So-net無料ブログ作成
検索選択
前の30件 | -

宇宙団@下北沢Basement Bar (2017/03/23) [ロック音楽]

宇宙団を下北沢ベースメント・バーで観た。この日は、PoltaとyEANとの共演であったが宇宙団はトリであった。望月は黒のレスポール。一曲目は「オンタイム・ディスコ」。ライブの幕開けにふさわしいノリのいい曲だ。この曲は、「働く男と働く女」が演説調というか説教調で始まるのだが、すぐに「怒られそう」とコケティッシュな声が変わる、というアンビバレントな望月の個性がよく出ている。観客もノリノリだ。二曲目は、タイトルは知らないがこれまでの2枚のアルバムに収録されていない「チャイナって」というフレーズが印象的な、どうも中国の曲。三曲目は「Koyoi」。ベースが上手い。ベースのうねるようなフレーズだけで観客は引き込まれている。四曲目は「ファンタジア」、五曲目は「ワルツ」、六曲目は「ツアー」。「ファンタジア」と「ツアー」は私的には『星眠る島』のアルバムでも最も好きな二曲だが、その魅力はどちらとも、目まぐるしく展開する曲のドラマ性である。これはライブで再現するのは大変だと思うし、実際、ちょっと今日も完全には演奏されていないところもあったが、その素晴らしい楽曲は、まるで壮大な交響曲のような迫力を聴く者に与える。個人的には、今日のライブのクライマックスであった。この二曲を聴くためであれば、余裕で個人的には3000円は払う。あと、その間に挟んだ「ワルツ」も佳曲である。というか『星眠る島』は本当に捨て曲がない。これは、本当驚くべきことであるし、宇宙団の最大の魅力は楽曲であると改めて思われる。七曲目は「日本のヒーロー」?というおそらく新曲で、望月は「パンクバンドのようですが」と言っていたが、パンクバンドでこんな複雑なリズムを合わせることはできない。アシッド・ジャズである。というか、改めて宇宙団は演奏が上手い。楽曲のよさに目が(耳が?)いってしまう嫌いもあるし、「地味だけど情熱はある女子学生」のようなコンセプトを自らも打ち出しているので、なんか誤魔化されてしまう嫌いはあるのだが、こいつら演奏力が高い。ベースもそうだが、宇宙団の緩急入り交じった楽曲を維持するために不可欠なリズム・キープができているドラムのテクニックも相当だと思う。閑話休題。七曲目は最後の曲で「恋は宇宙」。まあ、これは鉄板ですね。鮨でいえばウニといったところか。東京事変の「群青日和」、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」、オアシスの「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」みたいな存在感を持っている。これをライブではどこに持ってくるかが重要だが、ラストか一曲目かアンコールということになるだろう。前回、私が行ったコンサートでは途中で演奏したが、途中で持ってくるのは違うであろう。やはり最後で、皆、お腹いっぱい、みたいな気分にさせてくれるのが正しいサービス精神であると思う。おまけに、この曲はベース・ソロ、ギター・ソロとあるから、そういう意味でも最後の盛り上げには適している。そして、アンコール曲は「インベーダー」。この曲の歌詞はよく分からないのだが、おじさんが歌ったらただのストーカー・ソングのような気もしないでもない。それはともかく、この曲も盛り上がる。極めて、良質なお寿司屋さんで充実したネタを食べたというような印象を受けたライブであった。こりゃ、嵌まるな。現時点では、私的には邦楽ミュージシャンでは、椎名林檎、くるり、宇宙団というようなランキングなのである。宇多田ヒカルより、遙かに宇宙団のライブには行きたいかな。下手したら本当、化ける気がする。
 
タグ:宇宙団
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

エアフルトのプラッテンバウ団地でネオナチの活動場所を視察する [グローバルな問題]

 昨日のブログで、エアフルトのプラッテンバウ団地ヘレンベルグを訪れたことを書いたが、ここに実は、ネオナチの集会が行われている場所があるというので、そこに連れて行ってもらった。壁いっぱいにネオナチのグラフィティが描かれている。私にはそれがネオナチと関係があるということはすぐ分からないが、ドイツ人にはすぐ理解できるそうである。それにしても、色使いは黒、黄色、赤。ドイツの国旗と同じ色である。これが、やはりドイツ民族らしさを象徴する色なのであろうか。好奇心から、これらの写真を撮影していたら、ここに連れてきた人に「襲われるかもしれないので気をつけて下さい」と言われた。
 このネオナチの集会には、結構、小学生ぐらいからが参加し、ヒットラーの「わが闘争」を読んだりするそうだ。私は読んだことがないが、そういう右翼心を喚起するような内容なのかもしれない。ただ、我々を連れて行ってくれたコミュニティ・ビルダーの人によれば、そのような集会に参加している若者はヒットラーの思想というよりかは、政治的活動に関心を持っているものも多いそうで、リーチアウトすると意外とコミュニケーションはできるそうである。とはいえ、有色人種がリーチアウトするのは危険であろうが。
 エアフルトはどうも相当、右翼的な活動が盛んなようで、毎週2千人のウルトラ・ライトのイベントが大聖堂広場で開催されていたそうだ。この話を私はエアフルト大学のドイツ人の知り合いから、エアフルトを発った後に聞いた。もしかしたら滞在中は、我々が過敏に反応するかもしれないので教えなかったのかもしれない。
 トランプ大統領が当選してから、アメリカでも人種差別的な暴力事件が頻発しているが、そのような傾向はドイツ(旧東ドイツ)でも見られるようになっている。いろいろと難しい舵取りが求められる時代となっている。

IMG_2202.jpg

IMG_2203.jpg
(ネオナチの集会場所でのグラフィティ)
 
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

エアフルトのプラッテンバウ団地ヘレンベルグのコミュニティ・ビルディング [サステイナブルな問題]

 エアフルトの南にあるプラッテンバウ団地ヘレンベルグというところを訪れる。ここはエアフルトの東南に位置している。1970年代に建設され、その規模は180ヘクタールである。路面電車3号線と4号線が通ってい。1990年には15282人の人口を擁していたが2004年までに凄い勢いで人口が減少し、7993人まで減るが、それ以降はなぜか人口が安定しているというところである。ただし、高齢化率は進んでおり、住民の平均年齢は45.8歳。これはエアフルトの平均年齢よりも3歳ほど高い。
 さて、そこでコミュニティ・ビルディングを展開しているプラットフォーム・エアフルト(Platform Erfurt)を訪れ、いろいろとお話を聞く。現在、このプラットフォーム・エアフルトが活動しているプログラムとして、ヘレンベルグのコミュニティ・センターで活動する者に、年間で400ユーロ補助金を与えるというものがある。ブレイク・ダンスのグループや、ダンス・グループなどが、このプログラムに参加しているそうである。
 このプログラムを運営しているのは3人+インターンシップだそうだ。とりあえず、ヘレンベルグという団地において、人々により積極的にコミュニティ活動をする動機付けを提供することなどを意図している。そのポイントは消費的に社会・コミュニティに接するのではなく、もっと能動的に責任を恐れずに活動することを促している。社会主義時代は受身であることが生き延びるために求められた。社会主義時代を体験している人達は、あまりコミュニティに関わることをしない。そのような意識を転換したいと考えている。
 そういう意味で、現在、高齢者にアウトリーチするために、毎週火曜日の10時から14時まで無料の朝ご飯を提供するというプログラムも展開している。
 いろいろと興味深い活動で、幾つか質問をした。SNSはプログラムの普及にどのように活用しているのか?と尋ねると、他の地区にはSNSは結構、効果的ではあるのだが、ここはあまり効果がないという返事がきた。また、プログラムを運営する課題に関して尋ねると、市役所に予算を毎年申請するのだが、その事務書類があまりにも面倒臭い、と回答したので私も苦笑いをしてしまった。ここでは就業時間の3分の1は、このような役所への申請書類作成とその折衝に費やされてしまう、と苦情をこぼしていた。しかも、プロポーザルでは何か新奇性が求められているので、企画書作成にも苦労をするとのことである。それにも関わらず、それを評価する時間も余裕もなく、また新しいアイデアを出さなくてはならないそうだ。
 日本も同じような状況にあるが、この役所のための仕事の多さが、まさに経済活動の障壁になっているというのは、ドイツも同じのようだ。

IMG_2199.jpg
(我々の取材に応じるプラットフォーム・エアフルトの職員)

IMG_2191.jpg
(ヘレンベルグのプラッテンバウ団地)

IMG_2193.jpg
(これは団地の建物を撤去した跡地)
nice!(1) 
共通テーマ:日記・雑感

ドイツ版の「夕張線」に乗り、夕張線の廃線のことを考える [都市デザイン]

 ドイツのエアフルト大学で夕張の話をしたら、「ドイツにも似たようなところがある。それは、ヨーハンゲオルゲンシュタットという町だ」と言われたので、早速、日曜日に訪れることにした。このヨーハンゲオルゲンシュタットはチェコとの国境沿いの町で、もう旧東ドイツの地の果てという感じではあるが、なんと鉄道が走っている。
 これはツヴィカウの中央駅とヨーハンゲオルゲンシュタットとを1時間ちょっとで結ぶ線路である。終点はヨーハンゲオルゲンシュタットなので、ヨーハンゲオルゲンシュタットが夕張であれば、これは夕張線のようなものであろうか。そういうこともあって、ツヴィカウに前日に入り込んだのだが、ツヴィカウのホテルは中心市街地にあり、中央駅からはタクシーで12ユーロ(徒歩20分ぐらい)の距離にあった。これでは、荷物を持って移動するのは無理だ。しかし、中央駅には荷物預かり所もロッカーもない。というか、中央駅と中心市街地は路面電車で結ばれているのだが、なんと土曜日と日曜日はこの路線は運休していたことが最大の計算違いであった。
 どうしよう、と思っていたら、この「ドイツ版夕張線」は日曜日も運行している中心市街地を通る路面電車の沿線の駅と400メートルぐらいの距離に駅があることが分かった。中央駅から2つめの駅である。これなら、ホテルに荷物を預けて、路面電車に乗れば「ドイツ版夕張線」に乗ることができる。
 さて、その日は日曜日ということもあり、ホテルで朝食を取ることにした。ドイツは日曜日では観光地とガソリンスタンド以外は、ほぼ閉店しているので、朝食を町中で得ることはほとんど不可能だからである。ただし、朝食は7時からであった。ということで、朝食を最速で食べて間に合う時間の列車に乗ることにした。
 ちなみに「ドイツ版夕張線」は1時間に1本走っている。さて、路面電車をツェントラムから乗り、3駅目のシュタット・ハレで降り、そこから歩いてシュデヴィッツという駅まで行く。こういう時は、iPhoneは本当に役に立つし、心強い。駅のホームには電車到着の10分ぐらい前に着いた。そこでぼんやりと列車を待っていると、鳥のさえずりが聞こえてくる。ザクセンの地方部の心穏やかになるような光景だ。
 さて、この「ドイツ版夕張線」は非電化ではあったが、なんと複線であった。途中、一本しか行き交うことがなかったから、過剰投資であると思われるのだが、昔は貨物を含めてもっと多くの列車が走っていたのかもしれない。この列車は随分と牧歌的で美しい田園風景の中を走って行く。30分ほどでちょっと大きな町に出る。随分と高いトンネルが建っている。協会も立派だ。AUEという母音が3つ重なるだけの町名は、一体、どうやって発音するのか分からない。アーユーか。ちなみに、このAUEから先は単線になり、ダンダンと山は険しくなっていく。列車は川沿いを走っていく。私はドイツの非電化の鉄道路線を結構、乗っているが、それらと比べても車窓の自然美や街並みの景観はなかなか素晴らしい。
 さて1時間ちょっとでヨーハンゲオルゲンシュタットに着いたのだが、日曜日の朝ということもあるのかもしれないが、乗客はまばらであった。平均して10人前後だと思われる。車両は2両でトイレ付き。おそらく相当の赤字であろう。しかし、ドイツではこういう赤字路線でも鉄道が運行されている。もちろん、補助金を受けているからだろうが、その補助金の根拠は何か、というと地方へのシビル・ミニマムを確保するという意識がしっかりとしているからだろう。
 ヨーハンゲオルゲンシュタットがどの程度、夕張と類似しているかは、これから調べたりしないと不明だが、夕張線が廃線になることを考えると、なぜ、このドイツ版夕張線は、しっかりと運行されているのかをしっかりと検証するべきではないかと思われるのである。
 このヨーハンゲオルゲンシュタットを含む旧東ドイツは東西ドイツの再統一以降、日本などと比べものにならないほど激しく人口が縮小した。しかし、それから27年経ち、一部の都市は人口減少が留まり、回復傾向がみられる。ライプツィヒのように1990年時にまで人口が戻ったところさえある。
 ヨーハンゲオルゲンシュタットはどうなるかはまだ不明だ。ウラン鉱山ということで、ドイツが原発を廃止する政策を決定したことで、さらにその将来は見えないであろう。しかし、その人口減少を加速化させるようなこと、例えば、ツヴィカウという地方中心都市とを結ぶ鉄道を廃線するような判断はしていない。そこに日本と大きな違いが見いだせる。夕張線だけでなく、留萌線、三江線も廃線予定である。これらの鉄道がもたらした意義を、単に鉄道会社の採算だけで見てしまっていいのだろうか。これが、本当に日本政府が地方のこれからの将来に対して考えた結論なのだろうか。高齢化が進み、地球温暖化が進み、化石燃料が枯渇していく中、地方部の交通を自動車に依存するのは愚かである。そのような愚かさは、人々をさらに地方から都市部へと移動させることになるだろう。
 自動車は無人運転される時代がくるからいいのだ、と思うのであれば、無人運転されるようになれば、さらに土地利用の高度化が移動の効率化に求められるようになって地方部は不利になるのだ。そして、その不経済によって物の値段などは都市部に比べて遙かに高くなる。
 そのようなことをいろいろと考えさせてくれた、ドイツ版の夕張線であった。

IMG_2781.jpg
(ほとんど乗客がいない車内)

IMG_2683.jpg
(美しいザクセンのフォクトランドの景色の中を列車は走る)

IMG_2698.jpg
(終点、ヨーハンゲオルゲンシュタット駅ではチェコの鉄道も入っている。チェコの国境はここから1キロメートルしか離れていない)
nice!(4) 
共通テーマ:日記・雑感

プラウエン [ドイツ便り]

 久しぶりに朋友であるフランク・ローストと会って話をする。彼はもう1998年頃からの付き合いで、ドルトムント工科大学に私が客員教授でいけたのも彼のお陰である。私が彼と知り合ったのは、彼がベルリン工科大学で教えていた時で、私と彼がフロリダのフォートラウダーデールのシンポジウムにシャロン・ズーキン女史に呼ばれて話をしたのがきっかけであった。2000年頃だったかと思う。さて、フランクとは都市にまつわる会話で、いつも止まらないほど盛り上がるのだが、旧東ドイツの縮小都市話をしていたら、ところでプラウエンに行ったか?と聞いてきた。私はプラウエンというレースの刺繍で有名な町があることは知ってはいたが、大した関心をもっていなかった。すると、フランクはプラウエンは面白いぞ、と言う。彼の面白いぞ、には絶大なる信頼を持っている私は、早速、プラウエンに向かった。プラウエンは私が滞在しているエアフルトからだと2時間30分ぐらいかかる。ゲーラで乗り換え、さらにもう一回乗り換えてプラウエンに着いた。
 プラウエンのドイツ鉄道の中央駅はおそろしく貧相で、その縮小都市感は半端ない。15年ぐらい前はこのような駅は結構、多かったが、それから随分と投資が為されて綺麗になっているので、何か懐かしささえ覚える。ただ、ドイツの都市は中央駅の貧相さでそれを過小評価すると後で酷い目に遭う。典型的なのはデュッセルドルフであるが、ブランシュヴァイクなどがまさにそうだ。どうしてかというと、多くの都市において鉄道駅は町外れにつくられるからである。さて、ただ、この貧相な中央駅に路面電車が乗り付けている。そして、この路面電車に乗って都心に向かったら、とても人口10万前後の都市とは思えないほど賑わっていた。路面電車は途中から、トランジット・モールになり自動車は入れない空間になっている。金曜日の午後ということもあるかもしれないが、道には人が溢れている。これが縮小都市?と思うほど、日本の同規模の都市と違って賑わいを感じてしまう。これは、自動車が都心部に入っていないので、人が多く町中に出ているからだろう。
 プラウエンはフォグトランド県の中心都市として位置づけられている。それは、バーバリアとの州境、チェコの国境そばに位置しており、そういう意味ではドイツの端っこの都市である。産業革命後の20世紀後半から、プラウエンは繊維産業の中心となり、特にプラウエン・レースと呼ばれる刺繍製品で有名となった。そして、1910年には周辺地域でのブームタウンとなり、同年の人口は12万1000人、1912年には12万8000人まで増加した。プラウエンはまたババリア地域以外では、1930年代に初めてナチ党の会合を開催した都市でもある。これは、当時のこの都市の重要性を物語るともいえよう。
 さて、しかし第二次世界大戦中から既にプラウエンの人口は大幅に減少し始める。1930年には11万4211人の人口が1950年は8万4485年、1990年は7万1774人と旧東ドイツでもずるずると人口は減少していく。東西ドイツが再統一した後、他の都市と違ってそれを契機に急激に人口が減少するようなことはなかったが、ひたすらずるずると人口を減少させている。そういう意味では、非常に興味深い動きを示している。

図1のコピー.png
(プラウエンの人口推移)

 プラウエンのもう一つの特徴としては、何しろ公共交通が不便ということが挙げられると思う。プラウエン中央駅はゲラからでも一度、乗り換えないと来ることはできない。ドレスデンからも直通列車は走っているがICEどころか通常の特急列車も走っていない。ただの快速列車である。以前は、ドレスデン-ケムニッツ-ツヴィカウ-プラウエン- ホフ- ニュンベルクといったルートで特急列車が走っていたかと思われる。さらにライプツィヒとは直通電車も走っていない。そして、そもそも中央駅が町の端っこにあるため不便である。
 ケムニッツ、ツヴィカウ、プラウエンといった南ザクセン地区は、ドイツにおいてもルール工業地帯に次ぐ大工業地帯であった。第二次世界大戦後においても、旧東ドイツの重要な工業地帯として位置づけられたが、東西ドイツが再統一された後からはその競争力のなさから、次々と工場は閉鎖。その結果、急激な人口減少を体験している。ただし、プラウエンに対しては、旧東ドイツでもこの地区に存在しながら、その工業の重要性は低かったので、既に旧東ドイツ時代から人口が減少していたのは前述した通りである。
 そして2008年には、プラウエンは都市地区の指定も外され、今では単にフォグラント県の管轄下に入ってしまっている。
 滞在時間は短いので、効率的に見なくてはならないということで、トラムの一日券を購入して、当てもなくトラムに乗る。トラムに乗ればプラッテンバウ団地が見られるかなと期待したのであるが、トラムの終点はどちらかというと牧歌的な郊外住宅地であった。しかも結構な高級住宅地であり、これは往年のプラウエンの繁栄の名残ではないかと思われる。どうもプラウエンのプラッテンバウ団地は郊外ではなくて、都心部と駅周辺部にあるようだ。そして、その供給数は多くないと推察される。プラッテンバウ団地は、ホイヤスヴェルダやアイゼンヒュッテンシュタット、ズールのように計画的に工業都市、行政都市として位置づけ、急激な人口増加に伴い急激に現れた住宅需要に対応することが目的でつくられた訳であるから、プラウエンのように旧東ドイツ時代から人口減少都市においては、それほど供給する必要がなかったのかもしれない。ここらへんは、しっかりと調べて書いている訳ではないので、相当いい加減であることを断っておく。
 さて、60年以上の人口減少、さらには最近での都市格の降格など、踏んだり蹴ったりのプラウエンであるが、金曜日の午後ということもあるかもしれないが、都心部のトランジット・モールには多くの人で溢れていた。どこから湧いたのか、というぐらいの多さで、これはぱっと見、とても縮小都市であるようには見えない。ドイツは空き家を、空き家らしく見せない、空き店舗でもウィンドウ・ショッピングができるようにするなど、いろいろと縮小のダメージを緩和させる対策を採用しているが、都心部に歩行者専用空間を設けて、賑わいを演出するというのも、縮小対策としては極めて優れているのではないだろうか。単に、都市をコンパクトにすれば人が集積するのではない。人がたむろし、自動車を気にせず、歩ける空間をしっかりと整備してこそ、縮小都市においても初めて活気が生まれるのではないか。ということをプラウエンというベテランの縮小都市において思ったりした。
 4時間にも満たないプラウエンへのフィールド・サーベイであったが、帰りは中央駅からではなくプラウエン・ミッテという駅からフォクトランドバーンという鉄道で帰る。これだと、ゲラ駅まで直行で帰れる筈だと思ったのだが、途中の駅で降ろされ、バスで駅まで行かされた。これは、おそらく線路工事をする必要が生じたためで臨時の措置であると思われるが、思ったより遙かに帰るのに時間がかかってしまった。

IMG_2385.jpg
(中央駅の無粋な建物)

IMG_2388.jpg
(中央駅前のプラッテンバウ団地とそこを走るトラム)

IMG_2398.jpg
(郊外の住宅地)

IMG_2453.jpg
(丘に建つ住宅)

IMG_2457.jpg
(丘からは中心市街地が展望できる)

IMG_2486.jpg
(縮小都市とは思えないほど多くの人が中心市街地のトランジット・モールを歩いている)

IMG_2490.jpg
(トラムが走るトランジット・モール)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

エアフルトからイエナ、ゲラの鉄道路線は非電化である [ドイツ便り]

 その昔、というか2002年以降であるが、ライプツィヒからフランクフルトまでICEに乗るとGera、Jena、Erfurtという都市を通っていた記憶がある。しかし、今ではGeraもJenaも通らない。これは、ライプツィヒからエアフルトへとICEの直行便が完成したからである。
 今回、エアフルトに滞在しつつ、これまで訪れたことがなかった縮小都市を視察しようと考え、プラウエンとツビッカウに行くことにした。両方の都市とも、エアフルトからだとJenaとGeraを通る。そこで気づいたことだが、ErfurtからJena、Geraを通る路線は未だ非電化であるということだ。Jenaはそれでも電化の路線が一部あったが(これは、おそらくライプツィッヒからHofを通ってニュンベルク、ミュンヘンへと行く路線であると思われる)、Geraに関してはすべての路線が非電化であった。
 現在、ベルリンとミュンヘンを結ぶルートはHofを通り、ライプツィヒを抜けるのが主流であるが、ライプツィヒではなくハレ、エアフルトを抜けるICE専用路線が工事中である。これが出来るとJenaの位置づけが下がり、Erfurtの重要性、拠点性がさらに高まるであろう。
 このように高速鉄道、地域鉄道のネットワークが、東西ドイツが合併してから大きく変化している。また、これらの社会基盤は一朝一夕で出来ないので、一部、具体化したところは大きな変化をみているが、そうでないところは、まだその影響が発現されていない。例えば、ハレは統一直後こそ、ハブ的機能のほとんどをライプツィヒに持って行かれたが、新しいICE路線ができるとむしろ有利になる。一喜一憂出来ないし、短期的にその効果を評価しても拙速の誹りを免れない。
 さて、旧東ドイツにおける、これらの鉄道ネットワークの変化による勝ち組はどこであろうか。すぐ浮かぶのがチューリンゲン州都のエアフルトである。そして、ICEの新路線ができるとどうなるかは不明だが、これまではライプツィヒ。負け組としては、圧倒的にゲラであろう。そしてイエナか。またデッサウは完全にルートから外れた。これもビフォア・アフターは不明だが、現状ではまったくネットワークから外れている感じである。あとケムニッツ、ツヴィカウ、プラウエン、ズールといった都市はその規模に比して、鉄道サービスが劣悪のような印象を受ける。あと大きな都市でいえばマグデブルクか。
 ドイツの都市は人口規模が同じような都市が多いので、鉄道ネットワークに乗るか、反るかで大きな違いが生じるかどうかを検証するのにはうってつけだと思う。そして、それから得られる知見は、どんどんローカル線を廃線にしている日本においても、そのマイナスの影響を探るうえでの参考になるであろう。

タグ:鉄道 ドイツ
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

旧東ドイツの縮小都市に難民が多くいる理由 [グローバルな問題]

 旧東ドイツの縮小都市へ行くと、多くの難民と思しき人達がいる。ライプツィヒやエアフルトならまだ分かるが、プラウエン、ツヴィカウといった将来、どうなるの?と他人事ながら私でさえ心配するような都市や、なんとドイツの夕張と言われるヨーハンゲオルグシュタットでも見かけた。
 何でこんな「僻地」にいるのだろうか。と疑問に思ったのだが、それには理由があることが分かった。難民はドイツに受け入れられる際に、住む場所を選べずに、指定されていたのである。そりゃそうだろう。自ら、こんな雇用もなく、将来への展望も見えない都市には来ないであろう。最近では、難民達も住みたい場所に住めるように法律が改正される方向にあるようだが、難民達も大変だ。ツヴィカウに雇用があるとは思えないし、ドイツ人でさえ仕事を得るのに汲々としているのに、難民がそれらの仕事を取ったら反感を買うだけだ。これはつらいな。
 私はプラウエンで物乞いをしていた、若い中東系の男性をみて、そういうことをしているとドイツ人の中東系の人達へのイメージが下がるだけだから止めればいいのにと思ったりしたのだが、なかなか彼らにとっては、そうでもしないと生活できないほど厳しい現状もあるのかもしれない。
 一方で、これら難民(一部は移民かもしれない)を受け入れている縮小都市にとってはメリットが多い。それは、人口減少が緩和されるからである。人口減少を厭わなければ、難民を受け入れなくてもいいだろうが、人口減少を阻止するためには、これは相当の即効薬である。ただ、通常は都市に人口が集積するのは雇用があるからであるが、雇用という引力がなく、市場の力が働いていないのに人口を増やすということは、様々な弊害も生じるだろう。うまく、難民達が新しい経済をつくりだせるといいのだが、その環境づくりは自治体や国も支援するといいような気がする。難民を受け入れるのは、縮小都市問題を解決する必要条件かもしれないが、決して十分条件ではないと思われる。
 

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ドイツの肉屋 [B級グルメ雑感]

 エアフルト大学の先生が、自分は留守にしているのでアパートを使っていいよ、と言われたので遠慮せずに使わせてもらっている。単身世帯向けで1Kの部屋であるが寝室や浴室が広いので空間的には贅沢な印象を受ける。このアパートはエアフルトの北、ドーム・プラッツから歩いて10分ぐらいのところにある。さて、朝起きて朝食を取りに町中に出る。エアフルトはチューリンゲン州の州都であり、チューリンゲンといえばソーセージである。そこで、チューリンゲン・ヴルストと看板を掲げていた店に入ったら、そこはレストランではなく肉屋であった。ドイツの肉屋は、しかし、そこで簡単な料理も提供する。ということで、そのままそこで食べることにした。注文したのはグーラッシュで、これはジャガイモとグレイビー・ソースに肉が煮込まれたものという感じで、いかにも一般庶民が食べるような料理であったが、まあ悪くはなかった。これで5ユーロ50セントである。
 ドイツは肉屋が儲かる。赤いフェラーリはドイツでは肉屋の車とも言われるのだ、と誰かに教えてもらったこともあり、本当かよ、とそのときは半信半疑というか信じてもいなかったが、実際、ドイツに住んだら、本当に肉屋が赤いフェラーリに乗っていた。これは、肉屋が儲かるからだ。ドイツで販売する肉は保存料をほとんど使えないので、すぐ腐る。したがって、頻繁に買わなくてはならず、結果、スーパーとかで買う人は多くなく、肉屋で買うのだ。私が住んでいたデュッセルドルフでもそうだったが、エアフルトの肉屋も繁盛していた。ちょっとしたカフェ的なコミュニティのハブになっている気もする。日本は生鮮三品の店が商店街からほとんど消えかけているが、このような店が商店街にあると、それらを核として、商店街がコミュニティのハブになれるのだ。昔は、日本の商店街はその人口密度の高さや自動車の依存度の低さなどから、ドイツの商店街よりさらに活力を有していたにも関わらず、現在はドイツのように元気な商店街は本当、東京大阪などの大都市だけになってしまっている。ドイツは人口20万程度の都市でも商店街が元気である。そして、商店街が豊かな都市の方が、遙かに人々の生活も豊かであると思われる。

IMG_2365.jpg 

IMG_2364.jpg
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ドイツの鉄道は上下分離しているので乗るときは注意が必要だ [ドイツ便り]

 ドイツ鉄道は上下分離している。そして、ドイツ鉄道以外のサービスが増えてきているので乗るときには注意が必要だ。というか、例えばハンブルグからケルンに向けては、ドイツ鉄道の特急列車と違う会社の特急列車が走っている。したがって、ドイツ鉄道の切符を買って、この違う会社の特急列車に乗ろうとしても乗れない。このような流れは最近のトレンドのようで、ドイツ人も結構、混乱していると思われる。
 さて、上下分離が特に進んでいるのは縮小激しい旧東ドイツだと思われる。運行頻度も低く、サービスの悪いドイツ鉄道に対抗して、多くの地域鉄道が走っている。これは、サービス供給が増えるということでは、地域にとっては好ましいことではあるが、外国観光客にとったら、チケットを購入する時に細心の注意が必要となる。特に乗り継ぎをする時は大変である。まあ、何回か乗ればシステムも理解するのであろうが、最初は相当、注意しないと酷い目にあうだろう。
 酷い目といえば、私がゲーラからプラウエンに行くために乗ったエルスター・ザール鉄道は、途中の駅で行き先が二つに分離するのであるが、それは車掌に言われるまで気づかなかった。これは、急いで車両を乗り越えたので大丈夫だったが、もう一つは、この列車はバスと同様に、ボタンを押さないと止まらない駅が幾つかあったことである。これは、路線地図を見ていて気づいたことだったが、これを見なかったら気づかなかったかもしれない。
 このように外国人観光客からすれば、なかなか難しいドイツの上下分離であるが、それはともかく、これは地域コミュニティを維持するためには非常に重要な社会インフラだと思う。特に留萌線、三江線、夕張線など多くの地方路線の廃線が計画されているが、それらも線路というインフラを維持させて、誰かに走らせることはいつでも出来るようにしておくといいと思うのである。そして、線路は道路と同じような極めて公的な社会基盤であると位置づけて、税金で管理するといい。今のように赤字だから廃線などを続けていくと、地方は間違いなく衰退するであろう。というか、世界中に黒字の鉄道旅客サービスなどは日本を除くとほとんどないことを誰かお願いだから、霞ヶ関の役人と国会議員に教えて欲しい。

nice!(4) 
共通テーマ:日記・雑感

ズールという不思議なドイツの山間都市に行った [都市デザイン]

 エアフルト大学の先生達に連れられてズール(SUHL)というチューリンゲン州の都市に行った。あまりにも知らなかったので、それはてっきりチェコとの国境沿いにある都市なのかと思ったら、まったくちがって、むしろヘッセン州側にある都市であった。チューリンゲン州の南部は、チューリンゲン・ハイランドという標高1000メートル前後の山地が東西に拡がっている。チューリンゲン州はほとんどが、このチューリンゲン・ハイランドの北に当たるのだが、このズールは南にあり、また、その南は旧西ドイツであったため、今でこそドイツの地理的真ん中に位置しているが、旧東ドイツ時代は、山と国境に隔たれた僻地という位置づけであった。もう少し、具体的に説明するとエアフルトの50キロメートル南西、ヴルツブルクの68キロメートル北東といったところである。
 ズールは旧東ドイツにおいてはエアフルトとゲラと同じくチューリンゲン州の3つの地域の中心都市であり、東西ドイツが再統一された後も、人口は35000人と少ないがチューリンゲン州の6つの都市の一つである(前述の2つに加え、アイゼナハ、イエナ、ヴァイマールから6つの都市は構成される)。
 ズールの記録が残るのは14世紀頃からである。その当時は鉱山と鉱業の町であった。その後、産業革命を経ると、ズールはドイツの軍需生産都市になる。特にライフルと銃に特化した。また、シムソンという自動車、オートバイの会社もここを拠点にした。ちなみに山がちの地形のズールにおいては、農業はほとんど営まれなかった。一方で林業は盛んであった。
 ズールは1952年に旧東ドイツの14の地域の中心都市として指定される。これは、その人口規模などを考えると意外ではあるが、その地理的に周辺の都市と隔離されていたことなどから選ばれたと考えられる。ちなみに、他の13の都市はライプツィヒ、ドレスデン、フランクフルト(オーダー)、コットブス、エアフルト、ゲラ、ハレ、カール・マルクス・シュタット(現在のケムニッツ)、マグデブルグ、ノイブランデンブルグ、ポツダム、ロストック、シュヴェリーンである。基本的には人口が10万人以下はノイブランデンブルグとフランクフルト(オーダー)ぐらいである。しかも、この二都市でもズールよりは人口は多い。つまり、14都市の中で最もズールは人口規模が小さい中心都市であったことが分かる。
 さて、しかし経済地理的な要因ではなくとも都として指定されたことで、それなりの雇用が生じるし、また都であるために、1960年代には社会主義のシンボル的な建築物が多くつくられ、それは現在でも多くが残されている。そして、東西ドイツ統一後は、この行政的な機能を失い、また工業も競争力がないため、雇用を失い、多くの人口を流出させ、減少が進むことになる。1988年に比べるとズールは35%の人口を失った。
 ズールのそもそもの人口であるが、1935年ぐらいまでは15000人前後で安定していた。しかし、第二次世界大戦が始まると軍需が増えたことに伴い、1940年には26000人まで増える。旧東ドイツになっても武器への需要は減らず、また前述した行政機能も加わり、1988年には56000人まで増加する。しかし、そこからジェットコースターのように下り一方に下がるのである。2015年には36858人まで減る。
 ズールの人口減少においては、ライプツィヒやコットブスのような郊外への人口流出というのはほとんど見られなかった。というのも、小さな盆地というよりかは、谷間につくられた都市のようなものなので郊外化する余地もなかったからである。その人口減少の主要因は旧西ドイツや周辺の大都市への流出である。ライネフェルデのように、そこに住んで旧西ドイツに通うほどは交通の便がよくなかったので、そのまま移転する人が多かった。
 幾つかの社会指標をみると移民の少なさと失業率の低さが相対的に目立つ。しかし、移民の少ないのは、移民にとっても魅力が少ないため、そして失業率の低さは、失業者がこの都市に留まらないからだそうだ。
 公共交通に関しては、ズールは山がちのため、鉄道が通るのも遅く1882年にヴルツブルクと結ばれ、1884年にはエアフルトと結ばれる。現在でも、この路線は通っている。大戦前は、この路線はベルリンとドイツの南西部を結ぶ重要な役割を担ったが、東西ドイツが分裂し、現在に至るまで特急列車がここを通ることは再統一以降の一瞬を除くとなかった。
 この都市、実際、訪れると、社会主義時代の高層ビルが谷間に林立し、その下にやはり社会主義時代につくられた低層の集合住宅が展開するなど、極めて旧東ドイツの空気を以前、放っている都市である。コットブスやゲーリッツ、ヴァイマールといった歴史的な雰囲気はほとんどなく、ちょっと異様な感じを受ける。軍需都市ということで、爆撃を相当、受けたことも関係があるのかもしれない。
 土地の制約の大きさ、歴史的アイデンティティの無さなど、この都市を再生させる方法を考えるのはいろいろと難しいのではないか、と思いながら町を歩いた。

IMG_2211.jpg
(社会主義時代につくられた公共施設)

IMG_2216.jpg
(都心部につくられたショッピング・センター)

IMG_2224.jpg
(都心部の建物。社会主義的なファサード)

IMG_2239.jpg
(東西統一後につくられた建物と社会主義時代につくられた高層ビル)

IMG_2244.jpg
(社会主義時代につくられたテラス・ハウス。大通り沿いなのでちょっとオシャレなファサードになっている)

IMG_2245.jpg

IMG_2253.jpg
(高層ビルは社会主義時代につくられた)

IMG_2261.jpg
(ズールに残った数少ない工場)

nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

久しぶりにドイツ鉄道に乗ったら、やっぱりやられた [地球探訪記]

 久しぶりにドイツ鉄道に乗ったら、やっぱりやられた。その日はチューリッヒからエアフルトまで移動しなくてはならないのだが、本来であれば一回乗り換えでいいはずであった。二つともICEなので、ある程度は安心していた。しかし、ベーゼル駅に止まると、この列車はもう走らないので後続の列車に乗り換えろと言われる。またかよ。といいつつ、まだフランクフルトでの乗り換えは可能な時間で着きそうだ。
 さて、そのフランクフルトであるが、どうもフランクフルト中央駅が工事中らしく、フランクフルト南駅がICEの始発になっているようで、そこで乗り換えなくてはいけないことを同乗の客に教わった。そこまではいいのだが、この二本目の列車も案の定、遅れてうまく接続できなかった。次の便に乗ろうとしたら時刻表は出鱈目!工事期間中のと、そうでないのと二つの時刻表が掲示されている。どうにもよく分からないので、ネットで検索したら、この二つの時刻表とはまったく違ったものが出てきた。何だ、何だ。しかも、エアフルト行きのICEは二時間に一本ぐらいの割合だ。そのような状況なので次の列車を乗り損ねるためには極力避けたいのだが、そもそも列車が遅れているのでダイヤが乱れまくっていて、もう何が何だか分からない。しかもホームが二つあるので、どちらに列車が来るかも分からない。茫然自失としていたら、反対側に止まっていた列車がライプツィヒ行きと記されている。そうか、ネットが正しいのか。ドイツ人を押しのけて飛び乗ったらどうにか乗ることができた。しかし、本当、ドイツ鉄道だけはドイツ人の正確さや生真面目さとは正反対の印象を与える。

タグ:ドイツ鉄道
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

トランプは人の恐怖心につけ込む [トランプのアメリカ]

 トランプのフロリダでの遊説で、架空のスウェーデンの移民による事件をでっち上げたことは、スウェーデンの元首相のツィートを初めとして随分と世界規模で物議を醸しているが、この発言が示唆したことは2つあると思われる。
 一つは、トランプは自らがフェイク・ニュースと攻撃するマスメディア、特にケーブルテレビを熱心に観ているということである。そして、そのマスメディアを情報源としていることだ。CIAなどのブリーフィングをあまり当てにしないで(ブリーフィングの時間にツィッターを発信したりしている)、フェイク・ニュースと揶揄しているマスコミばかり観ているのは自己矛盾も甚だしいが、それが実態である。そして、その番組もあまりしっかりと観ない。今回のスウェーデン発言はフォックス・テレビが元ネタであるが、ニュース番組と報道ドラマとを同一に捉えてしまっている。こんな適当に観ていて、よくフェイク・ニュースと言えたものだ。
 さて、もう一つは、トランプは自分の支持を増やすために巧みに「恐怖心」を煽っていることである。メキシコから不法で移民してきた人達が強盗を働き、レイプをする。大統領(当時は、候補だったが)がそのような発言をすると、そのまま信じてしまう人がアメリカではいるのだろう。大統領という肩書きはそれほど、まだ水戸黄門ではないが輝きを持っているのではないかと思われる。というか、どうみてもあれだけ出鱈目を言っているのに、それでもマスコミではなくてトランプを信じる人が多いのは、私の理解を超えている。
 理解を超えているということでは、オバマが任期満了時の失業率が4.9%というのを「嘘のデータ」だとトランプはいい、実際は35%ぐらいであろうと言った。しかし、自分が大統領になってから初めて出された数字である4.7%は「本当のデータ」であると言っている。
 人は恐怖に襲われた時、真実を求める。その真実が何かが分からない時、その恐怖は加速する。アメリカはつくづくとんでもない人を大統領に選んでしまったと思う。恐怖に囚われずに、真実を求める姿勢が今、アメリカ人、そして周辺諸国の人々も求められる。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ビバ!ボローニャ [都市デザイン]

イタリアのスローシティと縮退都市のトリノを視察調査するという旅行をして、特にスローシティは期待外れもいいところだったのでがっかりしたのだが、ボローニャに来て、イタリアに対しての失望はすべて払拭された。ボローニャ素晴らしい。ということで、どこがそんなにボローニャが素晴らしいか、簡単に整理させてもらえればと思う。
1)まず、先日のブログにも書いたように料理美味しい!というか、イタリアではどこでも美味しい料理が食べられるのかもしれないが、私はミラノのホテルの朝食を除くと、初めてといいぐらい4泊目のボローニャで美味しい料理を食べられた。今回の料理ではイタリア料理が美味しい訳ではなく、ボローニャの料理が美味しい、というのが分かった。ということでボローニャは素晴らしい!2)人が町中に溢れている。ボローニャは人口が30万人弱の都市なのに、金曜の夜はレストラン街は人で溢れている。大通りも自動車の規制がされており、都心部はまさに人間が主人公空間で多くの人があるいている。素晴らしい!
3)都心部の商店街には、八百屋、魚屋、肉屋という生鮮食料品3店がしっかりと営業している。その隣には花屋、さらに一軒挟むと総菜屋、酒屋。もう、これだけでここに住みたくなってしまう。都心部の商店街に個人経営の生鮮食料品3店。グローバル化に対抗して都市を持続させるための有効な処方箋ではないだろうか。素晴らしい!
4)都市は建物と建物の間の空間と人から構成されている。というのが私の最近の持論であるが、ボローニャの中心道路である「ヴィア・デリペンデンツァ」を歩いていたら、「あ!ボローニャこそ都市を極めて鋭く表現している」と思った。その威厳はあるが、威圧感のない建物に囲まれた街路空間がつくりあげる素晴らしいスケール感、建物と街路との境目を柔らかさせるポルティコ、そして、その街路空間を楽しそうに歩く多くの人々。これこそが理想的な都市空間なのではないかと思ったぐらいである。素晴らしい!
5)写真は撮影できなかったのだが、ボローニャには美男か美女しかいません。私の教えていた留学生でボローニャ出身の女性がいて、えらく美人だったのだが、彼女だけではなく、ボローニャの人達は皆、女性だとえらい美人、男性はほとんどイケメンということが分かった。こんなに美人とイケメンばかりの都市を訪れたのは、個人的にはアルゼンチンのメンドーサいらいである。ということで素晴らしい!

IMG_1833.jpg
(夜でも多くの人が屋台のお店で週末を楽しんでいる)

IMG_1866.jpg

IMG_1868.jpg

IMG_1869.jpg
(生鮮三品を初めとして、都心の商店街には多くのローカルの小売店が存在している)

IMG_1916.jpg

IMG_1920.jpg
(中心通りの「ヴィア・デリペンデンツァ」の空間スケールは見事の一言に尽きる)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

ボローニャでようやく美味しい食事にありつけた [B級グルメ雑感]

 イタリアで4泊目。ミラノ、オリヴィエート、ボローニャ。これまで、何回か食事をしたがイタリアらしい美味しいワインや食事にはありつけなかった。これは、スローシティの拠点であるオリヴィエートにわざわざ行ったことを考えると、大変外していると言っていいであろう。さて、しかしボローニャでは、夕食そして昼食ともに大当たりであった。イタリア最後の日に、イタリアならではのクオリティの高い食事を取ることができ、ホッと胸をなで下ろすと同時にボローニャの底力を知らされた気分である。
 ボローニャでは遅い夕食を取った。マジョーレ広場そばのTamburiniという店である。ボローニャの金曜日の夜、マジョーレ広場そばはとてつもなく混んでいる。狭い路地などは、立錐の余地もないほど人に溢れていて、そこを通り抜けることを難儀するような状況だ。何かパーティーとかイベントがある訳でもないらしい。そのように混んでいる状況で、どうにか座ることができる店を探して、そこに入ったのである、
 ボローニャはパルマが近い。ということで、パルマの生ハム、パルメジャン・チーズ、そしてタコとジャガイモを煮たもの、そしてサラダを注文する。ワインはピエモンテ州の赤ワインで、グラスユーロのものであったが、これは美味しかった。私は赤ワインが苦手なのだが、これは流石に私でも美味しさが分かるようなふくよかで奥深い味であった。もちろん、生ハム、チーズは文句なしの美味しさである。これはイタリア4日目でほとんど初めてと言っていい、美味しい食事であった。
 さて、翌日は午後にボローニャを発たなくてはならないのだが、昼ご飯は是非ともボローニャでと考えて食べに行く。ボローニャはどうもトルテリーニが名物らしい、ということでホテルの人にどこが美味しいかと尋ねて教えてもらった店に行く。この店も昨日と同じようにマジョーレ広場のそばにあった。ホテルの人に13時には長蛇の列で大変混み合う、と言われたので11時30分頃に行く。ちなみに店を出たのは12時15分頃であったが、そのとき既に30人ぐらいの長蛇の列ができていた。ということで、相当な有名店であると思われる。トルテリーニは3つのメニューがあったが、私は普通のチーズをからめたものにした。もう一つはワンタンのようにトルテリーニがスープに入ったもの、そしてベジタリアンのものであった。東京で言えば美味しい餃子屋みたいな感じなのだろうが、これはちょっとそうそう日本でも食べられないレベルであると思う。本場の凄さ、というかイタリアの底力を知らされた。
 スローシティでは、まったく食文化という点からは期待外れであったので、イタリアのスローシティ、スローフードも看板倒れなのかと疑っていたのだが、ボローニャでそのような歪んだ偏見は吹っ飛んだ。ボローニャ素晴らしい!

IMG_1830.jpg
(素晴らしき赤ワイン)

IMG_1832.jpg
(生ハムとパルメジャン・チーズ。鉄板ですね)

IMG_1831.jpg
(たことジャガイモのサラダのような料理

IMG_1949.jpg
(ボローニャ名物のトルテリーニ。これは素晴らしい!)

nice!(2) 
共通テーマ:日記・雑感

ようやく私の学生に才能溢れるミュージシャンをみつけた。 [宇宙団]

 私の「都市政策論」の講義を受けている女子学生で、ほとんどいつもギターを抱えて入ってきている子がいた。くりくりした大きな目をしている可愛い感じではあったが、服装もどちらかというと、カマヤツ系というかシモキタの古着系でサブカルらしく、イケている感じは受けなかった。どちらかというと真面目な子が、趣味でガールズ・バンドをやっているぐらいに思っていた。
 しかし、この彼女が実は宇宙団という、アルバムも全国流通させている、今、なかなかの注目株のバンドのシンガー兼リーダーであることが発覚した。シモキタと新宿をベースにライブをやっている。全国流通しているアルバムは『星降る島』というタイトルで、歌謡曲のようでもあり、プログレ・ロックのようなところもあり、クラシックのような展開もあり、ギター・ロック的なニュアンスもあり、なんか一言で表せないオリジナリティに溢れている。ちょっと私はとても嬉しい気分になっている。本人に嫌がられない範囲で、今後も応援したいと考えている。

星眠る島

星眠る島




nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

スローシティのオルヴィエートのホテルには感心できなかった [サステイナブルな問題]

 スローシティのオルヴィエートのホテルに泊まった。日本円で6000円ちょっとのホテルというか民宿である。さて、ここは結構、評判がよいようで、ミシュランガイドが評価したシールが誇らしげに玄関のドアに貼られている。さて、部屋は日本のビジネスホテル並みに狭く、風呂もシャワーであったが、ここらへんは自宅を改造したのでしょうがないと納得する。何より、値段は安い。
 さて、しかしポイントは朝ご飯である。イギリスのベッド&ブレックファストでも朝ご飯は勝負どころである。私はイギリス料理を美味しいと思ったことは本当にほとんどない。家庭料理をご馳走されたこともあるし、金に糸目をつけないで高級レストランで食べたこともある。しかし、美味しいとは思えなかった。ただし、唯一の例外はベッド&ブレックファストの朝ご飯である。ちなみに、おそらく食事が全世界で一番不味いアメリカでも、値段は高いがベッド&ブレックファストでは美味しい朝食にありつける(まあ、これはカリフォルニアだからかもしれないが)。そういうことを考えると、今回のオルヴィエートのホテルは、記憶にないほど今ひとつで貧相な朝食であった。
 まず飲み物は水と牛乳とオレンジジュースと思しきオレンジ色の飲み物。これは、しかしオレンジ色が明らかに自然の色ではない。合成着色料ですよ、と主張するようなオレンジ色である。ハムやチーズも色からして、食欲をそそるようなものではなかった。しょうがないので、ヨーグルト果物を入れたものを食べようと思って、キウイを取ろうとしたらそれはグニュグニュの状態であった。とても食べられるようなものではない。これは、ただの飾りとして置いているだけなのかもしれない。結局、ヨーグルトに干しぶどうを入れたものと既製品のヨーグルトと手作りではあるが美味しくないパウンド・ケーキしか食べなかった。とてもスローシティという食事の美味しさや豊かさで売っている町の民宿の朝食とは思えなかった。
 今回の旅行でも、ミラノのホテルに2泊したが、そこのバイキングの朝食は、流石イタリアと思わせるほどのクオリティであった。これは、ブラジルのホテルのバイキングの朝食と比べているからかもしれないが、今回宿泊しているオルヴィエートのホテルの朝食は、ブラジルのホテルのバイキングの朝食に比べても大きく劣る。
 これは大変なショックというか驚きである。スローシティという称号が泣いている。

IMG_1676.jpg 
(スローシティのホテルの朝食とはとても思えないみすぼらしさ)

IMG_1674.jpg
(結局、ヨーグルトとパウンド・ケーキと今ひとつのカフェオレしか食べられなかった)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

スローシティのオルヴィエートを訪れる [サステイナブルな問題]

イタリアのスローシティ協会の本部があるオルヴィエートを訪れる。オルヴィエートはローマとフィレンツェの中間にある人口2万人ほどの町である。フィレンツェからインターシティの列車で行くと、2時間ちょっとで着く。ローマからだと1時間ちょっとなのでローマの方が近い。
 オルヴィエートは太古の火山活動による大爆発によって生まれた円錐形の断崖の上に立つ町である。それはまさに天然の要塞であった。さらに1970年代に、この町の下には地下都市があることが発覚した。それは、ローマ人に駆逐される以前のエトルスクの人達が使っていた貯水槽、その水を運ぶための地下道、さらに時代が下がるとオリーブの搾油所、鳩舎の跡などであった。このような地下洞窟は1200も存在することが現在では分かっている。傍からみると堅牢な要塞のようなこと町は、その地下はしかし穴だらけのスポンジのようなものだったのである。
 このようにオルヴィエートは極めて特異な地理的特性を有する都市である。したがって、アクセスは大変である、というかユニークである。要塞から東に位置するオルヴィエートの鉄道駅を降りると、オリヴィエートにはケーブル・カーで行かなくてはならない。このケーブル・カーは1.3ユーロであるが、もうこれに乗った時点で気分はスローになってくる。値段の安さもあるが、日本の観光地のように格好よいケーブル・カーではなく、なんかユルい感じのケーブル・カーであくせくしていない。もう一つ、この要塞都市にアプローチするのは、西側の二層の駐車場から地下のエスカレーターを乗り継いで登ってくる方法である。ただし、このエスカレーターを結ぶ舗道は階段であったりして、まったくユニバーサル・デザインに対応していない。もちろん、自動車で壁を登ってくるルートも確保されているが、それはこの要塞で生活している人か物販を届ける人だけなのではないだろうか。確認していないが、そのような気がする。二日間いたがタクシーを町中で見ることはなかった。ただし、鉄道駅と町とはシャトルバスでは繋がっている。
 さて、このオルヴィエートは1999年にスローシティ連合ができた時、当時の市長が初代会長になったことで、スローシティとしてもその名を知られることになる。初代会長となったチミッキ市長は「人間サイズの、人間らしい暮らしのリズムが残る小さな町」とオルヴィエートを形容していた。
 ということで、スローシティというコンセプトもよく分からないのでオルヴィエートを訪れたのだが、印象に残ったのは人口2万人(旧要塞都市に住んでいる人は6千人ぐらい)の町には全くそぐわない立派な大聖堂。これは、白、黒の岩をシマウマのように交互に配置してつくられている。正面は、ピンクや青色の大理石が使われて、大変豪華なものである。ちょっと、フィレンツェの大聖堂を彷彿させる。
 そして、前述した地下都市。これはツアーで行くことができる。ツアー代は6ユーロ。英語でのガイドは、結構、博識でいろいろと勉強になる。
 ただ、このようなイタリアの歴史都市の売りである街並みの美しさは、あまり感心しなかった。というか、街並みを美しく化粧する、という意識が伺えない。それは、それで一つの考え方かもしれないが、外国人の観光客からするとちょっと興醒めではある。あと、オルヴィエートは白ワインが非常に有名なようなので、私もワイナリーで試飲をさせてもらったり、昼、夜、昼とワインを飲んだりしたが、ガツーンと来るようなワインにはまったく出会えなかった。これは、あまり高いワインを注文しなかったからかもしれないが、正直、ドイツのデュッセルドルフで飲んだ白ワインの方が個人的には美味しいと思われる。ただ、私の舌はいい加減なので、もちろんいい加減な感想にしか過ぎない。ワインを売りにするのであれば、まあ私のような舌音痴でも、ひれ伏すようなワインを飲ませるべきであったと思う。いや、分からないのであれば、分からないことを自己嫌悪させるような演出をすべきであろう。
 また、スローシティというと、美味しい料理が食べるということが何よりもポイントであると思うが、残念ながら「参った」というような料理に出会えることはなかった。これは、次回に整理するが、このワインを含む料理でそれほど来る人を感心させることができなければ、スローシティの街づくりというのも結構、難しいのではないかと思ったりした。もちろん、私が間違えていただけなのかもしれないが、そうであれば、私のような人間が参りましたと思うようなメニューを提供してもらえると有り難い。などと書いていて、このような考えこそがスローシティとまったく反していることなのではないかとふと頭に浮かんだ。
 
IMG_1616.jpg
(鉄道駅からオルヴィエートに行くためには、ケーブルカーに乗らなくてはならない)

IMG_1726.jpg
(オルヴィエートの崖下には600台が収容できる駐車場が設置されているが、そこからは地下のエスカレーターで町にアクセスする)

IMG_1653.jpg
(オルヴィエートの街並み)

IMG_1657.jpg
(オルヴィエートの街並み。スローシティという印象を与える)

IMG_1633.jpg
(人口2万人の都市とは思えないほど立派な大聖堂)

IMG_1663.jpg
(オルヴィエートの肉屋。ここではワインを飲んで、チーズや生ハムなどをつまみとして注文することもできる。)

IMG_1670.jpg
(オルヴィエートのレストランで注文したチーズ盛り合わせ。これは流石イタリアと思わせるぐらいの美味しさ)

IMG_1671.jpg
(オルヴィエートのレストランで注文した料理。美味しいけれど、感動するほどではなかった)

IMG_1761.jpg
(昼ご飯で訪れた定食屋。ワインを注文したら生ハムをサービスで切ってくれた)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

トリノ [地球探訪記]

 生まれて初めてトリノに行く。といってもミラノからの日帰りである。しかも、いわゆる新幹線にはお金がもったいなくて乗らなかったので14時について17時に帰るという実質3時間した過ごすことはできなかった。しかし、それでも一度も行ったことがないのと、3時間でも行ったことがあるのとでは、その都市の理解が全然、違ってくる。百聞は一見にしかず、である。さて、3時間という短い時間をどこで過ごすのかというのは難しい問題であったが、私は「馬鹿は高いところが好き」ではないが、都市を一望できるところにとりあえず行き、都市の構造などを知りたがる傾向があるので、モーレ・アントネッリアーナへ行くことにした。
 モーレ・アントネッリアーナは1889年に完成した建物で、建設時はヨーロッパで最も高い建物であった(その後、エッフェル塔に抜かれる)。ドーム型の屋根の頂上までの高さは121メートル、さらに尖塔の上までだと167メートルもある。この建物は、建設当時はシナゴーグとなる筈だったが、そのようには使われずに展示場として1990年代まで使われ、2000年には国立映画博物館となった。この屋根の頂上にはエレベーターで行けるのだが、このエレベーターは博物館の中にある透明の筒を上がっていく。これは博物館内にいる人からすれば、なかなかの光景だ。また、エレベーターに乗っている方もちょっと怖い。高所恐怖症の人はあまり乗らない方がいいかもしれない。
 さて、このモーレ・アントネッリアーナからは360度の展望が得られるのであるが、天気がよかったこともあり、素晴らしい絶景を眺めることができた。トリノは冬季オリンピックを開催したことからも推察されるように、すぐそばにアルプスの雪山が聳え立っている。ここからは、そのような雪山を背景として都市がつくられていることがよく分かる。
 その後、国立映画博物館に行き、その展示をみたが、これもなかなか興味深い博物館であった。資料も購入したが、この国立映画博物館はほとんど個人の情熱でつくられたことを知る。こういう個人の情熱が都市を特別なものにするのだな、ということを認識した(これに関しては、後日、原稿にまとめたいと考えている)。
 3時間しか滞在時間がなかったので、モーレ・アントネッリアーナの屋上とその建物内にある博物館に行ってタイムオーバーになってしまったが、なかなか有効な時間を過ごせた。

IMG_1538.jpg
(モーレ・アントネッリアーナはトリノで最も高い建物である)

IMG_1501.jpg
(モーレ・アントネッリアーナの展望台には、博物館内を透明な筒の中を通るエレベーターで登る)

IMG_1477.jpg

IMG_1456.jpg
(モーレ・アントネッリアーナの屋上からは雪を被っているアルプスの素晴らしい山々がみえる)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

南米に行く際、フランクフルト空港のトランジットはとても便利で快適だ [地球探訪記]

 今回のブラジル行きでは初めてフランクフルト空港を経由していった。これまではほとんどアメリカの空港を使った。アメリカン航空を利用することが多いので、ニューヨークのJFKやダラスフォートワースを使うことが多いからである。JALやヴァリグが飛んでいた時はロスなども使ったし、ブラジリアに飛ぶ時はシカゴーマイアミなどを使ったこともある。メキシコ航空を使ってメキシコ・シティ経由というのもあったが、どれも通関に時間がかかるので面倒であった。もしかしたらロスはなかったかもしれないが、JFKやDFWは通関が面倒である。
 二年ぐらい前に、中東系の航空会社エミレーツを使ったこともある。これが太平洋を渡らないルートを初めて利用したケースだったのだが、これは通関がなくて便利だが、トランジットの時間が何しろ長い。これはちょっと苦痛であった。そして、今回、初めてヨーロッパ大陸経由で行ったのだが、意外と時間が余計にかかるという訳でなく、フランクフルト空港は通関を通らなくていいので、そういう意味ではとても楽であった。また羽田発着というのも有り難い。というかアメリカは、なぜトランジットなのに通関させるのか。ESTAも必要だし、大変面倒臭い。トランプ政権でさらに通関が面倒になっていることが推察されると、今後は大西洋経由がブラジルに行く時の有力な選択肢となるであろう。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

トランプのオバマ批判は的が外れすぎていて、それが逆に恐ろしい [トランプのアメリカ]

 トランプは、大統領の選挙期間中にオバマがトランプ・タワーの電話を盗聴したと土曜日(3月4日)にツイートした。「最悪だ。今、オバマがトランプ・タワーを盗聴したことが判明した。何も見つからなかった。これはマッカーシズムだ」。
 もしこれが本当だったら大変なことだが、そもそも大統領であっても、勝手にアメリカ市民の盗聴をすることはできないそうである。それは法務庁の判断であって、大統領の権限では関係ないそうである。(http://edition.cnn.com/2017/03/04/politics/trump-obama-wiretap-tweet/index.html)。
 まあ、これまでもオバマ大統領はISISの設立者であると言ったり、アメリカ生まれではないだろうと言ったり、出鱈目のことを言いまくっているが、これらはすべて根拠がしっかりしないということである。今回も、その根拠はどうも、マーク・レヴィンというラジオ・ホストが言ったことをブライトバートが記事として取り上げたのをトランプが目に留めたからではないかと伝えられている。このマーク・レヴィンという人は1957年生まれの弁護士で「マーク・レヴィン・ショー」というラジオ番組ももっているようだ。著作もあるそうだ。ラッシュ・リンボーのような人のようである。
 さて、しかし、彼の主張もほとんど妄想に近いようである。その、あまりの出鱈目さに、CNNやCBSなどもどのように対応していいか分からないような印象を受ける。というか、これだけ根拠がなく出鱈目を述べているのであれば、その責任を取る必要があるのではないだろうか。特に大統領であれば、その責任は大きいであろう。トランプはマスコミを「フェイク・ニュース」と批難しているが、トランプこそがフェイク・ニュースであろう。
 しかし、トランプ大統領の支持者は、こういう事件が起きても蛙の面に小便状態になっている。私はトランプが大統領になったことよりも、彼を支持し、そして、これだけの醜態を晒してもまだ支持しているアメリカ人がこれだけ多くいるということに大変な失望と落胆を覚えている。トランプ大統領を選んだしまったことで、アメリカは50年は後退してしまったのではないだろうか。というか、アメリカが元のように戻ることが出来るのであろうか。トランプ大統領はMake America Great Againとのコピーで大統領選を戦ったが、結果的にアメリカはその偉大な世界での位置づけを半永久的に失っているようだ。アメリカ人の友人には深く同情する。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブラジルの大学新入生の変な慣習 [グローバルな問題]

 クリチバの町中を歩いていると、顔にペインティングをし合っている若者達がいたので写真撮影させてもらった。さて、撮影した跡、お金を請求してきたのでとんでもないなあ、と思ったがいい写真が撮れたので1レアルぐらいをあげた。さて、この若者達はペインティングが終わると、街中に出ていき、人に会うとお金を請うている。そして、人々も結構、喜んで渡してあげている。何なんだろう。
 この状況を後で地元の人に説明すると、それは大学の新入生が先輩から半強制的に街中でお金を請わせて、その収入で歓迎パーティー代に充てるのだ、という説明を受ける。納得!そして、撮影後に請求されたお金を拒まなくてよかったと安堵する。しかし、新入生に乞食の真似をさせるなんて、なかなかブラジル人の考えることも面白い。

IMG_1015.jpg 
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

アヴィアンカ航空が運行休止になり、おそろしく酷い目にあった。 [地球探訪記]

 リオから東京に戻るのに、サンパウロのグアルーリョス空港へ行かなくてはならない。リオのガリオン空港の14:45発の飛行機を予約していた。12時にホテルを出ると、12時45分に着いた。国内線で2時間前であるなら余裕である。しかし、そこはブラジル。というかリオ。なんと、この国内線が欠航した。ちなみに航空会社はアヴィアンカ航空であった。
 さて、しかし、欠航してもどうにかグアルーリョス空港には着くだろうと思って、手続きの列に並んだ。しかし、この列が全然、進まない。担当者は若い女性一人である。私の後ろにいた女性客が前に進んでいって「どうにかしろ」と文句を言い始めた。当然だろう。というか、後でもつくづく分かったのだが、客が困っていようが別にサラリーマンのアヴィアンカ航空の社員は何も感じないのである。「人の痛みが分からない」というか「共感の欠如」のようなものを強く感じる。この女性客が文句を言ってくれたのでアヴィアンカ航空も動き初めて、国際線の乗り継ぎがある人を呼んだ。私もちょっとここらへんで焦り始める。ということで、交渉すると、代わりのチケットを切ってくれた。しかし、これがリオのサントス・ドゥモン空港からコンゴーニャス空港のものであったのだ。ただ、私はそこで勘違いをする。というのは、流石にそこまで出鱈目のものを提案するとは思わなかったので、ガリオン空港発コンゴーニャス空港着のものであると思ったのだ。コンゴーニャス空港からグアルーリョス空港へはタクシーで行け、と言ってきたので「そんな出鱈目はないだろう。サンパウロの道路渋滞を知らないのか」と文句を言ったのだが、大丈夫だという。これは何なんだ、と思ったが「これが一番だ」という。躊躇している私に、小太りで主張の強い目をした彼女は、「とりあえずタクシーでサントス・ドゥモン空港へ行きなさい」という。ここで、私は「え?コンゴーニャス空港からタクシーじゃなくて、サントス・ドゥモン空港へタクシーで行くのか」と尋ねると、「そうだ」と答えるので、「そうか、サントス・ドゥモン空港からグアルーリョス空港に飛ぶのか、それなら間に合う」と勝手に納得してしまった。
 ということで、航空会社が呼ぶタクシーの列に並ぶ。ここで一人一人が乗っても時間がかかるし、まさに「時は金なり」の状況だったので、前のお客さんと同乗させてもらう。既に14時だったが、私のチケットはサントス・ドゥモン空港のボーディング・タイムが13時55分であった。こんなチケットを切るというのは、おそらく私のボーディングを待ってくれるのだろう、と自分に都合よく解釈したのだが、それはまったくの誤解であったことを後で知る。
 さて、タクシーの中でチケットをみるとなんと、サントス・ドゥモン空港からコンゴーニャス空港と書いてある。これは詐欺だ!というか絶対、間に合わない。タクシーの中でパニックして、急いで知り合いの日系人に携帯で電話をかけて相談する。彼はルフトハンザ(国際線)に電話をかけて相談してみる、と言ってくれた。また、上手くいけばコンゴーニャス空港からグアルーリョス空港まで1時間で行けると言ってもくれた。国際線の出発時刻は18時45分である。
 数分後、彼から電話があり、出発1時間前までなら対応できる、との回答を得たとの連絡を受ける。非常に難しいが、まだ乗るのは不可能ではないようだ。また、同乗したブラジル人に携帯電話のグーグル翻訳で状況を説明すると、それは大変だと同情してもらった。これが私には大変有り難く、サントス・ドゥモン空港に着くと、彼がアヴィアンカ航空の職員に交渉してくれた。そこで、流石に彼らも慌てて、アヴィアンカ航空ではもう間に合わないので、というか、私がもらったチケットの飛行機はもう離陸してしまって乗れなかったのでGOL航空のチケットを確保してもらった。さて、しかし私が乗るべきGOL航空はもう乗れないとカウンターの男が言い張り、30分後の飛行機に乗せられることになった。私が強く文句を言うと、すぐ降りられるようにと一番前の列にしてやったのと、荷物をプライオリティにしてすぐ出てくるようにしたから、と弁明した。私のチケットを切ってもらってから3分も経っていない。おそらく、乗れたと思うのだが、面倒臭かったのであろう。私の慌てぶりをみていたブラジル人が、途方に暮れる私に「リオにようこそ(Welcome to Rio)」と言ったのが随分と説得力をもった。他人の問題を、本質的に解決するようなことはしない。しかし、自分の良心が痛まない程度の優しさは示す。これまでも感じていたブラジルの偽善性が非常に強くみられるのがカリオカ気質のような印象を強く受ける。
 さて、飛行機は時間通りに飛び、コンゴーニャス空港に着いたのは16時40分であった。急いで荷物を取り、サントス・ドゥモン空港のアヴィアンカ航空の職員にはタクシーを呼ぶのに、アヴィアンカ航空のカンターに行けと言われたのだが、今は1分1秒が勝負である。そのまま、タクシー乗り場に駆け込んで、飛び乗る。120レアルとなかなかの値段だが、少しでもチャンスに賭けたいと思ったのである。タクシーに乗ったのは16時50分ぐらいであった。高速道路はあまり混んでいなかったがリベラルタージ辺りから渋滞をし始め、もう都心部ではほとんど動かなくなった。「何が間に合うだ!」とガリオン航空の小太り女性職員を罵倒したい気分になったが、一方でどうして、こう無責任にいい加減な主張ができるのか。そのメンタリティの方が不思議になってくる。サラリーマン気質というか、役人気質というか、私からするとほとんどロボットのようである。まあ、一国の大統領でもそういう気質の人がいるから、これはもう人間の業なのだろうか。
 タクシーの運転手には急いでいることを告げると、相当、無理をして飛ばしてくれた。しかし、都心部を抜けた頃、リミットの17時45分を過ぎ、空港のカウンターに着いたら18時15分。もうカウンターは閉鎖され、どうにもならないとルフトハンザの職員に言われる。「とりあえずアヴィアンカ航空と交渉しなさい」ということで交渉する。ちなみに、ルフトハンザは第三ターミナルで、アヴィアンカは第二ターミナルで、なかなか離れており、私はここを行ったり来たりさせられる。
 アヴィアンカ航空のカウンターでは、状況を説明し、ガリオン航空の職員はあまりにも無責任で、プロ意識ゼロだ、と主張をすると主任のサインをした紙をもってきて「これをルフトハンザ航空に持って行けば、明日の飛行機には乗れるから」と言ってくれる。もし何か問題があったら、連絡をするようにと伝えてくれ、と言われてルフトハンザの事務所に行く。ルフトハンザのカウンターにはもう誰もおらず、事務所を探すのも難儀するがどうにか見つけて話をする。すると、職員は残念だけど翌日、そして次の日の便も満席なので早くても3日後ね、と言う。え!冗談じゃない。というのは私は3日後にはドイツに行かなくてはならないからだが、その飛行機に乗れなくなってしまう。とりあえず、ウェイティング・リストには名前を書いてもらい、アヴィアンカ航空に状況を連絡してくれ、と言うが、この職員は「今回の問題はアヴィアンカ航空の責任で、ルフトハンザには一切ないので私が連絡するような義務は一切ない」と言い放たれる。「ウェイティング・リストの状況を知るには明日の14時30分にまた来なさい」といわれる。
 しょうがないから、私はガキの使いのようにまたアヴィアンカ航空に行き、状況を説明しようとするが、私の話を主任に取り次いでくれた職員が見当たらない。しょうがないので、主任に直接、話そうと交渉する。しばらく待たされて出てきた主任は英語がよく分からないようで、私の説明に困惑をしていた。また、その日は何か、いろいろとトラブルが多くあったようで、文句を言う客がたくさんいたので主任も疲れていたようであった。私が大変な状況であることを察してくれた若いが極めて英語が堪能な男性職員が現れ、「私がどうにか対応しよう」と言ってくれる。彼は私の苦情を聞き入れ、「同じブラジル人として、どうしてそういう適当なことができる人がいるのか、理解に苦しむ」と言った。あくまで相対的ではあるが、サンパウロはリオよりは遙かにしっかりと問題を解決させようと動いているように見える。彼は、チケットを別々に購入したので、ルフトハンザ航空以外のチケットを用意することはできないが、とりあえず今夜のホテルと空港への往復代を負担すると言ってくれ、そのための対応をしてくれた。
 アヴィアンカ航空の彼は、ホテルはよいホテルですから、と言ってくれたが、私的には、ブラジルとアルゼンチンの国境沿いのウルグアイアナの田舎ホテルを彷彿させるぼろホテルであった。ホテルに着いた時には21時をもう回っていた。遅い夕食もついていたので、それを取る。ビーフ・ストロガノフのような料理で決して美味しくはなかったが、疲れていたのか、結構、食べられた。私は学校給食で育っているので、美味しくないものを食べられるのである。
 ホテルに着いて、翌日の国際線で東京に帰られるオプションがあるのかを検索する。アメリカ経由のであれば、15万円前後である。ただ、ESTAを今から申請しても間に合わないかもしれない。ESTAの状況をみたら、なんと3日後に切れるが、まだ有効であった。これは何かの知らせかもしれないと思い、この15万円前後のチケットを予約した。まあ、明日、ルフトハンザに乗れたら15万円をどぶに捨てるようなものだが、乗れなかったことを考えると、あまりにもその損失は大きい。
 逆にこのチケットを確保できた、つまりどちらにしろ明日にはブラジルから離陸できると考えると安心したこともあって、疲れがどっと出てそのまま眠ってしまった。今日、どうなるかはまだ分からないが、今回の経験から私が学んだこと。
1) グアルーリョス空港から帰国便に乗るのであれば、時間を無駄にしてでもトランジットの時間は長く確保すべき。いや、今回も長かったのだが、改めて長くしておくことの重要性を認識する。また、リオから帰るのであれば、ガリオン空港発の国際便に乗ることが重要かもしれない。
2) ブラジルのLCCは前から酷いと思っていたが、それをさらに再確認した。日本のLCCと同じとは思わない方がいい。余裕があれば、接続便として購入した方がいいであろう。以前もクリチバからグアルーリョスへの便が遅れたために乗り損ねたことがあるが、これは同時、購入していたこともあり、その後の対応もしっかりとしていた。学生を引率する時は、安いからといってLCCを使うことは避けた方がいいことを改めて確認する。
3) 相手があるので交渉は難しいが、自分で判断した方がおそらく正しい場合が多いであろう。私もうまくするのであれば、そこで新たにチケットを購入するなどの措置をすれば、15万円ではなくて1万円ぐらいの損失で済んだ。ブラジルの航空会社の職員を信用した私が馬鹿であった。

nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

リオデジャネイロはオリンピックを見事に都市開発に活用していた(ショック!) [都市デザイン]

 今回のブラジル行きの目的は、クリチバのアンケート結果の中間報告をしてコメントをもらうというものであったが、もう一つ、リオデジャネイロに行き、オリンピックと絡んだ都市開発の概要を知りたいということもあった。私はオリンピックと都市開発の関係性に結構、興味を覚えている。これに関しての講演なども東京で2回、名古屋で1回させてもらっている。簡単な論文も書いている(「オリンピックと都市開発」『電気通信』一般社団法人 電気通信協会、2015年4月号)。ロンドン・オリンピックは開催年の翌年訪れ、取材調査などもした。そして、オリンピックは目的ではなく、あくまでも都市開発の手段であるという考えを強く抱いている。さらに言うと、オリンピックを都市開発の手段としてしっかりと位置づけなかったモントリオールは大失敗をし、また、その計画をIOCのプレッシャーによって自律的にコントロールできなくなったアテネなども失敗をしている。モントリオールは、オリンピック後、その負債を返済するのに30年以上かかり、その間、カナダの最大の都市という称号をトロントに譲り、その後も大きく差が開く一方である。アテネに関しては、その後のギリシャの経済破綻の引き金となったという指摘がされている。
 そのような中、リオデジャネイロの情報はなかなか日本では得られない。ということでリオデジャネイロ市の都市計画局でまさにレガシー・プラニングを担当したクラウディア・グランジェイロ氏に取材をさせてもらった。その結果は、大変興味深いものであったし、その都市戦略性は感銘を覚えるものであった。ちなみに、このリオの試みは日本語だけではなく、英語とかでもあまり紹介されていないそうである。
 さて、私はブラジルをよく訪れるものであるが、ブラジリアなどの開発の出鱈目さなどを知っているので、リオデジャネイロもろくでもないことをしているだろうという大変、失礼な先入観を抱いていた。というか、失敗したことを知り、東京が同じ轍を踏まないような知恵、情報を得ようとさえ考えていた。しかし、この私の失礼な偏見はモノの見事に砕かれたのである。結論を先に言えば、リオデジャネイロはその都市の再生の手段として、明確にオリンピックを位置づけ、100年の計ともいえる事業を推進させていたのである。
 そもそもリオがオリンピックを実施しようと考えたのはバルセロナ・オリンピックの成功を目の当たりにしたからである。当時のリオの市長が、バルセロナ・オリンピックを都市開発のテコにしたことに非常に感銘を受けた。そして、バルセロナのオリンピック関係者を招聘した。それが20年前の話である。したがって、リオはオリンピックを開催して見栄を張りたいというような、どっかの知事のような狭い了見ではなく、極めて包括的に都市を再生する手段として最初からオリンピックを位置づけていたのである。ちょっと、この話を聞いた時は、私はクラッと目眩を覚えた。そうだよな、今頃、オリンピックを手段ではなく、目的として位置づける都市なんてないであろう。
 話をリオに戻すと、大きなコンセプトは広い市域を思い切って使い、都市全体にレガシーを広げるというものであった。そして、4つのクラスターを設けた。それらはデオドロ、バーバ、コパカバーナ、マラカナンであった。リオの都市問題は都心部ではなくて郊外地域である。東京のコンパクト・シティとはまったく反対の発想である。実際、話を聞いた後、マラカナンとバーバに視察に行ったがバーバは都心からは相当、遠かった。デオドロなどは相当の距離、離れている(ここには遠すぎて視察にも行けなかった)。しかし、これらの郊外の地域はインフラが不十分であり、オリンピックを契機にそれらの地域再生が図られたのである。東京も実は都心部に問題があるのではなく、現在は例えば国道16号線沿いの郊外や、高島平などに問題があるのだ。なぜ、そういうところに会場を設置することを考えられなかったのであろうか。西武球場などを上手く活用すればよかったのである。まあいい、話をリオに戻す。
 さて、郊外にも会場を分散させたこともあり、これは不足していた公共交通を整備するうえでの大きな言い訳となった。そこで、2009年においては公共交通計画の18%しか整備されなかったものが、2017年には63%も整備させてしまった。特に南部の海岸沿いや環状にBRTを整備したことの効果は大きい。また、直接的には会場とはあまり関係はなかったがLRTもサントス・ドゥモン空港と都心部において整備された。ちなみにBRTより地下鉄が理想だったそうだが、金銭的問題からBRTにしたようである。リオデジャネイロは岩盤都市であるために、また掘ると遺跡が出てくることもあり、地下鉄は大変高額につくそうである。LRTは以前から計画はあったが予算はなかった。オリンピックを口実に思い切ってつくったそうである。これは、ロンドンやシドニーが土壌汚染地区を会場にして、オリンピックを口実にその土壌改良をしてしまったことと同じである。オリンピックを口実ということでは、歩道を大幅に整備した。街灯なども刷新し、都心部の歩行動線を強化するなどのプロジェクトを遂行した。バリアフリーにも随分と力を入れた。サンボロドームの改修などもこれを機に行った。それまで左右対称でなかったのだが、そういう点も改善した。サンボロドームはマラソンのスタート地点になった。個人的に最も感銘を受けたのは、ウォーターフロントの開放である。ウォーターフロント沿いに高架の高速道路が走っており、貴重なウォーターフロントへのアクセスが非常に悪いものになっていたのだが、これを3キロメートル近くトンネル化させ、視覚的にも物理的にもウォーターフロントと都心部が結合された。ボストンのビッグ・ディッグ、デュッセルドルフのライン・プロムナードなどと同様の試みであるが、なんせリオデジャネイロの港湾の美しさはそれらの都市とは大きく一線を画すものなので、その効果も大きい。こういうのを見ると、本当、神戸市もウォーターフロントと都心部を阻む都市高速道路をとにかく地下化するべきだと強く思う。そのためにオリンピックを開催することを考えてもいいと思ったりもする。ちなみに、リオのこの地区は特にオリンピック・ゲームとは関係はない。それでも実施してしまったのである。ただ、このような都市の大再生を見ると、改めてリオもしっかりとオリンピックを目的ではなくて手段として捉えていたことが理解できる。そして、それによってリオはバルセロナのように再生するであろう。それは、これからの50年を見据えた偉大なる都市開発であると言えるだろう。
 オリンピックをなぜリオで開催するのか。当時の市長は、「リオがオリンピックのためにあるのではない、オリンピックがリオのためにあるのだ」と市民に訴えていたようである。こういう主張を東京では全然、聞けないのはもしかしたら東京都は大きな誤解を未だしているからではないだろうか。都民ファースト、というのはオリンピックにこそ向けられるスローガンであると改めて思う。
 お金のことは意外にもしっかりとしていて、380億レアルのうち、57%を民間に出させて公共は43%負担に留めている。これは、会場設営などに民間の経費でさせる代わりに、その後の跡地利用等を民間に委ね、民間に土地なども譲渡するという方策を用いたためである。さらに、この予算のうちレガシー関連に240億レアルが用いられている。そのほとんど(200億レアル)は公共交通関連の整備であったそうだ。ただ、それでも大変費用はかかったそうである。そして、その理由はIOCの要求があまりにも膨大だからだそうである。このIOCとの交渉は相当、大変だったそうである。ポイントはIOCの要求を総て呑まないことだそうである。交渉が重要だそうである。東京都の職員がこのブログを読んでくれているといいのだけど。また、グランジェイロ氏は「リオのこの出費の後では、オリンピックを開催したがる都市は減るのではないか」と付け加えた
 バーバ地区につくられたオリンピック会場は、ロンドンのオリンピック・パークを設計したところがコンペで優勝した。したがって、リオデジャネイロはバルセロナという成功事例だけでなく、ロンドンという成功事例とも同じ文脈で位置づけられるであろう。ロンドンの流れを引き継ぐという点では、ザハ・ハディドの国立競技場が却下されたことは改めて残念である。また、2007年にパンアメリカ・ゲームをリオデジャネイロは開催するのだが、そのときにつくった施設をオリンピック競技場にした。ただ当時は4万人収容で設計されたので、オリンピックでは6万人が収容できるように回収された。パンアメリカ・ゲームもオリンピックを開催させるための前哨戦であったことが、このような話を聞くと理解できる。
 あと、ここらへんを私はまだしっかりと理解していないのだが、リオデジャネイロの市長は汚職か何かで昨年末に辞めていると思う。どちらにしろ、今年の1月からは新しい市長が就任したために、オリンピックのレガシーをいかにして次代に継承させていくかは大きな課題となっているようだ。
 さて、ざっとリオデジャネイロのオリンピックを手段とした都市開発を概観したが、リオはオリンピックを開催したことで、今後の50年、100年の都市の方向性を示し、またそのための投資も行った。東京はオリンピックを契機としてその後の50年、100年の長期的スパンで都市をどのように方向付けるかという発想を果たして有しているのだろうか。まったく見えない。リオデジャネイロの果敢なる都市づくりに比べて、東京はどこへ向かっているのだろうか。東京というか日本には果たして都市計画という理念が存在するのか。そのようなことまで考えさせられたリオの視察と取材であった。リオに行って非常に多くのことを学ぶことができた。

IMG_1112.jpg

IMG_1169.jpg
(高速道路を地下化する事業のビフォア・アフターの写真が現場に設置されていた)

IMG_1117.jpg
(高速道路を地下化することでウォーターフロントが開放され、素晴らしい公共空間が具体化された)

IMG_1126.jpg
(港湾は海軍が土地を有していたが、ウォーターフロント沿いの10メートルを公共に公開することにしたことで、素晴らしい公共空間が創造されたのである)

IMG_1221.jpg
(ウォーターフロントとサントス・ドゥモン空港を結ぶLRTもオリンピックを契機に整備した)

IMG_1221.jpg
(オリンピック競技場の周辺も広場としての公共空間が整備された)

IMG_1247.jpg

IMG_1244.jpg
(バーバ地区の競技場のクラスターを設計したのは、ロンドン・オリンピック・パークを計画した事務所である)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

リオデジャネイロ [都市デザイン]

 リオデジャネイロという都市は、世界にも比類するものがない強烈な個性を有した都市である。大都市の背景であるランドスケープがここまで美しく、目を引くところはないであろう。シドニー、ヴァンクーバー、サンフランシスコ、香港・・・。思うがままに列記してみたら、すべて港湾都市であった。しかし、リオデジャネイロはこれらの港湾都市と比べても、その美しさは抜きんでている。比肩すべきものがない、特別な都市である。
 初めてリオデジャネイロを訪れた時の衝撃は忘れられない。都心部のすぐそばに立地するサントス・ドゥモン空港へ降りたった私を迎えたのは、片麻岩の
奇岩が美しい青色の湾に対して屹立する素晴らしい景勝を背景にしたレトロとモダンが共存する都市であった。その自然景観は、もしここに都市がつくられなかったら間違いなく国立公園に指定されただろうに、というほど特別なものであったが、後で、実際、コルコバードの周辺は国立公園に指定されていることを知って納得した覚えがある。
 さて、そのリオデジャネイロであるが、基本的には埋立地である。今でも多くの山々に囲まれているが、昔はさらに山が多く、それらの山を潰して、海を埋め立ててつくられた。ちょっと神戸市の話を彷彿させる。
 リオデジャネイロはブラジリアをも彷彿させる。リオデジャネイロのように輝いている都市と、ブラジリアのように荒涼とした地に人工的につくられた退屈な都市のどこが似ているのかと思われるかもしれないが、両方とも首都であったという点以上の共通点が見出される。まず、都心部の重要なところは極めてしっかりとつくられているが、そのコアの周辺部にあたる郊外はまったく非計画的につくられている点が類似している。ブラジリアもルシオ・コスタが設計したプラノ・ピロートを除けば、まったく無秩序に無計画に都市が広がっているが、リオデジャネイロもレブロン海岸からフラミンゴ地区に続く海岸部からセントロへと連担している三日月のような形状の集積地の周縁部には無秩序の大都市圏が展開している。中心部だけをみれば、まさに世界都市的な風貌を有しているが、その周囲部を見渡すと、驚くようなカオス的な第三世界が広がっている。これは、クリチバなどとは大きく違う点である。また、リオデジャネイロといえばファベラで有名であるが、これらのファベラの居住者はリオデジャネイロが都市開発を進めるうえで必要な労働力としてこの都市にやってきた人達が住むために発展した。ブラジリアもまさにそうである。
 さらに、その都市部がともに世界遺産に指定されている。ブラジリアは中心部であり、リオデジャネイロはコパカバーナ海岸周辺であり、必ずしも都心とは言えないかもしれないが、東京でいえば23区以内の距離感である。こんなところに博物館や建築物といった点ではなく、面の範囲で世界遺産に指定されているとは、なんか都市そのものが人類の遺産と認められているようなものである。これは凄いことである。
 さて、その凄いことであるアイデンティティは間違いなく有しているが、この都市はまた混乱の上に混乱を築いたような都市でもある。ファベラという問題から分かるように、都心部を除けば土地利用はまったくもって出鱈目であり、また公共交通のネットワークもあまり計画的とはいえない。高速道路もすぐ渋滞で動かなくなる。治安の問題は目を覆うばかりであるが、つくづく治安の良さというのは何とも価値があるものであることをリオデジャネイロにいると感じさせられる。安全は極めて高くつくのだが、ここリオデジャネイロではどんなにお金を払っても100%の安全が買えないような印象を受ける。
 このように左脳的には、全然、評価ができないこの都市であるが、右脳的には恐ろしく惹きつけられる都市でもある。この都市の持つ官能的な魅力に抗うのはほとんど不可能だ。アントニオ・カルロスジョビンやカルトーラを産みだした土壌、その風土。イパネマ海岸にいけば「イパネマの娘」が、コルコバードに登れば「コルコバード」のメロディが流れる。この都市の風土には音楽が地縛霊のように響いているのである。そして、海と山々という複雑な地形が、この都市の空間に、その面積以上の豊かさをつくりだしている。
 それは人で言えば、最高のプロショーンをもった絶世の美女である。そして、性格が破綻している。理性ではこんな女性に惹かれてはいけないと思いつつも、本能的に惹かれて離れなくなってしまう。ある意味、とんでもない都市であるが、この都市がこのように奔放で無責任に振る舞えているのも、近くにサンパウロというしっかりと(あくまでも相対的ですが)理性的に活動できている都市があるからだろう。つまり、サンパウロに、すべて都市を経済的に動かすためのつまらない部分を押しつけて、自分は享楽的なものを満喫する。ありときりぎりすでいえば、サンパウロが蟻で、リオデジャネイロはきりぎりすということか。そして、人々はきりぎりすのヴァイオリンに弾かれていくのである。そして、酷い目に遭う。私もまさに、それを今回の旅行で経験したが、それは後日、アップする。

IMG_1328.jpg
(コルコバードの丘から都心部を展望する)

IMG_1336.jpg
(イパネマ海岸は、ここが大都市圏で1200万人も擁する都市とはとても思えない美しさと享楽的な雰囲気を放っている)

IMG_1178.jpg
(都心部のレストラン街)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

リオデジャネイロのファベラ [都市デザイン]

リオデジャネイロのファベラの特徴は、高級住宅地に隣接して存在していることである。これはアメリカの都市などと大きく異なる点だ。アメリカの都市だと高級住宅地と貧困地区が隣接することはほとんどない。例えば、サンフランシスコロシアン・ヒルの高級住宅地とその麓にある低所得者の住宅地区との間に日系人のコミュニティを計画的につくった。これは第二次世界大戦で強制収容した日系人を住まわせるための計画であったが、拡大する低所得者の住宅地区との間に「人の壁」をつくったのである。酷いよねえ。あと、低所得者より敵国であった日系人の方が許されたというのも興味深いことである。
 さて、しかし私がここで書きたいのはリオデジャネイロのファベラに関してである。なぜ、高級住宅地にこのようなファベラが立地しているのか。それは、コパカバーナとかを建設するときに各地からやってきた土方の人達が、働いている時に丘に住宅をつくり、そこで生活をして、仕事がなくなった後もそこに住みついたからだそうだ。ブラジリアと同じ要因である。興味深いのは、ファベラが丘に張り付くようにつくられていることだが、これはこのリオデジャネイロという素晴らしく美しい景観を有する都市においても、最も素晴らしい展望を得られるところがファベラに占拠されていることである。土地の所有者などの関係を私は理解していないが、その発展の経緯は興味深い。
 また、ファベラは丘陵地にだけ発展している訳ではない。今回、私は元警察官のUBER運転手を雇ったのだが、彼は警察官だったこともありファベラ事情に非常に詳しかった。私がポルトガル語が相当、へたれなので、彼の言っていることはほとんど理解できなかったが、マレ地区という都心から北西部に広がる一帯はとんでもない地区だということであった。
 リオデジャネイロの映画といえば「黒いオルフェ」と「シティ・オブ・ゴッド」を思い出す。両方とも、ファベラを舞台にしている。「黒いオルフェ」の切なさや哀愁の世界と、「シティ・オブ・ゴッド」のやるせない絶望感とは、ロマンがあるかないかという違いはあるかもしれないが、何か通底するものを感じさせる。リオデジャネイロは、その恐ろしいほどの美しさゆえに、他の都市より死を感じさせるようなところがある。メメント・モリを意識させられる都市であり、それは、リオの美しさだけでなく、ファベラの醜さもそうである。

IMG_1352.jpg
(息をのむように美しいイパネマ海岸も振り返ると丘に張り付いているファベラがみえる)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

ブラジルでの旅行で、見事、航空会社のオプションの罠に嵌まってしまっている。 [地球探訪記]

 これまでブラジルには20回近く行っている。ほとんどクリチバが目的地である。我ながらよく行くものだ。最初に訪れたのは1997年だと思う。あまりにも行くので、先日、観光ビザを取るのに家内に行ってもらったら、「こんなに行くのはただの観光ではない筈だ。知り合いがいるだろう」と難癖をつけられた。そして、知り合いが誰か知らない家内による家内の観光ビザ申請は却下された。確かに知り合いがいるが、知り合いに会うのも観光ビザでいい筈なので、なんでこんなことを言われるのかと思わないでもないが、まあ、総領事館が怪しいと思うぐらい、ブラジルに行っていることなのだろう。さて、大抵、アメリカ経由で行く。最近は中東系でドバイとかドーハ経由で行ったりもする。しかし、今回はヨーロッパ(ルフトハンザ)経由で行った。長い。アメリカ経由より6時間は余計にかかる。中東経由と比べても3時間ぐらい余計にかかる。しかし、なぜか安かったのとルフトハンザはアメリカ系の航空会社に比べたら遙かに快適なので、そちらを使ってしまった。
 ただ、実際乗る数日前に頸椎をやられてしまい首が不安である。そういうこともあり、3万円でエコノミープラスにアップグレードされるけどとの甘言にやられて3万円を支払ってしまった。さて、サンパウロからクリチバに飛ぶ時は荷物制限が23キロのところ25キロなので、50レアルぐらい余計に支払った。これは、しかし意外と安かった。クリチバからリオデジャネイロに飛んだ時も、真ん中の席しか空いていなかったので25レアル余計に払って窓際の席にした。このようなオプションに嵌まるのは、敵の術中に落ちたも同然なのだが、年を取ったせいか、頸椎をやられたせいか、なんか財布のひもが緩くなっている気がする。現金を支払わされると抵抗するのだろうが、クレジットカードだと気が緩んでしまう。

nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

クリチバの凋落の大きな要因は自分で考えることをしなくなってからだ [クリチバ]

 クリチバは訪れるたびにどんどん悪化している。今では普通のブラジルの都市のようである。それは何が要因なのであろうか。いろいろな要因が考えられるが、セルジオ・トッキオ環境局長によれば、クリチバが考えることをしなくなったからだと指摘する。それまではクリチバは自分で考えた。しかし、最近の市長はクリチバの政策的な理念を持てなくなっている。レルネル時代の環境都市、タニグチ市長の人間都市(一部、私の著書のタイトルから取ったという人がいるが確認はしたことがない。流石に尋ねるのも恥ずかしい)などの理念、コンセプトがタニグチ氏以降の市長には不在なのである。
 そのような状況になると、世界銀行などがいろいろとアドバイスをし始める。JICAとかもやってくる。クリチバは自分で考える街ではなくなった。しかし、名前が知られているから、国際コンサルタントにとっては、その仕事をするのは箔を付けることにもなるので、非常に熱心に営業するのである。考えることをアウトソーシングし始めているのがクリチバのこの10年間ぐらいの傾向であるのだ。
 トッキオ局長による解説によれば、この何年間はクリチバが有名だったので、世界がクリチバを認めてくれた。それで、自分が何をしていいかも考えなくなってしまった。都市の場合は、一年間考えなかっただけで、どんどんと劣化していく。都市は凄いスピードで動いているからだ。人類の歴史がそうだ。頑張ってやっている時は、周りから集まってくる。頑張りがなくなった場合、頑張らなくても簡単だ、とそう思いながら市長が市政を運営すると、どんどんと劣化していく。立候補をする時に、街づくりなんてそんなに難しくない、と考えるとうまくいかない。街を維持するには非常な努力がある。レルネルさんがやったことをそのまま真似をすることはできる。だけど、人は代わりにならない。書くことを習った。しかし、それだけでは十分ではない。本を書きなさい、といわれても簡単にはできない。
 また、トッキオ氏はレルネルさんへの多少、批判する。
「レルネルさんは現役の時は、学校のように皆が集まって、同じ目的、同じ考えをもっていた。レルネルさんが学校をつくるのを忘れて、自由にしてしまった。そうすると、レルネルさんの考えが薄れていってしまった。ジャイメ・レルネルさんが学校をつくるのを忘れてしまった。」
 レルネル氏の驚くほどの都市経営の才能が、しっかりと継承されず、また、それを引き継いだ人達が、クリチバが上手くいったのはレルネル市長の能力ではなく、誰でも出来るというように過小評価をして、考えることもしなくなった。考えることをせずに、考えることをアウトソーシングし始めるとその組織は徐々に崩壊していくのである。
 などと書いていて、私は考えることをアウトソーシングされるコンサルタントで39歳まで働いていたことを思い出した。ちょっと複雑な気分である。

nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

コルコバードを訪れた [地球探訪記]

 リオデジャネイロは人口600万人以上を擁し、大都市圏では1230万人が生活するメガロポリスである。しかし、都心部に隣接するようにイパネマ海岸やコパカバーナ・ビーチが広がり、高層ビルの背景にポン・ヂ・アスーカルやコルコバードの丘などを含む片麻岩の山塊は、ここが600万人以上も抱える器を備えているようにはとても思えない。まるで、ハワイホノルルとかオーストラリアのケアンズのようなリゾート地のような佇まいである。そのような豊かな自然環境を代表するのがコロコバードの丘を含むチジュカ国立公園であろう。世界遺産にも指定されている。
 それは都心部に隣接して、都市に周辺を囲まれているにも関わらず、豊かな自然を維持している。そして、この公園の凄いところはコルコバードの丘というキリストの巨大な像を鎮座する素晴らしい展望台を有していることである。ランドマークとして優れているだけでなく、そこからの展望は、都市が偉大な人類の創造物であるということを強烈に観る者に印象づける。リオデジャネイロという驚くほどの官能的な都市の最大の観光地であると言っても過言ではないだろう。
 さて、しかし、このコルコバードに訪れるのは結構、大変である。前回、といっても15年以上前に訪れた時は仕事できたこともあって訪れそびれた。今回は2泊3日というきつきつのスケジュールであり、最終日の午前中しか自由時間はなかったが、その間にコルコバードに行こうと考えた。
 コルコバードに行く交通手段は大きく3つあると思われる。登山電車、マイクロバス、徒歩である。タクシーでも行けるかと思ったが断られて、マイクロバスに乗れと言われた。マイクロバスは幸いにも、私のホテルのそばにあるフラミンゴ地区のラーゴ・ド・マシャドの地下鉄駅前の広場から発着する。取りあえずチケット売り場はすぐ見つかった。券売人は「セブン、ワン」と言ったので、てっきり7レアル10セントかと思ったら、なんと71レアルであった。随分と高いな、と思ったが、後でこれはコルコバードの丘の上まで行く入園料も含まれていることを知る。さて、このマイクロバスは丘の頂上までではなく、中間地まで運んでくれる。ここで、どうもコパカバーナ発着のバスと合流しているようだ。そして、また丘行きのバスに乗り換えて行く。所要時間は乗り換え時間も含めてほぼ40分ぐらいか。9時にラーゴ・ド・マシャドの地下鉄駅を出たので、比較的早かったと思うのだが、既に、丘は大勢の人で溢れていた。立錐の余地がないとは言わないが、突端のポン・ヂ・アスーカルとリオの市街地が広がる展望台は、もう前進することが難しいくらいの人混みであった。とはいえ、ここに来たら、ここで写真撮影しなくてはならない。何のために盗難覚悟で一眼レフを持ち歩いているのだ。ということで、頑張って待って撮影する。ただ、光の都合で、ここからの写真は午後に撮影した方がいいものが撮れると思われる。一方でキリストの像はこの時間だと順光でしっかりと撮影できる。これは高さ40メートル、手を広げた幅30メートルという巨大な像で、その立地からして、リオデジャネイロのまさに守護神のようだ。その割には、リオデジャネイロ、あまりにも課題が多くて、守られていないような気がしないでもない。というか、この像のせいで、リオ市民が皆、神頼み的になってしまっているので上手くいかないのかもしれない。
 そのまま帰りもマイクロバスで途中駅まで行き、ラーゴ・ド・マシャドのマイクロバスに乗り換える。これは、タイミングが悪かったのか出発に20分ぐらい待たされた。しかし、駅には11時頃に着いたので、ちょっと駆け足ではあったが2時間でフラミンゴ地区からは往復することができた。

IMG_1310.jpg
(コルコバードからの素晴らしい絶景)

IMG_1289.jpg
(リオの守護神とも思われるキリスト像)
nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

トランプ政権がシャットアウトされたマスコミは、マスコミとして優れているからだ [トランプのアメリカ]

 トランプ政権が定例記者会見からCNN、ニューヨーク・タイムス、ロスアンジェルス・タイムス、BBC、ザ・ガーディアンなどを排除された。
http://edition.cnn.com/2017/02/24/politics/jake-tapper-white-house-trump-unamerican-cnntv/index.html
 なんか北朝鮮というか、戦前の日本というか、基本的には民主主義国家ではあり得ない振る舞いに唖然とする。そして、シャットアウトされたマスコミ群は、それがトランプの指摘するように「フェイク・ニュース」を流しているのではなく、しっかりとした取材に基づいて、正しい情報、すなわち「フェイク・ニュース」から180度反対の「信頼に足るニュース」を報道しているからこそシャットアウトされたのである。そのように考えると、シャットアウトされた方がむしろ光栄であり、排除されなかったマスコミは反省をすべきである。この措置に異議を唱えてTIMESの記者など一部は記者会見を欠席した。
 さて、しかしトランプはマスコミを壊してどうするつもりなのだろうか。北朝鮮のような、小説「1984」のような報道規制を敷いて、自分を礼賛するようなニュースとかばかり流したいのであろうか。そうであったとしたら、相当の馬鹿であろう。
 また、トランプは「マスコミはアメリカ人の敵だ」と演説で述べると、それを喜び、拍手をする人達がいることに愕然とするしかない。報道の自由は、報道する側の「表現の自由」を確保することはもちろんだが、市民の「知る権利」の確保という点でも重要なのである。それを市民が放棄するということは、政権に対しての市民の抵抗する術を失うことである。トランプは軍事予算も大幅に増額することを発表したが、トランプに好き勝手にやらせると市民はどんな痛い目に遭わされるか、覚悟すべきであろう。しかし、トランプは大阪の橋本徹と同じで、テレビによって有名になり、テレビを上手く使うことで大統領にまで駆け上がった男である。テレビこそがトランプの生みの親であると思うのだが、そのテレビやマスコミから報道の自由を制限させるという、恩を仇で返すようなことをするところが面白い。逆にテレビやマスコミの影響力の大きさを知っているからであろうか。そういえば、橋本徹もマスコミには相当、攻撃をしていた。
 アメリカは偉大な国と思っているのかもしれないが、このような大統領を選んでしまった時点で、もう一流国とはいえない。軍事面では超一流かもしれないが、政治面では相当、問題が出始めている印象を受ける。民主主義というシステムの大きな欠陥が露見されているようで、暗鬱とした気持ちにさせられる。大阪府ぐらいならまだしも、アメリカがそうなると困るでしょう。さらに、橋本徹はトランプに比べれば、はるかに立派でまともであると私は思っている。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

リオでUBERの運転手を雇ったら大正解であった。 [地球探訪記]

 リオで移動するのに公共交通を使うことはあまりにも難しい。地下鉄やライトレールならばどうにか対応できるかもしれないが、バスだと時間はまったく読めないし、そもそもバスをうまく使うのは東京でも難しいのに、リオだとほとんど不可能である。当然、タクシーが候補になるのだが、これもいちいち拾ったりするのは大変だし、ポルトガル語で交渉するのも難儀だ。ということで、一日自動車を運転手付きで借りることを考えた。以前、ブラジルに住んでいた知り合いに相談をして、何人か日本人を紹介してもらい、メイルで連絡を取ったら次のような回答が戻ってきた。
「車の会社に問い合わせた所9時から17時までですと、乗用車でUS$270との事です。今ガイド料が9時からですと17時まででUS$250しますので車だけでもちょっと無理だとの事です。今リオデジャネイロは物がニューヨークや東京よりも物価は高いのです。日本でも8時間車をチャーターしてもUS$100 では済まないのじゃないでしょうか?」
 US100ドルというのは、こちらが提示した額で、これまでブラジル人に仕事を依頼した経験や、現地の人に事前に相談して決めたのだが、なんか一昨日おいで的な返答である。
 とはいえ、ガイドに一日で520ドルというのは自動車付きでもあり得ないでしょう。しょうがないので、ブラジル人の知人にお願いしてUBERをお願いする。US100ドルで9時から17時まで。うまく探してもらい、ホテルに9時に来てもらうことにする。
 ジュバンという名前のこの運転手はムラートで、30代中頃と思しき筋肉マンであった。9時ということだったが、10分ぐらい前にはホテル前に待機してくれたおかげで、10時15分に市役所の取材が入っていたのだが、9時20分頃に着いてしまった。ある意味、ラッキーだったので、周辺の官庁街の様子を撮影した。取材をした後は、市役所の担当者がオリンピック跡地を案内してくれるということで、彼の運転で回ってもらった。お昼後は、担当者は市役所に戻ったが、郊外にあるオリンピック競技場や、メイン会場にまで行ってもらった。
 そしてオリンピック競技場では、ここは治安が悪いからと言って撮影に同行してくれた。さらに、ここは鞄を持っている人がいると、狙う奴がいるからなどと確信的に言う。その地区はファベラなどではなく、しっかりとつくられた家々だったので、また殺気も感じなかったので、私はちょっと大袈裟なんじゃないかと思ったが、彼は「僕は16年、警官をやっているので、この地区のことはよく知っている。犯罪が多い地区だ」というようなことを言った(私のポルトガル語は相当、適当です)。「え!元警察官」。なんと、私は元警察官の運転でいろいろとリオを回っていたのである。なんという幸運。これでUS100ドルというのは本当に安くて有り難い。帰りは凄い渋滞で約束の時間を1時間以上もオーバーしたので50レアル余計に払ったら、凄く嬉しそうであった。
 そこで翌日のホテルからガリオン空港までもお願いしたら快諾してくれた。リオデジャネイロのような治安の悪い都市で、観光地ではないような開発地区を視察するためには、信頼できる運転手がとても重要である。英語がほとんど分からなかったのが難であったが、現在はiphoneで相当、会話ができる。間違えても520ドルを日本人観光ガイドに支払わなくて本当によかった。また、是非ともリオを再訪したいという気持ちになっている。

nice!(4) 
共通テーマ:日記・雑感
前の30件 | -