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アメリカのジャーナリストを感動させた淡路本町商店街 [商店街の問題]

私がカリフォルニア大学バークレイ校の大学院で都市デザインを勉強していた時のこと。1993年とか1994年の話なので、もう25年以上も前の話だ。あるアメリカ人のジャーナリストの取材を受けた。彼は日本の商店街に大変、興味を持っており、なんで日本人はあのような素晴らしい公共性の高い商業空間をつくることが出来たのだ、と私に尋ねてきたのだ。私は、その当時は商店街の価値をあまり考えたこともなかったので、面白いことを言うなあ、と思いつつ、何でそんなに素晴らしいと思うのかと逆に質問をしたりしていた。その理由として、歩いて買物が出来ること、ソーシャライズする空間であること、そして個店が多く地域の個性なども反映していること、などを彼は挙げた。
 確かにそうだな。ジェイン・ジェイコブスが指摘しているような条件を日本の商店街は有しているな、と私も納得し、彼との話も弾んだ。しかし、当時でも、彼が掲げるような状況を満たしている商店街は少数派である。一体、どこの商店街を知っているの?と尋ねると、大阪の淡路本町商店街である。私は淡路が阪急電鉄の乗り換え駅であることは知っていたが、降りたこともなかった。ただ、彼とのこの会話から淡路本町商店街という名前は私の記憶に深く刻まれた。
 そして、土曜日の今日、私は船場に用事があったので夕方、出かけ、その帰り道。阪急京都線で京都に戻ろうとしていたら、淡路駅に電車が止まった。特急にここで乗り換えた方が早いということでホームを降りたら、目の前に淡路本町商店街。これは、降りるでしょう。ということで、駅を降り、ざっと往復した。アーケードがあり、その長さも伏見の大手筋商店街並みなのではないか。そして、アーケートから横に入った横道や路地にも店が張り付いている。個店も多く、なんとアーケードのあるところは二階にも一階と違うお店が入っている。これはなかなかの店舗密度だ。なんと2017年5月まで、映画館も営業していたそうだ。おそらく、アメリカ人のジャーナリストが奥さんの実家であるこの淡路に住んで、商店街に通っていた時は映画館にも通ったのかもしれない。そりゃ、こんなヒューマン・スケールの空間で映画館まであれば驚くだろう。
 ということで、まったく予定していなかったのだが、淡路本町商店街にようやく訪れることができた。私はこのエピソードは雑誌のエッセイとかにも書いたことがあるかと思う。確かにアメリカ人ジャーナリストを感動させるような空間の名残は十分、まだ漂っていた。
 気になるのは、こういう商店街の社会的意義などをしっかりと日本では理解されていないことだ。そして、消費者もその実際の有り難みをあまり分かっていないように感じる。ちなみに、私は肉類と魚類はまずスーパーで買わない。これは商店街の店の方が質が高く、コスパが優れているからだ。野菜はスーパーで買うが、これはいい八百屋が近くの商店街から消えてしまったから、仕方なく買っているだけである。商店街が近くにある人はラッキーである。そういうことをもっと理解して、正当に感謝しないと、本当にスーパーでしか物が得られない貧しい消費環境になってしまうぞ。

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