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韓国の都市デザインは都市デザイン後進国日本のはるか先を行っている [都市デザイン]

韓国の都市デザインをめぐる状況はなかなか華々しい。チョンゲチョン川というインパクトが極めて強烈なプロジェクトを企画、実行し、そして当初の予測を越えた大いなる成果を得たことで、都市デザインという手法への信頼、その手法をしっかりと精進させることが重要であるという考えが共有されつつあるのだと思う。都市デザインの価値がなかなか理解されずに、それへの投資が過小にしか行われず、都市デザイナーという職能が成立するかどうかが議論されている日本とは雲泥の差である。もちろん、そのような状態であるから、韓国はチョンゲチョン川を始めとした素晴らしい都市デザインプロジェクトが実現されているが、日本ではそのような都市デザインのプロジェクトが見られない。相変わらず、デベロッパー主体、公共投資型の20世紀型の都市開発から抜け出られていないのがこの国の現状である。韓国の方がはるか先を進んでおり、都市デザインに関しては日本は後進国であると判断するしかない状況にある。

さて、先日、都市デザイナーや建築家との会合に参加していた。そこで、この韓国の都市デザインがいかに凄いか、という話で盛り上がった。私もソウルにてチョンゲチョンや北村の歴史建造物の保全の考え方、さらに緑の回廊を南北につくるといった構想の壮大さと大胆さ、そして計画の戦略性、綿密さに大いに感心したことがある。さらに、最近、元ソウル市長で現在、大統領である李明博の本『都市改造』を読んだりしているので、その崇高なる都市デザインの理念にも感銘を受けている。韓国の「先進国」ぶりに、感心しているので、興味深く、彼らの話を聞いており、ときたま話にも参加していたのだが、そのうちその会話の内容に違和感を覚えてきたのである。というのは、団塊の世代の主張の強い委員が「都市デザインに力が入れられているのは発展途上国の証である。日本はその時期が過ぎて、ヨーロッパと同じように成熟の時代に入ったので都市デザインが顧みられないのはある意味、豊かさの証拠である」といった意見で韓国の都市デザインの隆盛、そして日本のそれの衰退をまとめてしまおうとしていたからである。私は、これでも場の雰囲気を大切にする気持ちをもっているので、そこで「馬鹿じゃないの」と反発するようなことはしなかったが、その我田引水というか分析能力のなさに呆れ果ててしまったのである。そして、そういう気持ちを自分の心に閉まっておくほどは人間が出来ていないのでこのブログに記しているわけだが、この意見は2つの点から状況認識の誤りがあると考える。1点目は、韓国が発展途上国であるから都市デザインが盛んであるという意見。まず、韓国のようにオンラインゲームと韓流ドラマというソフト産業で外貨を獲得し、サムソンのように日本の製造メーカーをアジア市場で蹴散らすことに成功した企業を擁する国を今でも発展途上国で捉えられる先入観、教養の無さには呆れるほかないが、発展途上国だから都市デザインが盛ん、という考え方は間違っている。ブラジルのクリチバが凄いのは、発展途上国であるのに都市デザインに力を入れられたからである。インドネシアの大都市でどこに都市デザインの素晴らしいプロジェクトを探すことができるのか。マカッサルで仕事をして感じるのは、都市計画におけるデザイン的な考え方のなさである。同様のことはタイやマレーシアでも感じる。建築家による単眼的な興味深いプロジェクトはあっても、クリチバの花通りやソウルのチョンゲチョンのように、いわゆるケビン・リンチのグッド・シティの条件であるアクセス、活力、センス、コントロール、フィット(適合)という5つの視点から包括的に考えられていると思わせるような都市デザインのプロジェクトは皆無とは言わないが、極めて少ない。発展途上国であるから都市デザインが盛んというのは嘘である。土木的な公共事業からデザイン的な価値を有する事業へとシフトしていくことこそが、むしろ発展途上国から脱却した証である。高速道路といった機能優先の空間から人々が憩える河川公園空間へとシフトしたソウルは、そこで発展途上からまさに成熟した都市へとレベルアップしたことを内外に知らしめたのである。相変わらず日本橋の上を汚い高速道路が覆い、その撤去の代替案が日本橋川の地下に道路を走らせるといったことしか考えつかない東京に比べると、なんと「先進的」な考えなのであろう。2点目は日本の都市デザインが流行っていないのは、ヨーロッパと同様に成熟した都市となったからである、という意見で、確かにヨーロッパの都市は成熟しており、都市デザインのプロジェクトはがあまり多くない。しかし、ヨーロッパの都市は一方で都市開発をしっかりと規制しており、都市のDNAを次代に継承しようとしている。ある意味で、ヨーロッパの都市デザインは都市空間を変えない、ということなのである。日本の都市のようにお城の隣に高層マンションをつくったり、ドンキホーテやはるやまのような美的センスの皆無の巨大な看板が平気で設置されたり、郊外の幹線道路沿いにラブホテルの淫靡なネオンが煌々と輝いていたり、東京のようにスカイスケープをデザインするという発想のなさからどこにでも高層マンションが林立したりするような無秩序な都市空間がヨーロッパのどこと似ているのか。このような高層マンションが公共性の高いところにでも平気でつくれるのは、成熟していないからではないのか。日本の場合、都市デザインのプロジェクトが少ない、というのはヨーロッパと同じ理由からでは決してない。成熟しているなら、ヨーロッパのように「維持」という都市デザインが機能すべきであるのに、それが為されていない。

日本は戦後、発展途上から経済成長していくうえで、他の発展途上国がそうであるように都市デザインに力を入れることはなかった。そして、発展途上段階から、都市の公共の豊かさをもたらす都市デザインに力を入れるべき移行期間に、バブルの崩壊が起きて混乱した。経済的には成長率も鈍化し、高齢化も進み、もはや成熟化しているのだが、ヨーロッパの都市のように、次代に継承すべき公共空間をしっかりと都市デザインで守っていく、という考えを共有するほど人々の意識はまったく成熟化していない。相変わらず、不動産投資で儲けようという、都市という公共空間を私有化するような発想から抜け切れていない。まさに、その点では未だ発展途上の状況にある。すなわち、日本はまだ都市デザインによって、機能重視の都市をアメニティ重視の都市へシフトできていない段階にあるのだ。都市デザインをスーパーマリオブラザースのゲームに例えていえば、ソウルはチョンゲチョンという技で一気にレベルが3から8ぐらいまで上がったが、東京は未だにレベル4をクリアできないでいる状況にあるようなものだ。ヨーロッパは守るべき都市空間を維持するだけ、というスーパーマリオブラザースのゲームを既に「あがった」ような状況にある。そして、日本の都市がどうして駄目なのかというと、テレビゲームでいえば、都市デザインというゲームのルールをしっかりと理解していないからだと思われる。なぜ、都市デザインが必要なのか、どのような効用があるのか、どうすればうまくいくのか。それが理解できていない。私は「比較都市政策論」といった留学生対象の講義を持っているが、そこで韓国の留学生がまとめた「ソウルの都市デザイン政策の検証」というレポートの質の高さ、分析の視点の高さに大いに感銘を受けたことがある。それは、彼が優秀であったこともあるが、そういう考え方を都市計画が専門ではない一般的な学生でも習得できるような社会の都市政策リテラシーの高さを私はそのレポートから感じ取ったのである。私がクリチバに興味をもち、チョンゲチョンに大いなる感銘を覚えるのは、日本よりはるかに状況的に厳しい、いわゆる日本より「発展途上」であると人々が捉えている都市や国でも、やりようによっては優れた都市デザインが実践できること、そしてそれによって大いなる成果が得られることを人々にも理解してもらいたいからである。クリチバやソウル市民は、東京都民よりもはるかに都市デザインに関して高い見識を持っており、都市政策への見方もしっかりしていることは間違いない。クリチバに関しては、この点は検証もしているし、ソウル市民も留学生を通じて私はそう思わざるおえない(私の大学に留学する韓国人の学生は、トップクラスの学生ではないが、それでもこれだけしっかりしているというのはソウルの懐の深さを感じざるおえない)。だから、この団塊世代の委員が「発展途上国だから都市デザインが盛んで、日本は成熟国家だから盛んじゃないのは当たり前」的な意見にはとてもじゃないけど同調できないのである。日本はしっかりとした都市デザイン事業ができないからこそ、社会は成熟しても先進国になれないのである。その理由として、都市デザイナーの仕事の少なさ、社会的位置づけの低さ、それを要因とした都市デザイナーの質の悪さ、なども挙げられる。問題は豊洲やお台場など最近開発された都市空間の都市デザインがソウルなどに比べてもはるかに劣っていることである。そのうち、アジアの建築、都市デザイン専攻の学生は日本の大学ではなく、韓国に留学することになるであろう。大学関係者は、そういう危機的な状況にあることを認識した方がいい。


都市伝説 ソウル大改造

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  • 作者: 李 明博
  • 出版社/メーカー: マネジメント社
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本



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