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ドルトムントの4つのアイデンティティ [都市デザイン]

以前、客員教授で1年間ほどいたドルトムント工科大学の空間計画学部を訪れる。10年ぶりぐらいだ。私が行くきっかけをつくってくれたフランク・ルースト、私と一緒にドルトムント工科大学に行き、その後も長いつきあいを続けているヤン・ポリフカ、さらには私を引き受けてくれた同時の学部長であったクリスタ・ライヒャーなどは皆、もういなくなっている。彼らに換わって、私の相手をしてくれたのは、私が客員で滞在しなかった時にはいなかったトーステン・ヴィーマンである。
 さて、彼とはいろいろと有意義な話をすることができたが、ドルトムントという都市の話が特に私の興味を惹いた。ドルトムントには4つのアイデンティティがあると彼は指摘する。鉄鋼業、石炭、ビール、そしてサッカーである。いや、そんなこと私でも知っているよ、というリアクションをする方もいるかもしれない。私も、そんなもんだよな、という感じでその話だけでは新鮮さを覚えない。ただ、ヴィーマン先生は、それを説得力のあるデータにもとづいて話してくれる。これは、興味深い。例えば、ビールの生産量は世界で二番目の都市だそうだ。一番はちなみにミルウォーキーのようである。ということは、ドイツでは当然、一番ということだ。サッカーはボルシア・ドルトムントの本拠地であるシグナル・イドゥナ・パルクの収容能力は80000人を越え(立ち見含む)、この規模は世界一だそうである。2014年から2015年のシーズンでは、ドルトムントの平均観客動員数は80463人。これって、全試合、完売というか満席ということである。ボルシア・ドルトムントのファンが世界一というのはあながち嘘ではなさそうだ。ちなみに80000席のうち、50000席がシーズン・チケット・ホルダー。ボルシア・ドルトムントのホームゲームのチケットを入手するのが大変、難しいのはこういう点にもあるのだろう。
 2015年にドイツのサッカー博物館がドルトムント中央駅の目の前につくられたが、この施設はやはりドルトムントにこそつくられるべきものであったな、ということも納得した。

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道明村にある竹芝村で日本語が達者な宿屋の経営者と話をする [都市デザイン]

崇徳村でフィールドワークをしているのだが、外国人はいわゆる民宿には宿泊できなく、ちゃんとした宿に泊まらなくてはいけないらしく、近くの道明村にある「竹芝村」というリゾートにあるホテルにて宿泊している。この「竹芝村」は田園風景が売りらしく、どことなく福島県とか茨城県を彷彿させるような風景が広がる。自然景観が優れている訳ではまったくないのだが、まあ、ちょっと落ち着くような田園風景ではある。そこには、このホテル以外の民宿も多くあり、散歩がてらちょっと覗いていたら、なんと日本語がぺらぺらな方がオーナーの民宿があった。これは研修生で以前、山梨県に住んでいたからだそうだ。
 そこでいろいろとお話を聞いてみた。まず、このオーナーは成都に家があり、この宿を弟と友人の3人で出資したつくったそうである。キャピタル・コストは7500万円ぐらいだそうだ。そして、ここは1泊およそ1万5千円ぐらいだ。二食付きであるだろうが、なかなかの値段である。ちょっと日本より高いような気がする。目の前に浅間山や富士山が見える訳ではないので、この値段はちょっと割高だ。ただ、部屋はみてないので、もしかしたらとても豪華かもしれない。とはいえ、温泉もないだろうし、やっぱ高いな。
 お話を聞きながら、ついでにお茶と食事をいただいた。食事は餃子と刀削麺であったが、4人でなんと300元であった。4500円ぐらいか。お茶は確かに相当、美味しかったし、料理も相当美味しいと思ったが、それにしても値段は高い。日本より高いような印象だ。
 このオーナーはまだ40歳代ぐらいかと思われるが(年齢は教えてくれなかった)、自動車はBMWだ。旦那さんはアウディに乗っているようだ。ほぼ毎年、冬には日本のスキー場にバカンスで行くそうだ。北海道に多く行くということだが、そんなことは私は到底、お金がなくて出来ないので、相当、儲かっているのかもしれない。なかなか羽振りはいいという印象だ。
 しかし、温泉もなく、平凡な田園風景が売りで、この値段であることを考えれば、中国人がインバウンドで日本に来たがるのはよく分かる。日本はいつの間にか、物価が安い国に成り下がってしまったのだな、ということによく気づかされた。

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(なかなかお洒落な民宿である)
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千里ニュータウンを訪れ、そこに欠けているのは、記憶を次代に継承する装置と工夫であると感じた [都市デザイン]

千里ニュータウンを訪れた。千里ニュータウンは日本最初のニュータウンであり、世界最初のニュータウンであるロンドン郊外のスティーブニッジが街開きをした1951年からわずか7年後の1958年に開発が決定されている。フィンランド(タピオラ)やストックホルム(ヴァリングビー)には遅れを取ったが、フランスのニュータウンには先んじて開発が決まる。ヨーロッパ諸国と比べても、戦後それほど時間が経っていない時期にニュータウンというコンセプトを導入したという日本、というか大阪府の先見性は驚くべきものがある。
 また、高蔵寺ニュータウンや多摩ニュータウンに先んじて住民人口が減少した千里ニュータウンであるが、2010年には底止まりして、再び人口が増加へ転じている。既に6割近くの建物が建て替えをしており、日本最初のニュータウンである千里ニュータウンは、人口減少、建替問題、人口減少の増加への転換など、ニュータウンが抱える諸課題に、否応なくすべて最前線で取り組まされてきた。
 千里ニュータウンをざっと一回りして、思ったのは人々の街への思いのようなものを物語化させる工夫が欠けていることである。現在でも南千里駅には、吹田市の「千里ニュータウン情報館」という施設があり、これは街のアーカイブとしては極めて意義があると思う。しかし、千里ニュータウンという日本最初のニュータウンにおいては、その都市計画史の中での重要な考えの次世代への継承であり、それは重要な建築物や空間の保全である。人類史上最初の田園都市レッチワースには、博物館や記念館、街のグッズなどシビック・プライドのようなものが醸成されているのだが、そのようなものは日本最初のニュータウンである千里ニュータウンには不足している。
 都市に必要なものは、空間という「器」とそこで生活する人という「魂」であると考える。ニュータウンは出来た時点は仏像を作ったようなもので、そこに「魂」を入れるのは、そこに関わり、生活していく人々である。そのためには、人々が「魂」を積極的に入れたがるような都市であることが求められる。「千里ニュータウン情報館」だけではまだ不足している。
 都市にオーセンティシティをもたらすものは歴史と最新性であると言及したのは世界的に著名なニューヨーク市立大学の都市社会学者、シャロン・ズーキンであるが、ニュータウンはつくられた直後は最新性というオーセンティシティを有するが、それは徐々に失われていく。一方で、歴史がないため、「最新性」というオーセンティシティを維持するために、更新・再開発に前のめりになりがちだが、日本最初のニュータウンという肩書きをもつ千里ニュータウンは、つくられて50年以上経った現在、徐々に歴史というオーセンティシティを着床しつつある。千里ニュータウンには日本最初の○○、というものが多くある。日本最初の近隣センター、世界初の自動改札機実用化、医者村。また、これは推測の範囲を出ないが、建築物もそれなりにユニークなものがある筈である。
 これらをしっかりと保全しつつ、改修することによって、スクラップ・アンド・ビルドをするのではなく、歴史都市のようなアプローチでの街づくりの視点も今後、指向すべきである。レッチワースもたかだか100年ちょっとの歴史であるが、その都市の「魂」のようなものがしっかりと訪れるものにも分かるような形で、街中に息づいている。千里ニュータウンには残念ながら、そのような痕跡があまり見受けられない。もったいないことだと思う。団地なども一挙に改修するのではなく、一棟を公共用の利用をするような施設として残すなどして、その街の記憶を次世代に残すような工夫をすべきである。これはレッチワースだけでなく、アメリカのニュージャージー州のラドバーン、メリーランド州のグリーンベルト、ドイツのザクセン州のヘレラウ、ノルドライン・ヴェストファーレン州のマルガレーテンヘーエなどといった都市計画史的に重要なコミュニティでは当然のようにやられていることである。
 そのような取り組みは、住民にとって、シビック・プライドを醸成するような効果をもたらすだけでなく、都市計画に対する人々の関心をも高めることに寄与することになると期待される。千里中央公園にある展望台などは是非とも重要なランドマークとして将来に向けて保全してもらいたいものである。

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鶴岡市に来て、コンパクト・シティへ対する違和感の要因がちょっと明らかになる [都市デザイン]

鶴岡市に来ている。鶴岡市はコンパクト・シティを推進している。私は以前から、日本のコンパクト・シティ政策には相当、違和感を覚えていた。この違和感は、20年ぐらい前、コンパクト・シティが注目された直後から覚えており、『日本の都市はそもそもコンパクトである』といった論文をビオシティに寄稿していたりした。
 その後、コンパクト・シティのブームをつくり出した著書『コンパクト・シティ』の著者である海道清信先生と親しくなり、一緒に海外調査など出かけていくようにもなった。そこで、この私のコンパクト・シティへの違和感を彼に伝えると、彼もどうも政策レベルではおかしなことになっているような印象を受けると言う。そういうこともあり、ちょっと時間があればこのコンパクト・シティ政策の分析をしなくてはと思っていたりするのだが、時間がなくてなかなか手が付けられていない。
 そのような中、鶴岡市に来て、私が違和感を覚える原因がちょっと見えてきた気がした。鶴岡市は人口13万人。戦災を回避したこともあり、絹産業と日本酒とで戦前に築き上げられた豊かさだけでなく、モータリゼーションが進む以前の空間構造も残っていた。コンパクト・シティを進める上では好条件を有している都市といえよう。
 ただし、その交通主体は圧倒的に自動車である。鉄道駅はあるが、単線の羽越本線のみである。バスはあるが、黒字路線は空港線と羽黒山に行く二路線のみ。いや、黒字路線があるだけ素晴らしいと言うべきか。とはいえ、これら市民以外が使う路線だけが黒字ということは、市民の足となるバス路線はすべて赤字ということであろう。これは、市民は圧倒的に自動車で移動するからだ。
 自動車の移動に望ましい都市空間は低密度で広域に展開するものとなる。アメリカの戦後、発展した都市がまさにその典型である。世界で最初の高速道路を通したロスアンジェルスを嚆矢とし、フィニックス、タンパ・ベイ、ヒューストン、ダラス、インディアナポリスといった都市群である。それは、自動車で依存することを前提とし、その移動効率、土地利用効率を考えると極めて理に適っている都市構造である。そして、エネルギーを大量に消費する。土地に占める道路率は高い場合は6割にものぼる。これは、駐車場も道路に含めた数字であるが、自動車は何しろ土地を多く使用するので、その利用を最大限に活かそうとするとそういう数字になるのだ。
 自動車で移動するという前提で都市の構造を考えると、コンパクト・シティは極めて不適であるし、人々のニーズにそぐわない。
 コンパクト・シティは土地を効率的に活用し、移動エネルギーを少なくし、また高密度化することで人々の交歓する機会を増やすなど、多面的なメリットがあるが、それは自動車利用を削減させることとセットで進ませるべきことである。逆に言えば、この二つの目的、つまり都市構造のコンパクト化、脱自動車を両方とも目指すことで始めて実現できるものである。
 にも関わらず、日本のコンパクト・シティを目指している都市は、脱自動車にはまったく力を入れられていないのではないか、ということを鶴岡市で私は感じ取ったのである。そして、それが、日本のコンパクト・シティ政策への私の違和感であることに気づいた。
 まあ、気づいても、それを論証するための時間があまりないのだが、長期的にこのテーマには取り組みたいと考えている。

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ウィリアム・ホワイトのThe Social Life of Small Urban Spaces」を観る [都市デザイン]

アメリカのジャーナリストである在野の都市学者(Urbanist)であるウィリアム・ホワイトが1980年に編集したドキュメンタリー「The Social Life of Small Urban Spaces(小さな公共空間における社会的関係)」をネットで観ました。その存在はずっと前から知っていたのですが、インターネット時代になって家で寝転びながら観ることができる。よい時代になったものです。
 この動画は14の公共空間、3つの小さな公園を観察調査した結果をまとめて編集していますが、なかなかよく編集されていて、公共空間とそれを使う人との関係性が理解しやすいです。
 さて、この動画で強調していたのは公共空間における「座れることの重要性」です。座れる機会があることで、その公共空間は活用されることになる、という観察です。他にも、水、食べられること(屋台の意義)、道との関係性、人、などに言及しています。
 素晴らしいニューヨークの公共空間として、シーグラム・プラザが挙げられています。早速、行ってみましたが土曜日の昼ということもあり、このドキュメンタリーで紹介されたような利用はされていませんでした。シーグラム・ビルはウエルス・ファーゴ銀行が入っていました。これも理由かもしれません。季候はいいので、平日だと違ったような使い方がされているのかもしれませんが、ちょっと拍子抜けしました。
 一方で、もう危険でまったく酷い公共空間であると駄目出しされていたブライアント・パークは、今では見違えるように改善されています。しかし、これは、ウィリアム・ホワイトの提言に基づいて、生け垣で外から中が見えなかったところを見えるようにしたり、また入り口を広くしたり、さらには座れるように移動式のベンチを導入したりしたおかげです。それを指摘したホワイトの慧眼もさることながら、しっかりと謙虚にその指摘を受け入れたニューヨーク市もなかなか立派であるかなと思います。
 この映画で私が感心したのは、歩行者モールが上手くいくところと、上手くいかないところの要因を人口密度としっかりと看破していること。リバーサイド(カリフォルニア)の歩行者モールが上手く行かなかったのは、単に周辺の人口密度が低いからだと説明しています。なぜ、ここで感心したと言ったのかというと、同じように人口密度が低く、自動車文化が浸透しているフレスノ(カリフォルニア)のフレスノ・モールが結局、自動車を通らせるように最近してしまったことを取り上げ、歩行者モールも上手くいかなくなっている、と「鬼の首を取ったよう」にいう日本人の都市デザイナーがいるからです。そして、そういうことを公演で話したりする。すると、それを聞いた聴衆は、やっぱり自動車を走らせないとダメなんだ、と思ったりします。いや、自動車を都心から排除するのは処方箋としては、相当、優れているけど、必ずしも成功しない。つまり、成功するのには幾つかの条件が必要です、と説明すればいいのに、一つの失敗例でそのアプローチが失敗したと思ってしまう。皮肉なのは、この都市デザイナーの人は結構、しっかりとした都市空間をつくっている実績があるということです。フレスノ・モールの失敗はリバーサイド・モールが失敗したのと同じ要因であるのは、同じカリフォルニアの内陸側という地域性などから推察してもすぐ分かることです。ただ、私が言ってもそれほど説得力がないのですが、ホワイトは1980年に既に看破していた。流石です。
 あと付け加えたいのは、日本の公共空間の研究は、このホワイトのビデオが出て40年近く経っても全然、進んでいないということです。この遅れはキャッチアップしないといけないなと思います。

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門司港レトロ地区を訪れ、その優れた都市デザインに大いに感心する [都市デザイン]

門司港レトロ地区を初めて訪れる。土木学会デザイン賞などを受賞したりしていたことや、アルド・ロッシの遺作のホテルがあることなどから以前から注目はしていた。しかし、なかなか訪れる機会はなかったのだが、今回、そこの都市デザインに長く関われてきた城水さんに取材のアポが取れたので訪れた。
 門司港レトロのポイントは、門司が外国貿易で繁栄した明治時代から大正時代にかけてつくられた門司港駅周辺の建物を中心に、それらの建物が映えるように周辺の都市空間を観光整備しているところである。門司港駅は、1942年に関門海峡が開通したことで本州と繋ぐ列車がバイパスすることになり、さらには筑豊炭田の衰退などから門司港の物流における重要性も失われ、都市開発から取り残されるような状況が続く。しかし、これが逆に幸いして、結果、貴重な歴史的建築物が壊れずに残されていた。門司港レトロはこれらの建物を保全して、景観要素として見事に活用したのである。そして、その修景デザインのセンスの良さは、なかなか唸らせるものがある。
 それだけでなく、個人的に関心したのが、門司港レトロは建物の修復保全がしっかりとされているだけではなく、これらのレトロな建物を保全した地区をオートフリーとまでは言わないまでも極力、歩行者が快適に移動できるような環境を創造しているところである。特に歩行者動線のために1993年につくられた「ブルーウィングもじ」という全国で唯一の歩行者専用跳ね橋などは、単に動線を円滑化させただけでなく、この地区を歩きたくなるというインセンティブとしての役割も果たしているかと思われる。
 このような工夫は歩行者主体の都市空間デザインを得意とするデザイナーの中野氏が大きく関与したからこそ、具体化できたのではないだろうか。
 景観的な側面に目が向きがちであるが、この「歩いて楽しくなる」歩行者主体の空間デザインこそ、「歩くのがつまらない」多くの日本の地方都市と門司港レトロの大きな違いであるし、それこそが、ここの都市デザイン事業の評価できるポイントなのではないかと思われる。ただ、現在、門司港レトロと中心市街地とは大通りで大きく分断されている。ここをも含めて歩行者が自在に移動できるような空間をつくることができれば、さらに魅力的な都市空間をつくることが期待できるのではないだろうか。
 

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ヤン・ゲールによるブロードウェイホコ天事業の強烈なる駄目出し [都市デザイン]

ヤン・ゲールの講演だが、まあ特に新しい話もないよなと内職をしながら聞いていたのだが、ニューヨークのブロードウェイの話をし始めたので、ちょっと耳を傾けた。ヤン・ゲールを最初にニューヨークに招聘したのは、タイムズ・スクエアのBIDのTim Tompkinsのようで、その時、「ブロードウェイに自動車を走らせることは必要なのか」と尋ねたら、皆、そうだと回答したそうだが、ブルームバーグ市長だけが「ちょっと調べてみる」と言って、その後、ニューヨーク市がヤン・ゲールをコンサルタントとして雇うことになる。そして、ブロードウェイから自動車は排除され、今の歩行者が主人公の公共空間が創出される。そういう意味では、まさにブロードウェイから自動車を排除することを具体化させた最大の功労者はヤン・ゲールだと思うのだが、その彼が、久しぶりにブロードウェイに来たら、マラケッシュとキャンプグランドとお祭りがごちゃごちゃになったような状況になっており、これはブラウジオ市長に言って撤去してもらわなくては、と発言したのには驚いた。私は以前のブロードウェイに比べれば、今の方がずっといいと思うし、その公共空間の利用の仕方はそれほど不味いと思わなかったが、ニューヨーク市で、ヤン・ゲールによる完全なる駄目出し。ちょっと、なんでそんなにオカンムリになったのかは私はよく分からないし、これは、まだ私がヤン・ゲールの思想とかを理解していないという証拠でもあるのだが、その背景を是非とも理解したいものである。
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ヤン・ゲールのモダニズム批判 [都市デザイン]

ヤン・ゲールの講演の内容であるが、モダニズムの批判が強かった。ブラジリアを強烈に批判していた。飛行機の視点からみると素晴らしいが、人の視点からみると最低だと述べていた。ヤン・ゲールも自分がモダニズムが嫌いであると明言していた。モダニズムの欠陥は「人への配慮への決別」であると述べていた。そして、自動車の普及によって、ヒューマン・スケールから空間が逸脱していると述べていた。都市の移動速度は毎時5キロメートルであったのが、毎時60キロメートルにまでなってしまった。
 ヤン・ゲールは1960年には人を主体とした空間の質に関しての知識は何ももっていなかった。最初にこれに警鐘を鳴らしたのはジェイン・ジェイコブスであると述べていた。オフィスとかで机に向かって、どうやって人々が活動するかを考えるより、人を観察する方がずっと人にとって意味のある空間が造れると述べていた。
 まあ、これは何も建築家だけの問題ではない。私の前任校では、大学のカリキュラムを作成する時、ハーバード大学と東京大学のカリキュラムを参考にしようとした先生が二人いたからね。偏差値50の大学で!実際に学生をみたら、そんなカリキュラムは百害あって一利なしということが分かる筈なのに、そういうことをしない。まあ、建築家だけではない専門家バカという問題かとも思うが。
 閑話休題。優れた公共空間としては、安全、快適、楽しみ、という条件を満たすことが何よりも重要であるとのことである。そして、シエナのカンポ広場を絶賛していた。まあ、確かに滅茶苦茶素晴らしい広場ではあるが、私はゴスラーのマルクト広場もそれに負けずに劣らず好きだが。
興味深かったのは、彼が最も重要な役割を果たしてブロードウェイの歩行者天国プロジェクトであるが、あれは酷すぎると述べていた。キャンプグランドとマラケッシュ、お祭りがごちゃごちゃになったような状況になっており、あれは撤去されるべきであると述べていた。この発言は私だけでなく、他の聴衆も驚いていた。
 40年間、ヤン・ゲールは研究をして本を書いてきたが、それによって人々のマインドセットを変えることに成功できたかなと述べていた。個人的にはちょっと背中を後押しされたような気分にもなる。もちろん、環境デザイン研究学会で、調査をする人達ばかりが集まった学会ということはあるかもしれない。
 全般的に、彼が志向しているのはHumanistic City Planningという言葉でまとめられるような印象を受けた。そして、都市はもっと「人のための空間が必要」ということである。下北沢みたいな道路整備を進めていると、都市は窒息してしまう。本当にそういうことを東京都は進めていく覚悟があるのだろうか、というようなことを考えさせられた。

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ヤン・ゲールの講演をブルックリンで聴く [都市デザイン]

環境デザイン研究学会でニューヨークのブルックリンに来ているのだがキーノート・スピーカーはヤン・ゲールである。大講堂はほぼ満席である。凄い人気だ。私がヤン・ゲールに初めて会ったのは、やはり同じ学会で1998年のセント・ルイスで開催された時である。私は、懇親会か何かで日本人の参加者と話をしていたところ、いきなり会話に割り込んでき訛りのあるヨーロッパ人がいた。誰も話す相手がいないのだろう。しかし、それにしても失礼だなと思っていたが、適当に話をして、あなたのお名前はと聞いたら、なんとヤン・ゲールであった。私は彼の本を読んでいたので、ぶっ飛びましたね。ただ、会話をしていた日本人は、ヤン・ゲールを知らなかったらしくて、何をしている人なの?と聞いて、私が急いでそれを遮ったことがあった。水戸黄門みたいな感じだった。それから20年弱。もう大学のポストも得たし、ソーシャライゼーションが必要でない私は学会の懇親会にも顔を出さなくなったが、今回の懇親会ではさぞかし引っ張りだこであろう。
 ちなみに、私はその後、何回かヤン・ゲールには取材をさせてもらい、それをネットにもあげさせてもらっている。しかし、今、お願いしたら断られるかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=l6skRlRAdHY
http://www.hilife.or.jp/3689/
http://www.hilife.or.jp/3803/
 日本でも急に人気が出てきているが、1994年に名古屋市がデザイン博をした時、招聘されていろいろと提言をしたのだが、ほとんど聞き入れられなかったと私に怒っていた。会う度に怒っていたので、結構、根に持っているのではないかと邪推している。
 環境デザイン研究学会のものも日本人もそうだが、有名になってから評価するというのは、考えていないということと同じである。ヤン・ゲールが言っていることは昔から同じである。人を最優先する、ということだ。そのために、人の行動パターンをしっかりと把握するということである。下北沢にバス・ターミナルをつくり、人の空間をぶった切るように道路をつくり、自動車を走行させようと20世紀ではなくて2019年にしようとしている国において、ヤン・ゲールの考えや、ヤン・ゲールを招聘することで人間都市へと変貌することに成功したニューヨークのジャネット・カーンを持ち上げることの矛盾をもっと自覚した方がいいであろう。いや、持ち上げるのはいいが、持ち上げるのであれば自分の行為を反省すべきであろう。


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熊本市の都市度の高さに驚く [都市デザイン]

熊本市をぶらぶらしていて気づいたのは、この都市の都市度は高い。都市度とは何か。それは、都市のレベルのようなものであるが、ざっとぶらぶらと見ただけの印象だが、政令指定都市の浜松とは比べものにならないだけでなく、仙台市よりも都市度が高い。
 流石に福岡市は商業集積が高いし、地下鉄も西鉄も運行していれば、ホークスの本拠地でもあり、熊本市もそれには及ばないが、ただ熊本市の方が歴史がある分、何か格のようなものはあるような印象を受ける。強いていえば、ニューヨークに対してボストンが持っているような格である。
 さて、こういうことを書くと、仙台市の人が怒るかもしれないので、それなりに理由を書いた方がいいであろう。というのも、熊本市の人口は74万人である。それに比して仙台市の人口は108万人である。都市規模では仙台市の方が大きい。仙台市の小売業の事業所数は6360(2016年)。熊本市は4361。仙台市の方が多い。加えて、仙台市の方が大学を始めとした教育施設も集積している。地下鉄も二本、走っている。プロ野球の球団もある。
 しかし、人口密度は熊本市は1ヘクタール当たり19人。それに比して仙台市のそれは14人。さらに古本の人口当たり軒数をみると熊本市は1万人あたり0.19軒、仙台市は0.13軒。仙台市は東北大学を始めとした大学が多くあることを考えると、この数字の差は意外である。ただ、私はこの人口密度だけでなく、ここで指摘した古本屋の多さなどが、熊本市のアーバニティに関係しているように思えるのである。
 加えて熊本市の中心市街地には、クラブ通り、飲み屋通りなど、飲み屋の集積がとても多い。もちろん、仙台市にも国分町などがあるので、それなら負けてないと主張されるかもしれない。ただ、熊本市の飲み屋街の方が歩行者が歩きやすい、逆にいうと自動車が通りにくいような空間構造になっている。もう少し、大雑把にいうと、「飲兵衛に優しい」ような空間になっているのだ。いや、これは実際に酔っ払ってここを歩き回るような体験をしなくては何ともいえないのだが、熊本の下通り周辺のバリアフリーな歩行者主体の街路ネットワークはタクシーを拾える場所まで、千鳥足で歩いて行くことを可能にしているような印象を受ける。それに比して、仙台市の飲み屋街は結構、自動車が入ってこれることもあり、そういうのの優しさを感じたことはない。
 他にも熊本市の中心市街地は個店が仙台市のそれよりも多いような印象を受ける。いや、ここらへんは実際の統計を調べないと分からないが、単に人口の数だけで都市らしさ(アーバニティ)のを図ってはいけないということを問題提起させてくれるような都市であるように感じた。

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関西国際空港は、なぜか汚らしい印象を与える [都市デザイン]

関西国際空港は、なんか洗練されておらず汚らしい印象を与える。関西国際空港を設計したのはイタリアを代表する大建築家、レンゾ・ピアノである。本来なら、もっと風格があってもいい筈なのに、難波の商店街の猥雑感というか、ドンキホーテのインテリアのような下品な汚らしい印象を覚えさせる。ドンキホーテはそれを商売的な戦略としてやられているのだが、関空はなぜ、こんな印象を私に与えるのだろうか。

一つは、広告板がどぎついからではないか。なぜか、赤・黄・青がよく使われる。それにピンクである。この色彩感覚は、秋葉原や大阪の日本橋の電気街を彷彿させる。この空港は看板規制とか、デザイン規制とかは一切してないのだろうか。また、その看板のサイズがなんか大きい。郊外の幹線道路の沿道のようでさえある。そもそも、空港は飛行機を乗るためにある施設であり、商業空間ではない。ある意味、アジア的とも捉えられなくもないが、こういうデザインが街には氾濫している香港や台北、南京、北京、シンガポールであっても、空港は玄関口としての威厳というか品性の良さのようなものをしっかりと表現している。なんなんだろう、関西国際空港。

要因として、もしかして考えられるのは、レンゾ・ピアノの代表作であるパリのポンピドー・センターを意識していることである。ポンピドー・センターは赤・黄・青の色が使われており、その強烈さはつくられた当時は相当、物議を醸したが、現在はパリ市民に受け入れられている。なんか、関西国際空港で使われている赤・黄・青はポンピドー・センターをちょっと連想させるのである。とはいえ、ポンピドー・センターは文化施設であり、関西国際空港は公共性の高く、そして都市の玄関口としての施設である。空間デザインも、そのような奥ゆかしさというか、風格がもっと求められてしかるべきであると思う。

まあ、大阪らしいといえばそれまでだが、そういう難波的というかお好み焼き的な分かりやすい大阪以上のものが大阪という都市にはある筈である。むしろ、訪れた人が襟を正す、というか難波的、お好み焼き以外の大阪があるんだな、というような印象を与えられる空港にした方がいいのではないかと思ったりする。陸の玄関口の新大阪のだらしなさを考えると、せめて空の玄関口の関西国際空港ぐらい、しゃきっと出来ないのだろうかと思わずにはいられない。

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(強烈な赤・青・黄色の配色)

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(このピンクは何だ!)

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(看板のように蔽われた壁)

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(この青と黄色の旗は、ピアノの美しい線形に落書きをしているような効果を与えている)

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(こういう小さなスペースにも広告を入れたがるせこさが、ピアノの設計空間を台無しにしているように思えてならない)

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デーリッチュ(Delitzsch)という旧東ドイツの中小都市を訪れる [都市デザイン]

デーリッチュ(Delitzsch)というライプツィヒとハレとの中間にある旧東ドイツの都市を訪れる。なぜなら、ここは1990年の東西ドイツが統合されてから、人口が減少しては急増し、減少しては急増するという不思議な動きをしているからだ。どんな都市だろうと、この人口増減から興味を持ったのが行くことになった理由である。
さて、デーリッチュには駅が二つある。ObとUnterである。日本語でいえば、上デーリッチュ、下デーリッチュという感じであろうか。ライプツィヒから来るとUnterの駅につき、ハレから来るとObの駅に着く。両駅は400メートルぐらいは離れている。Unter駅の方がバスターミナルもあって、駅舎もあって、ちゃんとしている感じである。この駅からは商店街のようなハイ・ストリート的な道も延びている。
 デーリッチュの人口は2万5000人。東西ドイツ統一後の人口推移では、徐々に人口が減少しているが1996年と2004年に急激に増加し、そして2011年に急激に減少している。最近は安定から徐々に増加するような推移をしている。さて、1996年と2004年の急激な増加は周辺の集落を合併したためという人工的要因であることが判明した。そして、2011年であるが、これはそれまでの人口調査があまり精度が高くなく、実際、住んでいない人までもカウントしていたためそれを是正したことで大幅に減ったということが分かった。この2011年はドイツ全体の統計でもみられることのようで、なんか日本の統計調査と同じような事態だ。そういうことで、実際は、数字ほどには極端な自治体ではないことが分かったのだが、視察をしていていろいろと興味深いことを発見した。
 まず、駅からのハイ・ストリートであるが、現在、車道を狭めて歩道を拡幅する工事をしている最中であった。日本だと京都の四条がやっているようなことを、人口25000人で観光客などほとんどいない小都市でやれていることに驚く。四条だって、未だに多くの反対意見が出ているのだ。都市に賑わいをもたらすための方策はドイツ人はよく分かっている。
火曜日の昼前であるが結構、人が多く出歩いている。いや、それどころか広場前では30歳ぐらいの男性がピアノの演奏を大道芸人のようにしている。知り合いのドイツの先生によれば、ほとんど中心市街地の店舗は空き家だと言っていたのだが、実際はほとんど空き家がないような状況であった。ただ、このハイ・ストリートに賑わいをもたらしている個店、特に食堂はトルコ系やベトナム系などの移民によって営まれている。ドイツの人口縮小都市は移民によって活力をもらっている。これは、貧血で倒れそうな病人が「移民」という輸血をしてもらっているようなものではないだろうか。
 今回のドイツではコットブス市役所などでも取材をしたが、縮小都市において移民は天からの贈り物というような表現を聞いたが、確かに縮小都市においては移民がほとんど唯一の特効薬である。そういうことを、このデーリッチュのハイ・ストリートでは理解できる。
 また、郊外というか旧市街地周縁部には結構、広大なプラッテンバウ団地が存在した。前述したドイツの先生によれば、これらの多くは倒壊されたとの話であったが、倒壊された跡は多少、見つかったが倒壊率は決して高くない。私は旧東ドイツの様々なプラッテンバウ団地を見ているし、その倒壊を都市計画的にどう位置づけてきたのかに関する論文で博士号を取得しているぐらいなので、倒壊した跡かどうかはほぼ分かるのだ。
 ふうむ、事前に聞いていた話とは結構、違う印象を受けた。あと、新たに投資をして改修された戸建て住宅なども散見され、これはおそらく、このデーリッチュがハレとライプツィヒから鉄道で30分弱というベッドタウンとしては極めていい立地にあることと無縁ではないだろう。ハレもライプツィヒも人口減少が著しかったが、最近では人口増加に転じ、ライプツィヒなどは人口増加率をみればドイツでもフランクフルトなどの成長都市よりも高くなっている。このような状況が、それまでずるずると人口減少をしていたデーリッチュの立ち位置を大きく変えているのではないだろうか。
 この5年間ぐらいは、難民と移民という外力によって支えられているところがあったかもしれないが、今のデーリッチュはライプツィヒとハレのトーマス・ジーバーツが指摘するところの「ツヴィシュンシュタット」として位置づけられることで成長しているような印象を受ける。そうであれば、それまでの人口減少という課題から、郊外的開発というまったく違う課題に近い将来、直面するような気がする。

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<デーリッチュの駅前道路>

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<車道を狭めて歩道を拡幅している>

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<幅員が広く歩きやすい歩道>

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<多くのお店は移民系の人によって営まれているようだ>

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<ハイ・ストリートには人が結構、多く出ている>

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<なんと平日であるにも関わらず、大道芸人がピアノを演奏していた>
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ドイツにおける都市計画・建築分野の担当省が連邦環境省から連邦内務省へと変わった [都市デザイン]

ドイツの連邦政府に「シュタットウンバウ・プログラム(都市改造)」の政策に関する取材をするために訪れた。てっきり、都市開発・住宅部門であるので連邦環境省の下にある組織かと思っていたら、どうも2018年3月14日から、連邦環境省ではなく、連邦内務省に変更になったようだ。そして、連邦内務省の名前もBundesministerien des Innern, fuer Bau und Heimatと変更になった。これは、連邦内務・建築・故郷?とでも訳すような名称である。その背景にどのような意図があるのか、ちょっと分からないが興味深い。若干、右的なニュアンスも感じたりもしないでもない。
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イタリアの世界遺産「マテーラ」を訪れる [都市デザイン]

イタリアのバーリに同僚が在外研究で来ているので、図々しくもバーリへと訪れた。さて、バーリのそばには二つの住宅系の世界遺産がある。アルベロベッロとマテーラである。どちらかに連れて行ってくれると言うので、マテーラに行くことにした。マテーラへはバーリからだと鉄道で二時間ちょっとかかる。のんびりとした単線のローカル線で、車窓はオリーブ畑が延々に続く感じである。

マテーラはマテーラ県の県都であり、人口は約6万人である。2019年には欧州文化都市にも指定されている。そのような比較的、しっかりとした都市の旧市街地にサッシと呼ばれる洞窟住居がある。この洞窟住居が世界遺産なのである。マテーラの旧市街地はグラヴィナ川がつくった谷の石灰岩の丘陵地に発展した。ここに8世紀から13世紀にかけて、修道僧が洞窟住居をつくり、住むようになったそうだ。19世紀頃からは、貧しい小作農民がここに住むようになり、家畜とともに生活し、上水・下水もしっかりと処理できていないという劣悪な環境の中で住民は暮らすようになっていたそうだ。そして、1950年代にはこの住民は行政により強制的に郊外に新築された集合住宅に移住させられ、この洞窟住居は放っておかれるのだが、1993年に世界遺産に指定されると、これらの住居を再利用する人が増え始めているそうだ。

実際、訪れると、カフェなどに利用されているだけでなく、洗濯物が干されていた住宅もあったりして生活している人もいるようであった。どの程度、改修されたか不明だが、雨水の流れなどはそれなりに考えているように思われるが、下水はどのように処理できているのかなどは不明である。

どことなくアメリカのコロラド州のアメリカ・インディアンの居住跡地であるメサ・ベルデ国立公園を彷彿させる。まったく、アメリカ・インディアンと当時のマテーラの人達が交流する筈はないのだが、人間が考えることは似ているものだなとも思ったりもした。いや、丘陵地に住宅を掘ってつくるという点がということですが。

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(マテーラの洞窟住居の展望)

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(世界遺産に指定されていることもあり、ペンキなどは勝手に使えないそうである)

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(洞窟住居の跡地)
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ヴォージュ広場というパリの宝を台無しにしている道路 [都市デザイン]

パリで最も美しい広場と言われているのは、バスティーユのそばにあるヴォージュ広場である。ブルボン朝初代のフランス国王であるアンリ4世によって、パリを新しいローマにすべき1605年に建造が開始された、パリで最初の計画的に設計されてつくられた広場である。その設計とレイアウトに関してもアンリ4世は随分と口出しをしたそうで、パリという田舎をローマのような格を持たせるために彼が手がけた幾つかの都市プロジェクトのうちの一つである。この広場を囲む建物はすべての方向で9戸であり、高さなどは統一され、その調和は特別な空間をつくりだすことに成功している。

さて、確かに素晴らしい広場ではあるのだが、美しいアーケードもある建物とこの広場の間に無粋な自動車道路が通っている。つまり、広場は自動車道路の囲まれているような状況であり、建物と広場を行き来するのに、この道路を渡らなくてはならない。それだけでなく、この道路には路上駐車が両側でされていて無粋このうえない。美しい広場と美しい建物と自動車はまったく景観的にもマッチしない。なんてもったいない。一昔前のロンドンのトラファルガー広場を彷彿させる人に優しくない空間だ。やはり、フランスは都市デザインではヨーロッパの中では後進国だな、と呆れた気分になりつつ、いや、私が考えるぐらいだから、パリの人達も同じような気持ちをおそらく抱いているだろうと思い直す。というのも、前から思っていたのだが、バスチーユ広場とかマドレーヌ広場とか、自動車中心で歩行者をバカにしたようなランドアバウトを大きく改善させて、歩行者動線を改善し、より歩行者を大切にするような空間づくりをプロジェクトで進めていることを知ったからだ。

ということで、そのうち、当然、このヴォージュ広場を台無しにしている広場を囲む自動車道路もどうにかなるだろう。というか、ただ、自動車を通さなくすればいいだけの話だ。なぜ、ここに道路が必要なのかも分からない。駐車場が必要であれば地下駐車場をこの広場につくればいいだけの話だ。出入り口をどこにつくるのかが難しいというかもしれないが、それこそバスチーユ広場当たりに設置すればいい。ちょっとアクセス道路が長くなるかもしれないが、このパリという都市の宝をしっかりと守り、その価値をさらに高める意義を考えれば費用対効果はとてつもなく高いものとなるであろう。

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(パリで最も美しいといわれるヴォージュ広場)

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(しかし、その美しい広場と美しい17世紀の建物の間には無粋な道路がつくられている)

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(空間の連続性が台無しにされている)

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(しかも路上駐車の自動車が景観的にマッチしていない)

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(ヴォージュ広場に行く際にもこの道路を横断しなくてはならない。これも無粋)
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王寺町の「嘘からまこと」のラーメンで街づくり [都市デザイン]

奈良県に王寺町という自治体がある。ここは、大阪のベッドタウンで大和川沿いの谷を中心に発展した来た町である。面積は7キロ平米と随分小さい自治体だが、山がちであるために可住地面積は4キロ平米とさらに小さい。その結果、人口は24000人ぐらいだが人口密度が高く、また工業用地がないため第三次産業の従業者が91%を占める。都市構造的には勝手にコンパクト・シティである。鉄道とともに発展してきた町ということもあり、政策としては駅のブランド化を意識していて、駅周辺にマンションを建てていきたいと考えているそうだ。ううむ、コンパクト・シティは面的だけでなくても高さ面でもコンパクトがいいと考えている私としては、ここらへんは中央政府から本家のEUのコンパクト・シティと違った方向に進んでいるな、と懸念していた私だが、ここ王寺町も面的にはともかく高さ的には全くコンパクトではない都市づくりを目指しているようだ。

歴史はあるが、その町の歴史が現在の町へと上手い具合に繋がっておらず、山を切り開いてつくられたニュータウン的色彩が強い町である。さて、そのような町であるから、町としてのアイデンティティは弱く、人々の愛着は薄いし、知名度も低い。そのような課題を克服するために王寺町が取り組んだのはゆるキャラによる街づくり、そして次いでラーメンによる街づくりである。ゆるキャラは雪丸という犬で、聖徳太子の飼い犬という設定である。これは王寺町の名前が聖徳太子が建立した放光寺に由来しているからだそうだ。この雪丸は、王寺町のアイデンティティの欠如を埋めるように人気を博し、昨年度のゆるキャラ・グランプリでも11位になっている。王寺町を知らなくても雪丸を知っている人が増えている。さらに、雪丸のドローンを博報堂に委託して100万円でつくったりするなど、話題づくりも上手い。税金を使って100万円というのもどうかな、と思うがその広告効果を考えると100万円の効果は余裕であるだろう。王寺町を知らなくても雪丸を知っている人は増えている。雪丸をフックとして、観光客が増えることも期待しているそうだ。確かに雪丸が好きな人は放光寺に観光というパターンはできるかもしれない。私も聖徳太子に飼い犬がいたことや、聖徳太子が王寺と関係しているなどは王寺町を調べなければ知ることはなかった。

さて、ゆるキャラはともかく、それではなぜラーメンなのか。これは王寺町役場が町民に何が町に欲しいかのアンケートを行ったら、一番がラーメン屋であったことが大きな理由である。ちなみに二番はカフェであった。王寺町は関西本線が走っており、近畿鉄道の駅もあるので公共交通の便がよいため小売業は集積しているのだが、いかんせんフランチャイズ店が多い。これは町民にとっては必ずしも悪いことではないが、外から王寺町に来たくなるような発信力のあるお店ではまったくない。そこで、ラーメンをゆるキャラに次ぐ、地域ブランディングのツールとして考えることにしたのである。しかし、王寺町にはラーメンというコンテンツはない。ないから町民がアンケートで欲しいと回答したのである。いや、正確にはない訳ではない。「名物王寺ラーメン」という比較的、ラーメン通には知られていたスタミナ系ラーメンのお店が駅の北側にあったことはあった。しかし、ほぼ個店はここだけである。ということで、ラーメンの町というイメージは王寺町にはほとんどなかった。なんか、敢えて例えると、サッカーの日本代表の補欠になった選手が一人いただけで、サッカーで街づくりをしよう、みたいな無理無理感がある試みである。

さて、しかし、これが驚くことに上手くいく。それでは王寺町は何をしたのか。王寺町では2018年3月11日から7月31日にかけて、王寺ラーメントライアルというイベントを行った。これは、王寺でラーメン店の開店を目指す店主が、長年空き店舗であった王寺駅北口にあった居酒屋を改修した店で、期間限定でラーメン店の営業に挑戦するという企画である。
これには4店がチャレンジするという構想であったが、最初の1店は1日のみで、これは広告塔のような効果で有名店が開店したというものであった。その後は、Namaiki Noodle、麺屋やまひでの2店が出ただけで、結果的にNamaiki Noodleが優勝。その後、この店が会場であった空き店舗で2018年10月からラーメン屋を開業する。このお店は鶏白湯のスープの細麺で、個人的には奈良ラーメンのイメージに沿ったラーメンである。店主は奈良の鶏白湯ラーメンで有名な麺屋NOROMAで修行をしていたそうだ。このラーメンイベントは、2018年12月に県政策自慢大賞に輝く、という名誉を受ける。まあ、政策を自慢するという時点で公務員の仕事への意識に問題を感じない訳ではないし、表層的で短期的な視点の政策ばかりに公務員の関心がシフトしそうで心配ではあるが、王寺町にとってはこれは追い風となった。

そして、次に仕掛けたのが関西ドリームマッチという人気のラーメンイベントで、その第三回目を王寺町で誘致したのである。そして、まさに先週末の四日間(2019年2月8日〜11日)に開催した。このドリームマッチのどこがドリームかというと、関西の錚々たるラーメン店がコラボをするところが、ドリームだそうである。まあ、敢えてコラボするぐらいなら、そのレシピでつくれよ、という気もするが、ラーメンオタクにはなかなか嬉しい企画だそうである。このようにラーメンでまちづくりを仕掛けて1年、まともな個店のラーメンが一店舗しかなかった王寺町でなんと大規模なラーメンイベントが開催。その宣伝効果はとてつもなく大きなものがあったと推測される。

このようにして、特産品もほとんどなく、観光資源が少ない王寺町は「嘘から出た誠」のようなブランド戦略で、知名度を上げていったのである。これが成功した要因の一つとして、やはりラーメンをコンテンツにしたことはあったかと思う。なぜなら、まずラーメンは歴史が浅いので老舗といってもたかが知れている。まだ、発展途上の食べ物である。そして、応用が効く。例えば豚骨ラーメンは、スープをつくっている時、店主がうたた寝をして煮込みすぎたことで発見されたし、味噌ラーメンは札幌のお店で味噌汁にラーメン入れてよ、という無茶ぶりからつくられた。そのように考えると、まだまだその可能性は広がる。そして、少ない資産で勝負でき、それに勝てば実入りも大きいギャンブル性の高いビジネスであるので、男のロマンを駆り立てやすい。そこには、また学歴社会的なものが入ってくる余裕もない、実力主義的なところが、日本人の武士道にも通じる何か魅力を放っているような気もする。ここらへんは仮説ではあるが、ラーメンというコンテンツの魅力と、即興で地域ブランドをつくれてしまうという事実を王寺町で知ることができた。くまモンの熊本県ほどではないが、なかなか上手くやった(税金を無駄遣いにしなかった)自治体による地域ブランド創造政策ではないかと思う。

人口が縮小していく中、コミュニティを強化させるうえでは、その地域のアイデンティティを強化させていくことは極めて重要である。その強化において、ゆるキャラ、ラーメンといったコンテンツを使うことは、意外と有用なのかもしれないな、ということを考えさせられた。もちろん、ダメダメなゆるキャラを取りあえず、つくっていたり、税金を浪費してゆるキャラ・グランプリのナンバーワンを金で買う(静岡県のH市のことですね)ようなことはあってはならないとは思うが。

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(ナマイキラーメン)

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(ラーメントライアルの会場となった居酒屋。今はナマイキラーメンのお店になっている)
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京都市の人口減少解決策に異議 [都市デザイン]

1月17日の日本経済新聞に拙文が掲載されました。京都市の都市政策に関して疑義を呈した内容なのですが、ちょっと編集サイドで手が入り、それはそれで読者を想定すると有り難い修正なのですが、私の本音も皆様に伝えられたらと思いますので、オリジナルの原稿を下記、掲載します。

京都市が景観政策見直しを検討している。その理由は、京都に住んで働く人が減少することへの危機感であるそうだ。京都に住む人が減少している理由は、京都市によれば住宅価格が高騰しているからだという。人口が増加して住宅価格が高騰しているなら分かるが、人口が減少しているのにそれが高騰しているのは随分と奇妙な話である。しかし、京都市はそれは住宅供給が不足しているからだと判断し、住宅供給の弊害となっている建築物の高さ規制を緩和させようと考えている。
果たして、住宅供給を増やせば、人口減少は解消されるのであろうか。そもそも、京都市の住宅価格の高騰をもたらしているのは、最近の京都の凄まじい観光需要の増加を起因とした民泊需要の増加であると筆者は分析している。実際、観光客に人気の高い東山地区などの空き家の取引状況をみると、そのうちの大半が外国人による投資か、それを仲介する不動産業者であったりする。それらは外国人がそこで住むために投資しているのではなく、民泊として活用するために購入しているのである。したがって、住宅価格の高騰を抑えたいのであれば、それを押し上げている民泊を規制すべきである。住宅価格の高騰を緩和するために住宅供給を増やして効果があるのは、実際の住宅需要が不足している場合であって、不足しているのは住宅という名を隠れ蓑にした民泊という宿泊施設の場合は、規制緩和をしても、住宅需要は民泊需要にすべて喰われてしまうであろう。
 百歩譲って、宿泊施設を増やすということで都市計画規制を緩和するということで議論をするならまだ分かるが、人口減少を解消するためにそれを緩和することは、インフルエンザに外科手術を施すようなもので、効果がないどころかマイナスの影響を及ぼすであろう。そのような規制緩和は住宅ではなく、民泊を増やすことに繋がり、それはさらなる観光客を増やすことになる。現時点でもバスなどの公共交通が、増加した観光需要を捌ききれずパンクし、四条などの中心部では歩道から人が溢れるような状況下であるのに、さらに観光客を受け入れることは、京都市に大きな弊害をもたらすであろう。
そして、何よりそのような高さ規制や建築政策の見直しは、世界でも希有な「先年の都」という歴史を有する古都の根源的なアイデンティティを破壊する。いや、そのアイデンティティを破壊すれば確かに観光客も来なくなるかもしれないが、それによって京都という都市の魅力が失われ、より人口の減少を促進させるのではないだろうか。京都はそのユニークな歴史から、日本人だけでなく人類の宝となっている。それは、世界的にはプラハやフィレンツェ、ベネチアなどのような都市であり、そのアイデンティティをしっかりと次代に継承させていくのは日本人の人類への責務である。日本全体が人口減少というトレンドにある中、人口のいたずらな奪い合いへ参戦することは、長期にわたる禍根を京都に残すことになるだろう。千年とは言わないが、百年ぐらいの長期の物差しで京都のアイデンティティを守るという意識をもって都市政策を考えてもらうことを切に望みたい。

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京浜急行が駅名を変更することを検討している話を聞き、都市のアイデンティテイを考える [都市デザイン]

東京の品川から横浜を抜けて横須賀、浦賀とを結ぶ京浜急行電鉄が創立120年を機に、46駅の駅名変更を検討しているそうだ。この駅名の候補としては先月の10月に小中学生を対象として新駅名案を募集したそうだが、まったくもって何を意図しているのだろうか。
 まず、これは京浜急行にとっても地域にとっても利することがまったくない、大愚行である。地域の名前は、地域にとってのアイデンティティであり、名前にはその地域の風土、歴史といった物語が凝縮されている。それを変えるというのは、その地域の重要なアイデンティティを放棄することであり、安易に変えるべきではないし、それを小中学生に丸投げするなどというのは、京浜急行がいかに地域住民や地域のことを理解していないか、配慮していないかを露呈している。百歩譲って、地域住民が駅名を変更して欲しい、という要望があって、それを踏まえたうえで小中学生だけでなく、地域住民全員を対象に新駅名を募集するのであればまだしも、なぜ小中学生なのか。東京新聞の2018年11月2日の記事では、京急広報部は「次世代を担うお子様に広く声を伺う企画」と言っているが、子供達は大人になったら京急沿線を出ていく可能性は高い。むしろ、この沿線を終の棲家としている人達に聴いた方がいいと思う。そして、小中学生はその沿線の地域のことをろくに知っていない。私は大学生を対象に、彼らが日々過ごすキャンパスに対してのアンケート調査をしているが、「銀杏が臭いので並木道はなくして欲しい」とか一番、キャンパスで守りたいところは「喫煙所」など、ほとんどキャンパス・デザインに通じる意見を伺うことはできない。あと、よく街の人は若者のアイデアに期待というが、日々、若者と接してる身からすると、若者よりオヤジの方がよっぽどアイデアが出てくる。小中学生は無邪気ではあるが、無邪気であるがゆえに、その町のことを駅名などを通じて勉強する機会をむしろ提供してあげるべきであろう。駅名を決めるなどもっての外である。少なくとも、地名は小中学生のコンテストで決められるようなものではない。そして、これから沿線の住民も高齢化していき、そうでなくても物忘れが激しくなり、それまでの記憶で生活環境を理解しようとしている中、鉄道会社の勝手な思い込みで駅名を変えるというのは、あまりにも高齢の沿線住民に配慮がなさすぎであろう。
今回、駅名変更の対象となっている駅には、雑色、青森横丁、大森海岸、梅屋敷、糀谷、子安、仲木戸、日出町、黄金町、六浦、追浜など、もうその名称に言霊が溢れているような駅名も多い。このような言霊がある地名というのは、それだけでアイデンティティをぷんぷんと放ち始めて、その地域に対するイマジネーションがぶわっと広がっていく。そして、そのようなアイデンティティが発現できてこそ、そこの地域はブランド的価値を発信できるのである。そんな基本的なことも京浜急行は理解していないのだろうな。くるりの「赤い電車」の歌が泣く。
このような名前を変更することは、植民地を支配した側が、地域の力を弱体化させるために使う常套手段である。なぜ、沿線住民が高齢化し、今いる人達を大切にしなくてはいけない生活サービス提供者がこのような愚行に走るのであろうか。
 京浜急行にとっても、今回の試みはほとんどメリットがない。まず、おそらくろくな名前が出てこないだろうが、小中学生に期待を持たせて応募させたからには、これはもう実践させなくてはならない。駅名変更をするには、相当のお金がかかる。看板代だけでも相当のものだ。もしかして、社長の息子が看板屋の社長でもしているのだろうか。まあ、これで得するのは看板屋とか印刷屋だけであろう。通常、駅名変更は、地元や地元の学校などがスポンサーになって初めていやいややるようなことだが、今回はどうも地元への根回しもなく、勇み足で京浜急行が始めたようなので、地元からの不平不満は京浜急行に向けられるであろう。
前述したが、高齢者は生活空間の空間記憶の重要な拠り所である駅名を失ってしまうので、鉄道での利用が以前に比べて不便になり、他の交通手段を利用したり、また場合によっては高齢者引きこもりになるかもしれない。いや、認知症の患者にとっては、駅は重要な空間記憶の碇のようなものなので、これは人々が思ったよりも深刻な状況をもたらすのではないかと考えている。結果、京浜急行の高齢者の利用率は下がるであろう。
鉄道会社のような公益性の高い企業、特に地域が存在することで始めて成立する企業は、地域のアイデンティティとかをもっと配慮しなくてはならない義務がある。京浜急行が走っているから、その駅があるから、その周辺に居を構えた人も多い。これから、高齢者が増えていくのに、認知症の問題とかもあまり理解できず、その地域のアイデンティティの重要性が分からない小中学生に名前を委ねるというのは、家族で寿司屋に行った時に家族の注文を小中学生の子供の意見に従うような愚行である。これは、例えば、新馬場で私が好きな小料理屋「牧野」の素晴らしさや、黄金町の三大ちょんの間の混濁したような歴史がその地域のアイデンティティ形成に寄与していることの詩情などは、到底小中学生では理解できないと思われるからだ。いや、理解できる小中学生はいるかもしれないが、いたらいたでそれはそれで嫌である。
 私は縮小都市の研究をしているが、都市が縮小する時、優先的に守るべきものはその都市のアイデンティティであり、例えば旧東ドイツの縮小都市においても、その点を何しろ死守するような政策を採用しているし、それに成功したところはどうにか人口減少が収まったりしている(コットブスやライプツィヒなど)。人口が減少するのと同時に、アイデンティティが希薄化していくと、人口の減少は加速化していくだけだからだ。京浜急行の沿線は人口が減少してはいないのかもしれないが(横須賀市は相当、減少しているが沿線から離れた谷戸地区である)、その地域ブランドは落ちていくであろう。田園都市線のようにマーケティングで地域ブランドをつくれると思っているのかもしれないが、田園都市線は畑と牧場と森といった都市ではないところを新たに開発していったので、無から有をつくりあげるという過程をとった。京浜急行電鉄は、もしかしたら自らの沿線は工場地帯だったりしたので、昔のそういうイメージを払拭もしたいと考えているのかもしれないが、120年の歴史はそのようなマイナスなイメージをも包含させて、今日の都市へと地域アイデンティティを繋げているのだ。だから、田園都市線沿線よりも京浜急行の沿線の方が都市のエレメンツがずっと豊穣ではないか。能見台とかのように豊穣でないところはあるかもしれないが、くるりは京浜急行では歌がつくれても田園都市線では難しいと思う。それは田園都市線にはマーケティングはあっても詩情は本当にないから。あるのは、玉電が走っていた二子多摩と渋谷の間くらいでしょう。
 せっかく、そのような沿線風土を有しているにもかかわらず、自らそれを壊そうとするのは愚の骨頂であり、こういうことを続けていくと、日本の地域性がどんどんと失われていくと思われる。ただ、どちらかというとこういう愚行をするのは地方都市で、多くの場合、それで自らの首を絞めているのだが、東京にもそういう馬鹿がいたかと思うと、地方都市の人はちょっと嬉しいかもしれない。いや、結局、どちらにしても日本がダメになっていくだけですが。
 納得できないようであれば、これから皆が京浜急行を西東京湾鉄道に変えてしまうと言われたらどう思うだろうか。じゃなければ横須賀急行でもいい。横浜と横須賀をとって、横横電鉄でもいい。おそらく、京浜急行の人達は嫌がると思うのである。名前を頻繁に変える人がいたりするが、私はそういう人はどこか後ろめたいものがあるのではと勘ぐっている。自分の過去を消去したくなるような。少なくとも、私は自分の名前を変更するうえで、子供達に決めさせたりしないな。そもそも、自分の人生はつまらなくくだらないものだと自覚しているし、自分の名前も本当、ださいと思っているが、それでも変えるつもりはない。それは、私の人生を私の名前は良くも悪くも包含していて、私のアイデンティティの一部であるからだ。つまらなく、くだらない人生ではあるが、名前を変えたら、それがバラ色に輝くようなものでも決してない。

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国際日本文化研究センターを訪れ、内井昭蔵氏の図書館設計の理念を少し知ることができた [都市デザイン]

京都の洛西ニュータウンのそばにある国際日本文化研究センターを訪れる。同センターは、「日本文化を国際的な視野にたって学術的、総合的に研究するとともに、世界の日本研究者に研究情報の提供などの研究協力を行うことを設立趣旨としている」。この施設は、当時のセンター長であった梅原猛がその設計者として内井昭蔵に白羽の矢をたて、一般的には内井氏を代表する作品として捉えられている。
 内井氏の著書『装飾の復権 - 空間に人間性を』(彰国社 2003年)には、随分とこの国際日本文化研究センターに関してページが割かれている。また、『続・健康な建築』にも多くが語られている。ということで、是非とも視察したいと考え、見学申請書を提出し、写真撮影とともに資料の入手などもさせていただいた。
 同センターは研究棟、国際交流棟、講堂、図書館・図書資料館、日文研ハウス(宿泊棟)、情報・管理棟、福利施設棟とから構成されている。
 どれも、細部にまで繊細な神経で拘っており、そのヒューマン・スケールで優しい建物群は、そこにいると安堵感を覚え、初めて訪れた場所であるにも関わらず、居心地のよさを感じる。しかし、これは内井氏の建築の中で15年間仕事をさせていただいた私が感じるノスタルジック的な心地よさかもしれないので、ちょっと主観が入っているかもしれない。
 このセンターの中心に位置するのが図書館である。図書館は、大英博物館のようなものをつくって欲しいという要望が内井氏の方にあったようだが、出来たものは一目でアスプルンドのストックホルム市立図書館を意識していたことが分かる。中央のカウンターの設計、そして何より外観のロタンダの意匠がそっくりである。パロディなのではないかと思うぐらいなのだが、同センターの人の一部は、いやそんなことはない、と否定する人もいるようだ。ちなみに、このセンターがつくられた時に若い研究者であった井上先生にちょっとお話をさせていただく機会があったのだが、彼が内井先生に「アスプルンドですよね?」と尋ねたら、ニコッと笑って返したそうだ。
 さて、内井氏は大学の設計において非常に重要視するのが、図書館であり、それは、このセンターの設計にもみてとれる。内井氏は、図書館に関してはヴァージニア大学を参考にしていると幾つかの著書で書かれている。この図書館は拡張性のシステムがしっかりと計画に入っており、内井氏が設計された後も蔵書が増えるに従い、第一次増設、第二次増設と行われている。現在75万冊の蔵書があるそうだが、まだまだ収容する余地はあるそうだ。ちなみに、第一次増設時は内井設計事務所が担当したが、第二次増設は内井事務所とは関係ない設計事務所が担当した。
 内井昭蔵氏の建築の真骨頂は、その細部への拘り、その空間への利用者への温かい眼差し、そして細かい配慮であると私は思っているのだが、増設部分は、時期がずれるにつれ、その個性は薄らいでしまっているような印象を受けた。しかし、これは予算の問題もあったかもしれない。同センターが設計された時は、バブル経済の最中、しかも当時の中曽根首相の肝煎りのプロジェクトであり、センター長も当時は梅原猛である。そして、内井昭蔵氏に梅原猛は入れ込んだ。そのような中、梅原猛も内井氏を選んだことで批判を後にされたくなかったのであろう。内井氏は相当、思い切って、自分の建築理念をこの場所で具体化させることができたのではないか、と考えられる。とはいえ、このセンターの井上先生の話によると、「もうちょっとしたいことがあった」と彼に漏らしたことがあったそうである。何が言いたいかというと、内井氏が設計した図書館はすこぶる素晴らしいが、増設するに従い、その素晴らしいエッセンスが希薄化しているということだ。
 図書館に話を戻すと、システムの中心において、その後、しっかりと周辺に拡張できるという設計コンセプトを内井氏はヴァージニア大学でヒントを得た。これは、同じ内井昭蔵氏が設計した明治学院大学の白金キャンパスの本館でも同様に考えられた、と明治学院大学に内井事務所が提示した資料にも明記されている。それで、同大学の管財部もヴァージニア大学にまで視察に行っている筈だ。私はまだヴァージニア大学を訪れたことがないので、その点ははっきりと分からず、そのために明治学院大学の図書館においてどのような拡張性が意識されていたかが理解できていなかった。
 少し、話が横道に逸れるが、私は現在、内井昭蔵氏がどのように明治学院大学の設計プランを考えられ、それを具体化していったのかといったことを調査研究している。その背景は、ここでは述べないが、そのような調査研究を始めたきっかけは、ある私の元同僚の先生との会話であった。
 この同僚の先生は、白金キャンパスの本館の設計を批判していた。「こんな大学の設計はなっていない」と主張をしていたのである。私は、正直、内井昭蔵氏の設計した建物で日々、過ごしていてむしろ本当、幸せだなと思っていたので(この気持ちは、今の龍谷大学深草キャンパスで過ごしているとより強く、感じる)、彼のこの主張に関心を抱いた。そこで、私は「先生、この本館の建物のどこが気に入らないのですか」と尋ねると、彼は「一番の問題は図書館である。この図書館には拡張性がない」と言う。私は、「それでは先生はどのような大学の図書館がいいと思われるのですか」と再び問うと「ヴァージニア大学だ。あそこは素晴らしい」と答えられたので、まあ、心底、愕然とした。なぜなら、内井昭蔵氏がまさに明治学院大学の図書館のモデルとしたのがヴァージニア大学であるからで、この先生は本当に大学の先生なのか、こんな先生に教わる学生達は悲惨だな、と呆れ果てたのだが、ただ当時、私は確かにこの図書館には拡張性はないかな、と思ったのと、この大学の図書館のモデルがヴァージニア大学ですよ、と言うのも面倒臭かったので、それ以上、会話を続けなかった。
 ただ、この経験は私に二つのことを教えてくれた。一つは、建築に関して無関心な人はほとんど建築の良し悪しが分からないな、ということ。もう一つは、そのような分からない人に対して、やはり、しっかりと建築家の思想などをまとめて発信する必要があるな、ということである。私が建築の専門家でもないのに、内井昭蔵氏の明治学院大学のキャンパス計画の研究を始めたきっかけは、この会話だけではないが、その結果、私が自分に課した研究テーマの一つとして、明治学院大学の図書館の拡張性を内井氏がどのように考えていたのか、を入れることにした。
 そして、それを解明する大きなヒントが、このしっかりと拡張性のシステムを確保し、実際、拡張をした国際日本文化研究センターを訪れて得られた。それは、明治学院大学の図書館に隣接した教室、もしくは研究室を図書スペースと拡張するということである。まだ、明学の図書館には蔵書スペースが余っているので問題がないが、もし埋まったら、その隣接している回廊スペースを図書の蔵書スペースにすればいいのである。もちろん、そうすると教室が減るかもしれないが、それらの教室や研究室をむしろ建て増しすれば問題は解消する。特に、研究室に関しては、現在のヘボン館を改築した時に高さを増して収容することができる。
 そこらへんをどの程度、本人が意識をしていたかは分かりにくいが、拡張性が硬直化してできないような設計ではまったくないと思う。
 まったく建築的な理解がなく、それなのに堂々とお門違いでフェイク・ニュース的な発言を主張できるトランプ並みの厚顔無恥な同僚が一緒であったことは、私にとっては不幸であったが、その彼のお陰でいろいろと内井昭蔵氏の素晴らしい建築を見るきっかけをつくってくれたことを考えると、それはそれで悪くなかったかな、と思ったりもした、国際日本文化研究センターの訪問であった。

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ドイツのクラインガルテン事情 [都市デザイン]

 ライプツィヒに来ている。都市周辺には本当、クラインガルテンが多い。ライプツィヒはクラインガルテン発祥の都市である。ということで、簡単に調べてみた。
 クラインガルテンは組合によって管理されている。年会費は25ユーロ前後。ただし、光熱費等が年間300ユーロぐらいかかるので、都市にもよるが大体、日本円で年間5万円弱ぐらいだろうか。面積的には100㎡〜300㎡だそうだ。借りられる期間は25年ぐらい。結構、人気があるそうでウェイティング・リストもあるそうだ。ただ、ドイツも高齢化が進んでいるので、クラインガルテンの管理ができなくなってきている人も増えているようなので、比較的、借りやすくなっているそうだ。また、基本、有機農業をしなくてはならず、化学肥料の利用は駄目で、水もほとんどを雨水で賄っている。さらに、コンポストもしなくてはならない。しかし、これはクラインガルテンの組合の考え方にもよる。通常、泊まってはいけないがそれほど厳しくチェックはされていない。ライプツィヒでは3万ほどあり、これは人口比でいうと6%程度。この割合は他の都市より高いそうだ。

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(クラインガルテン:ただし、ライプツィヒのものではなくケムニッツのもの)
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オランダの道路は狭い・・・コンパクト・シティに広幅員の道路はあり得ない [都市デザイン]

オランダの住宅街を自動車で移動していたのだが、道幅が相当狭いので驚いた。そして、中央分離線も引かれていないので、なんか不安になってスピードを出すことも難しい。高速道路はしっかりと広幅員であるが、高速道路を下りると、バスやトラックが通るような幹線道路でも狭いのである。自転車道や歩道は別に平行して整備されているので、広げようとすればできるだろうが、そうしていない。
 そして、その結果、ヒューマンな空間がつくられている。オランダの都市はコンパクト・シティのプロトタイプとして、コンパクト・シティを具体化しようとする日本の自治体も注目していると思われるが、この道路幅員の狭さはコンパクト・シティの重要な要件であろう。広幅員の道路を整備して、コンパクト・シティをつくるのはあり得ないと思う。コンパクト・シティであれば道路もコンパクトでなくては・・・。こんなことは、ちょっと考えれば当然かと思うが、日本の都市は広幅員の道路をコンパクト・シティを掲げていてもつくってしまうからな。その矛盾をオランダの住宅街の道路幅の狭さを観察し、再認識する。

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アムステルダムにある女性問題の唯一の国立研究所であるATRIAを訪れる [都市デザイン]

アムステルダムにある女性問題の唯一の国立研究所であるATRIAを訪れる。ここは英語で訳すとInstitute on Gender Equality and Women’s History。女性問題の研究、そして政策提言をしている機関である。図書館もあり、蔵書数も非常に多く、10万点以上の文献を有しているそうだ。そして、ここでは情報提供以外に現在の女性地位の評価などの研究もしている。ここにくれば政策決定者や女性問題に取り組んでいる人達は、女性問題に関する統計情報を入手することができる。女性のイメージ、暴力、仕事などを大きなテーマとして扱っている。アトリアが目標としているのは、男女間の平等を実現することである。
 ATRIAの説明によると、日本の女性就労率は66%、それに比してオランダは74%。そして、男女の給料格差であるがオランダは16%、日本は26%である。ちなみに16%というのはOECDの平均の数字とほぼ同じということである。これが少ない国はベルギーとかルクセンブルクである。ベネルクス3国の中ではオランダは後塵を拝している。
 オランダの女性労働市場進出の特徴としては、女性は多くがパートタイムであり、そのうちの半数が自立で生活できない。加えて、企業やトップの管理職の割合をみると女性の進出具合は今一つである。ATRIAの見解だと、女性が家事などをするので、パートタイムで甘んじなくてはならない状況にあると考えている。男性と女性の権利は平等ということは認められているが、労働市場だと家事を女性が押しつけられるので、なかなか女性の労働進出が厳しい状況にある。
 家事とお金を稼ぐこと、そして学ぶという3つをうまくバランス取って回していく、ということを女性だけでなくて男性もしなくてはならない、とATRIAは主張している。ジェンダー間のバランスが不均衡であることを是正しようとしているのだ。特にジェンダーのステレオタイプを壊すことに取り組んでいるそうだ。福祉関係の医療などだと、汚い、きつい仕事であって女性がやるべきだと考えられたりしているが、そういうことを是正しようとしている。
 2015年に男女格差の雇用状態を調べたのだが、現在は30.7%が平等ではない。傾向としては、男女格差は減っているが、まだ道のりは長い。これはヨーロッパの他国に比べても劣っている数字だそうだ。
 15歳〜64歳までの女性の就労率は1980年代前半は35%であったが2018年では71.3%にまでほぼ倍増した。このような就労率の増加はオランダはパートタイムの仕事で働く人が多いからだ。しかし、ヨーロッパの中でもこの女性のパートタイムの割合がこんなに高いのはオランダだけである。
 ワークライフバランスに関してであるが男性は仕事と家庭の割合は6対4,女性は4対6となっている。
 そのような状況下で、どのような解決をATRIAは提言しているのか。
まず、ステレオタイプの瓦解を促進すること。そのため、女性らしくないロールモデルを広報すること。また妊婦への偏見を是正すること。加えて、父親も子供ができた時は有給で2週間休めたが、来年度から5週間に延長できるようにしている。とはいえ、この日数はスカンジナビアの国に比べると少ないので、さらに延長しなくてはならないと考えている。
 全般的に男女格差が少ない国は、アイスランド、スウェーデン、ルワンダだそうだ。これら三国はすべて訪れたことがあるが、印象論ではあるが、結構、納得できる。

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ウォリアーズ対ロケッツの第七試合を観ようとDAZNに登録したら、観れなかった [都市デザイン]

今日はゴールデンステート・ウォリアーズとヒューストン・ロケッツの西コンフェレンスの第七戦だ。負けたらそこでシーズンは終わる。いや、第六戦も2勝3敗で負ければおしまいだったが、ホームで負けることはあまり考えられない。案の定、前半こそ10点差で追っていたが、第3クォーターを33対16というダブルスコアで逆転すると、第4クォーターは31対9。圧倒的な勝利で最終戦を迎えることになった。さて、しかし、第七戦は敵地ヒューストンでの試合である。これまで第一試合には勝てたが、第二試合、第五試合と負けている。これは、流石に不味い。もし負けたとしても、ファンとしてはしっかりと見届けなくてはならないと思い、DAZNで視聴しようとした。去年もDAZNに加入して、プレイオフの試合を数試合、観たことがあるからだ。

新幹線に乗っているが、ネットには繋がっている。試合はもう第三クォーターが開始したところだ。急いでDAZNに加入する手続きを取る。一ヶ月で1890円だが、私にとっては、今、この一試合でも1890円の価値はあるし、また、NBAの決勝を観るのも悪くはないだろう。ということで購入する。さて、急いで、バスケットボールのページに行くと、なんとNBAの試合のテンプレートがない。Golden State Warriorsで検索すると、そのチームの試合はないとのこと!なんてこった。まさに金をドブに捨てたようなものだ。とはいえ、試合は進んでいる。NBA.COMでは以前、会員になっていてウォリアーズの試合を観れたりしたのだが、翌年、勝手にグレードをアップ(料金も高くなる)した契約を結ばれて怒って止めたという経緯があるので、入会したくなかったので一試合だけ観ようと思ったら、どうも楽天が入り込んでいて、一試合だけの購入が出来ない、もしくは極めて分かりにくくなっている。ということで、せめてポッドキャストでも思ったら、うまく見つけることができなかった。ここで堪忍して、NBA.COMのテキストの実況中継をチェックすることにした。これは、まったくスリリングではないが、同時体験をすることはできる。この試合も第二クォーターまで54対43とリードされていたが、第三クォーターで33対15でダブルスコアの逆転をすると、そのまま押し切って101対92で勝利した。

ということでウォリアーズは4年間連続で決勝に臨む。1990年代の感動的な弱さからは信じられないような強豪ぶりである。いやあ、長生きすると何が起きるか分からない。とはいえ、今日の試合は決勝を含んでも、今シーズン一番、観るべき試合であった。それがみえなかったのは悔しいなあ。

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生まれて初めて竹の塚を訪れる [都市デザイン]

生まれて初めて竹の塚を訪れる。私事であるが、三ヶ月に一度、埼玉県の越谷市にある獨協医科大学の付属病院に通っている。ということで、竹の塚はそのたびに通っていた。とはいえ、それほど関心を持っていなかったのだが、4日前、知り合いの広告代理店の人達と下北沢に飲みに行った時に、竹の塚は治安が悪くて有名なのだ、という話を聞かされ、「えっ!そうなの」と驚いたので、早速、今日、獨協医科大学での定期検診の後、竹の塚で途中下車をしたのである。

竹の塚という名前は前から知っていた。というのも、中学時代、私は東横線の学芸大学に住んでいて、その頃、日比谷線が東横線と東武伊勢崎線の直通乗り入れをしており、東横線側は日吉まで、東武伊勢崎線は竹の塚にまで乗り入れをしていたので、私が乗る日比谷線は北千住か竹の塚行きであったからである。さらに、高校時代の同級生が竹の塚出身であったことも、その名前を記憶させるきっかけとなった。確か、竹の塚中学出身であったと思う。彼の家に遊びに行ったことはなかったが、団地に住んでいると言っていた気がする。あと、大学時代の友人が柏の方に住んでおり、よく車で送っていたことがあったのだが、竹の塚の有名な開かずの踏切を何回か横断した記憶がある。その後、この開かずの踏切では人身事故などもあったりして、ニュースでも取り上げられたのは覚えている。

とはいえ、これくらいの記憶である。今回も、てっきり西新井より北千住側だろうと思っていたら、草加側であったので驚いたぐらいである。竹の塚の駅は工事中であった。これは、どうも踏切事故に対応しての高架化、ホーム大工事の一環のようである。とりあえず東口に降りると、目の前には大きなバスターミナルがあった。まるでJRの駅のようである。そして、目の前には大きな団地が聳え立っている。しかし、高層ビルはこの団地だけであり、新越谷や北千住の駅前にあるような高層の商業ビルは一切無い。とてもフラットな感じの駅前である。おそらく、ここに駅が出来た時は、この一帯は田んぼであったのだろう。

そして、多摩ニュータウンや田園都市線沿線のような郊外の臭いはしない。おそらく、昔から人々がここで農業などに営んできたからではないか。山や谷を無理矢理、開発した暴力性のような匂いは、お昼に訪れたからかもしれないが、私はあまり感じなかった。とはいえ、自然的な感じもせず、工業地区のような人工的な印象は受ける。練馬や板橋に感じる武蔵野らしさはまったく感じられない。むしろ、葛飾や江戸川といった千葉、利根川的な風土を感じる。

気づいたのは物価の安さであり、ランチ定食が500円で提供されている。大学の生協より安いのではないだろうか。さらに驚いたのは不動産の価格で、3LDKの70㎡ぐらいの集合住宅が1800万円ぐらいで買うことができる。23区内でこの安さは驚愕である。東京は不動産が高いと言われたりしているが、なんてことはない、東に行けば相当、安い。逆にいえば、ここで1800万円の値段で買わずに他で買いたがる消費者心理とは一体、どのようなものなのだろうか。駅の周辺だけをぐるぐる回っただけであったが、珈琲焙煎屋はあるし、比較的美味しい個店系のラーメン屋もあるし(ここで、昼食をした)、多くのチェーン店もあるし、スーパーは西友である。銀行も三菱東京UFJ銀行がある。すなわち、生活利便性という点だけでは、むしろ田園都市線沿線の駅に比べても何ら遜色はないように思えるのだ。やはり、治安が悪いということが、この物価の安さと関係があるのだろうか。とはいえ、定年退職後、お金に不安であれば、退職金でここらへんの安マンションに入ったら生き延びることはおそらくできるだろう。同じ23区ではあっても、目黒区に住んでいると不安になるが、竹の塚に行けば生き延びられるような気がする。

竹の塚は「足立区のマニラ」と呼ばれているらしい。実際、急行も停車しない私鉄駅であるにも関わらず、多くのフィリピン・パブが集積していた。ホスト・クラブもあった(これはフィリピン男性ではなく、日本男性が働いているような印象を与えたが、実態はどうかは不明だ)。とはいえ、乱立するこれらの水商売系のお店の看板はちょっと不快感を覚えさせはするが、治安が悪いといった印象までは与えない。まあ昼に訪れたからかもしれない。

とはいえ、私が勝手にイメージをしていた竹の塚と、実際、体験した竹の塚とは大きな乖離があった。もう少し、東武板橋のような町並みをイメージしていたので、その団地的景観、バスターミナルの大きさ、土地利用密度の低さ、フィリピン・パブなどが集積している乾きなどは、想像外であった。そして、何より、不動産をはじめとした物価の安さは感動的ですらあった。北千住も最近、注目されているし、そのうち、この値段の安さから考えると竹の塚の人気も上がるのではないかとさえ思った。その時、ジェントリフィケーションが起きて、フィリピン人が追い出されないといいのと、そうなると私が貧乏老人になった時に竹の塚にレヒュジーできなくなると困るな、と思ったりもした。まあ、そんな心配はいらないか。東京オリンピックが終わり、消費税が10%になったら、人口減少トレンドにある日本は、東京を含めて不動産大不況になることは間違いないと思われるからだ。

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(駅を降りて東口に出ると目の前に巨大な団地のような建物が屹立している)

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(やたら立派なバスターミナル)

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(駅周辺の商店街)

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(巨大な団地のような建物の裏には広大な駐車場が広がる)

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(駅の北口の踏切)

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(感動的に安い不動産)

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(これが悪名高い開かずの踏切。上下線で踏み切りのシステムが分かれているのは、なかなか鋭いアイデアだと思った)

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(フィリピンパブ多し。またホスト・クラブもあった。そういうニーズがある街なのかとも思うが、フィリピン・ホステスもこの不動産の安さだと住みやすいかと思う。)

タグ:竹の塚
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東横線の渋谷駅があまりにも不便になったので、初めてバスで帰ってしまった [都市デザイン]

東横線沿線に住んでいる。しかし、渋谷には最近、めっきり行かなくなった。これは、東横線の渋谷駅が地下化して地上に出るのが億劫になったからだ。それまでは山手線に乗り換えるのも渋谷駅を利用していたが、最近では恵比寿駅を利用することが多くなった。これは、渋谷駅の乗り換え抵抗が私にとっては160円以上あるという証明になっている(恵比寿駅で乗り換えるとメトロ分、160円余計にかかる)。というか、そもそも山手線を使わずに副都心線をなるべく利用するようになっている。どちらにしろ渋谷駅には行かない。特に飲みに行ったり、食事をしに行ったりはしなくなった。
 さて、しかし、それでもたまに渋谷駅に行かなくてはいけない時がある。その理由は大きく3つある。一つ目はギターの弦とかピック類を買いに行くときである。渋谷はギター屋が集積している。他には都内だとお茶の水にも集積しているが、流石に渋谷駅が地下化して不便だとはいってもわざわざお茶の水に行くよりは便利である。ということで、そのようなニーズがある時には渋谷駅に行く。同じようにギターの修理に行く時も渋谷駅に行く。私は、ギターの修理は渋谷のESPと決めているので、そこに持って行く。二つ目はアップルストアに行くときである。銀座の方がサービスはいいが、流石に渋谷と銀座だと渋谷の方が近い。そして三つ目であるが、CDを買いたい時には渋谷のタワーレコードに行く。タワーレコードのメンバーズ・カードの効果が結構あるのかもしれない。
 また、時折、コンサートでオーチャード・ホールやらNHKホールとかにも行ったりするが、まあそれぐらいである。特別な「買回品」を購入するような時にしか渋谷には行かなくなっている。東横線沿線に住んでいても、渋谷駅は地下化によって随分と遠くなった。これは私が年を取ったこととも多少、関係があるかもしれない。
 今日、また渋谷に訪れた。ギター関連の小物を購入しなくてはならなかったからである。そして、帰路につこうとした時、東横線の渋谷駅まで行くのがとても面倒な気分になったので、生まれて初めて渋谷駅から田園調布駅のバスに乗ることにした。時間はおそろしくかかるが、なんか東横線に乗るのがとても億劫になったからである。
 東急は渋谷駅を地下化することで、高層ビルが建設されるようになってほくそ笑んでいるのかもしれないが、渋谷駅に行く気持ちを沿線住民からこれだけ削いでいるということに気づいた方がいいかもしれない。まあ、結局、バスに乗っても、それは東急バスなので東急は私のこのような不平も痛くもかゆくもないだろうが。まさに蛙の面に小便をしているような虚しさを覚えなくもないが、とりあえず不平をここに書いておく。

タグ:渋谷駅
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ランディ・ヘスターとエコロジカル・デモクラシー [都市デザイン]

ランディ・ヘスターが著した都市デザインの大著『エコロジカル・デモクラシー』の出版記念イベントに参加した。ランディ・ヘスターはバークレイ時代の先生であるのと、私はランディ・ギャングといわれる強烈な女子学生グループになぜか白一点で入っており、セミナーに参加し、彼が行く学会に同行してたりしていた。ということで、あまりにも近いので、彼はいい先生ではあるが、現状の日本での高評価には正直、違和感を覚えている。親戚のおじさんが大スターになってしまったような感覚である。
 さて、しかし、この『エコロジカル・デモクラシー』は凄い本である。私も流石に多少、公式の場で、「元学生の分際でこのようなことを述べるのは不遜ではあるが、この本はジェイン・ジェイコブスの『The Death and Life of Great American Cities』やケビン・リンチの『The Good City Form』と同じレベルにあると思います。ジェイコブスやリンチは伝説的な人でありますが、まさか、こんなに近くの人がそのような伝説的な仕事をされたのは光栄です」と伝えた。ヘスター先生は近かったこともあり、その必ずしも立派ではないようなところも知っている。都市デザインのアプローチでも問題がない訳ではない。しかし、そういうことを踏まえても『エコロジカル・デモクラシー』を書き上げたという偉業の前では、そんなことは些少である。
 また、この本はエコロジカル・デモクラシー・デザインという手法の運用指南という位置づけも有している。そして、エコロジカル・デモクラシーというアプローチこそが、トランプ大統領によって生じている民主主義の危機、環境破壊の惨事を回避できる極めて有効なものとなるであろう。これに関しては、雑誌『ビオシティ』にちょっと書いているので、関心のある方は読んでもらえればと思っている。

http://bookend.co.jp/biocity-ビオシティno-74-エコロジカル・デモクラシーのデ/

出版イベントでのランディ・ヘスターはスピーチで次のように語っていた。
「エコロジカル・デモクラシーは10年後には、ヴァーチャルなコーポレイト・デモクラシーを凌駕するであろう」。
 ちょっと楽観的であるかもしれないが、しっかりとエコロジカル・デモクラシー的なアプローチ、すなわちエコロジーを意識した民主主義的アプローチでのコミュニティ・デザイン、都市計画、国土計画を継続し続ければ、長期的には大きく社会を変革することも可能ではないかと思わせられた。

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ベルリンでアンペル・マンのグッズを購入し、都市のシンボルとしての商品についてちょっと考えてみた [都市デザイン]

ライプツィヒからベルリンに日帰りで行く。テンペルホーフ空港の跡地を訪れ、プリンツィシンネン庭園を行き、KaDeWeへ寄って戻ってきた。さて、KaDeWeにせっかく寄ったのでお土産でも買おうと考えた。ベルリンには、有名な熊の置物があり、私は3体ほど買っている、ベルリンという名前は熊に由来していることや、ちょっとこの熊が可愛かったりするので、私は、これをなかなか優れたベルリン土産として気に入っているのである。しかし、ちょっと大きい。というので、代わりにアンペル・マン・グッズを購入した。
 アンペル・マンとは旧東ドイツの歩行者用の信号機に使われたキャラクターで、そのキャラクターを商品化したグッズは、広く旧東ドイツの都市で売られていて、日本でも白金高輪でそれを専門に売っているお店もあったりする。旧東ドイツの数少ない旧西ドイツより優れたものとも言われている、なかなかチャーミングなキャラクターで私も結構、好きである。
 さて、アンペル・マンは旧東ドイツ中にあるし、現在ではシュツットガルトやリューベックでも用いられている。なんで、ベルリン土産なのかというと、最初に設置されたのが旧東ベルリンであるからだそうだ。ということで、アンペル・マンはベルリンにふさわしい土産になるかもしれないが、よく考えればKaDeWeは旧西ベルリンに位置しており、そういう意味では旧東ドイツの中で唯一といっていいほど、アンペル・マンと関係がないような場所である。まあ、旧西ベルリンも広義で捉えればベルリンなので、そういうのはただの難癖ということになるかもしれない。少なくとも、そこにはベルリンのストーリーが含まれているからである。また、アンペル・マンのグッズを販売している会社もベルリンに拠点を置いている。
 さて、しかし、そういうことを考えていて気づいたのは、アンペル・マンというのは旧東ドイツが共有するゆるキャラのようなものだな、ということである。それほどゆるくはないが、それでもある程度のゆるいところもあり(青信号の男の子にちょっと得意げに上を向いているところや、赤信号の女の子の妙に潔癖な感じのするところ)、そこがドイツ人を始めとした人々の心をくすぐっているような気がする。
 ゆるキャラというと、日本人の専売特許のように捉えられているし、それ故に日本人は奇妙な民族だといった、見方も為されていたりするが、なんてことはない、ベルリンにもしっかりとゆるキャラのような地域と関係性の高いキャラクターが存在して、また多くの人に愛され、関連グッズも販売されているという訳だ。
 いや、逆にいうと、アンペル・マンのような、その都市のストーリーを包含するようなキャラクターがあればいいが、なければゆるキャラでもいいからつくっちまえ、というのはあるかもしれない。
 また、その都市を象徴するようなシンボル的なキャラクターは何かと考えた時、サンフランシスコはケーブル・カーや金門橋、ニューヨークは自由の女神、フランスはエッフェル塔か凱旋門、ロンドンはロンドン・タワーやギュルクといった建築、バルセロナはガウディのギュエル公園にあるとかげ、京都であれば舞妓はん、大阪であればたこ焼き、などがすぐに浮かぶ。
 逆にいえば、このようなシンボル的なキャラクターがすぐに浮かばない都市、というのは都市マーケティングの時代においては、相当、マイナスであり、それを改善することが望ましい。しかし、名古屋市や豊島区のように、都市イメージが悪いからといって、自らのアイデンティティと関係ないお洒落な公園を整備したり、とりあえずニュース性のあるようなことのために税金を浪費したりするのはまったく効果がないどころか、さらに状況を悪化させていくことは理解しておいた方がいいであろう。
 貴重な資源を活かすことが必要であるが、それはつくろうと思ってつくるのではなく、それまでの都市政策の歴史・蓄積の中から滲み出てくるようなものであるべきだ。名古屋市がダサイのは、そのような都市文化を理解しないで、とりあえず効率性・経済性だけを追求してきたからではないだろうか。最近では、B級グルメで勝負しようとしているが、それは200万を越える人口を擁しながら、A級グルメを育てることが出来なかったという文化醸成力の無さの裏返しではないだろうか。タモリに揶揄されたからといっていちいち、センシティブな中学男子のように反応するのではなく、もっと長期的な視点でその都市をつくっていこうという姿勢を継続することで、都市のブランドは築かれると思うのである。そのような姿勢は、ヨーロッパではミュンスター、ハンブルク、リューベック、バルセロナ、ボローニャなどで見られるが、日本でも弘前市、金沢市などは参考に値する。
 そして、そういう姿勢を継続させることで初めて、都市のブランドは醸成されていくのであろう。ということを、アンペル・マンをベルリン土産で買いつつ、考えたりした。

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都市研究におけるケース・スタディの基礎(4) [都市デザイン]

さて、都市研究におけるケース・スタディの留意点の4つ目は、ヒアリングをあまり信用するな、ということである。ヒアリングは都市研究において極めて重要である。特に文献資料などがない都市政策を検証するうえで、担当者へのヒアリングは実情を理解するうえで不可欠といってもいいだろう。
 ただ、ヒアリング者がすべての事実を知っている訳ではない。たまには間違ったことを言っているかもしれない、と失礼のない範囲で疑いの目を持っておくことは重要だ。これは、しかしなかなか難しい。というのも、ヒアリングに対応してくれている人の方が、ヒアリングをしている研究者より、そのことについて遙かに詳しいから、どうしてもそれが事実であると思ってしまうし、その真偽を検証することも難しいからである。それを防ぐためには、数多くのヒアリングをこなすことである。
 私自身、ヒアリングをもとに原稿を書いて、まさに出稿する直前に、他の文献資料と私の書いていた内容が矛盾していることに気づいたことがある。その事実誤認を確認する時間もなかったので、私はその矛盾する文章を削除することで対応したが、その文献資料を読んだ時は冷や汗をかいたものである。ヒアリングで情報を収集することは重要であるが、その裏付けをすることが必要である。これがなかなか為されていない場合が、自分のことをちょっと棚上げして、多いような印象を受ける。
 そして、ヒアリングほどではないが、文献が必ずしも正しい事実を伝えていないことも留意することが必要である。都市デザインの「都市伝説」として、デンマーク人のヤン・ゲールがストロイエを設計したというものがある。これは日本の文献でもアメリカの文献でもそのように書かれているのだが、これは事実ではない。ヤン・ゲールとは取材をしたことがあるが、彼はこのことを強く否定していた。そもそも、ヤン・ゲールがストロイエを設計したとしたら、20代の時になる。それを考えても、これは事実ではないと分かるのだが、なぜか、そのように紹介されてきたし、私もヤン・ゲールに会うまではそうなのかな、と思っていた。したがって、自分が文章化する時には、それについては真実かどうかを謙虚に検証することが必要であろう。
 これは私も含めて、ケース・スタディをするうえでは留意しなくてはいけない点であると思われる。

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都市研究におけるケース・スタディの基礎(3) [都市デザイン]

 都市研究におけるケース・スタディをするうえでの留意点をこれまで2つ述べていた。一つ目は、比較する対象の特徴をしっかりと捉える、出来れば科学実験のように、比較する指標以外の条件をなるべく同一のものすることである。二つ目は、ケース・スタディをするうえで用いられている言葉の定義を誤解しないでしっかりと理解するということであった。
 そして、このブログで述べたい3点目は、拙速に結論を導かないということである。ケース・スタディの対象を研究するということは、自分が無知であったことを知るということでもある。それは、学習する過程でもあるのだ。したがって、それまでの自分の知識・経験等でその対象をしっかりと理解することは、実は不可能に近かったりするのだが、安易に結論を導いてしまいたがる人が多い。それは、あくまで結論ではなく、むしろ研究の端緒にあたる仮説設定に過ぎないのだが、この仮説を検証しないで、印象論だけで結論的な判断を下してしまう人が本当に多いのだ。ケース・スタディというのは仮説設定→検証→大抵、ここで仮説が間違っているので再び仮説設定→検証→・・・という作業が続いて、だんだんと真実が見えてくるのだが、それは大変であるので、自分の大雑把でいい加減な知識を動員して、自分の眼鏡でみえるストーリーをつくってしまう。例えば、ドイツは市民参加が絶対的にやられている、とかドイツは計画なくて開発なし、などと言われているが、実際、ケース・スタディをするとそうではない場合もあったりする。連邦制をとっているドイツは、日本のように都市計画法が国の法律ではないので、様々な状況があるのだが、自分の知っている事例(大抵の場合、極めて優れている事例)をもとに、ドイツの都市計画のあり方を一般化して理解してしまい、例外的な事例を受け入れないのだ。
 事例研究に意味はあるが、それは知らないことを知るためにむしろされるべきであり、安易な一般化された結論を導くためにすることは慎むべきであり、それは長期的な取り組みを研究者に要求する方法論であると思われる。
 私もクリチバの成功の最大要因がレルネルさんであった、ことはクリチバを初めて訪れた1997年から数えて、20年以上経って、確信を持って言えるようになったが、『人間都市クリチバ』の本を出した2004年時では、まだそれは仮説の範疇をでていなかった。今は確信を持っている。

タグ:事例研究
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都市研究におけるケース・スタディの基礎(2) [都市デザイン]

 前回に続いて、今回も都市研究におけるケース・スタディをするうえでの留意点を述べたいと思う。それは、しっかりと言葉の定義を理解していることである。日本人がドイツに来て、その言葉の意味をしっかりと理解していない故に誤解するものとして「難民」(refugee)が挙げられる。多くの日本人が学識者を含めて「難民」と「移民」の違いが分からず、ごっちゃにしている場合が多い。そして、いわゆる「移民」問題というものを「難民」問題として捉えてしまい、結論として「難民」を受け入れるのは政治的には間違っているといった誤解が誤解を生むような結論を導いてしまう。そして、ドイツ国内にて「難民」と出会ったりすると、ドイツ人に気を遣ってか、あからさまに嫌な顔というか困った顔をしたりする日本人も驚くことにいるのだ。そして、それが日本の一流企業の社員であったりするから、二度驚く。
 「難民」と「移民」は定義からしてまったく違う。国連の説明を引用しよう。
「難民とは、迫害のおそれ、紛争、暴力の蔓延など、公共の秩序を著しく混乱させることによって、国際的な保護の必要生を生じさせる状況を理由に、出身国を逃れた人々を指します」。
 なんか、国連とは思えない分かりにくい日本語であるが、すなわち、民族紛争や戦争、自国の政治が暴走したことによって、生きていくことが難しくなり、生き延びるために(死から免れるために)自分の国を捨てざるを得ないような人々のことである。
 そして、現在の国際法では、弾圧や迫害を受けて難民かした者に対する救済・支援が義務づけられている。
 つまり、難民を救済・支援するのは国際法的には国の義務であり、それらを排除するのはその国が有する権利ではない。したがって、ドイツが多くの難民を受け入れているのは、国際法を律儀に遵守しているからに過ぎない。というか、島国であったり日本語という難解な言語を有しているために暮らしにくいということで、難民があまり来たがらないということで、難民の受け入れに極めて消極的であるという日本の方が国際的には恥ずかしい。ということを、あまりにも日本人は理解しなさすぎではないだろうか。
 ちなみに、移民に関しては国連は定義はしていないが、次のように解説している(http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/22174/)。
「移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を国際移民とみなす。」
 ううむ、この解説も分かりにくい。まあ、特に必然的な理由がなく、自分が生活していた国を他の国に移って変える人である。したがって、その人を受け入れるかどうかは国の判断に因るであろう。国際法的に移民を保護する必要性もない。
 したがって、移民に関しての政治的問題を議論することは極めて健全であると思われるが、難民に関しての受け入れはそもそも議論する以前の問題である。
 このような誤解が生じるのは、その言葉の定義をしっかりと理解していないことに起因しており、それは事例研究をするうえで常に留意しなくてはいけない点である。

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