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原発に依存しないと利益を出せない九州電力は市場から撤退すべきだ [原発問題]

川内原発の再稼働が秒読みだ。2014年度の中間連結決算では、電力大手10社のうち九州電力だけが純損益が赤字であった。その結果、「原発が四基あってこそ収支は安定する」と瓜生社長は記者会見で語ったそうである。

福島の原発事故を受ければ、常識的には原発に依存できないようにビジネス・モデルを再構築すべきであろう。事故が起きて3年経っても、そのようにモデルを改変することに力を入れず、再生可能エネルギーは購入しないなどと福島の原発事故以前のビジネス環境に拘泥している。今回の赤字も「川内原発が昨年、玄海原発が今年には再稼働すると想定」したことによって生じた経営判断ミスに基づく。旧態依然のビジネス・モデルに拘泥し、ポスト福島のビジネス・モデルを構築しようとしなかった、怠慢経営のゆえの赤字である。こんな企業の利益を出すために、なぜ、原発を再稼働し、周辺住民そして将来の日本にリスクを負わさなくてはならないのか。どう考えてもおかしくないだろうか。そもそも九州電力が、再生可能エネルギーの受け入れ手続きを中断している理由は、太陽光エネルギーだけで夏の最大需要を上回る発電が見込めてしまうからだ。これって、原子力発電がなくても電力需要を満たせるということではないか。つまり、原発が必要なのは、電力需要を満たすためではなく、経営的に九州電力にとって都合がよく安く発電できるためだけにしか過ぎないということである。さて、しかし、原発が九州電力にとって安いのは、放射能廃棄物の処理費用や事故時の処理費等を計算していないからである。事故は起きないかもしれないが、放射能廃棄物は確実に出る。その処分場所も処分方法も分からないのに、再稼働というのはあまりにも無責任であるし、そのような原発がなくては利益が出ないような会社なら市場から撤退すべきであろう。九州電力の原発の割合は福島前で39%。四国電力は49%であったが黒字だ。経営努力が足りないことを棚に上げて、原発再稼働という安易な道を突き進もうとする姿勢が明らかで、こういう会社が電力を独占していることに、怒りより悲しさが先に出る。

川内原発が立地する薩摩川内市原子力推進期成会は、「原発停止でホテル、旅館、民宿業はもとより、サービス業、バス・タクシー業など関連業種の売上げ減少などの影響が拡大する」と原発を再稼働させようとしているが、そもそも原発に依存したビジネスを今でも続けようとしていることが問題ではないだろうか。パソコンが普及し、タイプライターの需要がなくなったら、タイプライター製造会社は他のものをつくろうとするだろう。デジタル・カメラが普及したら、カメラ・フィルムをつくっていた会社は違うものをつくるようにするだろうし、フィルムの現像屋は違う仕事をするであろう。経済とは、そういう環境変化に対応することによって進化してきたし、我々の生活も豊かになってきたのである。環境変化に対応できないものは、生物もそうであるが経済主体も滅びるのである。もう得られる見込みが少なくなった既得権に、何いまさら、しがみついているのだ。もう事故から3年経っているのである。原発の職員が泊まる宿を経営していたら、福島の事故後、経営方針を変えることなどあまりにも当たり前なのではないか。ビジネス環境の変化を読む能力がなければ、経営が行き詰まるのは当然だろう。それができなければ倒産というのは、ビジネスの常識である。というか、再生可能エネルギーでも十分に経済がまわるというのはドイツで証明済みである。再生可能エネルギーは地場のエネルギーであるため、地域経済をも潤す。マーケットのニーズが変化したら、その新しいマーケットに対応したビジネスを展開するというのは、基本中の基本ではないだろうか。こんな考えをしていると、デトロイトの自動車産業のような目に遭うだろう。遭わないと思っているのは、競争がないからだと勝手に思っているからだ。さすがの自民党も、電力会社の独占という状況を打破させるような政策判断をすると思われる。なぜなら、世界がそういう潮流にあるからだ。

原発もそうだし、道路をはじめとした公共事業もそうだが、そのような上から降ってくるおこぼれに依存している地域はこれから衰退の道を辿るだけだ。福島原発に依存していた双葉町も、事故が起きる前から既に、交付団体へと転落してしまった。双葉町は1982年には財政力指数は2.02を記録したが、交付年限を区切っていた発電所関連の交付金が打ち切られ、固定資産税収入も低下した1990年には財政力指数が1.0を下回り、交付団体に転落した。原発や道路などの公共事業は、数年間は金銭的な恩恵にあずかれるかもしれないが、長期的なものではないし、その経済的なモデルは、あたかも雛鳥が餌をもらうようなもので、まったくもって経済的に自立性がなく脆弱である。親がいなくなればすぐ飢え死にするし、せいぜい、ピーピーと鳴くくらいのことしかできない。薩摩川内市の人達は、本当にこういう経済が自分達を幸せにすると思っているのだろうか。ちょっと、情けなさ過ぎないか。というか、将来の世代に犠牲にするほどのものではないのではないか。在りし日のおこぼれに拘るより、未来に向けて新しい経済を構築することこそが、地域が生き残るための極めて重要な条件だと思う。

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