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大友良英とあまちゃんバンドを下北沢ガーデンで観る [道路整備事業の大罪]

シモキタボイスのイベントで大友良英氏があまちゃんバンドとコンサートをするので観に行った。既にチケットは完売ではあったのだが、ゲストとして入り込ませてもらった。さて、私はあまちゃんを一度も観たことがない。そもそもテレビは観ないのだが、さらにNHK は基本的に受信料を払わないので、家では絶対観ないのだ(ホテルや他人の家では観ることはある)。しかし、あまちゃんが世間を賑わせていたことは知っていた。

さて、コンサートは下北沢ガーデンであったのだが、もうすし詰め状態であった。キャパは400人くらいだと思われるが、まさに立錐の余地もない。下北沢の再開発などには関心がまったくないようなどうもあまちゃんのファンである若い女性が多かった。頭に「北の海女」というハチマキのようなものを巻いている。はっきりいって、ミッキーマウスの耳帽子と同じくらい不気味である。

私は二年ほど前、大友良英氏と下北沢のシンポジウムで同じパネリストとして登壇したことがある。その後も、ちょっと音楽談義などさせていただいた。大友さんは、超絶テクのギタリストとしてのイメージが強かったので、今回、こんなビッグ・バンドを指揮して、なんかメジャーになってしまって、嬉しいながらも意外である。どうも、ツアーに出ているらしくNHK ホールが完売らしい。今回の下北沢での出演も、知人の依頼などでどうしても断れずに出たらしい。

演奏は20時30分に始まった。なんか、いろいろと有名な曲を演奏しているようで観客は盛り上がっていたが、私はなんせドラマを見たことがないので、みな初めて聴いた曲である。ビッグ・バンドはなかなか華やかで演奏も上手であった。特にベースを弾いている女性は、場末の居酒屋の女将さんという風情であったが、男勝りの野太いベース・ラインを的確に刻んでいき、私は感動した。あと、ドラムとクラリネットもうまく、というか、演奏レベルは非常に高いものがあった。あまちゃんバンド、とかいうネーミングだとコミック・バンドと誤解されるかもしれないが、いやはやなかなかのバンドで感心した。

アンコールを2曲演奏して、すべてが終わったらもう10時30分近くであった。私はちょっと朝が早いので、アンコールが終わるとすぐ会場を去ろうとして、シモキタボイスの代表でもある下平氏の挨拶を聴き損ねてしまった。残念というか失敗。きっかけはあまちゃんでいいが、それでこの下北沢が再開発問題で大きな転換点にあることを知ってもらい、道路問題や原子力発電所の問題などを考えてもらえれば、本当に大友さんが忙しい中、時間をつくって演奏しに来てくれた甲斐があるのだが。100人のうち3人くらいでも、そういう問題に気づいてくれれば有り難いと思いながら帰路につく。

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環境デザイン研究学会で下北沢の研究発表をしたら受けた [道路整備事業の大罪]

 シアトルで開催されている環境デザイン研究学会(Environmental Design Research Association)で『下北沢のオーセンティシティ』に関して発表した。セッションで発表された4つの中では、もっともいい加減な発表内容であったと思われるのだが、なぜか受けて質問攻めにあった。用意していたペーパーのコピーも全部捌けた。
 これは、下北沢というコンテンツが日本人以外の興味を惹いたからであろう。他の3つのうち2つはソウル市のもので、残りの1つはサンタフェ市をテーマとしていた。4つの発表はともに、都市空間の「センス・オブ・スペース」的な内容であり、ソウル市の一つは仁寺洞をテーマにしていて個人的には大変、興味をそそられた。大量のアンケートを実施し、それを因子分析して解析するなど、研究手法もしっかりとしていて私は面白かったのだが、なぜか私の発表に質問が集中したのであった。無視されるよりはずっといいのだが、ちょっと想定外だ。
 それは、推察するに、私の調査内容というよりかは、下北沢に26メートル道路を通すという野蛮な政策に対して、聞いている人達が過敏に反応したからであろう。なんで、そんな馬鹿なことを止められないんだ、と20分くらいは私に執拗に尋ねるアメリカ人の若手研究者などもいた。これだけ理不尽だし、時代は脱自動車だから、日本人はきっと分かるはずだと言ってくる。しまいには、どうも彼の実家のある自治体が品川区と姉妹都市らしく、母親が品川区に知り合いがいるから伝えてあげようとまで言ってきた。いや、親切は有り難いのだが、私も『道路整備事業の大罪』というそのままの本まで出版しているのだが。でも、この本、さっぱり売れていないし。
 とはいえ、やっぱり世界的にみると愚かなことをしているんだな、ということを改めて知る。いや、前から知ってはいるのだが、ここまで純粋にその愚を外国人から指摘されると、なんか複雑な気持ちになる。道路どころか、原発でさえ停止できないからね。


道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2009/08/06
  • メディア: 新書



タグ:下北沢 学会
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新東名高速道路の一部開通を考える [道路整備事業の大罪]

新東名高速道路の一部、静岡県の御殿場から三ヶ日ジャンクション間の約162キロメートルの区間が14日に開業した。私は『道路整備事業の大罪』といった私個人的には極めて不本意で下品なタイトル(私個人は『道路は地方を救えるか?』にしたかったのだが、出版社サイドの強気な姿勢で妥協させられた)の本を出したこともあり、この新東名高速道路の動向には注目していた。さて、法政大学の五十嵐先生などと異なり、実は、私は、この新東名高速道路に対してはあまり反対していない。というのは、その整備を必要とするような交通需要が少なからずあるからだ。私が疑問を呈している道路整備とは、ほとんど誰も住んでいないし、交通需要もないような地区に整備される道路である。そういう道路と比べると、新東名高速道路はまだ需要があるし、整備する妥当性があるのではないかと考えている。片道三車線だけの自動車需要はないとの指摘には、真ん中の車線を1本ずつ削って、貨物用の高速鉄道を走らせられるようにするなどの対応をすればいいと思う。社会資本としては、是が非でもつくらなくてはならないものではないかもしれないが、まあ、税金をどぶに捨てるような、例えば離島とを結ぶ橋などの整備に比べれば費用対効果もあるのではないかと考えている。

しかし、問題は、この道路規格が基本的には設計速度140キロを担保した構造となっていることだ。140キロであるなら、規制速度も上げればいいのに、規制速度は100キロだ。なんでこんな馬鹿なことが起きえるのか。これは、設計速度140キロにした方が、遙かに道路工事費が高くなるからだろうと私は邪推している。すなわち、そういう道路構造にすることで、より事業費が高くなり、道路族や道路利権者にメリットが生じるからだ。当然、その予算を牛耳る役人にとっても美味しい。その結果、総事業費は約7兆円に跳ね上がっている。そういうことをやっている一方で、消費税を上げると言う。消費税を上げなくてはならないような国家財政であることは分かるが、このような法律にもないような(道路構造例には140キロ道路の整備は考えられていない)超高規格の道路を整備することは控えるか、法律を改定して140キロで走行できるように対応すべきだと思う。単に、事業費を高騰させるための超高規格道路を整備するのは控えてもらえると有り難いと思うのは私だけではないだろう。


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特急かもめに乗りながら、長崎新幹線の効用、そして公共事業の無駄を考える [道路整備事業の大罪]

特急かもめに乗って、長崎から福岡へと向かう。なかなか車窓の変化も楽しめ、時間も短くいい旅だ。2時間足らずで長崎から福岡まで行けてしまう。また、このかもめは、他のJR九州の特急車両にもいえるが、非常にアメニティ度が高く、鉄道旅行を楽しくしてくれる。このかめもに乗るというだけで、ちょっと福岡などから長崎まで足をのばしたいという観光客や鉄道ファンも少なくないだろう。

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(長崎駅で出発を待つ特急かもめ)

しかし、この特急かもめが頑張っているにも関わらず、フル規格での長崎新幹線が整備される計画である。なぜ長崎新幹線は整備されているのか。時間短縮効果は短いであろう。現在でも、2時間以内で長崎と福岡は結ばれている。これを1時間とかにしたとしても、それほど有り難いことではない。新幹線通勤を考えているのかもしれないが、新幹線の特急料金を払うぐらいであれば、福岡に下宿するであろう。観光客は既に飽和的に多い。というか、新幹線で近くなり過ぎて、むしろ長崎の宿泊客が減ってしまうのではないだろうか。関係者は、長崎新幹線を整備しても、長崎という地域に、それほどメリットを与えないであろうということを知っていないで、自分勝手に夢色の将来ビジョンを描いているのであろうか。

私は、当初は、このような公共事業に邁進する多くの人々が、経済成長している時代はいざ知らず、現在のように成熟化し、むしろ縮小している時代には、メリットがほとんどないことを知らないのではないかと疑っていた。しかし、『道路整備事業の大罪』を上梓した後は、多くの関係者、特に霞ヶ関の中央官僚は、メリットがないことを知っているのではないかと思うようになっている。

それでは、なぜ整備するのか。それは、整備することで国家予算を使うことが出来るからだ。国家予算を差配することが、中央官僚の役人達の権限の源である。そして、この差配する額が大きければ大きいほど権力を有することになる。つまり、道路やダム、新幹線などの国家事業は、それが地域に効用をもたらすというのは大義名分として必要なだけであって、最も肝心なことは、とりあえずつくってしまう、そして、それも高額なものがつくられればつくられるほどいいのである。これは、また中央官僚の役人だけでなく、政治家にも当てはまることである。その結果、日本国中に無駄な道路やらトンネルやら橋がつくられたのだ。

しかも本四架橋の例が示すように、大幅な赤字事業になったことが明らかになったとしても国民にその負債を押しつけるだけである。民間企業であれば、会社は潰れるが、国は潰れない。まあ、本当にいい気になっていると、イタリアやギリシャのような事態になってしまうかもしれないが、それでも、困るのは国民であって、官僚ではない。そりゃあ、止められないでしょう。止めて得するのは国民であるが、官僚はもちろん、地元業者、大手ゼネコン、政治家、皆、損するのであるから。ここに、もはや我が国には民主主義がほとんど機能していないことを知るのである。

そして、道路や整備新幹線なら、それほどの被害はないが、同じロジックで原子力発電所もつくられていることに最近、否が応でも気づかされてしまった。原発に比べれば、整備新幹線や道路などは可愛いものである。そして、この原発でさえ止められなくて、整備新幹線や道路が止められる訳もないよなあ、とも思いつつある。日本人として生まれることは、決して幸せではない時代がもう直前まで来ている。





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東京外郭環状道路(外環道)の建設工事の再開 [道路整備事業の大罪]

 国土交通省は12日、凍結されていた東京外郭環状道路(外環道)の練馬世田谷間の約16キロの建設工事を再開すると発表した。この区間が都市計画決定されたのは1966年。外環道の目的は、国交省の資料によれば「都心部からの放射道路を相互に連絡して、都心方向に集中する交通を分散するとともに、都心部の通過交通をバイパスさせる役割を担い、都心の渋滞緩和や環境の改善」を図ることにある。
 この外環道の総事業費は約1兆2800億円にのぼる見込みだ。渋滞効果が高いと期待されているが、ほぼ並行して走る環状8号線も、長年の渋滞要因であった鉄道との平面交差は、既に立体交差化が進み、一部では高速道路と見紛うような地下道路も整備されている。加えて、首都高速道路の中央環状線の整備も大橋ジャンクションから大井ジャンクションまでを残すのみとなり、これが完成された暁には、外環の必要性はさらに少なくなるだろう。そもそも東京という都市は、鉄道を中心とした公共交通が極めてよく整備されており、自動車の代替交通が充実している。道路をいたずらに増やすことは、せっかくの充実した公共交通事業の採算性の悪化をもたらす可能性も高く、二重投資へ繋がる。私が最近、翻訳した『世界が賞賛した日本の町の秘密』(チェスター・リーブス著、洋泉社)でも、アメリカ人の著者は自動車を利用しなくても移動手段を有する東京は交通面では「世界トップクラス」であると賞賛している。
 このように、今さら整備する必要性が低くなっている外環道だが、それでも整備するのであれば、都心を走る首都高速道路を撤去することを提案したい。東京の西側では山手線、そして東側では隅田川を境に、それより内側の都心部を走っている高速道路を撤去するのである。東京の都心のように日本橋や古川、江戸川といった極めて貴重な都市の公共空間が、高速道路によって占拠されている都市は欧州では極めて珍しい。オートバーンで知られるドイツでは、ベルリンをはじめとして、ほとんどの都市で高速道路を都心に通していない。大都市であるロンドンやパリ、アムステルダムもそうだ。自動車大国であるアメリカでも、ニューヨークのマンハッタンでは高速道路は川沿いに遠慮がちに走っている。ポートランドのように河川敷の上を走っていた高速道路を撤去した都市さえある。
 国土交通省の資料では、首都高速道路利用の23区通過交通約18万台のうち、約7万台が外環に転換すると見込んでいる。東京の貴重な都市資産を自動車ではなく人間に取り戻すためにも、高額の公共投資をするのであれば、首都高速道路というマイナスの都市資産を撤去することを是非とも検討してもらいたい。

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渋滞は本当に経済的損失なのか? [道路整備事業の大罪]

国土交通省の試算では、全国の道路渋滞による損失時間は全国で、一年間で約53億時間。これは一人当たりにすると一年間で約42時間になるそうだ。まあ、これはおそらく渋滞を解消するために道路整備することの経済効果を主張するために算出したものであるが、私はこのような数字の出し方に違和感を覚える。なぜなら、私的には自動車を運転している時間が、もう無駄であり機会費用の損失に繋がるからだ。それは渋滞しようがしていまいが無駄だ。

もちろん、自動車はドライブというレジャー的効用もある。例えば、今ではそういう機会もないが、デートでドライブというのはそれなりの効用が高いものだと考える。しかし、デートであれば渋滞の時間も損失時間にはならない。むしろ、高速で走行している方が、運転に気を遣うのでデート的な効用としては低いくらいである。だから渋滞で損失時間というのは、そんなに大きな問題とはならない。渋滞で待ち合わせ時間に間に合わない時はいらいらさせられるが、その程度である。

まあ、渋滞が損失に繋がる場合はある。バスなどの公共交通は渋滞による損失時間が経済的損失に繋がるであろうし、物流の移動なども渋滞は損失をもたらすであろう。しかし、バスであればバス専用レーンを整備すればいいことだし、物流に関しても、そのような輸送のみを可能とするような車輌規制をすることなどで対応することが可能である。しかし、多くの物流輸送は、営利を目的としているので、それらの企業のためだけに税金を使って道路整備というのも問題があるなとも思う。

ということで、道路渋滞による損失時間は約53億時間という計算結果は疑問である。自動車で運転しなくてはいけないような社会自体が、もう恐ろしく機会損失につながり、時間損失であることを理解すべきであろう。そのために必要となるのは公共交通の整備とサービスの拡充である。オーストラリアパース、アデレードなどはそのような試みをしている。日本もちょっと考え直した方がいい時機に来ていると思う。

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(そもそも自動車を運転している時間自体が多くの場合、無駄)

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道路を整備したら町が衰亡の危機になった信州新町 [道路整備事業の大罪]

千葉大学の岡部明子先生の論文「コミュニティを空間的に取り戻す」(『コミュニティ』勁草書房)を読んでいたら、面白い事例のことが書かれていたので紹介したい。事例は長野県の信州新町。以下、引用。
「1998年長野オリンピック時に南バイパスが整備され、その沿道に大型商業施設の集積ができたことで、町の人の消費行動がまた大きく変わった。以前から長野市の生活圏に引き寄せられていたところ、市の中心部に行かなくても車でアクセスしやすい長野市郊外のショッピングセンターで何でも揃うようになった。買い物に行くにも、食事に行くにも、家族で休日出かけるのも、このショッピングセンターになった。他方、農協の再編によって町の農協がJAながのに統合された。農協スーパーは、以前は町内から仕入れた品を多く扱っていたが、それがかなわなくなった。」
 多くの地方では道路整備をすれば町が豊かになるとの幻想を抱いている。しかし、実態としては拙著『道路整備事業の大罪』でも紹介している通り、多くの町はむしろ状況を悪化させ、衰亡の危機を迎える。
 道路は原発と違い、その場所を死の土地にはしない。しかし、中央官庁が説いている論理が間違っているという点においては共通している。原発という悪魔に比べれば、道路は遙かに可愛いが、それでも、それが官庁の権限、すなわち利益を肥大化させるという点においてはすこぶる共通している。この日本が抱える官僚支配という構造的問題をどうにかして是正しなくては、我が国は衰退していくという危惧を最近、強く抱いている。ただ、最近はとてつもない無力と絶望感をも抱いているのだが。それは日本人であることの絶望感である。私は無駄な英語教育にずっと反対していたが、最近では、英語を話さなくてはいけないような三流国に成り下がってしまったのではないかとも思いつつある。この悔しさが、経産省や東京電力の人間は分かるのか。





道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2009/08/06
  • メディア: 新書



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ガソリンスタンド過疎化が進む地方に、なぜ道路が整備され続けるのか。 [道路整備事業の大罪]

ガソリンスタンドが減り続けている。12月1日づけの朝日新聞の記事によると、ピークであった1994年の60421店から2009年には40357店まで減ったそうである。ガソリンスタンドの6割は赤字経営で、経営者全体の2割が廃業を考えているようだ。そして、どこで減っているかというと都市部よりも山間部である。

山間部の住民にとって生活の足は自動車だけという状況になって久しい。モータリゼーションが普及する前は、自動車なしで生活を営めるような食料、雑貨販売、郵便局などの生活機能がとりあえず周辺にあった。自動車がなくていろいろと不便であったかもしれないが、それでも生活を維持することはできた。しかし、モータリゼーションが進むことで、それら生活機能が淘汰され、もはや自動車がないと生活できないような状況に追い込まれる。そのように山間部の人々を追い込んだのは、モータリゼーションを促進させた道路整備である。道路ができて、山間部に人が住むようになるという展望はまったくの妄想であった。実態は、道路ができると、山間部の生活機能が淘汰され、生活が自動車なしではできなくなり、高齢化が進み、自動車が運転できない人達にとってはすごく不便な場所になってしまったということである。そして、山間部の過疎化がさらに進むという事態を招いた。そのような実態は拙著『道路整備事業の大罪』で簡単にまとめた。

しかし、事態はさらに深刻というか笑えない冗談のようなレベルにまで進んでいたのである。というのは、生活機能であるガソリンスタンドまでもが減少してしまい、場合によっては数十キロも運転しなくてはガソリンスタンドにたどりつけない山間地も少なくないそうである。これって、ガソリンスタンドに行って戻ったらガソリンがなくなってしまうというブラックジョークのような事態も起こりえているかもしれない。とにかく、道路を一生懸命整備しても、ガソリンスタンドがなくなったら自動車が走らせられないから元も子もない。本当に、このバカみたいに道路を整備することはいい加減にやめてもらいたいものだ。なんで子孫から金を借りてまで、道路整備をしたがるのであろうか。はっきりいって、こんなガソリンスタンドがなくて自動車も走れないような山間部に道路を整備する愚は即刻やめるべきであろう。そして、道路を整備することでガソリンスタンドが減るという、この若干、理解することが難しいと思われる因果関係をしっかりと理解することが、地方の再生には必要なのである。というわけで、このブログの内容がよく分かりにくいなあと思った方は拙著『道路整備事業の大罪』を読んでみて下さい。





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北海道新聞の取材を受け、北海道の道路行政の滅茶苦茶さを知る [道路整備事業の大罪]

北海道新聞の記者に取材を受ける。取材を受けつつ、逆にいろいろと晩強になって面白かった。おもに帯広周辺での話であった。帯広市の隣には音更町がある。ここは北海道で最大の村でロードサイド・ショッピングだらけだそうだ。帯広市は日本で唯一、グリーンベルトが策定されたという極めて計画思考の高い都市であるが、隣にロードサイド・ショッピングができたらほとんど意味なし。意味なしといえば、帯広市も意味なしの行動を自らしており、中心市街地にあったイトーヨーカ堂をどうも郊外に移したそうだ。そして、空き地には誰も進出せず、御多分に漏れず中心市街地が衰退しているらしい。このような自動車型のライフスタイルを推進させている結果、どうも帯広市ではネット・スーパーや宅配が凄く盛んになっているそうだ。カタログ注文の利用者がとても多い。なんだかせっかくのグリーンベルトが泣いているぞ。

北海道も道路をつくりまくっているが、その理由の一つが北見の玉葱を陸送して苫小牧まで運ぶことだと真面目に役人は言っているそうだ。現在、この玉葱は鉄道で輸送している。鉄道の方が輸送費は遙かに安いだろう。なんなんでしょうね。また、現在、北海道は高速道路を無料化する社会実験をしているのだが、その結果、「道の駅」の利用者が激減したそうである。特に、道東の飯高町では、「道の駅」の利用者が半分以下になったそうだ。「道の駅」も高速道路も国土交通省の管轄である。通常の民間業者であれば、ある事業にマイナスになるような事業をするうえでは慎重になるが、行政はそういう発想にはならない。赤字になろうが、何だろうが、とりあえず予算を消化するのが金科玉条になるからだ。しかし、その予算のものとは我々税金である。やってられないよねえ。

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小平市の都道338号線の整備について思いを巡らす [道路整備事業の大罪]

小平で講演する。『道路整備事業の大罪』関連である。小平市では都道338号線が、玉川上水を縦断するだけでなく、それに隣接してある雑木林をなぎ倒して整備される計画がある。貴重な雑木林をなぜ潰してまで道路を整備しなくてはならないのか。しかも、この道路に並行して府中街道が走っているのにも関わらず。税金の無駄使いだけでなく、貴重な自然資源を失うという事実に愕然とする。このような貴重な緑や自然を破壊してきた文明は確実に滅びるであろう。道路整備事業そのものより、そのようなことも分かっていない発想に怖いものを感じる。というよりかは、誰かこの素晴らしき大都市東京を内部から崩壊させようとしている陰謀を企てているものがいるのだろうか。生物多様性が注目されている中、まさに足下では時代に逆行するかのような道路計画が実現させられようとしている。今日は、杉並の久我山でも似たような道路計画が進んでいることを知った。このような計画の多くが実現された時は、東京がその貴重なるポテンシャルを喪失し、滅ぶときであろう。それまで、指をくわえて待っているのか、東京からの脱出を考えるのか、それとも現行のトレンドを転回させるように踏ん張るのか。東京に住む人々すべてが問われている大問題であると思われる。
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青い日本、赤い日本 [道路整備事業の大罪]

ブッシュ・ジュニアが2000年そして2004年に大統領選を戦った時、共和党に入れた州を赤、民主党に入れた州を青に色分けすると、東西の海岸州は青色に塗られ、そして真ん中は赤色に塗られ、明瞭なる色分けがなされた。この赤いアメリカと青いアメリカは、同じ国民でありながら、違う考え方、価値観を有しており、あたかも一つの国に二つの国が存在するように内外で捉えられた。

さて、今回の選挙では自公政権が壊滅的な惨敗を喫したわけだが、都道府県別にみると必ずしも「山が動いた」わけではないことも見えてくる。例えば、小選挙区で自民党が完勝したところも福井県、鳥取県、島根県、高知県と4県ある。自民党が一議席も取れなかったところが沖縄県、岩手県、長崎県、大分県、秋田県、新潟県、長野県、山梨県、福島県、静岡県、愛知県、埼玉県、滋賀県と13県もあったことを考えると、随分と対照的であると思われる。もちろん立派な自民党の政治家が出馬している可能性がその当選率の高さの背景にあるのだろうが、同時に、これらの地域は依然として、自民党政権を保持することで大きなメリットがあると考えているのである。すなわちアメリカ風でいえば赤い日本ともいえるかもしれない。これら自民党完勝県の県民当たりのGDPをみると、下から4位、9位、10位、29位と福井県の29位を除くと低い。また、島根県は県民当たり公共投資額が全国で一位を維持してきた県である。それで、島根県は果たして豊かになったのだろうか。県民当たりのGDPは全国で下から10位なので、公共投資額というテコでは経済がもはや浮揚しなくなっていると思われる。この10位の経済を維持するために公共投資を他の地域より多く実施することが政治家の仕事であると、もしこの状況になっても考えているとしたら問題であろう。ちなみに、ちょっと古いデータしか手元になくて申し訳ないが、2002年度の同順位は島根県、鳥取県、高知県、石川県となっている。福井県を除けば、県民当たりの公共投資額が全国1位、2位、3位が性懲りもなく公共投資を期待して自民党に投票しているということが見えてくる。この時分になっても、まだそんな補助金に依存しているのか。まあ、地方の経済は大変な状況なので、そのように考えたくなる気持ちも分からないでもないが、地方の経済を大変な状況にしてしまい、あたかもシャブ中毒のような補助金中毒にさせてしまった張本人こそ自民党だったと思われるので、そういう風に捉えると自民党が戦後の地方にもたらした罪はやはり大きいものがあったと思う。随分と人々の目が覚めたが、相変わらず「赤い日本」が存在していることは、自民党の惨敗という状況下においても認識をした方がいいと思われる。

とりあえず、しかし今回の選挙の結果には高揚感を覚えた。多くの公職の声がおそらくかからなくなるリスクを冒して、私も新書のタイトルを「道路整備事業の大罪」という下品なものにして選挙前に出版したのである。残念ながらそんなに売れていないのだが、しかし数名の購読者が、拙著を読んで選挙に足を運んでくれたら私にとっては万感の喜びである。本当は「赤い日本」の地域の人に多く読んでもらいたかったのだが、どうも選挙結果をみる限り、あまり読まれていないようだ。公共事業を持ってくるのが使命のように考えている節もある古賀さんも森さんも当選したようだし。とはいえ8月30日は日本の舵取りが大きく変わった日として人々の記憶に残るであろう。民主党にも問題は多いだろうが、「官僚主導ではなく国民主導の政治」というスローガンはたいへん説得力があるし、これこそが日本の国家に豊かさをもたらすかもしれない可能性を含んだ道であると思われる。官僚の人達は大変優秀で我が国の財産だと思う。しかし、その官僚の人達の能力を国民のために活かすシステムはうまく機能していない。そこを直すことは官僚依存が強すぎた自民党ではできなかった。民主党も相当このシステムを改変するのには手こずるであろうが、今日は小さいながらも大きな一歩を前進したと思う。


道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2009/08/06
  • メディア: 新書



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新書発売を記念して、没原稿を何回かに分けてアップする(3) [道路整備事業の大罪]

一昨日、昨日に続いて、6日に発売される新書を記念して、没原稿をアップする。ちょっとしつこくなってしまい恐縮だが、選挙前に是非とも手にとってもらえればと思っている。そのための過激なタイトルである。宜しくお願いします。





それでは、没原稿3号(しつこいのでこれで最後にする。田中角榮が道路利権をつくったという指摘は正しいと思われる。しかし、彼は別に道路に拘っていた訳では全然なかった。その点を指摘した箇所が数点あったのだが、残念ながら字数の関係でカットされている。私は角榮は道路といった視野の狭い考えに囚われたわけでは決してなく、より国土、地方のことを考えていたと捉えている。しかし、その後継者は道路の利権にだけ、その政治的旨味を感じ取り、バランスの欠いた国土基盤政策を実施していく。というのが私の意見なのだが、そのことは全般的にカットされてしまったので、ここに再掲させてもらう)。

現在のわが国の道路利権を拡張させた張本人とも指摘される田中角榮だが、必ずしも地方における道路整備ばかりを主張していたわけではない。田中は「中央と地方との格差」を是正することを目的としており、道路を整備するというのはその手段として捉えていただけである。たとえば、豪雪地帯においては道路を整備するより、鉄道のローカル線を維持したほうがいいと言及している。
「豪雪地帯における赤字地方路線を撤去し、すべてを道路に切り替えた場合、除雪費用は莫大な金額にのぼる。また猛吹雪のなかでは自動車輸送も途絶えることが多い。豪雪地帯の鉄道と道路を比較した場合、国民経済的にどちらの負担が大きいか。私たちはよく考えなくてはならない。しかも農山漁村を走る地方線で生じる赤字は、国鉄の総赤字の約1割にすぎないのである」(『日本列島改造論』)
このような記述を読むと、田中角榮の意志に反して地方ではローカル線が廃止されたのに、他方では道路整備が推進されてしまったことは残念ともいえる。道路利権というパンドラの箱を開けたといわれる田中角榮だが、実際は、地方と中央とのギャップの解消こそが目的であり、むしろ状況によっては道路より鉄道のほうが優れているといった持論も展開していたのである。

(中略)

現在の官民協働の道路整備システムを構築した田中角榮は『日本列島改造論』で次のように記している。
「私が日本列島改造に取組み、実現しようと願っているのは、失われ、破壊され、衰退しつつある日本人の“郷里”を全国的に再建し、私たちの社会に落ち着きとうるおいを取り戻すためである」
 その手段として全国的な高速交通網の確立を図り、それを推進させる法体系、制度を構築していく。だが、田中角榮自体は特に道路にこだわっていたわけではなかった。
 しかし結果的に、角榮を引き継いだ人々は、他の交通施設に比べてはるかに利権をもたらす道路だけの必要性を強調し、道路を中心とした交通網の整備に邁進する。そして、その結果、角榮が願った「郷里の再建」は実現されず、地方はより破壊され、衰退の一途をたどっていくのである。

以上である。田中角榮から綿々と引き継がれている道路利権のコングロマリットを、多少でも揺さぶることができるかもしれないのが、今度の選挙である。しつこくて申し訳ないが、この極めて顰蹙を買うタイトルも、選挙前に是非とも手にとってもらいたいという気持ちから、出版社の意向に首肯することにした。ということで、宜しければ読んで下さい。

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新書発売を記念して、没原稿を何回かに分けてアップする(2) [道路整備事業の大罪]

昨日に続いて、6日に発売される新書を記念して、没原稿をアップする。選挙前に是非とも手にとってもらえればと思っている。宜しくお願いします。





それでは、没原稿2号(道路整備をしても観光業にはプラスの影響が大きくないどころかマイナスのこともあるという事例の紹介。文字数が多いのでカットしたところ)。

 本州四国架橋が整備されたことで、四国側の着岸地の一つである坂出市は開業当初、「観光客の爆発的な増加に圧倒される思いがあった」というが、実際に地元に貢献した観光収入は小さく、しばらくすると通過点になってしまった。
 鉄道旅行の場合は、たとえ特急が走るようになって利便性が高くなっても、目的地に宿泊する傾向は変わらない。これは、鉄道での旅行の場合、手荷物を運ばなくてはならないため、目的とする観光地に到着するとホテルにチェックインして、荷物を預けて身軽になって観光したいと旅行者が考えるからだ。
 それに対して、自動車旅行はそのような荷物はトランクに入れっぱなしなので、目的とする観光地で必要とするのは単に駐車場となる。そして、宿泊先はどこでもよくなる。目的とする観光地に泊まることも選択肢には入るだろうが、そのような観光地より安く泊まれる宿が周辺にあれば、そこに移動することもできる。ましてや、高速道路などが整備され、簡単に移動できるようであればなおさらだ。
 しかも、観光客は自家用車で来ると、その地にあまりお金を落とさない。自分でお酒から何やら持ってこられるからである。
 道路整備による観光への波及効果は、拠点性の高いところにはプラスになるかもしれないが、前述した五箇山のようなケースではマイナスのほうが多くなる。どんなところでも、道路が整備されれば観光客が増えて、儲かるだろうと考えるのは早計に過ぎるのだ。実態はそれほど単純ではない。
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新書発売を記念して、没原稿を何回かに分けてアップする(1) [道路整備事業の大罪]

新書が今月の6日に発売される。タイトルは『道路整備事業の大罪』という非常に挑戦的で、ある意味で下品なものになっている。個人的にはこのタイトルには強い抵抗があるが、このブログでもたびたび指摘してきたように、日本の道路整備事業は大きな問題を抱えている。それは「罪」であるとは、実は著者である私はあまり思っていないのだが、新書で指摘した事例等から読者が、こりゃ「罪」だと思うこともあるかな、と考え、このタイトルで販売することにした。これは、やはり本は読者に手にとってもらわなくてはならない、という出版社の考えに同調したこともある。その内容の是非はともかくとして、選挙前に自民党政権が何を我が国にもたらしたのか、ということを本書を読んで考えてもらいたいと思っている。特に、このブログを読んでいただいている奇特な方には、是非とも読んでもらえればと思っている。というのも、このブログが元ネタになっている記事も結構あったりするからだ。


道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y 220)

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y 220)

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2009/08/06
  • メディア: 新書



とはいえ、本書の内容がどのようなものか不明で買うのも何であろう。ということで、没になった原稿を何回かに分けてここで公表したいと思っている。没になった理由はおもに字数が多すぎたからである。これらを読んで、興味をもっていただければ是非とも購入してもらえればと思っている。私の意見に賛成する必要はないが、意見を持ってもらうきっかけづくりにさせてもらいたいと図々しくも考えているのである。

それでは、没原稿1号(「はじめに」の部分を泣く泣く字数オーバーでカットした部分)

二〇〇四年三月、私はアメリカのデンバーに出張に行き、宿泊先のホテルですることもなくテレビの議会番組を見ていた。当時のアメリカは、まだニューエコノミーという収穫逓増の法則を説いた考え方が影響力を持っていて、地価は右肩上がりに上昇していた。その後、この国を襲う金融不況などは微塵も想像できず、人々は好景気を楽しんでいた。
その番組で、アメリカ連邦政府の貿易担当の役人が政治家に答弁していた。日米貿易問題についての答弁で、さして関心も持たないで見ていたのだが、そこで思わず耳を疑うような発言をその彼は発した。
「日本は愚かにも、誰も通らない地方に道路を整備したりしているから、いつまで経ってもアメリカの後塵を拝しているのです」
確かに、日本の道路整備はムダが多いかもしれないが、アメリカ人に指摘されると無性に腹が立った。今ならば、アメリカは道路にムダ遣いはしなかったかもしれないが、サブプライム・ローンなどで金融バブルを膨張させ、その挙げ句に破裂させてしまい、その尻拭いに巨額の税金を投入しているんだから目くそ鼻くそを笑うの類だ、と相手にしなければいいだけだ。しかし、そのときは日本がバカにされて悔しいと思うと同時に、なぜアメリカ人にまでバカにされる道路整備を日本は続けているのか、という情けなさでいっぱいになった。私は、平均的な日本人に比べると愛国心に欠けていると思うが、このときばかりは心の底から愛国心が湧き出てくるのを抑えられなかった。
アメリカにここまで愚弄される道路政策を、なぜ日本は顧みることもなく邁進し続けるのか。そして、そのことで日本がアメリカなどからバカにされていることを道路政策推進論者は知っているのだろうか。
このテレビに出演していた役人だけではない。東洋文化研究者であるアレックス・カーも、その著書『Dogs and Demons:Tale from the Dark Side of Modern Japan』で、「(日本は)海を埋め立てするために山を削り、山々は破壊的(destructive)でムダ(useless)な道路のために穴だらけになっている」と述べている。

以上である。アメリカ人に馬鹿にされる日本の道路整備事業。民主党に政権が変わりそうであるという期待が日本株を外国投資家が買うトレンドを現在、つくりあげているという意味を我々は本当に考える必要がある。

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ロスアンジェルスの道路渋滞はさらに悪化していた [道路整備事業の大罪]

一年ぶりにロスアンジェルスを車でまわったが、交通渋滞はさらに酷くなっている。ロスは土地の50%が道路もしくは駐車場として使われているのだが、それでもこの交通渋滞。自動車型社会システムの限界を感じる。その限界が、一度は捨てた(ロスは以前は、アメリカの中でも最も路面電車ネットワークが充実していた都市であった)公共交通を復活させた。ロスに地下鉄や路面電車など悪い冗談だろうと思っていたが、実際試乗すると、結構人が乗っているので驚いた。まあ、あれだけ道路が渋滞していたら、自動車ではなくて地下鉄を使いたくなる気持ちは分かる。東京もそうである。東京でも道路を高い金をかけて一生懸命つくっているが、道路を増やせば、それだけ潜在的な自動車利用者が鉄道等から自動車にシフトするので渋滞は短期的には解消されても、時間が経てば元の木阿弥である。

道路だらけのロスで約束の時間に間に合いそうもなく、イライラしていると道路の限界が身に染みる。今回取材した人は、郊外のポモナに住んでいるのだが、鉄道で都心のオフィスに通っている。新しい郊外鉄道を使うと50分で来られるが、自動車を使うと2時間から2時間30分かかるという。ポモナより遠方のリバーサイドやサンバナディーノから通っている人もいるから、もうそうなると自動車は論外になる。何も、そんなに遠くに住まなくてもとも思うかもしれないが、10年ほど前なら、自動車でも1時間ちょっとくらいで都心にまで来られたのである。そう考えると、ロスは公共交通を整備しなくては、もう都市として機能できなくなっているのである。というか、私的には相当機能していない状況にあると思う。もちろん、サンパウロやバンコクに比べればまだましだが、都市の経済力が違う。逆に、この状況を改善できなければ、ロスの経済力は相当落ち込んでいくと思われるし、個人的には投資価値はあまりないと思われる。
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