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ヨドバシカメラのサービスの悪さに、日本のサービス産業劣化の兆候をみる [商店街の問題]

DVD-ROMが急に入り用になったので、ヨドバシカメラの京都店に向かう。その後、知人と会う約束をしていたので時間はない。急いで買わなくてはならない。地下一階で「DVD-ROM」を購入したいのだが、と店員に尋ねると2階ですね、と言われる。急いでエスカレーターに乗った時、ふと、もしかして映画などのDVDと誤解しているかもしれないと考え、再確認のため1階で降り、また店員に言う。今回は「コンピューターのデータなどを記憶するためのDVD-ROM」としっかりと伝える。すると、店員は「2階かな、地下一階かなあ。ちょっと分からないので尋ねてきます」と言ってくる。そんな待っている時間もないので、隣にいた女性の店員にも尋ねると、「分からない」と言う。「店員ですよね」と確認すると、「そうだ」と答える。これは、どうしょうもないな、と途方に暮れるが、二階はいわゆる映画などのコンテンツとしてのDVD、そして地下一階はパソコン付属品とあるので、これはやはり地下一階かなと向かう。そこで、支払所にいた二人の男性店員のうち、一人に同じ質問をすると、「分からない」と言う。この店員は中国人で、可哀想にちょっと困惑をしていた。そこで、隣で我々の会話を無視していた店員に聞くと、「ああ、それなら記憶媒体のコーナーにありますよ」と回答する。隣で同僚が困っているならもっと早く言えよな、と内心、その冷たさに腹を立てつつ、急いでそこに行き、購入する。
 DVD-ROMなどは過去の遺物のようなもので、それを購入するような客は少ないかもしれない。しかし、置いてあるのであるなら、どこに売っているかぐらい知っていてもいいだろう。
 このような体験は、京都では薬屋やホーム・センターでも経験したことがあり、店員がどこに何を売っているかを知っていない。これは、ほとんど東京では体験したことがなかったので、驚いたりはしていたが、今回のヨドバシカメラは4名に聞いて分からない、というちょっと愕然とするような体験であった。
 私は日本のサービス産業の水準の高さは世界一であるとかねてから思っていた。ドイツなんかはあまりにもサービスが悪いので比較する意味もないが、オランダ、フランスの劣悪なサービス、さらにはアメリカのサービス産業の客への配慮の欠如などを経験していたものとしては、日本のサービス産業は本当に優れていると考えていた。いや、このサービスのよさが、付加価値を低めてしまっているというのはあるのだが、それゆえに日本の消費者はある意味で世界一、幸せな購買体験ができている。これが、またインバウンドの中国人の観光客が、日本においてメイド・イン・チャイナの商品を買う理由でもある。
 しかしですね、ヨドバシカメラの京都店はサービス悪すぎでしょう。いや、サービスの態度とかではなく、サービス産業に従事している人が持っているべき、商品知識や販売場所、これを有していなかったらまったくもって専門家ではない、というような能力を欠如している。というか、コンピューターやロボット以下である。確かに、私もヨドバシカメラの入り口に、ナビロボットとかいれば、こんなストレスフルは思いをしないで済んだかもしれない。そして、それは世界でも最高レベルであったサービス産業が劣化していることを私に気づかせてくれた。
 最近、読んだ週刊誌に、日本はそのうちアジアで最貧国になる、というような記事が載っていたが、ゆとり教育や働き方改革といい、日本の優れた労働者の質を悪化させるような施策を進めてきた成果がそろそろ顕在化されてきたということだろうか。そのようなことをヨドバシカメラの京都店にて気づかさせられた。

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アメリカのジャーナリストを感動させた淡路本町商店街 [商店街の問題]

私がカリフォルニア大学バークレイ校の大学院で都市デザインを勉強していた時のこと。1993年とか1994年の話なので、もう25年以上も前の話だ。あるアメリカ人のジャーナリストの取材を受けた。彼は日本の商店街に大変、興味を持っており、なんで日本人はあのような素晴らしい公共性の高い商業空間をつくることが出来たのだ、と私に尋ねてきたのだ。私は、その当時は商店街の価値をあまり考えたこともなかったので、面白いことを言うなあ、と思いつつ、何でそんなに素晴らしいと思うのかと逆に質問をしたりしていた。その理由として、歩いて買物が出来ること、ソーシャライズする空間であること、そして個店が多く地域の個性なども反映していること、などを彼は挙げた。
 確かにそうだな。ジェイン・ジェイコブスが指摘しているような条件を日本の商店街は有しているな、と私も納得し、彼との話も弾んだ。しかし、当時でも、彼が掲げるような状況を満たしている商店街は少数派である。一体、どこの商店街を知っているの?と尋ねると、大阪の淡路本町商店街である。私は淡路が阪急電鉄の乗り換え駅であることは知っていたが、降りたこともなかった。ただ、彼とのこの会話から淡路本町商店街という名前は私の記憶に深く刻まれた。
 そして、土曜日の今日、私は船場に用事があったので夕方、出かけ、その帰り道。阪急京都線で京都に戻ろうとしていたら、淡路駅に電車が止まった。特急にここで乗り換えた方が早いということでホームを降りたら、目の前に淡路本町商店街。これは、降りるでしょう。ということで、駅を降り、ざっと往復した。アーケードがあり、その長さも伏見の大手筋商店街並みなのではないか。そして、アーケートから横に入った横道や路地にも店が張り付いている。個店も多く、なんとアーケードのあるところは二階にも一階と違うお店が入っている。これはなかなかの店舗密度だ。なんと2017年5月まで、映画館も営業していたそうだ。おそらく、アメリカ人のジャーナリストが奥さんの実家であるこの淡路に住んで、商店街に通っていた時は映画館にも通ったのかもしれない。そりゃ、こんなヒューマン・スケールの空間で映画館まであれば驚くだろう。
 ということで、まったく予定していなかったのだが、淡路本町商店街にようやく訪れることができた。私はこのエピソードは雑誌のエッセイとかにも書いたことがあるかと思う。確かにアメリカ人ジャーナリストを感動させるような空間の名残は十分、まだ漂っていた。
 気になるのは、こういう商店街の社会的意義などをしっかりと日本では理解されていないことだ。そして、消費者もその実際の有り難みをあまり分かっていないように感じる。ちなみに、私は肉類と魚類はまずスーパーで買わない。これは商店街の店の方が質が高く、コスパが優れているからだ。野菜はスーパーで買うが、これはいい八百屋が近くの商店街から消えてしまったから、仕方なく買っているだけである。商店街が近くにある人はラッキーである。そういうことをもっと理解して、正当に感謝しないと、本当にスーパーでしか物が得られない貧しい消費環境になってしまうぞ。

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若者は商店街に行かないことを知って、商店街のおじさんはたいそう驚いた [商店街の問題]

大学そばの商店街にゼミ生達と訪れ、そこの商店街のおじさんにいろいろとお話を伺う。私からすると美味しいパン屋さんも数軒あり、なかなか味のある商店街かなと思うが、ここにいる方からするといろいろと大変なようだ。さて、そこでうちのゼミ生10人に、商店街に行くかどうか尋ねたら、全員が行かないと回答した。買物は皆、スーパーマーケットとかでするらしい。淡路駅が最寄り駅の学生もいて、この学生とかが商店街に行かないのは本当、私は理解できないが、千里ニュータウンとかに住んでいる学生などは選択肢がない(近隣住区でつくられた吹田市ではなく、豊中市側に住んでいる)ので、これは致し方ないかもしれないが、その結果を聞いて、商店街のおじさんは腰を抜かすように驚いていた。
 まあ、私もちょっとゼミ生の買物行動には驚いたが、若者はもう商店街とはまったく別次元のところで、それと無関係に生活をしている。商店街は消費の場として、若者にまったくアピールできていないのかもしれないと考えると同時に、若者は消費者としては相当、未熟で広告にも弱く、自分で考える力が弱いということもある。ここらへんの若者を惹きつけるような戦略を商店街はもっと立てた方がいいな、と思ったりもする。
 私とかは若者とは逆に、イオンとかにはまったく行かないからね。これは、欲しいものが売っていないからであるが、もしかしたら、そのこと自体が私がおじさんである証左なのかもしれない。

タグ:商店街
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伏見桃山に京阪電気鉄道の特急列車が止まらない理由 [商店街の問題]

伏見区は人口28人を擁する京都市最大の区である。しかし、その中心駅である伏見桃山駅には京阪電気鉄道の特急列車は止まらない。その代わり、隣の中書島駅や丹波橋駅などに停まる。これはどうしてなのだろう、と前から気になっていたのだが、その理由が判明した。伏見桃山駅は二つの道路に挟まれているため、駅の幅を広げることができない。そして、そのプラットフォームの長さは6両編成分である。京阪の特急列車は7両編成である。つまり、特急列車は伏見桃山駅に停まると道にはみ出てしまうのである。
 前からなんで、周辺が住宅地の丹波橋駅に停まって、大手筋商店街のような京都市を代表する商店街のある伏見桃山駅に停まらないかが不思議だったが、こんな物理的な理由であったとは知らなかった。

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飲み屋の店長について、ちょっと考察した [商店街の問題]

私は下北沢でよく飲む。とはいえ、下北沢の数多あるバーをくまなく行っている訳ではなく、常連のお店3軒を飲み歩いているだけなので、下北沢という街に惹かれているという訳ではなく、この3つのお店に惹きつけられているというのが正解であろう。もちろん、下北沢にいても食事はちょっと別のところでしたりする場合があるが、最終的にはこの3軒のどちらかに顔を出してから帰宅する。この3軒のうち、2つに関しては、英語版の拙著『Global Cities, Local Streets』(Routledge著)でも紹介している。
さて、この3つの店のうちの一つが店長が替わった。私はオーナーと友人であり、店長が替わったことで、ちょっとビジネス・モデルも変えなくてはと考えているらしく、いろいろと試している。私の家にも葉書が来て、ちょっと顔を出して欲しい、ということが書いてあったので、平日の早い時間、オーナーがいないことは分かっていたが、顔を出した。さて、新しい店長は常連客であったミュージシャンである。以前からお互い同士を知っていた。しかし、どうも私が気に入らないようで、私も気に入られていないことは分かっていたが、まあ、常連客が皆、仲がいい必要はない。店に迷惑がかからないように距離を置いていればいいだけの話だ。会社とか、学校とかでもよくある話である。
ただ、それは同じような立場の時においてである。同僚、お客同士であれば、個人の感情が露わになっても構わないと思うが、店対客であれば、そのような場合、ちょっと配慮があって然るべきであると私は思う。しかし、この店長は私が店に来ると、結構、あからさまに嫌な顔をした。そして、実際、用事があったのかもしれないが、そそくさと店を出て行った。ちょっと私は驚いたのと同時に、ここが例え友人がオーナーをしている店であっても、おそらくオーナーと一緒でなければもうここには来ないだろうなと思った。お金を出して、人に嫌がられる必要はない。バーに行くのは美味しいお酒を飲むことが目的である。お酒の味は、その場の雰囲気、一緒に飲む人によって変わってくる。だから、同じお酒を出していても流行る店と流行らない店があるのだ。
あと、新しく店長を務める人はなかなかのロック・ミュージシャンである。気骨のある人で拘りがあるのだろう。私のようなへぼなミュージシャンには愛想を振りまくたくないのかもしれない。その気持ちは分からない訳ではない。ただ、そこまで拘るのであれば、キャロル・キングとビートルズを店内でアルバム通してかけるようなことはしない方がいいのではないか。誰でもつくれるようなオムレツとハムを料理に出すようなことはしない方がいいのではないか。いや、キャロル・キングもビートルズも個人的には嫌いではないが、そのような一般受けする音楽を堂々とかける程度の個性であれば、客もそれほど選べない筈である。少なくとも、私はオーナーの友人であるし、比較的常連の部類であるかと思う。店が客を選ぶことはできると思うが、それは、強烈な個性を発揮できる場合だけではないだろうか。
例えば、下北沢にはイーハトーブという拘りの喫茶店がある。私は、このマスターにあまり良い印象を与えないような客のようで、結構、ぞんざいに扱われていると思う。しかし、そこで流れる音楽はいつも私を唸らせる。コンシェルジェというかDJとしてのマスターの能力が秀でているのだ。そして、そのこじんまりとした空間、さらにはしっかりと淹れている珈琲は、マスターの無愛想を気にさせない。というか、マスターの気に障らないように振る舞わなくてはと思わせる。こういう気持ちは、特別に美味い寿司屋などでも感じる。
まあ、前述した店長は、自分はそういう人間であると思っているのであろう。ミュージシャンであれば、そのような自意識も必要かと思うが、平凡な料理、凡庸な音楽を流すバーの店長であるなら、そういう自意識は捨てた方がいいかと思う。ミュージシャンとバーの店長はまったく違う仕事であると思うし、そしてミュージシャンであっても、多少、謙虚でいた場合がいい時もあるとも思う。

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竜馬通り商店街を訪れる [商店街の問題]

中書島の駅のそばにある竜馬通り商店街を訪れる。竜馬通り商店街は、伏見桃山の大手筋商店街から南に行ったところにある。どうも大手筋商店街周辺には7つの商店街があるようで、普通に歩いていると連続した商店街のようであまり気づかないが、確かに気をつけてみると看板や幟などが、そこがどこの商店街に属しているかを教えてくれる。さて、竜馬通り商店街はそのような商店街の集積でみると、端っこに位置している。23店しか加入していない小さな商店街だ。竜馬通り商店街というのは、近くに寺田屋があることからネーミングされた。あの坂本竜馬が襲われたという寺田屋である。
商店街の理事長である森さんは京都の商店街でも最年少の理事長だ。ということで、小さな商店街だが元気がある。フードイベントなどを積極的に展開している。京都といえば内外の観光客が来てたいへんな状況にあるが、ここ竜馬通り商店街は9割方がツアーで来るため、個人の観光客はほとんど来ないようである。ツアーのお客さんは月桂冠とか黄桜とか宝酒造とかの酒造巡りをするようだ。ううむ、日本を代表するまずい酒造にわざわざ観光で来ているのだな。すぐそばに伏見の美味しい日本酒をつくっている酒造があるにも関わらず。
基本的な路線は観光客などではなく、地元の人に愛される、飲食店が中心の商店街にしようと考えているようだ。確かに小売りで商店街が勝負できる時代は、よほど差別化できない限り難しい。パン屋とか豆腐屋とか珈琲豆とか酒屋とか、そのような勝負できる小売りもほとんどが食品関係である。
今回、取材をして意外だったのはテナントの家賃が高いということである。確かに大手筋商店街とかは空き店舗がまったくなく非常に人出も多い印象を受けるが、住宅の家賃を考えると商店街の家賃が河原町とあまり変わらないというのは驚きである。
あと、伏見も町家とか古い街並みは本当、感心する。私も龍谷大学に転職する前は伏見はほとんど来たことがなかったが、とても優れたコンテンツを有しているような印象を受ける。ただ、目の前の利益を優先させるマーケティング戦略とかが、せっかくの貴重なコンテンツをダメにしているような感じである。

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商店街を利用しない大学生 [商店街の問題]

ゼミ生達を連れて、京都市役所の商業振興課を訪れ、商店街への補助事業などのヒアリングを行う。ゼミ生は説明をぽかんと聞いているので、商店街を利用しているか?と尋ねると13人中ゼロであった。京都市出身者が4名、下宿者も3名ほどいるが、1名は奈良県だが、残りの5名は大阪府である。まあ、枚方、高槻、豊中といった郊外居住者がほとんどだが大阪市東淀川区も一人いる。大学生であるということも関係しているだろうが、皆、買物に行くのはショッピングセンターやチェーンのスーパーマーケットである。致し方ないのかもしれないが、もったいない。消費者として、このようなチェーン店で物を買わされるのは、まったく都市文化の醸成にも貢献することがなければ、それらを享受することもしてない訳である。
 私も京都のマンションで寝泊まりしている時は、ほとんど家に帰るのが11時近くなので、スーパーで買い物をしてしまっており、その点は情けないところではあるが、東京だと肉や珈琲豆、パン、ケーキ、お酒(特に日本酒)などは絶対、スーパーとかでは買わずに個店で買う。魚もこれは、ちょっと城南地区でチェーン展開してはいるが魚屋で買っている。スーパーでは缶詰やパスタ、それに周辺には八百屋がないので野菜や果物は買ってはいるが、それ以外は買わない。チェーン展開しているスーパーで買う比率を「スーパー係数」とすると、これはもうエンゲル係数と同じように高いほど貧しさを示していると私は考えている。レストランもチェーン展開しているところで消費する割合を「チェーン・レストラン係数」とすると、これも高いほど食生活の貧しさを表していると考えられる。
 そして、スーパー係数、チェーン・レストラン係数は圧倒的に地方の方が東京よりも高い。すなわち、東京の方が豊かな食生活を享受できているのであり、これが私が最近、憂慮している東京と地方において広がっている格差なのだ。ちなみに、東京でも都心部と郊外ではこの指標に違いがあるので、東京圏であればどこも一律に豊かな訳では決してない。そして、大阪や京都はこれに関しては、相当豊か、すなわち「スーパー係数」も「チェーン・レストラン係数」も低く生活できるだけの機会があるにも関わらず、自ら、貧しい消費生活をしている大学生にはちょっと情けない気持ちになっている。まあ、私も大学時代は結構、貧しかったが、それでも食事とかはチェーンには滅多にいかず、個店で食べていましたね。そちらの方が美味しと思っていたし、値段も安かったから。

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シモキタザワテラスという名のチェーン店 [商店街の問題]

 シモキタザワテラスという名前のカフェ・レストランが下北沢の南口、元イタリアン・トマトのあったところに開業している。シモキタザワテラスという名称から、これは個店であると思いそうであるが、実はイタリアン・トマトが経営するお店であった。ちょっと興味深い。というのは、まずイタリアン・トマトの経営陣はなかなか下北沢のマーケティングが分かっている。というのも、下北沢の魅力はローカル経済で回している個店群であり、それらを経営している個性的な人々であるからだ。一部の人を除いて、多数の人は下北沢にきてチェーン店には入らない。チェーン店で消費したければ、二子玉川とか渋谷とかに行けばいいからだ。下北沢にしかない店を目指して、下北沢にほとんどの人は来るのである。イタリアン・トマトはおそらく、下北沢で店を経営していて、そういうことが分かったのであろう。とはいえ、当時のイタリアン・トマトにお客が入っていない訳ではなかった。私は、ちょっとどうして下北沢にまで来てイタリアン・トマトに来るお客がいるのだろう、と不思議に観察していたことを覚えているからだ。しかし、やはり、想定したほど入らなかったのであろう。
 ということで、名前を変えた。しかも下北沢の地霊を呼び込むかのようなネーミング。地名をそのまま店名にしてしまえば、なかなかチェーン店とは思えないであろう。いや、正確にいうと、ここはチェ−ン店ともいえない。というのは、他に「シモキタザワテラス」という名称の店はないからだ。ただ、運営形態はおそらくほとんどイタリアン・トマトなのであろう。
 また、興味深いのは、実際、ローカルの個店かと思って入ってしまうお客がいるからである。私は、この話を学生から知ったのだが、その学生は下北沢らしいお店に入ったつもりであったので、騙されましたと笑って言っていたが、消費者と街のブランディングという点からはこれは問題ではある。イタリアン・トマトが賢いことはよく分かったが、やはり、これはシモキタという街のブランドに乗っかったフリーライド的行為であるとも思うのである。
 こういうことを言うと、そんなショッピング・モールでもないのに商店街レベルでテナント・コントロールは無理だと思われるかもしれないが、例えばアメリカの商店街(カリフォルニア州のカーメルや同州サンフランシスコのウェスト・ポータル街など)はそうしているところもある。まあ、下北沢のように1200店も店舗があるところだと、そういうコントロールは無理だし、それほど目くじらを立てることもないかもしれないが、一つの商店街の抱える課題を提示しているとは思われる。
 

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