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藤原新也の景観についての文章を読み、ちょっと考える [グローバルな問題]

 藤原新也の『たとえ明日世界が滅びようとも』の中に景観について、非常に示唆的なことが書かれていたので、ここで備忘録も兼ねて、奇特な私のホームページの読者の方々とも共有したいと思う。
 それは藤原新也がまだ軍事国家の韓国を訪れた時の印象論なのだが、彼はこのように記している(pp.115-116)。
「(中略)私の旅の経験からするなら、この軍事国家と言われる国、あるいは独裁国家ほど旧来の文化が根強く残っている国家もない。
 このことはビルマにおいてもイランにおいてもキューバにおいても同様のことが言えた。
 そして皮肉なことに、その独裁国家、あるいは軍事国家が瓦解し、資本主義化され民主化されることによって旧来の民族文化や人々の営みや自然な風景は急激に破壊され、世界のどこに行っても金太郎飴のような同じような平準な世界に成り代わっていく。
 (中略)
 私は軍事政権や独裁政治を肯定する意味で言っているのではなく、こういった国家には資本主義的な拡張や成長の論理が優先しないだけに旧来の文化が居残るという側面があるという事実のことだ。
 したがって金正日の逝去に際して私が思うのは、彼の死によって行く行くこの国が西側の経済構造、あるいは民主主義というイデオロギーに取り込まれたとするなら、「風景は速やかに崩壊する」だろうということである。

 ヴァーナキュラーの景観は、地球上どこにいっても人々の心を打つ。そのヴァーナキュラー性はしかし、グローバル化が進展することで徐々に失われていく。日本の地方の景観を無個性で醜悪なものに変容させたのは、成長という企業の経済論理である。
 フィデロ・カステロが逝去した。私は8月末にハバナを訪れ、思ったほどヴァーナキュラーでは既になくなっていたことに多少、落胆したが、さらに少しでも残っていた風土的特徴も今後、失われていくのかもしれないなと、この文章を読んで思わせられた。

たとえ明日世界が滅びようとも

たとえ明日世界が滅びようとも

  • 作者: 藤原 新也
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2013/08/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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