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なぜ、日本人は太陽光エネルギーより原発が好きなのか [原発問題]

1973年のオイルショック以降、世界は脱化石エネルギーの道を模索する。それは大きく2つに分けられるであろう。1つは新エネルギーの道で、もう1つは原発への道である。日本は後者の道を歩むことになるが、それはいろいろな点から興味深い。そのうちの1つとして、日本人は太陽光エネルギーのパイオニアであったことがある。世界初の「アモルファス太陽電池」の実用化に成功したのは、三洋電機の中央研究所である。通産省の官僚達も、新エネルギーの開発に当時は熱心であった。その研究開発官は、その後、ベストセラー作家となる堺屋太一であった。
 しかし、その後、新エネルギーの予算は減少し、替わりに原発が本命となる。堺屋は、「小型分散型の太陽光技術は理解されなかった。経済成長が続いており、だれもが巨大化や集中化が良いと考えていた」と回想する(東京新聞。2015/11/25)。
 当時の首相であった田中角栄は「電源三法」を成立させ、利用者の電気料金に上乗せして原発誘致する自治体に、補助金というお土産をつけられるようにした。これが、原発利権を生み出し、多くの政治家をそれに群がってくる。これは、自然エネルギーと原発との大きな違いである。自然エネルギーは「票にも金にもならん」(当時建設大臣の亀岡高夫氏)のであった。
 そして、その後、原発は急拡大し、自然エネルギーは、日本が技術先進国であったにも関わらず、低迷。国の予算も原発の約14兆円(2011年まで)に対して、太陽光エネルギー関連は1兆円。
 デンマークはオイルショック以降、原発ではなく新エネルギーを選択する。原発で行くことを止めた判断をしたのは、チェルノブイリの1年前であった。そして、チェルノブイリでもブレーキがかけられなかった日本は、福島の事故を迎える。しかし、それでもブレーキがかけられず、目の前の利権に今でも群がり続け、第2の福島の事故が起きる下地を整地しつつある。
 私は利権をもったことがないので、利権の旨味を知らない。したがって、国の将来を犠牲にしてまでも手放せないという心境がまったくもって分からないのだが、随分と美味しいのであろうな、とその執着心の強さをみるにつけ、最近は思ったりもする。

タグ:原発 利権
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