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玉電砧線の廃線巡りをする [地域興し]

ゼミ生達と玉電砧線の廃線巡りをする。玉電砧線とは、玉川電気鉄道砧線のことで、これは二子玉川園(現在の二子玉川駅)から砧本村まで1924年から1969年まで走っていた。二子玉川から砧本村までわずか4駅、距離として新玉川線(現在の田園都市線)の計画に伴い、砧線は玉川線とともに廃止が決定される。ここで、世田谷線は生き残る訳だが、その理由は、世田谷線は複線だったが砧線は単線だったからだそうだ。しかし、今、砧線が残っていたら、その後宅地化した沿線地域にとっても、また多摩川の行楽等にも活用できた素晴らしい地域資源になったであろうと考えると、当時の判断に悔やまれる。

とはいえ、現在でも玉電砧線の名残があちらこちらでうかがえる。私のゼミに「鉄道オタク」が一人いて、彼がいろいろとガイドをしてくれたのだが、大変、興味深い街歩きとなった。砧線の一部は「砧線跡地歩行者自転車道」という名称の歩道となっている。停車場の跡地は歩道の幅が広くなっているなど、いろいろと発見することも多い。使われていた線路を使用したガードレールなどもあり、多少は、この地域の記憶を都市デザインに残そうという試みがされているのがうかがえるが、こういうのが大好きなドイツから帰国してまだ時間がそれほど経っていない私からすれば、もっとすればいいのにと思わずにはいられない。

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(線路を使用したガードレール)
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(当時の鉄道柵が今でも残っている場所もある)
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(駅があった場所を示すタイル)

その後、郷土史家であり、鉄道オタクではないのだが、玉電ファンの蕎麦屋大勝庵のご主人にいろいろとお話を聞かせにもらいにいく。この大勝庵は、鉄道ファンには随分と有名な店らしく、なるほど、店内には玉電グッズを始めとした主に東急グッズに溢れている。玉電の運転台まで置かれていて、うちの鉄道オタクのゼミ生はそこに座ってご満悦の様子であった。このご主人はお話もとても面白く、いろいろと興味深いことを聞かせてもらった。個人的には、ここらへんの土地成金は皆、どん百姓で、中学時代は「どん百姓」と苛められて肩身の狭い思いをしたことや、その当時、貧乏で牛乳瓶の函がある家が羨ましくて、今、そういう類のものを収集しているといった裏話が特に興味深かった。収集家になる人の背景、理由はいろいろなものがあるのだろうなと類推する。

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(大勝庵の店内にある運転台)
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(大勝庵のご主人)
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(ご主人と記念撮影)
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