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ウォルター・ベッカーの訃報に接して [ロック音楽]

 スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが亡くなった。享年67歳である。スティーリー・ダンは、そのアレンジの複雑さ、変態的な詩などの特異性で、独特の存在感を放ちつつ、それでいてポピュラリティを獲得したロック史上、極めて希有なバンドの一つであろう。そのスティーリー・ダンという二人組ユニットの一人、ウォルター・ベッカーが9月3日に亡くなった。
 ウォルター・ベッカーの訃報に接して、「世界的ミュージシャン」(http://rocketnews24.com/2017/09/04/950141/)、「巨星が旅立った」(https://dailynet366.com/7165.html)などとウェブサイトなどで書かれている。しかし、私はウォルター・ベッカーの偉大さというのが、今日までよく理解できていないので、これらの形容詞にちょっと違和感を覚えたりもする。
 スティーリー・ダンは圧倒的にドナルド・フェーゲンが目立っている。ボーカルを取るのも彼だし、作曲をするのもほとんどが彼である。ウォルター・ベッカーはギター・ベースの担当ではあるが、スティーリー・ダンの初期はスカンク・ジェフ・バクスターが目立ち過ぎるスーパー・ギターを披露して、彼が脱退してドゥービー・ブラザースに移った後は、ラリー・カールトン、ジェイ・クレイドン、チャック・レイニーなど当代超一流のギタリスト、ベーシストを雇い、レコーディングをした。ということで、アレンジャーとしては超一流かもしれないが、ギタリストとしてどこが凄いのか、と言うと、私が勉強不足かもしれないがよく分かっていないのだ。
 というのも、私はスティーリー・ダンのコピーバンドでギターを担当していたことがあるので、バッキングがお洒落とか、ここでこのコードか、と感心することは多くあったが、ギタリストとして、おお、これはなかなかのプレイだ、と思ったのは、Josieのギター・ソロぐらいだけであったからである。
 とはいいつつも、私が大好きであったバンド、スティーリー・ダンの片割れであるウォルター・ベッカーの訃報には、大きなショックを受けたのは確かである。9月24日のドナルド・フェーゲンのコンサートに私は行くのだが、期せずして追悼コンサートになってしまった。もう少し、ベッカーの偉大さが理解できるように、ちょっと勉強をしなくてはならない気分になっている。

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『バッキンガム・ニックス』 [ロック音楽]

1973年に発表されたスティーヴィー・ニックスとリンゼイ・バッキンガムのコンビによる作品の紙ジャケによる復刻版。告白するのが恥ずかしいが、私は実は高校自体、フリートウッド・マックには相当嵌まっていた。今でもニックスの「ランドスライド」、「ドリームス」、「サラ」やマックヴィーの「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」などは実は好きだ。今、振り返れば70年代の典型的な郊外ロックではあるが、まあ日本の高校生はその頃のアメリカン・ロックはみな、格好良く聞こえていたのである。ちなみに、あまり認めたくはないがスティックスとかもよく聞いていた。
 さて、それはともかく、そういう高校時代を送っていた私は当時、当然、この『バッキンガム・ニックス』を頑張って手に入れていた。ただし輸入盤であった。結構、苦労して探し出してきたような気がする。日本版で発売されていたのかどうか不明であるが、このCD版は日本版では初めて発売されていたのではないだろうか。そういう意味ではフリートウッド・マックのファンは勿論のこと、私のように昔のファンにとっても有り難い復刻版ではないかと思われる。
 その内容であるが、オリジナルの10曲に加えてなんとボーナスが11曲も入っている。素晴らしいサービスぶりである。オリジナルの方も「ファンタスティック・マック」にも収められた「クリスタル」は勿論のこと、1曲目のNicksのCrying in the Night, 8曲目のRaces are Run(同Nicks)、6曲目のBuckinghamのDon’t Let Me Down Again、9曲目のLola(同Buckingham)などは名曲であり、これだけでも買う価値はあるかと思われるが、さらにボーナスには「リアノン」のライブやミラージュに含まれることになる「That’s Alright」なども収録されていて、まるで二枚組のような充実さだ。
 この40年も前に録音された、その後、押しも押されもせぬスーパーグループとなるフリートウッド・マックのコアとなる二人のこのアルバムを改めて聴くと、スティーヴィー・ニックスのソングライティングの才能の凄まじさと決して耳に心地よくない個性的なしゃがれ声が印象に残る。また、ピックを使わないバッキンガムのギター・スタイルと、彼のブルースとカントリーをヒュージョンさせたロック・スタイルはこの時点でほぼ確立されているのかも確認できる。
 しかし、発売されてからこんなに時間が経って日本版のCDが入手できるとは思わなかった。マックの新譜を買う気はほとんどないが、このCDは何も考えず即買いしたが正解であった。

バッキンガム・ニックス (生産限定紙ジャケット仕様)

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私がビートルズで一番、好きな曲は「サムシング」である [ロック音楽]

 もうビートルズのファンを40年間ぐらい続けている。中学一年に「ビートルズ・フォア・セイル」と「プリーズ・プリーズ・ミー」のカセットをもらって、ひたすら聴きまくって以来のファンだ。最初に買ったシングルも「オー・ダーリン」であった(最初に買ったLPは残念ながらジョン・デンバーであった)。
 さて、ビートルズ・ファンはよくジョン派とポール派に分かれるが、私は圧倒的にポール派である。私はミュージシャンを恒星で形容する癖があるが、ポールは圧倒的に一等星である。そしてジョンは、もちろん好きではあるが三等星である。ちなみに一等星は私と同時期に生きていたのではポールだけで、二等星にポール・サイモンとスティービー・ワンダー、アントニオ・カルロス・ジョビンなどが入っている。
 さて、そんな圧倒的なポール派であるが、実はビートルズで好きな曲を挙げろと言われるとCome Together, I am the Walrus, Tomorrow Never Knows, Strawberry Fields Forever、Day in the Life, In My Lifeなどジョンの曲を挙げてしまうという、我ながら論理矛盾していたりする。とはいえ、すべての曲を鳥瞰すると、やはりポールが大好きなのである。
 そのような中、ジョージの位置づけはというと、もうこれは、本当に低い。せいぜい六等星かな、と言うぐらい低い評価をしている私がいる。天才二人が幼なじみでいて、棚ぼただよな、と極めて失礼な見方をしていたりもする。ギターもあまり、評価できない。そもそも、While My Guitar Gentry Weepsの素晴らしいギターソロなどをクラプトンに弾かせてしまうことや、Taxmanのギターソロはポールが弾いたりしていることなど、試合放棄じゃあないか、というのは偏狭過ぎるだろうか。サッカー選手でいえばPKをすぐ譲ってしまうような気の弱さを感じてしまうのである。
 さて、しかし、そのようなジョージを過小評価している私であるが、ビートルズで一番、本能的に好きな曲は実は「サムシング」である。これは、残念ながら、左脳では否定をしたくても、右脳が圧倒的にそうだと私に自覚させてしまうのである。そして、それを分からせてくれたのがポール・マッカートニーである。ポールは今回も武道館では演奏しなかったが、東京ドームでは27日も30日もサムシングを演奏した。私は実はジョージの横浜ドームのコンサートでもジョージのサムシングを聞いたことがある。このときも感動したが、ポールほどではなかった。ポールの弾くサムシングは、本当に魂を揺さぶられる。
 ただ、ジョージを過小評価してはいるが、彼の曲は「マイ・スイート・ロード」とか前述した「While My Guitar Gentry Weeps」とか「Here Comes the Sun」なども嫌いではない。しかし、それらと比べてもSomethingは別格である。コード進行も素晴らしいし、ジョージのギターソロも素晴らしい。まあ、ポールのベース・ラインが特別に素晴らしいということもあるが、これも楽曲がそのベース・ラインを引き出すほどの出来映えであるからだろう。
 なんで、ジョージがこんなにも素晴らしい楽曲をつくりだせたのか。不思議ではあるし、いろいろと考えさせられる。ポールはもう素晴らしいメロディを次から次へと紡ぎ出せ、本当に神様に愛された天才という感じであるが、ジョージはサムシングをつくった才能の片鱗が感じられたのは「マイ・スイート・ロード」だけであり、他の曲は、多少味わいがあるが、天才的と感じるようなものは極めて少ない。私自身、作曲をするので、このジョージの補欠のサッカー選手がいきなりハットトリックを一試合だけした、というようなサムシングの現象は興味深い。
 まあ、そういう意味では、リンゴ・スターもソロになったらPhotographのようなヒット曲をつくり始めたことも興味深いし、似たようなことはフィル・コリンズにも感じる。人の作曲の能力というのは、なかなか面白い。天才でなくても、ずっと音楽をやっていると、ある日、潜在的な才能が顕在化するのかもしれない。


Abbey Road (Dig)

Abbey Road (Dig)




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ポール・マッカートニーの日本講演最終日に行く(2017年4月30日) [ロック音楽]

 ポール・マッカートニー最終日に私も東京ドームに行く。今回は4日間のコンサートのうち、29日を除いた3日間に行くことができた。29日とは比較はできないが、27日とのセトリとの違いとしては、Letting Goの代わりにJet, そしてBirthdayの代わりにGet Back を演奏したことを考えると、おそらく29日も何か違う曲を演奏したのではないかと思う。ちょっと気になってしまう自分がいると、やはり全日行けばよかったと思ったりするが(実際は申し込んだが買えなかった)、まあ昨年はポール体験が出来なかったことを考えれば、まあ十二分に堪能できたと思われる。
 あと、ポールを観られるだけでも幸せであるのだが、図々しいファンとしての願望としては、是非とも次回、このような機会があれば、次の曲を聴かせてもらえればと切に願う。
Silly Love Songs
Rock Show
I Will
Listen to What the Man Said
With A Little Luck
London Town
For No One
Oh, Darling
Martha, My Dear
Take It Away
Rocky Racoon
Rockestra Theme
I Will Follow the Sun
 いやあ、本当、ファンの欲望はとんでもないな、と書いていて思ってしまった。とはいえ、心から一日でも長生きしてもらい、上記の曲を一切、やらなくてもいいからまたコンサートをやってもらいたい。やはり、次回は全日行くか。

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ポール・マッカートニーを東京ドームで観る [ロック音楽]

ポール・マッカートニーを東京ドームでみる。一昨日の武道館に引き続いてで二回目だ。武道館では声が出ていなくて、流石に寄る年波には勝てないか、と寂しく思っていたりしたのだが、今日のポールは高音もシャウトできていて素晴らしかった。武道館とはセトリが違っていて、Can't Buy Me Love, And I Love Her, Letting Go, Band On the Run, Temporary Secretary, Eleanor Rigby, You Won't See Me (これは素晴らしかった)、New, Birthday などをやっていて、これだけでもちょっと武道館だけ行った人がいたら可哀想と思うのだが、なんとFool on the Hill を演奏した。これは、もう私としては90年代のドーム以来だったので感涙ものです。さらにSomethingまで演奏した。ジョージの曲だけど、ポールの歌の方が感動するのではなどと書くとジョージに怒られるか。演奏時間も武道館はちょうど2時間だったが、今日は2時間40分ぐらい。曲数も断然、多いような気がした。もちろん、武道館オンリーの曲もJet, Magical Mystery Tour や超渋いソロのEvery Night などがあったので、武道館に行かなくても残念な思いをしたとは思うが、どちらかに行くというのであればドームには行かなくてはいけないであろう。武道館では正直、見納めなのかなと思ったりしたが、今日のドームを見たら、まだまだポールやれるじゃないと思ったりした。やはり、ポールは別格で素晴らしい。こんなコンサートを再び見れた、今日という日に感謝。
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ポール・マッカートニーを武道館で観る(2017年4月25日) [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーの武道館コンサートに行く。当然、最安チケットのB席である。ただ、B席でも4万円だ。前回の武道館コンサートもB席で行った。北西というステージ横というひどい席ではあったがステージは近かった。さて、今回もどうせ相当ひどい席だろうと覚悟していたが、2階ではあったが東Q列ということで、しっかりとステージは見えた。遠いとはいえ、ドームに比べればずっとポールは近い。
 コンサートの開演時間は18時30分であった。私は18時40分に着いたが、結局、コンサートが始まったのは19時であった。さて、緊張するのは最初の一曲目である。なんと「ハードデイズ・ナイト」であった。これは意外である。というのは、これはポールの曲よりジョンの曲というイメージが強いし、おそらくジョンの曲であると思われるからだ。むしろ「シー・ラブス・ユー」の方がよかったかなと思ったりもしたが、まあジョン亡き後、この曲を最もオリジナルに歌えるのはポールしかいないか。とはいえ、ポール・ファンの私としてはちょっと出鼻をくじかれた感じがしないでもない。次は「ジェット」。格好いい。ジェットはポールのペットの犬の名前である。マーサ・マイ・ディアのマーサの息子である。なんで、犬でこんな格好いい曲がつくれるのか、凡人の私には到底、理解できない。そして、「ドライブ・マイ・カー」。そうか、そう来るか。そして「ジュニアズ・ファーム」。この曲は中学時代とかベストを聞いた時は今ひとつな感じだったが、今ではなかなかフェイバレット・チューンになっている。次は「レット・ミー・ロール・イット」。この曲はポール、昔からよく演奏するが、個人的なランキングではそんなに高くない。貴重な一曲が・・・という思いをしないでもない。とはいえ、生ポールだからなあ。次は「アイ・ゴット・ア・フィーリング」。レット・イット・ビーからの貴重な一曲。その後、ジミヘンの「フォクシー・レディ」のチューンでギター・ソロを披露。それからは「マイ・ヴァレンタイン」、バンド・オン・ザ・ランから「1985」。そして、ある意味、ポールの中でも最も好きな曲の一つである「メイビー・アイム・アメイズド」。ただ、前回までは、リンダの曲を歌います、と言っていたが今回はしなかった。何かの心変わりか。そしてジョンとの共作である「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」。次はなんと「エヴリ・ナイト」。ポールのソロ作品一枚目からの小作品である。渋すぎる選択だ!その後は、昔に戻ります、と言って「イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デンジャー」というビートルズ初録音の曲を披露した。私はこの曲を聴くのは初めてだが、なんか、イギリスのフォークソングのような気の抜けた作品であった。ちょっと興味深い。そして、次は「ラブ・ミー・ドゥ」。ビートルズのデビュー曲ですが、本当、ポールは凄い曲をいきなり作ったなと改めて関心する。続いて「ブラックバード」、「ヒア・トゥデイ」というアコギ曲を二曲披露すると、ピアノに座って、ニューのアルバムからの「クイニー・アイ」を演奏する。私は、どちらかというと最近のポールのアルバムは買ってもあまり熱心に聴かないのだが、この曲、改めて聴くと全然、悪くないし、ポール節炸裂している。そのままピアノに座ったまま、「レディ・マドンナ」。本当、次代に歌い継がれる名曲だ。
 ピアノから立つと、ベースを肩からかけて「次は日本初披露曲です」と紹介して、もう、期待に胸を膨らませていると「アイ・ワナ・ビー・ユア・マン」であった。え、リンゴが歌っていた曲じゃない。この曲は中学時代、ビートルズを聴きまくっていた時、そんなに好きじゃなかったんだよなあ、と思いつつ、ただ改めて聴くとそんなに悪くない。というか、いいロックンロール曲だ。とはいえ、初披露だと、例えば「オー・ダーリン」とか「アイ・ウィル」、「フォア・ノーワン」とかを期待してしまったが。
 しかし、ちょっと落胆した私にポールは「マジカル・ミステリー・ツアー」で答えてくれた。うわーっ、これは凄い。圧倒的なメロディー・センス、とてつもない楽曲だ。ノリノリになった私に、しかし、次は「ビーイング・フォア・ベネフィット・オブ・ザ・ミスター・カイト」。これは2013年でも披露していた曲だが、どうせジョンの曲を歌うのであれば、同じアルバムの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」とか「ストロベリー・フィールズ・フォアエヴァー」とかを演奏してくれればいいのにと贅沢にも思ってしまう。というか、初めて聴いた時は大感動したが、何回か聴くと、貴重な一曲が、と思ってしまう。まあ、ファンは贅沢で無責任なものですね。
 続いて「オブラディ・オブラダ」、「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド(リプライズ)」、「バック・イン・ザUSSR」、「レット・イット・ビー」、「リブ・アンド・レット・ダイ」、「ヘイ・ジュード」。こうやって書くと改めてけちのつけようがない流れ。
 そして、アンコール曲は「イエスタデイ」、観客をステージに上げたあと「ハイ・ハイ・ハイ」。これもポールはライブで演奏するのが好きなのだが、私としては数少ないそんなに好きではない曲。勿体ない。これで終わると辛いな、と思ったらピアノに座り、「ゴールデン・スランバー」を弾き始める。そして、アビー・ロード無敵のB面メドレー。これは、今日のコンサートで最も感動的で、心に迫った。このプログレの大曲のような組曲にこそ、ポールのたぐいまれなソング・ライティングの才能が凝縮されている。涙なしには聞けない、と書きつつ、今日は落涙することはなかった。それは、それでポールのコンサート馴れしているということで、幸せなことだと思ったりする。
 前回からそれほど時間が経たずにポールが来日したということや、セトリも前回とあまり変わっていない。また、バック・ナンバーは全員、同じということで、目新しいところはそれほど無かったコンサートと言えるかもしれないが、今回が最後となる可能性は高いとちょっと感じたりもした。もし、最後でなければ、それはそれで大変嬉しいことだが、最後であるという可能性も踏まえたうえで、有り難がらないと行けないと思う。ポールというモーツァルト、ベートーベンに匹敵する音楽的天才と同時代に生まれ、さらに違う国にいつつも、自国でそのコンサートを楽しめるという幸せを感謝すべきだと思う。まあ、人に押しつけるようなことはないのかもしれないが、私は本当に至福な気分である。
 あと、今回は宇宙団のリーダーの望月と一緒にコンサートに行ったのだが、彼女が生ポールを観て、どのように感化を受けるのかは興味津々である。それが作品に反映されたら、私としてもファン冥利に尽きるというものである。

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セキュリティ・プロジェクトを東京ビルボードで観る [ロック音楽]

 セキュリティ・プロジェクトというピーター・ガブリエルのコピー・バンドを東京ビルボードで観た。これは、主にピーター・ガブリエルの1枚目〜4枚目までの曲をコピーするバンドで、その当時、ドラムを叩いていたジョン・マロッタが率いている。私はピーター・ガブリエルをたいへん敬愛するものであるのと、もはやピーター・ガブリエルが来日する可能性もゼロなので、思わず、この怪しげなコピー・バンドに7000円も支払ってしまった。さて、21時半スタートのセカンド・ステージということもあり、周りは私のような中年男が多い。二人組で来ているものもあれば、私のように一人で来ているものもいる。まあ、それはどうでもいい。基本、ここらへんの世代がコア・ファンなのであろう。皆、少しでもピーター・ガブリエル的なものを消費したいのである。
 さて、バンドは定刻に始まった。ボーカルは意外なことに女性であった。一曲目は「ザ・リズム・オブ・ザ・ヒート」。名曲である。ただ、ちょっと演奏に迫力がない。4枚目からは「アイ・ハヴ・ザ・タッチ」、「レイ・ユア・ハンズ・オン・ミー」、「ザ・ファミリー・エンド・ザ・フィッシング・ネット」、3枚目からは「イントルーダー」、「ノー・セルフ・コントロール」、「アイ・ドント・リメンバー」、「ゲイムス・ウィスアウト・フロンティア」、「ファミリー・スナップショット」などを演奏した。あと、ケイト・ブッシュの私が曲名を覚えていないものも演奏した。そして、何より、ジェネシスの『幻惑のブロードウェイ』から「Back in NYC」を演奏した。これは、唯一、ドラマーのジョン・マロッタがボーカルを取った。これは、そもそもボーカルが他の音に消され、聞き取ることも難しく、まるで素人の演奏会のように酷かった。総じて、キーボードはミスタッチがあったし、ヴォーカルもケイト・ブッシュのコピーだけは凄まじく上手かったが、他はどうも迫力不足で非常に物足りなかった。というか、素面じゃなかったような気もする。特にキーボードには投げやり感を覚えた。ピーターの楽曲を聴くのは嬉しいが、これならCDを聞いたほうがまだましだ、ぐらいの後味の悪いコンサートであった。
 私は生まれて初めて、アンコール前に席を立ってしまった。ついでに、東京ビルボードの男性店員に、「ここはPAがいるのか」という嫌味を言っておいたが、この店員は他人事のように聞き流していた。最近、こういう苦情をしっかりと受け止めないサラリーマン病、アルバイト病を問題視している私であるが、ここ東京ビルボードも例外ではなかった。まあ、この店員にとっては、客が不満を持ってもまったく関係がないことだからだ。


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デビッド・ボウイの展覧会に行く [ロック音楽]

デビッド・ボウイの展覧会に二度、行く。日曜日に行ったら、待ち時間1時間以上だった。
そんなに皆、デビッド・ボウイが好きだったのだろうか。私の高校のクラスにはボウイの熱烈なファンは1人しかいなかった。彼女は一生懸命、ボウイを伝道師のようにしてファンを普及させようとしていたが、それほど効果はなかったかと思う。私は、彼女が勧める「Stage」を聴いて嵌まった。というようなことを思い出した。ただ、その後、「レッツ・ダンス」が世界的に大ヒットしたので、また人々のボウイの認知度も変わったかもしれない。

展示内容は3000円という高額に見合うしっかりとしたもので、大変充実していた。しかし、一日目があまりにも混んでいて、充分に見られなかった。それでもう一日行くことにしたのである。二日目は平日に行った。18時過ぎに行ったのだが、流石に空いていて自分のペースで観ることができた。ただし、前回、見損ねたところを中心に観たにも関わらず、最後の展示コーナーに行く前に20時の閉館の時間を迎えてしまい、半ば追い出される形になってしまった。何が言いたいかというと、それだけコンテンツが多く充実しているので、見るの時間がかかるということだ。

ボウイのことはもちろん、その時代背景、ボウイが影響を受けた社会現象などまでもが、しっかりとした展示で解説されている。ボウイが時代の産物であるという認識をしっかりと持っていないと出来ない展示であり、キュレーターの理解力と展示力に感心させられる。確かに、ボウイは時代を映し出していた鏡であり、そういう意味でボウイとシンクロしていた時代性をボウイというメディアを通じて、音楽、ファッション、映像等で表現していた。しかも、ボウイはジョン・レノンやジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックスなどと違い、70歳近くまで生きてくれたので、時代の変遷までもがボウイを通じて観ることができる。ジム・モリソンは現象であったが、ボウイはコンテキストなのである。そのように考えると、本当に我々20世紀後半に生まれたものにとっては、ボウイは時代の体現者としてシャーマンのような有り難い存在であったことを思い知る。

個人的にはトゥナイトの後、ボウイからは遠ざかってしまった。私の人生的にも社会人になって仕事に追われ始めたこともあるが、それからまた再び聞くようになった「ネクスト・デイ」までの空白の20年間は随分と勿体ないことをしていたのだなと痛感する。というか、サラリーマンの15年間は個人的には文化が無かった時代だから致し方ないのだが、それでも悔やまれる。ただ、会社に今でもいたら、このボウイの展示会にも行かなかったかと思うと、サラリーマンを辞められてよかったと思わずにはいられない。

さて、この展示会は改めて私のボウイへの意識を再検証させてもらう貴重な機会を提供してくれたことになるし、そのアルバムの背景をさらに深めて理解させてもくれて、これは個人的にも有り難いことであった。20年間の空白というものがあったが、私はやはりキャリア的にはStation to Station が非常に好きだということと、ベルリン3部作に惹かれるということである。あと、スペース・オディティは名曲であると強く思うのと、当然だが、ジギー・スターダストのアルバムとライブと一連の「現象」がいかに異例なイベントだということである。

あと、ジギー・スターダストのコンサートを素晴らしいショーだと賞賛するイギリスのおばさん達の見識の高さに感心すると同時に、展示の最後でボウイを語るタケシがあまりにも外していて、この人はいろいろな面で凄い才能の持ち主だが、ロック音楽に関してはほとんど何も分かっていないなということを再確認したことである。これは、オールナイトニッポンでロッド・スチュワートの「セイリング」を歌っていた時にも感じたことだが、何か根源的にロックの格好良さを分かっていないと思う。ということで、いろいろなことを感じ、考えさせられた展示であり、ボウイは死してなお、あの素晴らしきアルバムだけでなく、生き残ったものに貴重なプレゼントを残してくれて、そのことは涙が出るくらい感謝している。ロック・スターのまさに鏡である。

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(日曜日は入り口に長蛇の列ができていた)

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ボブ・ディランのノーベル賞受賞でちょっと考える [ロック音楽]

ボブ・ディランがノーベル賞を受賞した。多少、驚いたが詩人としての才能、彼が世の中に与えた影響力の大きさを改めて思い知らされた。さて、しかし、日本人はどの程度このボブ・ディランの歌から影響を受けたのであろうか。というのは、ロック音楽の歌詞というものは、メロディに乗っかることで、受け手は相乗効果的に感性を揺さぶられる効果があるのだが、これは歌詞が聞き取れなければ、その効果は半減というか、ほとんど無に等しくなってしまうからだ。これは、同じように歌詞がそのメロディの秀逸さとともに優れている椎名林檎の歌のよさを、なかなか外国人が理解できないことを考えれば納得できるであろう。すなわち、ボブ・ディランの詩の凄みというものは、右脳で理解してこそ、その偉大さが分かるのであるが、翻訳などを通じて左脳的に理解する日本人は、それを英語が母国語であるような人たちのようにアプリシエイトできないと私は思ったりするのである。そんな英語が聞き取れない人たちが、ボブ・ディランの真の価値を理解することが果たして可能なのだろうか。私は、ちょっと嫌われそうなことを書いているかな、との自覚はあるが、敢えて問題提起したいと思ったりする衝動を抑えられない。

もう一つボブ・ディランのノーベル賞受賞が示唆することは、ボブ・ディランが受賞できるのであれば、その裾野はロック界に大きく広がり、候補は相当、増えるということである。すぐに思いつくのは、ポール・サイモンである。私としては、ボブ・ディランなんかより、遙かに叙情性にあふれ、美しい歌詞を紡ぎ出してきたと思う。もちろん、パイオニアとしての位置づけは、ボブ・ディランに劣るかもしれないが、その歌詞、さらにメロディ・メーカーとしての天賦の才はボブ・ディランに勝るとも劣らない。
Hello darkness my old friend, I have come to see you again (Sounds of Silence)
という歌詞のインパクトの凄さ。“Still crazy after all these years” の歌世界の、どうしょうもないような人を愛することの切ない苦しみ。そのような音と言葉の世界をつくらせたら、ボブ・ディランよりもポール・サイモンの方が個人的には優れていると思う。
 さらに、Bruce Springsteenの歌詞と曲の、こう人の心を揺さぶらせるパワー。Born to Runは、どんなボブ・ディランの曲よりも、少なくとも私にとっては影響力を有していた。
 別にボブ・ディランのノーベル賞受賞に難癖をつけるつもりは毛頭もないが、彼の受賞は、そのような多くの人たちに可能性を広げたことを認識し、彼だけが、ロック界の重鎮の中で傑出した存在ではない、ということを認識しておいた方がいいと私は思うのである。生きていれば、John Lennon やBob Marleyもおそらく候補に挙がったであろう。そして、これは個人的な見解ではあるが、日本では椎名林檎もノーベル賞候補になると思われるのである。もう一人をあげるとしたら、中島みゆきか。

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リチャード・アシュクロフトのコンサートを観る [ロック音楽]

リチャード・アシュクロフトのコンサートをZepp東京で観る。もちろん、The Verve時代のBitter Sweet Symphonyを生で聞くというのが一番の理由である。しかし、実はそれ以外の曲も随分と楽しめ、流石の貫禄というか、リチャードのロックンローラーぶりに深く感銘を覚えた。驚いたのは、イメージではリチャード・アシュクロフトは神経質でクールな天才的キャラクターで、どちらかというと孤高のアーティストといったものだったのだが、コンサートではやたらくねくねと動きながら歌い、平気で自分のことを「リビングレジェンド(生きた伝説)」と言うなど、どちらかというと軽いキャラのアンちゃんであったことだ。アンコール最後のBitter Sweet Symphonyのリフと言ってもよい、人類史に残るような素場らしい旋律を聴くにつれ、この名曲を本当にこいつが作ったのか、という錯覚さえ覚えたが、歌声はまさに私が何度も聞いたのと同じであった。それにしても、このようなアーティストを小さな箱で観られてしまう2016年という時代と東京という都市の凄まじさは、改めて過小評価されているような気がする。

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スーパートランプ『パリ』 [ロック音楽]

スーパートランプのライブ二枚組。1980年のパリでのライブを編集したものである。このライブ・ツアーは「ブレックファスト・イン・アメリカ」ツアーと冠したものであったが、収録されている16曲のうち、同アルバムからの収録曲は3曲のみで、3枚目の「クライム・オブ・ザ・センチュリー」のアルバム8曲中のうち7曲が収録されている。しかし、全体的な統一感、そしてライブの演奏レベルは極めて秀でており、素場らしいライブアルバムとなっている。その情緒性、エスプリの効いた歌詞アンサンブルの素晴らしさなど、スーパートランプの謙虚でいてしっかりとした力量が理解できる傑作。

Paris

Paris




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スーパートランプ「クライム・オブ・センチュリー」 [ロック音楽]

1974年に発表されたスーパートランプの3枚目のアルバム。それまで全く鳴かず飛ばずだったスーパートランプがこのアルバムでブレークして全英4位の売上げを記録する。スーパートランプといえば、1979年発売の全米1位までいった「ブレックファスト・イン・アメリカ」が有名である。これは本国では全英3位までしか上らなかったが、日本のオリコンではなんと2位まで上がる。そういう意味では、日本人好みのミュージシャンなのかもしれない。ドライではなくウエットな情緒性、フィギュア・スケートでいうとテクニックよりも芸術点で稼ぐような詩情溢れる音楽性が日本人の感性と合っていたのかもしれない。その「ブレックファスト・イン・アメリカ」に勝るとも劣らないのが、この「クライム・オブ・センチュリー」である。ほとんど外れ曲がないクオリティの高さ、録音の素晴らしさ、どこを取っても欠点がみあたらない大傑作である。




クライム・オブ・センチュリー

クライム・オブ・センチュリー

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 1991/09/21
  • メディア: CD



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パティ・スミスの朗読会に行く [ロック音楽]

パティ・スミスがギンズバーグの詩の朗読会をすみだトリフォニーホール・ホールでする。あまり関心はなかったのだが、私が敬愛する下北沢ロックバー『マザー』のオーナーに誘われたので行ったら、凄くよかった。何がよかったか、というとそれはパティ・スミスの圧倒的な存在感というかカリスマであろう。ギンズバーグの詩をフィリップ・グラスピアノの伴走をバックに朗読するパティ・スミスには、とてつもなく惹きつけられるものがある。そして、詩の朗読だけではなく、People Have the Powerなども演奏した。ニューヨークのロックといえば、KissやNew York DollsLaura Nyroなどが浮かぶ。私はこの中では圧倒的にLaura Nyroが好きであったのだが、パティ・スミスをあまり聴いていなかったことを強く反省させられた。私の世界観を広げてくれるようなコンサートであった。

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くるり@神奈川県民ホール(2016.05.30) [ロック音楽]

 くるりを神奈川県民ホールで観る。くるりは二年ぶりぐらいか。椎名林檎を除くと、私が唯一、積極的にライブを観たいと思う邦楽バンドだ。今回のコンサートは前半は2004年に発表されたアルバム『アンテナ』の完全再現。そして、後半はジョゼのテーマ、飴色の部屋、ハイウェイ、さよなら春の日(シングル、ロックンロールのB面)、地下鉄、さっきの女の子。アンコールはHello Radio, かんがえのあるカンガルー、ふたつの世界、そして今度シングルとして発表するらしい「琥珀色の街、上海蟹の朝」。Now and Then のツアーでは『図鑑』バージョンが聴きたかったが、その次に聴きたいはこの『アンテナ』だ。私が最も好きなくるりの曲『ロックンロール』が入っていることが何しろポイントが高いが、今回のコンサートでつくづく思わされたのは『How to Go』の格好良さである。結構、ギターを歪ませて、弾きまくっているような激しいチューンが多い。また、後半部でハイウェイ、そして飴色の部屋をやってくれたのは嬉しかった。この2曲も私のくるりベスト10に入るようなお気に入りの曲なのだ。それにしても、今回のコンサートは改めて、くるりの守備範囲の広さと音楽センスの良さに感心させられた。
 それにしても岸田繁は器用だ。ジミ・ヘンドリックスとブラームス、ビートルズそして瀧廉太郎を彷彿させるミュージシャンは世界広しといえども岸田繁ぐらいではないか。新曲はなんかボビー・コールドウェル風のラップ音楽のようなものだったし。

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ディープ・パープルを武道館で観る [ロック音楽]

ディープ・パープルが来るというので1985年以来、観に行く。それまでも何回も来日していたのだが、まったく行く気も起きなかったのに、今回、行こうと思ったのは、デビッド・ボウイが亡くなったことが大きい。それ以来、「いつまでも生きていると思うな、親とロック・スター」という気分なのだ。ということで、このブログに書き忘れたが、先月もしっかりとクラプトンのコンサートに行ったし、来週もスティーブ・ハケットのコンサートに行く。さて、パープルといっても、オリジナル・メンバー的なのは3人だけである。イアン・ペイス、イアン・ギランそしてロジャー・グローバーである。パープルはジョン・ロードとリッチー・ブラックモアのバンドである。この二人がジョンとポールである。したがって、現在のパープルはリンゴ・スターとジョージ・ハリソンがビートルズと名乗っているような違和感をしないでもない。しかし、ジョン・ロードはもうこの世にいないし、最もパープルらしいバンドであることは確かである。少なくとも、イアン・ペイスはまだ、あの脅威のドラムを刻むことが出来ている。なんで、あの年齢で、という感じだが、今のうちに見るべきであろう、という気分にさせるには十分である。
 さて、曲目であるが最初がハイウェイ・スター、そして「イン・ロック」から2曲、「ストレンジ・カインド・オブ・ウォメン」。その後は、知らない曲が続く。よく考えると「パーフェクト・ストレンジャーズ」以降、聞いていないからな。初めて聴くということもあるが、どうも二流ヘビメタ・バンドのような感じの曲でがっかりする。ちょっとだれてきたが、「ミュール」そして「レイジー」というギラン時代の曲でまた気分が盛り上がってきて、「パーフェクト・ストレンジャーズ」、「スペース・トラッキン」、そして「スモーク・オン・ザ・ウォーター」。「スペース・トラッキン」、そして「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は流石に来て良かったと思わせられた。「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフは、これから200年後、300年後も人類は聴いていると思う。それは、ベートーベンの運命のようなものだ。
 アンコールは「ハッシュ」と「ブラックナイト」。70歳を越えたメンバー達は(スティーブ・モーズは61歳、ダン・エイリーは67歳)とっても礼儀正しく、流石にもう毒づくようなことや、アンプを壊したり、ギターを床に叩きつけたりするようなことはしなくなっていた。あと、バーンを始めとしたカバーデール時代の曲は一曲もしなかった。イアン・ギランにとっては、自分が歌った曲だけがパープルなのであろう。
 イーグルスのようにランディ・マイズナーが辞めた後も、彼がつくった「テイク・トゥ・ザ・リミット」をイーグルスのコンサートで歌うグレン・フライよりも遙かに潔い。などということを考えさせられたパープルのコンサートであった。

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NMEジャパンのグレン・フライに関する事実誤認の記事 [ロック音楽]

グレン・フライが亡くなられた。しかし、その経歴について、NMEジャパンが間違ったことを書いているので、ここに訂正したい。

元HPは下記。
http://nme-jp.com/news/12770/

そのHPでは、次のように書かれている。
「グレン・フライは、ドン・ヘンリーと並び、結成当時から現在までバンドに在籍していたメンバーわずか2人のうちの1人であり、“Hotel California”や“Take It Easy”、“Tequila Sunrise”、“Take It To The Limit”などのヒット曲を生み出している。」

ちなみにホテルカリフォルニアを作曲したのはドン・フェルダーで作詞はドン・ヘンリーである。グレン・フライはほとんど何の貢献もしていないが、ドン・ヘンリーが詞をつくるうえで困っていた時に、ちょっとアドバイスしたのでクレジットされている。昔は、グレン・フライは作者のクレジットで一番、最後だったが、いつの間にか前の方に出世してきた。

あと「Take it To the Limit」は100%ランデイ・マイズナーが作詞・作曲しており、彼もそう主張している(https://en.wikipedia.org/wiki/Take_It_to_the_Limit_(Eagles_song))。

「Take it Easy」はジャクソン・ブラウンとの共作で、これに関してはまあグレン・フライの貢献もけっこうあるかもしれないし、Tequila Sunriseは彼の曲だとは思うので、これらの作者であると主張することには抵抗はないが、Take it to the limit や Hotel California は関係ないでしょう。

亡くなった時にこういうことを書くのは気が引けない訳ではないが、こういう間違った事実が広まるとあまりにもドン・フェルダ−とランディ・マイズナーが可哀想なので、ちょっと記させてもらう。

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渋谷陽一のブラックスター評を読み、流石だと改めて感心する [ロック音楽]

偉大なるミュージシャンが亡くなった時、大袈裟に嘆くのはとても格好悪いと思いますが、その偉大さに甘えてあまり感謝しなかった後悔はまさに先に立たずで悔しいものがあります。私が悔やむのは、亡くなる2日前に発売された新譜があまりにも優れているからであり、まるでボウイは私のような彼の偉大さが分からなかった者に最後に悔いるチャンスを与えてくれたのではないかとさえ思うぐらいです。しかし、「俺には過去のミュージシャン」とこの期に及んでも言っているアホがいて困ったもんですが、そういう輩にはこの渋谷陽一の下記の文章を読むことをお勧めします。さすが、渋谷陽一は理解している。

http://ro69.jp/blog/shibuya/137124
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デビッド・ボウイ『ブラックスター』 [ロック音楽]

デビッド・ボウイの69歳の誕生日である1月8日に発売された28枚目のスタジオ・アルバムであるブラックスター。そして、3日後にボウイは逝去するので、このアルバムは彼の遺作となる。これまでロック史上に燦然と輝く傑作をいくつも発表してきたボウイであるが、我々に最後に残してくれたこのブラックスターも心を揺さぶるような傑作であり、またボウイらしい新奇性に富んでおり、前衛的である。それは、成功を収めても、その成功に安住せずに自己刷新を繰り返してきたボウイの新境地を再び見させてくれると同時に、その転生のプロセスに終止符を打つものであった。そして、その無限の輪廻のような眩いばかりの作品群の最終章として、このブラックスターは何とふさわしいのであろう。7つの楽曲を聞き終えても、また聞き返したくなる中毒性。ボウイは我々、ロックファンに死ぬ間際にも、こんな素場らしい作品を残してくれたという事実に感謝の気持ちが溢れ出る。





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デビッド・ボウイの形見である「ブラックスター」の新奇性は圧倒的である [ロック音楽]

 長女の成人式の食事会の後、次女と2人で帰宅途中、「ちょっとタワーレコードにでも寄るか」と入った渋谷のタワレコ。そこで店内に流れていたデビッド・ボウイの新譜。1月8日に発売されたそうだ。前作のThe Next Dayは、久し振りにボウイの天才性を感じさせる傑作であり、ボウイ未だ健在、ということを世に知らしめたが、この新譜も相当いいな、と即買い。さて、精算時にタワレコオンラインにアクセスしてクリックするとポイントが増えますよ、と言われたのでスマホにアクセスしたら「デビッド・ボウイが死去」というニュース。思わず絶句。タワレコの店員に「ショックだわあ」と動揺を隠せなかった。
 帰宅して、裳に服したい気分で、新譜を今、家で聴いている。最近のロックアルバムでは滅多に感じられない「新奇性」がこのアルバムには溢れている。プログレッシブなのだ。CDのライナーノーツで吉村栄一は「(前略)ボウイによる、これからまた作品ごとに新たな「魅せられし変容」を繰り返してくという高らかな宣言なのかもしれない」という文章が涙を誘う。
 それにしても、最後の最後にこんなプレゼントを形見として置いていってくれるなんて、さすが希代の伊達男である。


Blackstar

Blackstar

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 2016/01/08
  • メディア: CD



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レベッカが2015年に紅白初出場という企画センスの悪さ [ロック音楽]

 私は紅白歌合戦にまったく関心がない。そもそもNHKは受信料を払わないので観ない。しかし、正月は毎年、旅行に行くので、家族は喜んでホテルで紅白歌合戦をみるのと、また最近は椎名林檎が出たりするので、ちょっとは気になって時折、私も様子を見たりする。まあ、家族旅行なので他にすることがない、ということもある。さて、しかしなんと紅白にレベッカが出ているではないか。懐メロ特集か、と思ったら、どうも紅白初出場での出演らしい。歌った曲は当然「フレンド」だったが、なんで、「フレンド」がヒットした時に紅白に出さなかったのだ。まあ、これは当時、この曲がクラシックになることが分からなかったかもしれないし、レベッカが断ったのかもしれない。どちらにしても、今さら出るというのはあまりにも茶番であろう。私はレベッカが好きである。特に「フレンド」におけるノッコの歌詞、土橋が紡ぎ出したメロディー、そしてバンドであるレベッカがつくりだす世界観も好きだし、実際、横浜アリーナかどこかのライブにその昔、行ったこともある。「フレンド」は素場らしい曲であると思う。
 しかし、2015年12月31日にテレビで観たノッコは、その昔の迫力、切迫感、臨場感といったものはまったく感じられなかった。ヴォーカルの張りもなかったし。椎名林檎の神懸かった演奏に比べると、高校生の学芸会のようなパフォーマンスであった。
 昔のレベッカのファンは、こんなパフォーマンスを観てしまい寂しい気分にさせられ、またこれを初めて観た人達は、レベッカって大したことない、と思ったであろう。紅白歌合戦には興味はないが、イベント企画力のセンスの悪さ、という点からは興味深い。しかし、人から受信料を取ってつくるのであれば、もう少し、しっかりと考えて欲しい。そもそも、ノッコをこんな形で観て喜ぶ人がどれくらいいると思っているのだろうか。

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学芸大学のCD屋へ40年ぶりぐらいで、恩返しをすることができた [ロック音楽]

クリスマス・イブの夕方、学芸大学のCDショップ屋を訪れる。ここは、私が40年近く前、中学時代になけなしのお小遣いレコードを購入していたところだ。ロック少年であった私は、今のように情報が少ない中、何を買えばいいのか悩みに悩んで一枚を選び、家で聞いて今ひとつだと、何とこのレコード屋さんに他のと交換させてもらう、という今考えると信じられない掟破りをしていたのだ。そのため、大人になったら大人買いでその時の無礼を許してもらおうと思っていたのだが、今まで出来ずにいた。店がまだやっているか不安だったがやっていた。当時の店長がまだそこにはいた。小さいCDショップなので置いているものも少なく、私のように偏狭な嗜好のものには(だって好きなアーティストがPhishやWilcoで、比較的メジャー椎名林檎とかは全て揃えている)選ぶCDが少なくて困ったが、それでも8枚ほど選び、私の過去の無礼を詫び、購入させてもらった。店長は、快く私の気持ちを受け入れてくれ、King Crimsonの話などで会話も弾んだ。店長は随分と高齢となっていたので、私の恩返しが間に合って本当によかった。
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「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」ツアーに行く [ロック音楽]

 椎名林檎を観るために神奈川県民ホールに行く。ツアー・グッズを買うのにいつも並ばされるので開演1時間前に行ったら、ほとんど並ばずに買えた。いつもは万単位のアリーナとかでやられるライブが、今回は2000席程度の神奈川県民ホールということもあるかもしれない。
 椎名林檎のホールツアーはどうも2003年以来だそうだ。ということで、私的にも初めての林檎のホールツアー。とても楽しみである。そして、なんと席は前から5列目。以前、1列目という時もあったが、その時は端っこだったが、今回はまあまあ真ん中の方。もう、これからの人生の運をすべて使い果たしたかのようなラッキーさだ。
 さて、わくわくしながら待っていると、会場が暗くなり、シルエットの向こうで花嫁姿の椎名林檎が「凡才肌」を歌う。私のように椎名林檎は天才だ!と安易に褒めちぎる人への非難のような歌詞に、思わずちょっと申し訳ないような気分になる。そして、シルエットが落ちて林檎が姿を現す。まるで九尾の狐が花嫁姿に化けているかのような怪しげな色気に満ちている。バックメンバーは浮雲と、そしてなんと東京事変の初代キーボーディストのヒイズミマサユ機。演奏するのは、疾走感溢れる「やさしい哲学」。次は、『日出処』から「いろはにほへと」。そして、「尖った手口」、「労働者」と『三文ゴシップ』の2曲を挟み、『日出処』から「走れわナンバー」。その後は、東京事変の『教育』から「現実に於いて、現実を嗤う」、「Superficial Gossip」、中田ヤスタカとのコラボ「熱愛発覚中」。この曲はキャリーパミュパミュの林檎風アレンジとも思われ、林檎の音楽の解釈力の凄さに感心する。そして「至上の人生」、「ブラックアウト」と繋ぎ、「迷彩」。これまでは東京事変以降の林檎作品だったので、とても嬉しく懐かしい気分にさせられたら、「罪と罰」。いやあ、心が震えるわあ。と感動していると、林檎は引っ込んで、浮雲が「セーラー服と機関銃」を歌う。なんだ、なんだ。しかし、多幸感に包まれているので、これもハッピーな気分で聴いている自分がいる。
 とはいえ、随分とリセットされた気分になっていると「Σ」、そして「警告」。いやあ、ロックだわ。その後は、また『三文ゴシップ』から「マヤカシ優男」。石川さゆりへの提供曲「名うての泥棒猫」、さらに「真夜中は純血」。レキシとのコラボ「きらきら武士」。浮雲とのやり取りが楽しい。次は、スマップへの提供曲「華麗なる逆襲」。ちょっとだらけた気分になってきたかなと思ったら「お祭騒ぎ」。いやあ、この曲はそれまで、そんなにいいとは思えなかったが、名曲だ。この曲は、バンド単位で演奏した方が、ノリが出てくると思う。バックには、今回のテーマの百鬼夜行の妖怪達が楽しげに踊っている。素場らしい。と感心していると、「長く短い祭」。あまりの素晴らしさに落涙しそうになるほど感動する。この曲、こんなによかったんだ。と、ほとんど魂が無防備になってしまったところに「群青日和」、「NIPPON」。もう、生きていてよかった、と思えるほどの三連ちゃん、というか「お祭騒ぎ」もいれれば四連ちゃんである。
 椎名林檎はやっぱりロック・ミュージシャンであることを改めて認識する。小さい箱でミニマムな単位で演奏すると、本当にその楽曲の凄まじさなどが伝わってくる。いやあ、もうお腹一杯、という中でアンコール曲は随分と渋く「逆さに数えて」。そして最後の曲は「虚言症」。なんで10代でこんな曲が作れたんだ、ということに改めて吃驚する。
 そういうわけで、精神が揺さぶられ、魂が抜けていくかのような2時間弱の時間を楽しめた。私はこれまで林檎の「林檎博08」がベスト・ライブかな、と思っていたが、今回のライブはそれをも上回るぐらいの大きな感動をいただいた。こんなアーティストが日本で生まれ、そして自分が日本人で、同時代に体験できている幸運に心から感謝するようなライブであった。

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キング・クリムゾンのコンサートに行く [ロック音楽]

 キング・クリムゾンのコンサートを観に渋谷のオーチャード・ホールに行く。渋谷のオーチャード・ホールでキング・クリムゾンのコンサートが観られるなんて、本当に東京はそういう面ではいい都市だ。
 さて、感動の最初の一曲目は太陽の旋律パート1。それにしても、なんでLarks’ Tongues in Aspic (アスピック・ゼリーの中の雲雀の舌)というタイトルを「太陽の旋律」と訳したのかねえ。「ゼリーの中の雲雀の舌」よりは格段に格好いいけど、意味はまったく関係ない。アルバムから連想したんだろうけど。次は、なんと「ポセイドン」からPictures of a City。意外な選曲だ。ヴォーカルは知らない人だったが、グレッグ・レーク風で悪くない。と思ったらEpitaphですよ。Confusion will be my Epitaph。今、改めて聴いてもすごい歌詞だな。しかし、これは何だ。懐メロ大会か!と思ったら、その後は知らない曲が続いた。まあ、私はせいぜいビートまでしかしっかりと聴いてこなかったエセファンというか、ファンとはいえないようなものだからな。しかたないかな、と思いつつも、変態的な変拍子の嵐、しかも、スリー・ドラムというのに見事なシンクロ。と、その演奏ぶりに感心していたので退屈はしなかった。すると、レッドのイントロが始まった。うねうね感溢れる、フリップのディストーションとコンプレッサーが効きまくった粘っこいギターのリフと、それに絡んでくるドラムやベース。この曲は滅茶苦茶、格好いい。素場らしい!と感動していると、次はなんとスターレスですよ。いやあ、「レッド」というアルバムの凄まじいクオリティを再確認する。舞台も真っ赤になり、キング・クリムゾンの熱烈ファンの気持ちが分かった気分になる。ここで終了。
 もう最後の2曲でアンコールもいらないぐらいの満腹度であったのだが、出てきて演奏したのが「クリムゾン・キングの宮殿」。まともな8拍子なので、とても普通に聞こえてしまうが、時代を画した名曲。まあ、オリジナル・メンバーはフリップだけだが、それでも、キング・クリムゾンが演奏する「クリムゾン・キングの宮殿」である。有り難い。そして、次は「21世紀の精神異常者」だ。まあ、この曲はプログレというよりかは、アシッド・ジャズですね。
 ということで、相当、楽しめたコンサートであった。とはいえ、2ヶ月ぐらい前のアメリカではOne More Red Nightmareをやったようなので、これは聴きたかったかもしれない。私はCourt of Crimson Kingのアルバムは人類の宝とさえ思うほど素場らしいアルバムであると思っているが、今日のライブで、しかしキング・クリムゾンのベスト・アルバムはレッドであろうと改めて思わされた。
 まだ、ライブは続くみたいだが、必見でしょう。






In the Court of the Crimson King

In the Court of the Crimson King

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Discipline Us
  • 発売日: 2005/02/22
  • メディア: CD



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『タッグ・オブ・ワー』 [ロック音楽]

1981年に発売されたポール・マッカートニーのソロ3作目。それまでの2作のソロ作品とは比べものにならない捨て曲がほとんどない大傑作である。というか、天才メロディメーカーのポールの面目躍如たる作品である。ジョージ・マーティンを迎えてつくられたためか、カリブ海の孤島でつくられたためか、ジョンが殺されるという事件を経て発表されたアルバムではあるが、全般的にポールの優しい側面が打ち出された聴くものの心が洗われるようなアルバムとなっている。スティービー・ワンダーとの共演曲の「エボニー・エンド・アイボリー」が有名だが、他にも10CCのエリック・スチュワートスタンリー・クラーク、リンゴ・スターなどが共演している。


Tug of War

Tug of War




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『パイプス・オブ・ピース』 [ロック音楽]

ポール・マッカートニーの1983年のソロ・アルバム。前作『タッグ・オブ・ワー』とは二枚組のような位置づけで、ともにジョージ・マーティンがプロデューサーをしている。タイトル曲の『パイプス・オブ・ピース』を始めとして、ポール節に溢れたメロディ・センスが秀でた楽曲が多い。なんか、長閑な多幸感に溢れるアルバムである。マイケル・ジャクソンとの楽曲である『セイ・セイ・セイ』、ビートルズ時代のポールの曲を彷彿させる『ザ・アザー・ミー』や『ソー・バッド』。ELOかと思うかのような『キープ・アンダー・カヴァー』。ポールの優しい側面が前面に出たアルバムであり、是非ともコレクションに加えておきたいアルバムである。


パイプス・オブ・ピース

パイプス・オブ・ピース




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マッカートニーII [ロック音楽]

1980年に発表されたポール・マッカートニーのソロ・アルバム。マッカートニーに次いでつくられた正真正銘のソロ・アルバムである。バック・ボーカルでリンダが入っている以外はすべてポールの演奏のようだ。家で録音されたそうだ。そういうことを考えると、ポールのギターが上手い、というか音が綺麗なのに驚く。まあ、自宅録音のアルバムだ。それを踏まえると、相当のクオリティではある。さて、しかし、ポールの作品の中では極めて凡庸なアルバムであると言わざるを得ない。まあ、大天才の凡庸なアルバムなので、結構、悪くないアルバムなのだが、ポールのクオリティに達しているかといえばそんなことはない。デジタル・ミュージックへのいろいろなアプローチを試みており、それは興味深いといえなくもないが、インストの「フロント・パーラー」や「フローズン・ジャップ」は相当、どうでもいい曲であり、天才ポールの名声に汚点を残したのではないかとさえ思える。

どうでもいいが、「フローズン・ジャップ」は日本語では「フローズン・ジャパニーズ」と誤訳されている。1980年の2月、ポールは大麻所持で日本で逮捕されて監獄に入れられて、その時の思いを曲にしたので「フローズン・ジャップ」というタイトルにしたのだ。いちいち「ジャパニーズ」に直さなくてもいいだろう。こういうことをするから、歴史の塗り替え、慰安婦問題の隠滅を図る、などと後ろ指を指されるのである。ポールはその後、日本が好きになって何回も来てくれたりするようになったので、それだけでいいじゃないか。当時は日本人が嫌いだったという感情まで隠蔽することはないだろう。

まあ、問題なのは、この「フローズン・ジャップ」があまりにも駄作であるということだ。というか、ジャップといいつつ、メロディーはとても中国的だ。もう、ポール何をしているんだろう、という感じである。

ということで、ポール的には大駄作であると思われる本作品であるが、それでもポールの作品なので、ロック史的には駄作ではないし、その後、ダンスDJの間では再評価されたりしているようなのでまあ買って損をしたということはないでしょう。ただ、ポールのアルバムを聴きたいという若いファンは違うアルバムを手に取ることを強くお勧めする。





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クリス・スクワイアの訃報に接して、ショックを受ける [ロック音楽]

イエスのベーシスト、クリス・スクワイアが6月27日に他界した。私はベーシストではないがクリス・スクワイアのベースには本当、感動してきた。「こわれもの」のHeart of SunriseやRoundabout、「危機」のSiberian Khatruでの激しくも歌うようにメロディアスなベースは度肝を抜かれたものだ。YESの真髄はJon Anderson でもRick Wakeman でもSteve Howeではもちろんなく、Chirs Squireだと考えている私は、彼の訃報はショック以外の何物でもない。しかし、若かりし頃、大きな感動を与えてくれた人たちが次々と逝去するというのは、私も相当の年齢になっているということだろう。それにしても、2014年11月にイエスが来日したのに観に行かなかったのは悔やまれる。ジョン・アンダーソンがいないので今ひとつかな、と思ったりしたのだが、よく考えればクリス・スクワイアがいればイエスだったのである。そんなことは「ドラマ」で分かっていたのに。もう私の残りの人生もそれほど長くはないが、ポール・マッカートニーもそうだが、他の偉人達の余生もそれほど長くないことを認識して、彼らが日本に来てくれた時はしっかりとその「生」をアプリシエイトしに、ライブに行かなくてはな、と改めて思う。クリス・スクワイア、享年67歳。ご冥福をお祈りします。
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ポール・マッカートニーの武道館コンサートに行く [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーの武道館コンサートに行く。SS席は10万円であるが、私は当然、最安値の4万円。普通の外タレのコンサートではアリーナと北西、北東であってもせいぜい2割ぐらいしか値段は違わないのに、今回は6割も違う。私は北西のL列であったが、実はポール、とても近かった。しかも、ピアノを歌う時は、こちらの正面になることが分かる。凄いラッキーだ。これなら、東京ドームの1万8千円に比べても、ずっといい。
 さてポールのコンサートであるが前日、そしてその前の木曜日にも行っているので三回目である。木曜日と昨日の月曜日はまったく同じセットリストであった(とはいえ、月曜日はちょっと遅れたので確信はしていないが、その後がまったく同じだったのでそのように推測している)。さて、ということで、武道館のセットリストが東京ドームとどの程度、変わるのか。そこが4万円のチケットを購入したせこい私の関心事となった。
 私としては、まあポールの生演奏であるなら、1曲に1万円の価値を認める。ということで4曲以上やれば大儲けのような気分で武道館に行った。さて、ちょっと混むだろうと18時30分開演の30分前に会場に行く。結構、行列で待たされたが、18時30分には武道館に入れていた。東京ドームでも19時開演だったので、余裕だなと思っていたら、なんと19時を過ぎても、19時30分を過ぎても始めない。退屈していて、会場をうろうろしていた前に座っていたオーストラリア人の女性が、なんかセトリの紙の写真を撮影できたらしく、見てよ、と言ってきたけど、我慢して見なかった。見たら、楽しみがなくなってしまう。さて、会場には「終電に間に合わない」などという苦情を叫ぶものもいた。ポールのコンサートと終電、って重みが違うだろう、この小市民と思う私がいたが、それでもこれじゃあ20時になっちゃうな、と思ったところで電気が落ちて、ポール達が現れる。さて、一曲目がなにしろ重要だ、と気構えていると「キャント・バイ・ミー・ラブ」。おお、ドームでも演奏した曲だが、少なくとも順番は違うぞ。それにしても、この曲は改めて素晴らしいな、と思う。次がどう来るか。ここが重要だと緊張していると「セーブ・アス」。おや、これはドームでもやった曲だ。ううむ、と思っていたら「オール・マイ・ラビング★」。これは、1年半前は演奏していたが今回は初めてだ。素晴らしい。次は「ジョンとつくった最初の方の曲」との紹介で、えっ、ラブ・ミー・ドゥと思ったが「ワン・アフター・909★」を弾き始めた。いいなあ、この曲。やっぱりポールは天才だ。その後は、「レット・ミー・ロール・イット」、「ペイパーバック・ライター」、「マイ・ヴァレンタイン」、「1985」とドームとまったく同じだ。なんか、がっかり感が増す。次は「メイビー・アイム・アメイズド」。私が大好きな曲だが、え?「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を抜かした?これって、もしかしたらドームの構成から曲を減らす、というコンセプトなのか、という疑惑を持つ。まあ、その分、演奏していない曲をやってくれればいいのだが・・・。さて、次は「アイハブ・ジャスト・シーン・ア・フェース」、「アナザー・デイ」とこれもドームと同じ。と思ったら、マンドリンを持って「ダンス・トゥナイト★」を演奏した。渋いな。これは違う展開か、と期待を持たせたが、「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」でまたドームと同じだ。そして「エンド・アイ・ラブ・ハー」、「ブラックバード」。ふうむ、これは次はヒア・トゥディかな、と思ったら、それはパスして「ニュー」。そして「レディ・マドンナ」。ドームと同じだ、と落胆しつつあったら、「次の曲は本邦初公開」とポールが言う。これは、「ホープ・フォア・フューチャー」?、それなら木曜にも月曜にも演奏しているし、初公開じゃあないじゃない、と思ったら「アナザー・ガール★」ですよ。会場は大興奮で私も大興奮した。そして、たたみかけるように「ガット・トゥ・ゲット・ユー・バック・イントゥ・マイ・ライフ★」。ウォー、来た甲斐があったと喜んでいると、「ミスター・カイト」。え!ここでジョン作曲のミスター・カイト。嫌いじゃあないけど、私、この曲、もう4回もライブで聴いている。2002年に演奏していた「ハロー・グッドバイ」とか「フール・オン・ザ・ヒル」とか「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」とか「ミッシェル」が聴きたいな、と欲張りな私は思う。次は「オブラディ・オブラダ」。お、ジョージのサムシングはパスか。そして「バック・イン・ザ・USSR」。お、バンド・オン・ザ・ランもパスか。そして、「レット・イット・ビー」、「リブ・アンド・レット・ダイ」、「ヘイ・ジュード」のたたみかけるようなラストの盛り上がりで終わる。アンコールはデイ・トリッパーの代わりに何をするのかな、と思っていたらいきなりイエスタデイ。え!そしてその後、ヘルター・スケルターかなと思っていたら「バースデイ★」。これも皆、興奮。いや、素晴らしいロックン・ロールですわ。中学時代はそれほど好きじゃなかったけど、改めて聴くといい曲だ。そして、「ゴールデン・スランバー」・・・。演奏時間はドームだと3時間近かったけど、今回は2時間ちょうどぐらい。とてもよかったけど、もう少し、違うセトリだったらより嬉しかったが、まあ、これは贅沢というものだ。
 それにしても、ポール・マッカートニーが生まれてこなかったら、随分とロック音楽も違っていただろうにと思う。ビートルズも存在したとしても、あのような音楽は生めなかっただろうし。これはポールがいなければジョンもあのような曲をなかなかつくれなかったと思うからだ。ビートルズはお互いの相乗効果がとてもうまく才能を啓発させたと思われるからだ。
 そういう意味で、ポール、本当にこの世に生まれてきてくれて有り難う、という感謝の気持ちを一杯にして、武道館を出た。

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ポール・マッカートニーのコンサートに行き、彼は20世紀で最高の音楽家であると確信する [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーのコンサートに行く。東京ドームである。開演は18時30分であったが、実際演奏が始まったのは19時ちょうどであった。期待の一曲目は「マジカル・ミステリー・ツアー」であった。そうくるか。一年半前は「エイト・デイズ・ア・ウィーク」という相当、変化球から入ったが、「マジカル・ミステリー・ツアー※」は相当、一曲目としては妥当である。さて、次の曲は私はあまり知らない「セーブ・アス」という曲であったが、三曲目は「キャント・バイ・ミー・ラブ※」そして、なんと「ジェット※」。二曲目を除けば一年半前には演奏しなかった曲が続く。ウォー、素晴らしい。そして。「レットミー・ロール・イット」、「ペーパーバック・ライター」、「マイ・バレンタイン」。そして、ピアノに座って、ウィングス・ファンにというポールの説明の後、「ナインティ・ハンドレッド・エイティ・ファイブ」。そして、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」。「メイビー・アイム・アメイズド」。ギターに持ち替え、「アイ・ハブ・ジャスト・シーン・ア・フェイス」、「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」。そして、本邦初公開というMCの後、「ホープ・フォア・ザ・フューチャー」。これはどうもテレビゲームの曲のようだ。そして、「アナザー・デイ」、「アンド・アイ・ラブ・ハー」、「ブラックバード」、「ヒア・トゥデイ」。そしてニューアルバムから「ニュー」、「クィーニー・アイ」。さらに「レディ・マドンナ」「オール・トゥゲザー・ナウ」、「ラブリー・リタ」、「エリナー・リグビー」、「ミスター・カイト」、「サムシング」、「オブラティ・オブラダ」、「バンド・オン・ザ・ラン」、「バック・イン・ザ・USSR」、「レット・イット・ビー」、「リブ・アンド・レット・ダイ」と一年半前のニュー・ツアーとほぼ同じ構成。そして、最後はおきまりの「ヘイ・ジュード」。
 アンコールは「デイ・トリッパー」、「ハイ・ハイ・ハイ」とこれも前回と同じであったが次が「ゲットバック」ではなくて、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア※」。
 二回目のアンコールは前回と同じで、「イエスタデイ」、「ヘルター・スケルター」、「ゴールデン・スランバース」から「ザ・エンド」までのアビー・ロードの黄金メドレー。前回とほぼ同じということで(※は前回、私がいった東京ドームのコンサートで演奏しなかった曲)、それほど驚きはなかったが、本当に素晴らしい。これを観なかった機会費用はどれほど高額なのだろうか、と思わずにはいられない。しかし、これは観ないと分からない。前回のコンサートは、私は友達がチケット買ったから行かない?、と誘われて受動的に行った。そして、あまりのコンサートの素晴らしさに、行かなかったことを考えてゾッとした。今回は、私が違う友人を誘っていった。彼女もバンドマンであったが、ポールのコンサートに実際、行ってその素晴らしさを実感した。ポールのコンサートのクオリティは、もう別次元のように凄いと思うのだ。
 結構、ちまたではポール・マッカートニーが日本に来ることを、「また、日本で稼ぎたいのか」とか揶揄するロック通がいたりする。私と同世代ぐらいである。この人達は、ビートルズが好きだと言っている人は、なんか好きな料理はカレーライスとか言っているような凡庸な人達だと見下しているようなところがある。自分達はもうちょっと高級なのですよ、と言いたいみたいだ。だから、私がポール・マッカートニーのコンサートに3日間も行くとか言うのを聞くと馬鹿にするような態度を見せるのだ。
 でも、この人達こそ実はロック通ではないのではないかと私は思ったりする。ポール・マッカートニーは20世紀で最高の音楽家である。最近の曲は今ひとつであったりするが、20代、30代において彼の紡ぎ出した楽曲は、シューベルトの「野バラ」より長い間、人々に歌い継がれることは確実だ。ヘイ・ジュードはベートーベンの「運命」と同じレベルにあるだろう。「レット・イット・ビー」もモーツァルトの「アイネ・ナハト・ムジーク」と同レベルの人類の財産なのである。それは、もうロックを超越している。それは、人類の貴重な音楽資産なのである。
 そして、おそらくポールは、世界で最も愛されているイギリス人なのではないかとも思われる。彼が亡くなったら、多くの人が世界中で悲しむであろう。それは、彼の音楽の大衆性に因るところは確実である。シンプルなC、B♭、Fというコードで展開するヘイ・ジュードは単調ではある。しかし、この単調さであれだけ人々の魂を揺さぶるようなメロディーを紡ぎ出しているのは、もう間違いなく天才である。それも、いくつもそのようなレベルの曲を提供した。
 ポールの音楽が嫌いとかいうことは、もはや、モーツァルトやベートーベンの曲が嫌いということに近い愚かなことであると思う。それは既に、そういう好き嫌いを超越した人類が創造した偉大なるアートとして、動かしがたいところにある。ポールをどうこう言うのは、モーツァルトや聖徳太子をどうこう言うのと同じである。どうこう言うのは勝手だが、その偉大さにおいては、誰も難癖はつけられない。そういうことが、ポールのコンサートに行くと痛切に理解できる。
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オアシスのノエル・ギャラガーのコンサートに行く [ロック音楽]

 元オアシスのノエル・ギャラガーのコンサートを観に武道館に行く。なんと、満席であった。みんな、やっぱりオアシスが好きなんだな。しかし、コンサートはほとんどノエルのソロになってからの曲であった。それはそれで、そんなに悪くない。ノエルのメロディー・センスは抜群であることを改めて認識する。これはいいな、と思っていた中盤、おもむろにシャンパン・スーパーノバ。ロック史上に残る素晴らしい名曲に大感動する。これは、本当にコンサートに来た甲斐があった、と感無量になったのはいいが、それ以降のソロ曲がどうも今ひとつに聞こえてしまい、初っぱなに感じられたわくわく感は失せてしまった。シャンパン・スーパーノバの後は、やはり相当のクオリティでないときつい。そして、そのような要求に応えられるのはオアシス時代の名曲群だけではないかと思ったりするのだが、ノエルはレアムの歌っていた曲に強い抵抗があるらしい。オアシスの曲をやったのは「フェイド・アウェイ」とアンコール前の二曲とアンコール最後の「マスタープラン」だけであった。ちなみに、アンコール前の「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」は、感涙ものであった。
 総じてコンサートは良質なものであった。ノエルのボーカル・ギター、ギター、ベース、ドラムキーボードに曲によっては3人のホーン・セクションも参加していた。ノエルのボーカルは相当上手くて、ロック・バンドとしてのクオリティは高かった。ただ、MCがほとんどなく、エンタテイナーとしての資質はレアムの方が高いという印象を受けた。 
 しかし、そういうことを期待するのは間違っているのは分かってはいるが、オアシスのコンサートに比べると今ひとつであるよね。まあ、あれだけ兄弟の仲が悪ければ解散もしょうがないのかもしれないが、やはり、ちょっとオアシスを観られなくなったのは残念だなとも思ったりもしたノエル・ギャラガーのコンサートであった。

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