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吉本ばなな『下北沢について』 [書評]

吉本ばななの『下北沢について』を読んだ。さすが、作家だけあって鋭い感性と観察力をもってして下北沢の本質的な魅力、価値に気づき、それを彼女の皮膚感覚によって表現している。ジェイン・ジェイコブスが『アメリカ大都市の死と生』で、マンハッタンのグリニッチ・ビレッジやボストンのノースエンドなどで発見したのと同様な都市の根源的な魅力を、吉本ばななは下北沢を観察することで見出している。ちょっと幾つか印象に残った文章を引用させてもらう。
「下北沢のにぎわいは若い人が未来を作るためのものであって、地に足の着いた生活の買物のための大人のにぎわいではなかった」(p.12)
「しかし、子どもができてみると、どこに行くにもその大きな通りを越えなくてはならない生活の規模が自分にとって大きすぎるように思えてきた。赤ちゃんを連れて大きな通りを毎日ベビーカーであるいは抱っこであわてて渡り、スーパーに行く日々。
 一見とても便利だし、もともと車で移動することの多い土地の人にはなんでもないことなのだろうけれど、なんでもかんでもすぐそばにあって徒歩か自転車ですんでしまう下町で育った私にとって、持っていた体の感覚にその暮らしが合わなかったのだろう。
(中略)子どもが小さい頃くらいは自分が育ったような商店街のあるところで暮らしたいな・・・と思った私は、下北沢南口にほど近い代沢のはずれに引っ越すことを決意した。
 すぐそばが商店街なわけではなかったが、子どもを連れて歩いていける範囲に商店街があり、そこには基本的に車が入ってこないというのがいちばんよかったところだった」(pp.23-24)
「それは上馬ではできない経験だった。なんといっても昼間人がいない街だったからだ。
 下北沢は昼間も人が歩いているし、夜になっても人が絶えることはない」(p.30)
「画一的な接客はつまらない。同じような感じのお店にばかり行ったってなにも空気が動かない、自分の中の子供が退屈してしまう」(p.41)
「でも、きっとお店の命を生かそうとしなかった力があったんだろうなと思う。あれほど確かに生きているものがあることがこわくなって、とにかく殺してしまう、そういう力が現代にはいっぱい満ちている。子供の持っている力も、アートの力も、日々殺され続けている。その弊害で実際に人間が殺され続けたりもしているんだと思う」(p.97)
 このような感性は流石、作家だ。とはいえ、ちょっと勘に頼りすぎる、というか直感に基づきすぎていて、そういう魅力はもう少し、都市の生態系とか、街の経済から説明できるのだけどな、と思ったりもするが。私はそういう研究をしているから知っているだけであって、素人でここまで見抜く眼力はやはり大したものである。
 とはいえ、この本に対して、二点ほど極めて個人的な不満がある。一つは、これだけ下北沢の個店の素晴らしさを弁舌鋭く語っているのに「いろいろな人と待ち合わせをした南口駅前のスターバックスも、ドトールももうない」(p.48)って、スタバとドトールというアンチ下北沢のお店をよく使っているという矛盾を暴露していることだ。あと、この本の表紙のデザインが道路だらけということである。自動車が走れる道路がほとんどないということが、下北沢の空間的な魅力であるのに、この表紙のデザインはまるで国土交通省道路局のパンフレットのように道路だらけである。このイラストレーターは果たして、この本を読んだのであろうか。この二点が、ちょっと玉に瑕で残念であったが、「もしもし下北沢」に比べると、ずっといい読後感が得られた本であった。


下北沢について

下北沢について

  • 作者: 吉本 ばなな
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2016/09/23
  • メディア: 単行本



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