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英単語を学ぶということと『TOEFLテスト英単語3800』の書評 [英語関連]

最近、英語教育にちょっと関心を持っている。これは、次女が高校一年生になって英語がまったく出来ないので、これじゃあ、英語で大学入試に落ちると心配しているのと、世の中、国際社会が進んでいくと、全般的に英語が理解できるのが重要じゃないか、という風潮になっているからである。

その風潮に私は一貫して疑問を呈してきていた。英語をしゃべれることが別に国際人になれる訳ではない。そして、国際人というか、英語でコミュニケーションをできるための英語力を養うのは尋常の努力ではできない。人生のうち8年間も海外で暮らし、アメリカの大学院で3年間勉強した私でも、英語力が今ひとつなので、外国人に過小評価されることで悔しい思いをしたことがある。今度、英語の本で一章を書いたのだが、プロのプルーフ・ライターにお願いしたら、結構、間違いを指摘された。まあ、間違いはほとんど二つの分野に集中していたのだが、こんなに英語をやっても、ここは今ひとつなのか、と思うとがっかりする。その二つの分野とは、冠詞、そして現在完了か過去か、という点である。冠詞は相当、意識をしているのだが、まだ自然と自分のものになれていない。そして、現在完了と過去を使い分けるニュアンスを私はしっかりと修得していなかったのだ、ということが分かった。

そういうことで、英語でコミュニケーションをする能力を獲得するためには、並大抵の努力をしなくてはならず、そんなことをする必然性が果たしてあるのか、私は大いに疑問なのである。例えば、私が奉職している大学の国際センター長は世界銀行で勤められていたこともあり、英語も堪能ではあるが、留学生のパーティーでは英語ではなく日本語で話す。先日、私も参加させていただいた国連大学の国際会議で、英語がほぼパーフェクトな某東大名誉教授も、パネル・ディスカッションではすべて英語で話したが、講演は日本語で話されていた(同時通訳)。私も、ここぞという議論では、英語ではなく日本語で話したいという衝動に駆られる。こういう場では語学力は権力であると本当に感じる。

さて、そのような思いがある一方で、次女のこともあったりするのと、そんなに英語を勉強したいなら、英語を効率的に学習する方法を考えてみよう、と考えたのである。そして、英語を教える講義を大学内で設置させてもらった。

英語を効率的に学習する方法は、まだ検証してはないのだが、取り急ぎの単語力の増強、ということを考えている。というのは、英語の単語力というのは綴りも含めれば、日本語での漢字力である。そして、文法を100%理解しても、単語が一つ分からなければその文意がつかめなくなってしまうことがある。これは日本語でも同様である。

また、日本は文法を教えるのが好きだが、初期学習において、あの文法を理解させようとすることほど馬鹿らしいことはない。私は中学でこの訳の分からない文法や、文法の例外事例などを教えられたが、そもそも本質的な文章構造が分からないのに、そんな例外事例など覚える必要はない。というか、例外を知る前に、とりあえず文章を書けるようになるべきだろう。この文章を書けるというのは、これまた大変な労力を要するが、文法的な些末なことを覚える前に、自動詞・他動詞の区別とかを知ることの方がずっと重要である。

そして、文法というのは語学が包括的に理解できそうな時になって初めてスムーズに理解ができる。私は45歳からドイツ語を学習しているので、そういうことがよく分かる。ドイツ語の文法が理解できるのは、ドイツ語検定でいえば3級を合格した後ぐらいである。その前は、とりあえず動詞の過去形と、名詞の性などを覚えておけばいいのである。前置詞の格支配などは3級に受かった後から、文法書で読めばいい。

また、私がこのように文法での学習ができるのは、年を取っていることと、英語ができるので類推がきくことと、何しろ学習意欲があるからだ。若い時は、とりあえず記憶力はあるのだから、どんどんと単語を覚えさせればいい。我々だって日本語の文法を知らないでしゃべっているし、アメリカ人だって文法の解説などは普通の人はできない。仮定法とか、高校の時は何を説明しているのかがまったく分からなかったが、日本語だって使っていることである。「明日、行ったらいいのに」でなぜ、「行けば」ではなく「行ったら」と過去形なのか。それは、「行った」と過去の表現をするときは、相手が行かないという意志があることを前提としているからだ。「行けば」はもっとニュートラルである。私は文法学者ではないが、こういう説明を高校とかで誰かしてくれたら、私をはじめとして多くの仮定法恐怖症を生み出さなくても済んだのである。もしかしたら、中学もそうだが高校の先生は、わざと分からなくして、英語を難しい学問であると思わせたかったのかもしれない。そう、邪推したくもなる説明の下手さであったと思う。

随分と前置きが長くなってしまったが、それで英単語をいかに増強するか、という効率的な方法論を学生に教えることで検証しようと思ったのだ。まずは単語帳、ということで、私がとりあえず選んだのは「TOEFLテスト英単語3800」である。なぜTOEFLかというと大学がTOEFLのテストの補助をしていたからで、テストを受けるのが安かったからである。これは、すぐに学生の英語力をみて失敗だと分かったが、英単語帳を買ってしまったので、これでいくことにしたのである。そして、なぜ、この本にしたのかというと、単にアマゾンで一番、売れていたから。

さて、しかし、この単語帳はひどい代物であった。というか、こんな単語帳がベストセラーであるなら、私はちょっと時間があったら自分で出そうと強く思っているところだ。何が悪いのか。TOEFLはアカデミックな内容の英文が多く出る。これらのアカデミックな内容の英文の英単語まで覚えていたら、大変なことになってしまう。また、これは頻出順でどうもカテゴライズされているようなのだが、名詞も動詞も形容詞もごちゃごちゃである。私であったら、当然、これらは分類させて、グループで覚えさせるし(それらのグループを頻出順でまとめるのはいいと思う。ただ、それは頻出順とは違った尺度での重要度・難易度で分けた方がさらにいいだろう)、動詞であれば自動詞・他動詞(両方のものが多いが)まで分けて覚えさせる。

例えばRank2においてpeninsula, accord, Neolithicと続く。また唐突にSaturnが出てくるが、Saturn を覚えさせたら一挙にMercury, Venus, Mars, Jupiterと一挙に覚えさせてしまえばいいのである。問題でSaturnしか出てこないということはあり得ないだろう。こういう英単語帳でしこしこ勉強できる人は立派だ。ただ、そういう立派な人も、このような機械的な学習ではなく、もっと単語世界が連携しあって、英語世界を脳みその中でつくりあげられるようなボキャブラリーを構築させることが望ましいであろう。そして、そもそも、そういう勉強ができない人は、この単語帳ではないもので勉強することを勧める。そのうち、私がそういう本を出してみたいと強く思う。


タグ:英単語
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はだしのゲンはピカドンを忘れない [書評]

 『はだしのゲン』が少年ジャンプに連載された時、私は小学校高学年であった。きら星のように楽しい漫画群の中で、唯一、この漫画は気味が悪く、また画筆もあまり好きではなく、なんか楽しい少年ジャンプにそぐわない漫画だな、と当時は思ったりしていた。
 さて、しかし、この漫画のおかげで私は原爆の悲惨さや戦争の不条理を知ることになった。そして、それは今となっては私の人格形成というか戦争への見方などにも資することになった貴重で有り難い作品であると思っている。著者の中沢氏は奇跡的に原爆から助かったが、もし彼がこの時、亡くなっていたら、私の世代の戦争への理解はずっと疎いものになってしまったであろう。
 2013年8月、島根県松江市の教育委員会がこの『はだしのゲン』を市内の全小中学校に対し、児童に貸し出さないよう閉架扱いにすることを要請し、それにより、市内の小中学校49校のうちゲンを全巻保有していた39校全てが閉架措置を取ったという事件があった。
 これはちょっと不味い動きではないか、と思い私は慌てて『はだしのゲンはピカドンを忘れない』を購入した。なぜなら、私も「ピカドンを忘れない」ようにしないと不味いと思ったのと、下手したら『はだしのゲン』も発禁になるような状況になるかもしれないと思ったりしたからである。そして、中沢氏のエッセイを改めて読み、原爆がどのような被害をもたらすのかを再確認した。北朝鮮に核戦争をほのめかすアメリカ人にも本当、読んでもらいたい。
 さて、それにしても広島県に隣接する島根県でのこの事件は興味深い。それは、他人への苦しみ、他人への情がないからこそ出来る非情な行動だと思う。原爆の被害者はほとんどが罪のない人々であった。その死に様はむごく、それを子供達に読ませるのは不適切であると考えることよりも、そのようなむごい死に様を二度と将来の子供達にさせないような社会を構築することを、将来の日本を背負う子供達に教えることが重要であると考えるべきであろう。そして、『はだしのゲン』よりも、その悲惨さ、その虚しさを伝えられる作品を私は寡聞にして知らない。

はだしのゲンはピカドンを忘れない (岩波ブックレット NO. 7)

はだしのゲンはピカドンを忘れない (岩波ブックレット NO. 7)

  • 作者: 中沢 啓治
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/07/23
  • メディア: 単行本



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札幌市はスープカレーこそがガストロミー的にはキラーコンテンツだと思う [B級グルメ雑感]

下北沢はカレーで売り出している。2012年に開始したカレー・フェスティバルはとても成功したボトムアップ型のイベントだ(http://www.hilife.or.jp/cities/?p=1412)。そして、下北沢には実際、多くのカレー屋があり、駅から800メートル圏内のカレー店の数は、中央線の高円寺・中野や同じ世田谷区の三軒茶屋などのサブカル・シティのライバルに比べても多い。さて、しかし、下北沢の人気カレー店はあまり下北沢発ではない。もちろんムーナとか茄子オヤジといった下北発のカレーの名店もあるが、例えば、サムライ、マジック・スパイス、心などのスープカレー系は札幌発のカレー店である。ということで、せっかく札幌にいるのでスープカレーを食べに行くことにした。せっかくなので下北沢というか東京にはないカレー屋ということで、ピカンティというお店に行く。ここは北12条駅のそばにあるお店である。食べログによれば、札幌市内にはカレー店が560件ある。これは、ほぼ同じ規模の福岡市が373件であることを考えると、相当の数字であろう。ちなみに、人口では札幌よりずっと多い名古屋市でも508件で及ばない。仙台市はわずか207件にしか過ぎない。つまり、札幌市はなかなかのカレー都市なのである。ピカンティはそれらの中で食べログの評価では10番目。これは期待できる。
 日曜日の17時前という時間にも関わらず、結構、店は混んでいた。とはいえ、並ぶほど混んでいた訳でもない。さて、ここはスープ、具、辛さを自分で選ぶことができる。スープは4種から選ぶ。私はアーユルヴェーダのスープにした。これは薬膳系であるようだ。具はサクッとピカチキン。これはフライドチキンが中心となる。値段は1130円である。さらに、ブロッコリーと半熟卵の天麩羅をオプションでつける。そして、辛さである。辛さは1〜5まであるが、私は無料の範疇の2にする。これは最近、お腹の調子が悪いからである。さて、出てきたカレーは、野菜が固まりのような感じで出てきた。これは素材の旨さを殺さないためであろう。実際、食べてみたら野菜は別格のように美味しい。チキンも美味しい。そして、カレースープは抜群に美味しい。というよりか、スープカレーという範疇でいえば、人生で最も美味しいスープカレーかもしれない。サフランライスもよく、これは北海道の食材を使っているからなのかもしれないが、何しろ料理の素材の味がよい。それにスープの複雑でいて嵌まる味。札幌市はやはり、スープカレーこそがガストロミー的にはキラーコンテンツなんじゃないか、と思ったりもした。

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日本の在留外国人数 [グローバルな問題]

 2016年12月時点において日本で生活する在留外国人の数は238万人である。これは、日本人全体の2%にしか過ぎず、相変わらず日本には外国人が少ないなと思う。さらに国籍別にみると、一番多いのは中国人で69万人(29%)。次いで、韓国人の45万人(19%)、フィリピン人の24万人(10%)、ベトナム人の20万人(8%)、ブラジル人の18万人(8%)ということで、上位5ヶ国で全体の74%を占める。6位から10位まではネパール人(3%)、米国人(2%)、台湾人(2%)、ペルー人(2%)、タイ人(2%)である。上位10ヶ国で86%を占めている。絶対数が少ないということもあるが、多様性にも乏しい。
 その是非はともかくとして、インド人よりネパール人が多いことや、北朝鮮がベスト10に入っていないことなど結構、興味深い。まあ、ただ興味本位で調べただけだが、情報共有ということでちょっとブログにアップする。

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マッチポイント [映画批評]

ウディ・アレンの2005年の作品。「ミッドナイト・イン・パリス」、「ローマでアモーレ」、「それでも恋するバルセロナ」など、ヨーロッパ大都市ロケ編の嚆矢となるロンドン版。相当、ハラハラさせられる展開に、ちょっと驚きの結末。いや、この結末は「ウディ・アレンの重罪と軽罪」と似ているので、それを観たことがあると、それほどまでは驚かないかもしれないが、そうでないとやられたと思うかもしれない。映画の重要なシーンにて流れるオペラが重苦しく、アレンのシニカルな側面が強烈に出た作品ではあるが、そのストーリーの組み立ては素晴らしく、画面に引き込まれる。しかし、このシニカルさはアメリカ人的ではなく、むしろこの映画の舞台となったイギリス人的である印象を強く受ける。


マッチポイント [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
  • メディア: DVD



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旧東ドイツの人口が2000年頃に急に増えたので、その背景をチェックしてみた [グローバルな問題]

旧東ドイツの人口統計を調べていたら、突然2000年で増加していた。これは何が原因なのかキツネにつままれたような気分になったのだが、1950年から1995年までは西ベルリンは旧西ドイツであったのに、2000年からは西ベルリンが旧東ドイツに含まれるようになったからであったことが判明した。旧西ベルリンはおよそ200万人ちょっとなので、これが入ることで12%ぐらい人口が増えることになる。この急に西ベルリンが旧西ドイツに入ることで、旧東ドイツの人口減少のインパクトが統計的には誤魔化される。それを意識したかどうかは不明だが、ちょっと統計を分析するものにとっては不親切である。

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国連英検特A級を受験する [英語関連]

 先日、というか夏だが、英検1級を受験した。特に意味はないが、取りあえず英検1級ぐらい取っておいた方がいいかな、と思ったことと、最近、英語教育や語学教育に関心があるので、自分もそういう資格試験を受験することは意味があるだろうと考えたからである。当日は、知らない英単語なども出たりして、あまり手応えはなかったが合格した。
 なんか今ひとつだなあ、と思い、英検1級の上のテストはないのかとネットで調べていたら国連英検特A級というのがあり、これはどうも英検1級以上というので応募した。さて、しかし、試験勉強はせずにいて、二日前に過去問をみたら、なんと英語の問題ではなく、国連の制度や歴史についての問題が10問も出ていた。ちょっと見てみると、UNIDOの本拠地はどこか?とか南アフリカのアパルトヘイトは何年続いたか、などを聞いている。これは困った。当然、まったくちんぷんかんぷんである。どうも、しかしこの問題にはネタ本があって「Today’s Guide to the United Nations」というのがそれなのだが、それを今さら注文しても自宅に届くのは試験後である。ということで勉強する気がさらに失せた。しかも、英作文も課されるのだが、それが、世界の平和のために国連が果たすべき役割を述べよ、とか男女平等を促進させるために国連は何が出来るのか、といった質問なのである。英文力以前に、まったく国連の制度が分からないので書きようがない。これは、失敗した、と思い、もう受験する気力も完璧に失せたのだが、お金ももったいないので取りあえず受験してみた。
 試験時間は2時間で、マークシート的には80問、それに前述した英作文が課せられる。国連関係の10問は後回しにして、試験終了直前に2にでも印をつけておこうと考え、英語の設問を解き始める。結構、英単語は難しくuncouthやapotheosisなど私の知らない単語も出ている。手応えはなかったが英語の問題としては、英検1級よりやり甲斐はある。あと、最近、私は相当、熱心なトランプ・ウォッチャーになっており、アメリカの政治状況については詳しいのだが、これは問題を解くうえでは大きく役立った。
 さて、しかし国連関係の10問はほとんど分からず、また英作文もちょっとは書いてみたが、英文的にはともかく、内容的にはほとんど点がつかないだろうなあ。まあ、その結果はどうなるか分からないが、落ちても1年後ぐらいに国連の制度の勉強をして、とりあえず再受験しようかという気分にはなっている。どちらにしろ、このようにブログに書いたのでその結果は事後報告したいと考えている。

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吾妻山(西吾妻山)に登る(日本百名山27座登頂) [日本百名山]

 台風が近づいており、秋雨前線も展開している。登山をするにはまったくもって理想から遠い状況であったが、宿を予約していたので頑張ってゼミの卒業生の中君とともに東京を金曜日の朝に出発した。捻挫もまだ完治していなかったにも関わらずである。最初の目的地は蔵王山である。白石蔵王まで新幹線で行き、そこからレンタカーをして刈田岳へ向かった。刈田岳はすさまじい濃霧で、雨も降っており、とても登山をするような状況ではなかった。諦めて、金曜日の宿である白布温泉へと向かう。吾妻山の登山拠点である。白布温泉の宿泊地は中屋別館不動閣。昔から温泉旅館をしていたような老舗感のある旅館であるが、食事とかは地のものが中心で大変、好感が持てた。また温泉も掛け流しで、私の捻挫にも効いたような気がする。心持ち、足首の調子がよくなった気分である。
 さて、土曜日は朝の7時に朝食を食べた後、チェックアウト。雨は降っていないが、霧は濃い。とはいえ、雨が降っていなければ登山はできるということで、思い切って決行する。まず向かったのは天元台ロープウェイの乗車口。ここに車を駐車する。ロープウェイは8時から運行をしていたが、我々はちょっと遅れたので8時20分のロープウェイに乗る。頂上には10分ちょっとぐらいで到着する。そこからはリフトを3本乗り継ぐのだが、このリフトはなかなか時間がかかる。全部で30分以上はかかったと思う。しかも3本目のリフトに乗った時に激しい雨が降り、我々は傘を差してそれを凌いだが、傘がなければ大変なことになっていた。また、傘を差していても膝のタイツの部分に氷雨が染み込み、足が寒くなる、という経験を初めてした。長ズボンをしてくればよかったと後悔する。さて、3本目のリフトの降り場の下でレインコートに着替え、出発する。雨が降っているので最初の30分ぐらいの登り坂は沢登りのようであった。かもしか展望台は何も展望もできず、そのままスルーをして行く。いろは沼池周辺は木道が続く。二週間前の尾瀬へのハイキングから、木道が滑りやすいことを経験から知っているので、注意深く進んでいく。11時ぐらいに梵天岩に着く。ここらへんから雨も上がり、濃霧で視界は狭いが登山的にはそれほど難ではない。それから30分ほど歩いて西吾妻山に到着する。コースタイムは15分間であるが、トレイルはほとんど雨で水たまりというか池のような状況になっていたこともあり時間がかかったからである。もちろん、捻挫をしていたので、いつもより注意深く進んだということもある。
 山頂には11時40分に着いたが、視界はまったくなく、残念な山頂。下山後、聞いた話では「百名山で最も残念な山頂」という不名誉な称号もあるらしい。確かに、残念そうではある。ただ、そもそも濃霧なので、素晴らしい山頂からの展望があった方が悔しかったかもしれない。
 私も中君もお腹が空いていないので、そそくさと下山を開始する。行きにスキップをした吾妻神社に帰りは寄ってお参り。私は捻挫の足をこれ以上、挫かないで下山できますようにとお願いする。そこでツアーの一団が来て、もう雨が降るのでここで食事にして下さい、とリーダーが皆に伝える。私は、このリーダーにこれから雨が降りますか、と尋ねると、これからは天気が悪くなる一方、と言うので、急いで下山をし始める。確かに風も徐々に強くなってきているような気がする。
 さて、しかし、そこから1時間ちょっと歩き、いろは沼のところに来ると、なんとなく霧が晴れて展望も開けるような感じになっている。また、私も疲れからか捻挫をした左足の踏ん張りが効かなくなったこともあり、ここで食事をすることにした。食事はカップラーメンとドリップ式のインスタント・コーヒー。食事中に、さきほどのツアーの一団が我々を通り越していく。我々を見て、口々に「ここで食事をした方が温かそうね、雨も降っていないし」とか「雨の中で食事をさせられて大変だった」などと文句を言い始めた。気持ちは分からないでもないが、ベストの判断をしたと思っていたのに外れたリーダーの心中は複雑であろう。ベテランでも山の天気の予測は外れるということか。
 食事をしている最中にどんどんと霧は晴れてくる。中吾妻山と思しき山の稜線も見えてくる。初めて、今回の登山で頑張って登ってよかった、と思えた瞬間である。裏磐梯の素晴らしい地形を見ることはできなかったが、ある程度の展望が得られたことで、疲れも飛ぶ。45分ほど休み、最後の下りに望む。捻挫をしている足には登りより下りの方がずっと危険である。ということで、ゆっくり、ゆっくりとストックを使いながら降りていく。リフトの駅の頂上に着いたのは14時30分過ぎ。大幅にコースタイムを上回る。ただ、リフトの駅の頂上からは雲海の上に奥羽山脈の一部が見える。なかなか素晴らしい光景だ。この光景を見れたことも、今回、無理をして登山をしたご褒美であろう。
 そこから登りと同じように3つのリフトを乗り継いでロープウェイの頂上に着いたのは15時14分。ここはまだ濃霧で視野はほとんど得られないような状況にあった。ロープウェイで駐車場まで降りたのは15時30分。思ったより、なかなか長い登山になってしまった。

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<ロープウェイからの車窓の山は紅葉で彩られていた>

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<リフト乗り場は濃霧で被われていた>

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<梵天岩からの展望。吾妻山が見られる筈だが、まったく見えない>

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<吾妻山の山頂に着く>

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<吾妻山の山頂と吾妻神社の間の湿地帯>

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<吾妻神社から吾妻山を振り返るが、見えるのは霧のみ>

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<いろは沼そばの湿地帯から中吾妻山の山稜を見る>

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<いろは沼周辺の湿地帯は今回の登山のハイライトであった>

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<リフトの頂上から山形県の山々を雲海の上に望む>

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<リフトから紅葉する山々を観る>

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<リフト乗り場は行きよりさらに濃い霧で覆われていた>
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『目にあまる英語バカ』 [書評]

あまりにもストレートなタイトル、ふざけた表紙のデザインから、それほど期待もしないで読んだのだが、この本は興味深い。英語学習の根源的な問題点を見事に突いている。英語バカを揶揄してはいるが、英語を学ぶことを本質的に理解していない多くの人達への警鐘の本として、大変有益な示唆に富んでいる良書であると思う。また、なぜ日本人が英語を話せないか、という分析もとても鋭いと思われる。英語を学習することへ疑問を感じている人、英語がなかなか上手くならなくて悩んでいる人、英語コンプレックスにいたたまれない気持ちを抱いている人は、是非とも本書を読むといいと思われる。


目にあまる英語バカ

目にあまる英語バカ

  • 作者: 勢古 浩爾
  • 出版社/メーカー: 三五館
  • 発売日: 2007/03/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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紅葉の尾瀬に行く [地球探訪記]

 尾瀬を訪れる。至仏山に登ろうと思って、事前に計画を立てたのだが、8月中旬にアイスランドで捻挫した足が回復していない。ということで、至仏山の登山は断念したのだが、一緒に行こうと計画していた友人は登りたい、というので私も一緒に付き合って行くことにしたのである。宿泊したのは鳩待山荘である。鳩待山荘までは一般車両は通行禁止なので、その手前の戸倉で駐車をして、乗り合いバスに乗り換える。20分ぐらいで鳩待山荘のある鳩待峠に着く。鳩待山荘は、お風呂もあり、トイレも洋式の水洗があったりして快適だ。しかし、相部屋ではある。ただ、我々の部屋で泊まったのは我々だけであった。
 さて、夜にはちょっと雨が降ったりしたのだが、朝は晴れていた。山荘からも至仏山の柔らかな山容が見える。紅葉が美しい。至仏山に登りたい、という強い気持ちがむくむくと頭をもたげるが、足を考えるととても無理なので、尾瀬の西の拠点である山の鼻まで往復することにした。行き50分、帰り70分なので往復2時間のコースである。7時前ぐらいに出発をした。燃えるような色をしている林の中を緩やかに降りていく。登山道は整備されており、歩きやすい筈なのだが夜の雨で濡れているために木道は滑りやすい。私も3人ほど思いっきり、腰を打つように滑った人を目撃したし、自分自身も4回ほど腰は打たなかったが滑ってバランスを崩した。普通だったら大丈夫なのだが、捻挫をしているので、捻挫をしている足が滑ると痛む。
 さて、山の鼻に着くまではほとんど森の中で展望は得られなかったのだが、尾瀬沼の入り口、山の鼻に到着すると、雄大な展望が広がる。西南に至仏山、東北の燧ヶ岳という個性的な素晴らしい山容を誇る二つの山に見守られるように尾瀬沼は広がる。東北に歩けば燧ヶ岳、西南に歩けば至仏山がアイスポットとなる。自然のランドスケープ・アーキテクトは、人間の想像力を越えた素晴らしい風景をつくりあげる。ヨセミテやバンフ、イグアスの滝とかでも感じたりすることだが、本当、自然の造形力というのは凄まじいものがあり、人間はその前でただ呆然として心を震わすことぐらいしかできない。
 足はずきずきするが、35年ぶりの尾瀬であるので、自然研究路という1キロメートルの散策路と、ちょっとだけ東北の方に向かって歩いた。尾瀬の景色は本当に素晴らしく、登山はできずとも尾瀬に来てよかったとつくづく思う。
 尾瀬はその環境保全がしっかりとしていることでも日本有数であるが、なんといっても自動車を遮断させているところが素晴らしい。つまり、尾瀬を堪能するには、それなりの努力を訪れる人に課しているのだ。自動車が入れず、つい最近までは携帯電話も入らなかった。携帯電話が入ってしまったのは、ちょっと残念ではあるが、この機械文明に疲れた人のオアシスとしての尾瀬、というのは日本人にとっての聖域のような有り難い役割を有していると思うのである。
 もちろん、尾瀬に来るまでは自動車で来たりするのだが、その中核部分は、自動車は物理的に入れない。道路整備大国である日本において、このような場所があることは本当、有り難いし、それによって日本人は救われていると思う。
 尾瀬は毎年30万人が訪れるそうである。その環境負荷は大きなものがあるだろう。アメリカの国立公園のように入園者から一律1000円ぐらいを取るといいのではないだろうか。30万人訪れるので、年間3億円の予算になる。これで尾瀬の環境保全をしたり、他の国立公園の環境整備、例えば登山道の整備などにお金を使ったりするといいと思うのである。利益者負担という考えからしても、お金を徴収するのは理に適っていると考える。

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(鳩待山荘から望んだ至仏山)

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(山の鼻から至仏山の方面を望む)

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(山の鼻から燧ヶ岳を望む)

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(至仏山の方面を山の鼻から望む)

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(至仏山の堂々とした山容)

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(10時頃には多くの人が鳩待峠から尾瀬へと向かっていた)
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人生フルーツ [映画批評]

映画「人生フルーツ」を観る。高蔵寺団地や東京の杉並区の阿佐谷団地などを設計した、都市計画家津幡修一さんと奥さん英子さんとの郊外での生活を描いた作品である。
 その暮らしぶりは、スローフードであり、サステイナブルであり、自然と共生しており、アンチ消費主義であり、そして何より高齢者であっても自立している。この郊外における田園生活は素晴らしい。一つの理想の暮らし方といってもいいであろうし、それはまさにエベネザー・ハワードが田園都市論で提示した「都市と農村の結婚」とでもいうべき美しいライフスタイルである。その暮らしを自らが設計した高蔵寺団地で実現させている津幡夫妻は流石であるし、この暮らしと、実際の日本の郊外のニュータウンの「貧相な」暮らしとを対比すると、その違いとに愕然とさせられる。
 私は以前、日本において郊外住宅地がアメリカのように不動産価値を得ることができなかったのは、郊外のライフスタイルという商品を価値あるものとして人々に訴えることができなかったからだ、と書いたことがある(「米国で始まった郊外の再生」Future of Rear Esatate, 2003 Autumn)。しかし、この映画で描かれている津幡夫妻の暮らしは、まさにこの人々が理想としたくなるような郊外生活を自らが設計に携わった高蔵寺ニュータウンで実現させているし、具体化させようとすれば出来ることを知らされて、まさにショックを受けた。
 私は大学の教員になる以前、コンサルタント会社で働いていたが、直属の上司が「郊外論」で名を知られた三浦展氏であり、彼の舌鋒鋭い郊外批判に強い影響を受けてきた。また、90年代前半にアメリカの大学で都市デザインを学んだのだが、その当時、ニュー・アーバニズムが論説を席捲しており、その郊外批判にも随分と影響を受けた。
 したがって、郊外は人間らしく住むには適していない環境であると今まで、思っていたのだが、そのような考えが浅薄であったことが、この映画、というか津幡夫妻の暮らしぶりによって思い知らされることになる。彼らの暮らしは、溢れるほどの「豊かさ」に満ちている。そして、その「豊かさ」は大都市ではとても得られることができない。
 それでは、なぜ、多くの人達はこのような「豊かさ」を郊外において実現できないのであろうか。それは、やはり、その開発のあり方に問題があったと思うのである。住宅開発をすることで、少しでもお金を儲けようといったインセンティブが優先され、そこで暮らす人が素晴らしい生活を送るうえでの舞台、環境といった考えが二の次になってしまったことが原因ではないだろうか。少なくとも津幡氏のように、そのような「豊かな」生活環境を設計できる優秀な設計者がいたのである。それなのに、そのような設計が二の次になり、効率性や採算性といったことが優先されてしまったのではないだろうか。広告の中だけの「豊かさ」だけを求めて住宅を購入し、消費者然として自ら「豊かさ」を創造しようとしなかった住民にも問題があるのかもしれない。津幡夫妻の「豊かさ」をつくりだしているのは、間違いなく、この夫妻であるということも映画は見事に描写している。
 東京では、彼がマスタープラン設計に携わった阿佐ヶ谷住宅が、最近、再開発のために壊された。阿佐ヶ谷住宅のその住宅の質の高さは、私も指摘してきたが、それに関しては、東京大学の大月教授が鋭く指摘している。ちなみに、郊外論批判の三浦展氏も阿佐ヶ谷住宅は絶賛している。そのような素晴らしい住宅でさせ壊され、野村不動産のマンションが建ってしまうのである。阿佐ヶ谷住宅は素晴らしい公共性を有していた。現在は、それらの公共性は失われてしまっている。そのような公共性を犠牲にする開発を進めさせる行政にも問題があるだろう。
 「人生フルーツ」に心を揺さぶられたならば、今でもまだ多少残っている、これら「豊かな都市空間・生活空間」を維持することに力を入れるべきではないだろうか。立石駅の南口の商店街などや、下北沢の駅前(これはもうほとんど臨終状態かもしれないが)などの開発も、そのような「豊かさ」を破壊する都市開発行為であるだろう。
 観る者に感動を与える素晴らしい映画作品であると思うが、同時に、津幡夫妻の生き様は、現在の我々の置かれている状況を鋭く批判しているとも捉えられる。

下記HP参照。
http://life-is-fruity.com

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(この素晴らしい公共性を有した「素晴らしい生活環境」の阿佐ヶ谷住宅も結局、壊されてしまった)

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世界は人を中心とした都市空間をつくっているのに、なぜ日本は逆行するのだろうか [都市デザイン]

 ウォーク21という学会に参加している。7月に宇都宮共和大学に呼ばれて講演をした。そのとき、元宇都宮大学の古池教授と知り合い、都市交通、都市デザインの話をいろいろとさせていただく。その話の中で、ウォーク21という学会があり、結構、面白いですよ、と言われたので、今年度は研究費も全然ないのだが自腹覚悟でカナダのカルガリーまで訪れた。なぜ、訪れたのか。それは、このテーマは今後、重要な位置づけを社会的に持つかもしれないし、私は大学院の頃から、人間中心の空間づくりに強い関心を抱いていたので、今後、この学会に発表をしようかとも思ったからである。
 それにしても、「歩く」空間づくりのために国際学会が設置されるというのは、それだけ「歩く」環境が貧相であり、それをしっかりと確保するためには努力が必要な状況になっていることを示唆している。この学会は今年で10周年らしいので、徐々に拡大しているような印象を受ける。
 ちょっと前、堺屋太一が「歩ける都市づくり」ということを提唱しており、そもそも「歩ける都市」を歩けなくしたのは、国土交通省を始めとした役所であろうに、元役人が何を言っているのだ、と思っていたりしたのだが、確かにこの「歩ける」環境を復活させることは日本の都市においても重要な課題になっているのかな、とウォーク21の講演を聴きながら思ったりもした。
 カナダの都市や田舎町のビフォア・アフターを比較すると、随分と歩行環境がよくなっている。ポイントは「人」を中心に、「人」の利便性や快適性を「自動車」に優先させることである。これは、カナダだけではなく、ヨーロッパでは顕著に、アメリカでもニューヨークやシアトルを先導に徐々に見られている現象であるが、日本は真逆なことをしている。
 ようやく、どうにか姫路でトランジット・モールが日本においてもつくられたが、ヴァンクーバーやデンバー、シアトル、ポートランドのものに比べればまだまだ今ひとつである。しかし、その今ひとつのものを整備するのに、奇跡的な幸運と専門家の優れたセンス、住民の強い意志が必要であった。そして、下北沢のような世界的にも注目を浴びるアーバンな都市空間を壊す広幅員の道路が強引につくられてしまうのが日本なのである。
 世界のトレンドにまさに日本は逆行しているな、というのをこのウォーク21という会議で改めて知る。そして、このように世界の流れに逆行している果てには、国の衰亡が待っているのではないか、と最近は強く考えるようになっている。人類の進化に逆行している、ある意味で北朝鮮的な膠着状態にあるのが、日本という国なのではないか、と思いつつあるのだ。
 「歩く」ことから随分と話題が飛躍してしまったが、この衰亡する日本というのも、私のちょっとしたテーマにしたいとも思っている。

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カルガリーに初めて来る [地球探訪記]

 学会でカルガリーに来る。初めてである。同じアルバータ州にあるエドモントンには1990年頃に来たことがある。当時、脚光を浴びていたエドモントン・モールを視察に行ったのだ。取材もしたかと思う。当時は今と比べて、ネットもなかったので情報収集に四年がなかったのだ。しかし、アルバータ州の州都であるカルガリーは初めてである。
 カルガリーの印象は、道路がおそろしく広いことと、ロッキー山脈に1時間ぐらいで行けるところに位置しているのだが、大平原のミドル・オブ・ノーホエア(middle of nowhere)のようなところで、町も灰色とヴェージュ色といったあまりカラフルではない印象を受けている。ネヴァダ州やブラジリアなどに似ているのかな、と思ったりもするが、ネヴァダ州やブラジリアの方が茶系の色が多彩である。ジョージア・オキーフィーは東海岸からニューメキシコに移った理由を、色彩の貧しいところから色彩の豊かなところに行きたかったからだと言ったが、彼女はカルガリーにはいられなかっただろうなあ、と思ったりもする。何しろ、色彩的には単調でそういう意味では視覚的刺激には乏しい印象を受ける。
 そして、都心部はいきなりダラスのような感じの高層ビルが林立するような景観が展開している。カルガリーもダラスのように石油で豊かになった都市だ。そして、同じようにカウボーイ文化を引き継いでいる。まあ、都市としては感心しないな、というのが第一印象であるが、歩行者モールをつくったり、ライトレールを整備したり、魅力的にしようと努力していることはうかがえる。ここらへんもダラスと似ている。これから考えも変わるかもしれないが、とりあえず第一印象を記させてもらう。

タグ:カルガリー
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カルガリー空港から市内へとバスで移動する [地球探訪記]

 カルガリー空港から市内へと通常のバスで移動することにした。というのは、カナダの物価の高さに辟易していたからである。タクシーに乗るとおそらく50ドル以上がかかりそうだ。リムジンは15ドルでそれほど悪くはないが、なかなか来そうもないし、朝7時30分なので窓口が閉まっている(8時から開くそうだ)。ということで、普通のバスで行くことにした。これだと10ドルである。
 さて、乗車時は私以外には1人しか乗っていないので、これはど赤字だろうな、と思っていたのだが、実はこのバス、郊外の住宅地を縫っていく通勤・通学バス路線であったのだ。ということで、都心に近づくにつれ、どんどん人が乗ってくる。
 通勤・通学時間とものの見事に重なったようだ。徐々に大変な状況になってきて、立つ人も出てきた。今回、カルガリーに来た理由は学会に参加するためであり、余裕で間に合うかと思っていたが、もしかしたら遅刻するかもしれない。遅刻するコストを考えたのであれば、タクシーに乗ってもよかったかもしれない。とはいえ、カルガリーは昨年(2016年)、空港を大幅に拡張したのだが、アクセスを全然、計画していないのはいただけない。すぐそばまでライトレールが走っているのに、なぜ空港にまで繋げなかったのであろうか。もったいない。

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ヴァンクーバーのロブソン・スクエア [都市デザイン]

 ヴァンクーバーに13年ぶりぐらいに訪れる。とはいえ、以前来た時はウィスラーに行く途中にちょっと寄っただけなので、街中を歩いたのは20年ぶりである。そのときには環境庁の仕事で来たので、市役所への取材もしたりして、ロブソン・スクエアやエヴァーグリーン・ビルディングなど環境に配慮したプロジェクトを視察した。それから20年間、ロブソン・スクエアは多少、疲れた感が裁判所の建物などでは見られない訳ではないが、相変わらず、ヴァンクーバーの都心の象徴として、素晴らしい公共性と存在感を放っている。というか、都市の中心が裁判所と美術館とアイススケート・リンクと大学って、それだけでその都市に好感を持ってしまうのではないだろうか。ちなみに、市役所は川向こうで都心から離れたところにある。
 そして、ロブソン・スクエアを何より素晴らしくしているのは、目抜き通りであるロブソン・ストリートのスクエアを横断する一画だけ、歩行者専用空間にしていることである。しかも、道路の幅員などはそのままにしてあり、単に舗装と衝立だけで、そこは自動車が通れず、人間の空間であると表現しているのである。その極めて簡単な対処が、逆に、ロブソン・スクエアの広場性、ヒューマン性を示していると思われる。素晴らしい。

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(ロブソン通りはこの一画だけ自動車が遮断されている)

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(ロブソン通り)

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(自動車を通行止めにしているのは、こんな簡素な柵)

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(美術館がロブソン・スクエアの一画を占めている)




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エアフルト、レーゲンスブルク、ハレが第二次世界大戦で被爆をほとんど受けなかったドイツの地方拠点クラスの都市である [都市デザイン]

 エアフルトに学生を連れて来ている。エアフルト大学の学生達にガイドをしてもらい、クレーマー橋や大聖堂、旧市街地、プラッテンバウ団地などを訪れた。エアフルトは第二次世界大戦の爆撃がほとんどされない都市であるため、旧市街地が比較的よく保全されている。エアフルトは第二次世界大戦前までは、工業が発展しておらず、ナチスの拠点もなかったことが幸いしたようだ。デッサウとは対照的である。これは、人口が15万人程度ある地方拠点都市としては、相当珍しいことだそうだ。
 他にエアフルトのように戦災の爆撃を免れた地方拠点都市は、レーゲンスブルクとハレであるそうだ。レーゲンスブルクは旧市街地区が世界遺産に指定されている。ハレは皮肉なことに社会主義時代に、これら歴史地区が人為的に壊された。実はエアフルトも80年代に旧市街地を縦断するような大通りが計画され、周辺には近代的な団地がつくられる筈だったのだが、東西ドイツが統一されたので計画は反故になったのだ。この計画が遂行されたら、エアフルトもハレと同様の道を辿っていたであろう。そういう意味では第二次世界大戦と社会主義という二つの難事をくぐり抜けたエアフルトは、本当にラッキーであったと思う。このような話を聞くと、都市運命論のような考えがちょっと頭をよぎる。

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(クレーマー橋)

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(大聖堂そばにある丘からのエアフルトの展望)

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パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊 [映画批評]

機内でパイレーツ・オブ・カリビアンの5作目、『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』を見た。あまり期待もしなかったのだが、単純に楽しめた。ジェットコースターに乗ったような感覚とでもいえばいいのだろうか。心に残るようなシーンも感動するようなストーリーも一切なかったが、なんかすっきりと楽しめる。少年ジャンプの漫画の方が内容も濃いような気がする中身の無さだが、まあ、たまには頭を空っぽにして楽しめるような映画も悪くはないかもしれない。100%娯楽作品ではあるが、娯楽作品の中では質は高いような感想を抱いた。ハリウッド映画の典型であるような作品であろう。

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ウォルター・ベッカーの訃報に接して [ロック音楽]

 スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが亡くなった。享年67歳である。スティーリー・ダンは、そのアレンジの複雑さ、変態的な詩などの特異性で、独特の存在感を放ちつつ、それでいてポピュラリティを獲得したロック史上、極めて希有なバンドの一つであろう。そのスティーリー・ダンという二人組ユニットの一人、ウォルター・ベッカーが9月3日に亡くなった。
 ウォルター・ベッカーの訃報に接して、「世界的ミュージシャン」(http://rocketnews24.com/2017/09/04/950141/)、「巨星が旅立った」(https://dailynet366.com/7165.html)などとウェブサイトなどで書かれている。しかし、私はウォルター・ベッカーの偉大さというのが、今日までよく理解できていないので、これらの形容詞にちょっと違和感を覚えたりもする。
 スティーリー・ダンは圧倒的にドナルド・フェーゲンが目立っている。ボーカルを取るのも彼だし、作曲をするのもほとんどが彼である。ウォルター・ベッカーはギター・ベースの担当ではあるが、スティーリー・ダンの初期はスカンク・ジェフ・バクスターが目立ち過ぎるスーパー・ギターを披露して、彼が脱退してドゥービー・ブラザースに移った後は、ラリー・カールトン、ジェイ・クレイドン、チャック・レイニーなど当代超一流のギタリスト、ベーシストを雇い、レコーディングをした。ということで、アレンジャーとしては超一流かもしれないが、ギタリストとしてどこが凄いのか、と言うと、私が勉強不足かもしれないがよく分かっていないのだ。
 というのも、私はスティーリー・ダンのコピーバンドでギターを担当していたことがあるので、バッキングがお洒落とか、ここでこのコードか、と感心することは多くあったが、ギタリストとして、おお、これはなかなかのプレイだ、と思ったのは、Josieのギター・ソロぐらいだけであったからである。
 とはいいつつも、私が大好きであったバンド、スティーリー・ダンの片割れであるウォルター・ベッカーの訃報には、大きなショックを受けたのは確かである。9月24日のドナルド・フェーゲンのコンサートに私は行くのだが、期せずして追悼コンサートになってしまった。もう少し、ベッカーの偉大さが理解できるように、ちょっと勉強をしなくてはならない気分になっている。

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ジョン・オリバーの日本へのギャグは、日本という国が世界からどのように見られているのかがよく分かる。 [グローバルな問題]

 ちょっと前の話になってしまうが、アメリカのHBOで活躍するイギリス人コメディアンのジョン・オリバーが、日本が安保法を2015年9月に成立したことを受けて彼がホストをしているLast Week Tonightでコメントしているのを視た。
https://www.youtube.com/watch?v=s14qCFC5RwI
 ジョン・オリバーの指摘は結構、的確であり、イギリス人らしい皮肉に溢れたコメントは、笑いを誘う。とはいえ、この番組で報道されている日本の姿は、まさに事実ではあるのだが、ちょっと不気味である。AKB48がビキニ姿で踊っている姿をみて、私は北朝鮮の喜び組を彷彿してしまった。自分が日本人であるので、こういうのを書くのは大変気が引けるが、世界的な観点からすると、ちょっと異常というか理解不能なイメージを抱かれてしまうというのも致し方ないかなと思ってしまった。このような理解不能なイメージを、しっかりと世界の人に納得してもらうように努力をすることが、これから世界で活躍する日本人には課せられるであろう。
 随分前だが、私はアメリカで大学院に通っていたが、日本好きでロック好きの友人に自信を持って「森高千里」のビデオを家で見せたら、ドン引きさせられたことがある。AKB48はまったくフォローできない私でも森高千里は許容範囲である。それでも、日本好きで日本に住んだこともあるアメリカ人でさえ、それは許容範囲外であった。そういう変態(ジョン・オリバーは冒頭で、日本のことを「地球の変態おじさん」と紹介して、聴衆に受けている)性を有している、というか世界では変態的に思われているという前提で、変態でも危険ではない、変態でもいいところもある、といった日本人イメージを日本人一人一人が発信していき、理解をしてもらうしか方法はないのかもしれない、と思ったりもした。というか、ジョン・オリバーのこのユーチューブはしっかりと見るといいと思う。

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コンパクト・シティがなかなか具体化しないのは、その効用が薄いからではないか [都市デザイン]

 建築学会で北海道の縮小地域(空知地方)では、なかなかコンパクト化が図られていないという調査発表を聞いた。興味深い調査である。なぜ、行われていないのか。それは、北海道の空知地方はコンパクト化をさせるメリットがおそらくないからである。コンパクト・シティというのは、ヨーロッパでは「ヨーロッパ型都市」と言われる。都市計画的には、ちょっとした理想な都市構造である。私も個人的にこのような都市構造を形成することを計画的に促すようなことを考えるとわくわくする。ただ、おそらく空知地方においては、コンパクト・シティを検討させることは難しいと思われるのである。
 というのは、ヨーロッパにおいてもそうだが、コンパクト・シティは旧市街地という城壁内のコミュニティが核となっている。そして、それをコンパクト化させるためにトラムが公共交通の中心となって機能している(もちろん例外もあり、例えばミュンスターは自転車を中心に、アーヘンのようにバスを中心としている。ただし、これらの都市、特にアーヘンはコンパクト化においては必ずしもトラムの都市に比べてそれほどしっかりとしていないと思われる)。それは、モータリゼーションが空知地方のように徹底した場所においては、コンパクト化は不可逆反応のように理不尽であると思われるのだ。
 つまり、モータリゼーションが進展する以前に都市政策として指向するならそれなりにコンパクト化を促すことができるかもしれないが、既にモータリゼーションでだらしなくスプロール化が展開した後では、コンパクト化する意味が住民ベースではない。それは、コンパクト化するべく集積が、空知地方のように縮小している地域では不在だからである。
 旧東ドイツのように、ほとんどの人が賃貸住宅に住み、多くの住宅を寡占化された住宅会社が所有している場合は、撤去+集積、というアプローチは可能である。したがって、日本においても元住都公団が開発したようなニュータウンにおいてはコンパクト化をすることが可能かもしれない。しかし、地域においては手法としても極めて難しいだけでなく、そもそも、その必然性を住民や行政が感じているのか。今日、聞いた研究発表では、そのようなものは不在であるということが透かし彫りのように浮かんでくるような印象を受けた。これは、私の将来の研究テーマの候補の一つになり得るでしょう。


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縮小自治体に求められるのは役場の「本気度」という話 [サステイナブルな問題]

 地域活性学会のパネル・ディスカッションを拝聴する。島根県の海士町、雲南市、浜田市、邑南町の発表を聞いたのが、傾聴に値するのは海士町と邑南町だけのような印象を受けた。この二つの自治体は、問題の深刻さが違うからかもしれないが、本質的な問題解消のためのアプローチを採っているという印象を受けたが、浜田市と雲南市はどちらかというと机上の空論的な印象、地に足が着いていないような印象を今でも受ける。浜田市はシングルパレンツの取り組みで興味深いことをしているが、その主張が400万円も補助金をつけているということだった。それって、市民が一人当たり80円を補助するということだ。80円というとそれほど大きくはないかもしれないが、それだけのメリットが本当にあるのか。国の補助金を使うにしても、その補助金の多さで、その事業の大きさを伝えようとする取り組みに私は懐疑的な眼差しをもってみてしまっていた。ちょっと、このような備忘録だけで書いてしまうのは、無責任かもしれないが、海士町と邑南町は、その問題を自らのものとして意識し、自ら問題解消に取り組んでいる。それに比して、浜田市や雲南市は、補助金を当てにしたり、ふるさと納税を当てにしたり、内発的に発展するようなシステムをつくろうとしていない印象を受ける。外部依存をしている限りは、地方の衰退というトレンドを反転させることは難しいのではないだろうか。これは、徳島県の神山町や、広島県の尾道市、長野県の小布施町、などでも感じたことである。
 このパネル・ディスカッションの最後の方で、海士町のパネリストが、「何しろ重要なのは役場の本気度」と述べられたが、それは私からすると雲南市や浜田市の人への皮肉のようにも聞こえた。いや、それは私が聞こえただけで、実際はそのようなことを意図してはいなかったかと思うが、まあ、この「本気」ということが何しろ地域が問われていることではないかと思われる。邑南町の町長もまさに、この「本気度」が重要であるかを最後の発言で問うた。彼は島根県立大学の本気度の弱さを、早稲田大学の本気度と比較して指摘していた。「島根県には公務員と銀行しかありませんと言っていたら、島根県は潰れてしまいます」とまで言った。これは、これまで相当のフラストレーションと理不尽を体験した人だからこそ出てきてしまった本音であろう。興味深いパネルディスカッションであった。

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東京と地方の大きな格差は寿司屋の質である。 [地域興し]

島根県の浜田市に学会を訪れる。私の発表は午後の遅い時間、空港に着いたのがお昼過ぎ、ということで浜田市で昼食を取ることにした。こういう時に、本当に役立つのが食べログである。ということで食べログでチェックすると、なかなか評価の高いお寿司屋さんを見つけた。昨晩もお寿司だったので、ちょっと連チャンはなあ、と思ったりもしたが、比較するにはいいタイミングかと思い、この店に入った。ランチ・メニューで「季節のちらし寿司」(税込み1510円)を注文する。ちょっと東京の感覚だと1.5倍は高い。しかし、「季節」と書いているので旬のもの、場合によってはノドグロぐらいもついてくるかな、とノドグロの季節がいつか分かっていない私は勝手に甘い期待を抱く。
 さて、出てきたちらし寿司は、鯖、イカ、まぐろ、海老(甘エビではない)、いくら、さんまなど、どこが「季節」か分からない定番もの(さんまが季節もの?)だらけであり、まったく浜田のオーセンティシティが感じられるようなものではなかった。そして味は今ひとつ。これは、本当に最近、地方の寿司屋さんに入って感じるところだが、あきらかに東京と地方とでは寿司のクオリティに驚くほどの差があるのだ。もちろん、東京の方が美味しい。しかも、東京の方が安い。お寿司屋を食べ比べると、本当、この点こそ東京と地方との格差ではないか、と痛烈に感じさせられる。三ヶ月前に境港に行った時もそう思った。北海道や富山、鹿児島とかだと、まあ、東京でも行くかな、というぐらいのレベルのお寿司屋さんがないわけではないが、それでも東京のお寿司屋さんの方がコスパでは秀でている。それが、浜田や境港ぐらいの規模の都市だと、もう惨敗であり、おそらく東京にあったら閑古鳥が鳴くであろうといったお寿司屋さんが地元では名店で鳴らしていたりする。ちなみに、浜田も境港のお寿司屋さんも食べログでの評価は3.5以上である。私は3より高い点はとてもじゃないがつけられない。
 このような状況から推察されるのは、地方都市はグローバル経済下で競争するという覚悟のようなものが欠如しているのではないだろうか、ということである。私は地方が消滅するとは思わないが、地方の人が思っているよりも、遙かに東京と地方との差は拡大しているような気がする。それが、お寿司であるということに気づいている人はまだ多くはないだろうが。

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大学の進学先を理系・文系の入試試験の点数の取りやすさで決める愚 [教育論]

 長女が大学院に合格した。中学も大学も第一志望に落ちたので、心配していたが、本人は落ちたら院浪する気持ちだったので、返って落ち着いて受験できたようだ。まあ、長女の弱点は必要以上に緊張して、本場で実力を発揮できないということなので、ある程度、吹っ切れて受験できたのが功を奏したようである。
 さて、それにしても思い出すのは、彼女が高校時代の進路相談で担任から「理系は無理だから文系にしなさい」と指導されたことである。私は理系の大学だって偏差値が70から30まで幅広くあるのだから、別に偏差値が低いところにいけばいいと反論して、この担任のアドバイスには耳をまったく傾けなかった。というか、大学に行く目的とは、将来に歩むべき道の基礎的土台を築くことであって、偏差値が高いところに取りあえず行くということでは決してない。長女に文系に進ませて、何をさせようと当時の担任は考えていたのであろうか。いや、長女が営業をできるような社交的なキャラであったり、歴史に強い関心を持っていたり、文学オタクであったりすれば、文系に行くということを進めるというのは理に適っているであろう。しかし、長女はまったく無愛想で、たまに放つギャグは滑りまくり、また小説とかは読まない訳ではないが、没頭して読んだり、文章を書いたりするのが好きなタイプでは決してない。一方で、色彩のセンスがよかったり、鉄道オタクだったりはした。私はそもそも理系と文系といった、まったく日本特有のガラパゴス的な分類は、血液型で人の性格を判断することと同じような愚であると思っている(私が奉職する経済学科が必要とする素養は数学である。なぜ、数学科が理系で経済学科が文系なのかはまったく理解に苦しむ)ので、理系だ、文系だ、といった分類軸で将来進むべき道を決めるという習慣は、日本教育の大きな欠陥ではないかとさえ思っている。しかも、この理系と文系というのは、単に入試でどちらの方で相対的に高得点が取れるか、というような将来の人生設計に比べれば、はるかに矮小な理由で決められているのである。高校時代こそ、将来のビジョンをしっかりと考えるいい機会であるにも関わらず、目先の大学受験のことだけで進路を選ぶことの愚を、高校の先生がむしろ学生に指導しなくてはならないのに、逆の状況が跋扈しているのは間違っている。
 私は、このようなシステム自体に反対であるが、自分自身はまことにもって微力なので、そのシステムを変えるようなことはできない。しかし、自分の子供をその弊害から守るぐらいのことはできる。
 長女は某国立大学の建築学科の大学院に進むことになる。ブラック業界の建築の世界で生きていくことになるのであろうが、手に職をつければ気が利かずに営業ができないような女の子でも、文学を深く鑑賞するような感受性がなくても、無愛想で接客とかに向いてなくても、どうにか生きてはいけると思うのである。ということで、親としては取りあえずは一安心した次第であるし、間違っても文系に進学させなくてよかったと改めて思うのである。

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海士町はなぜIターンが多いのか、その理由をちょっと理解したような気がする [都市デザイン]

 島根県浜田市で開催された地域活性学会に参加したのだが、そこで島根県海士町の大江課長の話を聞いた。海士町はIターンが多い町として知られている。人口は約2400人であるが、Iターンの移住者はそのうちの1割にも及び、それらの人の多くが20代〜40代である。
 なぜ、このような状況をつくりだすことに成功したのであろうか。それは、まず町経営のコンセプトとして「ないものはない」ということを掲げたことであろう。これは、外発的な発展を期待するのではなく、内発的な発展をするしかない、という覚悟を示すうえで非常に効いたコンセプト、モットーであったと思われる。
 そして、さらに行政経営のサステイナビリティを高めるために、町長が自らの給与を5割カットするという英断に出た。この流れを受けて、町役場の職員も3割給与をカットする。このような行政による本気の取り組みが、現在の海士町の魅力を創造するのに繋がったのであろう。
 私は、サラリーマンは街づくりは出来ない、ということを主張しているもので、このサラリーマンには役人も含まれていたのだが、それはあくまでも精神性の問題であって、公務員でも海士町のような覚悟と責任感を持っていれば、町を再生し、元気にすることが可能であることを海士町は私に知らしめてくれた。大変、興味深い事例である。

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アイスランドのブルーラグーンを訪れる [地球探訪記]

アイスランドの大観光施設の一つとして、ブルーラグーンというものがある。これは、まあ巨大な温泉プールなのだが、アイスランドの観光パンフレットなどには必ず掲載されているような観光スポットなのである。マスト・シー的な観光地である。ということで、せっかくアイスランドに来ているのである。行くことを検討した。ここは予約制で、インターネットで予約ができるのであるが、ウェブサイトをみて驚いた。ほとんど売り切れであり、我々の滞在期間中で行けるのは翌日の夜の11時からのコースのみであった。ちなみに閉店するのは12時である。これは、まあ行かなくてもしょうがないかな、と思ったのだが、紅一点のツアー参加者が絶対行く、とそもそも行かないという選択肢がないような迫力をもって迫ってきたので、他の男性3名もそれじゃあ、ということで11時からのコースを予約して行くことにした。
 さて、このブルーラグーンであるが、べらぼうに高い。最も安いコースでも日本円で6100円ぐらいで、これはタオルもつかない。ただ、次のコースは8100円でタオルやパック・サービスがつくが、2000円の付加価値があるとはとても思えない。ということで、当然のごとく6100円コース。
 また、このブルーラグーンは勝手にレイキャビク市内にある施設であると思っていたら、なんとレイキャビクから車で40分ぐらいも離れた荒涼たる何もないところに存在していることが分かった。ほぼ空港と同じぐらいの距離である。レンタカーをしているからいいようなものの、タクシーで行ったら4人でも相当の金額になったのではないかと思われる。
 ともかく、夜の11時、8月のアイスランドでも流石に暗くなり、星も出始める頃、我々はブルーラグーンに着いた。そこは、暗闇を引き裂くかのように、施設から出る光が湯気をスクリーンに周囲を照らしている。
 さて、このブルーラグーンだが、感想を一言でいえば今ひとつである。ただ、ここで今ひとつと思うのは、私が日本人であるからであろう。それは、一言で表せばレジャー温泉。常磐ハワイアンセンターのようなものである。今ひとつの理由は幾つかあるが、まず温度が37度〜39度と温い。周囲の気温は8月でも夜の11時だと10度前後なので、相当身体を温めないとお湯から出られない。そして、何より気になるのは、この温泉は天然温泉ではなく、隣接する地熱発電所の熱で水を温めているだけという代物であることだ。そして、2日に一回はお湯を変えているそうだが、掛け流し温泉を楽しんでいる我々、日本人からすると、ちょっと今ひとつと思わざるを得ない。
 このお湯自体は、珪酸塩を多く含んでおり、そういう点ではちょっと温泉に入っているような効果がある訳だが、温泉文化的な観点からは、私は日本の方が圧倒的に優れているし、洗練されているような印象を受けた。まあ、ライバルというか比較対象になるのは常磐ハワイアンセンターであろうか。常磐ハワイアンセンターも炭鉱から出たお湯の二次的利用と雇用創出といった観点からつくられたことを考えても、それは似ていると思う。
 ちなみにブルーラグーンがつくられた経緯としては、ここに1976年につくられた地熱発電所から出た排水によってつくられたプールに1981年から、人が入り始め、その健康効果みたいなのが語られ初めて、人気を博し、1992年にブルーラグーン株式会社がつくられた、ということだそうだ。知り合いのアイスランド人は、とんでもないクレイジーな人が発想した、と批判的な意見を述べていた。
 とはいっても、このブルーラグーンは常磐ハワイアンセンターなんかよりも、遙かに人気があるように思われる。それは、アイスランドの数少ない観光地ということもあるだろうが、なんかマーケティングをうまくしているような気がしなくもない。日本の温泉なんかもインバウンドの観光客を集客するのに参考となるような点もあるかもしれない。

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アイスランドの観光の定番、ゴールデン・サークルをめぐる [地球探訪記]

アイスランドに来ている。事前にどこを訪問すべきか、ろくに調べることもなかったのだが、到着してどうもゴールデン・サークルというのが定番の観光ルートであることを知った。せっかく、高いお金を払ってレンタカーを借りていることもあるので、早速、ここに行くことにした。さて、このゴールデン・サークルというのは、シンクヴェトリル国立公園、グトルフォスの滝、ゲイシールの間欠泉のビッグ・スリーとケリズの溶岩湖などの観光地を円環状に周遊する観光ルートである。
 レイキャビクからこの円環を時計回りに巡ると、最初に訪れるのはシンクヴェトリル国立公園になる。アイスランドには国立公園が3つしかないので、これは大変貴重な自然環境であろうし、世界遺産にも指定されている。どんなに素晴らしいアイスランドの大自然が体験できるのか、と大変期待をして訪れた。駐車場には驚くほど多くの車が駐車しており、大人気観光スポットであることが分かる。
 シンクヴェトリル国立公園は、大西洋中央海嶺の割れ目が地表に唯一現れたところだそうだ。どんなに凄いランドスケープに遭遇できるのか。大変、期待したのだが、この割れ目はまったく大したものではなく、日本でいえば浅間山とか十勝岳の方がはるかに迫力はあった。地質学的には大変貴重で面白いのであろうが、ランドスケープとしてはそれほど人の心に訴えかけるものはない。その地質学的重要性があって初めて、その有り難みが分かるが、私は正直、がっかりした。もう少し、ゆっくりといろいろと見れば、面白いものがあったのかもしれないのだが、何しろ風が強くて寒い。とても、ゆっくりと見るような余裕もなく、そそくさと車に戻ってしまった。
 次に訪れたのは、グトルフォスの滝である。これは、クヴィータアゥ川がそのまま滝として32メートル落ちるので、なかなかの迫力ではあるが、イグアスの滝を4回ほど見ている私にとっては、それほど感銘を受けるものではない。しかし、見て損をするというものでは決してない。この滝には水力発電所がつくられる計画があったのだが、反対運動によって頓挫した。今、アイスランドは観光産業が非常に同国の経済にとって重要になっているのだが、グトルフォスの滝があるかどうかでは、観光客の満足度が随分と違ったであろう。最近の観光情報は、SNSが大きな役割を担っているが、そういう点では観光客の満足度はとても重要である。グトルフォスの滝を水力発電所にしなかったことは、国の命運を分かつような重要な岐路であったと思われる。
 そして、3カ所目はゲイシール。ゲイシールというのは、間欠泉の語源にもなった立派な間欠泉なのだそうだが、現在は活動を休止して、その隣のストロックル間欠泉が噴出しているだけだそうだ。ただ、このような間欠泉はヨーロッパでは極めて珍しいようだが、日本では別府温泉を始め、それほど珍しくない。日本に住んでいると温泉関係の地形は珍しくも何ともないが、世界的にみると珍しいのだな、ということがアイスランドの温泉観光地のしょぼさで気づいたりする。ちなみにアメリカのイエローストーン国立公園のオールド・フェイスフルやその一帯の方が、はるかにこのアイスランドのゲイシールより迫力があり、興味深い。別府温泉やイエローストーンをメイジャー・リーグレベルだとすると、ここは高校野球の都大会予選という感じだ。
 ゲイシールからはケリズの溶岩湖を訪れた。ここは、なぜか入場料を取られる。このような溶岩湖は、その美しさで知られているが、このケリズの溶岩湖も一見する価値はあると思う。ただ、オレゴン州のクレーター湖の鬼気迫るような美しい青とは比べようがない。ただ、せっかくゴールデン・サークルを巡っているなら足を伸ばした方がいいとは思う。
 ちなみに昼食は、ゲイシールの手前にあるエフスティ・ダルル農場でとった。ここはホテルとレストランが一緒になっているところで、我々は何の前情報もなく行ったのだが、なかなか食事は美味しくて感心した。特に羊はお勧めである。
 しっかりと事前に調べておらず、行き当たりばったりのゴールデン・サークルのツアーであったが、ここは死ぬまで絶対行くべきである、といった迫力のある自然とは出会えなかった。これは、ちょっと残念ではある。アイスランドに行く前に、イグアスの滝、イエローストーン国立公園、クレーター・レーク国立公園などに行くべきであろうと思う。とはいえ、行く価値がないとはまったく思っていない。その荒涼として、どこか凜とした風土・地形は私の記憶にしっかりと刻まれた。

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(シンクヴェトリル国立公園は地質学的には希有で保全すべき対象であるだろうが、それが景勝地として特別に優れているとは思えなかった)

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(シンクヴェトリル国立公園のそばで現れた雨雲に虹が架かっていた)

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(グトルフォスの滝はなかなかの迫力である。おそらくヨーロッパ一かもしれない。ただ、世界的にみると、それほど大したことはない)

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(グトルフォスの滝をちょっと行くと氷河をみられる。今回の旅行では、これが最も氷河に近づいた瞬間であった)

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(ゲイシール地区で、間欠泉が出るのを待っている観光客)

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(間欠泉はそれほど迫力はなく、イエローストーン国立公園のオールド・フェイスフルなどを挙げるまでもなく別府温泉のものに比べてもしょぼい)

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(ケリズの溶岩湖は、規模も小さいが、その青さはちょっと見る価値があると思う)
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オスロの都市計画的訪問記4(バーコード・プロジェクト) [都市デザイン]

バーコード・プロジェクトはオスロ中央駅とオペラハウスの中間にある再開発地区ビョルヴィカのミックスド・ユースのプロジェクトである。2003年から工事は開始され2016年に完成した。その規模は14.5ヘクタールでオフィス、公共空間に住宅、さらに1階には店舗が入っている。このバーコード・プロジェクトは、大変、斬新な都市計画手法を用いている。この手法は、この地区の開発に関する国際コンペで勝ったオランダのa-labとMVRDV、そして地元オスロのDark Architectsの提案によるものである。

計画案は、都市そして建築の多様性を表現することで、なおかつ歩行者にも優しい空間を提供することであった。そのために、建物がそれぞれ個性を有し、建設材料や高さ、幅なども異なり、その建物の空間には「バーコード」とよばれる隙間の空間を設置できるようにした。

この地区の計画においては、それまでとは違うアプローチとして、建物自体ではなく、建物の間の空間に注目をした。それは少なくても12メートルを確保しなくてはならないようにした。さらに、敷地面積の50%を緑地として提供させることにしたのである。そのために、建物の巨大なるファサードではなく、駅と湾との間を結ぶ回廊状の隙間ができるようにしたのである。ただし、これは極めて事態を複雑にするので、この建物のうちの一つを設計した設計事務所のスノヘッタのベテラン建築家によると、二度とこの方法は採用されなのではないかとのことだった。

ここらへんのルールは結構、複雑らしく、このようなブログを書いているにもかかわらず、しっかりと理解ができていないのだが、その結果、バーコードには11の高さや床面積、建材が異なる建物が立地している。設計者はすべて異なっている。オフィスは13.5万㎡で、住宅は3.6万㎡。駐車場はすべて地下に設置されている。

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(中央駅から見たバーコード・プロジェクトの建築群)
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オスロの都市計画的訪問記3(オペラハウス) [都市デザイン]

 経済が絶好調のノルウェー。しかし、このノルウェーにはオペラハウスがなかった。そもそもオペラハウスをつくる必要があるのか、という話から、つくるにしてもどこにつくればいいのか、といった議論は100年近くもされていたそうである。そのような中、1999年につくることを決定し、敷地も決定し、コンペが開催され、それで優勝したのが地元ノルウェーの設計集団スノヘッタであった。その後、2003年から工事は開始され、2007年に完成した。
 オスロ・オペラハウスがつくられることになったのは、オスロの中心地から東にあたる再開発地区ビョルヴィカのオスロ・フィヨルド湾沿いであった。今(2017年)でこそ、周辺は開発が進んでいるが、2007年にはオペラハウスの北を高速道路が走っているような状況であった。今では、この高速道路は地下化され、その上部空間にはトラムが走り、オフィスビルの開発(バーコード・プロジェクト)や、国立図書館、ムンク美術館などが建設中である。
 オスロ・オペラハウスはノルウェー国立オペラ・バレエ段の本拠地であり、建物面積は38500㎡で、大劇場には1364席、2つの小劇場は200〜400席を設けることができる。
 今回のオスロ訪問では、スノヘッタのベテラン女性建築家と取材をすることができた。彼女の説明によれば、オペラで留意したことは次の3点。
① 海(水)へのアクセス
② ランドマーク(アイコンとしての建築)。
③ プラザの提供。場所との個人的な繋がりをつくろうとしている。パブリック・プレースを提供することが重要。オペラ座をつくることで、空間を奪うのではなく、むしろ空間を提供する。それを所有するのは、オペラ座に観劇する人だけでなく、市民すべてである。
 また、オペラハウスは再開発地区ビョルヴィカにおいて、まさに嚆矢としての役割を果たすことが期待された。ここはフィヨルドと都心部との間を走る高速道路で完全に遮断されていた。そのため、オスロ市民にとっても、ここはアクセスができない忘れた場所となってしまったのである。そこに、オスロ市でも有数の集客の仕掛けをこのオペラハウスをつくることで展開させ、それと同時に高速道路を地下化し、周辺に文化施設の集積を図るようにしている。まだ、建設途上ではあるが、これからのオスロ市の発展を牽引するような地区がここには形成されつつある。

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(西側からみたオペラハウス)

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(屋上へと連なる緩やかな「絨毯」)

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(屋上からの展望)

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(夜には大ガラス面から漏れる光が夜景を演出する)

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(これまで遮断されていたウォーターフロントへのアクセスをも、オペラハウスは提供することに成功した。多くの人が水辺で憩っている)

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オスロの都市計画的訪問記2(ヴァルカン地区) [都市デザイン]

 オスロの北部にあるヴァルカン地区は19世紀頃にアーキャスエルヴァ川の西側に開発された工業地区であった。その後、1960年頃に工場は郊外部に移転し、この地区は塀で被われ、市民はここに入ることができないようになってしまった。跡地は雑草が生い茂り、オスロ市内でも最もイメージの悪い地区の一つとなってしまった。
 しかし、この地区は2004年にAspelin Ramm、Anthon B Nilsen Property Developersというデベロッパー会社によって、ほぼ100%民間主体でミックスドユース地区へと再開発された。そして現在では、オスロ唯一の屋内食料市場、ミシュランで一つ星のレストラン、お洒落な総菜屋などがあり、さらにはダンス・パフォーマンスが上演される舞台があるなど、オスロの人達の人気スポットへと変貌している。
開発するうえでの空間コンセプトとしては、この土地はアーキャスエルヴァ川と同川に並行して走るMaridalsveien道路とに挟まれた斜面上にあるのだが、それまで分断されていたこの川と道路を繋ぐ空間を整備することを重視した。そのためには、この土地にあった工場の建物の一部を壊さなくてはならなくなり、それに対しては地元住民が歴史建築物の保全という観点から反対したのだが、敢えて押し切った。これに関しては、取材をしたランドマーク氏によると、開発が成功するうえでは譲れない点であったからだそうだ。
 この地区にはホテルが二つあるのだが、一つは普通のホテルではない。それは、そこで働いている人が研修生であるという点である。しかも普通の研修生ではなく、それまで社会的に問題があり、通常の仕事とかが得にくい人が研修生をしている。これは、単に研修するだけでなく、社会に復帰するためのリハビリをも兼ねているそうだ。そして、このホテルの経営を支援するために、この地区に入っている企業はノルウェーでは一般的な社食を基本的には設置せずに、このホテルのレストランで食べてもらうことも推奨しているそうだ。このような試みからも、民間企業でありながら社会福祉的な視点もしっかりともった再開発ではないかと思う。
 そして環境にも意識していて、コジェネレーション・システムを導入している。これを効率的に使えるようにするためにもミックスドユースとある程度の密度の集積などを計画時点から意識をしていたそうだ。現在、ホテルで使われる75%の熱量が再利用されているそうだ。
 ミックスドユースでいろいろな用途が入っているヴァルカンであるが、その目玉施設は屋内食料市場であることは間違いない。これは、オスロというかノルウェーでは最初の屋内食料市場である。なぜ、屋内食料市場にしたかというと、開発を検討するうえで、工場の建物をみてインスピレーションを受けたためで、特に、市場調査とかをした訳ではないそうだ。ただ、スウェーデンとかにはある屋内食料市場がノルウェー、特にオスロにないのはちょっと違和感を覚えていたということはあったそうである。
 この屋内食料市場をつくるということに関しては、計画時点から相当、マスコミを中心に批判されたりしたが、結果的には大正解で、この屋内食料市場ができたことで、料理教室もでき、料理イベントも開催できるようになり、さらには、総菜屋も出店し、また、ミシュランで一つ星を取るようなレストランもここに立地することになった。屋内食料市場が核となって、ここはオスロ市のガストロミーの中心のようになってきたのである。まさに集積が集積を呼ぶという効果がここではみられた。
 ここの不動産管理をしているランドマーク氏さんに取材をしたのだが、テナント管理をしているうえで一つの物差しとしているのが、アンチ・スーパーマーケット、アンチ流通大企業であるということだそうだ。確かに、ここにはチェーン店のようなものは入っていない。それが、ガストロミーの集積地としてのステータスを高めているのであろう。
 興味深いのは、ここが民間100%の開発という点である。この空間は時間を問わず、誰でも入ってくることができるが、ここは厳密な意味ではパブリック・スペースではない。しかし、アーバンな雰囲気をつくることが不動産事業として成功するという点では不可欠との観点から、このようなアクセスが自由な空間を整備したということだそうだ。ランドマーク氏は戦略的に考えると、都市はタウンスクエアが一番、重要であるという。そして、そういう観点からは、この再開発においては屋内市場が一番、重要であると認識していたそうである。
 見事な都市再開発事業であると思われる。

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(ヴァルカン地区の案内図)

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(屋内食料市場)

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(川と道路とを結んだ計画上、極めて重要なアクセス)

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(住宅棟の上からの展望)

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(屋内食料市場の内部)

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(南北の街路。左上は駐車場やオフィス、レストラン棟が入っている建物)

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(アーキャスエルヴァ川の対岸からヴァルカン地区を望む)
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オスロ都市計画的な訪問記1 [都市デザイン]

 オスロに5泊した。主に最近、完成した3つの都心部そばの再開発地区を訪れた。現地の関係者にも取材をすることができたので、その近況を幾つかに分けて、簡単に報告したい。
 その前にオスロの概要。オスロは人口が約66万人。大都市圏だと112万を越えるノルウェー最大の都市であり、首都でもある。面積は454キロ㎡と東京都23区の4分の3程度である。人口密度だと大雑把に23区の2割程度か。オスロの首都としての歴史は古く1300年前後であったが、デンマークの実質植民地のような状況にあった時は、クリスチャニアと呼ばれていた。オスロに復帰するのは1925年以降である。また、ノルウェー最大の都市は1850年まではハンザ都市である港湾都市のベルゲンであった。そういう歴史をたどってきたので、同じスカンジナビア諸国でもコペンハーゲンや、ストックホルムのような豪壮さには欠けている。19世紀のスウェーデン支配下の時に王宮などを建てるが、どちらかというと支店的な位置づけであった。ということで歴史的建築物なども有り難みが少ない。
 したがって、都市の課題としては、そのようなアイデンティティの弱さをどう補っていくということがあるだろう。そういった視点から、1)ヴァルカン、2)オペラハウス、3)バーコードに関しての報告をしてみたい。あと、今、オスロの再開発といったらレンゾ・ピアノの設計で2012年に開業したアストルップ・ファーンリ現代美術館があるチューブホルメン地区が外せないのだが、訪問予定日の前日に捻挫をしてしまい、しっかりと視察ができていないのでそれは割愛させてもらう。また、再訪する機会があれば、ここらへんはフォローしたいと思っている。

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(オスロのウォーターフロントからの光景)
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