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英語のリスニング試験をするのは愚の骨頂だ [英語関連]

 大学入試センターは7日(一昨日)、センター試験の後継として行われる大学入学共通テストの配点として、従来の筆記200点、リスニング50点の250点から、リスニングとリーディング各100点の計200点に変更して、リスニングの配点を2倍にして重視した。
 何でこんな馬鹿なことをするのだろう、というのが率直な感想である。
 というか、そもそも私は英語のリスニング試験をするのは無駄であると考えている。しかも、それを重視するというのは、これはもう英語の試験でも何でもない。なぜか。
 まず、普通の日本人は英語のリスニングを100%修得するのはほとんど不可能である。英語の映画を字幕なしでしっかりと理解できる日本人はまず、ほとんどいない。ロック音楽の歌詞がしっかりと聞き取れる日本人もまず、ほとんどいない。
 私はアメリカで7年間過ごしているが、今でもコメディとかの落ちとかが分からないことがある。ロック音楽の歌詞もよく聴き取れないことがある。しかし、これは私だけの問題ではないと思う。映画とかの字幕で、絶対、違うよな、この訳というのが結構ある。ロック音楽の歌詞の訳も違うよな、というのも多々ある。プロでさえ間違っているのだ。
 私は毎年のように国際学会で発表をしているが、私のように英語でやり取りをできる日本人にはほとんど会ったことがない。下北沢のロック・バーで早稲田大学の留学生と飲んだとき、私のように英語が話せて聞ける日本人の教授は早稲田にはいない、と言われたこともある。そんなことはないだろうと思いつつ、もしかしたらそうだろうな、と思っている自分もいる。
 そのような経験から、日本人のヒアリング力は例え留学経験者でも、相当、いい加減であることを知っている。ビジネス・パーソンでも聞けているようで聞けてない。しかし、妙にプライドが高いので勝手に自分で解釈している場合が多いのだ。したがって、英語で仕事のやり取りをする場合は、話し合いではなく、しっかりと文書で内容を確認すべきであると思っている。
 英語で仕事をしている専門家でさえ、そのようないい加減なヒアリング力しかない国の高校生にヒアリング力を測ってどうするのだ。
 加えて、ほとんどの日本人は仕事をするうえでヒアリング力を必要としない。その機会もない。これからグローバル化が進むといっても、トランプのアメリカを見るにつけ、これから必要とするのはむしろ英語ではなくて中国語ではないかと思っているぐらいだ。英語はそんなに万能じゃあないのは、南アメリカとかに行けば一目瞭然である。日本だって、ほとんど英語は通じないじゃないか。
 いや、それでも英語はアメリカだけでなく、グローバル語だからと指摘する人もいるかもしれない。しかし、インドで話される英語、シンガポールで話される英語、イギリスで話される英語は文法とかはほとんど一緒だが、リスニングをするうえでは違うから。私の大学院時代、友人の台湾人が、イギリスからの留学生の英語が全然、聞き取れない、とぼやいていたので、私は彼女の英語が正統なんだからね、と言ったことがあるが、アメリカ英語がリスニングできるようになったら、インドの英語が聞き取れるようになると思ったら大間違いだ。私はJBICの仕事でインドの役人に取材をしにいったことがあるが、本当、聞き取るのは大変だった。私の部下の若者は、まったく聞き取れなかったな。とはいえ、彼は東大卒なので、平均的には英語は出来る方かもしれない。
 また、このリスニングテストが試されるのは英語だけではない。というのも、問題文が一回しか読まれないからだ。したがって、その問題に正答するためには記憶力も必要とするのだ。下らない英会話の内容をすべて聞き取れても、待ち合わせの時間が8時か9時かとかまでは覚えてられない。実際のシチュエーションだったら、そういう場合は確認するであろう。こんな一度聞いて理解する、といったシチュエーションは実社会ではほとんどないので、まったく使いものにならない能力を我々は測ろうとしているのである。 
 英語を必要としないとは決して言っている訳ではない。ただ、必要とするのは読む力(語彙力)、そして出来れば書く力(文法力)である。日本で暮らしている以上、話したり、聞いたりする能力はほとんどいらない。留学したり、生活したりするなら別であるが、日本に生きている以上はまったく不要な能力である。いや、外国人のツアーガイドや通訳の仕事をしようとするなら別ですが。ただ、そのような人が大学入学共通テストの受験生の何パーセントに相当するのであろうか。0.01%にも満たないのではないだろうか。

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