンのように、精や死者などが見られるそうである。日本だと霊感が強いということになるのだろうか。
 さて、レイキャビクからハフナルフィヨルズゥルまでは車で15分ぐらいかかった。レイキャビクの郊外部を道路は通っているのだが、随分と、エッジシティ的な郊外開発が進んでいる。イケアやコストコなどもある。ちなみに、コストコが出来たことで、地元商店の30%ぐらいが閉店したそうだ。この数字はにわかには信じられないが、もし事実だとしたら、大変なことだ。商店街は社会やコミュニティにとって必要なのか。もし必要であると思うのであれば、このような大型商業施設の立地規制ということは真剣に考えなくてはいけないと思う。
 そういう話をしながら連れて行ってくれた彼の「聖なるランドスケープ」である公園は、ハフナルフィヨルズゥルの住宅地の中にあった。この住宅地に囲まれた公園というのは、なんとも意外ではあったが、一歩、その公園に入ると、それは霊感がゼロの私でも、そこが特別なところであることは分かった。その空間は周辺に比べると窪みになっていて、その窪みの中はまさに異界というか別世界のような空気を纏っていた。センス・オブ・プレイス、ゲニウス・ロキ、地霊という言葉が頭をよぎる。ハフナルフィヨルズゥルは火山の爆発から飛んできた溶岩があちこちにあるのだが、この公園もそれらの溶岩や樹木によって、空間が分断されており、実際の広さに比べて遙かにその空間を広く感じることができる。そして、分断された空間に人が日光浴をしていたりするのだが、そこに人がいることは視界が遮られているので、すぐには分からない。人でさえそうなのだから、そこに妖精がいても分からないであろう。
 身体が震えるような感動を覚えて、写真を撮っていたりすると、何もないような場所で、酷く足首をひねり、しばらく動けないような捻挫をしてしまった。どうも私の存在は妖精には不愉快だったようだ。そのことを同行した彼に言うと、「そんなことはない」と言ってくれたが、本心はどうだったのであろうか。妖精達にとって招かれざる客であったことを自覚させられたことは、正直、傷ついた。その後は、光の精がいると妖精地図に描かれた丘に行き、また、その地霊を感じて感動するも、足の疼きが酷いのでホテルに戻ってもらい、そこでお礼を述べて、彼とは別れた。
 妖精が見られた彼と、妖精に拒絶された私。あの場所に再び訪れたい気持ちもするが、次の仕打ちは捻挫どころでもないような気がして、びびっている私もいる。あの場所に受け入れられるような人間になりたいと思うと同時に、どこで道を間違えたのかと悲しく感じてもいる。
 とはいえ、それを含めて、今回、アイスランドに来て、あの公園を体験できたことは素晴らしいことであった。16年前のあの日を覚えていてくれ、私を特別な場所に連れて行ってくれたグンナーさんには感謝の気持ちしかない。

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生まれて初めてオーロラを見る [地球探訪記]

 朝早く、同行していた知人が空港に行かなくてはならないので、レンタカーをしていた私は宿からバスターミナルまで迎えに行くことにした。それで待ち合わせをした時間は午前3時30分。ちょっと早めに行き、車を宿の外で停めて外に出る。若干、待ち合わせ時間に早かったので、そばのハットルグリムス教会前の広場に歩いて上を見上げると、空の一部がカーテンのように光っている。これはオーロラだ!8月20日という夏にオーロラが見られるとは思わなかったので、この予期しないプレゼントのような出会いに驚く。ただ、オーロラはよく写真や映像などで見るような緑とかではなく、白色に若干、黄色が入っているような色で、あまり美しいという感じではなかった。オーロラとの出会いが偶然だったので感動したが、期待してわざわざ遠くまで行って見えたこのオーロラだとちょっと落胆するかもしれない、と思ったりもした。
 写真を撮らなくてはと、あわてて車に戻り、カメラ取り出し、上を見上げると、なんとオーロラが薄くなっている。えっと思って、急いでレンズを望遠に替えて撮影しようとすると、ほとんどオーロラの存在が分からないほどになっていた。オーロラってあっという間に消滅するものなんだ。これは驚きだ。色が今ひとつだな、などと失礼なことを思ってしまったので、さっさと消えてしまったのかもしれない。見えたことは嬉しかったが、撮影できなかったことは残念。とはいえ、オーロラを見たというのは、なんか大収穫をした気分である。知人がこんな早い時間の飛行機を予約しなかったら、このような出会いがなかったかと思うと、本当、ラッキーであったと思う。そして、荷物をバスターミナルまで運ぶという約束をしてよかったなとも思った。これこそ、早起きは三文の得である。

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ティファニーで朝食を [映画批評]

 オードリー・ヘップバーン主演の1961年の映画を、今さら観た。自由気ままに無責任に生きる主人公のホリーの生き様、そしてオードリーの演技は、私の年齢のせいなのかもしれないが、まったく惹きつけるものもなく、なんでこのような女性に男性が惹きつけられるのかを理解するのが難しかった。しかし、おそらく1960年代という時代においては、彼女のように解放された女性というのはステレオタイプを打破した魅力的な女性と映ったのであろう。日本では『東京ラブストーリー』の赤名リカが、当時、女性の新しい生き方を日本人に提示したかと思うが、そのようなインパクトをホリーもアメリカ社会に与えたのかもしれない。ということで、1960年代のアメリカの世相を知るうえでは、興味深いかもしれないが映画は個人的には面白いものではなかった。
 あと、このホリー役のオードリー・ヘップバーンはミス・キャストだと思う。男を振り回す頭は軽いが魅力的な女性という役にオードリーは不適である。あの鼻筋が綺麗に通って、深遠力があるような魅力的な眼は、どうしても知性を感じさせてしまう。というか、本人は英語以外にも4ヶ国語を操り、晩年をユニセフの仕事に捧げる、などホリーとは似ても似つかぬキャラである。演技をさせる、といってもどうしてもその人の本質のようなものが滲み出てしまうだろう。これはマリリン・モンローが演じたら、むしろもっとずっと作品としても説得力があって魅力的なものになったのではないか、と思わずにはいられない。
 さて、この映画のもう一つ興味深い点は、映画の流れからは本質的ではないが、日系人(日本人)ユニオシの存在である。怒りっぽく、信用できず、黒縁、出っ歯、低身長といったユニオシの演出は、当時のアメリカ人の悪意というか侮蔑的な日本人のイメージが描かれていて興味深い。私は少年時代、アメリカで過ごしたので、こういうように日本人がアメリカ人に見られているということはよく理解できるが、日本人はちょっとこの点についてあまり自覚していないと思われるので、この映画は1960年代のものではあるが、我々はこのような差別対象であるということは理解しておいた方がいい。差別をされる側にいることを理解すれば、中国人を差別する気持ちがいかに醜悪であるかが分かるであろう。
 あと、もう一つ、この映画で唯一、いいかなと思ったのは、映画全般を通して流れる「ムーン・リバー」である。特にヘップバーンが歌う「ムーン・リバー」の場面はよかった。それを除くと、アメリカ研究者かヘップバーン・ファン以外は他の映画を見たほうがいいような気がする。





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レイキャビクに行ってレンタカーが借りられず、困る [地球探訪記]

 アイスランドのレイキャビクに来た。日本を発って、絶対、レンタカーをしないと不味いことに気づく。気づいたが国際免許の期限が切れているので遅い。ただ、私はEUの免許を持っているので借りられるかもしれない。借りられるかもしれないが、借りられないかもしれないので予約はしなかった。おそらく、借りるのは結構、難しいかもしれないなと思ったが、それほど深刻には考えていなかった。
 最初は空港内にカウンターのあったAvis, Europcar, Hertzに尋ねるが、全滅。ただ、Hertzでも「全くない」と言われた時、ガクッと落胆したのを見かねたのか、空港外に20ぐらいレンタカー屋があるから、そこに行くといいと言ってくれた。他に選択肢もないので、そこまで歩いて行く。空港を出ると、凄まじい寒気を含んだ風が吹いており、すぐにウィンドブレーカーを羽織る。ウィンドブレーカーという言葉がよく理解できるような風の強さである。
 さて、空港の利用者用の駐車場を過ぎたところに掘っ建て小屋が集まったような一画があり、それはすべてレンタカー屋であった。最初に入ったところはアウト。隣に行け、と言われて行くと、ここは全部、出てしまっているけど21時30分になれば確保できるかも、という。時計はまだ19時を指している。とはいえ、他に選択肢もないので、とりあえずそれを予約する。ただ、そこのレンタカー屋も2時間待っているのも何だから、他も当たってみればと言う。そこで、他も行く。その後、最初に入ったところは前の客(東アジア系。中国人かもしれないが日本人かもしれない)が事故ったので、その事故処理であれこれと交渉している。これはもう待っていると大変なことになると思って、隣の店に行くがないと断られる。そこで、また東アジア系のお客が事故後の交渉をしていた店に戻る。しばらく待つと、ようやく問題が落ち着いたようで私の対応をしてくれる。しかし、対応をしてくれる、と言っても「ない」と言われるだけなのだが。そこで、次の店に行くと、「あるかも」と言われていろいろと調べてくれてどうにか借りる車を確保することができた。20時ちょっと過ぎぐらいだったので、1時間30分ぐらい早く借りることができた。しかし、5日間で840ユーロ。21時30分まで待てば600ユーロぐらいなので、ちょっと迷ったが、レイキャビクは宿代もばか高いので、人生初めてのairbnbをすることになっており、そこには19時に着くだろうと言っていたので、840ユーロのを借りることにした。ただ、値段は高いだけあって4WDで、保険もフルカバー、ガソリンプリペイドであった。まあ、これだけ売り手市場であれば、もう高いも安いもない、というのが実情であろう。
 ということで、なんとか車を借りることができたが、レンタカーを借りるのにこんなに苦労したのは、オーストラリアのフレイザー島を訪れた時以来である(http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2008-08-21)。あの時も、随分と高いレンタカー代を背に腹はかえられずに借りたことを思い出した。

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ベルゲン急行に乗って、ベルゲンに行って戻ってくる [地球探訪記]

 ノルウェーのオスロに来ている。せっかく来ているので、頑張って世界遺産都市ベルゲンにまで行くことにした。ベルゲンまでは鉄道で結ばれているはずだ。ノルウェー第一の都市オスロと第二の都市ベルゲンを結ぶ列車である、おそらく特急列車で3時間ぐらいで行けるだろうと勝手に思っていたら、なんと片道6時間以上もかかることが分かった。しかし、逆に6時間以上もかかるということで夜行列車が走っている。それで、夜行列車でベルゲンまで向かい、そこで午後遅くまで過ごして、オスロに戻る最終列車で帰ればいいかということで、同行している大学の先生と二人で行くことにした。
 夜行列車と帰りの指定席は同行している先生が日本からインターネットで購入してくれた。寝台列車が22,100円、帰りは15,500で、合計37,600円である。寝台列車の方が6600円ほど高いが、これはオスロのどんなぼろホテルよりさらに安いであろう。ということで、この移動パターンは経済的でさえある。-
 さて、列車はオスロ駅を23:25に出る。我々は22時頃に駅に着いたのだが、もう駅内にあるスターバックスなどは閉まっていたので、しょうがなくセブン・イレブンで珈琲を購入して、駅構内で時間をつぶした。ただ、列車自体は23時前から車内に入ることができた。ただ、寝台列車内の鍵が閉まっている。どうすればいいのか、と思っていたら「車掌は車内食堂にいるから、鍵を取りに来るよう」と扉に書かれていた。ということで、車内食堂に行き、鍵をもらった。寝台車は上下の二人用ベッドであり、比較的快適である。列車は時間通りに走り始め、私はiPadなどをいじっていたが、そのうち眠くなって寝て起きるともう5時過ぎで外は明るくなっていた。花崗岩を氷河が抉ったU字型の渓谷に沿って、列車は走っていく。ンネルが多く、いかにも山岳地帯を走っているという感じだ。社内食堂に行き、珈琲を注文すると、なんと自販機であった。社内食堂の窓はそれほど大きくはないが、それでも寝台車からの車窓よりは優れているので、そこで終点まで座っている。
 ベルゲンに着いたのは6時50分。駅に到着すると、いきなり夕立のような雨に見舞われたので駅でしばらやく雨宿りをする。雨が止んだら、とりあえず港の方に歩いて行き、魚市場やブリッゲンなどを訪れる。時間が早いので誰もいない。そこで、『地球の歩き方』に「ベルゲンに来たなら絶対に登りたいのがフロイエン山だ」と書かれていたフロイセン山へ行くケーブルカーの入り口まで向かう。8時からということで、ちょっと待てばすぐ乗れたが、小腹が空いたので、入り口そばにある「Gutbrød」という、おそらくgood breadのような名前のパン屋に入る。ここは、しっかりとパンを焼いているようで、そこでの手作りサンドイッチを食べる。このパン屋は若い女性3人で切り盛りをしているらしく、珈琲もしっかりと豆から挽いていてサンドイッチだけでなく珈琲も美味しい。さて、腹ごしらえをした後、ケーブルカーに乗る。一台だけやり過ごして乗ることができたが、これは一時間後に我々が戻った時には、驚くほどの長蛇の列ができていた。あまり自覚がなかったが、ここは大変な観光地のようだ。早めに来たことは大正解であった。そして、その頂上からの展望はなかなかのものであった。フィヨルドの地形の狭い平地にベルゲンの都市がつくられたことがよく理解できる。また、驚いたのは都心部に三方向から高速道路が入ってきているが、都心部の島に入るとすぐ地下に潜って、地上には出てこないということだ。そういうことも都市を展望することで気づけた。後で、いつ頃、このような措置を採ったのかと聞くと、南側の高速道路が整備されたのは1964年。そして、北側の高速道路のトンネルが通ったのが30年ぐらい前。そして、南側の高速道路が橋を渡った後、都心部で地中に入る工事が行われたのが25年ぐらい前ということであった。25年前といえば、1992年ぐらいである。デュッセルドルフが高速道路を地下化して、その上部空間を整備してラインプロムナードをつくったのが1995年。それよりも早く、高速道路の都心部での地下化を実現させているのである。まあ、これだけ土地がなければ、高速道路を地上に走らせるのは例え、高架であってももったいなさ過ぎる。この時期の賢明な判断が、今のベルゲンの美しさをつくっていると考えられる。
 さて、高所からの都市景観を楽しんだ後、ケーブルカーで下り、その後、世界遺産のブリッゲンに行く。10時ぐらいになっていたが、7時過ぎには誰もいなかった空間には人が溢れていたし、もう店も開店していた。ブリッゲンは、13世紀から16世紀にドイツのハンザ商人によって建てられた木造家屋群である。建物はすべて木で出来ており、たびたび火災で焼けたが、そのたびに同じように復元・修復してきて、現在にも中世の街並みを伝えている。感心するのは世界遺産に指定されていても、しっかりと現代的な利用をしているからである。過去の歴史建築物ではなく、それをしっかりと保全しつつも現在のベルゲンにとっても有用な使われ方をしている。このような積極的な歴史建築物活用が、結局、費用対効果が高く、それを保全できるベストのアプローチなのではないかと思ったりもする。
 その後、対岸に行き、山々を背景とした素晴らしいブリッゲンの写真を撮影し、せっかくなのでフィヨルド・ツアーに行く。ただし、ちゃんとしたフィヨルド・ツアーは最短でも3時間コースであり、我々が行った時には既に14時発のものしかなかった。帰りの電車は15:59発なのでこれは無理。ということで12時発の1時間30分コースのなんちゃってフィヨルド・ツアーに参加することにした。これは、299クローネであり、ベルゲンの郊外を巡るだけのツアーであり、よく観光ガイドに載っているような風光明媚なフィヨルドとはまったく異なる、寿司でいえば「のり巻き」のようなものであったが。まあ、ベルゲンのランドスケープを多少は理解することができた。
 その後、魚市場に隣接したレストランで食事をする。その後、トラムにでも乗って、ベルゲンの南の郊外を視察しようかとも考えていたが、このレストランのサービスが遅いこと、ワインが比較的、美味しかったこと、さらに料理も悪くなく雰囲気もよいので、結局ここで2時間ほど過ごして、ほろ酔い加減になって駅へと戻った。
 帰りの列車はコンフォートといって一等車に乗車する。これは、席のスペースがちょっと広いことに加え、珈琲等が飲み放題である。とはいえ、珈琲は機械のそれであり、二杯ぐらい飲むともう結構、というような代物であった。行きは夜行であったので景色はほとんど楽しめなかったが、帰りはフィヨルドの雄大な景色を両側に見ながら移動していく。そして、ベルゲン駅を発車してから2時間ぐらい経った18:18に沿線最高所(1222メートル)のフィンセという駅に到着する。フィンセの周辺にはなかなかの氷河をみることができる。これはわざわざ乗るのに値する景色である。ただ、フィンセを通り過ぎてからしばらく経つと、若干、景色には飽きてくる。列車がオスロ駅に着いたのは22:35。到着した時にはちょっとグロッキーのような感じにはなっていたが、素晴らしい鉄道旅行であった。

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(オスロ駅の発車掲示板

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(オスロ駅のベルゲン急行の発車ホーム)

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(ベルゲン急行の食堂車)

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(ベルゲン急行の車窓)

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(ベルゲン急行の食堂車)

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(ベルゲン駅に近づいたところの車窓)

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(ベルゲン駅の到着ホーム)

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(ベルゲン駅に到着したベルゲン急行)

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(ベルゲンはハンザ都市であったこともあり、昔、経済的な栄華を享受した趣きを街並みに感じることができる)

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(世界遺産のブリッゲン)

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(Gutbrøtというパン屋で朝食を取る)

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(フロイセン山からのベルゲンへの展望)

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(魚市場)

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(魚市場での食事・・鱈料理)

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(ベルゲンから出ている90分コースのフィヨルド・フェリーからみられるフィヨルド)

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(帰りのベルゲン急行から得られる車窓)

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(フィンセ駅周辺からみられる氷河)
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C.A.T(センター・フォア・オルタナティブ・テクノロジ)再訪 [サステイナブルな問題]

 ウェールズに来ているので、20年ぶりぐらいにC.A.Tに行くことにした。その時は、ランドスケープ・アーキテクトのPeter Harperさんに取材をして「環境自治体」に記事を書いたりしたが、今は、そういう気負いがなくなっている。また、現在、ウェールズではC.A.Tを最初に日本に紹介した長島孝一さんの奥様の実家に滞在させてもらっているのだが、長島さんが現在のC.A.Tにほとんど関心を持っていないことも多少、影響を与えたのかもしれない。
 長島さんの奥様の実家は北ウェールズのアングルシー島にあるので、そこからレンタカーを飛ばして行ったのだが、往路も復路も最短距離ではなく、スノーデン国立公園の中を抜けるルートを採った。これは、対向車と行き違うのも難しいぐらい道が非常に狭く、またワインディング・ロードであったので時間は大変かかったのだが、その苦労に見合うほどの美しいランドスケープを楽しむことができた。というか、絶景である。イギリスでこんな絶景に出会えるとは意外であったこともあり、嬉しい驚きだ(以前、スコットランドをレンタカーで走った時も、その美しさというか絶景に驚きましたが、ウェールズもこんなに美しいとは思ってはいなかった)。
 思わず、あちらこちらで車を停めて写真を撮っていたら、到着が予定より1時間は遅れた。それまで天気はよくはなかったが、それなりに雨にはならなかったのだが、C.A.Tに着く直前から酷く降り出した。
 C.A.Tはセンター・フォア・オルタナティブ・テクノロジーの略であり、風力発電、太陽光発電、さらにはごみの循環・リサイクルなど環境負荷の低いシステムを展示している、ちょっとしたエコ・テーマパークのようなところである。巨大な石切場の跡地にヒッピーのような若者達によって1970年頃につくられた。
 駐車場からは、水の重さで動くケーブルカーで上の施設群まで登っていく。このケーブルカーは単純だが、とても賢いつくりになっている。上にあるケーブルカーに水を入れて、そのうち水の重さで、上のケーブルカーが下に降りていく。その時、下にあるケーブルカーも引っ張られるようで上に登っていく。そして、ケーブルカーは下に着くと、水を全部放出して軽くなる。これの繰り返しなのだが、本当に電気いらずのケーブルカーなのだ。なぜ、これをもっと他でも普及していないのかが不思議になるほど、単純でいいシステムであると思う。そして、これがC.A.Tの入り口にあることはとても有効である。訪問者に強烈なイニシエーションというか印象を与えることができるからだ。
 C.A.Tは20年前に比べると、研修施設なども充実させていた。展示もそれなりに充実しているような気もするし、20年前からそれほど進歩していないようにも見える。とはいえ、その方向性は20年前よりもさらにゆるぎなく重要なものになっているし、実際、C.A.Tはよりメジャーになっていると思う。私もちょっと初心に戻るような気分にさせられた。

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(C.A.T.の入り口。ケーブルカー乗り場でもある)

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(ケーブルカーは水の重さで上下しているのだ)

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(エネルギーの展示。これは子供にもエネルギーのことが分かりやすいような楽しい展示である)

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(食料に関する展示も多い)

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ウェールズのランドスケープは美しい [地球探訪記]

 イギリスはおそらく10回以上は訪れていると思う。行く時はほとんどが大都市であるし、イングランドであるので、あまりランドスケープが美しいと思ったことはない。ただ、鉄道で移動することが多いので、例えばマンチェスターからカーライルの車窓に展開する湖水地方のランドスケープや、ニューキャッスルからエジンバラへと展開する北東の海岸沿いなどはなかなか息を呑むような風景であるよな、と感心したりした。ただ、これまでのイギリス訪で本当に感動したのは、レンタカーでエジンバラからインバネス、ネス湖、とスコットランドを周遊した時で、このときは「緑の惑星」という感じで、地球の景色とは思えないような雄大なランドスケープに圧倒された。
 さて、しかし、今回はウェールズのアングルシー島に4日間ほど滞在したのだが、このアングルシー島やスノーデン国立公園といったウェールズの風景はまさに絶景であり、ドイツやフランスなどでもアルプス山脈でしか出会えないような自然の造形美と遭遇し、驚いた。アングルシー島を西に行くと、サウス・スタックとよばれる海に面した絶壁があるのだが、ドーバー海峡などに比べてはるかに迫力があり、また、ちょうどワイルドフラワーが咲き乱れて、自然の絨毯のように地面が美しく被われており、その景色は絶景慣れしている私にとっても、驚くようなものであった。
 さらにアングルシー島から南に行ったところに、スノーデン国立公園があるのだが、そこの風景はある意味、チベットよりも壮大であった。標高1300メートル程度の山なのだが、海面から隆起しているような山なので、実際の数字よりはるかに高く見える。存在感に溢れる山なのだが、今回の滞在期間中もほとんど雲に隠れていて、その姿が見えたのは3日目だけであった。その雄姿は、前述したサウス・スタックから見えたのだが、紺碧の海と絶壁の岩を前景に聳えるスノーデンの山々は神々しささえ覚える。この光景は、例えば海岸美で有名なアメリカのオレゴン・コーストやオーストラリアのヴィクトリア州の南部の海岸をも上回ると思うのだ。その素晴らしさに比して、知名度があまり高くないと思うのだ。日本では強いていえば礼文島を彷彿させるが、礼文島よりアングルシー島のワイルドフラワーの方が迫力に溢れている。ヨーロッパという風土の中でも傑出した美しいランドスケープをウェールズは擁していると思われる。

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(サウス・スタックからみたスノーデン)

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(サウス・スタックのカラフルな絨毯のように咲くワイルドフラワー)

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(サウス・スタックの驚くほど美しいランドスケープ)

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(スノーデン国立公園の渓谷美)

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(スノーデン国立公園のランドスケープ)
 

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日本の卵は世界で一番、美味しいのではという仮説がウェールズで覆される [グローバルな問題]

 私は常々、日本の卵は世界で一番、美味しいのではないかと思っていた。アメリカの卵は比較の対象にならないほど美味しくないし、ドイツでもソーセージやハム、肉などは美味しいと感心したが、卵は日本の美味しさを上回るものには出会えたことがなかった。鶏肉に関しては、タイの北東地域のロースト・チキンが美味しくて驚いたことがあったが、卵に関しては美味しいと思ったことはない。今回の旅行ではパリの郊外ではビオ(有機)の卵を買ってホテルで茹でて食べたりしたが、とても日本の卵の比ではなかった。
 世界中で卵を生で食べる風習があるのは日本ぐらいだ。卵かけご飯に耐えるだけの美味しさの卵をつくるニーズがあるのも日本ぐらいなので、それが理由であろうと考えていた。
 さて、しかし、人生で最も美味しい卵と思ったのは実は日本ではない。それは16歳の時、ブレコン・ビーコン国立公園になぜか訪れて、ベッド・エンド・ブレックファストに宿泊した時の朝食に出た卵である。このときは、牛乳の美味しさにも驚いたが、卵は格別に美味しいと思った。ちなみに、ブレコン・ビーコン国立公園もウェールズにある。なぜ、そんなところに行ったのかというと、親戚がロンドンにいたのでそこを訪れ、当時から国立公園好きの私は、勝手に一泊旅行としゃれ込んだのだが、イギリスのどこ国立公園がいいかも分からなかったので、適当にロンドンから近いそこに訪れたのであった。1979年の話であるから、まだウェールズの議会などもできておらず、私はそこがイングランドかウェールズかどころか、そのような地域的違いがあることも分からずに訪れたのである。
 この時の卵の美味しさはずっと覚えていたのだが、その後、イギリスに訪れて食べる卵も大して美味しくなく、若さ故の錯覚であったのか、そのような美味しい卵は昔のイギリスの田舎でしか食べられないものかと思ったりもしたのだが、今回、ウェールズの知り合いの家で朝食に出された卵は、確実に日本の卵よりも美味しかった。
 あまりにも美味しいので、それを言うと、近くの家が飼っている鶏の卵であることが分かった。まあ、ちゃんとつくって新鮮なものを食べれば、世界中、どこでも美味しいということか。ただ、そのつくりかたには工夫というか、真摯さのようなものが必要なのであろう。私は、日本の卵は世界一という考えを強く抱いており、それは日本の偉大な点とも思っていたので、その先入観が打ち崩されたのはちょっと寂しいが、美味しい卵を食べられた嬉しさによって、そのような想いは打ち消された。

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パリのシャルル・ド・ゴール空港からTGVとユーロスターを乗り継いでロンドンへと行く [地球探訪記]

 パリのシャルル・ド・ゴール空港からTGVとユーロスターを乗り継いでロンドンへと行く。全日に券を買っていたので、安心して当日、空港へ赴く。ちなみに料金は3万円ぐらいであった。随分と高い。もちろん2等である。いつもユーレイルパスなどで移動しているからかもしれない。
 シャルル・ド・ゴール空港では、なかなか出発ホームが掲示されない。駅員に尋ねると20分前じゃないと分からないと言う。TGVといったら新幹線のようなものだ。どのホームに入らないかが20分前にならないと分からないというのは驚きだ。ちなみに5分遅刻でTGVはホームに入ってきた。よく、TGVは日本の新幹線よりも速い、と言われるが、どんなに速くても時間通りに走れなければ意味がない、と私はTGVに乗るたびに思う。まあ、遅れるのは想定内である。
 さて、想定内でなかったのはリール駅でユーロスターに乗り換えるのが面倒だということだ。乗り換え時間は30分ぐらいあったのだが、10分ほど遅れたためか、ロンドン行きの人は急いで下さい、と言う。なんか、おかしいな、と思いつつリールの駅を降りると、通関と荷物検査をしなくてはならないことに気づいた。通関はユーロとイギリスと二ヶ国しなくてはならない。しかも、通関のお兄さんが最近の空港の通関では考えられないほどゆっくりと仕事をする。これは、列車に乗れないかもしれない、というお客の不安をあえて煽っているのではないか。私のパスポートなどは比較的、面白いのでまるで喫茶店で客が、することがないので雑誌をめくっているような気怠さで私のパスポートをぺらぺらと見ている。私は時間的に大丈夫だからいいけど、後ろで並んでいる客はさぞかしいらいらしているだろうなあ。
 とはいえ、ユーロスターには無事に乗れた。あとチケットでは35分ぐらいしかかからない感じで、これは素晴らしいと思ったが、どうも時差があって実際の乗車時間は1時間35分ぐらいであった。とはいえ、乗り換えを含めてもパリから3時間以内で到着できる。近い!
 ユーロスターはヴィクトリア駅からは乗ったことがあるが、セント・パンクラス駅に着くのに乗るのは初めてである。

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(シャルル・ド・ゴール空港駅)

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(セント・パンクラス駅)

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セントラル・ステーション [映画批評]

 映画はそれほどではないが、人並みに観る方だと思う。私は集中力がないので、なかなか映画を2時間、見続けることが苦手である。しかし、この1998年に制作されたブラジル映画には本当に惹きつけられた。心を揺さぶる力を有した傑作である。こういう映画を観ると、映画の持つ凄まじい力を思い知らされるし、映画は素晴らしい芸術であるとも思う。ただ、問題は滅多にそういう映画に出会えないということだが。
 本作品を魅力的にしているのは、主人公のフェルナンダ・モンテネグロの演技であることは間違いない。小悪人ではあるが、根っからの悪人にはなりきれない。そして、心の底にあった良心というか優しさに突き動かされて行動していると、最後にその暗闇に被われていた心に光が点る。生きていくのも厳しいブラジル社会の中、このような良心が人にあるということが、明日への希望へと繋がる。観た者の心にも小さな光を点す感動的な作品である。また、この映画はロード・ムービーでもあり、リオデジャネイロの街並み、ブラジルの荒野、ブラジルの片田舎などを主人公と一緒に旅しているような気分にもさせてくれる。これも、日本人にとっては大きな魅力であると思う。


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ゴースト・イン・ザ・シェル [映画批評]

スカーレットヨハンソン主演の実写版ゴースト・イン・シェルを観る。アニメの「ゴースト・イン・ザ・シェル」は素晴らしい傑作であると思う。ということで随分と期待をして観た。さて、ストーリーはアニメ版とは結構、違うものとなっていたが、それなりに楽しめた。特に、香港のような近未来的な都市の描写は素晴らしく、ブレード・ランナーの都市描写を初めて見たときと同じような感銘を覚えた。総じて、映画は楽しめたのだが、本質的ではないところで2点ほど。一つは、スカーレット・ヨハンソンは現在を代表する女優であるが、私はどうしても彼女がそんなに美人に思えないのだ。いや、演技は上手いし、あの低音の声はなかなか色っぽいとは思ったりもするが、どうも鼻の膨らみが美人の条件を満たしていないように思ってしまうのだ(本当にどうしょうもないことを書いて申し訳ない)。あと、タケシと桃井かおりという日本勢が出演していて、私も観ていて嬉しくなったりするのだが、演技がずれているような印象を受ける。これは、おそらく彼ら、彼女らの演技が今ひとつなのではなく配役ミスなのではないかと思う。特に、桃井かおり特有の気怠い演技は、ストーリーから緊張感を削いでしまっている。せっかく、秘密を解く鍵となるようなクライマックス的場面なのに、この点はもったいないことをした印象を受けてしまった。これは、バトー役のピルウ・アスベックがまさに嵌まり役であるのと極めて対照的である。

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