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宮城県の観光PR動画について、ちょっと苦言を呈したい [地域興し]

 壇蜜が演じる、宮城県の観光PR動画広告「涼・宮城の夏」が性的な表現が多いと批判の声が挙がっているが、村井嘉浩・宮城県知事は定例記者会見で記者の質問に「誰も、可もなく不可もなくというようなものは、関心を呼びません。したがって、リスクを負っても皆さんに見ていただくものをと思いました」「私としては面白いと思っている。あれをみて『宮城に行かない』と、そういう感じにはならないのではないか」と、問題がないとの認識を示した(ハフポスト日本版編集の記事をもとに若干、編集)。

 この動画、個人的には趣味はよくないと思うが、私が問題視するのは、宮城県の観光PRに壇蜜が出演する必然性が極めて低いということである。壇蜜は秋田県横手市で生まれ、幼少の時に既に東京に越してきて、昭和女子大学付属から昭和女子大まで進む、という三軒茶屋ッ子である。三軒茶屋の観光PRもしくは世田谷区の観光PRに出るのが一番妥当である。ちょっと頑張って、横手市というのは許容範囲かもしれないが宮城県というのは、ほとんど関係ないでしょう。どうも、仙台藩士の子孫という説もあるようだが、それで宮城県の観光大使のような仕事をするのは無理がある。観光PRというのは、その都市・地域のアイデンティティを広く普及させることが重要である。そのために、税金は使われるべきものであり、「リスクを負ってみていただく」というのは十歩譲って許容しても、そのリスクを負ってみた動画に出演している俳優が、宮城や仙台とほとんど関係がなければ、その都市・地域のPRには説得力がほとんどない。
 それは、バングラデッシュの観光PRにローラが出るほどの説得力さえ有していないと思う。観光PRを血税で制作するのであれば、人々にイメージしてほしい宮城という概念をしっかりと伝えられるものであるべきだし、それを伝えるべき俳優が壇蜜である妥当性はない。というか、壇蜜が出てくる時点で、宮城、人材いないのかとさえ思ってしまう。もちろん、宮城には素晴らしい人材が多くいて、スケートの羽生選手や荒川選手とか、サッカーの香川選手とかがいるし、女優でも鈴木京香がいる。鈴木京香は、宮城県泉市で生まれ、黒川郡で育ち、東北学院大学を卒業している、というまさに宮城人である。そして、失礼な言い方になってしまうが、壇蜜に比べると女優としても格上である。壇蜜は実際の人物の素晴らしさに比して、ちょっと二流感というかB級なところを本人も楽しんでいるところがあり、それはそれで愛嬌があり、個人的には嫌いではないが、そのような個性をもつ女優を使うという時点で、宮城県は非難を免れないし、その女優が宮城とほとんど関係性がないということで、アウトであると考える。

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金峰山登頂を六年越しで果たす(日本百名山26座登頂) [日本百名山]

百名山を登るという無茶な計画を策定したのが六年前の五月。最初に狙ったのが瑞牆山と金峰山であった(http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2011-05-11)。しかし、金峰山は雪のためあえなく登れなく断念する。それから常に金峰山へのリベンジを考えていたのだが、遂にその機会が訪れた。6時30分に二子玉川駅で大学の卒業生と合流。彼の運転する車で金峰山に向かう。五月は瑞牆山荘から金峰山にチャレンジしたが、今回はより簡単な大弛峠からチャレンジすることにした。ただ、計算外だったのは、勝沼インターチェンジから大弛峠までに大変時間がかかったことである。およそ1時間かかった。そこで、想定では遅くとも10時ぐらいから登り始められるのかと思っていたのだが、11時スタートとなった。大弛峠の標高は2,360mであり、自動車車両が通行できる日本最高所の車道峠であるそうだ。駐車場には30台くらいは駐車できるが、我々が11時ちょっと前に到着した時は、既に駐車場から結構、離れた場所にまで側道に30台程度は駐車されていた。
 小雨が降っており、これはちょっと厳しい登山になるのではと覚悟をしたのだが、標高が高いこともあり、小雨は降っているが凜とした森の空気の中、気持ちよく歩き始めることができた。コースタイムでは最初の1時間で朝日岳山頂、そしてさらに1時間ちょっと歩くと金峰山に到達する。基本、尾根道なのでそれほどはキツくないはずだが、最初はいきなりなかなかの急坂。しかし、それはガイドブックに書かれていたので想定済みなので、ただもくもくと高さを稼ぐ。ある程度、登ると平坦な道になる。快適な気分だ。青森トドマツ、ダケカンバの森の中を歩いていると、同行した若者は「こんな空気はヨセミテ以来です。こういう空気を日本で味わえるとは」と言う。確かに、アメリカの国立公園の森を彷彿させるような爽快な気分である。これは、最近の百名山登山では大山でも味わえたが、安達太良山や両神山では感じられなかったことである。一つの理由は標高があるということだろうが、もう一つの理由はアオモリトドマツ等の森の樹木が発するフィトンチッドが、例えば杉に比べて癒やし効果が高いということがあるのではないだろうか。いや、適当な推測ですが。
 大弛峠に行く途中は濃霧が覆っていたが、この登山道は濃霧の上であったので視界は悪くない。小雨も気にならない程度だ、とちょっと前向きな気持ちになってきたら、木の狭間から富士山が見えた。今日は富士山を見ることはできないだろうと悲観的な気分になっていたので、テンションは一気に高まる。朝日岳の前の岩稜帯でちょっと休憩して、写真を撮影したりもする。八ヶ岳こそ雲で見えなかったが、富士山、甲武信岳は綺麗に展望できる。そして、そこからまた朝日岳への急坂を登る。標高が高いこともあり、息は上がる。ちょっと、目の前が暗くなりそうになり、高山病を意識する。昨年秋、八ヶ岳で高山病になったので、この程度の標高でも私は油断できないのだ。ということで、あまり無理をしないよう、呼吸を整えるように気をつける。
 朝日岳には12時20分に着く。標高は2579メートル。金峰山より20メートルだけ低い。朝日岳からは金峰山の雄姿がはっきりと見える。五丈岩が独特の存在感を放っている。ここで、小雨のため鞄に入れていたカメラを外に取り出す。そこから、坂を下り、鉄山を迂回して歩いて行くと、徐々に樹木が灌木となっていく。7月中旬であるのに、シャクナゲがまだ咲いている。寒いからであろう。実際、今日の気温も15度くらいである。シャクナゲはピンク色ではなく、白色であった。金峰山が近づくと、礫の中を歩いて行くことになる。山頂近くでは、礫は岩になり、岩の中をくぐり抜けていく感じになる。頂上が見えなかったこともあり、山頂は突然、現れた。目の前に五丈岩が屹立している。五丈岩はちょっとした地震で崩れ落ちそうな、岩が積み上げられたようなものである。どうやって自然につくられたのか、不思議な気分になったが、どうも2000年以上前に人工的につくられたものであるそうだ。こんな大自然の中、誰がこのピラミッドのようなものをつくったのか。どちらにしても壮大なミステリーである。
 金峰山の頂上からはまさに絶景が楽しめる。特に印象的なのは富士山であるが、瑞牆山も相当なものだ。北にある小川山に比べて標高は低いこともあり、山としての存在感はそれほどでもないが、その花崗岩の岩峰が林立する姿は、一際目立つし、自然の造形美に感嘆させられる。あと、瑞牆山荘から金峰山へと至る登山道は、まるでノコギリの歯のように凸凹している尾根道なのだが、個人的には、その長く引くように伸びる登山道が、両側を断崖絶壁に挟まれたか細い糸のように見え、そこを歩いている人が綱渡りをしている蟻のようで、思わず息を呑んだ。このコースは、6年前に歩こうとしたところだし、ガイドブック的には決して難しくはない筈なのだが、金峰山の頂上からみると、それは恐ろしく危険に富んだ決死の登山路のように見える。いやはや、日本の山は本当に険しいことを改めて思い知る。
 五丈岩の下で昼ご飯にしようかとも思ったが、もう既に13時30分頃だったので、山頂の岩の隙間でお湯を沸かす。そこで昼食のサンドイッチと珈琲を飲む。食事中に雨がまた降り始め、さらには霧が西側からのぼってきたために急いで身支度をして下山をし始める。
 下山は結構、ハイペースで私の登山経験ではあまりないことだが、抜かされることなく、逆に数パーティを抜いた。いや、別にこのようなことを敢えて記す必要もないのだが、個人的には登山の経験回数が増えるにつれ、私もようやく人並みのペースになりつつあるのかな、と今後の登山に明るい展望が得られたので記させてもらった。
 ということで、一度だけ休んだだけで一挙に下山をした。大弛峠の駐車場に着いたのは15時50分。16時ちょっと前で、往復で5時間弱。濃霧の中を大弛峠に車で向かった時は、まったく期待できず、むしろ登山を中止した方が賢明ではないかと思ったぐらいであったが、期せずして相当、いい登山をすることができた。これは金峰山が、そもそも素晴らしいということが大きな理由であるかと思う。私は登山が結構、辛いので、登った後に再訪したいという気持ちになることはあまりないのだが、この金峰山は是非とも再訪したいと思った。もちろん、日帰りで行けるというアクセスの良さというのもあるかもしれないが、何しろ茹だるような東京の暑さからは開放されるし、ここの登山は気持ちよいからだ。

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(期せずして富士山が見えた。思わず気持ちが高揚する)

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(朝日岳からは金峰山が展望できた)

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(シャクナゲが目を楽しませてくれる)

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(金峯山頂からの富士山の展望)

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(五丈岩)

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(瑞牆山の素晴らしい展望も得られる)

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(瑞牆山荘からの登山道の険しさに驚く)

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(瑞牆山方面の展望も素晴らしい)

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(帰路はより輪郭がはっきりした富士山を展望することができた)
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アゲダというお金はなくても知恵で地域再生をした町を訪れる [都市の鍼治療]

 アゲダという町がポルトガルにある。リスボンに行くので長女が持っていた『地球の歩き方』を鞄に入れてきたのだが、その頁をパラパラとめくっていたら商店街の上部空間をカラフルな傘で覆っている写真が目に留まった。その文章を読んでいると、2006年から町興しのイベントを開催したら大成功して、衰退した町が復興したと書いている。しかも、このイベントは7月の3週間だけやられているそうなのだ。ちょうど、今、私がいる時に実施している。ということで、是非とも学会中の空き日に行きたいと思って、とりあえずアゲダのホームページからコンタクトの頁に飛び、アポの依頼をしてみた。まあ、こんな英語でお願いして、しかも日にちまで指定するような図々しいアポには回答してくれないだろうと思ったら、「いいよ」という返事が翌日、来た。こうなると是が非でも行かなくてはもったいない。ということで、時刻表を調べてみると、なかなか遠いということ、列車の本数が極端に少ないので時間がかかるということも分かった。リスボンからだとポルトには距離的には近いが、時間はよりかかるのだ。とはいえ、リスボンの駅を8時に出る列車に乗れば11時30分には着く。駅に自動販売機がない可能性を考えると、ホテルは7時に出た方がよい。ということで朝早く起きて、この8時の列車に乗るようにした。案の定、自動販売機では買えず、切符売り場で並ぶことになったのだが列が短くて助かった。
 リスボンから乗ったのは昔の新幹線的な列車であった。2時間ちょっとでコインブラに着き、そこから20分ぐらいでアヴェイロに着く。ここで乗り換えることになるのだが、乗り換えた列車はもうこれでもか、というぐらいにローカル線色が強く、しかも車両はもはやアートのように全面的にグラフィティが施されていた。
 この二両連結のディーゼル車でアゲダに向かう。このディーゼル車の車内はほぼ座席レベルでは5割ぐらいが埋まるぐらい乗客はいたのだが、私の前に座った3人の老婆が、大声でほぼ30分間罵り合うという状況に放り込まれた。特に私の前の老婆が何かに対してとてつもなく怒っているようなのだが、その怒りの感情が声に乗り移ったかのようで、聞いていて驚くほど不快になる。何をしゃべっているかが分からないのだが、罵っていることは確かであろう。それにしても、なんでそこまで怒鳴るようにしゃべらなくてはならないのだろうか。まるで右翼の街頭演説のようである。さすがに周りの乗客も呆れているが、誰も触らぬ神に祟りなし、のように苦笑をしているだけである。このような状況はアフリカでさえ見られないであろう。
 とんだ洗礼を受けた後、アゲダ駅に着く。アゲダはこの地域では中心的な町のようなのだが無人駅であった。しかし、イベントをしているということもあって多くの観光客が鉄道から降りた。日本人の30歳前後と思しき女性グループも降りる。しかも、どうも複数のグループのようだ。
 駅を降りてもどこへ行ったら分からなかったのだが、ぶらぶらと歩いているとCentroの方向を指す標識に出くわし、Centroに向かっていく。すると、出てきました。傘の屋根が。ポルトガルの7月の水彩画の青のような鮮烈な水色の空と、この傘が見事にマッチしていて、これは相当よい。手帳に、「誰が傘のアイデアを出したのか?」とメモをする。しばらくすると傘の屋根は終わるが、またちょっと歩くと違う道の上が傘で覆われる。この傘の量は大量だ。あとで尋ねたら5000本はあるんじゃないか、という話だったが、一番メインのところは、確かに1000本はあるだろう、という迫力であった。
 アゲタのこの傘の位置づけはインストレーション・アート。ということで、傘が有名であるが、基本はアートによる衰退した町の活性化事業をしているのである。そして、傘はイベント期間だけであるが、他のものはパーマネントで設置されていたりもする。傘以外は何か、ということだが、カラフルなベンチを始めとしたストリート・ファーニチャー、壁絵、そしてアート作品のインストレーションなどである。また、このイベント中はおもに音楽の催しが毎日のように為されている。ただ、大物アーティストを呼ぶというよりかは、地元のミュージシャンを中心に出演させているようだ。私も取材のアポの前に、リハーサルを聞いたのだが、なかなかの実力でちょっと驚いた。
 午後に訪ねると取材に回答してくれる市の広報のパウロさんには伝えていたので、とりあえず街中で昼食を取ることにした。どこに入るかは難しいところだが、客が比較的多く入っていた街角の定食屋のようなところに入る。メニューを見せてくれ、と中年のおばさんのウェイターに言うと「メニューはない」と答える。そしてフランゴかビーフだと言う。しょうがないのでフランゴにしたが、周りをみると、明らかにチキンでもビーフでもないものを食べている。まあ、でもそれほど拘ることでもないからいいか、と待つ。あと、フレッシュ・オレンジジュースを注文する。フレッシュ・オレンジジュースはポルトガルに来てからのお気に入りだ。タンジェリンのようなミカンでつくるので、普通のオレンジ・ジュースに比べて、ちょっと味が柔らかいのだ。そして何しろ安いので、平気で注文をしてしまう。現れた料理は鶏に卵焼きが乗っかっていて、そしてご飯やらサラダやらが付いてきた。結構、美味しい。
 空腹を満たした後、市役所に行くと、なんとパウロさんはイベント会場にずっといるので市役所には来ないそうである。ただ、イベント会場でパウロを探していると言えば、きっと会えると思うよ、といい加減なことを丁寧な英語で返される。しょうがないので、パウロさんに電話をすると、後でテキスト・メッセージに待ち合わせ時間を伝えると言ってくる。これは、後で知ることになるのだが、この7月限定のイベント「アジッタゲーダ」の産みの親の都合を聞いてくれていたそうなのだ。さて、パウロさんが送ってくれたテキストは最初18時30分という指定だったのだが、帰りの電車は18時55分で、それを逃すともうリスボンには戻れないかもしれないのと、翌日は学会での発表があったので、どうにか17時30分にしてもらう。
 さて、多少は待ち合わせ時間は早くはなったが、それでも4時間ぐらいはある。町は小さいのでちょっと歩くとほぼカバーができる。気候は素晴らしく、色鮮やかな傘の群は心を晴れやかにさせてくれる。私はボーッとするのが本当に苦手なのだが、久しぶりにボーッとした気分になって、スケッチブックを取り出し、スケッチをしたりして時間を潰した。
 ようやく待ち合わせの時間になったので、イベント会場のバック・ステージに行き、市の広報のパウロさんに会い、15分後にはこのイベントを企画した市の局長であるサントス氏と会う。そして、パウロさんの通訳も含めながら取材をさせてもらう。
 サントス氏によると、このイベントをすることにした機会は、この町が衰退していたので何かしなくてはと考えたからだそうだ。そのためには、何しろこの町の名前が知られなくてはならない、ということでイベントを開催することを考えたそうだ。観光客を呼ぶということよりも、シビック・プライドを醸成させることを意図したそうだ。私は、この傘のインスタレーションが素晴らしいと思い、どういうきっかけでこれをしたのかと尋ねると、特にアゲダの町の傘には関係性はなかったようだ。ただ、どこかでオランダ人のアーティストが似たようなインスタレーションをしたのを関係者がみて、これをやってみようということにしたそうである。最初は町の中でばらばらとやっていたのを、都心部で集中的にやった方がいいとサントス氏は提案して、今とほぼ同じ場所でやられるようになった。
 傘のインスタレーション以外では、壁絵が10ほど街中にある。すべて地元のアーティストの作品である。他にもベンチや階段をキャンバスに見立てたようなアートが街中には幾つかある。
 この傘のインスタレーションが突然と人に知られるようになったのは5年前(2012年頃)だそうである。私も手元に2009年のロンリー・プラネットのポルトガル版を持っているのだが、アゲダの「ア」の字も書かれていない。ロンリー・プラネットのような旅行オタク系の雑誌に書かれていない、ということはそれだけ注目されていなかった、ということであろう。最新版のロンリー・プラネットを持っていないのでいい加減なことは言えないが、ページ数的には3分の1ぐらいの「地球の歩き方」でもしっかりと1頁の紹介をしていることを考えると、今ではもちろん頁が割かれていると思われる。
 この人々が急に知られることになったのはフェイスブックなどのSNSが大きな理由だそうである。何しろ、この傘のインスタレーションを始めとしてアート作品はフォトジェニックである。思わず、インスタグラムやフェイスブックで共有したくなってしまうだろう(私もすぐにした)。これがポイントであった。今では、アジタゲダのイベント期間中は、観光客は一日平均で3000人を超える。
 ただ、前述したが傘である歴史的、地理的な必然性はない。観光客は物語を消費したがるので、それは悩ましいところだそうだ。
 ところで、この傘の数だが現在は、5000本はあるそうだ。確かに、傘だらけだからそのぐらいの数字はあるだろう。ポルトガルの傘ですか?と尋ねたら、「まさか」と言われた。インドそして中国製だそうだ。また、この事業のポイントだが、すべて市が主体的にしているということだそうだ。音楽コンサートのイベントの仕事も仕切っているのは市役所の職員である。日本の自治体のようにアウトソーシングをしていない。確かに、市の広報の仕事をしているパウロさんが、今日は一日バック・ステージに張り付いている。
 そして、このイベントによって観光客が増え、市のイメージが格段によくなっているだけでなく、古い建物などが修繕されるようになっている。さらにはホテルなども開業するようになっていたり、パン屋は傘のパンをつくって売るようになったりしている。このようにして、地域経済が回るようになってきており、それが何より重要であるとサントス氏は強調した。
 それまではアゲダがニュースに載るのは川が洪水した時ぐらいだったが、イベントのおかげで随分と知られるようになり、その結果、人々が街に誇りを持つようにもなっている。
 最後にサントス氏が述べた言葉は印象的であった。
「誰もがインスピレーションを持っている。しかし、お金を持っていない。ただ、お金がなくても何か試すことが重要なのではないか。多くの人はお金を持っていないので試さないが、試すことが何より重要なのだ。傘の事業は4000ユーロで始めた。関わった人も私を含めて5名。アゲダの成功は試すということをしたことがもたらしたのだ」
 まさにクリチバ市のジャイメ・レルネルさんが指摘していたことと同じことをサントス氏は述べたのである。

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(ポルトガルの眩しいような空色をバックにカラフルな傘が幻想的かつ魅力的な空間を演出する)

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(ベンチや階段、そして壁画といったアート作品が街を彩る)

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(電灯のようなストリート・ファーニチャーも相当、お洒落である)

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リベイラ市場で特別に美味しいロブスターを食べた [B級グルメ雑感]

リスボン最後の日、ちょっと時間があるのでリベイラ市場にまで行く。リベイラ市場は最近、ちょっとグルメのニーズにも対応して市場に隣接してレストラン街を設けたそうだ。これは、マドリッドやバルセロナ、デンマークなどでも観られているトレンドであるが、都市の鍼治療としても効果が高い。ということで、いそいそとホテルに荷物を預けて出かけた。
 リベイラ市場は思ったより大きくはなかった。建物の構造も大きく3つの棟に分けられておりシンプルであり、迷子になることはない。一国の首都の市場として捉えると、ちょっと拍子抜けする。カーディフの市場とかぐらいの大きさであろうか。
 3つのうち、一つの棟は従来からの市場で魚やら肉、野菜などの生鮮食品が売られている。魚が多いのと蛸やイカなどが置かれているのが印象的である。というのも、蛸やイカなどを食べる国は多くないからだ。ただ、イカの目が死んでいる。これは日本の市場や魚屋とは違う点でちょっと残念だ。
 真ん中の棟は小さく、小売りをする店が集まっている。そして一番西側にある棟がフード・コートのようになっており、空間も洗練されたデザインがされており、お洒落でいい感じである。店はマクドナルドやスターバックスのようなファストフードと思しき店はなく、どの店も皆、黒と白のシックな看板に統一されている。コンフェクショナリー、揚げ物系、ステーキ、魚介類の店など、どれもなかなか魅力的であるが、店の前に大きな水槽が置かれており、ロブスターやら蟹やらが入れられている魚介系のレストランにてリスボン最後の食事を取ることにした。名前はアズールという。
 飛行機の時間は15時50分。ホテルに荷物を置いているので、13時にはホテルに戻っていたい。ホテルまでは地下鉄で30分弱。時計を見ると12時ちょっと前。おそらく大丈夫であろう、というところでカウンターに座ると店は12時からだから、と言われる。まあ、他に客もいないし10分ぐらいなら待てばいいか、と思いそのまま座る。さて飲み物は?と聞かれるので水を注文し、そのままボーッとしていると12時を回る。それでもすぐに注文は取りに来ず、いろいろと開店の準備をしている。ちょっと私が、いらいらし始めた12時10分頃になって、ようやく若い女性の店員が注文を聞いてくれる。ここは、やはりロブスターでしょう。しかし、あまりにも大きい。値段も1キロ90ユーロとなかなかの値段だ。これは海老かな、と躊躇したが、「水槽の中から一番小さいのを選べば」と言ってくれる。そこで水槽を見に行くが、どれも巨大だ。というか、水槽の中なので実際よりも巨大に見えているのは分かるのだが、まるで猫ぐらいの大きさに見える。これは無理かな、と諦めかけると、店の人が「この小さいのはベイビーだから、食べられるでしょう」と言う。流石にベイビーだったら食べられるな、と思い切って注文する。注文すると、女性店員は水槽からそのロブスターを取って、まな板の上に置くと、いきなり包丁で脳髄に振り下ろした。ロブスターはばたばたしているが、頭を押さえられているのでどうにもできない。ばたばたの力が弱まったのを確認して、店員は一挙に身体を真っ二つに包丁で分けた。この若い女性店員は、華奢な身体をしていて、なかなかの美人であるので、ロブスターを切り捌く姿は絵になるが、逆に美人であるからか、その姿はちょっと怖い気もする。ついでにポテトとパンも注文してしまったのだが、これはどちらかでよかった。というのは食事が来てから気づいたのだが、圧倒的な量だからだ。
 さて、問題はこの捌いた後からなかなか料理ができないことである。メニューをみると、ファストフード?そんなに早くはないですよ、などのコピーが書かれている。どうも、ここに出店できる店は、料理の審査を通ったところのみのそうだ。普通の状態であれば、これは大変有り難いのだが、飛行機の時間が迫っている私にとっては、これは若干、由々しき問題である。12時30分を回ったぐらいの時間になってようやく料理が出てきた。オーブンで焼かれたものだが、ニンニクとオイルだけの味付けのようだ。さて、しかし食べてみたらこれが絶品のように美味しい。私は日本以外では、ほとんど魚介料理を美味しいと思ったことがないので、これは嬉しい驚きであるし、予想外であった。まあ、さっきまで生きていたので素材は相当、いいのかもしれないが、どんなにいい素材でも駄目にしてしまうのがヨーロッパ人というか日本人以外だから。例外的に私が魚介料理を美味しく海外で食べられたのは、釜山の魚市場ぐらいである。そういう意味で、アズレのロブスターには驚いた。あとポテトフライもしっかりと、ここで切って揚げられたもので、これも美味であったが何しろ量が多すぎる。飛行機の時間もあるので、これは袋に入れてもらった。そして、量り売りなのでどきどきさせられた値段であるが、57ユーロ、チップを入れても65ユーロで済んだ。600グラムぐらいかな、と店員は言っていたのだが、ポテトやパン、水を二本注文したことを考えると、500グラムぐらいであったのではないか。最後にポルトガルの評価が大きく上がった。この市場で昼ご飯を食べられてよかった。

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(店にある巨大な水槽)

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(ディスプレイの食材が食欲をそそる)

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(テーブルクロスにスローフード宣言がされていた)

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(生きたロブスターを捌く女性店員)

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(なかなか格好がよい)

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(ロブスターの半身。出されたのは一匹)

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リスボンのサンタ・ジュスタのエレベーター [都市デザイン]

リスボンに学会で来ている。開会式のキーノート・スピーチに律儀に参加しようと9時に会場に向かうと、キーノート・スピーチは違うキャンパスでやるそうだ。どうも、地下鉄で30分ほどかかるようなので、何か面倒臭くなり、天気が凄まじくよかったこともあり、リスボンの市内巡りに行ってしまった。結局、いつも通りの行動パターンだ。
 さて、最初は何しろ、エレベーターを押さえなくては、ということでいそいそとサンタ・ジュスタのエレベーターに向かう。サンタ・ジュスタのエレベーターはジャイメ・レルネルさんの著書『都市の鍼治療』にて紹介されている。私はこの本を訳したので、その時から大変興味を持っている。ということは、12年間ぐらいは興味を持っており、いつか来たいと思っていたということだ。
 このエレベーターはバイシャ地区の低地とバイロ・アルトの高台とを繋ぐために1900年から工事が始まり、1902年に完成した。エッフェル塔の設計メンバーの一人でもあったメスニエールによってつくられた。それは45メートルの高さで、できた当時は驚きの技術の結晶であったのだろう。観光名所として多くの人を惹きつけることになる。
 今でこそ、エレベーターなどあまりにも日常的で、ちょっと高い建物ならほとんどついているような代物であるが、よく考えると、それが登場した時には驚きの交通施設であるということに気づかされる。このエレベーターに乗るのに15分間ぐらい待たされた。15分も待たされても乗るというのは、もうほとんど観光客しか利用しなくなってしまった、ということであろう。というか、これは有料である。5€ちょっと取られた。48メートルの高度を得るために日常生活で5€払う人はほとんどいないから、これはもう100%観光客向けなのかもしれない。
 さて、しかし、このエレベーター、ランドマークとしてはなかなかのものである。エレベーターの丘側の乗り場の上は展望台になっており、そこからはバイシャ地区の町並みだけでなく、そのスカイラインを縁取る城、それからテージョ川、そしてその対岸のアルマーダまでをも展望することができる。なかなかの絶景である。
 東京のように高いタワーがないので、ここからの展望は特別な意味があるのだろう。この光景を観るために観光客が15分待って5€払うというのは理解できる気がする(展望台に入るためにも搭乗券が必要なのだ)。
 7つの坂の都市と言われるリスボンだが、そのリスボンにふさわしいユニークなランドマークである。
 
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(バイシャ地区からみたエレベーター)

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(中は相当、レトロである)

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(上の駅からは素晴らしいリスボンの展望を得ることができる)
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安達太良山(日本百名山25座登頂) [日本百名山]

安達太良山に登る。その前日にゼミの卒業生達と磐梯山に登る予定だったので、安達太良山の麓の岳温泉の宿を予約し、一挙に二つの山を登頂しようと目論んでいた。ただ、磐梯山は雨の予報であり、行く直前にキャンセルした。実際、当日は、午前中は土砂降りの雨だったようで行かなくて正解だったのだが、私は宿を予約していたこともあり、一人で夕方に岳温泉に向かった。17時まで大学で仕事をし、そこから東北新幹線で郡山に向かい、郡山でレンタカーをして岳温泉には21時ちょっと前に着いた。
 予約をした旅館は、山小屋に毛が生えたようなものをイメージしていたのだが、大規模で豪華な温泉旅館であった。ちょっと外した気分ではある。
 翌日は8時30分に始発のゴンドラに乗ることを計画する。これだと登山時に1時間30分は節約できるからだ。ということで7時に朝食を取り、8時過ぎにチェックアウトをしてゴンドラ駅に向かう。旅館から奥岳のゴンドラ駅までは自動車で10分ほどであった。奥岳には広大な駐車場があった。さて、しかし、なんとゴンドラは強風で運行中止であった。しばらく待ったら運行が再開されるかもしれないと思ったが、受付には誰もいないので奥岳から登山を開始する。山頂は雲で見えなかったが、それまでのルートははっきりと見える。
 登山開始は8:45。30分ほどスキー場のゲレンデを登っていく。そして、ゲレンデのリフトの降り口から急坂になる。昨日の雨のせいか、道は泥濘んでいて極めて歩きにくい。薬師岳にはおよそ1時間ほどで着いたが、そこまでのルートは水たまりや泥濘みのせいで、まったく快適ではない楽しくない登山であった。というか、もう少し、登山道を整備できないものか。自動車が走る道路ばかりを不必要に整備し続けるのではなく、こういう登山道にも少しは投資をするべきであろう。そうでなくても、百名山は潜在的には観光資源としてのポテンシャルが高い。登山道をしっかりと整備すれば、登山が快適になり、内外の観光客が増えるであろう。そして、高齢化が進む中、登山が多くなされるようになれば高齢者も元気になり、医療福祉に振り向けられる税金が減るのではないだろうか。などとぶつぶつ考えながら、高度を上げていった。
 薬師岳はゴンドラの上部駅がそばにあり、そこから二本松市方面の展望は素晴らしかった。ただ、安達太良山の方はなんか禍々しい雲が覆っている。この薬師岳には、高村光太郎夫人である高村智恵子の「この上の空がほんとうの空です」という一句の碑があるのだが、上の空はグレーの陰鬱な雲に覆われていた。薬師岳からはゴンドラの駅からの登山道と合流し、そこからは素晴らしく歩きやすい木道が続く。
 さらに1時間ほど歩くと、礫が続く急坂になり、雲の中に入り、視界は悪くなる。頭上をもの凄い勢いで風が吹き荒れ、ちょっと恐怖さえ覚える。そして、そこから数分で安達太良山の頂上のでっぱりの手前まで来る。安達太良山の頂上は乳首と呼ばれているそうだが、確かにそのような形状をしている。ただ、この最後の部分はなかなかの崖で、しっかりと三点支持の要領で登っていく。頂上に着いたのは10時55分。360度の素晴らしい展望ということだが、まったく何も見えない。そして、下から吹き上げる凄まじい風。ということでそそくさと下山を始める。先日の大山では上りが調子よかったので、いい気になって下ったら膝を痛めたので、今回はいい気になる気持ちを抑えてゆっくりと降りていく。11時40分には薬師岳に戻る。そして、泥濘みだらけの登山道を下山していく。上りよりさらに、その泥濘みに不快な気持ちを抱く。泥濘みのせいか、羽虫のような虫も多く、本当に鬱陶しい。初めての百名山でここを登ったら、登山を今のようにしていなかったかもしれないとさえ思う。ただ、つまらない私の気持ちをなだめるかのように、シャクナゲなどの花が目を楽しませてくれる。この野生植物は安達太良山の魅力かもしれない。
 そして登山口に着いたのが12時54分。ほぼ4時間ちょっとで往復することができた。とはいえ、ゴンドラが運転しているなら、是非ともゴンドラを使うべきだと思う。登山口から薬師岳までのルートにはまったくの魅力はなかった。
 ということで、25座目の百名山登頂になったのだが、おもに天気のせいではあったが最も今ひとつな登山であった。ただ膝は痛くない。ということで、登山口にあった安達太良渓谷自然遊歩道というのがあったの歩いてみた。そしたら、これが安達太良登山よりも遙かに自然美に溢れて、また登山道もしっかりと整備されていたものであった。西沢渓谷ほどではないが、これだけ簡単にアプローチできることを考えると、これはなかなか素晴らしい渓谷美である。ということで、ちょっとささくれていた私の気持ちは随分と慰められた。レンタカーに戻ってエンジンを入れたら雨が降ってきた。

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<ゴンドラは運行休止。これで往復2時間以上は余計にかかることになった>

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<スタート地点はスキー場>

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<ひどい泥濘みの中を登っていく>

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<薬師岳からは二本松市方面の素晴らしい展望が得られるが、この登山で唯一、雄大な景観が楽しめたのはここだけであった>

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<薬師岳の碑>

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<高村智恵子の句>

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<薬師岳からしばらくはしっかりと整備された快適な登山道を登っていく>

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<山頂に近づくと坂も急になる>

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<乳首とよばれる山頂の下にまでくる>

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<山頂>

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<山頂からの展望は皆無>

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<下りの泥濘み。足を滑らせ、尻餅をつく>

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<ささくれる私の気持ちを慰めてくれたのは、野生の花々であった>

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<なんだかなあ、と言う私の思いを吹き飛ばしてくれたあだたら渓谷自然遊歩道の素晴らしい渓谷美>
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駐車場だらけなのに駐車できない、という恐ろしくも馬鹿げた事態が地方都市に展開している [地域興し]

出雲市最後の夕食。しかし、まだ出雲蕎麦を食べていない。ということで、レンタカーを借りているということもあり、出雲蕎麦屋を探して出雲市駅周辺を車でうろついた。ちょっとうろついた後、駅前の道沿いに店を一軒、見つけた。さて、しかし路駐はできない。どこに車を停めていいかが分からないが、後ろに車がいるので仕方なくそのまま前に進む。東京とかだと、タイプズ駐車場のような時間貸し駐車場があるので、出雲市にもそのようなものがあるだろうから、そこに停めようと思って進むが、駐車場はあるのだが、皆、月極駐車場か、どこかの店専用のものばかりだ。ご丁寧に「当店以外の方の利用は強く、禁止します。カメラで監視しているので違反者は罰金1万円いただきます」などと書かれている。結局、駐車できるスペースがみつからないまま、蕎麦屋は遠ざかった。これだけ店専用の駐車場があるということは、おそらくその蕎麦屋にも駐車場があるということだろう、ということを理解し、また車を走らせていると再び、蕎麦屋が現れた。今度は、店の前に書かれていた地図チェックして、その蕎麦屋の駐車場に駐車する。そして、蕎麦は無事に食べられたのだが、この蕎麦屋は中心市街地にあった。そして、周辺は駐車場だらけである。それにも関わらず、これらの駐車場の利用が制限されているので、駐車場はあっても使えない、という馬鹿げた事態が生じている。確かに商店街の店舗の多くはシャッターが閉じているので、駐車場の土地には困らないのかもしれない。しかし、それでも多くの駐車場には車は停まっておらず、都心部においてこんな土地の無駄遣いはない。商店街で共有できるような駐車場ができないのか。こんな馬鹿げたことはない、と憤慨したのだが、そこで初めて高松市の丸亀商店街が共同駐車場を整備したことがなぜ評価されていたのかが理解できた。共同駐車場という準公共物を協働して整備する、ということさえできない商店街が多いということか。もし、しかし、そんなことでも協働できないようであれば、商店街がイオンなどのショッピング・センターに勝てる訳がないであろう。

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(蕎麦屋はみつけたが駐車場が分からない)

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(シャッターが降りまくっている商店街)

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(駐車場は空いているのに駐車をすることはできない)

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「陸上生活」 [宇宙団]

全国流通していないアルバム「オトメダマ」には6曲が収められているが、驚くほど捨て曲がない。どの曲も望月志保のキラキラするような才能が感じられるが、その中でも個人的にはこの「陸上生活」には圧倒される。望月の凄いところは、キャッチーなメロディを紡ぎ出せるところと、ドラマチックに曲を展開させることができる構想力、それに若い女性の瑞々しい感性を言葉に表現できる作詞力であると思うし、それが見事に花開いたのは「ファンタジア」であるし「TOUR」であると思うのだが、「オトメダマ」の6曲の中では、この「陸上生活」がその望月の才能をもっとも集約させていると思う。「日比谷公園の木の下でお月様とにらめっこ」という展開部への流れと、その後、またメイン・テーマに戻っていくところなど、安易に用いたくはないが天才という言葉が思わず頭に浮かんでしまう。この曲は「ゲリラアリャマ」のちょっと後ぐらいで出来たようで、以前、望月は、周囲は「ゲリラアリャマ」の方を評価していたということをちょっと不満そうに話していたことがあるが、「ゲリラアリャマ」も名曲ではあるが、望月の才能の凄みを感じるのは、この「陸上生活」の方であることは確かだ。最近は全然、ライブでも演奏していないようだが、是非とも披露してもらいたいものだ。

タグ:宇宙団
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出雲市の商店街で生き残ったのは自分の店でものをつくっているところと病院だけ [都市デザイン]

出雲市駅のそばにある本町商店街に行く。土曜日の夕方であったが、ほとんどのシャッターが閉じていた。シャッターがあるところはまだましで、幾つかは既に駐車場になっていた。シャッターだらけの商店街に駐車場の需要があるのかどうかは不明だが、青空駐車場が広がっている商店街に立つと、シャッター商店街の方がまだましだと思う。都市は建物とその間の空間から構成される。建物がなくて、駐車場という建物がない空間は決して都市とはいえない。シャッターは都市を構成する建物としては、経済的に活動していない、という点からは相当、今ひとつであるかもしれないが、それでも建物がないよりはましなような気がする。
 さて、しかしシャッター商店街ではあるが、幾つかの店はまだ開業している。それらのうちの一つ、出雲蕎麦屋に入る。そして、和菓子屋にも入る。和菓子屋さんはいかにも老舗という感じなので、尋ねると、6代目だということである。一代25年と考えたとしても150年は続いていることになる。明治維新前後に開業ということだろうか。ただ、老舗の味というのに拘りはなく、それぞれの代ごとに自分達の味を追求しようとしているそうである。
 随分とシャッターが降りているお店が多いですね、と言うと、昔は随分と栄えていたそうだが、本当、寂しくなったと答えてくれる。そして、大変興味深いことを仰った。
「出雲市のあるシャッター商店街で生き残ったのは、菓子屋、蕎麦屋、麹屋といった自分の店でものをつくっているところと病院
 このお菓子屋さんは不思議だよね、というニュアンスで言っていたが、私にはまさに正鵠を射たような発言であった。シャッター商店街のお店がつぶれたのは、二つ大きな理由があると私は前々から考えている。まず、都市の自動車化。つまり、道路を一所懸命に整備し、その過程で場合によっては、商店街などの都市の文脈を培ってきた集積を壊し、道路だらけの都市空間を作り出す。道路というのはそこで立ち止まることができないような空間である。マグロが泳ぐのを止められないように、それは都市活動にそれ自体はまったく寄与しない。都市活動を結ぶために必要悪としてつくられるものである。しかし、その本来は脇役というかサポート役の道路が、むしろ主役である都市活動が行われる土地を奪い、場合によっては破壊しているのである。さらには、このような道路だらけの都市空間ができると、自動車で人々は移動するようになる。自動車は道路だけでなく、駐車場も必要とする土地利用という観点からすれば、まったくもって非効率な移動手段である。だから、ドイツやデンマークなどは、自動車を都心部から排除しようと努力を続けているのである。また、自動車は土地利用的には非効率ではあるが、移動性には優れているので、短時間で遠くの場所へ移動することができる。したがって、都心部に商業施設が立地しておらず、郊外部に立地していたとしても大して不便ではないのである。というか、自動車社会が進むと、郊外の地理的不利が克服できるので、郊外部においてどんどんと商業施設などが立地していくことになる。あまり賢明でない自治体とかは役所や病院、大学なども郊外に立地させたがる。それで都心部が衰退しないと思う方がおかしい。
 そのような状況下で、つまり、郊外にショッピングセンターなどが立地しているような状況下であっても、都心部にお客さんを集客するのは、そこでものをつくって売っている、すなわち需要のある希少性を持ったものだけになる。どこかでつくったものであれば、敢えて都心部の店舗で販売する必要性は皆無である。その場所でつくっていてオリジナリティがあり、需要があるもの、すなわち蕎麦屋、和菓子屋、麹屋などだけが生き残れるのである。ということを、出雲市にて改めて認識した。

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大山(日本百名山24座登頂) [日本百名山]

 大山に登ることにする。単独登山である。宿泊したのは国民宿舎大山ビューハイツ。大山の夏登山口からは離れているが、この宿の有り難い点は、前日にチェックアウトさせてくれるので早朝、出発できることと、朝食をお弁当にしてくれることである。お弁当は夕食時に渡してもらった。さて、19時過ぎには夕食を終えて部屋に戻るのだが、その日は寝不足ということもあってすぐに寝てしまった。起きたら1時ちょっと過ぎ。多少、睡眠が不足はしているが、もう目はがんがんに冴えている。窓の外は月が明るく、大山の輪郭がはっきりと見える。雲一つない。これを見て、さらに目は覚め、もう無理して寝ようとすることもないと考え、溜まっている仕事をすることにした。そうしていたら、もう4時過ぎになってしまっている。窓の外をみるともう明るくなっている。これはいかん、と急いで準備をしてレンタカーで登山口にもっとも近い駐車場に行く。駐車場には10台弱ぐらいの車が既に駐車していた。朝の時間帯は寒い。登り始めるとすぐ暑くなることは分かっていても、この登り始めの寒さは意外なほどだ。速乾性のシャツに長袖、さらに念のために持ってきていたパーカーを羽織る。このパーカーがなければ寒過ぎたであろう。また、手袋も防寒用にする。ちょうど5時頃に登山を開始する。
 駐車場に隣接している登山路のようなところを何も考えずに歩き始めようとすると、同じような駐車をしていた人が「そこは登山路じゃないですよ」と教えてくれた。いきなり、大きなミスをするところであった。登山口は、大山橋を西に少し歩いたところにあった。
 登山開始からほとんど階段の連続である。大山周辺は西日本最大のブナ林だそうだが、ブナの緑がとても美しい。ここまで美しい森は滅多に見たことがないのではないだろうか。アメリカのワシントン州のオリンピック公園や、北カリフォルニアのレッドウッドの森に入ったような神聖なる森の世界に入ったかのようだ。厳かでありながら、どこか優しい。素晴らしい森であり、感動しつつ一歩一歩、標高を稼いでいく。しばらくは展望もなく、ひたすら森の中を登っていくという感じであるが、気持ちは充実している。四合目ぐらいで、日本海の青さが目に入る。そして、しばらく高度を上げると、米子市の美保の関が見える。目を見張るかのような美しさだ。日本という国土には、こんなにも美しい場所があるのか、と大袈裟でなく思わせる光景である。
 そして1時間10分ぐらいで6号目に到着する。ここは、大山の凄まじい山容と日本海の絶景を展望できる。東の方では日本海に雲海が被さっている。この景観もなかなか素晴らしい。ぶよのような虫が6合目付近には多くいて、耳を咬まれたようで、その後、ずっと痒くて困った。後で虫除けスプレーをかけたら寄ってこなかったので、これをしておくといいであろう。6合目付近からもそのまま急坂は続く。まだ日が昇っていないので木陰の中を歩いて行けるが、もう少し、遅くなり太陽がそのまま照りつけると、相当、暑くなると思われる。
 急坂ではあるが、時折、展望が開ける。その展望の素晴らしさに疲れは吹っ飛ぶ。ということもあり、標高をどんどん稼ぐことができる。八合目からは、登山路は木道になる。この沿道には、ダイセンキャラボクという常緑の低木が生えている。これらの高さは50cmから2mと低く、葉は針葉で先がとがっている。これらは鳥取の木としても指定されているようである。
 さて木道になってあっという間に山頂に着くかと思ったが意外と時間がかかる。とはいえ、素晴らしい展望と山頂が見えていることもあり、足取りは軽い。木道を歩き始めてから20分で山頂に到着する。時間は7時17分である。山頂からは360度の展望が得られる。この日は雲一つなく、その展望はひたすら素晴らしい。体調は悪くない。おにぎりを食べて、この絶景を十分に楽しんだ後、下山し始める。
 下山し始めた時は、体調が好調であったこともあり、ユートピア避難小屋まで足を伸ばそうかと思ったのだが、六合目頃には膝に疲れが来てしまい、とてもそれどころではなかった。これは、急坂であるにも関わらず、元気であったので勢いよく下山してしまったためであろう。六合目をちょっと降りると行者分かれという分岐点に着く。そこからは行きとは違う行者コースを降りる。行者コースは美しいブナ林の中を歩く、素晴らしい森林浴を味わえるコースで、また、大山の見事な北壁を望むことができる。それでいて夏登山口に比べると登山者はずっと少ない。ちょっと遠回りになるが、この道で降りてきて大正解であった。そして、9時30分過ぎに大神山神社奥宮に着き、10時ちょっと前に大山寺に到着する。
 温泉に入ろうと考え、ガイドブックが勧めていた大山レークホテルまでの4キロの距離をレンタカーを飛ばすと、日帰り温泉のサービスはもう止めたそうである。それではどこに行けばいいかを尋ねると、豪園湯院がいいとのこと。ここは私がレンタカーを駐車していたところのそばだ。なんかえらく無駄骨だなと思いながら、再び大山の登山口の方まで戻ると豪園湯院は11時から開業だったので、ちょうど開業直後に入ることになった。ということで、それほど無駄骨ではなかったかもしれない。豪園湯院はなかなかいいお湯で、疲れも吹き飛んだ。
 単独登山では最もチャレンジングな挑戦であったが、膝が痛くなったことを除けば、ほぼしっかりとやり遂げることができたのではないだろうか。ちょっとだけ自信となった。

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(登山口の駐車場に到着する。4:48)

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(登山口の駐車場の前にある道を登山道と間違えて登り始めそうになる)

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(厳かな朝の空気の中を歩き始めていく)

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(一合目。5:11)

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(登山道はしっかりと階段として整備されている)

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(二合目。5:17)

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(三合目。5:41)

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(徐々に朝日が森を照らし始める。5:44)

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(四合目。5:51)

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(四合目から後ろを振り返ると、息を呑むような日本海の絶景を観ることができる)

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(五合目。6:03)

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(日本海の絶景)

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(六合目。6:18)

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(朝日を浴びる大山の絶壁)

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(六合目をちょっと登ったところから展望する日本海の絶景)

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(七合目。6:33)

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(米子市の展望)

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(山頂へと最後のアプローチは木道が続く。6:57)

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(木道の両側にはダイセンキャラボクが展開する)

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(大山の頂上へ2時間ちょっとで着く。7:17)

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(頂上から弥山の方を望む)

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(頂上から美保の関を望む)

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(素晴らしい景観の中を下山し始める。7:35)

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(六合目に着く。8:22)

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(行者コースを降り始める。8:39)

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(行者コースのブナ林の木漏れ日の中を歩く)

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(大山の素晴らしい北壁を展望する。9:12)

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(行者コースの気持ちよい森の中を歩いて行く)

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(大神山神社奥宮。9:44)

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(大山寺。10:00)
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島根と鳥取でいろいろと考える [地球探訪記]

 3泊4日で島根と鳥取を訪れた。最初の2日はセミナーに参加したのだが、3日目は午前中には足立美術館に行き、午後には鳥取県の江府であいきょうの安達社長を訪れ、たいへん貴重な話を聞くことができた。そして4日目は午前は大山に登り、午後は境港に行き、水木しげるロードを視察し、美保の関を訪れ、さらに出雲で蕎麦を食べようとしたため、地方の自動車社会の非効率を身をもって体験することができた。この4日間で、随分と学ぶことができたのではないかと思う。それらに関して一挙に書くのは大変であるのと、読む方も大変であると思われるので、適宜、分割してこのブログでもまとめていきたいと思う。それらは、次のようなことである。
・出雲市のあるシャッター商店街で生き残ったのは、菓子屋、蕎麦屋、麹屋といった自分の店でものをつくっているところと病院
・出雲市の中心市街地はほとんど道路と駐車場。それにも関わらず、これらの駐車場の利用が制限されているので、駐車場はあっても使えない、という馬鹿げた事態が生じている。
・水木しげるロードはせっかく、ボトムアップで成功しているのに行政は道路を拡幅することでそれを台無しにしようとしている。まさに愚策中の愚策とはこのことではないだろうか。
・境港で一番、評価が高いお寿司屋さんに行くが、たいへん今ひとつであった。外食のレベルがコスパを含めて、地方と東京との格差が本当に大きくなっていると思う。地方で美味しいグルメなどというのは、京都大阪や一部を除くともはや幻想なのではないだろうか。
・景観をつくるのは屋根、と看破したのは伊藤滋先生だが、日本の風土に合った景観をつくる屋根は瓦であると思う
・山陰地方は日本でおそらく最も景観が美しい地域なのではないだろうか。それをどんどんと壊そうとしているのが、土木行政が邁進している道路事業という悲劇。
・足立美術館の庭園が美しいのは、借景である周辺の山々が美しいからである。
・足立美術館はちょっとぼったくり商法なのではないだろうか。
・あいきょうの安達社長は素晴らしい。こういう人が地方の衰退を阻止しているのだが、個人の力だと限界がある。それを補完できるのは行政だけだが、その行政が期待できない。しかし、ここで行政が対応できないと地方は本当に消滅してしまうであろう。
・あいきょうの移動販売の魚の方が、農協の魚より遙かに新鮮であるという不思議。というか、農協コープは競争力がなさすぎるのかもしれない。
・過疎集落において必要なものは買い物の場であると同時に、コミュニティが出会える広場のような機会。これはオンライン・ショッピングでは決して提供することはできない、という話。
・大山の大自然は本当に素晴らしい。日本にもこのようなしっかりとした国立公園と豊かな生態系保全の仕組みがあることに大変、感銘を受ける。
・大山の登山は快晴に恵まれ、ちょっと忘れられないような感動を覚えた。
・工務店の人達は、街をつくるうえで重要な役割を担える可能性を有している。
・動物園のマイクロ・クライメットをしっかりとデザインしたら、動物が元気に行動するようになって動物園の来場者も増えたといういい話。
・小泉八雲の偉大さを松江にて知る。
・松江の都市の質の高さに驚く。しかし、それを壊すような道路拡幅工事も進んでいる。
・オリジナルの天守閣が残っている都市は本当に幸いである。しかし、その松江でも天守閣は壊される風前の灯火であった。
 ということで、ざっと整理してみても18ぐらいのブログのネタになるようなことを徒然と思っている。なるべく文章にまとめるようにしたいところである。

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『バッキンガム・ニックス』 [ロック音楽]

1973年に発表されたスティーヴィー・ニックスとリンゼイ・バッキンガムのコンビによる作品の紙ジャケによる復刻版。告白するのが恥ずかしいが、私は実は高校自体、フリートウッド・マックには相当嵌まっていた。今でもニックスの「ランドスライド」、「ドリームス」、「サラ」やマックヴィーの「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」などは実は好きだ。今、振り返れば70年代の典型的な郊外ロックではあるが、まあ日本の高校生はその頃のアメリカン・ロックはみな、格好良く聞こえていたのである。ちなみに、あまり認めたくはないがスティックスとかもよく聞いていた。
 さて、それはともかく、そういう高校時代を送っていた私は当時、当然、この『バッキンガム・ニックス』を頑張って手に入れていた。ただし輸入盤であった。結構、苦労して探し出してきたような気がする。日本版で発売されていたのかどうか不明であるが、このCD版は日本版では初めて発売されていたのではないだろうか。そういう意味ではフリートウッド・マックのファンは勿論のこと、私のように昔のファンにとっても有り難い復刻版ではないかと思われる。
 その内容であるが、オリジナルの10曲に加えてなんとボーナスが11曲も入っている。素晴らしいサービスぶりである。オリジナルの方も「ファンタスティック・マック」にも収められた「クリスタル」は勿論のこと、1曲目のNicksのCrying in the Night, 8曲目のRaces are Run(同Nicks)、6曲目のBuckinghamのDon’t Let Me Down Again、9曲目のLola(同Buckingham)などは名曲であり、これだけでも買う価値はあるかと思われるが、さらにボーナスには「リアノン」のライブやミラージュに含まれることになる「That’s Alright」なども収録されていて、まるで二枚組のような充実さだ。
 この40年も前に録音された、その後、押しも押されもせぬスーパーグループとなるフリートウッド・マックのコアとなる二人のこのアルバムを改めて聴くと、スティーヴィー・ニックスのソングライティングの才能の凄まじさと決して耳に心地よくない個性的なしゃがれ声が印象に残る。また、ピックを使わないバッキンガムのギター・スタイルと、彼のブルースとカントリーをヒュージョンさせたロック・スタイルはこの時点でほぼ確立されているのかも確認できる。
 しかし、発売されてからこんなに時間が経って日本版のCDが入手できるとは思わなかった。マックの新譜を買う気はほとんどないが、このCDは何も考えず即買いしたが正解であった。

バッキンガム・ニックス (生産限定紙ジャケット仕様)

バッキンガム・ニックス (生産限定紙ジャケット仕様)




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夜叉神峠を生まれて初めて訪れる [地球探訪記]

 水曜日からロンドンに行く予定であったのだが、流石に最近の仕事の多さで疲労が溜まり、体調が今ひとつであったのと、行かないことの損失がそれほど大きくないこともあり(行った方がいいことは明らかではあったが)、思い切ってキャンセルした。しかし、水曜日と木曜日と静養したら金曜日になって元気になったので、せっかくの梅雨の晴れ間ということもあったのでレンタカーをして夜叉神峠に行くことにした。
 夜叉神峠は高校一年生ぐらいから行きたいと思っていたのだが、これまでそういう機会がなかった。というか、そのような機会をつくろうと一所懸命に努力しなかったのかもしれない。実際、今日は思いつきで朝7時にレンタカーをして、夜叉神峠に向かったら家を出て3時間後には夜叉神峠登山口に着くことができた。
 さて、夜叉神峠登山口にはしっかりとした駐車場が整備されており、金曜日ということもあって、10時30分という遅い時間でも余裕で駐車することができた。簡単に着替えをして、登り始める。登山道は大変しっかりしているが、出だしはなかなかの急坂だ。体調が今ひとつであったこともあり、すぐに息が上がる。さて、登山道沿いには針葉樹のカラマツと広葉樹のミズナラやコナラが交互に現れる。新緑が美しい。クマザサを切り開いたような登山道をジグザグに進み、夜叉神峠には歩き始めてから1時間ぐらいで着いた。ここからは、白峰三山が展望できる筈だが、雲で出ており、私が観られたのは(おそらく)北岳のみであった。とはいえ、その展望は息を呑むような美しいものであり、来た甲斐はあったと十分思わせるものであった。30分ほど登ると高谷山に行けるので、そのまま行く。高谷山への登山道もよく整備されていて快適であった。高谷山からは北岳が展望できる。ただ、山頂は雲に覆われており、たまに山容の一部が見えるだけであった。天気は素晴らしかったが、南アルプスの展望にはそれほど恵まれなかった。今日はおにぎり弁当をつくってきたので、ここでそれを食べる。ハエが意外に多くいて、ちょっと紛らわしかったが、空気が美味しいので自分で握ったおにぎりでさえ美味しく思える。
 その後、そのまま下山をして駐車場に着いたのは13時ちょうどであった。休憩ありで往復2時間30分かかった。その後、芦安温泉のどこか日帰り温泉で汗を流そうとしたが、平日ということもあってどこも閉まっているようであったので、帰路の道沿いにあった白根温泉というところに寄る。そして、都立大学の自宅には16時30分頃に戻れていた。休日だとこうは行かないかもしれないが、平日に思いもかけず休みができたのを、上手く活用することで、高校一年の時から訪れたいと思っていた夜叉神峠にようやく来ることができた。38年ぶりの悲願達成である。というか、ちょっと頑張ればいつでも達成できた悲願であると思うのだが、これで死ぬ時に後悔することが一つ減ったかと思うと嬉しい気持ちである。

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<スタート地点となった夜叉神峠登山口の駐車場>

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<美しい広葉樹の中を歩いて行く>

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<夜叉神峠の看板>

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<夜叉神峠から白峰三山(おそらく北岳)を望む>

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<看板と南アルプスの山々>

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<夜叉神峠から高谷山への登山口から望む南アルプスの山々>

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<高谷山の山頂の看板>

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<高谷山から北岳?を望む>

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<甲府盆地を望む>

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<針葉樹のカラマツと広葉樹の森の中を下山する>

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<登山道沿いにシダが生い茂っていた>

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<登山道沿いにブーゲンビリアのような花が咲いていた(もちろんブーゲンビリアではない)>
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ウォリアーズ、キャバリアーズ第三戦をネット観戦する [スポーツ]

 ウォリアーズは3年連続、NBAファイナルに進出した。そもそも、プレイオフに3年連続出場するということだけでも90年代のファンからすれば信じられない偉業なのに、ファイナルに3年間出るなんて信じがたいことだ。しかもプレイオフの試合では負けなしでファイナルにまで来ている。2000年-2001年のシーズンではシーズンで17勝しかできていないことを考えられると、現在の強さは信じられない。
 さて、しかし、個人的には今年のウォリアーズには関心を失ってしまっていた。というのもケヴィン・デュラントが入ったウォリアーズはあまりにも強く、試合を観ていても一方的過ぎて面白くなくなってしまったからだ。一昨年のように、奇跡的な逆転劇が少なくなってしまった。試合を観ても「手に汗を握る」ということがなくなってしまったのだ。まさか、ゴールデンステート・ウォリアーズのファンをしながら、こんな贅沢な気持ちになれるとは思っていなかったが、それが正直な私の今の状況である。
 案の定、プレイオフの試合も私が応援せずとも負けなしで12連勝、さらにキャバリアーズとのホームでの2試合も連勝して、14連勝。そして、今日の試合を迎えた。
 さて、しかし、もしウォリアーズがこのプレイオフで負けるとしたら今日か明日であろう。ということで、体調を崩して海外出張を取り止めて時間が余ったということもあるが、今日は思い切って全試合をインターネットで観戦することにした。
 第一クォーター、第二クォーターはシーソー・ゲーム。第一試合では不調のクレイ・トンプソンの調子がよいが、それにもましてレブロンジェームズが獅子奮迅の活躍をしており、ハーフタイムでは67対61でウォリアーズの6点差。ハーフタイム終盤でのパチューリアのボーンヘッドがなければ二桁差で終わったかもしれない。後半はいきなり、キャバリアーズがアービングを中心に責め続けたこともあり逆転される。そして、これまでの二戦ではウォリアーズが突き放せた第3クォーターでキャバリアーズに5点リードされて終了する。第4クォーターでもキャバリアーズは突き放しにかかったが残り5分まで、それ以上の点差を広げられることはなかった。ここらへん、ウォリアーズは憎たらしいほどの強さだ。横綱のようである。そして、試合終了まであと数分というところでプレッシャーに弱いとこれまで批判されていたケビン・デュランがジェイムスの守備をかわして3ポイントを決め、その後のフリースローもしっかりと入れて逆転をする。そして3点差でまだ同点の可能性のあるラスト・プレイでイグオダラがジェイムスを押さえて見事、勝利をたぐり寄せることができた。
 ここまで来たら、もう総てのプレイオフの試合をスイープの16勝0敗で優勝してもらいたい。とはいえ、つくづく長生きするものだと思わせる、20年前どころか10年前でさえ嘘のようなウォリアーズの強さである。


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『帰ってきたヒットラー』 [映画批評]

この映画は凄い。2012年に著された小説をもとに2015年に映画は公開された。ヒットラーというドイツ最大のタブーを直視しない「ポリティカル・コレクトネス」を意識し過ぎていることで、ドイツ社会はむしろ欺瞞的になっていることを風刺する、という視点が極めて刺激的であるが、何より、現在のトランプアメリカの状況を予言しているかのようなストーリーに引きずり込まれる。映画の最後の方で「私を選んだのは国民である。選挙をやらないとでも言うのか」とヒトラーが語るのだが、それはまさにトランプ大統領を選んだアメリカのことを示唆しているかのようである。トランプのハチャメチャから目が離せない私は、そういう視点でこの映画を見て大いに楽しませてもらったが、そのような問題意識がない人にとっても単純に楽しめるようなストーリー展開になっており、見て決して後悔しないであろう。個人的には久しぶりの大ヒットであった。




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東ベルリンから来た女 [映画批評]

ドイツ映画らしい重厚な作品。医師という職業倫理を優先させるのか、恋人との自由社会での将来を取るのか。社会主義という雁字搦めの社会の中で、いかに自分の意志を貫き通すことができるのか。その葛藤の中で揺れ動く女医を演じるニーナ・ホスの演技は、観るものにも緊張を与えるほどの存在感を放つ。ただ、映画はその後の展開が予断を許さないような状況で終わってしまう。その後、どうなるか大変気になる。1980年を舞台にした作品だが、その10年後に壁が崩壊して、この旧東ドイツの監視体制も瓦解する。人類の歴史は、人間性を抑圧しようとする動きと、それを押し返そうとする動きとの不断なる対立の歴史なのだな、と共謀罪が議会を通った国に住む人間としては鑑賞後、感慨深い思いを持ったりした。

東ベルリンから来た女 [DVD]

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『新幹線大爆破』 [映画批評]

高倉健、宇津井健の名優の演技は素晴らしい。全般的に話のリアリティには欠けるし、速度が遅くなると爆発するという新幹線に仕掛けられた爆弾といった全体的なストーリーは優れてはいても、個々のストーリーのシナリオは陳腐ではあったが、それを補う俳優達の演技と音響を含めた演出は最後までスリリングな緊張を観るものに維持させる。ただ、最後の終わり方はないであろう。おそらく、どのように終わらせるのかがいろいろと議論があったのかもしれないが、尻切れトンボになってしまった印象は拭えない。途中まではわくわく観ていたところもあったが、エンディングで脱力をしてしまった。


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些細なことだけど悔しいこと [その他]

 私は新幹線の車内でよくラップトップで仕事をする。新横浜もしくは品川から新大阪まで往復することが多いが、その時、コンピューターの電源が途中で切れるのが嫌なので窓側の席であるA席かE席に座るようにしている。なぜなら、コンセントのプラグがついているからだ。
 ただ、この両席は最も人気が高いので先に予約で埋まる。もちろんB席やD席でも、ちょっとお願いすれば大抵の場合、使わせてくれるが、それらの席に座っている人が携帯電話などを充電しているとお手上げである。ということで、これらの席が空いている列車に乗るために1本や2本遅らせる場合が多い。
 さて、しかし、このプラグがない旧式の列車が走っていると、せっかく乗る列車を遅らせてもまったく無駄となる。今日もまたそのようなミスをしてしまった。そして、まだ大井川を通過した時点なのに、既にバッテリーが心細くなってきている。些細なことではあるが、私が悔しいというかついていないと思う日常生活の中の一例である。

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東京集中は経済だけでなくサブカルチャーの分野にも及んでいるという危機に関して [サステイナブルな問題]

 関西の知り合いと下北沢で呑む。お酒が入ったからかもしれないが、知り合いはだんだんと冗舌になってきて、それはとても楽しかったのだが、「大阪の人は下北沢より上だと心の底では思っているんですよ」と言うのを聞いて、ムムムと思う。彼は、「お笑いとか演劇とか、そういうので大阪の人は下北沢に負けているとは思っていません」と続ける。流石に私は「音楽だと全然、差があるでしょう」と突っ込むと、「東京が4割だとしても、大阪3割、福岡2割だと思います」と答えた。そこで、私は彼の考えを理解した。彼は50代である。私も50代だ。50代のおじさん達が若かった頃、メンタイ・ロックが流行り、大阪からもボ・ガンボス(京都ですが)やらシャランQが出てきた時、またルースターズやらが福岡から出てきた時は確かに東京4割、大阪3割、福岡2割といった分析は正しかった。しかし、その後、くるりでさえ、大物になる前に東京に来てデビューをし、椎名林檎もデビューをする時は東京にいた。そして、現在は大したテクニックも才能もないような大阪出身のガールズ・バンドがメジャー・デビューをする見込みがあるのかないのか分からないような状況で下北沢のライブハウスに出演しているのが実態なのだ。つまり、孵化器としての機能が大阪のような都市と比べても東京の下北沢のようなところの方が遙かに優位性を持っているような状況になってしまっているのだ。
 これは実は相当、由々しき事態である。このような事態が進行しているのは中央集権が極端に進んでいて、地方分権がまったく展開していないことが一つの大きな要因である。日本という地理的にも文化的にも多様な国土を有しているにもかかわらず、明治時代でもあるまいし、相も変わらず発展途上国のような中央をヒエラルキーの頂点を置いた国土構造を続ければ続けるほど、地方は疲弊していく。そして、それは主要な産業だけでなく、ガールズ・バンドのようなサブカルチャーにおいても展開していることを真剣に理解しておくことが必要である。これは、改めて指摘するが、大変由々しき事態であり、地方が崩壊する音が聞こえているような状況にあると私は捉えている。子供を産める女性を地方に縛り付けるといったような対策では、とても解決できないであろう。

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両神山(日本百名山登頂23座) [日本百名山]

 埼玉県の奥秩父山塊にある両神山に行く。埼玉県には百名山が3つあるが、そのうち2つは県境にある。県境ではなく、すべて埼玉県内にある百名山は両神山だけである。そういった点からも、両神山は「埼玉県の山」というシンボル的な意味合いも有する山であると思う。
 5月中旬の土曜日、友人の車に乗せてもらい都立大学の家を13時に出た。花園インターチェンジを経由して両神山荘に着いたのはほぼ16時。3時間で着いてしまうので近いものである。早い風呂に入り、夕食は18時。食事は思いの外、豪勢で地の物が中心で鮎以外はすべて精進料理のようなベジタリアン志向であったが、好感が持てる。その後、部屋で多少、友人との旧交を温め、19時には寝る。起きたのは1時30分で、ちょっと早すぎだが、睡眠時間は確保している。ただし、この山荘はソフトバンクが繋がらないので、時間は持て余す。
 布団を上げたのは4時30分。登山準備を開始し、パッキングが終了したのは5時15分。朝食は5時20分過ぎには準備されており、チェック・アウトを済ませ、昨晩お願いした昼食(500円)を受け取り、登山を開始したのは6時。ここまでは予定通りである。両神山は山岳信仰の霊峰である。というのが、登山口を上がって5分ぐらい経って鳥居をくぐらせられることで改めて思い出す。登山道には多くの石仏や石塔が置かれており、つい最近、設置されたと思しきものもあった。天気は曇りで、小雨がたまにぱらつく感じではあるが、レインコートを着るほどではない。登山道は急峻な谷の間を縫うように行く。道は狭く、ちょっと油断をすると滑落する危険さえある。行きはともかく、疲労が溜まった帰りには気をつけないといけないであろう。
 会所という休憩所は6時35分に到着。それからは、渓流を徒渉しながら高度を上げていく。昨日までの雨で登山道は泥濘んでいる。上りはともかく下りはちょっと大変であろう。特に展望がない谷をずっと歩いて行くがブナやもみじなどからなる落葉樹林の森は美しく心も落ち着く。途中、いくつか鎖場があるが、滑りやすい岩に設置されており、どちらかというと上りではなく下りようである。8時30分頃に清滝小屋にようやく着く。ほぼコースタイム通りではある。ここのトイレは相当、清潔であり、登山者にとっては有り難い。
 さて、ここからは急登が尾根に出るまで続く。鎖が大変というよりかは、泥濘みが難しい。つりそうな感じになったので、ちょっと休んで身体をほぐす。なかなか厳しい坂が続くが、どうにか両神神社には9時30分頃に着く。そこから尾根まで一挙に登ると、両神山頂は目前である。ここでストックをリュックにしまい込み、最後の鎖場。ロック・クラミングのような岩場を登るが、それほど難しくはなかった。山頂に着いたのはほぼ10時。両神山頂からは素晴らしい展望が得られるという話だったが、我々は白いガスしか見えなかった。とはいえ、雨が降らなかったことは不幸中の幸いだ。また、両神山はアカヤシオツツジが有名であるが、ちょっと満開には早かったが頂上でもこれらの可憐な花を見ることができた。昼食を食べるにはちょっとスペースが狭いことと、まだお腹も空いていないので、そのまま一挙に清滝山荘まで下る。この時、気をつけたにも関わらず泥濘みに足を取られ、尻餅をつく。この泥濘みを下るということで慎重になったこともあり、下りはコースタイムを大幅に上回り、下山したのは14時ちょっと前であった。
 曇っていたために展望が得られなかったこと、また登山道が泥濘んでいて歩きにくかったなどの問題もあったが、奥秩父の大自然を体験できたことは意義のあることであった。機会があれば再びチャレンジしたいとも思わせられたが、まだ登っていない名山が多いので、それは先のことになるかもしれない。

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(朝霧の中の両神山登山口周辺)

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(両神山荘。山小屋ではなく民宿でした)

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(清滝山荘までは、渓流に沿って谷を登っていく)

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(美しいブナ林)

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(山頂はあいにくガスで素晴らしいといわれる展望はまったく得られませんでした)

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(山頂でのアカヤシオツツジ)
タグ:両神山
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両神山荘に泊まり、地方から人が流出するのは、昔あった経済資源がなくなったからだと確信する [サステイナブルな問題]

 両神山荘に泊まる。山荘というので山小屋のようなものをイメージしていたら、ちょっとした民宿のようなところであった。そこの親父さんと話をする。家屋が横に長いのでお蚕をしていたのか、と尋ねたら、そうだとのこと。昭和45年頃まではしていたそうである。富岡製糸工場があったこともあり、秩父一帯は養蚕が盛んのようであつた。お蚕を飼っていたときは随分と潤っていたそうである。それに加えてコンニャク。ここはコンニャクは15年くらいしかやらなかったそうなので、下仁田や南牧村とは違うようだが畑のダイヤといわれたほどの商品作物である。これでも随分と現金収入で潤ったであろう。さらに冬は炭焼をしていた。これでも現金収入が入ってきた。そして極め付けは森林。ここの親父さんは山を所有していて、杉は100万本植えたと言っていた。その数字はともかくとして、昭和40年頃はその価値といつたらとてつもないものであり、埼玉銀行の頭取が挨拶に来たという話も納得する。
 集落には酒屋があった。一見するとまだ営業しているようであったがもう閉店したようである。ひと昔前までは集落で余裕で酒屋を維持することが出来ていたのである。勿論、酒屋の営業に大きなダメージを与えたのはスーパーマーケットが麓に出来たことが大きい。ただ、その結果として集落の生活環境は大きく劣化した。この現象は南牧村と全く同じである。
 両神に来たのは始めてであったが、改めてほんの50年前までは、ここのような森林地帯は大変経済的には豊かであったということを思い知らされる。そもそも経済的に豊かであったから、当時は人口も増えていたのである。養蚕、コンニャク、炭焼といった優良な産業が現存していれば現在でもここで生活する人は少なくないであろう。
 逆にいえば、都会人のロマンにだけ頼ったようなIターン政策に力を入れても根源的な地域の維持には繋がらないのではないだろうか。人が地方から流出する理由は、その人によって取捨選別であろうが、最大の理由はおそらく経済的なことである。経済的な豊かさが確保出来れば、人は外国に行くことさえ厭わない。
 それを失ってしまつたからこそ、地方から人口が減っているのである。ということを改めて確信させてくれた両神山荘の親父さんの話であった。

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トランプ政権がFBIのコーミー長官を罷免する [トランプのアメリカ]

 トランプ政権がFBIのコーミー長官を5月9日に解任した。FBIは大統領選においてロシアとトランプ陣営の関与を捜査していた。FBI長官の任期は10年でまだ6年残している。FBI長官が任期中に解任されるのは極めて稀で、史上二人目だ。前回はビル・クリントンが大統領の時にセッション長官が解任された。セッション長官は自宅の塀の改修費を政府に要求したことが発覚したためで、解任も致し方なかった。コーミー長官はそういう「倫理」的な問題はまったくなく、そのタイミングからしても、3月20日の下院情報委員会で「ロシアによる米大統領選介入疑惑の捜査の一環で、トランプ陣営とのつながりも調べている」と証言したことが理由であると捉えるのが自然であろう。
 というか、あまりにも馬鹿正直で唖然とする。自分たちに非があるというのを認めているようなものではないか。
 しかも、長官を解任する理由は「ヒラリー・クリントンのメール問題への対応が理由だ」としているから開いた口がふさがらない。というのも、トランプは一貫して、そのコーミー長官の対応を賛辞していたからだ(例えば2016年11月7日のミシガン州グランド・ラピッドでの講演。下記参照)(https://www.youtube.com/watch?v=-64nfy6i58w
 しかし、それにしてもこれはまともな民主国家ではない。日本も相当、出鱈目で滅茶苦茶であるが、アメリカよりはちょっとまともであろう。こういうことを私が書いているのは自分でも意外である。しかし、これはアメリカだけの独立した問題ではなく、民主主義が徐々に崩壊しつつある流れの一つであるとして捉えることが重要であろう。

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『この世で一番おもしろいミクロ経済学』ヨラム・バウマン著 [書評]

本書は短時間でミクロ経済学を概観するにはうってつけだと思う。「この世で一番おもしろい」とは思わないが、要点を抑えており、余計なこともほとんど書かれてなく、漫画のような挿絵が多いので、イメージも得やすい。ミクロ経済学がつまらにと思っている人は、これを読むといいと思う。なかなか、ミクロ経済学って面白いと興味を持ってくれるのではないだろうか。あと、こういう本は日本語訳が今ひとつの場合が多いが、この本の訳者は相当、優れていると思われる。そういう点からもとても読みやすいと思う。


この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講

この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講




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オバマケアが廃止されたことで見えてくるアメリカ社会の闇 [トランプのアメリカ]

 オバマ政権下で2014年に成立した通称オバマケア(Affordable Care Act)の廃止が連邦下院にて可決された。オバマケアは、それまで医療保険制度が国民皆保険制度ではなかったアメリカにおいては、国民皆保険制度のような「公的保険」ではなくても、保険会社が既往症などによって差別をさせない制度を導入したり、医療保険に入ることを義務化したりするなど従来に比べると画期的な進歩をもたらし、ようやくアメリカも文明国らしくなったな、と私は思ったものである。というのも、アメリカの大学院に行っていた時、高額な医療保険に入っていたことがあり、しかも保険サービスや医療サービスも悪いといった「高かろう、悪かろう」という劣悪なシステムにほとほと辟易としていたことがあったからだ。この点に関しては日本の方が遙かにしっかりとしている。それがオバマによって、ようやく少しはまともになったかと思ったら、また逆戻りである。
 民間の保険会社は、利益の最大化を図るために、人の足下を見る。そして、保険会社に足下を見られるのは、高齢者、そして病気を患っている人である。実際、MSNBCのニュースによると、今回の改案によって最大の犠牲になるのは、高齢者であり、そして既に病気を患っている人であるそうだ。
 オバマケアが導入されて無保険者の割合は2010年の4400万人から2015年には2900万人まで減少した。1500万人が新たに医療保険に入ることができたのである(そもそも、医療保険に入ることが難しいというのは、日本人にはちょっと理解がしにくい)。
 そのようにオバマケアはアメリカ人にとって素晴らしい案であったが、なぜかそれを廃止すると公約に掲げたトランプが大統領に当選された。
 さて、この選挙結果、さらにはアメリカのニュース番組の解説やコメンテーターの意見から見えてきたことは、アメリカ人は弱者を助ける、といった慈悲の心、または共同体として弱きものを救う、といった意識が極めて薄い人が多いということだ。もちろん、アメリカ人全員がそうでないことは、オバマケアが法律として成立したことから明らかだが、アメリカ人の半数ぐらいは、病人や高齢者といった社会的弱者を自分達が支える、というか負担をするということが納得できないのである。
 とはいえ、自分達もいつ病気になるか分からないし、交通事故に遭遇して、いきなり治療が必要となるかもしれない。今回の改案では、なんと救急車サービスも保険適用外になるらしい(その最終判断は州が決める)。こんなリスクを社会で抱えきることが出来るのであろうか。
 トランプのオバマケアの改案は、簡単に言えば「病人と高齢者は死ね」と言っているようなものだ。実際、デモをしている人達は、本人もしくは家族にオバマケアがなくなることで、もう高額な治療費が払えないために生きていけない、という切実な訴えをしていたりもした。しかし、「病人と高齢者は死ね」という決断を共和党はした。こういう意見がマジョリティである社会は、どこかできっと大きな膿を生じる。いや、もう生じてしまっており、トランプ自体がその大きな膿なのかもしれない。
 アメリカの社会が音もなく崩壊しているようで、大変心が痛む。しかし、それが対岸の火事と高をくくっていると同盟国の日本も酷い目に遭いそうな気がする。

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私がビートルズで一番、好きな曲は「サムシング」である [ロック音楽]

 もうビートルズのファンを40年間ぐらい続けている。中学一年に「ビートルズ・フォア・セイル」と「プリーズ・プリーズ・ミー」のカセットをもらって、ひたすら聴きまくって以来のファンだ。最初に買ったシングルも「オー・ダーリン」であった(最初に買ったLPは残念ながらジョン・デンバーであった)。
 さて、ビートルズ・ファンはよくジョン派とポール派に分かれるが、私は圧倒的にポール派である。私はミュージシャンを恒星で形容する癖があるが、ポールは圧倒的に一等星である。そしてジョンは、もちろん好きではあるが三等星である。ちなみに一等星は私と同時期に生きていたのではポールだけで、二等星にポール・サイモンとスティービー・ワンダー、アントニオ・カルロス・ジョビンなどが入っている。
 さて、そんな圧倒的なポール派であるが、実はビートルズで好きな曲を挙げろと言われるとCome Together, I am the Walrus, Tomorrow Never Knows, Strawberry Fields Forever、Day in the Life, In My Lifeなどジョンの曲を挙げてしまうという、我ながら論理矛盾していたりする。とはいえ、すべての曲を鳥瞰すると、やはりポールが大好きなのである。
 そのような中、ジョージの位置づけはというと、もうこれは、本当に低い。せいぜい六等星かな、と言うぐらい低い評価をしている私がいる。天才二人が幼なじみでいて、棚ぼただよな、と極めて失礼な見方をしていたりもする。ギターもあまり、評価できない。そもそも、While My Guitar Gentry Weepsの素晴らしいギターソロなどをクラプトンに弾かせてしまうことや、Taxmanのギターソロはポールが弾いたりしていることなど、試合放棄じゃあないか、というのは偏狭過ぎるだろうか。サッカー選手でいえばPKをすぐ譲ってしまうような気の弱さを感じてしまうのである。
 さて、しかし、そのようなジョージを過小評価している私であるが、ビートルズで一番、本能的に好きな曲は実は「サムシング」である。これは、残念ながら、左脳では否定をしたくても、右脳が圧倒的にそうだと私に自覚させてしまうのである。そして、それを分からせてくれたのがポール・マッカートニーである。ポールは今回も武道館では演奏しなかったが、東京ドームでは27日も30日もサムシングを演奏した。私は実はジョージの横浜ドームのコンサートでもジョージのサムシングを聞いたことがある。このときも感動したが、ポールほどではなかった。ポールの弾くサムシングは、本当に魂を揺さぶられる。
 ただ、ジョージを過小評価してはいるが、彼の曲は「マイ・スイート・ロード」とか前述した「While My Guitar Gentry Weeps」とか「Here Comes the Sun」なども嫌いではない。しかし、それらと比べてもSomethingは別格である。コード進行も素晴らしいし、ジョージのギターソロも素晴らしい。まあ、ポールのベース・ラインが特別に素晴らしいということもあるが、これも楽曲がそのベース・ラインを引き出すほどの出来映えであるからだろう。
 なんで、ジョージがこんなにも素晴らしい楽曲をつくりだせたのか。不思議ではあるし、いろいろと考えさせられる。ポールはもう素晴らしいメロディを次から次へと紡ぎ出せ、本当に神様に愛された天才という感じであるが、ジョージはサムシングをつくった才能の片鱗が感じられたのは「マイ・スイート・ロード」だけであり、他の曲は、多少味わいがあるが、天才的と感じるようなものは極めて少ない。私自身、作曲をするので、このジョージの補欠のサッカー選手がいきなりハットトリックを一試合だけした、というようなサムシングの現象は興味深い。
 まあ、そういう意味では、リンゴ・スターもソロになったらPhotographのようなヒット曲をつくり始めたことも興味深いし、似たようなことはフィル・コリンズにも感じる。人の作曲の能力というのは、なかなか面白い。天才でなくても、ずっと音楽をやっていると、ある日、潜在的な才能が顕在化するのかもしれない。


Abbey Road (Dig)

Abbey Road (Dig)




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筑波山(日本百名山登頂22座) [日本百名山]

 ゴールデン・ウィークに筑波山にチャレンジする。朝、7時前に都立大学を出て、北千住でつくばエクスプレスに乗り換えた。その際、「筑波山ある切符」というものを購入したのだが、これはつくばエクスプレスだけでなく、「直行筑波山シャトルバス」にも乗れる。これで3050円。北千住からつくば駅までの往復で2060円。つくば駅から、筑波山のロープウェイの山麓駅のつつじヶ丘まで片道800円以上するので、これは大いに得する。お勧めだ。
http://www.mir.co.jp/service/otoku/arukippu.html
 さて、つくばエクスプレスもつくば駅まで乗るのは初めての体験だったのだが、あっという間につくば駅に到着した。そこから筑波山の登山口のつつじヶ丘まで行く「直行筑波山シャトルバス」は30分間隔で運行している。結構、並んでいたがうまく9時30分発のバスに乗ることが出来た。これで10時30分にはつつじヶ丘に着くだろうと思っていたら、筑波山神社に向かう道が大渋滞。ほとんど歩くより遅いようなスピードになり、筑波神社口のバス停に着いたのは11時30分。これから、つつじヶ丘までも渋滞しているという話なので、これはたまらないと思い、予定を変えて筑波神社から登山を開始する。
 なぜ、正統のルートではなく、つつじヶ丘から登ろうとしたかというと、睡眠不足であったからだ。通常であれば、こういう時は登山を避けるのだが、私は来週、両神山を登山する計画をしている。今シーズンの最初に両神山を登るのは流石にリスクが高い。そういうこともあって、今日は多少の無理をして筑波山にチャレンジしたのである。さて、しかし、つつじヶ丘からのルートに比べて、筑波神社からのルートは二つあるが、どちらもずっと厳しい。私は百名山にチャレンジをし始めてから、楽な百名山はない(強いていえば大菩薩峠は楽かもしれない)ということを思い知らされているが、標高877メートルという百名山で最も低いこの標高の筑波山も、筑波山神社から頂上までの標高差712メートルをほとんどケーブルカーに並行に登っていく。つまり、712メートルを階段で上るような登山なのだ。
 筑波神社口のバス停で降りると、そこから筑波山神社まで歩いて行かなくてはならない。道路には歩道の幅がなく、ちょっと危険を感じる。筑波山神社はなかなか立派な拝殿であった。さて、神社を抜けて、ケーブルカーの入り口と登山道が分かれるところから、もう急坂が始まる。そして、急坂はほぼ一貫して続く。普通の階段より、ちょっとだけ緩やかなぐらいの斜度である。これは、きつい。とはいえ、90分間ほど歩くと御幸ヶ原という男体山と女体山を結ぶ展望が拡がる平坦な場所に着く。ここで、カロリーメイトと珈琲を飲み、時間もあまりないので男体山に挑む。10分ぐらいの上りなのだが、なかなか岩をよじ登る感じの急坂で決して楽ではない。この男体山からは南には霞ヶ関と水郷地帯が展望でき、なかなかの絶景である。この絶景が、筑波山の魅力であろう。
 さて、男体山から御幸ヶ原に戻り、次は女体山に向かう。男体山は871メートル、女体山は877メートル。ちょっとだけ女体山の方が高いが、筑波山を登頂したというには二つとも制覇しなくてはいけないような気がする。男体山と違って、女体山へのアプローチは緩やかであった。女体山は男体山に比べると、遙かに多くの人が狭い山頂にひしめき合っていて、ちょっと危険なぐらいであった。ここからは男体山の素晴らしい展望が得られる。また、ここから太平洋方面への光景も素晴らしい。
 さて、その後は「おたつ石コース」というルートでつつじヶ丘に向かう。このおたつ石コースは、登ってくる客が数珠のように繋がっていて、ほとんど一歩も動けないぐらい混んでいる場所もあった。まるで、ディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテンの行列のようだ。私は降りる方なので、ある程度、自分のペースで歩いて行くことができたが、逆方向は凄いストレスではないか、と思う。というか、もう15時近いのに、なぜ、登り始めているのかが分からない。また、ほとんどの登山者は軽装で、私のように登山靴を履いている方が珍しかった。さらには犬や幼稚園児ぐらいの子供、さらにはリュックに赤ん坊を背負っている人もいたりして、筑波山の人気の凄さを思い知らされた。私は、この4年間に3回、登山をしているが、こんなに登山をしている人が多い山は初めてである。そして、登山者でない、レジャー感覚で登っている人がこんなに多い百名山も初めて知った。
 また、つつじヶ丘に近づくと、つつじが群生しているところに出た。とはいえ、まだ蕾みが多く、つつじが満開状況になるのは1週間は早くきてしまったようである。
 帰りはつつじヶ丘からバスに乗ったが、帰りは1時間でつくば駅に着くことができた。その後、行きと同じルートで帰宅すると戻ったのは18時30分ぐらいであった。あれだけの渋滞に遭遇したにも関わらず、公共交通を用いて12時間で往復できたというのはなかなかアクセスのよい百名山である。値段も安いし、そういう意味では財布にも時間にも優しい山であると言えるだろう。なぜ、もっと早く訪れなかったのだろうか、と少し後悔する。
 とはいえ、「西の富士、東の筑波」というほどは立派ではないのは明らかである。しかし、この平坦な関東平野の東に唯一、地面から聳えるように立っているその姿は、その高さが低いにも関わらず感動的である。
 あと、今回の経験から分かったのは、つつじヶ丘から女体山へは登るより、降りる方がずっといいのではないだろうか。筑波山神社のルートに比べると、標高差は少ないかもしれないが、登山者渋滞で、遅くなるならまだしも停止状態になるというのは、登山の楽しみをすべて奪うのに等しいような状況であると思われるからだ。

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(バス停から筑波山神社までのアクセスは非常に今ひとつである)

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(筑波山神社の拝殿はなかなか立派である)

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(御幸ヶ原へコースの入り口)

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(昼なお暗い杉林の中を歩いて行く)

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(このような坂道をずっと登っていくという感じである)

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(上と同じ)

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(さらに坂は厳しくなる)

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(また、さらに厳しくなって、まるで壁のようだ)

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(御幸ヶ原に出る直前の階段)

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(あと少しの辛抱である)

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(男体山から女体山を展望する)

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(男体山から南を展望する)

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(男体山から北を展望する)

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(女体山から太平洋側を展望する)

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(女体山から男体山を展望する)

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(つつじヶ丘から女体山への道は登山者で溢れていた)

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(つつじヶ丘のそばではつつじが群生していた)
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水元公園を初めて訪れた [都市デザイン]

 水元公園を訪れる。初めてだ。そもそも葛飾区には縁がない。葛飾区の役所がどこにあるかも分からない。荒川の向こう側であることや、東葛飾高校が柏市にあることなどを考えると、葛飾区が東京というのは微妙かもしれない。文化的にはより千葉なのではないか、と葛飾区民の人が聞いたら怒るようなイメージをちょっと有している私がいる(すいません)。
 さて、その葛飾区のイメージだが、両さんのお陰で亀有が葛飾にあることが分かる。あと、寅さんのお陰で柴又帝釈天があることも分かる。寅さんの自己紹介の口上は「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」である。
 ということで柴又は葛飾にあることは分かる。さて、しかし足立区と葛飾区の区界、江戸川区と葛飾区の区界は不明である。小岩は江戸川区だが高砂は葛飾区?まあ、それぐらいの認識しかない。
 しかし、水元公園という巨大な公園が葛飾区の北にあることは知っている。前から興味はあったのだが、まったく行く機会がなかったので、大学も休みということで思い切って一人で訪れてみた。ネットで調べると、金町駅からバスで行けるということが分かる。ちなみに金町駅に行くのも初めてである(亀有駅にも行ったことは一度も無い。今度、是非とも行ってみたい)。金町駅は、駅前に区画整理をしたような大通りが走っているんだろうな、という私の先入観とは違い、結構、ヒューマンスケールの街並みが展開しており、ある意味、嬉しい誤解があった。なかなか私の生まれ育った東長崎とまでは行かなくても、中野の北口ぐらいの生活臭溢れる好ましい空間が拡がっていた。とはいえ、バスを10分ほど乗ると、そこには郊外団地が拡がっていた。さらに、ちょっと行くと水元公園というバス停に到着したので、そこを降りて、ちょっと歩いて行ったら、ここは本当に東京か!と思わせるような水郷の雄大なランドスケープが美しく拡がるところであった。全部で8ヘクタールの規模だそうだが、うまく河川敷を活用しており、実際は、もっと大きいようにも感じられる。昔の東京というか、江戸というか、この辺りにはこんな美しい水郷風景が拡がっていたのか、というのは驚きであるし、そういう風景を今日に伝えられるような公園整備をしてきた東京都の公園行政には、素晴らしい仕事をしているじゃないか、と感心させられた。
 今回はちょっと全部を見きれなかったのだが、また機会があれば、ゆっくりと訪れたい。このような公園をしっかりと整備していれば、都市は確実に豊かになると思われる。

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タグ:水元公園
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立石の飲み屋街を訪れる [B級グルメ雑感]

 マイク・モラスキーの『呑めば、都』を読んでから、無性にその本に書かれていた飲み屋を訪れたくなり、立石に赴く。立石には数回、訪れたことがある。ただ、ここ5年間ぐらいは行っていない。そのイメージは大阪の通天閣下のようなディープな雰囲気で、地元の飲兵衛を対象とした、肩を寄せ合って座りながらモツ煮を肴として安酒を飲む、小さなお店がいくつも集まっている、といったものである。さて、5年ぶりに訪れた立石であるが、以前のイメージとほとんど変わっていなかった。というか、昭和のレトロな闇市的な飲み屋街というのがアイデンティティであるから、この5年で変わってしまうようでは駄目である。
 さて、今日はゼミの飲兵衛の卒業生を数名、誘って飲みに行くことにしたのだが、皆、仕事があるので「宇ち多“」にて各自、19時30分までは勝手に飲む、というように待ち合わせをした。仕事がない私が一番はじめに到着して、一人でテーブルに着き、勝手に宝焼酎の梅割と煮込み、レバーを注文して飲み始める。
 この店では、見えない掟があるかのように、皆、しっかりと飲んで食べることに集中をしている。もちろん、グループで来ている人やカップルの間では多少の会話があったりするが、基本、ここは安酒を飲む場所であるということは、相当、空気を読めない客でも分かるような、そういう緊張感が空間には充満している。また、カップルでと書いたが、基本、カップルは相当、割合的には少ない。私もこの店では何しろ存在感を消し、うまく、店に馴染むように努力をしている。
 20分ぐらい経って、社会人3年目の男子ゼミ卒業生がやってきた。すると、「連れがいる」と店員に言っている。中年の店員は「そういうなら、店に入る前に待ち合わせをしないと駄目だろう」と怒っている。私は手振りで「一人で飲め」と伝えようとしたのだが、その行為で、中年の店員さんに気づかれ「あの人か」と卒業生に確認を取り、本当しょうがねえなあ、という顔をしつつ、たまたま空いている卓があったので、そこに移らせてもらった。移った後も、「連れがいるなら店に入る前に待ち合わせをしないと困るんだよね」と言われて、私は卒業生に「そういうことだから一人で飲んで全員が揃うまで待つと言ったのだ」と小言を言ったら、学生も申し訳なさそうにしていた。とはいえ、まあ、彼の空気の読めなさ故に一緒に飲めることになったので、ある意味ではついている。私ではとても言えない。
 さて、この店は19時30分に閉店で、そこでもう一人の女子ゼミ卒業生がやってきたので店を移る。おでんの「二毛作」に入ろうとしたが、予約で満席の状態で、「みつわ」に行ったらこれも長蛇の列。しょうがないので北口の「鳥房」へ行ったら閉まっており、「江戸っ子」はもう食べ物が切れたので、今日は店じまい。ということで、仕方なく、「江戸安」といういかにも町のお寿司屋さんというところに入る。まあ、特別なお寿司屋さんという感じではないが、気っぷのいいおじさんと若い青年の二人の板前が元気よく握っている様子は、二人漫才とか卓球のダブルスのコンビのようで、みていて気持ちよく、思わずいろいろと注文をしてしまう。なぜか、アワビの刺身が1000円という破格の安さだったのでおそるおそる注文したら、しっかりとアワビでしかも美味しかった。そして、そのアワビより値段が高い赤貝の刺身(1200円)があり、アワビでこれだけしっかりしていたら、赤貝はとてつもなく美味しいのでは、と注文したら、これは美味しかったが普通の赤貝であった。日本酒を中心に飲んで、3人で結構、たくさん飲み食いをすると、4人目の女子卒業生がやってきたので、店を出て、モラスキーがどんなに満腹でも不思議に食べられてしまうと『呑めば、都』で書いていた中華料理店の「蘭州」に行くが、ここはもう店仕舞いの時間であった。我々はお腹いっぱいだが、今来たばかりの卒業生は何も食べていないということなので、隣の「オオクボ」という居酒屋に入る。他は客でたくさんなのに、なぜか客が誰もいなかったのがえらく不安だったが、入るとごく普通の居酒屋であった。他の町だったら、それなりにお客さんも入るのではないかと思われるが、これだけ飲み屋だらけの立石であると、もしかしたら商売が厳しいのかもしれない。
 人と酒を飲むのは会話を弾ませるためである。当然、私とゼミの卒業生ということなので、本人の話はもちろん、今日来られなかった卒業生達の近況なども聞くことになる。数名、転職をしたそうだ。まあ、本当に仕事は大変だ、と卒業生達はぼやくが、このことは本当に学生の間に上手く伝えられたらと思うのだが、なかなか学生はそれを聞いてくれないのが残念だ。結局、あまり向いてなさそうだな、という仕事に就いて、早い時期に辞めてしまう。などという話をしていたら、あっという間に23時30分過ぎで終電の時間になったので、岐路についた。なかなか楽しい立石のはしご酒であった。

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(北口の飲兵衛横丁)

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(南口はディープな飲み屋がぽつぽつと凄まじいオーラを発揮しつつ散在している)


呑めば、都: 居酒屋の東京 (ちくま文庫)

呑めば、都: 居酒屋の東京 (ちくま文庫)

  • 作者: マイク モラスキー
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2016/08/08
  • メディア: 文庫



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西荻窪の飲み屋街を訪れる [B級グルメ雑感]

 マイク・モラスキーの「呑めば、都」を読んだら、どうしょうもなく西荻窪の飲み屋街に行きたくなったので、34歳になった卒業生を誘って訪れる。どうも「戎」は外せないようなので、早めに入ろうと考えて17時に西荻窪の駅の改札口で待ち合わせをする。「戎」は13時に開店する居酒屋で、まあ昼から酔っ払えるという機会を提供しているなかなか画期的なお店であると思う。以前、港区の麻布街づくりのパネル・ディスカッションのコーディネーターの仕事をしたことがあったが、パネリストのお一人が「あべちゃん」は15時から飲めるので素晴らしい!と述べられたが、西荻窪だと13時だ(ちなみに赤羽のまるます屋であれば朝から飲める)。それはともかく、17時に改札を出て直行したら、既にほぼ満席。これは入れないかと思われたが、二人という人数が幸いして、奥のテーブルに座ることができた。
 焼酎グレープフルーツ・サワーを注文。あとはキャベツ、焼き鳥など。焼き鳥系は焦げていて、決して味がいい訳ではない。ただ、この雰囲気は相当、味があるというか個性的だ。モラスキーの本からだと、もっと赤提灯的な店内のイメージを抱いていたのだが、むしろ山小屋的な雰囲気のお店で、お洒落とも捉えることができるような印象だ。実際、お客さんも30代前後の女性が多くいた。ちょっと本の内容と違うな、と思って家に帰って読み直したら、モラスキーが語っていたのは本店といって、私が行った(支店)隣にある店であることが分かった。モラスキーも本店と支店では偉く客層が違う、と書いていたので、次回は本店に訪れようかと思う。とはいえ、食事を楽しむというよりかは雰囲気を楽しむお店のような気がする。というのも、食事は今ひとつであり、また肝心の日本酒の揃えはまったくよくないからだ。チューハイ、ハイボールを飲む店かなと思うし、それらのお酒が似合うような雰囲気であるとも思う。
 さて、「戎」だけ訪れて帰るのはあまりにも勿体ない。ということで、「戎」はそれほど食べずに、次の店を探す。第一希望は「しんぽ」であったが、流石に予約なしでは入れなかった。ということで、立ち食い寿司屋「一」に入る。というか、「一」に入れたのもちょっとラッキーだったかもしれない。「一」も「戎」と同じ通りに立地しており、「戎」と同じように通りに立ち飲み客用のテーブルを二卓置いていて、テーブル狭しと客は肩を寄せ合って、そこで呑んで食べている。ただ、食べているのがおでんとか焼き鳥とかではなくて寿司の握りというところが、ちょっと西荻窪というイメージである。この界隈の店はトイレがなく、共同便所を共有している。この共同便所は男女共有であり、男性はともかく女性にとってはちょっと厳しいかと思う。トイレはどこ、というと店の人はここを指示するが、駅にもトイレがあり女性客はそちらを利用した方がいいかと思う。このお寿司屋で驚くのは、美味しいしっかりとした日本酒を揃えていることで、無濾過生酒だけを注文していても酔っ払うことができる。我々は雁木を中心に飲んだ。さらに、美味しい日本酒と合うのは刺身と寿司、と考える私にとっては、ここは相当有り難い店だ。塩水ウニ、ツブ貝、平貝、赤貝、ヒラマサやサンマの焼き物などを注文したが、すべて満足。それで会計は二人で8000円台であった。
 以前、やはりマイク・モラスキーの文章を読んで「溝口」に飲みに行ったが、今回の西荻窪の方が個人的には好みであった。まあ、どちらも、人類が誇る文化遺産のような素晴らしい飲み空間であると思う。翌日、ヒカリエの小洒落たレストランに入ったが、そちらは清潔であるし、ちょっと洗練された感はあるが、西荻窪南口の飲み屋街に比べると何かが根源的に違っている。それは、後者には店と客のコミュニケーションがないが、前者にはおそらく強烈にあるということではないか。「戎」では、隣の客が「ノンアルコール」のビールを注文したら、「そんなものねえよ」(実際はある)と店員に罵られた。その客はどうも常連だったようなのだが、常連だからこそ甘えるな、というのがあったのかとも思う。言われた客もなんかばつが悪そうにしていたが申し訳なさそうにそれでもノンアルコール・ビールを飲んでいた。「消費者は神様」というのはサービス産業のマーケティングにおいては鉄則に近いが、その鉄則によって店は疲弊するし、それをあまりにも優先すると店がつぶれかねない。「戎」という店を支えているのはおそらく常連客であろう。その常連客であるからこそ、しっかりして欲しい、というのがその罵りにあったかと思う。そして、そういう店で、客は立派な客、消費者然とした客からちゃんとした客へとレベルアップできるのである。
 というようなことを考えさせてくれた「西荻窪」の飲み歩きであった。


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ポール・マッカートニーの日本講演最終日に行く(2017年4月30日) [ロック音楽]

 ポール・マッカートニー最終日に私も東京ドームに行く。今回は4日間のコンサートのうち、29日を除いた3日間に行くことができた。29日とは比較はできないが、27日とのセトリとの違いとしては、Letting Goの代わりにJet, そしてBirthdayの代わりにGet Back を演奏したことを考えると、おそらく29日も何か違う曲を演奏したのではないかと思う。ちょっと気になってしまう自分がいると、やはり全日行けばよかったと思ったりするが(実際は申し込んだが買えなかった)、まあ昨年はポール体験が出来なかったことを考えれば、まあ十二分に堪能できたと思われる。
 あと、ポールを観られるだけでも幸せであるのだが、図々しいファンとしての願望としては、是非とも次回、このような機会があれば、次の曲を聴かせてもらえればと切に願う。
Silly Love Songs
Rock Show
I Will
Listen to What the Man Said
With A Little Luck
London Town
For No One
Oh, Darling
Martha, My Dear
Take It Away
Rocky Racoon
Rockestra Theme
I Will Follow the Sun
 いやあ、本当、ファンの欲望はとんでもないな、と書いていて思ってしまった。とはいえ、心から一日でも長生きしてもらい、上記の曲を一切、やらなくてもいいからまたコンサートをやってもらいたい。やはり、次回は全日行くか。

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