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アイスランドのブルーラグーンを訪れる [地球探訪記]

アイスランドの大観光施設の一つとして、ブルーラグーンというものがある。これは、まあ巨大な温泉プールなのだが、アイスランドの観光パンフレットなどには必ず掲載されているような観光スポットなのである。マスト・シー的な観光地である。ということで、せっかくアイスランドに来ているのである。行くことを検討した。ここは予約制で、インターネットで予約ができるのであるが、ウェブサイトをみて驚いた。ほとんど売り切れであり、我々の滞在期間中で行けるのは翌日の夜の11時からのコースのみであった。ちなみに閉店するのは12時である。これは、まあ行かなくてもしょうがないかな、と思ったのだが、紅一点のツアー参加者が絶対行く、とそもそも行かないという選択肢がないような迫力をもって迫ってきたので、他の男性3名もそれじゃあ、ということで11時からのコースを予約して行くことにした。
 さて、このブルーラグーンであるが、べらぼうに高い。最も安いコースでも日本円で6100円ぐらいで、これはタオルもつかない。ただ、次のコースは8100円でタオルやパック・サービスがつくが、2000円の付加価値があるとはとても思えない。ということで、当然のごとく6100円コース。
 また、このブルーラグーンは勝手にレイキャビク市内にある施設であると思っていたら、なんとレイキャビクから車で40分ぐらいも離れた荒涼たる何もないところに存在していることが分かった。ほぼ空港と同じぐらいの距離である。レンタカーをしているからいいようなものの、タクシーで行ったら4人でも相当の金額になったのではないかと思われる。
 ともかく、夜の11時、8月のアイスランドでも流石に暗くなり、星も出始める頃、我々はブルーラグーンに着いた。そこは、暗闇を引き裂くかのように、施設から出る光が湯気をスクリーンに周囲を照らしている。
 さて、このブルーラグーンだが、感想を一言でいえば今ひとつである。ただ、ここで今ひとつと思うのは、私が日本人であるからであろう。それは、一言で表せばレジャー温泉。常磐ハワイアンセンターのようなものである。今ひとつの理由は幾つかあるが、まず温度が37度〜39度と温い。周囲の気温は8月でも夜の11時だと10度前後なので、相当身体を温めないとお湯から出られない。そして、何より気になるのは、この温泉は天然温泉ではなく、隣接する地熱発電所の熱で水を温めているだけという代物であることだ。そして、2日に一回はお湯を変えているそうだが、掛け流し温泉を楽しんでいる我々、日本人からすると、ちょっと今ひとつと思わざるを得ない。
 このお湯自体は、珪酸塩を多く含んでおり、そういう点ではちょっと温泉に入っているような効果がある訳だが、温泉文化的な観点からは、私は日本の方が圧倒的に優れているし、洗練されているような印象を受けた。まあ、ライバルというか比較対象になるのは常磐ハワイアンセンターであろうか。常磐ハワイアンセンターも炭鉱から出たお湯の二次的利用と雇用創出といった観点からつくられたことを考えても、それは似ていると思う。
 ちなみにブルーラグーンがつくられた経緯としては、ここに1976年につくられた地熱発電所から出た排水によってつくられたプールに1981年から、人が入り始め、その健康効果みたいなのが語られ初めて、人気を博し、1992年にブルーラグーン株式会社がつくられた、ということだそうだ。知り合いのアイスランド人は、とんでもないクレイジーな人が発想した、と批判的な意見を述べていた。
 とはいっても、このブルーラグーンは常磐ハワイアンセンターなんかよりも、遙かに人気があるように思われる。それは、アイスランドの数少ない観光地ということもあるだろうが、なんかマーケティングをうまくしているような気がしなくもない。日本の温泉なんかもインバウンドの観光客を集客するのに参考となるような点もあるかもしれない。

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アイスランドの観光の定番、ゴールデン・サークルをめぐる [地球探訪記]

アイスランドに来ている。事前にどこを訪問すべきか、ろくに調べることもなかったのだが、到着してどうもゴールデン・サークルというのが定番の観光ルートであることを知った。せっかく、高いお金を払ってレンタカーを借りていることもあるので、早速、ここに行くことにした。さて、このゴールデン・サークルというのは、シンクヴェトリル国立公園、グトルフォスの滝、ゲイシールの間欠泉のビッグ・スリーとケリズの溶岩湖などの観光地を円環状に周遊する観光ルートである。
 レイキャビクからこの円環を時計回りに巡ると、最初に訪れるのはシンクヴェトリル国立公園になる。アイスランドには国立公園が3つしかないので、これは大変貴重な自然環境であろうし、世界遺産にも指定されている。どんなに素晴らしいアイスランドの大自然が体験できるのか、と大変期待をして訪れた。駐車場には驚くほど多くの車が駐車しており、大人気観光スポットであることが分かる。
 シンクヴェトリル国立公園は、大西洋中央海嶺の割れ目が地表に唯一現れたところだそうだ。どんなに凄いランドスケープに遭遇できるのか。大変、期待したのだが、この割れ目はまったく大したものではなく、日本でいえば浅間山とか十勝岳の方がはるかに迫力はあった。地質学的には大変貴重で面白いのであろうが、ランドスケープとしてはそれほど人の心に訴えかけるものはない。その地質学的重要性があって初めて、その有り難みが分かるが、私は正直、がっかりした。もう少し、ゆっくりといろいろと見れば、面白いものがあったのかもしれないのだが、何しろ風が強くて寒い。とても、ゆっくりと見るような余裕もなく、そそくさと車に戻ってしまった。
 次に訪れたのは、グトルフォスの滝である。これは、クヴィータアゥ川がそのまま滝として32メートル落ちるので、なかなかの迫力ではあるが、イグアスの滝を4回ほど見ている私にとっては、それほど感銘を受けるものではない。しかし、見て損をするというものでは決してない。この滝には水力発電所がつくられる計画があったのだが、反対運動によって頓挫した。今、アイスランドは観光産業が非常に同国の経済にとって重要になっているのだが、グトルフォスの滝があるかどうかでは、観光客の満足度が随分と違ったであろう。最近の観光情報は、SNSが大きな役割を担っているが、そういう点では観光客の満足度はとても重要である。グトルフォスの滝を水力発電所にしなかったことは、国の命運を分かつような重要な岐路であったと思われる。
 そして、3カ所目はゲイシール。ゲイシールというのは、間欠泉の語源にもなった立派な間欠泉なのだそうだが、現在は活動を休止して、その隣のストロックル間欠泉が噴出しているだけだそうだ。ただ、このような間欠泉はヨーロッパでは極めて珍しいようだが、日本では別府温泉を始め、それほど珍しくない。日本に住んでいると温泉関係の地形は珍しくも何ともないが、世界的にみると珍しいのだな、ということがアイスランドの温泉観光地のしょぼさで気づいたりする。ちなみにアメリカイエローストーン国立公園のオールド・フェイスフルやその一帯の方が、はるかにこのアイスランドのゲイシールより迫力があり、興味深い。別府温泉やイエローストーンをメイジャー・リーグレベルだとすると、ここは高校野球の都大会予選という感じだ。
 ゲイシールからはケリズの溶岩湖を訪れた。ここは、なぜか入場料を取られる。このような溶岩湖は、その美しさで知られているが、このケリズの溶岩湖も一見する価値はあると思う。ただ、オレゴン州のクレーター湖の鬼気迫るような美しい青とは比べようがない。ただ、せっかくゴールデン・サークルを巡っているなら足を伸ばした方がいいとは思う。
 ちなみに昼食は、ゲイシールの手前にあるエフスティ・ダルル農場でとった。ここはホテルとレストランが一緒になっているところで、我々は何の前情報もなく行ったのだが、なかなか食事は美味しくて感心した。特に羊はお勧めである。
 しっかりと事前に調べておらず、行き当たりばったりのゴールデン・サークルのツアーであったが、ここは死ぬまで絶対行くべきである、といった迫力のある自然とは出会えなかった。これは、ちょっと残念ではある。アイスランドに行く前に、イグアスの滝、イエローストーン国立公園、クレーター・レーク国立公園などに行くべきであろうと思う。とはいえ、行く価値がないとはまったく思っていない。その荒涼として、どこか凜とした風土・地形は私の記憶にしっかりと刻まれた。

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(シンクヴェトリル国立公園は地質学的には希有で保全すべき対象であるだろうが、それが景勝地として特別に優れているとは思えなかった)

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(シンクヴェトリル国立公園のそばで現れた雨雲に虹が架かっていた)

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(グトルフォスの滝はなかなかの迫力である。おそらくヨーロッパ一かもしれない。ただ、世界的にみると、それほど大したことはない)

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(グトルフォスの滝をちょっと行くと氷河をみられる。今回の旅行では、これが最も氷河に近づいた瞬間であった)

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(ゲイシール地区で、間欠泉が出るのを待っている観光客)

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(間欠泉はそれほど迫力はなく、イエローストーン国立公園のオールド・フェイスフルなどを挙げるまでもなく別府温泉のものに比べてもしょぼい)

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(ケリズの溶岩湖は、規模も小さいが、その青さはちょっと見る価値があると思う)
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パリのシャルルドゴール空港で再び、酷い目に遭う(というか、半分は自分のせいですが) [地球探訪記]

パリのシャルルドゴール空港は私にとって、これまで鬼門となってきた空港で、本当にいい思い出は一つもありません。フランス語で私が対応できないことなどがあると思いますが、職員や店員、そして空港の建物自体が不親切というか意地悪な気さえします。今回も酷い目、というか不愉快な目に遭いました。まあ、半分は私のせいなのですが。ちょっと備忘録も兼ねて、また、シャルルドゴール空港を利用する人の参考になるかもしれないので、ここに記させて下さい。
 オスロからパリ経由で東京に帰国するのですが、乗り継ぎに6時間ぐらいあります。オスロからターミナル1に飛行機は着陸しました。自分の飛行機がどのターミナルかは不明ですが、ゲートは51と書いてあります。そこで、ゲート51の飛行機を出発便掲示板でみると、どうもターミナル3のような気がします。ということで、ターミナル3にまでシャトルで行きました。シャルルドゴール空港はあまりにも大きいので、このようなシャトルに乗らないととてもじゃないですが移動はできません。さて、ターミナル1からターミナル3まではシャトルで5つも駅に停まります。遠すぎだろう。
 さて、ターミナル3に着くと、また出発便掲示板がありました。ターミナル1とは違い、丁寧に遅い便まで見ることができます。そこでチェックをするとなんと、ターミナル1出発であることが分かりました。そこで、またシャトルに乗ってターミナル1に戻ります。
 ターミナル1に入る時に、お兄さん二人に搭乗券のチェックをされます。今回はオンライン・チェックインですので、iPhoneを見せます。それをお兄さんはチェックをしたのですが、日本語ですのでよく分かりません。というか、そもそも日本語で国際線のオンライン・チェックインをした私も馬鹿ですが、それをする全日空も想像力が欠けています。二度としないと思いましたが、とりあえずここはクリアしなくてはなりません。お兄さんは他の同僚にもチェックしてもらい、ローマ字の記号(CDGとかHNDとか)からどうも東京行きらしいと理解して、通してもらいました。
 さて、通関は無事に通ったのですが、次は荷物チェックです。荷物チェックでは、今度はiPhoneのモバイル搭乗券がiPhoneから消えています。後でメイルのゴミ箱に入っていたことが分かったのですが、チケットなかったら入れません。チケットなければ入れない、と言われても何も答えられません。まさか、ゴミ箱に入っているとは思わないので、こちらも狐に化かされたような気分です。しょうがないので、コンピューターを出して、コンピューターのメイルから入れさせてもらいましたが、コンピューターのバーコードをスキャンしているのは、どうみても格好悪いです。ここでも二度とオンライン・チェッキングはしないと思いました。
 さて、どうにか荷物チェックを過ぎて、iPhoneを確かめると、前述したようにごみ箱に入っていました。リトリーブしようとしたのですが、肝心のファイルが読み込めません。ネット環境が悪いからです。本当に信じられないよなあ。まあ、オンライン・ブッキングをしようとした私が悪いのですが、こんな危ない制度は導入しない方がいいです。携帯の電源がなくなったりしてもアウトです。個人的には使わなければいいだけなのでしょうが。
 荷物チェックを抜けて、ラウンジに向かおうとすると、なんとラウンジは通関の後、荷物チェックの前であることが発覚しました。通関を抜けた後、どこにも見つからなかったので、そのまま荷物チェックに向かったのですが、分かりにくいところにエレベーターがあったようです。また、戻ろうかとも思ったのですが、荷物チェックでのやり取りをもう一度やるのは嫌なので、そのままロビーで5時間潰すことにしました。幸い、電源があるのでコンピューター仕事はできます。
 ただ、やはり水分が欲しい。ということで、水をそばにある店で買おうとすると、なんと、搭乗券を見せろと言われました。そもそもコンピューターが入った鞄は椅子に置いているので、わざわざ取りに行くのもちょっと面倒です。ということで、携帯で見せようとすると、相変わらず、リトリーブできていません。くるくる回りっぱなしです。というか、このお店のおばさんは、バーコードが読める訳でもないし、この日本語チケットを理解できるのか。
 しょうがないので、そばにある喫茶店でサン・ペリグリノを注文したら、別にチケットを見せなくても買うことができました。そうすると、最初の店のおばさんは何をもってして、水を買うのにチケットを見せろ、と言ったのでしょうか。これは、単なる意地悪以上の何ものでもないでしょう。こういう経験は悪いけど、ドイツでもないとはいわないけど、フランスで一番するような気がします。このおばさんはルペン支持者なんじゃないかな、という失礼な思いが頭をよぎりました。
 ということで、快適にラウンジで仕事をするという目論みが見事に外れ、ロビーで仕事をしているのですが、このロビーの机と椅子が妙に距離が離れていて、しかも固定されていて動かせないので、肩が凝ります。
 国際空港のホスピタリティでその国のイメージは結構、形成されてしまうのではないでしょうか。私はフランスは実際より悪い印象を抱いているような気がするのですが、その大きな理由は、シャルルドゴール空港が負うところが大きいと思います。あと、オンライン・チケットは何もいいことがないことを改めて知りました。
 

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アイスランドでのお土産物は空港で買うべきである [地球探訪記]

アイスランドは物価が高い。そういう意味では、お土産とかを買う気力も起きないのだが、物欲を刺激するようなものは売っている。それは、「ここだけ感」のあるものだ。具体的には羊毛グッズである。羊毛グッズが例えばニュージーランドに比べて優れているかも疑わしいのだが、荒涼とした土地に放牧されていた羊をたくさん見たこともあって、羊毛セーターを家族の土産に買うことにした。大体2万円ぐらいである。都心のお店で買い、空港に行って行列に並び14.5%の税金の返金をしてもらい、空港内に入ったら、私がお土産を買った二つのお店が営業しており、しかも、私が買った値段(税を引いた後)よりも安く、かつ、品揃えも優れていた。お店の人にその事実を言うと、「この店は正規価格から20%〜40%割り引いているからね。レイキャビクで買うと14.5%しか安くならないから、ここで買った方が全然、得ね」と応じた。早く言ってよ。ということで、もう二度と来ない確率が高いが、アイスランドの土産物を買うのであれば、国際空港内が最適でしょう。クローネでの支払いも認めてくれるので、そういう意味でも理想的である。

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生まれて初めてオーロラを見る [地球探訪記]

 朝早く、同行していた知人が空港に行かなくてはならないので、レンタカーをしていた私は宿からバスターミナルまで迎えに行くことにした。それで待ち合わせをした時間は午前3時30分。ちょっと早めに行き、車を宿の外で停めて外に出る。若干、待ち合わせ時間に早かったので、そばのハットルグリムス教会前の広場に歩いて上を見上げると、空の一部がカーテンのように光っている。これはオーロラだ!8月20日という夏にオーロラが見られるとは思わなかったので、この予期しないプレゼントのような出会いに驚く。ただ、オーロラはよく写真や映像などで見るような緑とかではなく、白色に若干、黄色が入っているような色で、あまり美しいという感じではなかった。オーロラとの出会いが偶然だったので感動したが、期待してわざわざ遠くまで行って見えたこのオーロラだとちょっと落胆するかもしれない、と思ったりもした。
 写真を撮らなくてはと、あわてて車に戻り、カメラ取り出し、上を見上げると、なんとオーロラが薄くなっている。えっと思って、急いでレンズを望遠に替えて撮影しようとすると、ほとんどオーロラの存在が分からないほどになっていた。オーロラってあっという間に消滅するものなんだ。これは驚きだ。色が今ひとつだな、などと失礼なことを思ってしまったので、さっさと消えてしまったのかもしれない。見えたことは嬉しかったが、撮影できなかったことは残念。とはいえ、オーロラを見たというのは、なんか大収穫をした気分である。知人がこんな早い時間の飛行機を予約しなかったら、このような出会いがなかったかと思うと、本当、ラッキーであったと思う。そして、荷物をバスターミナルまで運ぶという約束をしてよかったなとも思った。これこそ、早起きは三文の得である。

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レイキャビクに行ってレンタカーが借りられず、困る [地球探訪記]

 アイスランドのレイキャビクに来た。日本を発って、絶対、レンタカーをしないと不味いことに気づく。気づいたが国際免許の期限が切れているので遅い。ただ、私はEUの免許を持っているので借りられるかもしれない。借りられるかもしれないが、借りられないかもしれないので予約はしなかった。おそらく、借りるのは結構、難しいかもしれないなと思ったが、それほど深刻には考えていなかった。
 最初は空港内にカウンターのあったAvis, Europcar, Hertzに尋ねるが、全滅。ただ、Hertzでも「全くない」と言われた時、ガクッと落胆したのを見かねたのか、空港外に20ぐらいレンタカー屋があるから、そこに行くといいと言ってくれた。他に選択肢もないので、そこまで歩いて行く。空港を出ると、凄まじい寒気を含んだ風が吹いており、すぐにウィンドブレーカーを羽織る。ウィンドブレーカーという言葉がよく理解できるような風の強さである。
 さて、空港の利用者用の駐車場を過ぎたところに掘っ建て小屋が集まったような一画があり、それはすべてレンタカー屋であった。最初に入ったところはアウト。隣に行け、と言われて行くと、ここは全部、出てしまっているけど21時30分になれば確保できるかも、という。時計はまだ19時を指している。とはいえ、他に選択肢もないので、とりあえずそれを予約する。ただ、そこのレンタカー屋も2時間待っているのも何だから、他も当たってみればと言う。そこで、他も行く。その後、最初に入ったところは前の客(東アジア系。中国人かもしれないが日本人かもしれない)が事故ったので、その事故処理であれこれと交渉している。これはもう待っていると大変なことになると思って、隣の店に行くがないと断られる。そこで、また東アジア系のお客が事故後の交渉をしていた店に戻る。しばらく待つと、ようやく問題が落ち着いたようで私の対応をしてくれる。しかし、対応をしてくれる、と言っても「ない」と言われるだけなのだが。そこで、次の店に行くと、「あるかも」と言われていろいろと調べてくれてどうにか借りる車を確保することができた。20時ちょっと過ぎぐらいだったので、1時間30分ぐらい早く借りることができた。しかし、5日間で840ユーロ。21時30分まで待てば600ユーロぐらいなので、ちょっと迷ったが、レイキャビクは宿代もばか高いので、人生初めてのairbnbをすることになっており、そこには19時に着くだろうと言っていたので、840ユーロのを借りることにした。ただ、値段は高いだけあって4WDで、保険もフルカバー、ガソリンプリペイドであった。まあ、これだけ売り手市場であれば、もう高いも安いもない、というのが実情であろう。
 ということで、なんとか車を借りることができたが、レンタカーを借りるのにこんなに苦労したのは、オーストラリアのフレイザー島を訪れた時以来である(http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2008-08-21)。あの時も、随分と高いレンタカー代を背に腹はかえられずに借りたことを思い出した。

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ベルゲン急行に乗って、ベルゲンに行って戻ってくる [地球探訪記]

 ノルウェーのオスロに来ている。せっかく来ているので、頑張って世界遺産都市ベルゲンにまで行くことにした。ベルゲンまでは鉄道で結ばれているはずだ。ノルウェー第一の都市オスロと第二の都市ベルゲンを結ぶ列車である、おそらく特急列車で3時間ぐらいで行けるだろうと勝手に思っていたら、なんと片道6時間以上もかかることが分かった。しかし、逆に6時間以上もかかるということで夜行列車が走っている。それで、夜行列車でベルゲンまで向かい、そこで午後遅くまで過ごして、オスロに戻る最終列車で帰ればいいかということで、同行している大学の先生と二人で行くことにした。
 夜行列車と帰りの指定席は同行している先生が日本からインターネットで購入してくれた。寝台列車が22,100円、帰りは15,500で、合計37,600円である。寝台列車の方が6600円ほど高いが、これはオスロのどんなぼろホテルよりさらに安いであろう。ということで、この移動パターンは経済的でさえある。-
 さて、列車はオスロ駅を23:25に出る。我々は22時頃に駅に着いたのだが、もう駅内にあるスターバックスなどは閉まっていたので、しょうがなくセブン・イレブンで珈琲を購入して、駅構内で時間をつぶした。ただ、列車自体は23時前から車内に入ることができた。ただ、寝台列車内の鍵が閉まっている。どうすればいいのか、と思っていたら「車掌は車内食堂にいるから、鍵を取りに来るよう」と扉に書かれていた。ということで、車内食堂に行き、鍵をもらった。寝台車は上下の二人用ベッドであり、比較的快適である。列車は時間通りに走り始め、私はiPadなどをいじっていたが、そのうち眠くなって寝て起きるともう5時過ぎで外は明るくなっていた。花崗岩を氷河が抉ったU字型の渓谷に沿って、列車は走っていく。ンネルが多く、いかにも山岳地帯を走っているという感じだ。社内食堂に行き、珈琲を注文すると、なんと自販機であった。社内食堂の窓はそれほど大きくはないが、それでも寝台車からの車窓よりは優れているので、そこで終点まで座っている。
 ベルゲンに着いたのは6時50分。駅に到着すると、いきなり夕立のような雨に見舞われたので駅でしばらやく雨宿りをする。雨が止んだら、とりあえず港の方に歩いて行き、魚市場やブリッゲンなどを訪れる。時間が早いので誰もいない。そこで、『地球の歩き方』に「ベルゲンに来たなら絶対に登りたいのがフロイエン山だ」と書かれていたフロイセン山へ行くケーブルカーの入り口まで向かう。8時からということで、ちょっと待てばすぐ乗れたが、小腹が空いたので、入り口そばにある「Gutbrød」という、おそらくgood breadのような名前のパン屋に入る。ここは、しっかりとパンを焼いているようで、そこでの手作りサンドイッチを食べる。このパン屋は若い女性3人で切り盛りをしているらしく、珈琲もしっかりと豆から挽いていてサンドイッチだけでなく珈琲も美味しい。さて、腹ごしらえをした後、ケーブルカーに乗る。一台だけやり過ごして乗ることができたが、これは一時間後に我々が戻った時には、驚くほどの長蛇の列ができていた。あまり自覚がなかったが、ここは大変な観光地のようだ。早めに来たことは大正解であった。そして、その頂上からの展望はなかなかのものであった。フィヨルドの地形の狭い平地にベルゲンの都市がつくられたことがよく理解できる。また、驚いたのは都心部に三方向から高速道路が入ってきているが、都心部の島に入るとすぐ地下に潜って、地上には出てこないということだ。そういうことも都市を展望することで気づけた。後で、いつ頃、このような措置を採ったのかと聞くと、南側の高速道路が整備されたのは1964年。そして、北側の高速道路のトンネルが通ったのが30年ぐらい前。そして、南側の高速道路が橋を渡った後、都心部で地中に入る工事が行われたのが25年ぐらい前ということであった。25年前といえば、1992年ぐらいである。デュッセルドルフが高速道路を地下化して、その上部空間を整備してラインプロムナードをつくったのが1995年。それよりも早く、高速道路の都心部での地下化を実現させているのである。まあ、これだけ土地がなければ、高速道路を地上に走らせるのは例え、高架であってももったいなさ過ぎる。この時期の賢明な判断が、今のベルゲンの美しさをつくっていると考えられる。
 さて、高所からの都市景観を楽しんだ後、ケーブルカーで下り、その後、世界遺産のブリッゲンに行く。10時ぐらいになっていたが、7時過ぎには誰もいなかった空間には人が溢れていたし、もう店も開店していた。ブリッゲンは、13世紀から16世紀にドイツのハンザ商人によって建てられた木造家屋群である。建物はすべて木で出来ており、たびたび火災で焼けたが、そのたびに同じように復元・修復してきて、現在にも中世の街並みを伝えている。感心するのは世界遺産に指定されていても、しっかりと現代的な利用をしているからである。過去の歴史建築物ではなく、それをしっかりと保全しつつも現在のベルゲンにとっても有用な使われ方をしている。このような積極的な歴史建築物活用が、結局、費用対効果が高く、それを保全できるベストのアプローチなのではないかと思ったりもする。
 その後、対岸に行き、山々を背景とした素晴らしいブリッゲンの写真を撮影し、せっかくなのでフィヨルド・ツアーに行く。ただし、ちゃんとしたフィヨルド・ツアーは最短でも3時間コースであり、我々が行った時には既に14時発のものしかなかった。帰りの電車は15:59発なのでこれは無理。ということで12時発の1時間30分コースのなんちゃってフィヨルド・ツアーに参加することにした。これは、299クローネであり、ベルゲンの郊外を巡るだけのツアーであり、よく観光ガイドに載っているような風光明媚なフィヨルドとはまったく異なる、寿司でいえば「のり巻き」のようなものであったが。まあ、ベルゲンのランドスケープを多少は理解することができた。
 その後、魚市場に隣接したレストランで食事をする。その後、トラムにでも乗って、ベルゲンの南の郊外を視察しようかとも考えていたが、このレストランのサービスが遅いこと、ワインが比較的、美味しかったこと、さらに料理も悪くなく雰囲気もよいので、結局ここで2時間ほど過ごして、ほろ酔い加減になって駅へと戻った。
 帰りの列車はコンフォートといって一等車に乗車する。これは、席のスペースがちょっと広いことに加え、珈琲等が飲み放題である。とはいえ、珈琲は機械のそれであり、二杯ぐらい飲むともう結構、というような代物であった。行きは夜行であったので景色はほとんど楽しめなかったが、帰りはフィヨルドの雄大な景色を両側に見ながら移動していく。そして、ベルゲン駅を発車してから2時間ぐらい経った18:18に沿線最高所(1222メートル)のフィンセという駅に到着する。フィンセの周辺にはなかなかの氷河をみることができる。これはわざわざ乗るのに値する景色である。ただ、フィンセを通り過ぎてからしばらく経つと、若干、景色には飽きてくる。列車がオスロ駅に着いたのは22:35。到着した時にはちょっとグロッキーのような感じにはなっていたが、素晴らしい鉄道旅行であった。

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(オスロ駅の発車掲示板

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(オスロ駅のベルゲン急行の発車ホーム)

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(ベルゲン急行の食堂車)

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(ベルゲン急行の車窓)

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(ベルゲン急行の食堂車)

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(ベルゲン駅に近づいたところの車窓)

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(ベルゲン駅の到着ホーム)

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(ベルゲン駅に到着したベルゲン急行)

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(ベルゲンはハンザ都市であったこともあり、昔、経済的な栄華を享受した趣きを街並みに感じることができる)

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(世界遺産のブリッゲン)

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(Gutbrøtというパン屋で朝食を取る)

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(フロイセン山からのベルゲンへの展望)

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(魚市場)

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(魚市場での食事・・鱈料理)

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(ベルゲンから出ている90分コースのフィヨルド・フェリーからみられるフィヨルド)

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(帰りのベルゲン急行から得られる車窓)

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(フィンセ駅周辺からみられる氷河)
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ウェールズのランドスケープは美しい [地球探訪記]

 イギリスはおそらく10回以上は訪れていると思う。行く時はほとんどが大都市であるし、イングランドであるので、あまりランドスケープが美しいと思ったことはない。ただ、鉄道で移動することが多いので、例えばマンチェスターからカーライルの車窓に展開する湖水地方のランドスケープや、ニューキャッスルからエジンバラへと展開する北東の海岸沿いなどはなかなか息を呑むような風景であるよな、と感心したりした。ただ、これまでのイギリス訪で本当に感動したのは、レンタカーでエジンバラからインバネス、ネス湖、とスコットランドを周遊した時で、このときは「緑の惑星」という感じで、地球の景色とは思えないような雄大なランドスケープに圧倒された。
 さて、しかし、今回はウェールズのアングルシー島に4日間ほど滞在したのだが、このアングルシー島やスノーデン国立公園といったウェールズの風景はまさに絶景であり、ドイツやフランスなどでもアルプス山脈でしか出会えないような自然の造形美と遭遇し、驚いた。アングルシー島を西に行くと、サウス・スタックとよばれる海に面した絶壁があるのだが、ドーバー海峡などに比べてはるかに迫力があり、また、ちょうどワイルドフラワーが咲き乱れて、自然の絨毯のように地面が美しく被われており、その景色は絶景慣れしている私にとっても、驚くようなものであった。
 さらにアングルシー島から南に行ったところに、スノーデン国立公園があるのだが、そこの風景はある意味、チベットよりも壮大であった。標高1300メートル程度の山なのだが、海面から隆起しているような山なので、実際の数字よりはるかに高く見える。存在感に溢れる山なのだが、今回の滞在期間中もほとんど雲に隠れていて、その姿が見えたのは3日目だけであった。その雄姿は、前述したサウス・スタックから見えたのだが、紺碧の海と絶壁の岩を前景に聳えるスノーデンの山々は神々しささえ覚える。この光景は、例えば海岸美で有名なアメリカのオレゴン・コーストやオーストラリアのヴィクトリア州の南部の海岸をも上回ると思うのだ。その素晴らしさに比して、知名度があまり高くないと思うのだ。日本では強いていえば礼文島を彷彿させるが、礼文島よりアングルシー島のワイルドフラワーの方が迫力に溢れている。ヨーロッパという風土の中でも傑出した美しいランドスケープをウェールズは擁していると思われる。

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(サウス・スタックからみたスノーデン)

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(サウス・スタックのカラフルな絨毯のように咲くワイルドフラワー)

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(サウス・スタックの驚くほど美しいランドスケープ)

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(スノーデン国立公園の渓谷美)

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(スノーデン国立公園のランドスケープ)
 

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パリのシャルル・ド・ゴール空港からTGVとユーロスターを乗り継いでロンドンへと行く [地球探訪記]

 パリのシャルル・ド・ゴール空港からTGVとユーロスターを乗り継いでロンドンへと行く。全日に券を買っていたので、安心して当日、空港へ赴く。ちなみに料金は3万円ぐらいであった。随分と高い。もちろん2等である。いつもユーレイルパスなどで移動しているからかもしれない。
 シャルル・ド・ゴール空港では、なかなか出発ホームが掲示されない。駅員に尋ねると20分前じゃないと分からないと言う。TGVといったら新幹線のようなものだ。どのホームに入らないかが20分前にならないと分からないというのは驚きだ。ちなみに5分遅刻でTGVはホームに入ってきた。よく、TGVは日本の新幹線よりも速い、と言われるが、どんなに速くても時間通りに走れなければ意味がない、と私はTGVに乗るたびに思う。まあ、遅れるのは想定内である。
 さて、想定内でなかったのはリール駅でユーロスターに乗り換えるのが面倒だということだ。乗り換え時間は30分ぐらいあったのだが、10分ほど遅れたためか、ロンドン行きの人は急いで下さい、と言う。なんか、おかしいな、と思いつつリールの駅を降りると、通関と荷物検査をしなくてはならないことに気づいた。通関はユーロとイギリスと二ヶ国しなくてはならない。しかも、通関のお兄さんが最近の空港の通関では考えられないほどゆっくりと仕事をする。これは、列車に乗れないかもしれない、というお客の不安をあえて煽っているのではないか。私のパスポートなどは比較的、面白いのでまるで喫茶店で客が、することがないので雑誌をめくっているような気怠さで私のパスポートをぺらぺらと見ている。私は時間的に大丈夫だからいいけど、後ろで並んでいる客はさぞかしいらいらしているだろうなあ。
 とはいえ、ユーロスターには無事に乗れた。あとチケットでは35分ぐらいしかかからない感じで、これは素晴らしいと思ったが、どうも時差があって実際の乗車時間は1時間35分ぐらいであった。とはいえ、乗り換えを含めてもパリから3時間以内で到着できる。近い!
 ユーロスターはヴィクトリア駅からは乗ったことがあるが、セント・パンクラス駅に着くのに乗るのは初めてである。

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(シャルル・ド・ゴール空港駅)

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(セント・パンクラス駅)

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島根と鳥取でいろいろと考える [地球探訪記]

 3泊4日で島根と鳥取を訪れた。最初の2日はセミナーに参加したのだが、3日目は午前中には足立美術館に行き、午後には鳥取県の江府であいきょうの安達社長を訪れ、たいへん貴重な話を聞くことができた。そして4日目は午前は大山に登り、午後は境港に行き、水木しげるロードを視察し、美保の関を訪れ、さらに出雲で蕎麦を食べようとしたため、地方の自動車社会の非効率を身をもって体験することができた。この4日間で、随分と学ぶことができたのではないかと思う。それらに関して一挙に書くのは大変であるのと、読む方も大変であると思われるので、適宜、分割してこのブログでもまとめていきたいと思う。それらは、次のようなことである。
・出雲市のあるシャッター商店街で生き残ったのは、菓子屋、蕎麦屋、麹屋といった自分の店でものをつくっているところと病院
・出雲市の中心市街地はほとんど道路と駐車場。それにも関わらず、これらの駐車場の利用が制限されているので、駐車場はあっても使えない、という馬鹿げた事態が生じている。
・水木しげるロードはせっかく、ボトムアップで成功しているのに行政は道路を拡幅することでそれを台無しにしようとしている。まさに愚策中の愚策とはこのことではないだろうか。
・境港で一番、評価が高いお寿司屋さんに行くが、たいへん今ひとつであった。外食のレベルがコスパを含めて、地方と東京との格差が本当に大きくなっていると思う。地方で美味しいグルメなどというのは、京都大阪や一部を除くともはや幻想なのではないだろうか。
・景観をつくるのは屋根、と看破したのは伊藤滋先生だが、日本の風土に合った景観をつくる屋根は瓦であると思う
・山陰地方は日本でおそらく最も景観が美しい地域なのではないだろうか。それをどんどんと壊そうとしているのが、土木行政が邁進している道路事業という悲劇。
・足立美術館の庭園が美しいのは、借景である周辺の山々が美しいからである。
・足立美術館はちょっとぼったくり商法なのではないだろうか。
・あいきょうの安達社長は素晴らしい。こういう人が地方の衰退を阻止しているのだが、個人の力だと限界がある。それを補完できるのは行政だけだが、その行政が期待できない。しかし、ここで行政が対応できないと地方は本当に消滅してしまうであろう。
・あいきょうの移動販売の魚の方が、農協の魚より遙かに新鮮であるという不思議。というか、農協コープは競争力がなさすぎるのかもしれない。
・過疎集落において必要なものは買い物の場であると同時に、コミュニティが出会える広場のような機会。これはオンライン・ショッピングでは決して提供することはできない、という話。
・大山の大自然は本当に素晴らしい。日本にもこのようなしっかりとした国立公園と豊かな生態系保全の仕組みがあることに大変、感銘を受ける。
・大山の登山は快晴に恵まれ、ちょっと忘れられないような感動を覚えた。
・工務店の人達は、街をつくるうえで重要な役割を担える可能性を有している。
・動物園のマイクロ・クライメットをしっかりとデザインしたら、動物が元気に行動するようになって動物園の来場者も増えたといういい話。
・小泉八雲の偉大さを松江にて知る。
・松江の都市の質の高さに驚く。しかし、それを壊すような道路拡幅工事も進んでいる。
・オリジナルの天守閣が残っている都市は本当に幸いである。しかし、その松江でも天守閣は壊される風前の灯火であった。
 ということで、ざっと整理してみても18ぐらいのブログのネタになるようなことを徒然と思っている。なるべく文章にまとめるようにしたいところである。

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夜叉神峠を生まれて初めて訪れる [地球探訪記]

 水曜日からロンドンに行く予定であったのだが、流石に最近の仕事の多さで疲労が溜まり、体調が今ひとつであったのと、行かないことの損失がそれほど大きくないこともあり(行った方がいいことは明らかではあったが)、思い切ってキャンセルした。しかし、水曜日と木曜日と静養したら金曜日になって元気になったので、せっかくの梅雨の晴れ間ということもあったのでレンタカーをして夜叉神峠に行くことにした。
 夜叉神峠は高校一年生ぐらいから行きたいと思っていたのだが、これまでそういう機会がなかった。というか、そのような機会をつくろうと一所懸命に努力しなかったのかもしれない。実際、今日は思いつきで朝7時にレンタカーをして、夜叉神峠に向かったら家を出て3時間後には夜叉神峠登山口に着くことができた。
 さて、夜叉神峠登山口にはしっかりとした駐車場が整備されており、金曜日ということもあって、10時30分という遅い時間でも余裕で駐車することができた。簡単に着替えをして、登り始める。登山道は大変しっかりしているが、出だしはなかなかの急坂だ。体調が今ひとつであったこともあり、すぐに息が上がる。さて、登山道沿いには針葉樹のカラマツと広葉樹のミズナラやコナラが交互に現れる。新緑が美しい。クマザサを切り開いたような登山道をジグザグに進み、夜叉神峠には歩き始めてから1時間ぐらいで着いた。ここからは、白峰三山が展望できる筈だが、雲で出ており、私が観られたのは(おそらく)北岳のみであった。とはいえ、その展望は息を呑むような美しいものであり、来た甲斐はあったと十分思わせるものであった。30分ほど登ると高谷山に行けるので、そのまま行く。高谷山への登山道もよく整備されていて快適であった。高谷山からは北岳が展望できる。ただ、山頂は雲に覆われており、たまに山容の一部が見えるだけであった。天気は素晴らしかったが、南アルプスの展望にはそれほど恵まれなかった。今日はおにぎり弁当をつくってきたので、ここでそれを食べる。ハエが意外に多くいて、ちょっと紛らわしかったが、空気が美味しいので自分で握ったおにぎりでさえ美味しく思える。
 その後、そのまま下山をして駐車場に着いたのは13時ちょうどであった。休憩ありで往復2時間30分かかった。その後、芦安温泉のどこか日帰り温泉で汗を流そうとしたが、平日ということもあってどこも閉まっているようであったので、帰路の道沿いにあった白根温泉というところに寄る。そして、都立大学の自宅には16時30分頃に戻れていた。休日だとこうは行かないかもしれないが、平日に思いもかけず休みができたのを、上手く活用することで、高校一年の時から訪れたいと思っていた夜叉神峠にようやく来ることができた。38年ぶりの悲願達成である。というか、ちょっと頑張ればいつでも達成できた悲願であると思うのだが、これで死ぬ時に後悔することが一つ減ったかと思うと嬉しい気持ちである。

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<スタート地点となった夜叉神峠登山口の駐車場>

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<美しい広葉樹の中を歩いて行く>

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<夜叉神峠の看板>

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<夜叉神峠から白峰三山(おそらく北岳)を望む>

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<看板と南アルプスの山々>

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<夜叉神峠から高谷山への登山口から望む南アルプスの山々>

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<高谷山の山頂の看板>

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<高谷山から北岳?を望む>

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<甲府盆地を望む>

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<針葉樹のカラマツと広葉樹の森の中を下山する>

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<登山道沿いにシダが生い茂っていた>

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<登山道沿いにブーゲンビリアのような花が咲いていた(もちろんブーゲンビリアではない)>
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錦帯橋を訪れる [地球探訪記]

 大阪から福岡に移動するという、あまりないシチュエーション。これは、これまで見たくても見る機会がなかった岩国の錦帯橋に行こうと思い、あまり考えずに新大阪で岩国駅への切符を購入する。そして、新幹線にてネットで錦帯橋の場所を確認すると、岩国駅から5キロメートル弱離れていることを知る。むしろ、新岩国駅の方が近いぐらいである。しかも、岩国から福岡まで行くのに鉄道だと相当、時間がかかることを知る。というか、新岩国に停まる新幹線が少ないのだ。
 しかし、後の祭り的なところもあり、とりあえず岩国駅に向かう。広島駅で山陽本線に乗り換えて、岩国まで行く。ほぼ50分かかった。岩国駅前で急いで中華麺を昼ご飯で食べ、バスで錦帯橋まで行こうと考えたが、時間がもったいないのでタクシーを拾う。ただし、5キロメートルというのはなかなかの距離で、料金も1540円もした。
 また、岩国駅前は国道2号線が走っているのだが、今時珍しい2車線。車線数が多ければいいとはまったく思わないが渋滞をしている。なんか、いろいろな面で時間がかかって大変だ。
 さて、とはいえ錦帯橋は見ることができた。日本三名橋の一つである。全長は193.3メートル、釘が一本も使われていない木造のアーチ橋である。そのアーチの曲線の美しさは、なかなかのものである。1673年につくられたが、現在のものは1950年に台風で流出された後の1953年に復元されたものである。ミュンスターのプリンツィプル・マルクトのように、歴史的建築物・建造物を復元させることは、その都市のアイデンティティを次代に継承することに繋がる。そういった意味で、錦帯橋を次世代に残すために努めることは、極めて重要な施策になると思われる。実際、錦帯橋でも岩国駅でも新岩国駅でも多くの外国観光客をみた。錦帯橋があるからこその岩国、といった側面はグローバリゼーションが進むにつれ、さらに重要になっていくと思われる。
 その後、新幹線に乗るために錦帯橋から1.5キロメートルほど離れた錦川鉄道の川西駅まで歩いて行き、そこから一駅乗り、新岩国駅まで行く。これは一駅ではあったが、距離は結構長かった。料金は230円であった。新岩国駅はどうも1時間に1本しか鉄道が停まらないようである。私も30分ほど待たされた。

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ベルリンで貴重な夜を過ごすのであれば、やはりクロイツベルクに行きたい [地球探訪記]

 エアフルト大学の知り合いが、ベルリンにも家を持っているのでベルリンに来れば、と言ってくれたので図々しくも一泊だけ居候させてもらう。貴重な一回しかないベルリンの夜。どこに行きたいかと言われたので、当然、クロイツベルク。ベルリンの下北沢のような街である。ここは80年代に高速道路の開発計画がつくられ、実際、遂行されそうになったのを住民のレベルで阻止することに成功する。実際、計画が実行されることが前提とされ建物が倒壊された後につくられた建物(クロイツベルク・マルクトの建物)もできたりしたのだが、道路自体の阻止には成功する。そして、駐車場なども幼稚園に変容されたりもしたのだ。ベルリンの中でも最も魅力的なクロイツベルクが今日あるのは、この道路建設に反対して、阻止した住民がいるからだと思う。
 今では東ベルリンと西ベルリンが統一されたが、まだ分離されていた頃のベルリンというのは特殊な都市であった。そこは、社会主義の中にポツンと島のように存在する資本主義、市場経済、民主主義の租界地区であった。そして、そのベルリンの中でも、ベルリンという体制に反旗を翻すほど民主主義的な地区がこのクロイツベルクであった。ベルリンにおける多様性、自由、オルタナティブ、サブカルチャーなどの概念が象徴化されたような地区がクロイツベルクである。今となっては、ルー・リードの『ベルリン』やボウイのベルリン3部作から、そのイメージを喚起させるぐらいしかできないが、極めて尖ったベルリンを担っていたのがクロイツベルクであろう。
 現在では、クロイツベルクの文化的なアイデンティティも随分とジェントリフィケーションされ、ドイツ語がしゃべれないアメリカ人がバーテンダーをするようなバーが増えてしまっていたりするが、それでも外国人の私なんかからすると十二分に刺激的であるし、都市的な楽しさに溢れている地区である。
 エアフルト大学の知り合いの好意のおかげで楽しいベルリンの一夜を過ごすことができた。

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(クロイツベルクで人気のアイスクリーム屋)

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(高速道路がつくられることを前提に建設されたクロイツベルク・マルクト)

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(駐車場はなんと幼稚園に転用された)

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(クロイツベルクのバー。この店もドイツ語が拙いアメリカ人がバーテンダーをしていた)





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ツヴィカウでえせフンデルト・ヴァッッサーを発見する [地球探訪記]

 ツヴィカウの街に14時頃着き、ホテルにチェックインしたあと、とりあえず街歩きをすることにした。翌日に中央駅まで行かなくてはならないため、歩いて行くことにした。ホテルの人に、中央駅まで歩いて行きたいというと「止めておいた方いい」と言う。「治安が悪いのか?」と尋ねると、「いや、治安はまったくもっていいのだけど建物が今ひとつで景観が悪い」と答える。個人的には「それは大歓迎」と心の中で言い、とことこと歩いて行く。
 ツヴィカウの街中は結構、人が多くいて、縮小都市なのに街中に人が溢れるドイツの不思議、に関していろいろと考察する。さて、中心市街地の外にも、住宅街は拡がっており、確かに衰退はしているかもしれないが、それなりにある時期においては繁栄していたのだろうと思わせる立派な住宅が建っていた。
 さて、中央駅通り(Hauptbahnhof Strasse)という道を歩いていたら、ちょっと風変わりな建物に出くわした。そして、ちょっと建物の裏側をみたら、なんとフンデルトヴァッサー。フンデルトヴァッサーの作品はドイツには多いが、ツヴィカウにあるとは思わなかった。これはバーで飲んでいたら東京事変の浮雲が隣で飲んでいるような状況か(流石に椎名林檎ではない)。 滅茶苦茶、今日はついていると思い、写真撮影しまくる。しかし、何かフンデルトヴァッサーにしては徹底していない。とりあえず真っ直ぐだし、何か正面のファサードは極めて謙虚。まあ、フンデルトヴァッサーも今ひとつの作品もあるのかもね、と思ってホテルに戻った。ホテルの受付に「フンデルトヴァッサーの家を見てきたんだけど」と言うと、「そうですか」と愛想笑いをしたので、やっぱりフンデルトヴァッサーか、と思ってネットで調べたら偽物のようだ。
 しかし、ここまで真似したら意匠権はどうなるんだろう、と俗物の私は思ったりした。逆にいえば、それだけの個性があるということでしょうね。フンデルトヴァッサーは気にしないでしょうが。

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久しぶりにドイツ鉄道に乗ったら、やっぱりやられた [地球探訪記]

 久しぶりにドイツ鉄道に乗ったら、やっぱりやられた。その日はチューリッヒからエアフルトまで移動しなくてはならないのだが、本来であれば一回乗り換えでいいはずであった。二つともICEなので、ある程度は安心していた。しかし、ベーゼル駅に止まると、この列車はもう走らないので後続の列車に乗り換えろと言われる。またかよ。といいつつ、まだフランクフルトでの乗り換えは可能な時間で着きそうだ。
 さて、そのフランクフルトであるが、どうもフランクフルト中央駅が工事中らしく、フランクフルト南駅がICEの始発になっているようで、そこで乗り換えなくてはいけないことを同乗の客に教わった。そこまではいいのだが、この二本目の列車も案の定、遅れてうまく接続できなかった。次の便に乗ろうとしたら時刻表は出鱈目!工事期間中のと、そうでないのと二つの時刻表が掲示されている。どうにもよく分からないので、ネットで検索したら、この二つの時刻表とはまったく違ったものが出てきた。何だ、何だ。しかも、エアフルト行きのICEは二時間に一本ぐらいの割合だ。そのような状況なので次の列車を乗り損ねるためには極力避けたいのだが、そもそも列車が遅れているのでダイヤが乱れまくっていて、もう何が何だか分からない。しかもホームが二つあるので、どちらに列車が来るかも分からない。茫然自失としていたら、反対側に止まっていた列車がライプツィヒ行きと記されている。そうか、ネットが正しいのか。ドイツ人を押しのけて飛び乗ったらどうにか乗ることができた。しかし、本当、ドイツ鉄道だけはドイツ人の正確さや生真面目さとは正反対の印象を与える。

タグ:ドイツ鉄道
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トリノ [地球探訪記]

 生まれて初めてトリノに行く。といってもミラノからの日帰りである。しかも、いわゆる新幹線にはお金がもったいなくて乗らなかったので14時について17時に帰るという実質3時間した過ごすことはできなかった。しかし、それでも一度も行ったことがないのと、3時間でも行ったことがあるのとでは、その都市の理解が全然、違ってくる。百聞は一見にしかず、である。さて、3時間という短い時間をどこで過ごすのかというのは難しい問題であったが、私は「馬鹿は高いところが好き」ではないが、都市を一望できるところにとりあえず行き、都市の構造などを知りたがる傾向があるので、モーレ・アントネッリアーナへ行くことにした。
 モーレ・アントネッリアーナは1889年に完成した建物で、建設時はヨーロッパで最も高い建物であった(その後、エッフェル塔に抜かれる)。ドーム型の屋根の頂上までの高さは121メートル、さらに尖塔の上までだと167メートルもある。この建物は、建設当時はシナゴーグとなる筈だったが、そのようには使われずに展示場として1990年代まで使われ、2000年には国立映画博物館となった。この屋根の頂上にはエレベーターで行けるのだが、このエレベーターは博物館の中にある透明の筒を上がっていく。これは博物館内にいる人からすれば、なかなかの光景だ。また、エレベーターに乗っている方もちょっと怖い。高所恐怖症の人はあまり乗らない方がいいかもしれない。
 さて、このモーレ・アントネッリアーナからは360度の展望が得られるのであるが、天気がよかったこともあり、素晴らしい絶景を眺めることができた。トリノは冬季オリンピックを開催したことからも推察されるように、すぐそばにアルプスの雪山が聳え立っている。ここからは、そのような雪山を背景として都市がつくられていることがよく分かる。
 その後、国立映画博物館に行き、その展示をみたが、これもなかなか興味深い博物館であった。資料も購入したが、この国立映画博物館はほとんど個人の情熱でつくられたことを知る。こういう個人の情熱が都市を特別なものにするのだな、ということを認識した(これに関しては、後日、原稿にまとめたいと考えている)。
 3時間しか滞在時間がなかったので、モーレ・アントネッリアーナの屋上とその建物内にある博物館に行ってタイムオーバーになってしまったが、なかなか有効な時間を過ごせた。

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(モーレ・アントネッリアーナはトリノで最も高い建物である)

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(モーレ・アントネッリアーナの展望台には、博物館内を透明な筒の中を通るエレベーターで登る)

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(モーレ・アントネッリアーナの屋上からは雪を被っているアルプスの素晴らしい山々がみえる)
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南米に行く際、フランクフルト空港のトランジットはとても便利で快適だ [地球探訪記]

 今回のブラジル行きでは初めてフランクフルト空港を経由していった。これまではほとんどアメリカの空港を使った。アメリカン航空を利用することが多いので、ニューヨークのJFKやダラスフォートワースを使うことが多いからである。JALやヴァリグが飛んでいた時はロスなども使ったし、ブラジリアに飛ぶ時はシカゴーマイアミなどを使ったこともある。メキシコ航空を使ってメキシコ・シティ経由というのもあったが、どれも通関に時間がかかるので面倒であった。もしかしたらロスはなかったかもしれないが、JFKやDFWは通関が面倒である。
 二年ぐらい前に、中東系の航空会社エミレーツを使ったこともある。これが太平洋を渡らないルートを初めて利用したケースだったのだが、これは通関がなくて便利だが、トランジットの時間が何しろ長い。これはちょっと苦痛であった。そして、今回、初めてヨーロッパ大陸経由で行ったのだが、意外と時間が余計にかかるという訳でなく、フランクフルト空港は通関を通らなくていいので、そういう意味ではとても楽であった。また羽田発着というのも有り難い。というかアメリカは、なぜトランジットなのに通関させるのか。ESTAも必要だし、大変面倒臭い。トランプ政権でさらに通関が面倒になっていることが推察されると、今後は大西洋経由がブラジルに行く時の有力な選択肢となるであろう。

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アヴィアンカ航空が運行休止になり、おそろしく酷い目にあった。 [地球探訪記]

 リオから東京に戻るのに、サンパウロのグアルーリョス空港へ行かなくてはならない。リオのガリオン空港の14:45発の飛行機を予約していた。12時にホテルを出ると、12時45分に着いた。国内線で2時間前であるなら余裕である。しかし、そこはブラジル。というかリオ。なんと、この国内線が欠航した。ちなみに航空会社はアヴィアンカ航空であった。
 さて、しかし、欠航してもどうにかグアルーリョス空港には着くだろうと思って、手続きの列に並んだ。しかし、この列が全然、進まない。担当者は若い女性一人である。私の後ろにいた女性客が前に進んでいって「どうにかしろ」と文句を言い始めた。当然だろう。というか、後でもつくづく分かったのだが、客が困っていようが別にサラリーマンのアヴィアンカ航空の社員は何も感じないのである。「人の痛みが分からない」というか「共感の欠如」のようなものを強く感じる。この女性客が文句を言ってくれたのでアヴィアンカ航空も動き初めて、国際線の乗り継ぎがある人を呼んだ。私もちょっとここらへんで焦り始める。ということで、交渉すると、代わりのチケットを切ってくれた。しかし、これがリオのサントス・ドゥモン空港からコンゴーニャス空港のものであったのだ。ただ、私はそこで勘違いをする。というのは、流石にそこまで出鱈目のものを提案するとは思わなかったので、ガリオン空港発コンゴーニャス空港着のものであると思ったのだ。コンゴーニャス空港からグアルーリョス空港へはタクシーで行け、と言ってきたので「そんな出鱈目はないだろう。サンパウロの道路渋滞を知らないのか」と文句を言ったのだが、大丈夫だという。これは何なんだ、と思ったが「これが一番だ」という。躊躇している私に、小太りで主張の強い目をした彼女は、「とりあえずタクシーでサントス・ドゥモン空港へ行きなさい」という。ここで、私は「え?コンゴーニャス空港からタクシーじゃなくて、サントス・ドゥモン空港へタクシーで行くのか」と尋ねると、「そうだ」と答えるので、「そうか、サントス・ドゥモン空港からグアルーリョス空港に飛ぶのか、それなら間に合う」と勝手に納得してしまった。
 ということで、航空会社が呼ぶタクシーの列に並ぶ。ここで一人一人が乗っても時間がかかるし、まさに「時は金なり」の状況だったので、前のお客さんと同乗させてもらう。既に14時だったが、私のチケットはサントス・ドゥモン空港のボーディング・タイムが13時55分であった。こんなチケットを切るというのは、おそらく私のボーディングを待ってくれるのだろう、と自分に都合よく解釈したのだが、それはまったくの誤解であったことを後で知る。
 さて、タクシーの中でチケットをみるとなんと、サントス・ドゥモン空港からコンゴーニャス空港と書いてある。これは詐欺だ!というか絶対、間に合わない。タクシーの中でパニックして、急いで知り合いの日系人に携帯で電話をかけて相談する。彼はルフトハンザ(国際線)に電話をかけて相談してみる、と言ってくれた。また、上手くいけばコンゴーニャス空港からグアルーリョス空港まで1時間で行けると言ってもくれた。国際線の出発時刻は18時45分である。
 数分後、彼から電話があり、出発1時間前までなら対応できる、との回答を得たとの連絡を受ける。非常に難しいが、まだ乗るのは不可能ではないようだ。また、同乗したブラジル人に携帯電話のグーグル翻訳で状況を説明すると、それは大変だと同情してもらった。これが私には大変有り難く、サントス・ドゥモン空港に着くと、彼がアヴィアンカ航空の職員に交渉してくれた。そこで、流石に彼らも慌てて、アヴィアンカ航空ではもう間に合わないので、というか、私がもらったチケットの飛行機はもう離陸してしまって乗れなかったのでGOL航空のチケットを確保してもらった。さて、しかし私が乗るべきGOL航空はもう乗れないとカウンターの男が言い張り、30分後の飛行機に乗せられることになった。私が強く文句を言うと、すぐ降りられるようにと一番前の列にしてやったのと、荷物をプライオリティにしてすぐ出てくるようにしたから、と弁明した。私のチケットを切ってもらってから3分も経っていない。おそらく、乗れたと思うのだが、面倒臭かったのであろう。私の慌てぶりをみていたブラジル人が、途方に暮れる私に「リオにようこそ(Welcome to Rio)」と言ったのが随分と説得力をもった。他人の問題を、本質的に解決するようなことはしない。しかし、自分の良心が痛まない程度の優しさは示す。これまでも感じていたブラジルの偽善性が非常に強くみられるのがカリオカ気質のような印象を強く受ける。
 さて、飛行機は時間通りに飛び、コンゴーニャス空港に着いたのは16時40分であった。急いで荷物を取り、サントス・ドゥモン空港のアヴィアンカ航空の職員にはタクシーを呼ぶのに、アヴィアンカ航空のカンターに行けと言われたのだが、今は1分1秒が勝負である。そのまま、タクシー乗り場に駆け込んで、飛び乗る。120レアルとなかなかの値段だが、少しでもチャンスに賭けたいと思ったのである。タクシーに乗ったのは16時50分ぐらいであった。高速道路はあまり混んでいなかったがリベラルタージ辺りから渋滞をし始め、もう都心部ではほとんど動かなくなった。「何が間に合うだ!」とガリオン航空の小太り女性職員を罵倒したい気分になったが、一方でどうして、こう無責任にいい加減な主張ができるのか。そのメンタリティの方が不思議になってくる。サラリーマン気質というか、役人気質というか、私からするとほとんどロボットのようである。まあ、一国の大統領でもそういう気質の人がいるから、これはもう人間の業なのだろうか。
 タクシーの運転手には急いでいることを告げると、相当、無理をして飛ばしてくれた。しかし、都心部を抜けた頃、リミットの17時45分を過ぎ、空港のカウンターに着いたら18時15分。もうカウンターは閉鎖され、どうにもならないとルフトハンザの職員に言われる。「とりあえずアヴィアンカ航空と交渉しなさい」ということで交渉する。ちなみに、ルフトハンザは第三ターミナルで、アヴィアンカは第二ターミナルで、なかなか離れており、私はここを行ったり来たりさせられる。
 アヴィアンカ航空のカウンターでは、状況を説明し、ガリオン航空の職員はあまりにも無責任で、プロ意識ゼロだ、と主張をすると主任のサインをした紙をもってきて「これをルフトハンザ航空に持って行けば、明日の飛行機には乗れるから」と言ってくれる。もし何か問題があったら、連絡をするようにと伝えてくれ、と言われてルフトハンザの事務所に行く。ルフトハンザのカウンターにはもう誰もおらず、事務所を探すのも難儀するがどうにか見つけて話をする。すると、職員は残念だけど翌日、そして次の日の便も満席なので早くても3日後ね、と言う。え!冗談じゃない。というのは私は3日後にはドイツに行かなくてはならないからだが、その飛行機に乗れなくなってしまう。とりあえず、ウェイティング・リストには名前を書いてもらい、アヴィアンカ航空に状況を連絡してくれ、と言うが、この職員は「今回の問題はアヴィアンカ航空の責任で、ルフトハンザには一切ないので私が連絡するような義務は一切ない」と言い放たれる。「ウェイティング・リストの状況を知るには明日の14時30分にまた来なさい」といわれる。
 しょうがないから、私はガキの使いのようにまたアヴィアンカ航空に行き、状況を説明しようとするが、私の話を主任に取り次いでくれた職員が見当たらない。しょうがないので、主任に直接、話そうと交渉する。しばらく待たされて出てきた主任は英語がよく分からないようで、私の説明に困惑をしていた。また、その日は何か、いろいろとトラブルが多くあったようで、文句を言う客がたくさんいたので主任も疲れていたようであった。私が大変な状況であることを察してくれた若いが極めて英語が堪能な男性職員が現れ、「私がどうにか対応しよう」と言ってくれる。彼は私の苦情を聞き入れ、「同じブラジル人として、どうしてそういう適当なことができる人がいるのか、理解に苦しむ」と言った。あくまで相対的ではあるが、サンパウロはリオよりは遙かにしっかりと問題を解決させようと動いているように見える。彼は、チケットを別々に購入したので、ルフトハンザ航空以外のチケットを用意することはできないが、とりあえず今夜のホテルと空港への往復代を負担すると言ってくれ、そのための対応をしてくれた。
 アヴィアンカ航空の彼は、ホテルはよいホテルですから、と言ってくれたが、私的には、ブラジルとアルゼンチンの国境沿いのウルグアイアナの田舎ホテルを彷彿させるぼろホテルであった。ホテルに着いた時には21時をもう回っていた。遅い夕食もついていたので、それを取る。ビーフ・ストロガノフのような料理で決して美味しくはなかったが、疲れていたのか、結構、食べられた。私は学校給食で育っているので、美味しくないものを食べられるのである。
 ホテルに着いて、翌日の国際線で東京に帰られるオプションがあるのかを検索する。アメリカ経由のであれば、15万円前後である。ただ、ESTAを今から申請しても間に合わないかもしれない。ESTAの状況をみたら、なんと3日後に切れるが、まだ有効であった。これは何かの知らせかもしれないと思い、この15万円前後のチケットを予約した。まあ、明日、ルフトハンザに乗れたら15万円をどぶに捨てるようなものだが、乗れなかったことを考えると、あまりにもその損失は大きい。
 逆にこのチケットを確保できた、つまりどちらにしろ明日にはブラジルから離陸できると考えると安心したこともあって、疲れがどっと出てそのまま眠ってしまった。今日、どうなるかはまだ分からないが、今回の経験から私が学んだこと。
1) グアルーリョス空港から帰国便に乗るのであれば、時間を無駄にしてでもトランジットの時間は長く確保すべき。いや、今回も長かったのだが、改めて長くしておくことの重要性を認識する。また、リオから帰るのであれば、ガリオン空港発の国際便に乗ることが重要かもしれない。
2) ブラジルのLCCは前から酷いと思っていたが、それをさらに再確認した。日本のLCCと同じとは思わない方がいい。余裕があれば、接続便として購入した方がいいであろう。以前もクリチバからグアルーリョスへの便が遅れたために乗り損ねたことがあるが、これは同時、購入していたこともあり、その後の対応もしっかりとしていた。学生を引率する時は、安いからといってLCCを使うことは避けた方がいいことを改めて確認する。
3) 相手があるので交渉は難しいが、自分で判断した方がおそらく正しい場合が多いであろう。私もうまくするのであれば、そこで新たにチケットを購入するなどの措置をすれば、15万円ではなくて1万円ぐらいの損失で済んだ。ブラジルの航空会社の職員を信用した私が馬鹿であった。

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ブラジルでの旅行で、見事、航空会社のオプションの罠に嵌まってしまっている。 [地球探訪記]

 これまでブラジルには20回近く行っている。ほとんどクリチバが目的地である。我ながらよく行くものだ。最初に訪れたのは1997年だと思う。あまりにも行くので、先日、観光ビザを取るのに家内に行ってもらったら、「こんなに行くのはただの観光ではない筈だ。知り合いがいるだろう」と難癖をつけられた。そして、知り合いが誰か知らない家内による家内の観光ビザ申請は却下された。確かに知り合いがいるが、知り合いに会うのも観光ビザでいい筈なので、なんでこんなことを言われるのかと思わないでもないが、まあ、総領事館が怪しいと思うぐらい、ブラジルに行っていることなのだろう。さて、大抵、アメリカ経由で行く。最近は中東系でドバイとかドーハ経由で行ったりもする。しかし、今回はヨーロッパ(ルフトハンザ)経由で行った。長い。アメリカ経由より6時間は余計にかかる。中東経由と比べても3時間ぐらい余計にかかる。しかし、なぜか安かったのとルフトハンザはアメリカ系の航空会社に比べたら遙かに快適なので、そちらを使ってしまった。
 ただ、実際乗る数日前に頸椎をやられてしまい首が不安である。そういうこともあり、3万円でエコノミープラスにアップグレードされるけどとの甘言にやられて3万円を支払ってしまった。さて、サンパウロからクリチバに飛ぶ時は荷物制限が23キロのところ25キロなので、50レアルぐらい余計に支払った。これは、しかし意外と安かった。クリチバからリオデジャネイロに飛んだ時も、真ん中の席しか空いていなかったので25レアル余計に払って窓際の席にした。このようなオプションに嵌まるのは、敵の術中に落ちたも同然なのだが、年を取ったせいか、頸椎をやられたせいか、なんか財布のひもが緩くなっている気がする。現金を支払わされると抵抗するのだろうが、クレジットカードだと気が緩んでしまう。

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コルコバードを訪れた [地球探訪記]

 リオデジャネイロは人口600万人以上を擁し、大都市圏では1230万人が生活するメガロポリスである。しかし、都心部に隣接するようにイパネマ海岸やコパカバーナ・ビーチが広がり、高層ビルの背景にポン・ヂ・アスーカルやコルコバードの丘などを含む片麻岩の山塊は、ここが600万人以上も抱える器を備えているようにはとても思えない。まるで、ハワイホノルルとかオーストラリアのケアンズのようなリゾート地のような佇まいである。そのような豊かな自然環境を代表するのがコロコバードの丘を含むチジュカ国立公園であろう。世界遺産にも指定されている。
 それは都心部に隣接して、都市に周辺を囲まれているにも関わらず、豊かな自然を維持している。そして、この公園の凄いところはコルコバードの丘というキリストの巨大な像を鎮座する素晴らしい展望台を有していることである。ランドマークとして優れているだけでなく、そこからの展望は、都市が偉大な人類の創造物であるということを強烈に観る者に印象づける。リオデジャネイロという驚くほどの官能的な都市の最大の観光地であると言っても過言ではないだろう。
 さて、しかし、このコルコバードに訪れるのは結構、大変である。前回、といっても15年以上前に訪れた時は仕事できたこともあって訪れそびれた。今回は2泊3日というきつきつのスケジュールであり、最終日の午前中しか自由時間はなかったが、その間にコルコバードに行こうと考えた。
 コルコバードに行く交通手段は大きく3つあると思われる。登山電車、マイクロバス、徒歩である。タクシーでも行けるかと思ったが断られて、マイクロバスに乗れと言われた。マイクロバスは幸いにも、私のホテルのそばにあるフラミンゴ地区のラーゴ・ド・マシャドの地下鉄駅前の広場から発着する。取りあえずチケット売り場はすぐ見つかった。券売人は「セブン、ワン」と言ったので、てっきり7レアル10セントかと思ったら、なんと71レアルであった。随分と高いな、と思ったが、後でこれはコルコバードの丘の上まで行く入園料も含まれていることを知る。さて、このマイクロバスは丘の頂上までではなく、中間地まで運んでくれる。ここで、どうもコパカバーナ発着のバスと合流しているようだ。そして、また丘行きのバスに乗り換えて行く。所要時間は乗り換え時間も含めてほぼ40分ぐらいか。9時にラーゴ・ド・マシャドの地下鉄駅を出たので、比較的早かったと思うのだが、既に、丘は大勢の人で溢れていた。立錐の余地がないとは言わないが、突端のポン・ヂ・アスーカルとリオの市街地が広がる展望台は、もう前進することが難しいくらいの人混みであった。とはいえ、ここに来たら、ここで写真撮影しなくてはならない。何のために盗難覚悟で一眼レフを持ち歩いているのだ。ということで、頑張って待って撮影する。ただ、光の都合で、ここからの写真は午後に撮影した方がいいものが撮れると思われる。一方でキリストの像はこの時間だと順光でしっかりと撮影できる。これは高さ40メートル、手を広げた幅30メートルという巨大な像で、その立地からして、リオデジャネイロのまさに守護神のようだ。その割には、リオデジャネイロ、あまりにも課題が多くて、守られていないような気がしないでもない。というか、この像のせいで、リオ市民が皆、神頼み的になってしまっているので上手くいかないのかもしれない。
 そのまま帰りもマイクロバスで途中駅まで行き、ラーゴ・ド・マシャドのマイクロバスに乗り換える。これは、タイミングが悪かったのか出発に20分ぐらい待たされた。しかし、駅には11時頃に着いたので、ちょっと駆け足ではあったが2時間でフラミンゴ地区からは往復することができた。

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(コルコバードからの素晴らしい絶景)

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(リオの守護神とも思われるキリスト像)
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リオでUBERの運転手を雇ったら大正解であった。 [地球探訪記]

 リオで移動するのに公共交通を使うことはあまりにも難しい。地下鉄やライトレールならばどうにか対応できるかもしれないが、バスだと時間はまったく読めないし、そもそもバスをうまく使うのは東京でも難しいのに、リオだとほとんど不可能である。当然、タクシーが候補になるのだが、これもいちいち拾ったりするのは大変だし、ポルトガル語で交渉するのも難儀だ。ということで、一日自動車を運転手付きで借りることを考えた。以前、ブラジルに住んでいた知り合いに相談をして、何人か日本人を紹介してもらい、メイルで連絡を取ったら次のような回答が戻ってきた。
「車の会社に問い合わせた所9時から17時までですと、乗用車でUS$270との事です。今ガイド料が9時からですと17時まででUS$250しますので車だけでもちょっと無理だとの事です。今リオデジャネイロは物がニューヨークや東京よりも物価は高いのです。日本でも8時間車をチャーターしてもUS$100 では済まないのじゃないでしょうか?」
 US100ドルというのは、こちらが提示した額で、これまでブラジル人に仕事を依頼した経験や、現地の人に事前に相談して決めたのだが、なんか一昨日おいで的な返答である。
 とはいえ、ガイドに一日で520ドルというのは自動車付きでもあり得ないでしょう。しょうがないので、ブラジル人の知人にお願いしてUBERをお願いする。US100ドルで9時から17時まで。うまく探してもらい、ホテルに9時に来てもらうことにする。
 ジュバンという名前のこの運転手はムラートで、30代中頃と思しき筋肉マンであった。9時ということだったが、10分ぐらい前にはホテル前に待機してくれたおかげで、10時15分に市役所の取材が入っていたのだが、9時20分頃に着いてしまった。ある意味、ラッキーだったので、周辺の官庁街の様子を撮影した。取材をした後は、市役所の担当者がオリンピック跡地を案内してくれるということで、彼の運転で回ってもらった。お昼後は、担当者は市役所に戻ったが、郊外にあるオリンピック競技場や、メイン会場にまで行ってもらった。
 そしてオリンピック競技場では、ここは治安が悪いからと言って撮影に同行してくれた。さらに、ここは鞄を持っている人がいると、狙う奴がいるからなどと確信的に言う。その地区はファベラなどではなく、しっかりとつくられた家々だったので、また殺気も感じなかったので、私はちょっと大袈裟なんじゃないかと思ったが、彼は「僕は16年、警官をやっているので、この地区のことはよく知っている。犯罪が多い地区だ」というようなことを言った(私のポルトガル語は相当、適当です)。「え!元警察官」。なんと、私は元警察官の運転でいろいろとリオを回っていたのである。なんという幸運。これでUS100ドルというのは本当に安くて有り難い。帰りは凄い渋滞で約束の時間を1時間以上もオーバーしたので50レアル余計に払ったら、凄く嬉しそうであった。
 そこで翌日のホテルからガリオン空港までもお願いしたら快諾してくれた。リオデジャネイロのような治安の悪い都市で、観光地ではないような開発地区を視察するためには、信頼できる運転手がとても重要である。英語がほとんど分からなかったのが難であったが、現在はiphoneで相当、会話ができる。間違えても520ドルを日本人観光ガイドに支払わなくて本当によかった。また、是非ともリオを再訪したいという気持ちになっている。

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コルドバのメスキータを訪れる [地球探訪記]

 コルドバのメスキータを訪れた。1984年に世界遺産に指定された785年にイスラム教の寺院として建設され、その後、13世紀にレコンキスタによってイスラム教徒が駆逐されるとカトリック教会堂として転用されたという、折衷建設である。
 メスキータは大きく、イスラム教寺院の「塔」であるアミナール、そしてオレンジの木が植えられた中庭、そして「礼拝の間」から構成されるのだが、圧巻なのは「礼拝の間」であろう。「礼拝の間」の規模は175メートル×135メートルの約2.24ヘクタール。そこには何と850本の柱が定間隔に並んでいる。入り口付近は特に光があまり入らず、薄暗いので、そこにいると、まるで森の中にいるような気分になる。
 この広大なる屋内空間は、しかしつくられた時代によって随分と様相が異なる。そもそも、最初はモスクとしてつくられていたのに、途中から大聖堂になってしまったので、イスラム教とキリスト教のデザインコンセプトが折衷されているので、ある意味では、ご飯にマヨネーズをかけたような違和感さえ覚えてしまう。コンセプトがしっかりとしていない幕の内弁当みたいな感じである。
 入り口から出口に向けて、建物が拡張していった経緯ごとに、スタイルや意匠、さらには採光による明るさまでもが変化していく。したがって、歩いていると徐々に空間が変化をしていくのを感じることになる。具体的には入り口から出口に移動すると、古い→新しい、イスラム教(モスク)→キリスト教(大聖堂)、暗い→明るい、オーセンティック(石とレンガが交互に貼り付けられている)→偽(レンガはペンキで塗られる)といった感じで変移する。私は個人的には入った直後の、薄暗くて、古めかしいモスク的な空間が最もオーセンティックに感じられ、気に入った。逆に、大聖堂の空間は、モスクに接ぎ木したような建築空間であり、どうも好きになれない。大聖堂はやはり大聖堂としてつくられた建築の方が迫力もあるし、また、同じモスクから大聖堂に転じたセビージャのものの方が、モスクとしての名残をそれほど残していないので返ってしっくりくる。
 とはいえ、この柱とアーチの連続性がつくりだす異様な空間は、まさに体験するのに値する。二つの文化が交わることが、必ずしも相乗的な効果をもたらしたとはいえないような印象を受けたが、宗教が異なるにもかかわらず、その価値をしっかりと認識し、モスクの形態を維持し、それを活かしてキリスト教の空間作りをしたという点は、神仏混淆をした日本などとも通じる寛容性かとも思われる。キリスト教もイスラム教も一神教であるが、そういう点はプラクティカルで私には好感が持てた。この空間にいると、今、中東で起きている宗教対立、またはトランプが主張しているムスリム教はアメリカから出てけ!といった発言がいかに偏狭なものであるかが理解できる気がする。

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(中庭とバックにはアミナール)

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(ライトアップされたアミナール)

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(最も古いパート。コンクリートとレンガを交互に置くことで、空間に特別な味わいをもたらしている)

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(最も古いパートは屋根も木でつくられており、キリスト教の教会堂と比べると質素で落ち着いた雰囲気)

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(教会堂の屋根は随分と派手で仰々しい)

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(新しいパートは、レンガ部分もペンキで塗られていたりして、神聖なる空間をつくろうとする意気がそれほど感じられなくなる)
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メキシコに驚くほどの高峰があることを飛行機から見て知る [地球探訪記]

 メキシコ・シティからハバナまで飛行機に乗ると、航路の南側に8月下旬であるにも関わらず雪に被われたとてつもない高峰が見えた。最初は山のような形状をした雲なのかと思っていたが、飛行機が近づくにつれ、間違いなく雪を被った山であることが分かった。それも富士山のような単独峰であり、凄まじい存在感を放っている。メキシコにこんな高い山があるとは恥ずかしながら知らなかった。
 ハバナに着いてネットで検索すると、それはオリサバ山であることを知る。標高は5636メートルという高さである。原住民は「雲に達した地面」と呼んでいたらしい。メキシコの最高峰であり、北アメリカでもマッキンリー山とローガン山に次ぐそうだから、大した山である。キリマンジャロに次ぐ高さの火山でもあるそうだ。
 こんな立派な山がメキシコにあることを知らなかったのは、無知の誹りを免れない。しかし、旅行をすると、そういう無知を克服する機会がたくさん転がっているので、そういう意味では人間のスケールを大きくさせてくれる。だから、なかなか旅は止められない。

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メキシコの国土は緑色だ [地球探訪記]

キシコ・シティとハバナの間を飛行機で往復したのだが、飛行機からの光景がずっと緑の絨毯のように広がっているので、ちょっと驚いた。こんなにメキシコが豊かな土地であるとは思っていなかったからである。どちらかというと、テキサスやアリゾナの延長線上で、乾燥した土地がずっと広がっているのかと思った。メキシコの国旗の緑色は「民族の運命における国民の希望」を示しているそうだが、この豊かなランドスケープの緑色は、まさに国旗の緑色と同じ色である。
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ハバナのあるバーに三日、連続して通う [地球探訪記]

 ハバナはバーとカクテルが有名である。ハバナは、革命前はアメリカ人のリゾート地として非常に享楽的な都市と化した。そして、多くのバーが立地したが、そこの常連として最も有名だったのはヘミングウェイである。ヘミングウェイがよく通ったエル・フロリディータ、ラ・ボデギータ・デル・ミディオ。私はハバナに4泊したので、ハバナに着いた時は、これらのバーに行くだろうなと思っていた。
 さて、しかし初日こそ疲れていたのでホテルで食事をしてしまったのだが、それ以外の3夜はすべてバーに行ったにも関わらず、上記のような有名なバーではなく、違うバーに通ってしまった。しかsも、すべて同じバーに行ってしまったのである。というのも、このバーがあまりにもよかったからである。いや、一つのバーにしか行っていないので、比較もできないのだが、我々の期待を十分に満たしていたので、上記のように『地球の歩き方』に載っていて、観光客が多くいて入るのにも苦労するバーに行く気が起きなかったということもある。
 それでは、我々が3夜も連続して行ったバーはどんなバーかというと、『Sloppy Joe』という店である。この店の雰囲気は抜群であり、しかも我々が宿泊していたホテルから近かったということ、また何故か、中心部にホテルから行こうとするとこのバーの前を通らなくてはならず、3日目は知り合いになったマスターと店の前で会ってしまったのでそのまま他店に行くこともできず、この店に入ってしまったということもある。しかし、それも「仕方ない」というよりかは、三度、この店に来られる理由ができて嬉々とした感じで入ってしまった。サービスは日本のバーのようにはよくないが、酒もしっかりしているし、料理もハバナの他の店に比べるとずっとクオリティが高い。後で知ったのだが、ハンフリー・ボガートが通っていた店であったそうだ。確かに、映画『カサブランカ』的な印象がするバーであった。上記のヘミングウェイ関連のバーを訪れた後に、ちょっと余裕があればここに来ることをお勧めしたい。
 まあ、ということで4夜もハバナで過ごしたのに、結局、入ったバーはホテルのバーとここだけであった。

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(ダイキリ、砂糖抜き)

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(三日連続して通った仲間達)
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ハバナ名物のクラシック・カー [地球探訪記]

 キューバのハバナ名物は、チェ・ゲバラ関連の施設、ヘミング・ウェイゆかりのバー、ハンフリー・ボガートを始めとするハリウッド・スターゆかりのバー、それらのバーにて提供されるハバナ・クラブのラムなどをベースとしたカクテル、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブなどで最近また広く世界的に知られるようになったキューバ・ミュージック、植民地時代の歴史建築物からなる街並み、そしてクラシック・カーであろう。
 このクラシック・カーはほとんどが公営ではなく、個人経営のタクシーとして利用されている。私は2台のクラシック・カーのタクシーに乗った。二台目に乗ったタクシーの運転手は、運転がとても丁寧で、しかもこのタクシーを紹介してくれた現地の人によると、キューバ人としては珍しく時間に正確である、ということなので、それ以降は空港から出発するまで、この運転手のタクシーで移動した。
 この二台にしか乗っていないので、あまり一般論として論じることは気が引けるが、まず言えることは、想像を絶したボロさ加減ということである。まず、ドアを開けるのには相当のコツがいるので、運転手に開けてもらうことになる。窓を上下するのも、ほとんどレンチで回すようにしなくてはいけず、これもコツがいる。メーターの類はほとんど機能していない。また、排ガス規制などをしていないので、乗っているだけでその煙でむせてくる。油の匂いも随分とする。一台目の車は、特に何も聞いたりすることはできなかったが、二台目に乗った車は1955年製のオールドモービルで黒色、テールフィンがついたアールデコ的なデザインの格好いい車であった。スピードは全然、出ない。というか、出したらそのまま分解しそうである。シートベルトの類は一切ない。
 それでも、アートデコのデザインが為された動かない時計、動かないスピードメーターなどは独特な空間をつくりあげていて楽しい。運転手は別にこのような車に乗りたいわけではなく、他に車がないために仕方なく使っているのだが、そういうこともあり、非常に丁寧に、大切に管理をしているそうである。代替することができないということは、人々のその所有物に対しての行動形態を大きく変える。
 居心地も悪く、安全性も低く、燃費も悪い、このようなクラシック・カーに、我々をはじめとした観光客が好感を抱くのは、そのノスタルジックな時代性を感じさせるだけでなく、その運転手達が大切に扱おうとするその心に共感を覚えるからではないだろうか。
 
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キューバでは両替ができるのはドルとユーロだけであった。 [地球探訪記]

 キューバに来た。事前にネットで調べると、キューバで両替できるのはユーロ、カナダドル、メキシコペソ、米ドルであることが分かった。そのネットの記事では、米ドルはレートが悪いと書いてある。メキシコからキューバにアクセスしたこともあり、メキシコペソを買い込んだ。そのうち、半分をメキシコ空港で両替した。3万円ちょっと相当である。残りの3万円はキューバで両替をしてレートの比較をしようと思った。ハバナの空港に着いたら、なんと両替をしてくれる場所がなかった。これは、ちょっと計算違いだし、私が事前に調べていたネット情報とも異なる。まあ、昔あったのが現在はなくなったのかもしれない。とにかく、なかった。どうしよう、と思っていたらホテルで両替してくれるわよ、とインフォメーション・センターのおばさんに言われる。ということで、ホテルに向かった。ちなみに、メキシコでキューバCUCを買っておいて本当によかった。タクシー代にも困るところだった。
 さて、ホテルは英語が完全に通じる国際的なホテルであったが、なんとメキシコペソは買ってくれないと言う。アメリカドルかユーロ。なんとカナダドルもダメなのだ。どうも、メキシコペソは最近、随分と下落したので見放されたようなのだ。しっかりして欲しい、メキシコペソ。それは大変、困った。そもそも3万円近くもこのためだけにメキシコペソを持っているのに、まったく無駄なことだ。途方に暮れていると、銀行だったら買ってくれるかも、というので銀行の場所をきき、そちらに向かう。しかし、18時までやっていると言われた銀行は17時前だったが既にしまっていた。
 幸いなことは明日は土曜日だが銀行はやっているそうだ。ということで、まだ希望は捨ててはいないが、キューバに行く人はこの点はよほど気をつけた方がいいかと思う。


民芸品市場でメキシコペソで両替ができた


タグ:キューバ
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キューバのオールド・ハバナで葉巻詐欺に遭いそうになる [地球探訪記]

 キューバオールド・ハバナを歩いていると、親しげな顔をして英語で話しかけてきたおじさんがいた。ちょうど、両替所を探しているというと、こっちにあるから教えてあげる、と言う。一緒に行っていってやろう、というので、これは有り難いとついていく。歩きながら、彼は「葉巻に興味はないか」と聞いてくる。我々は、「興味はないことはない」といったら、「それはいい。今日は月に二回だけ、安く卸す日だ。そこに連れて行ってやろう」という。まあ、葉巻はともかく両替所は重要なので一緒に歩いていたが、私は連れの人に「ちょっと怪しいかもね」などと言うと、この彼は日本語が理解できるかのように、我々を振り返って「私は全然、怪しくない。私は、ホテルで働いているし、そこまで連れて行ったら私はすぐ別れるから。」という。お金も持っているし」と言って丁寧に財布の中身まで見せてくれる。そして、「今日は家族と一緒にビーチに行くんだ」と言って、財布の中の娘の写真までみせてくれる。ヴィクトリアというらしい。
 ホテルで働いているから英語が流暢であるのか、とこちらも納得して、信用する。さて、300メートルぐらい歩くと、「あそこの市場のようなところに両替所がある。こっちで葉巻が買える」と言って、番人が立っている建物に連れて行く。この彼は、番人とちょっと話をした後、別れを言って去っていった。番人が立っているというだけで、これはめちゃくちゃ危険である。我々は、ホテルマンという彼がちょっと離れた後、番人に「ちょっとお金を両替したらまた来るから」と言って、そこを去ろうとすると、番人は「いやいや、とりあえず中に入りなよ」と言ってくる。これはますます怪しいと思った我々は「いや、お金を両替したら戻ってくるから」と返して、その場を立ち去った。
 市場に行くと、確かにそこには両替所があって、ようやくメキシコペソをCUCに両替することができた。これに関して、彼は嘘をついていなかった。
 あの場所に入ったら何が起きたのだろうか。まあ、結構怖い思いをさせられたであろう。少なくとも劣悪な葉巻を法外な値段で買わされたであろう。今、振り返ると、いきなり「私は怪しくない」と弁解したことなど、後ろめたい気持ちがなければあり得ないのだが、とても愛想がよくて人がいい感じなので、思わず騙されるところであった。よく「地球の歩き方」に、こういう詐欺事件が紹介されているが、実際、体験すると、これじゃあ、騙されてしまうよな、というほど人がいい感じなのである。また、その出会いが偶然である、ということが、そのような詐欺師を信用してしまうのではないだろうか。
 人を見たら泥棒と思え、という考えで活動していると、あまり観光自体を楽しむことはできないが、やはり観光客はヴァルナブルな存在であるので、その点は強く自覚しなくてはならないと思わせられた。

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空港内のホテルに泊まるメリット [地球探訪記]

 メキシコ・シティでは空港内のホテルに泊まった。空港内のホテルは都市を楽しめないので、私はあまり好きではなかった。しかし、今回は大正解であったと思う。幾つか、そのメリットを箇条書きで整理したいと思う。
1)まず、メキシコ・シティ空港に到着してすぐ荷物を預けられるのが楽である。メキシコ・シティ空港から都心部までは時間距離が長い。専用バスレーンを走るバスで1時間はかかる。タクシーに乗ればもっと早いだろうが、それでも道路渋滞は大変であるし、タクシーに乗るのがストレスである。
2)他のメキシコ内の都市等に行くのに便利。今回はグアナファトに日帰りで行ったが、空港内のホテルに泊まったこともあって、朝6時20分発、夜22時着の飛行機でも特に問題なく行くことができた。6時20分発だと5時30分には空港にいたいが、その時間に空港に到着しようとすると相当のストレスを覚えると思うのである。空港に着いた時はさすがに披露困憊であったが、着いてすぐホテルに戻れるというのは本当に助かる。
3)メキシコ・シティ空港は空港内施設が充実している。特に為替交換所や銀行があるのは助かる。レストランも割高ではあるし、そんなに美味しいところはないが、とりあえずしっかりと食べることもできる。コンビニもある。よく「都市の中の都市」という形容がなされるが、このメキシコ・シティ空港こそは、「都市の中の都市」であるという印象を受けた。
4)都心との接続も悪くない。タクシーはちょっと面倒くさいし、地下鉄はちょっと歩かなくてはいけないが専用レーンを走るバスであれば空港に直結して停泊してくれるので有り難い。私はほぼこのバスで都心に行き、都心から戻ってきた。
 ということで、メキシコ・シティのような大都市で公共交通の便が(改善は随分とされたが)それほど優れていないような都市においては、空港で宿泊することは相当、便利であると感じた次第である。問題点はターミナルが2つあって、それぞれ離れていることだが、ホテルだとシャトル・バンのサービスもしてくれるのでこれも嬉しい。
 ただし、このように空港内ホテルが便利であるのは、やはり都市的機能が充実しているからだと思われる。さらには、鉄道といった陸上交通が不便で周辺の都市に行くのに飛行機を使わざるを得ない、というか飛行機の相対的利便性が極めて高いから使えるのではないかとも思われる。
 しかし、このように考えるとサンパウロ空港などはホテル利用が便利かもしれない。だけど、サンパウロはホテルに直結したホテルは確か、ないんだよね。こういうところがブラジルの不思議なところである。経済的合理性が働かないのだ。

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グアナファトを訪れて、その色彩の饗宴に心を奪われる [地球探訪記]

 グアナファトという美しい都市がメキシコに存在する。世界遺産にも登録されている。私の周りにはゼミの卒業生を含めて、多くの人がグアナファトを訪れたことがある。行っていないのは私だけだ、という気分である。さらに、この行った人が皆、異口同音に「素場らしい!」という。周りは雲丹を食べたことがあるのに、私だけが食べたことがない悲しい人のような気分である。ということで、今回、キューバに行くのにメキシコ・シティ空港をトランジットで使うので、数日間、メキシコ・シティに滞在して、グアナファトに日帰りで行くことにした。もちろん、都市の勉強のためである。
 さて、しかし、このグアナファトはアクセスが悪い。グアナファト州の州都であるし、人口は8万人ぐらいであるから、そんなに小さな都市ではないと思うのだが、メキシコ・シティからバスで行こうと最初、考えたのだが片道4時間以上かかるのと、またバス・ターミナルが都市から離れていて、そこからもタクシーを乗らなくてはいけないので、飛行機で行くことにした。といっても、グアナファトの飛行場というのが25キロメートルは離れたレオンの飛行場であり、そこからバスはなく、タクシーを使うしか交通手段がないことが分かった。アメリカだったら、こういう場合は100%レンタカーなのだが、なんと、メキシコは国際免許証でも運転はできないらしい。本当、もうタクシーに乗るしか手段はないのだが、メキシコのタクシー強盗(タクシーの運転手に強盗される)の話を聞いたりしていたので、これはもう大変に緊張したのである。
 飛行機は朝6時20分発というべらぼうに早い便であったが、飛行場のホテルに泊まっていたので、その点は大丈夫であった。空港に着いたら、なんとタクシーの会社がしっかりとチケットを売っていた。なんだ、自分で交渉しなくてはいけないのか、と緊張していたので返って拍子抜けである。タクシー代は485ペソであった。
 しっかりと会社のマークが描かれたタクシーに乗って、グアナファトに向かう。運転手はなんかマラドーナを彷彿させるような風貌の人であった。乗ってすぐに、ガソリンがほとんどゼロだということに気づく。これは大変だ、ということで伝えようとするのだが、ガソリンのスペイン語が分からない。ペトロールかガソリン、そのままでいいのか。とりあえず、ファルタ・ガソリンと指摘すると、運転手は笑って「大丈夫、大丈夫」という。よく見ると、エンストのマークが点塔しているのに走っている。つまり、ここらへんは壊れているということなのだろう。しかし、運転手はどうやってガスの過不足を把握しているのだろう。
 とりあえず、そんな適当なタクシーでグアナファトに向かう。タクシーの運転はともかく乱暴で、ちょっと命の危険を感じる。30分ぐらいでグアナファトに入る。有名な地下トンネルに入っていき、なんか気分は高揚する。ラパス広場まで、とりあえず行ってくれ、と伝えたのだが、この地下トンネル内で止まる。ええ!まじですか。この地下道は「地球の歩き方」で「ここを歩くことは安全上おすすめできない」と書かれている。とはいえ、どうも普通に人が行き交っているし、なんと、バス停まである。「安全上」とはいわれてもなあ、ということでタクシーの運転手に有り難うと伝えて、降りて、とりあえず地上に行く階段を上がる。
 まだ8時頃ということで、夏時間なので実質的には7時、さらには曇り空であったのだが、この地下道を上がった時には、そのカラフルな色彩の饗宴に心が躍った。確かに、ここは相当、素場らしい。いや、アルゼンチンのボカ地区や、それこそメキシコ・シティのコヨアカン地区なども建物の住宅を色鮮やかに塗っている。ただ、このグアナファトは盆地であること、そして、その周囲が広く見渡せ、そして、視覚に入ってくる、その圧倒的な色彩の量が他とはまったく違ってユニークなのである。
 さらに、これはしばらく歩いて分かったことだが、教会の類が多いのと、ポケット・パークのような公園があちらこちらにある。さらには、ファレス劇場やイダルゴ市場のような公共建築が圧倒的な質の高さを維持しているのである。しかも大学都市であるので、観光都市というよりかは、普通に人々が生活をしている、その生活感がまだ健在であり、都市という活力がしっかりと維持されているのである。これは、この都市の大きな魅力であろう。
 ということで、とことこ歩いて、地理感を養う。とりあえず、ピピラ記念像のある展望地を目指す。ここもやはり「地球の歩き方」が「道中には強盗もしばしば出没するので、歩く場合には、なるべく日中に大人数で出かけること」と書いてある。そんなことを言っても、私は一人である。そこらへんの人に「一緒に上って下さい」と声をかけたら、かけている私の方がよっぽど怪しい。ということで、一人で歩く。ちなみに、「道中」は普通の住宅地で、ここが歩けなかったら、ここには住めないと思う。普通のおばちゃんが「強盗かもしれない」と疑うような、疑心暗鬼の塊となって、歩いて行く。坂は相当きつく、登山慣れをしているが息が乱れる。坂の途中からも展望が開け、思わず、写真を撮影していた。そうしたら、後ろから英語で声がけされる。「すわっ、泥棒か」と思われたらが、アメリカ人でテキサスから来たナイスガイで、いろいろとグアナファト、そして周辺の町村の見所などを教えてくれた。彼女がグアナファト出身なので遊びに来ているらしい。この疑心暗鬼状態はよくない、と「地球の歩き方」の方が過剰なびびりである、と判断して歩いて行く。
 ピピラ記念像からの展望は絶景の一言。「絵葉書のような光景」そのものである。それぞれの建物の持ち主が好き勝手な色を塗ったと思われるのだが、それが見事に調和している。それは、我々に色彩の素晴らしさを思い知らすが如くの、美しさである。黒を除いて、ほとんどの色がここでは展開している。灰色でさえある。ただ、基調は煉瓦色、山吹色、レンガそのままの薄茶けたレンガ色、白色、そしてサーモンピンクである。これらを基調とするパレットに、インクを垂らしたかのように様々な色彩が自分達の存在をけなげに主張する。それは、色彩による交響曲のようでもあるし、また生物多様性に溢れる森林のようでもある。そして、それを優しく包み込む額縁のようにオリーブ色の山々が枠をつくっていく。さらには、この山の背景をつくる空。生憎、今日の空は灰色であったが、目が覚めるようなスカイブルーのときは、どれだけ、この街が美しく映えるのだろうか、と思う。
 呆けたように見とれて写真を撮影していたが、まだ色々と街中を観ないといけない、と今度はフニクラに沿った坂道を降りていく。ここが強盗が頻出する坂か、と思われたが、ちょっと危ない目つきをした工事作業員に途中、遭ったぐらいであった。拍子抜けである。とはいえ、メキシコだけでなくロスとかでも、強盗とは言わないが恐喝は日常茶飯なので、そういうことが起きる、ということだけなのかもしれない。
 坂を降りるとラウオニオン公園に出る。お洒落なレストランが幾つか公園に面して立地している。座るところが多い。そして、それらのベンチのデザインもいい。優しい公共空間づくりが為されている。中心道路のファレス通りや、また、それと並行するボジトス通りを行き来する。ただ中心通りといっても、ファレス通りの幅は車一台が通るのがやっとという程度である。ほとんどの交通はこの街の下を縦横に走る地下道で処理されている。鉱山都市であるから、こういうつくりが可能だったのかもしれないが、それにしても凄い都市だ。しかし、この交通を地下で処理できているおかげで、地上はまさに「人を中心とした」空間が現出している。
 ラウオニオン公園の前にはファレス劇場。その新古典主義の建物は、とても華麗である。その後、中に入ったが、内部装飾も金を豊富に使い、その絢爛さにはちょっと驚く。
 観光のポイントは、幾つかの博物館とこの劇場、教会群、イダルゴ市場となるが、なんといっても1番は、この街の景観と空間の質、そして空気であろうか。私は、この日、これらのスポットを訪れながら、太陽が顔を出すと、ピピラ記念像の展望台に再び上った。朝とは違った光景がそこでは広がっていた。太陽光がこれら街並みの色彩を賛美するかのように降り注ぎ、そして、これらの色彩は太陽光に感謝するかの如く、まぶしいように輝いていたのである。色彩も光の産物である。そして、その光をもたらすのは太陽である。アステカ人は太陽神を崇めていたことを思い出す。メキシコは、太陽の国なのだ。そして、太陽を崇める気持ちが、この多様なる色彩の街をつくりだした背景にあるのだ。それは日本文化からはなかなか生み出されない色彩であろう。
 そのようなことを考えさせられたグアナファトの日帰り訪問であった。
 帰りは流しのタクシーを街中で拾い、いくらで空港まで連れて行ってくれる?と尋ねると400ペソ、というのでそのまま乗って帰った。飛行機は遅れたのでメキシコ・シティに着いたのは23時近かったが、大変、充実した1日を過ごすことができたが、本当に歩きすぎて足は棒のようになってしまった。

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(地下道)

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(色彩豊かな街並)

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(色彩豊かな街並)

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(ピピラ記念像から)

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(ピピラ記念像から)

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(ピピラ記念像から)
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