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ドイツの夕張といわれるヨーハンゲオルゲンシュタットを訪れる [ドイツ便り]

ドイツの先生に夕張の話をしたら、ドイツで似ているのはヨーハンゲオルゲンシュタットだわ、と言われたので行ってきた。人口の動向を見てみると、確かに夕張と似ている。この町はピーク時には人口が4万5千人を越える。戦後、ちょっと経った1950年代前半である。1940年代までは1万人を超えることがなかったので、短期的にいきなり人口が5倍へと増えたのである。しかし、それも圧倒いう間に減り、1960年代には1万人前後に落ち着く。それからの50年間は一貫して人口へ減少し続け、現在(2015年)の人口は5000人を切って人口は4000人台。ピーク人口から9割も人口が減少したという点では夕張と大変似ている。
 さて、このヨーハンゲオルゲンシュタットはツヴィカウから電車で1時間ちょっとで来ることができた。それなりに駅前には集積があるかと思ったら、何もない山の中であった。相当、不安になるがとりあえず町がありそうなところに向かって車道を歩く。標識でZentrumと書いてある方向に行こうとすると、そこからは車道に歩道がない。ただ、歩行者専用道路のような散策路があったので、そこを登っていったら集落に出た。人が歩いているが、誰もが私を見ると怪訝そうな顔をすると思うのは自意識過剰であろうか。
 ヨーハンゲオルゲンシュタットはチェコの国境沿いの街であり、現在は健康リゾート地として指定されているが、それまでは鉱山であった。そして、この鉱山とは銀や錫であったが、18世紀頃には衰退していく。18世紀末は飢饉で多くの死者を出すなど貧困の山間部集落という状況に長く置かれることになる。1929年にはドイツ最初のスキージャンプ場が設置される。1945年にはウラン鉱の発掘が始まる。ただし、それによる従業員や環境へのマイナスの影響をまったく顧みなかったこともあり、多くの旧市街地は1953年から1960年の間に撤去された。瞬間的な人口急増であった。1990年のドイツ再統一によって、手袋繊維家具産業が消滅した。そして、これは工場や住居の撤去へとつながった。
 現在はスキー場があったりして、リゾート地としてそれなりのニーズがあるような印象を受ける。プラッテンバウ団地のような建物も幾つか残されていたが、特に空室ではなくそれなりに居住者がいるようにも思われる。雇用があるとも思えないので、これはリゾート地としてここを利用する人達の別荘として使われているように推察されるが分からない。一部、建物が多く撤去されたのではないか、と思わせるような場所もあった。人口が4万人近くも減っているので、相当の空き家が生じたと思われるので、空き家があまり見られないということは撤去もされている筈なのだが、現在、4万人の人がどのように生活していたのかはなかなか復元して推察することはできなかった。
 夕張に似ているということなので、常に夕張と比較するような形で街を見ていたが、夕張と違うのは農業的な生産活動が見られなかったこと、さらにリゾート地としては夕張よりも遙かにしっかりと環境が整備されていること、などであろうか。ウラン鉱の歴史がもっと分かるような博物館的な施設があるのかと思ったが、そういうものは見つからなかった。まあ、数時間の滞在でしかなかったので、そんなに理解ができた訳ではないが、ドイツにもこういう街があるということを知ったことはプラスであった。

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(ヨーハンゲオルゲンシュタットの人口推移)

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(街中には建物が何もないのにしっかりと道路が整備されているところがある。ここに一昔前に集落があったということだろうか?)

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(プラッテンバウ団地も建っているが意外と空き家は少ないような印象を受ける)

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(町の周囲は美しい1000メートルクラスの丘陵に囲まれている)

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(プラッテンバウ団地はどうも別荘として使われているような印象を受ける)

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(プラッテンバウ団地が倒壊された後の跡地のような空き地)
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