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ヨーロッパ旅行での反省点 [地球探訪記]

ようやく帰国するが、今回の旅行は随分と払わなくてもいい支出が多かった。アーバン・ダイアリーの読者という奇特な方に、備忘録を兼ねて、私の失敗を開陳する。

・ホテルからの国際電話が異常に高い。今回は携帯を借りていたのであが、ちょっと携帯の調子が悪かったのと、最終日であったこともあり、ホテルから日本に電話をした。6分で50ユーロである。携帯よりはるかに高い。油断をし過ぎた。IP電話などで安く国際電話をかけていたことや携帯電話もそれほどは高くないので、本当、油断してしまった。以後、気をつけなくては。

・ブリュッセルの中央駅にタリスやIC特急は停まらない。行きのインターシティの特急が北駅、中央駅、南駅に停まるので、これが停車パターンかと思ったら、大外しであった。事前に気がついたからいいものも、危なかった。

・ルフトハンザは荷物規制が厳しすぎる。通常は40キロぐらいをエコノミーで運び、荷物分散と情に訴えるなどで課徴金を払わずにやり過ごしてきた私である。融通の効かなさでは、天下一品のアメリカン航空でも、ユナイテッドでもどうにか運べてきたが、ルフトハンザは滅茶苦茶厳しかった。結局、5キロ分の荷物を捨てさせられた。こういう時は、何しろ紙だ。すべての旅行ガイドとコンピューターに入っている書類、そして一部の雑誌、本を泣く泣く捨てた。まあ、しかし課徴金は350ユーロである。洒落にならない。まあ旅行ガイドは行くたびに購入するわけだし、あればあれで重宝するが致し方ない。もったいないのは本であるが、これも2000円〜3000円くらいだし、5冊捨てさせられたが、まあ1万円ちょっとの損失である。350ユーロといえば、もう5万円近いですからね!しかし、やられた。

・やられたといえば、プラハ中央駅のタクシー代である。しっかりとした料金表を出されて値段を確認してきたので問題ないだろうと思ったが、今考えると、あれは空港からの料金だったのかもしれない。しっかりとタクシーは列をなして並んでいたのに、あのような詐欺にやられるとは悔しい限りである。

・ホテルのランドリーが高すぎる。ベルリンのインターシティは安かったが、ブリュッセルのルネッサンス、プラハのルネッサンスともに馬鹿高かった。プラハは一泊でエキスプレスだったので50%増になってしまったのだが(9時までに出すところを9時10分に出して、電話で大丈夫と言ったら大丈夫と返事をしたのでてっきり通常料金でやってもらったのだろうと思ったらやられた)、ブリュッセルは高過ぎる。ここは激安レートで1泊60ユーロで泊まっていたのに、ランドリーで同額取られた。ありえない高さである。あとで友人に尋ねたら、EUは最低賃金がすごく高く設定されているので、サービス料金が高いとのことであった。

・ホテルの料金は本当、変動が大きい。ベルリンのコートヤード・マリオットは朝食付きで80ユーロ。インターシティが60ユーロだったので、断然前者がいいと思い、キャンセルして3泊目からマリオットに戻ろうとしたら220ユーロになっていた。何かのイベントがあるのかもしれないが、ちょっとこの違いは納得できない。ただし、都市別にみてもブリュッセル60ユーロ、アムステルダムは同レベルで200ユーロくらいであった。これはイベントの有無によるみたいだが、移動にそれほど時間がかからないことを考えれば、拠点とする都市は安い方がいいであろう。ドイツだとベルリンは安く、ミュンヘンは高い。

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アイゼンヒュッテンシュタット [都市デザイン]

ベルリン工科大学助教授であるフランク・ローストが教えてくれたダイイング・シティ(死にゆく都市)の代表的事例であるアイゼンヒュッテンシュタットを視察に行く。ベルリンから東へ向かい1時間30分ほど。通常はフランクフルト(オダー、マインではない)で乗り換えるのだが、うまい具合に直行列車に乗ることができた。アイゼンヒュッテンシュタットは、社会主義時代に製鉄業を行うために、ポーランドの国境に人工的につくられた計画都市である。まったく何もないところにつくられた都市だそうだ。まさにシムシティの世界である。劇的に衰退が進んだアバンダンド(捨てられた)都市を想像していたら、結構若い人達も生活していたりして、衰退は進んでいるだろうが、まだまだくたばるまでには時間がかかるという印象を持った。通常、ヨーロッパの都市は中心に教会がある。これは、ケルンでもパリでもプラハでも皆、同じ原則のようなものである。スペイン人はロー・オブ・インディといった都市計画の暗黙のルールみたいなものを有しているが、それには新しく都市をつくる時に、広場を中心に設け、教会を広場に面して建設することとある。しかし、社会主義下の旧東ドイツのここアイゼンヒュッテンシュタットでは教会の代わりに製鉄所を設けたのである。製鉄所こそ、この都市の経済的、精神的支柱であったのだ。そして、この製鉄所から四方に道路が延びて、その道路沿いに中高層の巨大な集合住宅が建ち並ぶ。あたかも、田園調布において駅を中心に扇形に住宅地が広がるのと同様のことが、ここアイゼンヒュッテンシュタットでは製鉄所を中心に展開しているのである。しかも、はるかに巨大なスケールで。

アイゼンヒュッテンシュタットの駅から中心部までは随分と歩かされた。しかし、街中についてもブロックが巨大であるので歩かされて、へとへとになる。しかも、建物が皆横に広いブロックのようなものなので、景色が変わらないため疲れは倍増する。このような経験を以前、どこかでしたことがあるな、と思い気付いたのが、あのブラジリアである。ヒューマン・スケールを大きく逸脱した、人が歩くことを忘れてつくられた計画都市。ブラジリアを歩いた時は、日差しも強く、気が遠くなるような疲労感を覚えたが、ここアイゼンヒュッテンシュタットは涼しいことがせめてもの救いである。しかし、歩く距離の長さにほとほと嫌になる。

環境が人格形成に関係するとするならば、ここで育つと色彩の素晴らしさや、意匠の多様性が生み出す豊かさなどを愛でる感性は育ちにくいだろうと思う。ルシアン・クロールが、「繰り返しは罪である」といったことが思い出される。ここではデザインの繰り返し、空間の繰り返しが溢れている。しかも、このスケールの逸脱感がもたらす疎外感。これは人間性に対しての暴力である。ただし、この都市計画をつくったロジックは社会主義的な考えが背景にあるのは間違いないが、コルビジェの「輝ける都市」そのものなのである。高層住宅をつくり、空いた土地には広い道路と緑地。その緑地はしかし、自動車を運転している時には目の保養になるかもしれないが、歩行者の視点からは、人を受け付けない沈黙の緑、そして風土を感じさせない「繰り返される緑」となる。実際、歩道を自転車で移動している人はいても、この緑の中を歩いたり、遊んでいたりするものは誰一人見られなかった。なぜなら、それらは住民のための緑ではなく、計画のための緑であるからだ。

そして、このアイゼンヒュッテンシュタットからは、人々がどんどんと流出していっている。まだまだゴーストタウンからはほど遠いが、確かに選択肢があれば、このような画一的で無個性で、かつアメニティもない都市で生活したいとは思わないであろう。ドイツ人は比較的愛想がいい印象を個人的に持っており、カメラを持って街中を歩いていると声をかけられることも多いが、アイゼンヒュッテンシュタットでは一度もそのようなこともなかった。そもそも15年前だったら、日本人がカメラを持ってこの街に来ることなどほとんど想像できないことだったろう。しかし、壁が崩壊し、訳の分からなそうな日本人がカメラを持ってこの街に訪れるほど、開かれた社会になった今、この都市を維持していく基盤は緩やかに瓦解している。しかし、都市が衰退していき、消滅への道を辿っていても、今まで投資されてきた社会基盤は残る。これだけの社会基盤が何の目的を果たすこともなく、モニュメントのように残っているというのは不気味である。このような事例を知るにつけ、いたずらに道路等の社会基盤にお金を費やすことを厳に慎まなくてはならないと思うのである。従来の予測より早く、2005年にどうやら日本の人口はピークを迎えるようである。日本もこのようなシュリンキング・シティ現象があちらこちらで見られるようになる。縮小していく都市に、活性化という名目で社会基盤を整備しても、長期的にはとてつもない無駄遣いになることを、アイゼンヒュッテンシュタットの立派な橋や道路、そしてくさまみれになった鉄軌道などを見るにつけ、思わされる。旧東ドイツの場合は、社会システムが大きく変革したことで、しょうがないという見方もできる。しかし、他国での事例を他山の石として謙虚に学ぶことができなければ、都市だけでなく国が衰亡していくことを強く自覚することが今、求められるのではないだろうか。


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ベルリン [都市デザイン]

今回の旅ではミュンヘン、プラハ、アムステルダム、ブリュッセルとヨーロッパを代表する幾つかの都市をめぐったが、これらの中で最も都市的魅力を発しているのはベルリンだと思う。人口が多いということもあるかもしれないが、多様かつ複雑なレイヤーを重ねて現在のベルリンがつくられているというプロセスがもう凄まじいほどの都市のアイデンティティを放っているのである。その凄まじさに結構、私はクラクラしてしまうのである。そして、ドレスデンやライプツィッヒといった旧東ドイツの都市にも言えることであるが、凄まじい加速度で変化しているという、この現時点でメタモルフォーゼをしている流れが、この都市にいると実感できるのである。そして、その変化に人々が反応し活性化され、都市がさらに輝きを持つ。そして、この変化はプラハのように未来に対してネガティブな感情を持ったものではなく、非常にポジティブなものとして人々が捉えていることが肌で感じられる。このポジティブさは同じ旧東ドイツの都市でもケムニッツやコットバスではまったく感じられない。そういう点で20世紀前半にその栄華を極めたベルリンであるが、21世紀にまた大きな時代を築くであろうという予感を抱かせる。ベルリンという都市の存在が、ドイツ人のメンタリティをも変えるのではないか、というほどの影響力を持つと私は思うのである。既にドイツ統合で、ドイツ人らしくなくはしゃいでバブルを起こしてベルリン銀行を倒産させたり、その兆候は出始めている。ただし、フランクフルトやミュンヘン、ハンブルグが持つことができなかった華やかさ、ファッション性、頽廃的な雰囲気は新しい21世紀の文化をここが創造するであろうという期待を抱かせる。

都市は変化が激しい時にこそ、特別な魅力を放つ。それが実感できるのがベルリンである。このような魅力的な空気に、アムステルダムもブリュッセルもパリもミュンヘンも包まれていない。強いていえば、サグラダ・ファミリアが永遠に建築途上であるため、槌音が消えないバルセロナにはそのような空気が漂っている。ブリュッセルは工事現場が多いが、なぜかそのような空気に包まれていないのは何故だろう。おそらく未来がすぐ予見できてしまうような予定調和的な安定さがあるからかもしれない。所詮、人をあっと驚かせるようなことができないと期待されずに見られているからかもしれない。そういう点では、東京は変化している。しかし、山手通りの拡幅工事は、ほとんど空襲の後のような破壊の傷跡を街に残しただけである。そうでなくても、山手通りや環状7号線は、都市を切り裂いた巨大で醜い爪痕であるのに、それをさらに広げるのは、傷口を無理矢理広げるのと同じような効果しかない。下北沢に道路を通す計画もそうだが、東京の変化は創造ではなく破壊である。ベルリンは創造というよりかは、空き地にモノを建てる感じ。バルセロナは積み重ねというか建て増しという感じがする。ちなみに25日にシュリンキング・シティ・プロジェクトのリーダーであるオスワルト氏と会ったのだが、彼は、ライプツィッヒの中心市街地にある誰も住まない巨大な集合住宅を壊して建て直したが、結局誰も住まないという話をしてくれたが、これも破壊的行為である。しかし、ライプツィッヒはそもそも放棄されたものを破壊したのであって、しっかりとした街並みを破壊したのとは訳が違う。このように他の先進諸国の都市を訪問すればするほど、山手通りの拡幅工事や下北沢の都市計画道路など、東京の道路計画の横暴さ、浪費さ加減などが人類未到の凄まじい愚行であることが理解できる。

あと、話が変わるが、ベルリンに来ていつも思うのは空気が澄んでいることである。そのため、夜の光が特別な煌めきを持つ。そういう中でネオンの使い方が非常にうまい。ポツダム・プラッツのソニー・プラザの富士山型の屋根など、神々しい青さを放ち、ベルリンの夜景を彩っている。この光は以前も感心したのだが、今回でもまたその思いを新たにした。


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ブリュッセル [都市デザイン]

 ブリュッセルはグラン・プラスがあるので、非常に好きな都市である。あと、あの品のいいギャラリーも素晴らしい。グラン・プラスは世界でも最も完成された広場である。そのスケール、ディメンション、色彩などけちのつけどころがない。今回はせっかくだから、このグラン・プラスに店を出している人達に取材調査をした。その結果、分かったことは、グラン・プラスに屋台を出すには市から許可を得なくてはならなくて、その許可は入札によって決まるそうだ。3件にしか許可が発行されないため、結構競争は厳しいようである。とはいえ、花屋とスケッチ絵を売っている店が二つ。わざわざ、このグラン・プラスに出店しなくてもいいようなテナントであるような気もするが。
 また、グラン・プラスの素晴らしさは色合いである。建築物以外は赤と緑を基調としている。この赤と緑が、非常にブリュッセルらしくて、素晴らしい。どの程度、計算しているのか分からないが、ヨーロッパの都市の中でも相当クオリティの高い都心部を維持できている。ただし、ちょっと自動車を入れすぎているが。
 昼はせっかくだからムール貝を一山頼む。ムール貝はセロリーのバター・スープに白ワインを足したようなものに入っており、相当美味であった。ベルギーには美味いものがないという人もいるが、このムール貝、チョコレート、ベルギー・ビールで私は結構幸せになれる。
 ベルギーで意外だったのは、結構お釣り詐欺が多いことであった。タクシーも6ユーロで10ユーロ渡したら、そのまま行ってしまおうとするし、電車内でもコーヒーのお釣りを0.1ユーロではあったが、ちょろまかそうとした。文句を言ったら、凄い細かいコインで返してきたりして、そういう点は残念である。また、うんこがあちらこちらに居座っているのも目立つ都市であった。この二つは玉に瑕ですなあ。
 そして、また列車に揺られて移動する。今日一日でブリュッセルからケルン、ケルンからベルリンに行かなくてはならない。8時間の旅である。ケルンでは1時間ほど連絡のため時間が空いた。大聖堂と駅の写真を撮影する。新しいケルン駅は大宮駅を彷彿させる、なかなか刺激的で機能性もある面白い空間であった。大宮駅との違いは改札口があるかどうか。ないケルン駅の方が空間としては開放的で面白い。しかし、改札がないからいろいろと面倒が多いでしょう。鉄道事業が補助金で賄われているドイツだからこそ出来ることであり、日本では真似できない。
 ケルンからはルール工業地帯を通る。WuppertalやHagenは初めて通ったが、山間の炭鉱都市で興味深い。DortmundやDuisburgとは趣が全然違う。北九州でいえば後者が八幡や黒崎なら、前者は直方とか飯塚といったイメージか。なんか川の上を走るモノレールが走っていたりするが、こんなところも北九州らしい。列車はハムに着く。このハムという都市は前から興味があった。というのは、環境政策で進んでいるのと名前が間抜けだからである。ドルトムントとかシュツットガルトとかハイデルベルグとか、ドイツの都市名はこう重厚でゲルマン民族といった響きがあるのに、この都市はハムである。津なみに間が抜けている。しかし、車窓から見るハムは何か特別な都市といったオーラを発していない。これは、例えばフライブルグやライプツィッヒ、プラハなどとは全然違う。まあ、政策が面白いということだから、そこらへんはしょうがないでしょう。まあ、面白味がない都市が環境政策に力を入れるのはイギリスのレスター市とかの例からも分かるようによくあることである。しないよりましだ。そして、夜中の9時過ぎにベルリンに着く。もうすっかり暗くなっていた。


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ルシアン・クロール [都市デザイン]

8月15日からドイツを中心に出張旅行に来ている。今日はこの旅行の大きなハイライトともいえるルシアン・クロール氏との取材がある。地下鉄で彼の自宅兼スタジオの最寄り駅まで行く。問題は最寄り駅は知っているが、その先は簡単な地図しかないことである。しかし、地下鉄の駅に周辺の地図があり、それをみて場所を確認することができた。彼の自宅兼スタジオのある住宅地は非常に感じのいい場所で、私的にはほとんど理想的な住環境が実現されていた。中密度で軒が連なる、ほどよい空間の緊張感があり、また植栽なども過剰ではなくほどよくされていて感心した。郊外の住宅地とは違う都心部の縁にある住宅地特有のアーバンな感じが、私の嗜好とマッチしている。このような感じはレッチワースにもない。ロンドンでいえばハムステッドみたいな位置づけだが、そこほどは高級ではなくより庶民的である。

クロール氏の自宅兼スタジオは簡単に見つかった。約束の時間にぴったりに着いた。クロール氏は、今回の取材リストに友人が入っているし光栄であるといってくれていたのだが、誰かと思ったらマイカル・パイアトックであった。なあんだ、マイカルかあ。みたいなリアクションをしてしまった私であったが、やはり私はマイカルやクロール氏のような人間を重視する建築家に非常に惹かれてきたのだな、ということに気付かされた。しかし、取材後、クリストファー・アレキサンダーの話をしたときは、クロール氏は私と違って彼を高く評価していた。彼の最初の論文をフランス語に訳したのはクロール氏であることを教えてもらった。実際、市民参加的なアプローチをとる場合は、やはりアレキサンダーの考え方は随分と参考になるようである。ここでもまた勉強になった。クロール氏とは15分くらい雑談した後、すぐに昼食を一緒にとった。奥様のシモンさんの手料理であるのだが、プロバンス風トマト・サラダ、豚の背肉のプロシュートとドライトマト合わせ、ナスのマリネが出された。家庭料理としては相当のレベルに達していた。また、プロヴァンスで買ってきたというワインをご馳走になったのだが、これは本当に美味かった。私はアルコールを飲んではいけない身体になっているのと、これからの取材をしっかりとするためにはワインなど飲んではいけないのだが、あまりの美味さに結局、二人でボトルを空けてしまった。しかし、このワインは本当に美味しくて、最初「日本には豚に真珠という格言があって、美味いワインを日本人にやってもその価値が分からないのでもったいないと思うんですけど」などど、極めて自嘲的かつ失礼なことを言っていたのだが、そのあまりの美味さは豚である私でも分かった。クロール氏はしかし、このワインはベルギーでも手に入れられないと言っていた。いやはや、取材をする前にいきなり大きなカルチャー・ショックである。フランス嫌いの私に、この先制攻撃は効いた。デザートはチョコレート・ムースであったが、このチョコレートはベルギーのものだ、とクロール氏は嬉しそうに言った。このチョコレート・ムースも相当美味しかった。後で、シモンさんの話を聞いたところ、しっかりとした話をするためには一緒に食事をしなくてはいけない、とのことであった。確かにいい考えである。日本人の飲ミュ二ヶーションに通じる考えであろう。

食事で満腹になり、ワインで酔っぱらった頭で取材を始める。リヒャルト・ディートリッヒ氏に比べると随分と前向きな話が聞けた。しかし、ここでもポイントとなったのは、アメリカの商業主義の問題、建築家のエゴの問題、風土をないがしろにするグローバル化の問題であった。しかし、解決法としてはクロール氏はお金の力をうまく利用するといいのではないかと提案した。これは、私も常々言ったり、書いたりしていたことなので、意気投合しているような感じになる。エコロニアの例を引き合いにいろいろと説明してくれたことも有難かった。私も死ぬまでにエコロニアのような立派な環境共生型住宅の具体化に貢献したいものである。

クロールさんの家を出たのは18時30分過ぎであった。12時にうかがったので、6時間以上もしゃべったことになる。非常に充実した、濃密ないい時間が過ごせた。

この取材結果は、拙著『サステイナブルな未来をデザインする知恵』に収録されています。
サステイナブルな未来をデザインする知恵

サステイナブルな未来をデザインする知恵

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 2006/04/14
  • メディア: 単行本

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エコロニア [都市デザイン]

ルシアン・クロールに会うというのに彼の代表作であるエコロニアを見ないのはあまりにも失礼というか、本質を外しているのでオランダに来た。アムステルダムには泊まれなかったので、アムステルダムから20分ほど電車に行った町ハーレムに宿泊したのだが、そこからも比較的簡単に行けた。途中、ライデンで乗り換えて二駅。アルペン・アンデラインというニュータウンにエコロニアはある。駅前の周辺には花屋と自転車屋しかなく、他に店がないのが、日本の鉄道駅と全然異なる。とりあえず花屋に入って、エコロニアの場所を教えてもらった。こういうオタク的プロジェクトは概して一般住民は知らないものだが、エコロニアはここら辺では有名なようで、すぐ教えてくれた。

アルペン・アンデラインのニュータウンはどうも同じ家ばかり建ち並び、非常に面白くない印象を私に与えた。イギリスのハーロウ・ニュータウンを90年代につくったような、とでも言ったらいいだろうか。ミルトン・キーンズよりは高密度ではあるが、総じてつまらないニュータウンの印象である。駅から南側に歩いてしばらくいくと大きな公園に出る。この公園の向こう側がエコロニアということだったのだが、エコロニアに一歩入ると、そこはまさに他のニュータウンとは全然違うサンクチュアリのような住空間が広がっていた。出来て12年しか経っていないが、もう昔からそこにあるような佇まいを有している。これは凄い!シーサイド、ビレッジホームス、ポートラヴァレイランチを初めて訪れた時と同じような感動が広がる。周辺とのニュータウンとのコントラストが強烈であるので、特にその印象を強くしているのかもしれない。同じものが二つとない多様性が、住宅としての豊かさをつくりあげている。

住人に住み具合を聞いた。「ここに住んでから1年しか経っていないけれども、非常に気に入っている。特に周辺の地区よりも値段が高いということはないなあ。エネルギー消費量が減って節約しているかは分からない。しかし、自動車がゆっくりと走らざるおえないので、子供を育てるのにはいい環境かな」。そうか。値段が変わらないのか。この点は同じ環境共生住宅でもカリフォルニアのビレッジホームスとかとは違うようである。エコロニアの周辺に住んでいる人に聞いてみた。「エコロニアに住んでいる人は満足しているようね。でも、自動車が走りにくいという不満を持っている人もいるみたいよ」。えっ、そうなのかなあ。しかし、エコロニアという空間のアイデンティティ形成に大きく寄与していると思われるコミュニティのほぼ中心にある池。あの池はまさに聖なる空間となっている。このような空間を日本でつくろうとしたら、もうヤブ蚊が発生したりして大変なのであろうが、自然環境が厳しいここオランダでは大丈夫なのであろう。素晴らしい。本当に来た甲斐があったというものだし、ルシアン・クロールとの取材も話が弾むであろう。


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チェコの元ファッション・モデル [グローバルな問題]

プラハの中央駅からベルリンへと向かう。とりあえず二等の列車に乗ったのだが、途中から女性が乗ってきた。チェコ人にしてはあまり美しくないな、と相変わらず失礼なことを考えていたのだが、英語ができたので話をしているうちに、なんと彼女はもとファッション・モデルであったことが判明した。驚きである。18の頃、ファッション・モデルをしていて、しかもそこそこはやれていたそうだ。俄然、興味が湧いて、いろいろと聞かせてもらった。ファッション・モデルになったきっかけはあるパーティで、エージェントの男が声をかけたからだそうだが、それ以前からよく声はかけられていたのでいい話が来るチャンスを狙っていたそうである。しきりに昔は本当に痩せていた、と言っていたのだが、確かに背は高く、顔は小さいし、口はでかいし、ミック・ジャガーみたいな印象だが、確かにファッション・モデルとしてはいい素材だったのかもしれない。プラハは国中からそうでなくても美しいチェコ女性が、モデルになるために集まってくるので競争は激しいらしい。そして、仕事を取るためにはマネージャーとかいろいろな男と寝なくてはならない。彼女はそれが嫌で辞めたそうだが、もう本当に大変な世界であると言っていた。売春婦よりは少し給料がいいが、似たような仕事だとも言っていた。そして、世界中、この業界はそんなものでしょう、とも言っていたが、そんなものなのかな。よく考えると、ファッション・モデルの知り合いは全くいないので、そういうことは全然知らない自分に気付いた。しかし、日本だとこれはセクハラでしょう。チェコにはないのだろうか。

他にもいろいろなことを教えてもらった。彼女は今は28歳で、プラハの某ホテルで受付の仕事をしているそうだ。月給は400ユーロだが、プラハの家賃は300ユーロするので、一人ではとても住めないので部屋を共有しているそうだ。ミュンヘンにいたのでドイツ語は学校で勉強したが、英語は適当に覚えたと言っていた。ここらへんの適当という感覚が本当に分からないのだが、私のスペイン語よりはるかに上手な英語を彼女は話している。私はスペイン語をもうかれこれ2年以上勉強しているのに、彼女の英語の足下にも及ばない。というか、私の学生達がしゃべる英語に比べてもはるかに彼女の方が上手である。ここらへんは、本当に謎だ。民主国家になったことで何が最も変わったかというと、やはり自由にしゃべれるようになったことだと言っていた。それ以前は、現政府を批判するようなことをしゃべっただけで牢獄に入れられていたそうだ。ゲイやレズビアンも許されなかったそうである。まあ、表現の自由は本当に有難く、経済的な問題は大変だが、他に代えられないと言っていた。そうなのかもしれない。彼女はなぜか話がつまらなくてごめんなさい、と言ったが、すごく面白い話を聞かせてもらって私は大いに喜んだのである。彼女はドイツ国境の町であるデェーシンで降りた。


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プラハ [都市デザイン]

プラハを訪れる。確かに宝石のごとき美しい都市である。カレル橋やプラハ城は素晴らしき文化遺産であるし、公園の展望台から見る中心市街地の美しさは息をのむようである。なぜ、こんなに美しいのだろうか。まず、すぐ気付くのは色である。明るい煉瓦色、銅瓦の緑青色を基調とした街の色が何しろ美しい。そして建物の壁の色であるクリーム色、ベージュ、黄色。そして道路の色であるグレー。これらが微妙な変化をつくりだし、色彩がバレーを踊っているような効果をもたらしている。あと、スケールである。道路の幅が狭い。したがって、都心は非常にコンパクトで集積した効果がある。そして建物は4階から5階くらいの高さでほぼ統一されている。スケール感としては、アップルパイのホールサイズのような感じである。ピザのように平らではなく、ショートケーキのホールサイズのように高くはない。このスケール感が素晴らしい。そして、そのようなトータルなイメージの中で個性を強烈に発揮する建築が存在する。国民劇場や市民会館、火薬塔、旧市庁舎、ダンシング・ビルディング、ティーン教会、ロレッタ教会などである。加えて、細い道路を歩くリズムに大きなアクセントを添える広場。広場がノードであるということがこの街ではよく理解できる。広場こそ、人が集まり、情報が集まり、モノが集まる極めて密度が濃い空間なのである。旧市街広場はもちろんのこと、共和国広場やちょっとした広場がこの都市空間に彩りと安らぎと活力を与えている。しかし、たまにこのような広場が駐車場に使われてたりするのをみると本当に残念な気持ちになる。もちろん、私が愛する歩行者専用街路であるナ・プシーコピェ通りも素晴らしい。それにしても、日本の都市にはこのような歩行者専用街路がどうして少ないのだろうか。もっと積極的に整備すべきであるし、もし自動車の交通が捌けないというのであれば、自動車を都心から追い出せばいいのである。そのようにすれば、そこは間違いなく都市の顔となり、ハートとなるであろう。

また、プラハは天才の使い方がうまい。目立つのはアール・ヌーボーの倦怠感のあるポスターで有名なムハである。ムハは勝手に20世紀初頭に活躍したパリのロリコン・アーティストだろうと思っていたのだが、とんでもなく無知であったことをプラハでは思い知らされた。プラハにはムハ美術館があり、そこで私はムハの偉大さを思い知らされたのである。ああ、無知ほど恥ずかしいものはない。ムハはプラハ城の大聖堂のステンドグラスのデザインをはじめ、市民会館の内装をほとんど手掛けている。この市民会館の内装は、誠に持って素晴らしく、もうこれぞアール・ヌーボーという感じで私は感銘を大いに受けたのである。そう思ってみると、もうプラハにはムハが溢れているのだ。もう一人の天才は、カフカである。カフカ、ムハの個性はプラハのアイデンティティの一部にまで昇華されている。その土地で生まれた天才を使うことの重要性を、「都市の鍼治療」でレルネルさんは指摘しているが、プラハはなかなか、その辺が上手である。日本の都市も天才を活かすことをもっともっと積極的に考えればいいのだ。宮崎駿なんか、どんどん使うべきだし、小津の東京なんかももっと活かすべきなのである。

プラハは素晴らしい都市だが、計画的には決して褒められるものではない。特に、自動車に関しては相当問題がある。ブダペストもそうだったが、プラハも自動車に歩行者動線が遮断されてしまうので相当歩きにくい。ここらへんは本当ミュンヘンとかとは違う。パリなどもそうだが、何しろこの自動車が都心に侵入すると、歩くのが危険になるだけでなく、アメニティも低下し、排ガスによって健康にも悪影響を与えるなど本当にろくなことがない。ロスアンジェルスのように、自動車から降りなくてもいいように都市を設計しようとした無謀な試みは無惨な失敗を遂げている。ミュンヘンのような賢い事例がそばにあるのだから、この自動車抑制策をもっとしっかりと考えるといいであろう。何しろ、ヨーロッパを代表する観光地になっているのであるから。

といって、一日まわっただけの無責任な意見であるが、どのような処方箋が考えられるのか。まず、即効性があるのは中央駅の大改造であろう。現在、二つに分離されている駅を統合化して、そこをプラハの交通の巨大ハブにすべきであろう。さらに、都心への自動車流入をもっと制限すべきである。プラハは社会主義時代に郊外にコルビジェ的な高層住宅をいっぱい建設したようである(展望台からの観察)。この郊外と都心との交通流動をしっかりと再構築し、都心の心臓部には公共交通でしかアクセスできないような試みが必要であろう。また、ウォーターフロントはもっと有効に使える筈だ。特に旧市街地側は、ウォータフロントへのアクセスをうまく工夫することで、連続性をもった祝祭的空間を川沿いにつくることができる。現在は、カレル橋などへのアクセスの部分など一部分だけが、そのような賑わいを有している。そして、このような「治療」は早めに手をつけることが重要であると思われる。




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ミュンヘン [都市デザイン]

ミュンヘンを歩き回る。レオポルト通りという大学通りがあるのだが、ここは片道2車線、左折用(日本では右折用)のレーンのために中央分離帯の空間が設けられており、その外側には1.2メートル程度の自転車専用道路、2メートル程度の植樹帯(銀杏並木が素晴らしく美しい。日本の銀杏と違って、糸杉のように非常にスマートである)があり、その外側に3.5メートルの歩道、そして4メートル程度の植樹帯があるといった構造になっている。駐車帯も時折設けられている。設けられていない場合はバッファーゾーンとしての石畳が設けられている。素晴らしい道路である。学生街であることもあり、学生を中心とした歩行者もすこぶる多い。私の大学がある桜田通りとは大違いである!!桜田通りも車線を現行の片道3車線から2車線に減らすことで相当豊かな空間ができる。現状では、大学の前はトラックとタクシーの仮眠場となるほど交通量も駐車需要も少ない。なんて無駄だ。レオポルト通りをつくれるミュンヘンと桜田通りをつくってしまう東京とのセンスの差がそのまま生活環境の質の差を生み出している。本当にどうにかならないのか。

ミュンヘンを一日歩き回り、この都市はちょっと奇跡的であることを思い知らされた。120万人の人口を擁するにも関わらず、都心には高層ビルがまったくない。郊外のオリンピック公園に行くと、BMWや地元銀行のオフィスビルが高層ビルであるが、それくらいである。オリンピック公園にあるタワーの展望台から見ると、そのことがよく分かる。しかし、都心には戸建ての建物はほとんどなく、ほとんどが5階建てのビルである。壁の後を通っていると思われるリング道路の内側はほとんど自動車が入れないため、完全な歩行者空間を実現させている。そのため、凄い活力と賑わいに溢れている。なぜ、日本ではこういう感じで都市がつくれないんでしょうかね。東京とミュンヘンを比較することは問題であるのは分かる。しかし、他の地方都市、例えば仙台などはミュンヘンより小さいにも関わらず、そしてミュンヘンのような経済力がないにも関わらず、いたずらに高いビルや拾い道路をつくりたがる。それはずばり都市を理解していないからである。そのような都市を理解しない人達が都市をつくった国に住んでいる私は不幸である。
などと憎まれ口を叩いたが、同じドイツでも旧東ドイツの集合住宅地の巨大さはとてつもなく非人間的だし、旧西ドイツでもフランクフルトのようにスカイラインが醜くて、高島平のような集合住宅が建ったりしている都市もあるから、お国柄というよりかは、これはミュンヘン固有の素晴らしさなのであろう。


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リヒャルト・ディートリッヒに取材する [サステイナブルな問題]


今回の出張のイベントの一つであるリヒャルト・ディートリッヒに会いに彼の自邸まで向かう。ディートリッヒ氏といえば生態建築学を提唱した大物である。こんな大物に勝手に取材を申し込む自分は何物なのか、と思いつつも取材を承諾してもらったのではるばるチューステンというミュンヘンよりザルツブルグの方が近い山間の町へローカル列車で向かう自分がいる。ディートリッヒ氏はNBAの選手のような巨大な男であった。彼の車で自邸まで連れて行ってもらったのだが、この自邸は10ヘクタールというこれまた広大な家であった。地平線の景観までをコントロールしたかった、と彼は言っていたがスケールが大きい。また、サステイナブルなことを言うためには自分の生活がサステイナブルにならなくてはね、とも言っていた。と同時に、しかし皆が私のような生活が出来る訳ではないので、都市はサステイナブルにならなくてはと自分で突っ込んでいた。そうでしょう、そうでしょう。私は1000年働いても、このような土地が購入できるとはとても思えない。

ディートリッヒ氏は大物にしては、非常に饒舌であった。昼食を家族と共にした。ディートリッヒ氏の娘さんは驚くくらいの美人で、クラウディア・シーファートかと思ったくらいである。そういえば、奥様も昔、美人であったような面影が。ううむ、10ヘクタールの土地をバイエルンの風光明媚な場所に持って、美しい女性たちに囲まれて、ディートリッヒ氏羨まし過ぎる人生だ。しかし、ディートリッヒ氏は思いの外、挫折感が強く、彼の考えが普及せずに、アメリカ的商業主義に負けてしまっていることを強く悔やんでいた。やはり戦争に負けたのが痛かった、というようなことも言っていた。ヒットラーさえ生まれなければなあ、と悔やんでいた。日本は、アメリカに戦争をしなくてはならないように追いつめられて、本当酷いことをされたよねえ、というようなことも言っていた。確かに。しかし、日本も韓国を植民地にしたり、中国で大勝手をしていたから、まあ必ずしもアメリカを責めることはできないんだけどね。しかし、アメリカのいいようにはされましたなあ。というような四方山話を昼食をはさんで思わず5時間以上もしてしまった。

しかし、そのような四方山話の中に、ディートリッヒ氏はミュンヘンのまたさらの田舎町に来ただけのある非常に貴重な話をしてくれた。一つ目は、やはり高層ビルはよくないということ。二つ目は、建築家のエゴが都市をどんどん悪くしているということ。三つ目は、コルビジェの考えを何しろ早く捨てることが重要だということ。四つ目は、何しろアメリカ商業主義をどうにかするしかないのだが、敵はおそろしく強大なこと。五つ目は、もう将来はどうにもならなくて状況を変えるためには崩壊を待つしかないこと。

まったく反論できない。その通りです。一つ目は、とりあえずすぐできる。高層ビルをつくらなくても素晴らしい都市をつくりあげたミュンヘンという実例をドイツは有している(正確にはBMWのビルとバイエルンで最大の銀行のビルは結構、高層である。しかし、こいつらは特別だからしょうがないとディートリッヒ氏も言っていた)。二つ目は、これは建築家の教育しかないでしょうね。あとメディアが悪い。変なことすると取り上げるから、変なことばかりを皆、競ってする。ディートリッヒ氏はフランク・ゲーリーを随分とけなしていたけど、まったくその通りだと思う。というかフランク・ゲーリーよりも彼を英雄視してしまうメディアが本当は悪いんだけどね。三つ目は、本当これは特に日本人に言えることですが、コルビジェをあまりにも過大評価し過ぎている。と、こういう風に書くと、ちょっとびびる私がいるくらい、日本人のコルビジェ信仰は根強い。まるでコルビジェのことを悪く言うのは、天皇陛下の悪口を言うような勇気が必要である。アラン・ジェイコブスの悪口を言いすぎであると親切に私に忠告する人がいるこの日本で、本当コルビジェのことを悪く書くのは気が引けるが、まあこれはディートリッヒ氏の意見ですので。私は、ちなみにこのディートリッヒ氏の意見はとても的確であると感じている。新しいテクノロジーが出現した時、それを最大限に発揮させるための一つの方法論としてコルビジェが呈示したアイデアは革新性をもったものであった。しかし、それを鵜呑みにしてつくられた都市であるブラジリア(また、このブラジリアの悪口を書くだけで怒る人がいるんだよなあ)やシャンディガールがあれだけ失敗したんだから、軌道修正をしてもいいと思うんだけど、日本人は不勉強にもお台場やなんたら副都心みたいなもんばかりつくっているからね。これは、もう本当に脱コルビジェをしてもらうしかない。私がアメリカに留学していた時でさえ、もうアメリカ人は脱コルビジェをしていた。というか過去の遺物ですよ。早く卒業しましょう。四つ目は、もうどうしたらいいんでしょうか?とりあえず、私も書いている今度刊行される「ファスト風土」の処方箋でも読んで危機意識を高めるしかないでしょうか。五つ目は、もう本当絶望的な意見だけど、状況を分析するとそうなるしかないんだよねえ。とはいえ、ディートリッヒ氏も初孫が出来たばかりでそうも呑気に崩壊とかいってられないんじゃないの、と突っ込もうとして、彼の10ヘクタールの家では鱒を養殖で飼ったり、馬も3匹いるし、なんか家畜もいそうだから大丈夫だということに気付いた。そうか、崩壊するのは我々なのだ。うかうかしていられない。とりあえず、そのうち刊行される私の新著「サステイナブルな未来をデザインする知恵」を読んで下さい。


サステイナブルな未来をデザインする知恵

サステイナブルな未来をデザインする知恵

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 2006/04/14
  • メディア: 単行本



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箱根を訪れ、しっかりとした景観計画が必要であると改めて考える [地域興し]

箱根を訪れる。箱根はいつのまにやら多くの外国人観光客が訪れるようになっていた。おそらく、昔からそうだったのだろうが、最近は本当に目立つ。中国人、韓国人が特に多い。箱根登山鉄道があり、これは外国の観光客にとっても相当面白いだろうとは思われるのだが、やはり景観管理がされてないため、一級の観光地としては甚だ醜い。特に看板等は色彩等統一することはできないのか。また、強羅周辺では7階建てのマンションが工事中であった。どうして、国立公園なのに7階建てのマンションが建設できるのだろうか。箱根に7階は、港区では30階建てくらいの負のインパクトがある。このような事態に遭遇すると、都市計画で必要なのは建築とかランドスケープといった技術系の学問ではなく、法学なのではないかと強く思ってしまう。とんでもないことが起きている。外国人がせっかく多く訪問してくれているのに、このようなマンション開発は大いなる経済的損失をもたらすことを行政や地元の人はしっかりと理解すべきである。

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