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デビッド・ボウイの展覧会に行く [ロック音楽]

デビッド・ボウイの展覧会に二度、行く。日曜日に行ったら、待ち時間1時間以上だった。
そんなに皆、デビッド・ボウイが好きだったのだろうか。私の高校のクラスにはボウイの熱烈なファンは1人しかいなかった。彼女は一生懸命、ボウイを伝道師のようにしてファンを普及させようとしていたが、それほど効果はなかったかと思う。私は、彼女が勧める「Stage」を聴いて嵌まった。というようなことを思い出した。ただ、その後、「レッツ・ダンス」が世界的に大ヒットしたので、また人々のボウイの認知度も変わったかもしれない。

展示内容は3000円という高額に見合うしっかりとしたもので、大変充実していた。しかし、一日目があまりにも混んでいて、充分に見られなかった。それでもう一日行くことにしたのである。二日目は平日に行った。18時過ぎに行ったのだが、流石に空いていて自分のペースで観ることができた。ただし、前回、見損ねたところを中心に観たにも関わらず、最後の展示コーナーに行く前に20時の閉館の時間を迎えてしまい、半ば追い出される形になってしまった。何が言いたいかというと、それだけコンテンツが多く充実しているので、見るの時間がかかるということだ。

ボウイのことはもちろん、その時代背景、ボウイが影響を受けた社会現象などまでもが、しっかりとした展示で解説されている。ボウイが時代の産物であるという認識をしっかりと持っていないと出来ない展示であり、キュレーターの理解力と展示力に感心させられる。確かに、ボウイは時代を映し出していた鏡であり、そういう意味でボウイとシンクロしていた時代性をボウイというメディアを通じて、音楽、ファッション、映像等で表現していた。しかも、ボウイはジョン・レノンやジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックスなどと違い、70歳近くまで生きてくれたので、時代の変遷までもがボウイを通じて観ることができる。ジム・モリソンは現象であったが、ボウイはコンテキストなのである。そのように考えると、本当に我々20世紀後半に生まれたものにとっては、ボウイは時代の体現者としてシャーマンのような有り難い存在であったことを思い知る。

個人的にはトゥナイトの後、ボウイからは遠ざかってしまった。私の人生的にも社会人になって仕事に追われ始めたこともあるが、それからまた再び聞くようになった「ネクスト・デイ」までの空白の20年間は随分と勿体ないことをしていたのだなと痛感する。というか、サラリーマンの15年間は個人的には文化が無かった時代だから致し方ないのだが、それでも悔やまれる。ただ、会社に今でもいたら、このボウイの展示会にも行かなかったかと思うと、サラリーマンを辞められてよかったと思わずにはいられない。

さて、この展示会は改めて私のボウイへの意識を再検証させてもらう貴重な機会を提供してくれたことになるし、そのアルバムの背景をさらに深めて理解させてもくれて、これは個人的にも有り難いことであった。20年間の空白というものがあったが、私はやはりキャリア的にはStation to Station が非常に好きだということと、ベルリン3部作に惹かれるということである。あと、スペース・オディティは名曲であると強く思うのと、当然だが、ジギー・スターダストのアルバムとライブと一連の「現象」がいかに異例なイベントだということである。

あと、ジギー・スターダストのコンサートを素晴らしいショーだと賞賛するイギリスのおばさん達の見識の高さに感心すると同時に、展示の最後でボウイを語るタケシがあまりにも外していて、この人はいろいろな面で凄い才能の持ち主だが、ロック音楽に関してはほとんど何も分かっていないなということを再確認したことである。これは、オールナイトニッポンでロッド・スチュワートの「セイリング」を歌っていた時にも感じたことだが、何か根源的にロックの格好良さを分かっていないと思う。ということで、いろいろなことを感じ、考えさせられた展示であり、ボウイは死してなお、あの素晴らしきアルバムだけでなく、生き残ったものに貴重なプレゼントを残してくれて、そのことは涙が出るくらい感謝している。ロック・スターのまさに鏡である。

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(日曜日は入り口に長蛇の列ができていた)

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