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パリのシャルルドゴール空港で再び、酷い目に遭う(というか、半分は自分のせいですが) [地球探訪記]

パリのシャルルドゴール空港は私にとって、これまで鬼門となってきた空港で、本当にいい思い出は一つもありません。フランス語で私が対応できないことなどがあると思いますが、職員や店員、そして空港の建物自体が不親切というか意地悪な気さえします。今回も酷い目、というか不愉快な目に遭いました。まあ、半分は私のせいなのですが。ちょっと備忘録も兼ねて、また、シャルルドゴール空港を利用する人の参考になるかもしれないので、ここに記させて下さい。
 オスロからパリ経由で東京に帰国するのですが、乗り継ぎに6時間ぐらいあります。オスロからターミナル1に飛行機は着陸しました。自分の飛行機がどのターミナルかは不明ですが、ゲートは51と書いてあります。そこで、ゲート51の飛行機を出発便掲示板でみると、どうもターミナル3のような気がします。ということで、ターミナル3にまでシャトルで行きました。シャルルドゴール空港はあまりにも大きいので、このようなシャトルに乗らないととてもじゃないですが移動はできません。さて、ターミナル1からターミナル3まではシャトルで5つも駅に停まります。遠すぎだろう。
 さて、ターミナル3に着くと、また出発便掲示板がありました。ターミナル1とは違い、丁寧に遅い便まで見ることができます。そこでチェックをするとなんと、ターミナル1出発であることが分かりました。そこで、またシャトルに乗ってターミナル1に戻ります。
 ターミナル1に入る時に、お兄さん二人に搭乗券のチェックをされます。今回はオンライン・チェックインですので、iPhoneを見せます。それをお兄さんはチェックをしたのですが、日本語ですのでよく分かりません。というか、そもそも日本語で国際線のオンライン・チェックインをした私も馬鹿ですが、それをする全日空も想像力が欠けています。二度としないと思いましたが、とりあえずここはクリアしなくてはなりません。お兄さんは他の同僚にもチェックしてもらい、ローマ字の記号(CDGとかHNDとか)からどうも東京行きらしいと理解して、通してもらいました。
 さて、通関は無事に通ったのですが、次は荷物チェックです。荷物チェックでは、今度はiPhoneのモバイル搭乗券がiPhoneから消えています。後でメイルのゴミ箱に入っていたことが分かったのですが、チケットなかったら入れません。チケットなければ入れない、と言われても何も答えられません。まさか、ゴミ箱に入っているとは思わないので、こちらも狐に化かされたような気分です。しょうがないので、コンピューターを出して、コンピューターのメイルから入れさせてもらいましたが、コンピューターのバーコードをスキャンしているのは、どうみても格好悪いです。ここでも二度とオンライン・チェッキングはしないと思いました。
 さて、どうにか荷物チェックを過ぎて、iPhoneを確かめると、前述したようにごみ箱に入っていました。リトリーブしようとしたのですが、肝心のファイルが読み込めません。ネット環境が悪いからです。本当に信じられないよなあ。まあ、オンライン・ブッキングをしようとした私が悪いのですが、こんな危ない制度は導入しない方がいいです。携帯の電源がなくなったりしてもアウトです。個人的には使わなければいいだけなのでしょうが。
 荷物チェックを抜けて、ラウンジに向かおうとすると、なんとラウンジは通関の後、荷物チェックの前であることが発覚しました。通関を抜けた後、どこにも見つからなかったので、そのまま荷物チェックに向かったのですが、分かりにくいところにエレベーターがあったようです。また、戻ろうかとも思ったのですが、荷物チェックでのやり取りをもう一度やるのは嫌なので、そのままロビーで5時間潰すことにしました。幸い、電源があるのでコンピューター仕事はできます。
 ただ、やはり水分が欲しい。ということで、水をそばにある店で買おうとすると、なんと、搭乗券を見せろと言われました。そもそもコンピューターが入った鞄は椅子に置いているので、わざわざ取りに行くのもちょっと面倒です。ということで、携帯で見せようとすると、相変わらず、リトリーブできていません。くるくる回りっぱなしです。というか、このお店のおばさんは、バーコードが読める訳でもないし、この日本語チケットを理解できるのか。
 しょうがないので、そばにある喫茶店でサン・ペリグリノを注文したら、別にチケットを見せなくても買うことができました。そうすると、最初の店のおばさんは何をもってして、水を買うのにチケットを見せろ、と言ったのでしょうか。これは、単なる意地悪以上の何ものでもないでしょう。こういう経験は悪いけど、ドイツでもないとはいわないけど、フランスで一番するような気がします。このおばさんはルペン支持者なんじゃないかな、という失礼な思いが頭をよぎりました。
 ということで、快適にラウンジで仕事をするという目論みが見事に外れ、ロビーで仕事をしているのですが、このロビーの机と椅子が妙に距離が離れていて、しかも固定されていて動かせないので、肩が凝ります。
 国際空港のホスピタリティでその国のイメージは結構、形成されてしまうのではないでしょうか。私はフランスは実際より悪い印象を抱いているような気がするのですが、その大きな理由は、シャルルドゴール空港が負うところが大きいと思います。あと、オンライン・チケットは何もいいことがないことを改めて知りました。
 

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アイスランドで学んだアイスランドの現代事情 [グローバルな問題]

アイスランドでは現地の人とほとんど会話をする機会がなかった。ということで、最終日に知り合いのアイスランド人と話をしたことで、随分と新しい知識を得ることができた。というか、そもそもアイスランドのことはほとんど知らないので、聞くことはすべて新しいのだが、下記の点について簡単に記させてもらう。
1) アイスランドの観光客が増加したのは、2008年9月のアイスランド経済危機以降である。
2) アイスランドは移民が増えているが、特に多いのはポーランド系である。
3) イケアやコストコなど、国際的な物流業者が進出していて、地元の商店は大打撃を受けている
4) 最大のレイキャビクでさえ、人口は12万人しか過ぎないが、郊外へのスプロール開発が進んでいる
5) アイスランドの若い人は、どうもオスロに行く人が多いらしい。
6) 冬はそれほど寒くはないが、風は酷いらしい

1) アイスランドの海外からの観光客は増加の一途である。これは2008年9月のアシスランド経済危機で、アイスランド・クローナがユーロに対して暴落し、観光客にとってはお得感があったからというのがきっかけだが、さらに2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火がアイスランドの知名度を高めたからのようだ。それまでは、ヨーロッパの人もあまりアイスランドを知らなかったし、関心もなかったのだが、エイヤフィヤトラヨークトルの噴火によって多くのヨーロッパの航空便が休航したこともあって、大西洋に浮かぶ火の国が注目された。それとお得感で、アイスランドに行く人が増えたのであれば、まさに災い転じて福となす、である。人間万事塞翁が馬という言葉も浮かぶ。私は、このブログでも壇蜜を使用した宮城県の広報PRに苦情を言ったりしたが、確かに悪いイメージでもとりあえず知名度を向上させるというのは効果があるのかもしれない。もちろん、宮城県は税金を使ってそういうことをしているのに対して、アイスランドは一円も使っていないのではあるが。
2) アイスランドは経済が好調のこともあり、移民が増えているのだが、その中でもポーランド系の移民が多いそうである。なぜ、ポーランド人はアイスランドを目指すのか。まったく、その背景は分からないが、そういう現象が起きているそうだ。ちなみに、この話をしてくれた知人のアイスランド人は、ポーランド人はとても働き者で好ましい、との感想を述べていた。
3) レイキャビクの郊外では、コストコやイケアなどが立地している。人口12万、大都市圏でも人口22万程度の都市で、こんなものが立地して大丈夫なのかとの印象を受けたが、実際はあまり大丈夫ではないようで、どうも地元商店の30%ぐらいが閉店してしまったそうだ。アイスランドのような小国で、市場規模も小さいところで、このような大規模小売店(卸売店)の進出はまさに地域経済に壊滅的なダメージを与えてしまうのではないか。ちょっと気になるし、関心を覚えた。
4) 3)と関連することだが、レイキャビクでは郊外開発が進んでおり、まさに槌の音が響き渡っている印象だ。もちろん、ウォーターフロントの都心部も再開発中なので、都市全体で開発が進んでいるのだが、まだ人口規模が小さく、人口密度も低いのに郊外開発が進んでいるのは、若干、マクロでの都市計画的なビジョンが欠けているような印象を受ける。ただ、人口は少ないが週日の午前8時頃は、もう道路はラッシュで混んでいた。公共交通を導入し、ある程度、都市をコンパクト化することを検討する時期になっているのかもしれない。
5) 若い人が大都市を志向するというのは、全世界的にみられている現象である。日本人の若者は東京を目指すし、イギリスの若者もロンドンを目指す。フランスの若者はパリである。連邦制国家であると、この行き先は多様化して、アメリカの若者は必ずしもニューヨークを目指さないし、ドイツの若者はあまりベルリンを目指さない。とはいえ、大都市を目指すという傾向はある。さて、アイスランドには大都市がない。一番、大きい都市はレイキャビクであるがあまりにも小さい。若者には不満であろう。この若者の大都市志向に応えてくれる都市はどこなのか、という質問をすると、どうもオスロらしい。これは、カンボジア人やラオス人がバンコクを目指すというのに似ているのだろうか。アイスランド語とノルウェー語は非常に似ているらしいので、そういう点でも敷居が低いのであろう。ただ、そのままノルウェーなどの海外に居着くのではなく、結構、帰国するそうだ。
6) アイスランドは北緯66度であり、大変冬が寒い印象を受けるが、実際はそれほど寒くはないそうだ。同緯度のノルウェーなどよりはずっと温かいそうであるし、ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属すそうだ。本当かいな。今日(8月21日)の朝の気温は9度だったのだが。

 ということで4日間(実施的には4泊3日なので3日間)のアイスランド滞在であったが、いろいろと刺激が多かった。再訪できる機会があるか不明だが、訪れる前より遙かにちょっと気になる存在になったのは確かである。物価が高いのが問題ではあるが。

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(レイキャビクの街並みの写真。あまり本文とは関係がありませんが)
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アイスランドでのお土産物は空港で買うべきである [地球探訪記]

アイスランドは物価が高い。そういう意味では、お土産とかを買う気力も起きないのだが、物欲を刺激するようなものは売っている。それは、「ここだけ感」のあるものだ。具体的には羊毛グッズである。羊毛グッズが例えばニュージーランドに比べて優れているかも疑わしいのだが、荒涼とした土地に放牧されていた羊をたくさん見たこともあって、羊毛セーターを家族の土産に買うことにした。大体2万円ぐらいである。都心のお店で買い、空港に行って行列に並び14.5%の税金の返金をしてもらい、空港内に入ったら、私がお土産を買った二つのお店が営業しており、しかも、私が買った値段(税を引いた後)よりも安く、かつ、品揃えも優れていた。お店の人にその事実を言うと、「この店は正規価格から20%〜40%割り引いているからね。レイキャビクで買うと14.5%しか安くならないから、ここで買った方が全然、得ね」と応じた。早く言ってよ。ということで、もう二度と来ない確率が高いが、アイスランドの土産物を買うのであれば、国際空港内が最適でしょう。クローネでの支払いも認めてくれるので、そういう意味でも理想的である。

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レイキャビクの外食で不思議なところは、しっかりとした高級料理店も汚い居酒屋もほとんど値段が同じということである [B級グルメ雑感]

レイキャビクで外食を数回した。さて、その第一印象は「高いな」ということだ。物価が高いので、これは致し方ないかと思ったりしたのだが、昼食も含めて数回、外食をして分かったことは、しっかりとした高級料理店も汚い居酒屋もほとんど値段が同じということである。今回の外食で入った最も高級っぽいレストランはLækjarbrekkaというところであったが、ここは店内のインテリア、サービス、ウェイターの上品さ、料理、ワインとどれもが大変質の高いものであった。しかし、トータルではワイン・ボトルを二本空けても、一人当たり6000クローネであった。私はチャー(イワナ)料理を注文したが、これは4100クローネであった。高いといえば、高いがこのクオリティと美味しさであれば、まったく理解できる値段である。この店だけに入っていたのであれば、外食が高いとは思わなかったであろう。
 しかし、その前日に入った居酒屋のようなレストラン・バーもほぼ似たような値段であった。この居酒屋のような店では、シュリンプ・サラダを私は注文したのだが3500クローネした。しかし、その内容は普通のサラダにシュリンプの串揚げが2本ほど乗っけられているという代物であった。店内はまったく清潔感はなく、ウェイターの女性は皆、タトゥーをしており、前述したお店のウェイターとは、まったくもって異質な感じの人達であった。美人であると思えるようなウェイターは一人もおらず、サービスも素人臭かった。
 最終日の遅いランチを取ろうとして入った店は、お金をあまり使いたくないこともあって、ランドロマット・カフェという、洗濯屋とカフェが合体したといういい加減なコンセプト丸出しの店であった。ただ、それにも関わらず、Lækjarbrekkaと料理がほぼ同じ値段であった。これはしまったと後悔したが、捻挫をしていたのでホテルからあまり歩けないので、しょうがないかと諦めて注文しようとする。しかし、ウェイターがあまりにも酷い態度なので、これはたまらんと思って注文をせずに店を出た。足を引きずりながら、ホテルのそばの界隈では高級感を出しているParis Café というお店に入る。ここではモンク・フィッシュ(鮟鱇)の料理を注文したら、2600クローネというその前に入ったランドロマット・カフェに比べてずっと安かったにもかかわらず、料理は美味しかった。いやはや、この外食店の質によって料理の値段が変わらないというのは、非常に興味深い状態である。市場経済がしっかりと機能してない(外食サービス業に価格規制をしている?)のかなどと考えてしまう。
 これはホテルの朝食でもいえて、知人が泊まっていたアダムス・ホテルの朝食は1900クローネで、私も一度だけ食べたが、スープはぬるく、料理は質素で質も大変悪かった。そもそもフルーツもないなど、選択する余地さえなかった。それなのに、私が最終日に泊まったホテルの朝食は1500クローネで、卵料理やベーコン、ソーセージ、ヨーグルトなどもあり、チーズはカマンベールやゴルゴンゾーラなども出ており、大変充実したものであった。
 つまり、全般的に「高かろう、悪かろう」という価格がまだ通用している状況であり、市場が劣悪なサービスをまだ駆逐できていない状況なのかもしれない。とりあえず、レイキャビクに訪れる人は、質が悪ければ安い、という先入観を捨てて、結構、高そうでサービスがよさそうなお店に入りになることをお勧めする。また、グーグル等のレストランの評価はとてもいい加減なので(例えば、Lækjarbrekkaが4.4でサブウェイが3.9)、それはあまり参考にはならないかと思う。

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(Lækjarbrekkaのアイスランド・プレート。鱈、羊の生肉、スモーク・サーモン、サメなど)

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(Lækjarbrekkaのチャー料理)

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(Lækjarbrekkaのラム肉料理)

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(Lækjarbrekkaのメニュー。他の普通の凡庸な店とほとんど値段が同じ、というショッキングな価格設定。ここが安いというよりかは、他が高い)

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(ランドロマット・カフェ。ここは値段が高いのにあまりにもサービスが悪いので、注文せずに出ました)

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(パリス・カフェ。ここは、ぬるい珈琲を出したりしたのですが、食事は美味しかったです)

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(鮟鱇料理)




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アイスランドの妖精マップのある街を訪れる [都市デザイン]

 16年目、ウェールズのC.A.Tという施設を訪れたことがある。ここのランドスケープ・アーキテクトのピーター・ハーパー氏に取材をすることと視察することが目的で、その内容は『環境自治体』という雑誌の2002年1月号に発表した。C.A.Tは今回の旅行でも久しぶりに訪れたが、16年前に訪れた時はC.A.Tのそばの町のマッキンレーにあったB&Bにて宿泊した。そのとき、私と同じようにC.A.Tに惹かれて訪問したアイスランド人と知り合った。そこで私は、彼と一緒に夕食をしたのだが、そのとき、「聖なるランドスケープ」(Sacred Landscape)の話で盛り上がった。その話の中で、彼は彼の「聖なるランドスケープ」を教えてくれた。それは、ハフナルフィヨルズゥルにある彼の祖母の家のそばの公園であった。彼は幼少の頃、祖母の家に遊びに行くと、その公園で遊んでいたのだが26歳ぐらいの時、そこで妖精(小人のようなもの。ノーム(gnome))を見た話をしてくれた。彼は、その話をすると、自分が変人であると思われるかもしれないと危惧していたようで、おそるおそる私に言ったのだが、私はあなたの話は信用する、としっかりと目を見て伝えた。それは99%、本心であった。私が信用してくれたことが嬉しかったらしく、彼はアイスランドの人達は妖精やスピリッツなどを信じているということをいろいろと話をしてくれたのだが、特に私の興味を惹いたのは、ハフナルフィヨルズゥルには妖精マップがあることであった。その妖精マップは、いろいろとスピリッツを見られるシャーマンのような老婆が描いたものであるらしく、私は大変、それに興味を抱いて、それを送ってくれるようにお願いをした。彼は快諾してくれた。私は、まあいきなり出会った、見ず知らずの日本人に送ってくれるのは流石に面倒臭いであろうとそれほど期待せずにしていたら、実際に送ってくれたので大変感動した。この地図は今でも私の宝物であり、このエピソードは『若者のための街づくり』(岩波ジュニア新書)にも紹介している。
 今回、生まれて初めてアイスランドを訪れたのだが、それは、この話に導かれたというのが大きかった。そこで彼にアイスランドに行くので是非とも再会したいので、よければメイルに連絡をしてくれ、と手紙を送ったのだが、結局、アイスランドに着いても彼からはメイルが来なかった。いよいよ、アイスランドも翌日が最終日となった日になんと、彼からメイルが届いた。そのメイルには、引っ越していたので手紙を届くのが遅れたが、翌日は空いているので会おう、と記してあった。そこで、本日(8月21日)に私は彼とホテルのロビーで待ち合わせをした。
 彼は待ち合わせ時間の20分ぐらい前からロビーで待っていて、彼は日本人の私にすぐ気づいてくれた。私はちょっと記憶が曖昧になっていた。それから、カフェに行って近況を報告し合った。私はC.A.Tに行った翌年に大学教員になったのだが、彼もその当時は船乗りの技術者であったが、その後、大学の先生になっていた。その話を聞いて、日本とアイスランドと場所は遠く、離れていても彼とは何か「赤い糸」的なものを感じる。私は彼が送ってくれた地図を持参していたのだが、その地図を見せると、いろいろと解説をし始めてくれた。その地図を描いた老婆は既に他界してしまったそうだが、広く、地図で描かれている世界は地元住民に共有されているそうだ。この地図には様々な線が交錯しているのだが、それは地球の磁力線であるそうで、その線の結節点は特別な聖地となるそうで、そこには光の精のようなものが存在しているそうだ。彼はおそろしく青い目をしていて、その中心にある黒い瞳孔で見つめられつつ、妖精やスピリチュアルな話をされると、ちょっと異界へと引き込まれそうな気分になる。
 彼は、私が何も言っていなくても、私が何をしたいのかが分かってくれたそうで、彼が妖精を目撃してくれた公園へと連れて行ってくれると言ってくれた。カフェから駐車場に行く際、レイキャビクの週末限定のフリーマーケットに寄り、そこで本を売っていた彼の奥さんを紹介してくれた。彼女もシャーマンのように、精や死者などが見られるそうである。日本だと霊感が強いということになるのだろうか。
 さて、レイキャビクからハフナルフィヨルズゥルまでは車で15分ぐらいかかった。レイキャビクの郊外部を道路は通っているのだが、随分と、エッジシティ的な郊外開発が進んでいる。イケアやコストコなどもある。ちなみに、コストコが出来たことで、地元商店の30%ぐらいが閉店したそうだ。この数字はにわかには信じられないが、もし事実だとしたら、大変なことだ。商店街は社会やコミュニティにとって必要なのか。もし必要であると思うのであれば、このような大型商業施設の立地規制ということは真剣に考えなくてはいけないと思う。
 そういう話をしながら連れて行ってくれた彼の「聖なるランドスケープ」である公園は、ハフナルフィヨルズゥルの住宅地の中にあった。この住宅地に囲まれた公園というのは、なんとも意外ではあったが、一歩、その公園に入ると、それは霊感がゼロの私でも、そこが特別なところであることは分かった。その空間は周辺に比べると窪みになっていて、その窪みの中はまさに異界というか別世界のような空気を纏っていた。センス・オブ・プレイス、ゲニウス・ロキ、地霊という言葉が頭をよぎる。ハフナルフィヨルズゥルは火山の爆発から飛んできた溶岩があちこちにあるのだが、この公園もそれらの溶岩や樹木によって、空間が分断されており、実際の広さに比べて遙かにその空間を広く感じることができる。そして、分断された空間に人が日光浴をしていたりするのだが、そこに人がいることは視界が遮られているので、すぐには分からない。人でさえそうなのだから、そこに妖精がいても分からないであろう。
 身体が震えるような感動を覚えて、写真を撮っていたりすると、何もないような場所で、酷く足首をひねり、しばらく動けないような捻挫をしてしまった。どうも私の存在は妖精には不愉快だったようだ。そのことを同行した彼に言うと、「そんなことはない」と言ってくれたが、本心はどうだったのであろうか。妖精達にとって招かれざる客であったことを自覚させられたことは、正直、傷ついた。その後は、光の精がいると妖精地図に描かれた丘に行き、また、その地霊を感じて感動するも、足の疼きが酷いのでホテルに戻ってもらい、そこでお礼を述べて、彼とは別れた。
 妖精が見られた彼と、妖精に拒絶された私。あの場所に再び訪れたい気持ちもするが、次の仕打ちは捻挫どころでもないような気がして、びびっている私もいる。あの場所に受け入れられるような人間になりたいと思うと同時に、どこで道を間違えたのかと悲しく感じてもいる。
 とはいえ、それを含めて、今回、アイスランドに来て、あの公園を体験できたことは素晴らしいことであった。16年前のあの日を覚えていてくれ、私を特別な場所に連れて行ってくれたグンナーさんには感謝の気持ちしかない。

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生まれて初めてオーロラを見る [地球探訪記]

 朝早く、同行していた知人が空港に行かなくてはならないので、レンタカーをしていた私は宿からバスターミナルまで迎えに行くことにした。それで待ち合わせをした時間は午前3時30分。ちょっと早めに行き、車を宿の外で停めて外に出る。若干、待ち合わせ時間に早かったので、そばのハットルグリムス教会前の広場に歩いて上を見上げると、空の一部がカーテンのように光っている。これはオーロラだ!8月20日という夏にオーロラが見られるとは思わなかったので、この予期しないプレゼントのような出会いに驚く。ただ、オーロラはよく写真や映像などで見るような緑とかではなく、白色に若干、黄色が入っているような色で、あまり美しいという感じではなかった。オーロラとの出会いが偶然だったので感動したが、期待してわざわざ遠くまで行って見えたこのオーロラだとちょっと落胆するかもしれない、と思ったりもした。
 写真を撮らなくてはと、あわてて車に戻り、カメラを取り出し、上を見上げると、なんとオーロラが薄くなっている。えっと思って、急いでレンズを望遠に替えて撮影しようとすると、ほとんどオーロラの存在が分からないほどになっていた。オーロラってあっという間に消滅するものなんだ。これは驚きだ。色が今ひとつだな、などと失礼なことを思ってしまったので、さっさと消えてしまったのかもしれない。見えたことは嬉しかったが、撮影できなかったことは残念。とはいえ、オーロラを見たというのは、なんか大収穫をした気分である。知人がこんな早い時間の飛行機を予約しなかったら、このような出会いがなかったかと思うと、本当、ラッキーであったと思う。そして、荷物をバスターミナルまで運ぶという約束をしてよかったなとも思った。これこそ、早起きは三文の得である。

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ティファニーで朝食を [映画批評]

 オードリー・ヘップバーン主演の1961年の映画を、今さら観た。自由気ままに無責任に生きる主人公のホリーの生き様、そしてオードリーの演技は、私の年齢のせいなのかもしれないが、まったく惹きつけるものもなく、なんでこのような女性に男性が惹きつけられるのかを理解するのが難しかった。しかし、おそらく1960年代という時代においては、彼女のように解放された女性というのはステレオタイプを打破した魅力的な女性と映ったのであろう。日本では『東京ラブストーリー』の赤名リカが、当時、女性の新しい生き方を日本人に提示したかと思うが、そのようなインパクトをホリーもアメリカ社会に与えたのかもしれない。ということで、1960年代のアメリカの世相を知るうえでは、興味深いかもしれないが映画は個人的には面白いものではなかった。
 あと、このホリー役のオードリー・ヘップバーンはミス・キャストだと思う。男を振り回す頭は軽いが魅力的な女性という役にオードリーは不適である。あの鼻筋が綺麗に通って、深遠力があるような魅力的な眼は、どうしても知性を感じさせてしまう。というか、本人は英語以外にも4ヶ国語を操り、晩年をユニセフの仕事に捧げる、などホリーとは似ても似つかぬキャラである。演技をさせる、といってもどうしてもその人の本質のようなものが滲み出てしまうだろう。これはマリリン・モンローが演じたら、むしろもっとずっと作品としても説得力があって魅力的なものになったのではないか、と思わずにはいられない。
 さて、この映画のもう一つ興味深い点は、映画の流れからは本質的ではないが、日系人(日本人)ユニオシの存在である。怒りっぽく、信用できず、黒縁、出っ歯、低身長といったユニオシの演出は、当時のアメリカ人の悪意というか侮蔑的な日本人のイメージが描かれていて興味深い。私は少年時代、アメリカで過ごしたので、こういうように日本人がアメリカ人に見られているということはよく理解できるが、日本人はちょっとこの点についてあまり自覚していないと思われるので、この映画は1960年代のものではあるが、我々はこのような差別対象であるということは理解しておいた方がいい。差別をされる側にいることを理解すれば、中国人を差別する気持ちがいかに醜悪であるかが分かるであろう。
 あと、もう一つ、この映画で唯一、いいかなと思ったのは、映画全般を通して流れる「ムーン・リバー」である。特にヘップバーンが歌う「ムーン・リバー」の場面はよかった。それを除くと、アメリカ研究者かヘップバーン・ファン以外は他の映画を見たほうがいいような気がする。


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レイキャビクに行ってレンタカーが借りられず、困る [地球探訪記]

 アイスランドのレイキャビクに来た。日本を発って、絶対、レンタカーをしないと不味いことに気づく。気づいたが国際免許の期限が切れているので遅い。ただ、私はEUの免許を持っているので借りられるかもしれない。借りられるかもしれないが、借りられないかもしれないので予約はしなかった。おそらく、借りるのは結構、難しいかもしれないなと思ったが、それほど深刻には考えていなかった。
 最初は空港内にカウンターのあったAvis, Europcar, Hertzに尋ねるが、全滅。ただ、Hertzでも「全くない」と言われた時、ガクッと落胆したのを見かねたのか、空港外に20ぐらいレンタカー屋があるから、そこに行くといいと言ってくれた。他に選択肢もないので、そこまで歩いて行く。空港を出ると、凄まじい寒気を含んだ風が吹いており、すぐにウィンドブレーカーを羽織る。ウィンドブレーカーという言葉がよく理解できるような風の強さである。
 さて、空港の利用者用の駐車場を過ぎたところに掘っ建て小屋が集まったような一画があり、それはすべてレンタカー屋であった。最初に入ったところはアウト。隣に行け、と言われて行くと、ここは全部、出てしまっているけど21時30分になれば確保できるかも、という。時計はまだ19時を指している。とはいえ、他に選択肢もないので、とりあえずそれを予約する。ただ、そこのレンタカー屋も2時間待っているのも何だから、他も当たってみればと言う。そこで、他も行く。その後、最初に入ったところは前の客(東アジア系。中国人かもしれないが日本人かもしれない)が事故ったので、その事故処理であれこれと交渉している。これはもう待っていると大変なことになると思って、隣の店に行くがないと断られる。そこで、また東アジア系のお客が事故後の交渉をしていた店に戻る。しばらく待つと、ようやく問題が落ち着いたようで私の対応をしてくれる。しかし、対応をしてくれる、と言っても「ない」と言われるだけなのだが。そこで、次の店に行くと、「あるかも」と言われていろいろと調べてくれてどうにか借りる車を確保することができた。20時ちょっと過ぎぐらいだったので、1時間30分ぐらい早く借りることができた。しかし、5日間で840ユーロ。21時30分まで待てば600ユーロぐらいなので、ちょっと迷ったが、レイキャビクは宿代もばか高いので、人生初めてのairbnbをすることになっており、そこには19時に着くだろうと言っていたので、840ユーロのを借りることにした。ただ、値段は高いだけあって4WDで、保険もフルカバー、ガソリンもプリペイドであった。まあ、これだけ売り手市場であれば、もう高いも安いもない、というのが実情であろう。
 ということで、なんとか車を借りることができたが、レンタカーを借りるのにこんなに苦労したのは、オーストラリアのフレイザー島を訪れた時以来である(http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2008-08-21)。あの時も、随分と高いレンタカー代を背に腹はかえられずに借りたことを思い出した。

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ベルゲン急行に乗って、ベルゲンに行って戻ってくる [地球探訪記]

 ノルウェーのオスロに来ている。せっかく来ているので、頑張って世界遺産都市ベルゲンにまで行くことにした。ベルゲンまでは鉄道で結ばれているはずだ。ノルウェー第一の都市オスロと第二の都市ベルゲンを結ぶ列車である、おそらく特急列車で3時間ぐらいで行けるだろうと勝手に思っていたら、なんと片道6時間以上もかかることが分かった。しかし、逆に6時間以上もかかるということで夜行列車が走っている。それで、夜行列車でベルゲンまで向かい、そこで午後遅くまで過ごして、オスロに戻る最終列車で帰ればいいかということで、同行している大学の先生と二人で行くことにした。
 夜行列車と帰りの指定席は同行している先生が日本からインターネットで購入してくれた。寝台列車が22,100円、帰りは15,500で、合計37,600円である。寝台列車の方が6600円ほど高いが、これはオスロのどんなぼろホテルよりさらに安いであろう。ということで、この移動パターンは経済的でさえある。-
 さて、列車はオスロ駅を23:25に出る。我々は22時頃に駅に着いたのだが、もう駅内にあるスターバックスなどは閉まっていたので、しょうがなくセブン・イレブンで珈琲を購入して、駅構内で時間をつぶした。ただ、列車自体は23時前から車内に入ることができた。ただ、寝台列車内の鍵が閉まっている。どうすればいいのか、と思っていたら「車掌は車内食堂にいるから、鍵を取りに来るよう」と扉に書かれていた。ということで、車内食堂に行き、鍵をもらった。寝台車は上下の二人用ベッドであり、比較的快適である。列車は時間通りに走り始め、私はiPadなどをいじっていたが、そのうち眠くなって寝て起きるともう5時過ぎで外は明るくなっていた。花崗岩を氷河が抉ったU字型の渓谷に沿って、列車は走っていく。ンネルが多く、いかにも山岳地帯を走っているという感じだ。社内食堂に行き、珈琲を注文すると、なんと自販機であった。社内食堂の窓はそれほど大きくはないが、それでも寝台車からの車窓よりは優れているので、そこで終点まで座っている。
 ベルゲンに着いたのは6時50分。駅に到着すると、いきなり夕立のような雨に見舞われたので駅でしばらやく雨宿りをする。雨が止んだら、とりあえず港の方に歩いて行き、魚市場やブリッゲンなどを訪れる。時間が早いので誰もいない。そこで、『地球の歩き方』に「ベルゲンに来たなら絶対に登りたいのがフロイエン山だ」と書かれていたフロイセン山へ行くケーブルカーの入り口まで向かう。8時からということで、ちょっと待てばすぐ乗れたが、小腹が空いたので、入り口そばにある「Gutbrød」という、おそらくgood breadのような名前のパン屋に入る。ここは、しっかりとパンを焼いているようで、そこでの手作りサンドイッチを食べる。このパン屋は若い女性3人で切り盛りをしているらしく、珈琲もしっかりと豆から挽いていてサンドイッチだけでなく珈琲も美味しい。さて、腹ごしらえをした後、ケーブルカーに乗る。一台だけやり過ごして乗ることができたが、これは一時間後に我々が戻った時には、驚くほどの長蛇の列ができていた。あまり自覚がなかったが、ここは大変な観光地のようだ。早めに来たことは大正解であった。そして、その頂上からの展望はなかなかのものであった。フィヨルドの地形の狭い平地にベルゲンの都市がつくられたことがよく理解できる。また、驚いたのは都心部に三方向から高速道路が入ってきているが、都心部の島に入るとすぐ地下に潜って、地上には出てこないということだ。そういうことも都市を展望することで気づけた。後で、いつ頃、このような措置を採ったのかと聞くと、南側の高速道路が整備されたのは1964年。そして、北側の高速道路のトンネルが通ったのが30年ぐらい前。そして、南側の高速道路が橋を渡った後、都心部で地中に入る工事が行われたのが25年ぐらい前ということであった。25年前といえば、1992年ぐらいである。デュッセルドルフが高速道路を地下化して、その上部空間を整備してラインプロムナードをつくったのが1995年。それよりも早く、高速道路の都心部での地下化を実現させているのである。まあ、これだけ土地がなければ、高速道路を地上に走らせるのは例え、高架であってももったいなさ過ぎる。この時期の賢明な判断が、今のベルゲンの美しさをつくっていると考えられる。
 さて、高所からの都市景観を楽しんだ後、ケーブルカーで下り、その後、世界遺産のブリッゲンに行く。10時ぐらいになっていたが、7時過ぎには誰もいなかった空間には人が溢れていたし、もう店も開店していた。ブリッゲンは、13世紀から16世紀にドイツのハンザ商人によって建てられた木造家屋群である。建物はすべて木で出来ており、たびたび火災で焼けたが、そのたびに同じように復元・修復してきて、現在にも中世の街並みを伝えている。感心するのは世界遺産に指定されていても、しっかりと現代的な利用をしているからである。過去の歴史建築物ではなく、それをしっかりと保全しつつも現在のベルゲンにとっても有用な使われ方をしている。このような積極的な歴史建築物活用が、結局、費用対効果が高く、それを保全できるベストのアプローチなのではないかと思ったりもする。
 その後、対岸に行き、山々を背景とした素晴らしいブリッゲンの写真を撮影し、せっかくなのでフィヨルド・ツアーに行く。ただし、ちゃんとしたフィヨルド・ツアーは最短でも3時間コースであり、我々が行った時には既に14時発のものしかなかった。帰りの電車は15:59発なのでこれは無理。ということで12時発の1時間30分コースのなんちゃってフィヨルド・ツアーに参加することにした。これは、299クローネであり、ベルゲンの郊外を巡るだけのツアーであり、よく観光ガイドに載っているような風光明媚なフィヨルドとはまったく異なる、寿司でいえば「のり巻き」のようなものであったが。まあ、ベルゲンのランドスケープを多少は理解することができた。
 その後、魚市場に隣接したレストランで食事をする。その後、トラムにでも乗って、ベルゲンの南の郊外を視察しようかとも考えていたが、このレストランのサービスが遅いこと、ワインが比較的、美味しかったこと、さらに料理も悪くなく雰囲気もよいので、結局ここで2時間ほど過ごして、ほろ酔い加減になって駅へと戻った。
 帰りの列車はコンフォートといって一等車に乗車する。これは、席のスペースがちょっと広いことに加え、珈琲等が飲み放題である。とはいえ、珈琲は機械のそれであり、二杯ぐらい飲むともう結構、というような代物であった。行きは夜行であったので景色はほとんど楽しめなかったが、帰りはフィヨルドの雄大な景色を両側に見ながら移動していく。そして、ベルゲン駅を発車してから2時間ぐらい経った18:18に沿線最高所(1222メートル)のフィンセという駅に到着する。フィンセの周辺にはなかなかの氷河をみることができる。これはわざわざ乗るのに値する景色である。ただ、フィンセを通り過ぎてからしばらく経つと、若干、景色には飽きてくる。列車がオスロ駅に着いたのは22:35。到着した時にはちょっとグロッキーのような感じにはなっていたが、素晴らしい鉄道旅行であった。

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(オスロ駅の発車掲示板)

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(オスロ駅のベルゲン急行の発車ホーム)

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(ベルゲン急行の食堂車)

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(ベルゲン急行の車窓)

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(ベルゲン急行の食堂車)

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(ベルゲン駅に近づいたところの車窓)

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(ベルゲン駅の到着ホーム)

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(ベルゲン駅に到着したベルゲン急行)

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(ベルゲンはハンザ都市であったこともあり、昔、経済的な栄華を享受した趣きを街並みに感じることができる)

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(世界遺産のブリッゲン)

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(Gutbrøtというパン屋で朝食を取る)

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(フロイセン山からのベルゲンへの展望)

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(魚市場)

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(魚市場での食事・・鱈料理)

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(ベルゲンから出ている90分コースのフィヨルド・フェリーからみられるフィヨルド)

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(帰りのベルゲン急行から得られる車窓)

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(フィンセ駅周辺からみられる氷河)
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C.A.T(センター・フォア・オルタナティブ・テクノロジ)再訪 [サステイナブルな問題]

 ウェールズに来ているので、20年ぶりぐらいにC.A.Tに行くことにした。その時は、ランドスケープ・アーキテクトのPeter Harperさんに取材をして「環境自治体」に記事を書いたりしたが、今は、そういう気負いがなくなっている。また、現在、ウェールズではC.A.Tを最初に日本に紹介した長島孝一さんの奥様の実家に滞在させてもらっているのだが、長島さんが現在のC.A.Tにほとんど関心を持っていないことも多少、影響を与えたのかもしれない。
 長島さんの奥様の実家は北ウェールズのアングルシー島にあるので、そこからレンタカーを飛ばして行ったのだが、往路も復路も最短距離ではなく、スノーデン国立公園の中を抜けるルートを採った。これは、対向車と行き違うのも難しいぐらい道が非常に狭く、またワインディング・ロードであったので時間は大変かかったのだが、その苦労に見合うほどの美しいランドスケープを楽しむことができた。というか、絶景である。イギリスでこんな絶景に出会えるとは意外であったこともあり、嬉しい驚きだ(以前、スコットランドをレンタカーで走った時も、その美しさというか絶景に驚きましたが、ウェールズもこんなに美しいとは思ってはいなかった)。
 思わず、あちらこちらで車を停めて写真を撮っていたら、到着が予定より1時間は遅れた。それまで天気はよくはなかったが、それなりに雨にはならなかったのだが、C.A.Tに着く直前から酷く降り出した。
 C.A.Tはセンター・フォア・オルタナティブ・テクノロジーの略であり、風力発電、太陽光発電、さらにはごみの循環・リサイクルなど環境負荷の低いシステムを展示している、ちょっとしたエコ・テーマパークのようなところである。巨大な石切場の跡地にヒッピーのような若者達によって1970年頃につくられた。
 駐車場からは、水の重さで動くケーブルカーで上の施設群まで登っていく。このケーブルカーは単純だが、とても賢いつくりになっている。上にあるケーブルカーに水を入れて、そのうち水の重さで、上のケーブルカーが下に降りていく。その時、下にあるケーブルカーも引っ張られるようで上に登っていく。そして、ケーブルカーは下に着くと、水を全部放出して軽くなる。これの繰り返しなのだが、本当に電気いらずのケーブルカーなのだ。なぜ、これをもっと他でも普及していないのかが不思議になるほど、単純でいいシステムであると思う。そして、これがC.A.Tの入り口にあることはとても有効である。訪問者に強烈なイニシエーションというか印象を与えることができるからだ。
 C.A.Tは20年前に比べると、研修施設なども充実させていた。展示もそれなりに充実しているような気もするし、20年前からそれほど進歩していないようにも見える。とはいえ、その方向性は20年前よりもさらにゆるぎなく重要なものになっているし、実際、C.A.Tはよりメジャーになっていると思う。私もちょっと初心に戻るような気分にさせられた。

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(C.A.T.の入り口。ケーブルカー乗り場でもある)

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(ケーブルカーは水の重さで上下しているのだ)

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(エネルギーの展示。これは子供にもエネルギーのことが分かりやすいような楽しい展示である)

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(食料に関する展示も多い)

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ウェールズのランドスケープは美しい [地球探訪記]

 イギリスはおそらく10回以上は訪れていると思う。行く時はほとんどが大都市であるし、イングランドであるので、あまりランドスケープが美しいと思ったことはない。ただ、鉄道で移動することが多いので、例えばマンチェスターからカーライルの車窓に展開する湖水地方のランドスケープや、ニューキャッスルからエジンバラへと展開する北東の海岸沿いなどはなかなか息を呑むような風景であるよな、と感心したりした。ただ、これまでのイギリス訪で本当に感動したのは、レンタカーでエジンバラからインバネス、ネス湖、とスコットランドを周遊した時で、このときは「緑の惑星」という感じで、地球の景色とは思えないような雄大なランドスケープに圧倒された。
 さて、しかし、今回はウェールズのアングルシー島に4日間ほど滞在したのだが、このアングルシー島やスノーデン国立公園といったウェールズの風景はまさに絶景であり、ドイツやフランスなどでもアルプス山脈でしか出会えないような自然の造形美と遭遇し、驚いた。アングルシー島を西に行くと、サウス・スタックとよばれる海に面した絶壁があるのだが、ドーバー海峡などに比べてはるかに迫力があり、また、ちょうどワイルドフラワーが咲き乱れて、自然の絨毯のように地面が美しく被われており、その景色は絶景慣れしている私にとっても、驚くようなものであった。
 さらにアングルシー島から南に行ったところに、スノーデン国立公園があるのだが、そこの風景はある意味、チベットよりも壮大であった。標高1300メートル程度の山なのだが、海面から隆起しているような山なので、実際の数字よりはるかに高く見える。存在感に溢れる山なのだが、今回の滞在期間中もほとんど雲に隠れていて、その姿が見えたのは3日目だけであった。その雄姿は、前述したサウス・スタックから見えたのだが、紺碧の海と絶壁の岩を前景に聳えるスノーデンの山々は神々しささえ覚える。この光景は、例えば海岸美で有名なアメリカのオレゴン・コーストやオーストラリアのヴィクトリア州の南部の海岸をも上回ると思うのだ。その素晴らしさに比して、知名度があまり高くないと思うのだ。日本では強いていえば礼文島を彷彿させるが、礼文島よりアングルシー島のワイルドフラワーの方が迫力に溢れている。ヨーロッパという風土の中でも傑出した美しいランドスケープをウェールズは擁していると思われる。

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(サウス・スタックからみたスノーデン)

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(サウス・スタックのカラフルな絨毯のように咲くワイルドフラワー)

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(サウス・スタックの驚くほど美しいランドスケープ)

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(スノーデン国立公園の渓谷美)

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(スノーデン国立公園のランドスケープ)
 

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日本の卵は世界で一番、美味しいのではという仮説がウェールズで覆される [グローバルな問題]

 私は常々、日本の卵は世界で一番、美味しいのではないかと思っていた。アメリカの卵は比較の対象にならないほど美味しくないし、ドイツでもソーセージやハム、肉などは美味しいと感心したが、卵は日本の美味しさを上回るものには出会えたことがなかった。鶏肉に関しては、タイの北東地域のロースト・チキンが美味しくて驚いたことがあったが、卵に関しては美味しいと思ったことはない。今回の旅行ではパリの郊外ではビオ(有機)の卵を買ってホテルで茹でて食べたりしたが、とても日本の卵の比ではなかった。
 世界中で卵を生で食べる風習があるのは日本ぐらいだ。卵かけご飯に耐えるだけの美味しさの卵をつくるニーズがあるのも日本ぐらいなので、それが理由であろうと考えていた。
 さて、しかし、人生で最も美味しい卵と思ったのは実は日本ではない。それは16歳の時、ブレコン・ビーコン国立公園になぜか訪れて、ベッド・エンド・ブレックファストに宿泊した時の朝食に出た卵である。このときは、牛乳の美味しさにも驚いたが、卵は格別に美味しいと思った。ちなみに、ブレコン・ビーコン国立公園もウェールズにある。なぜ、そんなところに行ったのかというと、親戚がロンドンにいたのでそこを訪れ、当時から国立公園好きの私は、勝手に一泊旅行としゃれ込んだのだが、イギリスのどこ国立公園がいいかも分からなかったので、適当にロンドンから近いそこに訪れたのであった。1979年の話であるから、まだウェールズの議会などもできておらず、私はそこがイングランドかウェールズかどころか、そのような地域的違いがあることも分からずに訪れたのである。
 この時の卵の美味しさはずっと覚えていたのだが、その後、イギリスに訪れて食べる卵も大して美味しくなく、若さ故の錯覚であったのか、そのような美味しい卵は昔のイギリスの田舎でしか食べられないものかと思ったりもしたのだが、今回、ウェールズの知り合いの家で朝食に出された卵は、確実に日本の卵よりも美味しかった。
 あまりにも美味しいので、それを言うと、近くの家が飼っている鶏の卵であることが分かった。まあ、ちゃんとつくって新鮮なものを食べれば、世界中、どこでも美味しいということか。ただ、そのつくりかたには工夫というか、真摯さのようなものが必要なのであろう。私は、日本の卵は世界一という考えを強く抱いており、それは日本の偉大な点とも思っていたので、その先入観が打ち崩されたのはちょっと寂しいが、美味しい卵を食べられた嬉しさによって、そのような想いは打ち消された。

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パリのシャルル・ド・ゴール空港からTGVとユーロスターを乗り継いでロンドンへと行く [地球探訪記]

 パリのシャルル・ド・ゴール空港からTGVとユーロスターを乗り継いでロンドンへと行く。全日に券を買っていたので、安心して当日、空港へ赴く。ちなみに料金は3万円ぐらいであった。随分と高い。もちろん2等である。いつもユーレイルパスなどで移動しているからかもしれない。
 シャルル・ド・ゴール空港では、なかなか出発ホームが掲示されない。駅員に尋ねると20分前じゃないと分からないと言う。TGVといったら新幹線のようなものだ。どのホームに入らないかが20分前にならないと分からないというのは驚きだ。ちなみに5分遅刻でTGVはホームに入ってきた。よく、TGVは日本の新幹線よりも速い、と言われるが、どんなに速くても時間通りに走れなければ意味がない、と私はTGVに乗るたびに思う。まあ、遅れるのは想定内である。
 さて、想定内でなかったのはリール駅でユーロスターに乗り換えるのが面倒だということだ。乗り換え時間は30分ぐらいあったのだが、10分ほど遅れたためか、ロンドン行きの人は急いで下さい、と言う。なんか、おかしいな、と思いつつリールの駅を降りると、通関と荷物検査をしなくてはならないことに気づいた。通関はユーロとイギリスと二ヶ国しなくてはならない。しかも、通関のお兄さんが最近の空港の通関では考えられないほどゆっくりと仕事をする。これは、列車に乗れないかもしれない、というお客の不安をあえて煽っているのではないか。私のパスポートなどは比較的、面白いのでまるで喫茶店で客が、することがないので雑誌をめくっているような気怠さで私のパスポートをぺらぺらと見ている。私は時間的に大丈夫だからいいけど、後ろで並んでいる客はさぞかしいらいらしているだろうなあ。
 とはいえ、ユーロスターには無事に乗れた。あとチケットでは35分ぐらいしかかからない感じで、これは素晴らしいと思ったが、どうも時差があって実際の乗車時間は1時間35分ぐらいであった。とはいえ、乗り換えを含めてもパリから3時間以内で到着できる。近い!
 ユーロスターはヴィクトリア駅からは乗ったことがあるが、セント・パンクラス駅に着くのに乗るのは初めてである。

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(シャルル・ド・ゴール空港駅)

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(セント・パンクラス駅)

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セントラル・ステーション [映画批評]

 映画はそれほどではないが、人並みに観る方だと思う。私は集中力がないので、なかなか映画を2時間、見続けることが苦手である。しかし、この1998年に制作されたブラジル映画には本当に惹きつけられた。心を揺さぶる力を有した傑作である。こういう映画を観ると、映画の持つ凄まじい力を思い知らされるし、映画は素晴らしい芸術であるとも思う。ただ、問題は滅多にそういう映画に出会えないということだが。
 本作品を魅力的にしているのは、主人公のフェルナンダ・モンテネグロの演技であることは間違いない。小悪人ではあるが、根っからの悪人にはなりきれない。そして、心の底にあった良心というか優しさに突き動かされて行動していると、最後にその暗闇に被われていた心に光が点る。生きていくのも厳しいブラジル社会の中、このような良心が人にあるということが、明日への希望へと繋がる。観た者の心にも小さな光を点す感動的な作品である。また、この映画はロード・ムービーでもあり、リオデジャネイロの街並み、ブラジルの荒野、ブラジルの片田舎などを主人公と一緒に旅しているような気分にもさせてくれる。これも、日本人にとっては大きな魅力であると思う。


セントラル・ステーション [DVD]

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  • 出版社/メーカー: アミューズ・ビデオ
  • メディア: DVD



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ゴースト・イン・ザ・シェル [映画批評]

スカーレット・ヨハンソン主演の実写版ゴースト・イン・シェルを観る。アニメの「ゴースト・イン・ザ・シェル」は素晴らしい傑作であると思う。ということで随分と期待をして観た。さて、ストーリーはアニメ版とは結構、違うものとなっていたが、それなりに楽しめた。特に、香港のような近未来的な都市の描写は素晴らしく、ブレード・ランナーの都市描写を初めて見たときと同じような感銘を覚えた。総じて、映画は楽しめたのだが、本質的ではないところで2点ほど。一つは、スカーレット・ヨハンソンは現在を代表する女優であるが、私はどうしても彼女がそんなに美人に思えないのだ。いや、演技は上手いし、あの低音の声はなかなか色っぽいとは思ったりもするが、どうも鼻の膨らみが美人の条件を満たしていないように思ってしまうのだ(本当にどうしょうもないことを書いて申し訳ない)。あと、タケシと桃井かおりという日本勢が出演していて、私も観ていて嬉しくなったりするのだが、演技がずれているような印象を受ける。これは、おそらく彼ら、彼女らの演技が今ひとつなのではなく配役ミスなのではないかと思う。特に、桃井かおり特有の気怠い演技は、ストーリーから緊張感を削いでしまっている。せっかく、秘密を解く鍵となるようなクライマックス的場面なのに、この点はもったいないことをした印象を受けてしまった。これは、バトー役のピルウ・アスベックがまさに嵌まり役であるのと極めて対照的である。

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宮城県の観光PR動画について、ちょっと苦言を呈したい [地域興し]

 壇蜜が演じる、宮城県の観光PR動画広告「涼・宮城の夏」が性的な表現が多いと批判の声が挙がっているが、村井嘉浩・宮城県知事は定例記者会見で記者の質問に「誰も、可もなく不可もなくというようなものは、関心を呼びません。したがって、リスクを負っても皆さんに見ていただくものをと思いました」「私としては面白いと思っている。あれをみて『宮城に行かない』と、そういう感じにはならないのではないか」と、問題がないとの認識を示した(ハフポスト日本版編集の記事をもとに若干、編集)。

 この動画、個人的には趣味はよくないと思うが、私が問題視するのは、宮城県の観光PRに壇蜜が出演する必然性が極めて低いということである。壇蜜は秋田県横手市で生まれ、幼少の時に既に東京に越してきて、昭和女子大学付属から昭和女子大まで進む、という三軒茶屋ッ子である。三軒茶屋の観光PRもしくは世田谷区の観光PRに出るのが一番妥当である。ちょっと頑張って、横手市というのは許容範囲かもしれないが宮城県というのは、ほとんど関係ないでしょう。どうも、仙台藩士の子孫という説もあるようだが、それで宮城県の観光大使のような仕事をするのは無理がある。観光PRというのは、その都市・地域のアイデンティティを広く普及させることが重要である。そのために、税金は使われるべきものであり、「リスクを負ってみていただく」というのは十歩譲って許容しても、そのリスクを負ってみた動画に出演している俳優が、宮城や仙台とほとんど関係がなければ、その都市・地域のPRには説得力がほとんどない。
 それは、バングラデッシュの観光PRにローラが出るほどの説得力さえ有していないと思う。観光PRを血税で制作するのであれば、人々にイメージしてほしい宮城という概念をしっかりと伝えられるものであるべきだし、それを伝えるべき俳優が壇蜜である妥当性はない。というか、壇蜜が出てくる時点で、宮城、人材いないのかとさえ思ってしまう。もちろん、宮城には素晴らしい人材が多くいて、スケートの羽生選手や荒川選手とか、サッカーの香川選手とかがいるし、女優でも鈴木京香がいる。鈴木京香は、宮城県泉市で生まれ、黒川郡で育ち、東北学院大学を卒業している、というまさに宮城人である。そして、失礼な言い方になってしまうが、壇蜜に比べると女優としても格上である。壇蜜は実際の人物の素晴らしさに比して、ちょっと二流感というかB級なところを本人も楽しんでいるところがあり、それはそれで愛嬌があり、個人的には嫌いではないが、そのような個性をもつ女優を使うという時点で、宮城県は非難を免れないし、その女優が宮城とほとんど関係性がないということで、アウトであると考える。

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金峰山登頂を六年越しで果たす(日本百名山26座登頂) [日本百名山]

百名山を登るという無茶な計画を策定したのが六年前の五月。最初に狙ったのが瑞牆山と金峰山であった(http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2011-05-11)。しかし、金峰山は雪のためあえなく登れなく断念する。それから常に金峰山へのリベンジを考えていたのだが、遂にその機会が訪れた。6時30分に二子玉川駅で大学の卒業生と合流。彼の運転する車で金峰山に向かう。五月は瑞牆山荘から金峰山にチャレンジしたが、今回はより簡単な大弛峠からチャレンジすることにした。ただ、計算外だったのは、勝沼インターチェンジから大弛峠までに大変時間がかかったことである。およそ1時間かかった。そこで、想定では遅くとも10時ぐらいから登り始められるのかと思っていたのだが、11時スタートとなった。大弛峠の標高は2,360mであり、自動車車両が通行できる日本最高所の車道峠であるそうだ。駐車場には30台くらいは駐車できるが、我々が11時ちょっと前に到着した時は、既に駐車場から結構、離れた場所にまで側道に30台程度は駐車されていた。
 小雨が降っており、これはちょっと厳しい登山になるのではと覚悟をしたのだが、標高が高いこともあり、小雨は降っているが凜とした森の空気の中、気持ちよく歩き始めることができた。コースタイムでは最初の1時間で朝日岳山頂、そしてさらに1時間ちょっと歩くと金峰山に到達する。基本、尾根道なのでそれほどはキツくないはずだが、最初はいきなりなかなかの急坂。しかし、それはガイドブックに書かれていたので想定済みなので、ただもくもくと高さを稼ぐ。ある程度、登ると平坦な道になる。快適な気分だ。青森トドマツ、ダケカンバの森の中を歩いていると、同行した若者は「こんな空気はヨセミテ以来です。こういう空気を日本で味わえるとは」と言う。確かに、アメリカの国立公園の森を彷彿させるような爽快な気分である。これは、最近の百名山登山では大山でも味わえたが、安達太良山や両神山では感じられなかったことである。一つの理由は標高があるということだろうが、もう一つの理由はアオモリトドマツ等の森の樹木が発するフィトンチッドが、例えば杉に比べて癒やし効果が高いということがあるのではないだろうか。いや、適当な推測ですが。
 大弛峠に行く途中は濃霧が覆っていたが、この登山道は濃霧の上であったので視界は悪くない。小雨も気にならない程度だ、とちょっと前向きな気持ちになってきたら、木の狭間から富士山が見えた。今日は富士山を見ることはできないだろうと悲観的な気分になっていたので、テンションは一気に高まる。朝日岳の前の岩稜帯でちょっと休憩して、写真を撮影したりもする。八ヶ岳こそ雲で見えなかったが、富士山、甲武信岳は綺麗に展望できる。そして、そこからまた朝日岳への急坂を登る。標高が高いこともあり、息は上がる。ちょっと、目の前が暗くなりそうになり、高山病を意識する。昨年秋、八ヶ岳で高山病になったので、この程度の標高でも私は油断できないのだ。ということで、あまり無理をしないよう、呼吸を整えるように気をつける。
 朝日岳には12時20分に着く。標高は2579メートル。金峰山より20メートルだけ低い。朝日岳からは金峰山の雄姿がはっきりと見える。五丈岩が独特の存在感を放っている。ここで、小雨のため鞄に入れていたカメラを外に取り出す。そこから、坂を下り、鉄山を迂回して歩いて行くと、徐々に樹木が灌木となっていく。7月中旬であるのに、シャクナゲがまだ咲いている。寒いからであろう。実際、今日の気温も15度くらいである。シャクナゲはピンク色ではなく、白色であった。金峰山が近づくと、礫の中を歩いて行くことになる。山頂近くでは、礫は岩になり、岩の中をくぐり抜けていく感じになる。頂上が見えなかったこともあり、山頂は突然、現れた。目の前に五丈岩が屹立している。五丈岩はちょっとした地震で崩れ落ちそうな、岩が積み上げられたようなものである。どうやって自然につくられたのか、不思議な気分になったが、どうも2000年以上前に人工的につくられたものであるそうだ。こんな大自然の中、誰がこのピラミッドのようなものをつくったのか。どちらにしても壮大なミステリーである。
 金峰山の頂上からはまさに絶景が楽しめる。特に印象的なのは富士山であるが、瑞牆山も相当なものだ。北にある小川山に比べて標高は低いこともあり、山としての存在感はそれほどでもないが、その花崗岩の岩峰が林立する姿は、一際目立つし、自然の造形美に感嘆させられる。あと、瑞牆山荘から金峰山へと至る登山道は、まるでノコギリの歯のように凸凹している尾根道なのだが、個人的には、その長く引くように伸びる登山道が、両側を断崖絶壁に挟まれたか細い糸のように見え、そこを歩いている人が綱渡りをしている蟻のようで、思わず息を呑んだ。このコースは、6年前に歩こうとしたところだし、ガイドブック的には決して難しくはない筈なのだが、金峰山の頂上からみると、それは恐ろしく危険に富んだ決死の登山路のように見える。いやはや、日本の山は本当に険しいことを改めて思い知る。
 五丈岩の下で昼ご飯にしようかとも思ったが、もう既に13時30分頃だったので、山頂の岩の隙間でお湯を沸かす。そこで昼食のサンドイッチと珈琲を飲む。食事中に雨がまた降り始め、さらには霧が西側からのぼってきたために急いで身支度をして下山をし始める。
 下山は結構、ハイペースで私の登山経験ではあまりないことだが、抜かされることなく、逆に数パーティを抜いた。いや、別にこのようなことを敢えて記す必要もないのだが、個人的には登山の経験回数が増えるにつれ、私もようやく人並みのペースになりつつあるのかな、と今後の登山に明るい展望が得られたので記させてもらった。
 ということで、一度だけ休んだだけで一挙に下山をした。大弛峠の駐車場に着いたのは15時50分。16時ちょっと前で、往復で5時間弱。濃霧の中を大弛峠に車で向かった時は、まったく期待できず、むしろ登山を中止した方が賢明ではないかと思ったぐらいであったが、期せずして相当、いい登山をすることができた。これは金峰山が、そもそも素晴らしいということが大きな理由であるかと思う。私は登山が結構、辛いので、登った後に再訪したいという気持ちになることはあまりないのだが、この金峰山は是非とも再訪したいと思った。もちろん、日帰りで行けるというアクセスの良さというのもあるかもしれないが、何しろ茹だるような東京の暑さからは開放されるし、ここの登山は気持ちよいからだ。

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(期せずして富士山が見えた。思わず気持ちが高揚する)

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(朝日岳からは金峰山が展望できた)

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(シャクナゲが目を楽しませてくれる)

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(金峯山頂からの富士山の展望)

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(五丈岩)

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(瑞牆山の素晴らしい展望も得られる)

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(瑞牆山荘からの登山道の険しさに驚く)

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(瑞牆山方面の展望も素晴らしい)

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(帰路はより輪郭がはっきりした富士山を展望することができた)
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アゲダというお金はなくても知恵で地域再生をした町を訪れる [都市の鍼治療]

 アゲダという町がポルトガルにある。リスボンに行くので長女が持っていた『地球の歩き方』を鞄に入れてきたのだが、その頁をパラパラとめくっていたら商店街の上部空間をカラフルな傘で覆っている写真が目に留まった。その文章を読んでいると、2006年から町興しのイベントを開催したら大成功して、衰退した町が復興したと書いている。しかも、このイベントは7月の3週間だけやられているそうなのだ。ちょうど、今、私がいる時に実施している。ということで、是非とも学会中の空き日に行きたいと思って、とりあえずアゲダのホームページからコンタクトの頁に飛び、アポの依頼をしてみた。まあ、こんな英語でお願いして、しかも日にちまで指定するような図々しいアポには回答してくれないだろうと思ったら、「いいよ」という返事が翌日、来た。こうなると是が非でも行かなくてはもったいない。ということで、時刻表を調べてみると、なかなか遠いということ、列車の本数が極端に少ないので時間がかかるということも分かった。リスボンからだとポルトには距離的には近いが、時間はよりかかるのだ。とはいえ、リスボンの駅を8時に出る列車に乗れば11時30分には着く。駅に自動販売機がない可能性を考えると、ホテルは7時に出た方がよい。ということで朝早く起きて、この8時の列車に乗るようにした。案の定、自動販売機では買えず、切符売り場で並ぶことになったのだが列が短くて助かった。
 リスボンから乗ったのは昔の新幹線的な列車であった。2時間ちょっとでコインブラに着き、そこから20分ぐらいでアヴェイロに着く。ここで乗り換えることになるのだが、乗り換えた列車はもうこれでもか、というぐらいにローカル線色が強く、しかも車両はもはやアートのように全面的にグラフィティが施されていた。
 この二両連結のディーゼル車でアゲダに向かう。このディーゼル車の車内はほぼ座席レベルでは5割ぐらいが埋まるぐらい乗客はいたのだが、私の前に座った3人の老婆が、大声でほぼ30分間罵り合うという状況に放り込まれた。特に私の前の老婆が何かに対してとてつもなく怒っているようなのだが、その怒りの感情が声に乗り移ったかのようで、聞いていて驚くほど不快になる。何をしゃべっているかが分からないのだが、罵っていることは確かであろう。それにしても、なんでそこまで怒鳴るようにしゃべらなくてはならないのだろうか。まるで右翼の街頭演説のようである。さすがに周りの乗客も呆れているが、誰も触らぬ神に祟りなし、のように苦笑をしているだけである。このような状況はアフリカでさえ見られないであろう。
 とんだ洗礼を受けた後、アゲダ駅に着く。アゲダはこの地域では中心的な町のようなのだが無人駅であった。しかし、イベントをしているということもあって多くの観光客が鉄道から降りた。日本人の30歳前後と思しき女性グループも降りる。しかも、どうも複数のグループのようだ。
 駅を降りてもどこへ行ったら分からなかったのだが、ぶらぶらと歩いているとCentroの方向を指す標識に出くわし、Centroに向かっていく。すると、出てきました。傘の屋根が。ポルトガルの7月の水彩画の青のような鮮烈な水色の空と、この傘が見事にマッチしていて、これは相当よい。手帳に、「誰が傘のアイデアを出したのか?」とメモをする。しばらくすると傘の屋根は終わるが、またちょっと歩くと違う道の上が傘で覆われる。この傘の量は大量だ。あとで尋ねたら5000本はあるんじゃないか、という話だったが、一番メインのところは、確かに1000本はあるだろう、という迫力であった。
 アゲタのこの傘の位置づけはインストレーション・アート。ということで、傘が有名であるが、基本はアートによる衰退した町の活性化事業をしているのである。そして、傘はイベント期間だけであるが、他のものはパーマネントで設置されていたりもする。傘以外は何か、ということだが、カラフルなベンチを始めとしたストリート・ファーニチャー、壁絵、そしてアート作品のインストレーションなどである。また、このイベント中はおもに音楽の催しが毎日のように為されている。ただ、大物アーティストを呼ぶというよりかは、地元のミュージシャンを中心に出演させているようだ。私も取材のアポの前に、リハーサルを聞いたのだが、なかなかの実力でちょっと驚いた。
 午後に訪ねると取材に回答してくれる市の広報のパウロさんには伝えていたので、とりあえず街中で昼食を取ることにした。どこに入るかは難しいところだが、客が比較的多く入っていた街角の定食屋のようなところに入る。メニューを見せてくれ、と中年のおばさんのウェイターに言うと「メニューはない」と答える。そしてフランゴかビーフだと言う。しょうがないのでフランゴにしたが、周りをみると、明らかにチキンでもビーフでもないものを食べている。まあ、でもそれほど拘ることでもないからいいか、と待つ。あと、フレッシュ・オレンジジュースを注文する。フレッシュ・オレンジジュースはポルトガルに来てからのお気に入りだ。タンジェリンのようなミカンでつくるので、普通のオレンジ・ジュースに比べて、ちょっと味が柔らかいのだ。そして何しろ安いので、平気で注文をしてしまう。現れた料理は鶏に卵焼きが乗っかっていて、そしてご飯やらサラダやらが付いてきた。結構、美味しい。
 空腹を満たした後、市役所に行くと、なんとパウロさんはイベント会場にずっといるので市役所には来ないそうである。ただ、イベント会場でパウロを探していると言えば、きっと会えると思うよ、といい加減なことを丁寧な英語で返される。しょうがないので、パウロさんに電話をすると、後でテキスト・メッセージに待ち合わせ時間を伝えると言ってくる。これは、後で知ることになるのだが、この7月限定のイベント「アジッタゲーダ」の産みの親の都合を聞いてくれていたそうなのだ。さて、パウロさんが送ってくれたテキストは最初18時30分という指定だったのだが、帰りの電車は18時55分で、それを逃すともうリスボンには戻れないかもしれないのと、翌日は学会での発表があったので、どうにか17時30分にしてもらう。
 さて、多少は待ち合わせ時間は早くはなったが、それでも4時間ぐらいはある。町は小さいのでちょっと歩くとほぼカバーができる。気候は素晴らしく、色鮮やかな傘の群は心を晴れやかにさせてくれる。私はボーッとするのが本当に苦手なのだが、久しぶりにボーッとした気分になって、スケッチブックを取り出し、スケッチをしたりして時間を潰した。
 ようやく待ち合わせの時間になったので、イベント会場のバック・ステージに行き、市の広報のパウロさんに会い、15分後にはこのイベントを企画した市の局長であるサントス氏と会う。そして、パウロさんの通訳も含めながら取材をさせてもらう。
 サントス氏によると、このイベントをすることにした機会は、この町が衰退していたので何かしなくてはと考えたからだそうだ。そのためには、何しろこの町の名前が知られなくてはならない、ということでイベントを開催することを考えたそうだ。観光客を呼ぶということよりも、シビック・プライドを醸成させることを意図したそうだ。私は、この傘のインスタレーションが素晴らしいと思い、どういうきっかけでこれをしたのかと尋ねると、特にアゲダの町の傘には関係性はなかったようだ。ただ、どこかでオランダ人のアーティストが似たようなインスタレーションをしたのを関係者がみて、これをやってみようということにしたそうである。最初は町の中でばらばらとやっていたのを、都心部で集中的にやった方がいいとサントス氏は提案して、今とほぼ同じ場所でやられるようになった。
 傘のインスタレーション以外では、壁絵が10ほど街中にある。すべて地元のアーティストの作品である。他にもベンチや階段をキャンバスに見立てたようなアートが街中には幾つかある。
 この傘のインスタレーションが突然と人に知られるようになったのは5年前(2012年頃)だそうである。私も手元に2009年のロンリー・プラネットのポルトガル版を持っているのだが、アゲダの「ア」の字も書かれていない。ロンリー・プラネットのような旅行オタク系の雑誌に書かれていない、ということはそれだけ注目されていなかった、ということであろう。最新版のロンリー・プラネットを持っていないのでいい加減なことは言えないが、ページ数的には3分の1ぐらいの「地球の歩き方」でもしっかりと1頁の紹介をしていることを考えると、今ではもちろん頁が割かれていると思われる。
 この人々が急に知られることになったのはフェイスブックなどのSNSが大きな理由だそうである。何しろ、この傘のインスタレーションを始めとしてアート作品はフォトジェニックである。思わず、インスタグラムやフェイスブックで共有したくなってしまうだろう(私もすぐにした)。これがポイントであった。今では、アジタゲダのイベント期間中は、観光客は一日平均で3000人を超える。
 ただ、前述したが傘である歴史的、地理的な必然性はない。観光客は物語を消費したがるので、それは悩ましいところだそうだ。
 ところで、この傘の数だが現在は、5000本はあるそうだ。確かに、傘だらけだからそのぐらいの数字はあるだろう。ポルトガルの傘ですか?と尋ねたら、「まさか」と言われた。インドそして中国製だそうだ。また、この事業のポイントだが、すべて市が主体的にしているということだそうだ。音楽コンサートのイベントの仕事も仕切っているのは市役所の職員である。日本の自治体のようにアウトソーシングをしていない。確かに、市の広報の仕事をしているパウロさんが、今日は一日バック・ステージに張り付いている。
 そして、このイベントによって観光客が増え、市のイメージが格段によくなっているだけでなく、古い建物などが修繕されるようになっている。さらにはホテルなども開業するようになっていたり、パン屋は傘のパンをつくって売るようになったりしている。このようにして、地域経済が回るようになってきており、それが何より重要であるとサントス氏は強調した。
 それまではアゲダがニュースに載るのは川が洪水した時ぐらいだったが、イベントのおかげで随分と知られるようになり、その結果、人々が街に誇りを持つようにもなっている。
 最後にサントス氏が述べた言葉は印象的であった。
「誰もがインスピレーションを持っている。しかし、お金を持っていない。ただ、お金がなくても何か試すことが重要なのではないか。多くの人はお金を持っていないので試さないが、試すことが何より重要なのだ。傘の事業は4000ユーロで始めた。関わった人も私を含めて5名。アゲダの成功は試すということをしたことがもたらしたのだ」
 まさにクリチバ市のジャイメ・レルネルさんが指摘していたことと同じことをサントス氏は述べたのである。

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(ポルトガルの眩しいような空色をバックにカラフルな傘が幻想的かつ魅力的な空間を演出する)

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(ベンチや階段、そして壁画といったアート作品が街を彩る)

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(電灯のようなストリート・ファーニチャーも相当、お洒落である)

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リベイラ市場で特別に美味しいロブスターを食べた [B級グルメ雑感]

リスボン最後の日、ちょっと時間があるのでリベイラ市場にまで行く。リベイラ市場は最近、ちょっとグルメのニーズにも対応して市場に隣接してレストラン街を設けたそうだ。これは、マドリッドやバルセロナ、デンマークなどでも観られているトレンドであるが、都市の鍼治療としても効果が高い。ということで、いそいそとホテルに荷物を預けて出かけた。
 リベイラ市場は思ったより大きくはなかった。建物の構造も大きく3つの棟に分けられておりシンプルであり、迷子になることはない。一国の首都の市場として捉えると、ちょっと拍子抜けする。カーディフの市場とかぐらいの大きさであろうか。
 3つのうち、一つの棟は従来からの市場で魚やら肉、野菜などの生鮮食品が売られている。魚が多いのと蛸やイカなどが置かれているのが印象的である。というのも、蛸やイカなどを食べる国は多くないからだ。ただ、イカの目が死んでいる。これは日本の市場や魚屋とは違う点でちょっと残念だ。
 真ん中の棟は小さく、小売りをする店が集まっている。そして一番西側にある棟がフード・コートのようになっており、空間も洗練されたデザインがされており、お洒落でいい感じである。店はマクドナルドやスターバックスのようなファストフードと思しき店はなく、どの店も皆、黒と白のシックな看板に統一されている。コンフェクショナリー、揚げ物系、ステーキ、魚介類の店など、どれもなかなか魅力的であるが、店の前に大きな水槽が置かれており、ロブスターやら蟹やらが入れられている魚介系のレストランにてリスボン最後の食事を取ることにした。名前はアズールという。
 飛行機の時間は15時50分。ホテルに荷物を置いているので、13時にはホテルに戻っていたい。ホテルまでは地下鉄で30分弱。時計を見ると12時ちょっと前。おそらく大丈夫であろう、というところでカウンターに座ると店は12時からだから、と言われる。まあ、他に客もいないし10分ぐらいなら待てばいいか、と思いそのまま座る。さて飲み物は?と聞かれるので水を注文し、そのままボーッとしていると12時を回る。それでもすぐに注文は取りに来ず、いろいろと開店の準備をしている。ちょっと私が、いらいらし始めた12時10分頃になって、ようやく若い女性の店員が注文を聞いてくれる。ここは、やはりロブスターでしょう。しかし、あまりにも大きい。値段も1キロ90ユーロとなかなかの値段だ。これは海老かな、と躊躇したが、「水槽の中から一番小さいのを選べば」と言ってくれる。そこで水槽を見に行くが、どれも巨大だ。というか、水槽の中なので実際よりも巨大に見えているのは分かるのだが、まるで猫ぐらいの大きさに見える。これは無理かな、と諦めかけると、店の人が「この小さいのはベイビーだから、食べられるでしょう」と言う。流石にベイビーだったら食べられるな、と思い切って注文する。注文すると、女性店員は水槽からそのロブスターを取って、まな板の上に置くと、いきなり包丁で脳髄に振り下ろした。ロブスターはばたばたしているが、頭を押さえられているのでどうにもできない。ばたばたの力が弱まったのを確認して、店員は一挙に身体を真っ二つに包丁で分けた。この若い女性店員は、華奢な身体をしていて、なかなかの美人であるので、ロブスターを切り捌く姿は絵になるが、逆に美人であるからか、その姿はちょっと怖い気もする。ついでにポテトとパンも注文してしまったのだが、これはどちらかでよかった。というのは食事が来てから気づいたのだが、圧倒的な量だからだ。
 さて、問題はこの捌いた後からなかなか料理ができないことである。メニューをみると、ファストフード?そんなに早くはないですよ、などのコピーが書かれている。どうも、ここに出店できる店は、料理の審査を通ったところのみのそうだ。普通の状態であれば、これは大変有り難いのだが、飛行機の時間が迫っている私にとっては、これは若干、由々しき問題である。12時30分を回ったぐらいの時間になってようやく料理が出てきた。オーブンで焼かれたものだが、ニンニクとオイルだけの味付けのようだ。さて、しかし食べてみたらこれが絶品のように美味しい。私は日本以外では、ほとんど魚介料理を美味しいと思ったことがないので、これは嬉しい驚きであるし、予想外であった。まあ、さっきまで生きていたので素材は相当、いいのかもしれないが、どんなにいい素材でも駄目にしてしまうのがヨーロッパ人というか日本人以外だから。例外的に私が魚介料理を美味しく海外で食べられたのは、釜山の魚市場ぐらいである。そういう意味で、アズレのロブスターには驚いた。あとポテトフライもしっかりと、ここで切って揚げられたもので、これも美味であったが何しろ量が多すぎる。飛行機の時間もあるので、これは袋に入れてもらった。そして、量り売りなのでどきどきさせられた値段であるが、57ユーロ、チップを入れても65ユーロで済んだ。600グラムぐらいかな、と店員は言っていたのだが、ポテトやパン、水を二本注文したことを考えると、500グラムぐらいであったのではないか。最後にポルトガルの評価が大きく上がった。この市場で昼ご飯を食べられてよかった。

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(店にある巨大な水槽)

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(ディスプレイの食材が食欲をそそる)

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(テーブルクロスにスローフード宣言がされていた)

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(生きたロブスターを捌く女性店員)

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(なかなか格好がよい)

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(ロブスターの半身。出されたのは一匹)

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リスボンのサンタ・ジュスタのエレベーター [都市デザイン]

リスボンに学会で来ている。開会式のキーノート・スピーチに律儀に参加しようと9時に会場に向かうと、キーノート・スピーチは違うキャンパスでやるそうだ。どうも、地下鉄で30分ほどかかるようなので、何か面倒臭くなり、天気が凄まじくよかったこともあり、リスボンの市内巡りに行ってしまった。結局、いつも通りの行動パターンだ。
 さて、最初は何しろ、エレベーターを押さえなくては、ということでいそいそとサンタ・ジュスタのエレベーターに向かう。サンタ・ジュスタのエレベーターはジャイメ・レルネルさんの著書『都市の鍼治療』にて紹介されている。私はこの本を訳したので、その時から大変興味を持っている。ということは、12年間ぐらいは興味を持っており、いつか来たいと思っていたということだ。
 このエレベーターはバイシャ地区の低地とバイロ・アルトの高台とを繋ぐために1900年から工事が始まり、1902年に完成した。エッフェル塔の設計メンバーの一人でもあったメスニエールによってつくられた。それは45メートルの高さで、できた当時は驚きの技術の結晶であったのだろう。観光名所として多くの人を惹きつけることになる。
 今でこそ、エレベーターなどあまりにも日常的で、ちょっと高い建物ならほとんどついているような代物であるが、よく考えると、それが登場した時には驚きの交通施設であるということに気づかされる。このエレベーターに乗るのに15分間ぐらい待たされた。15分も待たされても乗るというのは、もうほとんど観光客しか利用しなくなってしまった、ということであろう。というか、これは有料である。5€ちょっと取られた。48メートルの高度を得るために日常生活で5€払う人はほとんどいないから、これはもう100%観光客向けなのかもしれない。
 さて、しかし、このエレベーター、ランドマークとしてはなかなかのものである。エレベーターの丘側の乗り場の上は展望台になっており、そこからはバイシャ地区の町並みだけでなく、そのスカイラインを縁取る城、それからテージョ川、そしてその対岸のアルマーダまでをも展望することができる。なかなかの絶景である。
 東京のように高いタワーがないので、ここからの展望は特別な意味があるのだろう。この光景を観るために観光客が15分待って5€払うというのは理解できる気がする(展望台に入るためにも搭乗券が必要なのだ)。
 7つの坂の都市と言われるリスボンだが、そのリスボンにふさわしいユニークなランドマークである。
 
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(バイシャ地区からみたエレベーター)

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(中は相当、レトロである)

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(上の駅からは素晴らしいリスボンの展望を得ることができる)
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安達太良山(日本百名山25座登頂) [日本百名山]

安達太良山に登る。その前日にゼミの卒業生達と磐梯山に登る予定だったので、安達太良山の麓の岳温泉の宿を予約し、一挙に二つの山を登頂しようと目論んでいた。ただ、磐梯山は雨の予報であり、行く直前にキャンセルした。実際、当日は、午前中は土砂降りの雨だったようで行かなくて正解だったのだが、私は宿を予約していたこともあり、一人で夕方に岳温泉に向かった。17時まで大学で仕事をし、そこから東北新幹線で郡山に向かい、郡山でレンタカーをして岳温泉には21時ちょっと前に着いた。
 予約をした旅館は、山小屋に毛が生えたようなものをイメージしていたのだが、大規模で豪華な温泉旅館であった。ちょっと外した気分ではある。
 翌日は8時30分に始発のゴンドラに乗ることを計画する。これだと登山時に1時間30分は節約できるからだ。ということで7時に朝食を取り、8時過ぎにチェックアウトをしてゴンドラ駅に向かう。旅館から奥岳のゴンドラ駅までは自動車で10分ほどであった。奥岳には広大な駐車場があった。さて、しかし、なんとゴンドラは強風で運行中止であった。しばらく待ったら運行が再開されるかもしれないと思ったが、受付には誰もいないので奥岳から登山を開始する。山頂は雲で見えなかったが、それまでのルートははっきりと見える。
 登山開始は8:45。30分ほどスキー場のゲレンデを登っていく。そして、ゲレンデのリフトの降り口から急坂になる。昨日の雨のせいか、道は泥濘んでいて極めて歩きにくい。薬師岳にはおよそ1時間ほどで着いたが、そこまでのルートは水たまりや泥濘みのせいで、まったく快適ではない楽しくない登山であった。というか、もう少し、登山道を整備できないものか。自動車が走る道路ばかりを不必要に整備し続けるのではなく、こういう登山道にも少しは投資をするべきであろう。そうでなくても、百名山は潜在的には観光資源としてのポテンシャルが高い。登山道をしっかりと整備すれば、登山が快適になり、内外の観光客が増えるであろう。そして、高齢化が進む中、登山が多くなされるようになれば高齢者も元気になり、医療福祉に振り向けられる税金が減るのではないだろうか。などとぶつぶつ考えながら、高度を上げていった。
 薬師岳はゴンドラの上部駅がそばにあり、そこから二本松市方面の展望は素晴らしかった。ただ、安達太良山の方はなんか禍々しい雲が覆っている。この薬師岳には、高村光太郎夫人である高村智恵子の「この上の空がほんとうの空です」という一句の碑があるのだが、上の空はグレーの陰鬱な雲に覆われていた。薬師岳からはゴンドラの駅からの登山道と合流し、そこからは素晴らしく歩きやすい木道が続く。
 さらに1時間ほど歩くと、礫が続く急坂になり、雲の中に入り、視界は悪くなる。頭上をもの凄い勢いで風が吹き荒れ、ちょっと恐怖さえ覚える。そして、そこから数分で安達太良山の頂上のでっぱりの手前まで来る。安達太良山の頂上は乳首と呼ばれているそうだが、確かにそのような形状をしている。ただ、この最後の部分はなかなかの崖で、しっかりと三点支持の要領で登っていく。頂上に着いたのは10時55分。360度の素晴らしい展望ということだが、まったく何も見えない。そして、下から吹き上げる凄まじい風。ということでそそくさと下山を始める。先日の大山では上りが調子よかったので、いい気になって下ったら膝を痛めたので、今回はいい気になる気持ちを抑えてゆっくりと降りていく。11時40分には薬師岳に戻る。そして、泥濘みだらけの登山道を下山していく。上りよりさらに、その泥濘みに不快な気持ちを抱く。泥濘みのせいか、羽虫のような虫も多く、本当に鬱陶しい。初めての百名山でここを登ったら、登山を今のようにしていなかったかもしれないとさえ思う。ただ、つまらない私の気持ちをなだめるかのように、シャクナゲなどの花が目を楽しませてくれる。この野生植物は安達太良山の魅力かもしれない。
 そして登山口に着いたのが12時54分。ほぼ4時間ちょっとで往復することができた。とはいえ、ゴンドラが運転しているなら、是非ともゴンドラを使うべきだと思う。登山口から薬師岳までのルートにはまったくの魅力はなかった。
 ということで、25座目の百名山登頂になったのだが、おもに天気のせいではあったが最も今ひとつな登山であった。ただ膝は痛くない。ということで、登山口にあった安達太良渓谷自然遊歩道というのがあったの歩いてみた。そしたら、これが安達太良登山よりも遙かに自然美に溢れて、また登山道もしっかりと整備されていたものであった。西沢渓谷ほどではないが、これだけ簡単にアプローチできることを考えると、これはなかなか素晴らしい渓谷美である。ということで、ちょっとささくれていた私の気持ちは随分と慰められた。レンタカーに戻ってエンジンを入れたら雨が降ってきた。

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<ゴンドラは運行休止。これで往復2時間以上は余計にかかることになった>

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<スタート地点はスキー場>

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<ひどい泥濘みの中を登っていく>

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<薬師岳からは二本松市方面の素晴らしい展望が得られるが、この登山で唯一、雄大な景観が楽しめたのはここだけであった>

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<薬師岳の碑>

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<高村智恵子の句>

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<薬師岳からしばらくはしっかりと整備された快適な登山道を登っていく>

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<山頂に近づくと坂も急になる>

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<乳首とよばれる山頂の下にまでくる>

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<山頂>

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<山頂からの展望は皆無>

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<下りの泥濘み。足を滑らせ、尻餅をつく>

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<ささくれる私の気持ちを慰めてくれたのは、野生の花々であった>

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<なんだかなあ、と言う私の思いを吹き飛ばしてくれたあだたら渓谷自然遊歩道の素晴らしい渓谷美>
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駐車場だらけなのに駐車できない、という恐ろしくも馬鹿げた事態が地方都市に展開している [地域興し]

出雲市最後の夕食。しかし、まだ出雲蕎麦を食べていない。ということで、レンタカーを借りているということもあり、出雲蕎麦屋を探して出雲市駅周辺を車でうろついた。ちょっとうろついた後、駅前の道沿いに店を一軒、見つけた。さて、しかし路駐はできない。どこに車を停めていいかが分からないが、後ろに車がいるので仕方なくそのまま前に進む。東京とかだと、タイプズ駐車場のような時間貸し駐車場があるので、出雲市にもそのようなものがあるだろうから、そこに停めようと思って進むが、駐車場はあるのだが、皆、月極駐車場か、どこかの店専用のものばかりだ。ご丁寧に「当店以外の方の利用は強く、禁止します。カメラで監視しているので違反者は罰金1万円いただきます」などと書かれている。結局、駐車できるスペースがみつからないまま、蕎麦屋は遠ざかった。これだけ店専用の駐車場があるということは、おそらくその蕎麦屋にも駐車場があるということだろう、ということを理解し、また車を走らせていると再び、蕎麦屋が現れた。今度は、店の前に書かれていた地図をチェックして、その蕎麦屋の駐車場に駐車する。そして、蕎麦は無事に食べられたのだが、この蕎麦屋は中心市街地にあった。そして、周辺は駐車場だらけである。それにも関わらず、これらの駐車場の利用が制限されているので、駐車場はあっても使えない、という馬鹿げた事態が生じている。確かに商店街の店舗の多くはシャッターが閉じているので、駐車場の土地には困らないのかもしれない。しかし、それでも多くの駐車場には車は停まっておらず、都心部においてこんな土地の無駄遣いはない。商店街で共有できるような駐車場ができないのか。こんな馬鹿げたことはない、と憤慨したのだが、そこで初めて高松市の丸亀商店街が共同駐車場を整備したことがなぜ評価されていたのかが理解できた。共同駐車場という準公共物を協働して整備する、ということさえできない商店街が多いということか。もし、しかし、そんなことでも協働できないようであれば、商店街がイオンなどのショッピング・センターに勝てる訳がないであろう。

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(蕎麦屋はみつけたが駐車場が分からない)

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(シャッターが降りまくっている商店街)

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(駐車場は空いているのに駐車をすることはできない)

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「陸上生活」 [宇宙団]

全国流通していないアルバム「オトメダマ」には6曲が収められているが、驚くほど捨て曲がない。どの曲も望月志保のキラキラするような才能が感じられるが、その中でも個人的にはこの「陸上生活」には圧倒される。望月の凄いところは、キャッチーなメロディを紡ぎ出せるところと、ドラマチックに曲を展開させることができる構想力、それに若い女性の瑞々しい感性を言葉に表現できる作詞力であると思うし、それが見事に花開いたのは「ファンタジア」であるし「TOUR」であると思うのだが、「オトメダマ」の6曲の中では、この「陸上生活」がその望月の才能をもっとも集約させていると思う。「日比谷公園の木の下でお月様とにらめっこ」という展開部への流れと、その後、またメイン・テーマに戻っていくところなど、安易に用いたくはないが天才という言葉が思わず頭に浮かんでしまう。この曲は「ゲリラアリャマ」のちょっと後ぐらいで出来たようで、以前、望月は、周囲は「ゲリラアリャマ」の方を評価していたということをちょっと不満そうに話していたことがあるが、「ゲリラアリャマ」も名曲ではあるが、望月の才能の凄みを感じるのは、この「陸上生活」の方であることは確かだ。最近は全然、ライブでも演奏していないようだが、是非とも披露してもらいたいものだ。

タグ:宇宙団
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出雲市の商店街で生き残ったのは自分の店でものをつくっているところと病院だけ [都市デザイン]

出雲市駅のそばにある本町商店街に行く。土曜日の夕方であったが、ほとんどのシャッターが閉じていた。シャッターがあるところはまだましで、幾つかは既に駐車場になっていた。シャッターだらけの商店街に駐車場の需要があるのかどうかは不明だが、青空駐車場が広がっている商店街に立つと、シャッター商店街の方がまだましだと思う。都市は建物とその間の空間から構成される。建物がなくて、駐車場という建物がない空間は決して都市とはいえない。シャッターは都市を構成する建物としては、経済的に活動していない、という点からは相当、今ひとつであるかもしれないが、それでも建物がないよりはましなような気がする。
 さて、しかしシャッター商店街ではあるが、幾つかの店はまだ開業している。それらのうちの一つ、出雲蕎麦屋に入る。そして、和菓子屋にも入る。和菓子屋さんはいかにも老舗という感じなので、尋ねると、6代目だということである。一代25年と考えたとしても150年は続いていることになる。明治維新前後に開業ということだろうか。ただ、老舗の味というのに拘りはなく、それぞれの代ごとに自分達の味を追求しようとしているそうである。
 随分とシャッターが降りているお店が多いですね、と言うと、昔は随分と栄えていたそうだが、本当、寂しくなったと答えてくれる。そして、大変興味深いことを仰った。
「出雲市のあるシャッター商店街で生き残ったのは、菓子屋、蕎麦屋、麹屋といった自分の店でものをつくっているところと病院」
 このお菓子屋さんは不思議だよね、というニュアンスで言っていたが、私にはまさに正鵠を射たような発言であった。シャッター商店街のお店がつぶれたのは、二つ大きな理由があると私は前々から考えている。まず、都市の自動車化。つまり、道路を一所懸命に整備し、その過程で場合によっては、商店街などの都市の文脈を培ってきた集積を壊し、道路だらけの都市空間を作り出す。道路というのはそこで立ち止まることができないような空間である。マグロが泳ぐのを止められないように、それは都市活動にそれ自体はまったく寄与しない。都市活動を結ぶために必要悪としてつくられるものである。しかし、その本来は脇役というかサポート役の道路が、むしろ主役である都市活動が行われる土地を奪い、場合によっては破壊しているのである。さらには、このような道路だらけの都市空間ができると、自動車で人々は移動するようになる。自動車は道路だけでなく、駐車場も必要とする土地利用という観点からすれば、まったくもって非効率な移動手段である。だから、ドイツやデンマークなどは、自動車を都心部から排除しようと努力を続けているのである。また、自動車は土地利用的には非効率ではあるが、移動性には優れているので、短時間で遠くの場所へ移動することができる。したがって、都心部に商業施設が立地しておらず、郊外部に立地していたとしても大して不便ではないのである。というか、自動車社会が進むと、郊外の地理的不利が克服できるので、郊外部においてどんどんと商業施設などが立地していくことになる。あまり賢明でない自治体とかは役所や病院、大学なども郊外に立地させたがる。それで都心部が衰退しないと思う方がおかしい。
 そのような状況下で、つまり、郊外にショッピングセンターなどが立地しているような状況下であっても、都心部にお客さんを集客するのは、そこでものをつくって売っている、すなわち需要のある希少性を持ったものだけになる。どこかでつくったものであれば、敢えて都心部の店舗で販売する必要性は皆無である。その場所でつくっていてオリジナリティがあり、需要があるもの、すなわち蕎麦屋、和菓子屋、麹屋などだけが生き残れるのである。ということを、出雲市にて改めて認識した。

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大山(日本百名山24座登頂) [日本百名山]

 大山に登ることにする。単独登山である。宿泊したのは国民宿舎大山ビューハイツ。大山の夏登山口からは離れているが、この宿の有り難い点は、前日にチェックアウトさせてくれるので早朝、出発できることと、朝食をお弁当にしてくれることである。お弁当は夕食時に渡してもらった。さて、19時過ぎには夕食を終えて部屋に戻るのだが、その日は寝不足ということもあってすぐに寝てしまった。起きたら1時ちょっと過ぎ。多少、睡眠が不足はしているが、もう目はがんがんに冴えている。窓の外は月が明るく、大山の輪郭がはっきりと見える。雲一つない。これを見て、さらに目は覚め、もう無理して寝ようとすることもないと考え、溜まっている仕事をすることにした。そうしていたら、もう4時過ぎになってしまっている。窓の外をみるともう明るくなっている。これはいかん、と急いで準備をしてレンタカーで登山口にもっとも近い駐車場に行く。駐車場には10台弱ぐらいの車が既に駐車していた。朝の時間帯は寒い。登り始めるとすぐ暑くなることは分かっていても、この登り始めの寒さは意外なほどだ。速乾性のシャツに長袖、さらに念のために持ってきていたパーカーを羽織る。このパーカーがなければ寒過ぎたであろう。また、手袋も防寒用にする。ちょうど5時頃に登山を開始する。
 駐車場に隣接している登山路のようなところを何も考えずに歩き始めようとすると、同じような駐車をしていた人が「そこは登山路じゃないですよ」と教えてくれた。いきなり、大きなミスをするところであった。登山口は、大山橋を西に少し歩いたところにあった。
 登山開始からほとんど階段の連続である。大山周辺は西日本最大のブナ林だそうだが、ブナの緑がとても美しい。ここまで美しい森は滅多に見たことがないのではないだろうか。アメリカのワシントン州のオリンピック公園や、北カリフォルニアのレッドウッドの森に入ったような神聖なる森の世界に入ったかのようだ。厳かでありながら、どこか優しい。素晴らしい森であり、感動しつつ一歩一歩、標高を稼いでいく。しばらくは展望もなく、ひたすら森の中を登っていくという感じであるが、気持ちは充実している。四合目ぐらいで、日本海の青さが目に入る。そして、しばらく高度を上げると、米子市の美保の関が見える。目を見張るかのような美しさだ。日本という国土には、こんなにも美しい場所があるのか、と大袈裟でなく思わせる光景である。
 そして1時間10分ぐらいで6号目に到着する。ここは、大山の凄まじい山容と日本海の絶景を展望できる。東の方では日本海に雲海が被さっている。この景観もなかなか素晴らしい。ぶよのような虫が6合目付近には多くいて、耳を咬まれたようで、その後、ずっと痒くて困った。後で虫除けスプレーをかけたら寄ってこなかったので、これをしておくといいであろう。6合目付近からもそのまま急坂は続く。まだ日が昇っていないので木陰の中を歩いて行けるが、もう少し、遅くなり太陽がそのまま照りつけると、相当、暑くなると思われる。
 急坂ではあるが、時折、展望が開ける。その展望の素晴らしさに疲れは吹っ飛ぶ。ということもあり、標高をどんどん稼ぐことができる。八合目からは、登山路は木道になる。この沿道には、ダイセンキャラボクという常緑の低木が生えている。これらの高さは50cmから2mと低く、葉は針葉で先がとがっている。これらは鳥取の木としても指定されているようである。
 さて木道になってあっという間に山頂に着くかと思ったが意外と時間がかかる。とはいえ、素晴らしい展望と山頂が見えていることもあり、足取りは軽い。木道を歩き始めてから20分で山頂に到着する。時間は7時17分である。山頂からは360度の展望が得られる。この日は雲一つなく、その展望はひたすら素晴らしい。体調は悪くない。おにぎりを食べて、この絶景を十分に楽しんだ後、下山し始める。
 下山し始めた時は、体調が好調であったこともあり、ユートピア避難小屋まで足を伸ばそうかと思ったのだが、六合目頃には膝に疲れが来てしまい、とてもそれどころではなかった。これは、急坂であるにも関わらず、元気であったので勢いよく下山してしまったためであろう。六合目をちょっと降りると行者分かれという分岐点に着く。そこからは行きとは違う行者コースを降りる。行者コースは美しいブナ林の中を歩く、素晴らしい森林浴を味わえるコースで、また、大山の見事な北壁を望むことができる。それでいて夏登山口に比べると登山者はずっと少ない。ちょっと遠回りになるが、この道で降りてきて大正解であった。そして、9時30分過ぎに大神山神社奥宮に着き、10時ちょっと前に大山寺に到着する。
 温泉に入ろうと考え、ガイドブックが勧めていた大山レークホテルまでの4キロの距離をレンタカーを飛ばすと、日帰り温泉のサービスはもう止めたそうである。それではどこに行けばいいかを尋ねると、豪園湯院がいいとのこと。ここは私がレンタカーを駐車していたところのそばだ。なんかえらく無駄骨だなと思いながら、再び大山の登山口の方まで戻ると豪園湯院は11時から開業だったので、ちょうど開業直後に入ることになった。ということで、それほど無駄骨ではなかったかもしれない。豪園湯院はなかなかいいお湯で、疲れも吹き飛んだ。
 単独登山では最もチャレンジングな挑戦であったが、膝が痛くなったことを除けば、ほぼしっかりとやり遂げることができたのではないだろうか。ちょっとだけ自信となった。

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(登山口の駐車場に到着する。4:48)

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(登山口の駐車場の前にある道を登山道と間違えて登り始めそうになる)

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(厳かな朝の空気の中を歩き始めていく)

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(一合目。5:11)

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(登山道はしっかりと階段として整備されている)

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(二合目。5:17)

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(三合目。5:41)

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(徐々に朝日が森を照らし始める。5:44)

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(四合目。5:51)

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(四合目から後ろを振り返ると、息を呑むような日本海の絶景を観ることができる)

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(五合目。6:03)

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(日本海の絶景)

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(六合目。6:18)

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(朝日を浴びる大山の絶壁)

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(六合目をちょっと登ったところから展望する日本海の絶景)

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(七合目。6:33)

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(米子市の展望)

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(山頂へと最後のアプローチは木道が続く。6:57)

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(木道の両側にはダイセンキャラボクが展開する)

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(大山の頂上へ2時間ちょっとで着く。7:17)

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(頂上から弥山の方を望む)

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(頂上から美保の関を望む)

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(素晴らしい景観の中を下山し始める。7:35)

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(六合目に着く。8:22)

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(行者コースを降り始める。8:39)

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(行者コースのブナ林の木漏れ日の中を歩く)

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(大山の素晴らしい北壁を展望する。9:12)

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(行者コースの気持ちよい森の中を歩いて行く)

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(大神山神社奥宮。9:44)

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(大山寺。10:00)
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島根と鳥取でいろいろと考える [地球探訪記]

 3泊4日で島根と鳥取を訪れた。最初の2日はセミナーに参加したのだが、3日目は午前中には足立美術館に行き、午後には鳥取県の江府であいきょうの安達社長を訪れ、たいへん貴重な話を聞くことができた。そして4日目は午前は大山に登り、午後は境港に行き、水木しげるロードを視察し、美保の関を訪れ、さらに出雲で蕎麦を食べようとしたため、地方の自動車社会の非効率を身をもって体験することができた。この4日間で、随分と学ぶことができたのではないかと思う。それらに関して一挙に書くのは大変であるのと、読む方も大変であると思われるので、適宜、分割してこのブログでもまとめていきたいと思う。それらは、次のようなことである。
・出雲市のあるシャッター商店街で生き残ったのは、菓子屋、蕎麦屋、麹屋といった自分の店でものをつくっているところと病院
・出雲市の中心市街地はほとんど道路と駐車場。それにも関わらず、これらの駐車場の利用が制限されているので、駐車場はあっても使えない、という馬鹿げた事態が生じている。
・水木しげるロードはせっかく、ボトムアップで成功しているのに行政は道路を拡幅することでそれを台無しにしようとしている。まさに愚策中の愚策とはこのことではないだろうか。
・境港で一番、評価が高いお寿司屋さんに行くが、たいへん今ひとつであった。外食のレベルがコスパを含めて、地方と東京との格差が本当に大きくなっていると思う。地方で美味しいグルメなどというのは、京都や大阪や一部を除くともはや幻想なのではないだろうか。
・景観をつくるのは屋根、と看破したのは伊藤滋先生だが、日本の風土に合った景観をつくる屋根は瓦であると思う
・山陰地方は日本でおそらく最も景観が美しい地域なのではないだろうか。それをどんどんと壊そうとしているのが、土木行政が邁進している道路事業という悲劇。
・足立美術館の庭園が美しいのは、借景である周辺の山々が美しいからである。
・足立美術館はちょっとぼったくり商法なのではないだろうか。
・あいきょうの安達社長は素晴らしい。こういう人が地方の衰退を阻止しているのだが、個人の力だと限界がある。それを補完できるのは行政だけだが、その行政が期待できない。しかし、ここで行政が対応できないと地方は本当に消滅してしまうであろう。
・あいきょうの移動販売の魚の方が、農協の魚より遙かに新鮮であるという不思議。というか、農協コープは競争力がなさすぎるのかもしれない。
・過疎集落において必要なものは買い物の場であると同時に、コミュニティが出会える広場のような機会。これはオンライン・ショッピングでは決して提供することはできない、という話。
・大山の大自然は本当に素晴らしい。日本にもこのようなしっかりとした国立公園と豊かな生態系保全の仕組みがあることに大変、感銘を受ける。
・大山の登山は快晴に恵まれ、ちょっと忘れられないような感動を覚えた。
・工務店の人達は、街をつくるうえで重要な役割を担える可能性を有している。
・動物園のマイクロ・クライメットをしっかりとデザインしたら、動物が元気に行動するようになって動物園の来場者も増えたといういい話。
・小泉八雲の偉大さを松江にて知る。
・松江の都市の質の高さに驚く。しかし、それを壊すような道路拡幅工事も進んでいる。
・オリジナルの天守閣が残っている都市は本当に幸いである。しかし、その松江でも天守閣は壊される風前の灯火であった。
 ということで、ざっと整理してみても18ぐらいのブログのネタになるようなことを徒然と思っている。なるべく文章にまとめるようにしたいところである。

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『バッキンガム・ニックス』 [ロック音楽]

1973年に発表されたスティーヴィー・ニックスとリンゼイ・バッキンガムのコンビによる作品の紙ジャケによる復刻版。告白するのが恥ずかしいが、私は実は高校自体、フリートウッド・マックには相当嵌まっていた。今でもニックスの「ランドスライド」、「ドリームス」、「サラ」やマックヴィーの「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」などは実は好きだ。今、振り返れば70年代の典型的な郊外ロックではあるが、まあ日本の高校生はその頃のアメリカン・ロックはみな、格好良く聞こえていたのである。ちなみに、あまり認めたくはないがスティックスとかもよく聞いていた。
 さて、それはともかく、そういう高校時代を送っていた私は当時、当然、この『バッキンガム・ニックス』を頑張って手に入れていた。ただし輸入盤であった。結構、苦労して探し出してきたような気がする。日本版で発売されていたのかどうか不明であるが、このCD版は日本版では初めて発売されていたのではないだろうか。そういう意味ではフリートウッド・マックのファンは勿論のこと、私のように昔のファンにとっても有り難い復刻版ではないかと思われる。
 その内容であるが、オリジナルの10曲に加えてなんとボーナスが11曲も入っている。素晴らしいサービスぶりである。オリジナルの方も「ファンタスティック・マック」にも収められた「クリスタル」は勿論のこと、1曲目のNicksのCrying in the Night, 8曲目のRaces are Run(同Nicks)、6曲目のBuckinghamのDon’t Let Me Down Again、9曲目のLola(同Buckingham)などは名曲であり、これだけでも買う価値はあるかと思われるが、さらにボーナスには「リアノン」のライブやミラージュに含まれることになる「That’s Alright」なども収録されていて、まるで二枚組のような充実さだ。
 この40年も前に録音された、その後、押しも押されもせぬスーパーグループとなるフリートウッド・マックのコアとなる二人のこのアルバムを改めて聴くと、スティーヴィー・ニックスのソングライティングの才能の凄まじさと決して耳に心地よくない個性的なしゃがれ声が印象に残る。また、ピックを使わないバッキンガムのギター・スタイルと、彼のブルースとカントリーをヒュージョンさせたロック・スタイルはこの時点でほぼ確立されているのかも確認できる。
 しかし、発売されてからこんなに時間が経って日本版のCDが入手できるとは思わなかった。マックの新譜を買う気はほとんどないが、このCDは何も考えず即買いしたが正解であった。

バッキンガム・ニックス (生産限定紙ジャケット仕様)

バッキンガム・ニックス (生産限定紙ジャケット仕様)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ヴィヴィド・サウンド
  • 発売日: 2017/03/29
  • メディア: CD



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夜叉神峠を生まれて初めて訪れる [地球探訪記]

 水曜日からロンドンに行く予定であったのだが、流石に最近の仕事の多さで疲労が溜まり、体調が今ひとつであったのと、行かないことの損失がそれほど大きくないこともあり(行った方がいいことは明らかではあったが)、思い切ってキャンセルした。しかし、水曜日と木曜日と静養したら金曜日になって元気になったので、せっかくの梅雨の晴れ間ということもあったのでレンタカーをして夜叉神峠に行くことにした。
 夜叉神峠は高校一年生ぐらいから行きたいと思っていたのだが、これまでそういう機会がなかった。というか、そのような機会をつくろうと一所懸命に努力しなかったのかもしれない。実際、今日は思いつきで朝7時にレンタカーをして、夜叉神峠に向かったら家を出て3時間後には夜叉神峠登山口に着くことができた。
 さて、夜叉神峠登山口にはしっかりとした駐車場が整備されており、金曜日ということもあって、10時30分という遅い時間でも余裕で駐車することができた。簡単に着替えをして、登り始める。登山道は大変しっかりしているが、出だしはなかなかの急坂だ。体調が今ひとつであったこともあり、すぐに息が上がる。さて、登山道沿いには針葉樹のカラマツと広葉樹のミズナラやコナラが交互に現れる。新緑が美しい。クマザサを切り開いたような登山道をジグザグに進み、夜叉神峠には歩き始めてから1時間ぐらいで着いた。ここからは、白峰三山が展望できる筈だが、雲で出ており、私が観られたのは(おそらく)北岳のみであった。とはいえ、その展望は息を呑むような美しいものであり、来た甲斐はあったと十分思わせるものであった。30分ほど登ると高谷山に行けるので、そのまま行く。高谷山への登山道もよく整備されていて快適であった。高谷山からは北岳が展望できる。ただ、山頂は雲に覆われており、たまに山容の一部が見えるだけであった。天気は素晴らしかったが、南アルプスの展望にはそれほど恵まれなかった。今日はおにぎり弁当をつくってきたので、ここでそれを食べる。ハエが意外に多くいて、ちょっと紛らわしかったが、空気が美味しいので自分で握ったおにぎりでさえ美味しく思える。
 その後、そのまま下山をして駐車場に着いたのは13時ちょうどであった。休憩ありで往復2時間30分かかった。その後、芦安温泉のどこか日帰り温泉で汗を流そうとしたが、平日ということもあってどこも閉まっているようであったので、帰路の道沿いにあった白根温泉というところに寄る。そして、都立大学の自宅には16時30分頃に戻れていた。休日だとこうは行かないかもしれないが、平日に思いもかけず休みができたのを、上手く活用することで、高校一年の時から訪れたいと思っていた夜叉神峠にようやく来ることができた。38年ぶりの悲願達成である。というか、ちょっと頑張ればいつでも達成できた悲願であると思うのだが、これで死ぬ時に後悔することが一つ減ったかと思うと嬉しい気持ちである。

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<スタート地点となった夜叉神峠登山口の駐車場>

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<美しい広葉樹の中を歩いて行く>

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<夜叉神峠の看板>

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<夜叉神峠から白峰三山(おそらく北岳)を望む>

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<看板と南アルプスの山々>

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<夜叉神峠から高谷山への登山口から望む南アルプスの山々>

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<高谷山の山頂の看板>

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<高谷山から北岳?を望む>

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<甲府盆地を望む>

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<針葉樹のカラマツと広葉樹の森の中を下山する>

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<登山道沿いにシダが生い茂っていた>

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<登山道沿いにブーゲンビリアのような花が咲いていた(もちろんブーゲンビリアではない)>
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ウォリアーズ、キャバリアーズ第三戦をネット観戦する [スポーツ]

 ウォリアーズは3年連続、NBAファイナルに進出した。そもそも、プレイオフに3年連続出場するということだけでも90年代のファンからすれば信じられない偉業なのに、ファイナルに3年間出るなんて信じがたいことだ。しかもプレイオフの試合では負けなしでファイナルにまで来ている。2000年-2001年のシーズンではシーズンで17勝しかできていないことを考えられると、現在の強さは信じられない。
 さて、しかし、個人的には今年のウォリアーズには関心を失ってしまっていた。というのもケヴィン・デュラントが入ったウォリアーズはあまりにも強く、試合を観ていても一方的過ぎて面白くなくなってしまったからだ。一昨年のように、奇跡的な逆転劇が少なくなってしまった。試合を観ても「手に汗を握る」ということがなくなってしまったのだ。まさか、ゴールデンステート・ウォリアーズのファンをしながら、こんな贅沢な気持ちになれるとは思っていなかったが、それが正直な私の今の状況である。
 案の定、プレイオフの試合も私が応援せずとも負けなしで12連勝、さらにキャバリアーズとのホームでの2試合も連勝して、14連勝。そして、今日の試合を迎えた。
 さて、しかし、もしウォリアーズがこのプレイオフで負けるとしたら今日か明日であろう。ということで、体調を崩して海外出張を取り止めて時間が余ったということもあるが、今日は思い切って全試合をインターネットで観戦することにした。
 第一クォーター、第二クォーターはシーソー・ゲーム。第一試合では不調のクレイ・トンプソンの調子がよいが、それにもましてレブロン・ジェームズが獅子奮迅の活躍をしており、ハーフタイムでは67対61でウォリアーズの6点差。ハーフタイム終盤でのパチューリアのボーンヘッドがなければ二桁差で終わったかもしれない。後半はいきなり、キャバリアーズがアービングを中心に責め続けたこともあり逆転される。そして、これまでの二戦ではウォリアーズが突き放せた第3クォーターでキャバリアーズに5点リードされて終了する。第4クォーターでもキャバリアーズは突き放しにかかったが残り5分まで、それ以上の点差を広げられることはなかった。ここらへん、ウォリアーズは憎たらしいほどの強さだ。横綱のようである。そして、試合終了まであと数分というところでプレッシャーに弱いとこれまで批判されていたケビン・デュランがジェイムスの守備をかわして3ポイントを決め、その後のフリースローもしっかりと入れて逆転をする。そして3点差でまだ同点の可能性のあるラスト・プレイでイグオダラがジェイムスを押さえて見事、勝利をたぐり寄せることができた。
 ここまで来たら、もう総てのプレイオフの試合をスイープの16勝0敗で優勝してもらいたい。とはいえ、つくづく長生きするものだと思わせる、20年前どころか10年前でさえ嘘のようなウォリアーズの強さである。


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『帰ってきたヒットラー』 [映画批評]

この映画は凄い。2012年に著された小説をもとに2015年に映画は公開された。ヒットラーというドイツ最大のタブーを直視しない「ポリティカル・コレクトネス」を意識し過ぎていることで、ドイツ社会はむしろ欺瞞的になっていることを風刺する、という視点が極めて刺激的であるが、何より、現在のトランプのアメリカの状況を予言しているかのようなストーリーに引きずり込まれる。映画の最後の方で「私を選んだのは国民である。選挙をやらないとでも言うのか」とヒトラーが語るのだが、それはまさにトランプ大統領を選んだアメリカのことを示唆しているかのようである。トランプのハチャメチャから目が離せない私は、そういう視点でこの映画を見て大いに楽しませてもらったが、そのような問題意識がない人にとっても単純に楽しめるようなストーリー展開になっており、見て決して後悔しないであろう。個人的には久しぶりの大ヒットであった。

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  • 出版社/メーカー: ギャガ
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